火星で三日月・オーガスがモビルアーマーを討ち果たしたその勝利は、終戦ではなく起床信号だった。ハシュマル撃破をきっかけに、厄祭戦の亡霊たちは火星各地で連鎖的に再起動し、戦線は崩壊。ギャラルホルンはモビルアーマー戦への対応を強いられることになった。

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズのifストーリー。

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機動戦士ガンダムバエル

 火星会戦は、もう前線とか後方とか、そういう区別を失っていた。

 

 前線は後退し、後退した先がすぐ次の前線になり、そこもまた破られる。

 

 クリュセ外縁の防衛帯は砂塵の向こうで何度も形を変え、補給路は断続的に途切れ、旧採掘地帯から這い出たモビルアーマー群は、討ち漏らしでは済まない規模で増殖していた。

 

 ハシュマル撃破後に走った起動波形は、単なる最後っ屁ではなかったのだろう。眠っていた別系統の個体が、応じるように目を覚ました。

 

 砲撃で止まる相手ではないことは、もう誰もが理解していた。

 

 それでも砲は撃つ。

 戦艦が撃ち、地対地砲台が撃ち、レールガン装備のMS部隊が撃つ。止めるためではなく、遅らせるために。

 

 だがそれで稼げるのはせいぜい数秒だった。質量弾の散布軌道を読んでいるかのように回避する個体がいる。真正面から受けて、なお脚を止めない大型機もいる。装甲ではない。構造そのものが違う。

 

 厄祭戦末期、ダインスレイヴのような大質量投射兵器が戦場にあったのなら、それに対応したモビルアーマーが存在していても不思議ではない。誰かが口に出したわけではないが、その推測は現場の全員の脳裏をよぎっていた。そうでなければ説明がつかない。

 

 ジュリエッタの隊は、もう隊と呼べる密度ではなかった。

 

 レギンレイズは次々に落ち、残った機も手足を欠き、推進器の片肺飛行で空をつないでいる。それでもジュリエッタは退かなかった。撃って、斬って、押し返し、また別の穴へ走る。

 

 勇ましいというより、実直だった。崩れる線路の上を、列車がまだ通ると信じて体を差し込むみたいな戦い方だった。

 

 ヴィダールもまた火星低空で踏みとどまっていた。ガンダム・ヴィダールの外装はもう見苦しいほど焼け、片側スラスターは火を噴き、跳ぶたびに機体全体が軋む。

 それでも大型個体の注意を引きつけ、ジュリエッタの射線を開け、地上部隊の退避時間を稼いでいる。どちらも、勝つためというより、まだ負け切らないために戦っていた。

 

 石動の報告は淡々としている。

 

「第七防衛帯、消滅」

 

「北西ブロック、再起動反応」

 

「旧採掘都市上空、ガンダム・フレーム・タイプ一機喪失」

 

「金星方面からの増援記録、途絶」

 

 名のある機体も、名のない機体も、順に消えていった。

 

 ガンダムでさえ沈む。

 

 その事実が、司令部の空気を変えた。ガンダムは神話の具現ではない。少なくとも、ガンダムだからモビルアーマーに勝てるわけではない。

 古い戦争に適応した、古い兵器の一形式にすぎない。そして古い暴力がいくつ落ちても埋まらないなら、さらに古いものを起こすしかない。

 

マクギリスは戦況図から目を上げた。

 

「バエルを出す」

 

 誰も反対しなかった。

 

 反対するための余裕も理屈も、もう残っていない。正統の象徴。創始者の魂。そうした文句は平時には意味を持つ。

 

 だがいま必要なのは、神話ではなく戦力だった。地下に眠る白い機体が、まだ動くか、それだけだった。

 

 火星司令部地下の格納区画は、艦の底に似ていた。

 

 照明は最小限。警報は上階で鳴っているのに、ここまで降りると逆に静かだ。油と金属と冷却材の匂いが重く沈み、白い機体だけが薄明かりの中に浮かんでいる。

 

 ガンダム・バエル。長く安置されていた機体。

 

 戦時備蓄というより、記念艦のような存在。勝った時代の遺物ではなく、負けかけた時代をどうにか渡り切った証拠として、ずっと奥にしまわれていたものだった。

 

 整備員たちは、すでに作業に入っていた。

 

 自動化されたラインは過負荷と停電で半死半生だ。だから人の手でやるしかない。固定具を抜く。補助ケーブルを差し替える。眠っていた系統に順次火を通す。肩のマウントを点検し、腰部の保持具を締め直し、コクピット周辺の封印を外す。誰も声を張らない。必要な指示だけが短く飛ぶ。

 

「主炉接続」

「伝達ヨシ」

「左翼側スラスター、出力七割で固定」

「了解」

「双剣マウント、再確認」

 

 石動がその報告を拾う。

 

「双剣、装備可能」

 

 少し間があってから、彼は付け加えた。

 

「ただし、原装備ではありません。戦後に設計資料から復元したものです」

 

 マクギリスは白い機体を見上げたまま、「そうか」とだけ返した。

 

 それで充分だった。

 

 むしろよかった、とすら思えた。神話の剣ではない。後代の人間が、失われた戦い方を必要として、図面から起こし直した剣だ。ならばなおさら、これは飾りではない。

 

 過去の英雄の神器ではなく、いまを生きている人間が使うための武器だ。

 

 ジュリエッタが格納庫に入ってくる。パイロットスーツの右肩は裂け、頬には血が乾いている。それでも彼女は立ち姿を崩さない。

 

「前線はまだ持たせます」

 

「時間は」

 

 とマクギリスが問う。

 

 石動が答える。

 

「十分あれば理想です。現実は三分でしょう」

 

 ジュリエッタが首を振る。

 

「三分で足ります」

 

 そこへヴィダールの回線が割り込む。雑音が多い。おそらく火星低空でまだ戦闘中だ。

 

「聞こえるか、マクギリス」

 

「ああ」

 

「出すなら今だ。こっちは、もう総崩れが近い」

 

 向こうで砲声が入る。ヴィダールがまだ生きている音だ。

 

「了解した」

 

「……バエルをギャラルホルンの象徴として使うなよ」

 

 短い沈黙。

 

「一兵器として使え」

 

 通信が切れた。

 

 整備区画の奥で、主炉が応え始める。

 

 最初は低い唸りだった。床の下から伝わる、古い船の機関みたいな音。次にフレーム各部へ順に通電が走り、白い装甲の継ぎ目に細い光が差す。拘束アームが緩む。吊り具が鳴る。格納庫の床にたまった赤い砂が、振動で微かに跳ねる。

 

 バエルの頭部センサーが点灯した。

 

 その瞬間、格納庫の空気が変わった。

 

 状況はなにも好転していない。敵はまだ外にいる。味方はまだ削られている。失った機体も人も戻らない。

 

 それでも、戦況変わるかもしれない。

 

 ――白い機体が立った。それだけで、現場の心拍が一段持ち直す。

 

 マクギリスはコクピットへ向かう。

 

 ハッチに手をかけた、その直前だった。

 

 個人回線に、ごく短い信号が入る。

 

 発信元表示を見て、彼は一瞬だけ目を細めた。

 

 三日月・オーガス。

 

 文字だけの、短いメッセージ。

 

「チョコレートの人、行ける?」

 

 それだけだった。励ましでも、頼みでも、命令でもない。まだ前へ出られるか。そういう確認だけを、あの少年は本当に必要な長さで送ってきた。

 

 マクギリスは返信を打たなかった。

 

 打たずに、ほんの少しだけ口元をゆるめた。

 

 行けるかどうかではない。

 

 行くしかないのだ。

 

 コクピットの内側は簡潔だった。儀礼的な飾りはない。

 

 厄祭戦を生き残るための機械として、必要なものだけが残っている。

 

 阿頼耶識とのリンクが始まると、古い制御理論が脳の奥へ流れ込んできた。

 

 対モビルアーマー戦の運動解。プルーマの群れの裂き方。中枢へ踏み込むためのバインダーの角度。勝つためというより、沈みきる前に局面を押し返すための手順。

 

 外では、また一機、味方の識別信号が消えた。

 

 ジュリエッタが前線で怒鳴っている。

 

 ラスタルが残火力の集中を命じる。

 

 ヴィダールのノイズ混じりの声が再び途切れる。

 

 石動が最後の拘束を外す。

 

 マクギリスは形だけの操縦桿を握った。

 

 ここに至って、彼の中からずいぶん多くのものが落ちていた。

 

 王になりたいという欲望も、正統を掲げる算段も、神話を味方につけるための虚飾も。残ったのは、ごく単純な実感だけだ。

 

 この白い機体は、栄光のためにあるのではない。

 

 まだ人類圏を明日へつなぐために、最後に鳴る非常ベルなのだ。

 

 ――人類はいつか滅ぶかもしれない。だが、それは今ではない。

 

「ガンダム・バエル」

 

 起動キーを押す。

 

「マクギリス・ファリド、出る」

 

 白い巨体が前へ出る。

 

 一歩。

 

 もう一歩。

 

 床が低く鳴る。格納庫全体がわずかに震える。その振動は、古い艦が係留を解いて動き出す瞬間に似ていた。長く眠っていた象徴が、いまふたたび現役に戻る。敗勢のど真ん中で、それでもなお人の手で起こされ、戦場へ送り出される。

 

 ハッチが開き、火星の赤い光が差し込む。

 

 見送りに立っていたギャラルホルンの構成員のひとりが、思わずというふうに呟いた。

 

「バエル……アグニカ・カイエルの魂……」

 

 その声は、祈りに近かった。


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