「暇だな……。」
コーヒーミルで豆を挽きながら歩行者側の窓を眺める。
文筆家でもあり趣味で喫茶店をしている叔父がギックリ腰と序でに判明した脳梗塞の治療のため店を空けることなり、店番を任されてしまった。
『来客は殆んど無いから安心して』
とは言われたものの、万が一団体客が来たりしたらどうしたらいいんだろう。
適当にアナログ無線機から流れる音声を拾う。
私はハムでラグチューをしたりする叔父と同じ趣味を持っている。
高価な機械を弄ってもいい許可を貰えたらから店番を引き受けたというのもある。
「……すみません。お店、やっていますか?」
ガラコンというドアベルが鳴り、入り口を見ると白くよれた丸首のシャツにジーンズ、素足に踵を踏みつぶして靴を履いている猫背の不健康そうな男性が立っていた。
「あ……はい。いらっしゃいませ。」
男性に会釈をして狭い店内のソファ席に案内すると、靴を脱いで体育座りになってメニューを見始めた。
一番最初に非常識な客を引き当ててしまった。
「……いつもの、お願いします。」
彼はこちらを見ずに指でメニュー表を斜めにしてバランスを取る手遊びをし始めたので、ムッとしてしまう。
「申しわけありません。いつものでは分かりませんのでメニュー名を仰ってください。」
そう嗜めると『オリジナル珈琲、砂糖7個、フルーツマシマロ盛り合わせ7皿分』とぶっきら棒に言われ、「承りました」とだけ答えてキッチンに立った。
「何なのあの客……変な常連がいるなら教えておいてよ。」
トレイに山盛りのマシマロとコーヒーセットを乗せてテーブルに運ぶと、警察無線を拾ったようで緊迫した音声が流れた。
『新婚夫婦が食事中に中毒死した模様。テーブルには結婚祝いに贈られたとされる手製の食器と空の陶器製の花瓶、同じく贈られた特別に調合した香水、手作りのリネンの服を身に纏っており……』
慌ててボリュームを下げに行こうとすると腕を掴まれた。
「……無線傍受……盗聴ですか。」
初めて男性と目が合った。
疲れ果てたような漆黒の黒い瞳に、睡眠が足りていない事を示す目の下の深いクマ。
「違います。偶然の『受信』です。」
男性の手を振りほどいてカウンターに座ってノートパソコンを叩いた。
新婚夫婦のブログを見ると結婚祝いを贈った者を特定でき、以下の情報に纏める事ができた。
一、被害者
夫婦は二十代、子どもは無し、親戚は居ない
二、発生時刻
早朝、朝の食事の時間帯
三、結婚祝いの贈り主
A、手製の食器は高速道路整備員の男性
B、陶器製の花瓶は陶芸家の女性
C、特別に調合した香水は化学薬品工場勤務の女性
D、手作りのリネンの服は染め物作家の男性
「あー……Aの高速道路整備員かな。」
高速道路整備員の男性が担当するエリアのストリートビューを眺めて呟いた。
「……どうしてそう思われたんですか。」
振り向くと男性が肩に顎が乗る距離で画面を覗き込んでいた。
「だって見てくださいよ、このストリートビュー。」
ストリートビューには笹の葉のような形の葉を生やした白やピンクの花が満開の街路樹を写している。
高速道路整備員ならばこの排気ガスに強い街路樹の剪定をしているはずだからだ。
「それでは、なぜ今になったかの推論を。店員さん。」
距離が近いので身を屈めながら答える。
「箸や皿のコーティングが剥がれて夾竹桃の毒が漏れたのが今だったから。」
男性は指を顎につけて首を傾げたあと、私の肩をちょんちょんとつついた。
「……私は竜崎と言います。」
じーっと見つめられて、ようやく『名を名乗れ』と言われていることに気がついた。
「あー……じゃあ推測のスイと呼んでください。」
、、、
「はぁ……間違ってたかぁ。」
カウンターで新聞を眺めると「化学薬品工場勤務の女性を逮捕」という文字が大きく載っていた。
「夾竹桃までは合っていましたね。」
ソファ席に座りながら竜崎さんがコーヒーにボトボトと角砂糖を入れていた。
「確かに有毒物を扱う工場の生け垣にも使われてますからね……盲点だったなぁ。」
新聞を畳んで竜崎さんの向かいの席に座った。
「……無線の内容を窃用したと黙っていて頂けますか?」
竜崎さんは無表情でマシマロを頬張った。
「スイさん、自首したいならご自分でしてください。」
もぐもぐと口を動かしながら手持ちのA4資料をテーブルに並べた。
「竜崎さんは探偵ごっこが趣味なんですね。」
A4には英数字が羅列してある。
『0x49 0x20 0x61 0x6d 0x20 0x61 0x20 0x64 0x65 0x74 0x65 0x63 0x74 0x69 0x76 0x65』
「竜崎さんはご存じですか?三大探偵のドヌーヴ、エラルド=コイル、そしてL。……実在する名探偵です。」
探偵ってシャーロックホームズとか、実在しない架空の存在だとばかり思っていたけれど、ミステリー作家の叔父さんが何度も熱心に熱弁していたから名前だけは知っている存在。
「はい。知っています。スイさんは彼らについてどう理解していますか。」
理解と言われても、何も知らないからなぁ。
「外見だけに言うならば……ロマンス的な意味だと金髪蒼眼の美男子……みたいな期待ではなく、英国紳士のような老年の……」
そのタイミングでガラコンとドアベルが鳴って、絵に描いたような老紳士が帽子を取って会釈をした。
「ワタリ、暫く拠点を此処に置きます。」
拠点って……。
「もしかして、竜崎さんもミステリー作家なんですか?」
竜崎さんはコーヒーを口に含むとポツリと零した。
「滞在期間中に私の正体を当ててみてください。スイさん。当てたらご褒美を差し上げます。」
「あはは、まさか三大探偵だったりして。」
竜崎さんは大金を支払うと叔父の知人だったようで住居兼店舗の一室に機材を持ち込んで住み始めた。
叔父は退院してからというもの、ミステリー作家としての本業を忘れてワタリさんとウキウキで未解決事件の謎を語り合う好々爺になってしまい、竜崎さんサイドについている。
私も叔父に部屋を借りているから、歳が近い異性と同居状態になってしまって困っているのに。
「はい、当たりです。ご褒美に肉体関係でも結びますか?」
彼はこちらに体を向け、砂糖がビタビタに溶けたコーヒーを啜りながら語りかける。
「ええ……仮に本物の三大探偵であったとして、知り合って間もない相手と結ぶのは嫌です。職業や地位で選ぶみたいなのは違うと思いますから。」
そもそも三大探偵の一人がこんなに若い男なわけがないし、日本にいるわけがない。
……いや、流石に滞在場所は分からないか。
「そうですか。この場合、ご褒美はどのような内容がいいんでしょう。ロマンス的な意味で。」
竜崎さんはマシマロを口いっぱいに頬張ってリスみたいになっている。
「知りませんよ。それよりも新しい未解決事件……という名のミステリー探偵ごっこのネタを見せてください。」
彼が渡す未解決事件は、まるで本当に存在しているみたいに出来がいいから解きがいがある。
「そうですか。ではご褒美に関しては保留で。……これからもよろしくお願いします。スイさん。」
「まさか本当に三大探偵なんですか?」
同居してから数週間経ったが、明らかに現実の事件とリンクしている事件が多すぎる。
「はい。」
彼は私の膝の上に頭を乗せてベッドの上に横になりながら資料を眺めた。
最近は『耳掻き』だとか『マッサージ』だとか、明らかに要求がエスカレートしているが、断っても「なぜ?why?」の問答になるので性的にならない範囲で受けてしまっている。
「部外者に未解決事件の機密情報を渡しちゃダメでしょう……。」
脚を上げて退くように頭を小突くが、まったく動くつもりがないらしく重さが膝に乗り続けたままだ。
「傍受が趣味のスイさんに言われたくないですね。」
……痛いところを突かれる。
「困ったな……本物だとしたら処罰を受けるのでは……。」
インターポールや国際法……考えるだけで頭が痛い。
「それでは、肉体関係を持ちますか。」
竜崎さんは資料を床に置くと、頭をこちらを向けて見上げるように胸に手を添えた。
「止めてください。なんでですか?」
彼の手首を掴んで分かり易いセクハラを止めた。
「そうすれば私の身内、関係者になるので。」
……何を言っているんだ。
「……その理屈が捜査機関に対して通るわけないでしょう。」
ガバガバ過ぎる。
そんな屁理屈が通ればハニートラップし放題じゃないか。
「通ります。私が世界最高の探偵なので。彼らは私の幼稚な我が儘を飲むしかない。」
また手が伸びて胸を揉もうとするのでペチンと叩いた。
「セクハラはやめてください……まあ、この話は置いておきましょうか。」
彼が本物かどうか確かめるには捜査機関の報道資料を漁って……いや、本物だった場合に機密漏洩がどのような罰則になるかを確認するほうが先か……。
「はぐらかしていますね。照れ、乙女心というやつですか。日本の女性は恥じらいがあるようなので、私は気長に待ちますよ。」
「……そういうことにしてください。」
「そうだ、お伝えしないといけないことがあります。」
竜崎さんは私によってドライヤーを当てられ髪を乾かされながら淡々と話し始めた。
「私は恐らくセックスのテクニックが上手いです。」
……何を言い出したかと思えば。
「はあ……根拠は……?」
恐らくということは童貞?素人童貞なのかな。
三大探偵だから忙しなく女に現を抜かす暇がなかった……は根拠になりえない。
「カポエイラを会得していますし、身体が柔らかいので。」
……そうなんだ。
カポエイラを習得しているのは知らなかった。
でも、武芸があるから夜の営みが上手いには成らないだろう。
「そうですか……。」
タオルで彼の髪の毛の水気を拭き取りながら淡々と相槌を打つしかない。
「肉体関係を持った場合、夢中になってスイさんから強請るようになります。」
そう言い切って立ち上がると顔を至近距離にまで近づける。
「はぁ……希望的観測ですね。」
唇が触れそうになるのを腕で防いだ。
「してみたくなりました?」
彼が三大探偵だとする。
……だから肉体関係を結ぶ。にはならない。
機密情報の漏洩も彼から自発的にしたもので私に責はないから。
「いえ、別に。逆に……なぜ竜崎さんはしたいんですか?」
竜崎さんは指を顎につけて首を傾げてこちらを憐れむような目で見つめた。
「スイさん、男性は女性に比べて比較的強い性欲があるということをご存じない?」
それは知っているけれど。
「はい。竜崎さんがなぜ私としたいのかについてだけ知りたいんですよ。」
竜崎さんはスタスタと裸足で歩き、閉店時間を過ぎて薄暗くなった店舗のソファ席に座って資料を見始めた。
「それが答えです。」
……近場で済ませようという、アレか。
「……えっとですね、もしセックスで妊娠したらどうするつもりなんですか。」
まさかセックスしたら子どもが出来る、避妊具は完璧ではないということを理解していないわけでは無いだろうし、ちゃんとリスクは伝えないと。
「出来た子どもは自動的に私の後継者となる候補の一人となります。あくまで候補者の一人ですが。」
候補者……もしかして三大探偵は世襲制なのか?
「いや、そうではなく……。」
性欲処理としての……なんだか話がこんがらがってきたな。
「遺産相続や資産譲渡、権利関係の話ですか?」
彼は私から砂糖の体積が多いコーヒーを受け取るとゴクッと一口飲んだ。
「何といえばいいか……。」
自分でも何を話そうとしていたか曖昧になってきた……これが白黒映画ガス燈の……。
「スイさんはパートナーになる……失礼しました。結婚指輪や挙式の話ですか、女性はそういった類に拘りますからね。」
ややこしくなってきたな。
「違います。あの……愛がないですよね?」
竜崎さんはピタリと動きを止めて、スタスタと歩いてスタッフルームを開けて住居側にいるワタリさんに問いかけ始めた。
「愛はありますよ……。これは愛だな?ワタリ。」
部屋の中からワタリさんの諦念を含んだ声が聞こえる。
「竜崎。彼女のいう愛とは恋人としての配慮の話をしているのです。」
彼は納得していないのか、反証を述べた。
「配慮はしています。何故なら彼女に既に警護をつけている。更には資金も渡す準備をしていて……」
「試しに肉体関係結んでみましょうか。」
ベッドに腰掛けて手を握られる。
「肉体関係に試しとかないでしょうが。」
、、、
「……ということで満足されたようで良かったです。」
確かに……その……。
事細かく手の位置や脚の開き方……つまり体位を指示されては修正され『一番快感を感じるように』と効率的なセックスをした……というより、作業だった。
彼は心拍数や呼吸の乱れを観察しながら『絶頂』のコントロールをして淡々と黙々と粛々と性感帯を攻めた。
そして文言違わず抜群の身体能力で複雑な体位もお手の物、抱っこされたり壁を使ったり椅子を使ったりアクロバットのような競技の練習をしているかのようで……。
更には感度管理までもを完遂する手際の良さ。
まるでSF映画に登場するセクサロイドのようだった。
「はぁ……なんというか……まあ……上手でしたね。」
上手かった。という事実は認めよう。
「それでは今後、捜査の息抜きにセックスを取り入れましょう。」
彼はピロートークなのか公私混同をする宣言なのか分からない世迷い言を振った。
「嫌ですけど。」
起き上がって彼を跨いでベッドから降りようとすると脚を掴まれた。
「愛が冷めましたか?何がいけなかったか教えて頂ければ改善します。」
前提条件として……
「プライベートと捜査は別けるべきだからです。」
脚を引っ張られてバランスを崩してしまい、抱きとめられる体勢になった。
「そうなると私はどうしたらいいのか分かりません。恋人と自由に肉体関係を結べない……悲しいです……今しょんぼりしています。」
竜崎さんは真顔で悲しみを口頭で述べた。
「あなたは本当に面倒くさい人ですね。竜崎さん。」
「あなたほどではありませんよ。スイさん。」
『Lが死んだ。』
そうメッセージを受け取ったのは病棟のベッドの上で寝かしつけている最中だった。
不思議と悲しみも喪失感も湧いてこず、涙も流れることはなかった。
「……最後まで困った人でしたね。竜崎さん。……ねえ、ナナ。」
あとがき
暗号を分かりやすく小文字化しました(誤字修整)