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その日の朝、二十二歳の新社会人、
まだ感想欄には一通の書き込みもないが、これからどんどん増えてくるのだろうと胸を高鳴らせる。
そう、彼女は「小説家になろう」に作品を投稿しているなろう作家なのだ。
作品のタイトルは『氷の公爵様は経理令嬢を離さない』というもので、経理令嬢とはなんぞやと自分でも思わなくもないのだが、まあその辺はここ最近勉強している日商簿記試験の二級が影響しているのかもしれない。
ともあれ初ランクインである。
どうせすぐにランク外に落ちるだろうと分かってはいたものの、ヒナは朝の通勤電車でスクリーンショットを何度も見返している。
文章は荒削りだと自分でもわかっていた。語彙は限られているし、構成に至っては素人が思いつくままに書き連ねたそのものである。それでもヒロインが公爵に怒る場面と公爵がそっぽを向きながら耳まで赤くなる場面だけは自信があった。
あの二つのシーンを書いている間、ヒナはリアルで公爵に対して怒りを覚えていたし、自分の創作キャラクターだと分かってはいてもそっぽを向く公爵に何やら愛らしさまで覚えたものだった。画面の向こうにいるはずの誰かの息遣いが聞こえるような──そんな錯覚すらあったのだ。
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その日の仕事はなにやらもうワヤであった。
やるべき事は多く、しかしその内容の一つ一つはとても把握しきれず、把握しようと努めている間に次の業務を目の前にドンと置かれる。それらをえっちらおっちらと片づけ、終われば終わったでまた新しい業務がどこぞから湧いて出てくる。
疲労困憊し、帰宅の電車で年頃の女らしからぬ死にかけた表情でスマホを眺めていると、ふと「感想はついたかな」などと思う。
なろうを開いてみれば──待望の赤字が灯っているではないか。
ヒナの場合、大抵は誤字脱字報告の赤字であるので、「感想が書かれました」という赤字には想像以上の衝撃を覚えた。心臓が不意にどくんどくんと、自分の耳に聞こえるほどに鼓動を高めていく。
ああこれが例の、あのなんか大麻かなんかで逮捕されたラップ歌手が言っていたダイナモ感覚なんだなとか思ったり思わなかったり──だが通知をタップし、画面に表示された文面を一行ずつ追うにつれ感動は別種の何かに変質していった。
『拝読しました。大変興味深く読ませていただきましたが、一点気になったのでお伝えします。ヒロインのお母様についての描写が一切ないように見受けられました。これは昨今話題のAI生成小説の特徴と一致します。念のためお伝えしました』
──は?
電車内でなかったら口に出してしまっていたかもしれない。ヒロインの母親については確かに何も書いていない。幼い頃に病気で亡くしたという設定だけが頭の隅にあったものの、本文に落とし込む余裕がなかった。設定を練りきれなかったのだ。それは認める。だがそれが「AI生成小説の特徴」であるとは一体どういう論理であるのか。
ヒナはその日のうちにスマートフォンのメモ帳を開き「母の設定→病弱で優しい人。ヒロインが7歳のときに亡くなった」と走り書きを残して閉じた。
──まあ、ランクインすれば変な感想も増えるしね……いわゆる毒者って人なのかも。
そんな風に自分に言い聞かせ、その日は帰宅後、スマホを開かずに眠った。
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それからはまあ好意的な感想がポツポツと書かれ、ヒナはその一通一通に丁寧に返信していった。だがある瞬間、不意にヒナはぐっと唇を引き結んだ。
『数字を漢数字で書くのはAIの典型的な癖です。人間なら普通にアラビア数字を使います』
これに対して、ヒナは反論したかった。
というのも彼女は日ごろから縦書きを意識して書いていたからだ。どこかで読んだエッセイに「書籍の縦組みでは漢数字が標準」とあって以来、すべての数値を漢数字に変換している。
ヒナの中ではそれが文章作法のつもりであった。ついでに言えば、書籍化を意識してもいる。書籍化となれば当然縦書きとなり、そうなれば──という理屈である。
さらにもう一件。
『ヒーローの『ああ』『構わない』という台詞、寡黙系AIヒーローそのままですね』
うるさいな──というのがヒナの感想である。ヒナは寡黙な男性キャラクターが好きなのだ。中学の頃から少女漫画で最も惹かれるタイプは口数の少ない男だった。「ああ」と「構わない」はヒナにとって萌えの最高到達点であり、世界に対する切実な愛の宣言であって、AIの学習データから抽出された統計的傾向では断じてない。
『なぜ会話文の間を無駄に一行空けるんですか? それは典型的なAI整形ですよ。CHATGPTの文章をそのまま貼り付けたらそうなります。AIで書いたならちゃんとAI使用タグを使ってくださいね』
そう、ヒナは会話文と会話文の間に一行の空白を挟む。理由は簡単で、見やすいからだ。それ以外の理由はなく、それ以上の理由もない。しかしそれを以てしてAI産というのは暴論ではないだろうか。
こんなのもあった。
『地の文の過去形率を数えました。78%です。AI平均と一致します』
誰かがヒナの小説の語尾を一行ずつチェックして、過去形の出現率をパーセンテージで算出したのである。ヒナは語尾を意識的に散らすという技法の存在そのものを知らなかった。独学で書き始めた人間が過去形に偏るのは、日本語の地の文においてもっとも素朴な語尾がそれだからであって、AIの生成パターンだからではない──はずである。はずであるのだが、その「はず」を裏付ける根拠をヒナは持っていなかった。
しかしヒナはそういった感想の一件一件に、クサクサした気分ながらもきちんと返信を返していった。
『縦書きを意識して漢数字を使っています』
『寡黙なキャラクターが好きで意図的にそうしています』
『一行あけたほうが読みやすいとおもったからそうしてます』
『語尾については勉強して改善します』
返信するたびに指先から温度が抜けてゆく気がした。自分が何か悪い事でもやってしまったのかという気分になってくる。これで本当にAIを使って作品を書いていたならまた違った気分になったのだろうが、ヒナはAIを使って書いてはいないのだから。百%人力である。
しかし自分が人間であることを証明する手段をヒナは持っていなかった。
AIが書いていないことを立証するのは悪魔の証明に近いのだ。証拠を積めば積むほど「その弁明自体がAIによる学習済みの応答パターンである」という反駁が成立するからだ。感想欄の空気は返信を重ねるごとに凍てついていった。
そして新しい通知。
『ナーロッパ世界なのに書き置きが日本語なのは何故ですか? なぜヒロインは漢字を使うのです? AIで書かせたからそんな風に世界観の矛盾が出てくるんじゃないですか?』
ヒナは画面の前で固まった。
ナーロッパ世界なのに日本語の書置きが存在するとAIになるらしい。しかしそんなもの、異世界を舞台とした日本語小説のすべてが等しく共有する事ではないか。ヒナの『氷の公爵様は経理令嬢を離さない』だけが特別に有罪であるという論理はそもそも成立しない。なぜならこの指摘を突き詰めれば、ファンタジーを始めとした異世界系ジャンルそのものが消滅する。
だがヒナの指は返信欄に何も打てなかった。
心が折れかけていたのである。
ヒナはスマートフォンを裏返しにして布団を頭まで被って「グウウ」だの「ウウウ」だの唸り、ややあって「何なのよ、あのせつらって人──」とボヤいた。
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天祢せつら──名前を検索すると書籍化作品が三件表示される。いずれも異世界恋愛ジャンルの中堅として確かな評価を得ている作家であり、文体は引き締まり、伏線の回収は精密で、貴族社会の敬称の階層構造に至るまで綿密に設計されている。
そのせつらだが、ここ最近「AI小説の見抜き方」というエッセイでかなりのポイントをゲットしていた。この見抜き方というのも多岐に渡っており、トータル二十四項目に於いてAI小説疑惑のポイントというか、フックをあげている。
エッセイでありながら総合評価が5,000ポイントを超えるというのはこれはもう、年に一回あるかないかだ。いや、五年に一回くらいかもしれない。 エッセイジャンル、トータル54,201作品中、3,000ポイントを超えるものは87作品しかないのだから。近年稀にみるメガヒットといっても過言ではないだろう。
で、その天祢せつらがヒナの作品の感想欄に降臨したのである。
感想は長かった。
引用と注釈がつけられた文面はまるで学術論文の査読である。
『第3話、ヒロインが『わかりました』と答える場面。この直前に公爵の台詞が『それでいい』と答えました。余りにも渇いています。こういった感情のない応答の往復は対話らしさを模倣しきれないAIの典型です。加えて貴族同士の会話なのに敬称の階層が曖昧です。さらに第7話で母親の不在が『幼い頃に病気で』の一文のみで処理されている点もAI小説の頻出パターンと完全に一致します。総合的にAI生成の疑いが濃厚と判断します』
ヒナは泣いた。
涙の理由はこもごもである。自分の作品がAI生成だと断定されたこと。指摘の一つ一つが技術論としては正しかったこと。「わかりました」と「それでいい」の応答が確かに薄っぺらかったこと。敬称の階層構造という概念をそもそも考えたことがなかったこと。母親の設定を一文で済ませたのが紛れもない事実であること。
それらすべてを超えてヒナの胸を潰したのは、天祢せつらの文章力そのものであった。
泣きながらせつらの書籍化作品のなろう掲載版を開いた。
第一話から読む。語彙の精度に息を呑んだ。侯爵令嬢が伯爵子息に語りかける場面と国王への拝謁場面とでは使用される敬語の階層がはっきりと分離されている。ヒロインの母親には三話にわたる独立したエピソードが割かれて、病床に伏す描写は読者の涙腺を精確に狙い撃ちにし、死に際の台詞はたった一文でありながら物語全体の伏線を回収する構造になっていた。
ヒナは自分の『氷の公爵様は経理令嬢を離さない』を思い返した。
「わかりました」「それでいい」──母親は「幼い頃に病気で亡くした」の一行。
どちらの作品の方が出来が良いかで言えば、まぎれもなくせつなの作品に軍配が上がる。
端的に言えば、ヒナは悔しくて泣いたのだ。
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ヒナは書けなくなった。
キーボードに指を置く。一文字打つ。打った文字を見つめる。消す。もう一文字打つ。消す。打っている間に脳の別の領域がチェックリストの走査を開始するのである。
過去形で終わっている。AI平均の78%に近づいてしまうのではないか。
語尾を変えようとした。「走った」を「走る」にする。時制がおかしくなった。「走り出す」にする。ニュアンスが変わった。「走っていた」に戻す。「た」で終わる。語尾を散らすとはどういうことなのか。
やり方を誰も教えてくれない。
会話文と会話文の間を一行空けてしまったので空行を詰めた。文章が窮屈になったと感じる。もう一度空けるとなんだか収まりがよく、やはりこれで行こうと思うが──やっぱりやめた。
ヒーローにもっと話をさせようと思うが、代わりに何と言わせればいいのかがわからない。寡黙なキャラクターに長台詞を吐かせればそれは別人になる。短い応答をさせればAIの典型になるならどうすればいいのか。
母親の登場場面を書いた。一行では足りないから三行書いた。五行書いた。十五行書いた。最終的に母親のエピソードが膨張して、本筋がどこにあるのか見失ってしまった。そも、母親に何話分の尺を割けば「AIではない」という認定が下りるのか。その閾値を指摘者は教えてくれなかった。
漢数字を使おうとして指が止まる。アラビア数字に書き換える。
ヒナはキーボードから手を離した。
更新は止まった。三日間何も投稿しなかった。日間ランキングからヒナの名前はとうに消えている。戻ってくる気配もない。
──もうこのままエタっちゃおうかな……
そんな事を考えていると──赤字。感想である。以前ならうれしかったはずのそれが、いまではちっとも嬉しくない。
『更新が止まりましたね。やはりAIのプロンプト調整に失敗したのでは? HINAP様のご活動を今後も注視いたします。──天祢せつら』
ヒナはスマートフォンを握ったままベッドに倒れ込んだ。
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ある日の深夜。
ここ最近昼夜が逆転しつつあるヒナは目を開け、起き上がった。
ふと思うところがあったのだ。
スマートフォンではなくノートパソコンを開く。
開くサイトはもちろん「小説家になろう」である。
天祢せつらの感想からユーザーページへと飛び、代表作を開いた。
せつらの文章はやはり精密で、語彙は正確で、敬称の階層は完璧であった。しかしヒナは
そして──第十二話。時刻の描写が前話と矛盾している部分を見つけると、ヒナは
第十八話。それまで一度も登場しなかった侍女が何の紹介もなく会話に加わっている。「いつもの侍女が」と書かれていたが、そのいつもの侍女は初出であった。
第三十一話。食事シーンが貴族の宴会のはずであるのにやや質素に見えなくもない。
第四十話。章の区切りがちょうど十話単位で揃っている。第一章十話、第二章十話、第三章十話、第四章十話。偶然の一致であったとしても美しすぎる。
第四十五話。ヒーローの口数が少ないように思える。
感想欄も開くと、数百件の感想が寄せられていた。
せつらは一通も返信していない。
なぜ返信をしないのか──作者たるもの、読者からのリアクションは嬉しいはずだ。なのに返事をしないのは、これはもうどうでもいいからでは? なぜどうでもいいのか。それは──
──AIで書かれている、から?
ヒナはテキストエディタを開き、せつらの最新作を全話分、一つ一つコピーして貼り付けていった。そして
時系列破綻、寡黙系台詞、設定の一文処理、食事描写の偏り、構造的均質性、過去形率──諸々、諸々。
少しでも当てはまる文章にチェックを入れていくうちに、ずっと胸の底に溜まっていた何かが指先から流れ出していく様な気がしていた。
──気持ちいい。
そう、気持ちがいいのだ。頬が赤らみ目が潤み、下腹部にも何やら熱が宿っている様な気すらする。
ヒナはやがて、チェックリストにない項目までチェックしはじめた。
それは自身の文章作成に於ける美意識にそぐうかそぐわないかというものだった。
それを以てAI産だとするのははっきり言ってバカげている。
馬鹿げているのだが、しかし──。
──凄く気持ちいい。
そう、気持ちがいいのだ。
自身のお気持ちを無遠慮に他人に叩きつける事の気持ち良さときたら。
自分が正義であると信じ、他人を糾弾する事の快楽ときたら。
ヒナはテキストを眺め、ウンと一つ頷いてせつらの作品の感想欄を開いた。
口元にゆっくりと笑みを浮かべながら打つ。
打つ。
打つ。
何処の文章がどうAI文のそれに当てはまるのかを詳細に書き連ね続ける。
窓の外は白み始めていたが、ヒナはもう一度ブラウザに目を戻してせつらの別の作品を開いた。スクロールする指が止まらない。次の指摘項目を探している。脳の中ではあのチェックリストが自動で走査を続けていてヒナにはそれを止める術がなかったし、なにより止めたいとも思わなかった。
口元が緩んだまま指が止まらない。
暗い部屋の中でノートパソコンの画面だけが青白く灯り、その光に照らされた名弄ヒナの顔はここ暫くの間でもっとも生き生きとしていた。
ヒナは笑っている。
笑いながら、せつらの作品がAI産である理由を書き続けている。
(了)