「真希が乱心した。」
冬の寒空にけたたましい金属音が鳴り響き、冷たい呼気が振動で揺れた。
「警鐘が鳴るなんて……大丈夫なんでしょうか。」
呪力だけはあるものの術式を持たず呪術師に成れなかった名折れの家元の一人娘である私が禪院家に嫁いでからそれ程年月は経っていなかったが、これ程までに慌ただしく緊張感を放つ躯倶留隊の面々の戦々恐々とする怯えを見たことがない。
「女は家を守っていればいいのです。」
ピシャリと義母や義姉達に一抹の不安を一蹴される。
建屋の外で鳴り響く轟音など耳に入っていないかのように炊事場では日常が紡がれ、既製品の如く織られようとしていた。
「はい。承知いたしました。」
この禍々しく湿度を伴わない気配と炳による並々ならぬ殺気は只事ではなく、彼女の乱心が一過性の怒りはないことを物語っている。
私は禪院真希さんとお会いしたことがない。
ただ、禪院真依さんの双子の姉妹であることから顔立ちの美しさは容易に想像出来ていた。
そして、『落ちこぼれ』という汚名を背負って家を飛び出したことも、義家族達の挨拶よろしく口に出される彼女に対する侮蔑、罵詈雑言から置かれた立場を察するにあまり、その心のうちに想いを馳せていた。
……どうしてそこまで凛として生きれるのだろうか。
私も名折れではあるものの、女であることを理由に長兄として家を継げない重圧と、そのせいで本家が途絶えてしまい分家が力を持つ事実から親族親戚達から『役立たず』とされ、親同士の家系を守る話し合いの元で禪院家に嫁いだ身。
私の意思など汲み取られることも、意見を介されることもなく、ただ粛々と婚姻は決まり『子を儲ける』為だけに敷居を跨ぐ事を許された、繋ぎの為の存在。
彼女の悪評を耳にする度に心の奥がすき、軽やかになった。
今日も私の知らぬところで、彼女は男と対等に立って生きている。
そう思えるだけで、日々の仕打ちに耐えることが出来ていたから。
「躯倶留隊が圧されているなんて……逃げるわよ!!早く支度なさい!!」
義母が血相を変えて台所から飛び出していった。
「私は此処に残ります。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
「母さーん。」
廊下から血の匂いと共に床が軋む音が近づいてくる。
真希さんが躯倶留隊も、あの炳すらも骨が残らぬくらいに跡形もなく殲滅させたのだろう。
「あ……吹きこぼれてしまう。」
釜戸の火を弱めて鍋の蓋をずらすと、丁度のところで襖が引き攣れを伴って開いた音がした。
「見ない顔だな。」
振り返ると、全身に及ぶ火傷痕を剥き出しにしたまま得物携えた女性が佇んでいた。
「はい。嫁いで間もない半端者ですので。」
鍋にお玉を掬い入れて汁を口に含む。
味は濃くもなく薄くもない。
温度は熱いくらいが丁度いい。
「お前、名前は?」
真希さんが土足でコツコツと足音を鳴らして隣に立った。
湯気で曇ったサッシ窓を望むと、手入れされた庭木から椿の花がぼとりぼとりと落ちている。
「ツバキです。」
そうとだけ答え、味見用の小皿に汁を掬い流して彼女に差し出した。
「おう。……まだ熱いな。」
彼女はぺろっと舌を出してふうふうと皿を吹いた。
「猫舌なんですね。」
皿を持つ指には夥しい数の血の飛沫の跡があり、黒いノースリーブの服も鮮血が染み込んで黒ずみ始めている。
70名以上は居たはずの隊員たちも、禪院家の建屋にいた女たちも、皆が彼女の感情の滲みとなった今は近いうちに綺麗さっぱり洗い流されることを待つだけだ。
「そうだ、母さんが何処にいるか知らないか?」
彼女の左眼と目が合った。
「それを答える前に……お願いしても宜しいでしょうか。」
命が摘まれる前に、一度だけ。
「なんだ?言ってみろ。」
姿勢を正しく向き直り、頭を下げる。
「私を抱いてください。女として、抱いてください。」
風向きが変わり、ぼとぼとという椿が落ちる音と窓ガラスが軋むが静寂を破った。
「ああ、いいぜ。」
廊下を少し歩いて襖を開けると、人の形がぽっかりと開いた布団が敷かれていた。
「まだ温かい……もうこの体温の持ち主は亡骸になっているのですね。」
掛け布団を剥がして着物の帯に手をかけると、塗るついた手に制止される。
「こういうのは攻める方が脱がせるもんだろ。」
彼女は得物を畳に置いて、逞しい腕を私の腰に回して帯を緩め始めた。
「そうですね。」
シュルシュルと帯がほどかれると、彼女の血で乾いた指が耳をくすぐった。
「あ……う」
また、黒い左眼と目が合った。
私を殺める人に、今から抱かれるんだ。
「ツバキだっけ?……おぼこい反応だな。」
瞳が近づき、吐息が顔に掛かって思わず目を伏せた。
「私……うあ」
彼女はスルリと首筋と顎を撫でると、着物を割るように上半身をはだけさせた。
「おー、可愛い下着。」
乳房を持ち上げるように弄ばれ思わず仰け反り、仰向けに倒れてしまう。
「は……恥ずかしいです。」
真希さんは口角を上げ、着物をずりあげながら太ももを撫でた。
「スベスベ。ちゃんと手入れしてたんだ。」
優しく形を確かめるようにして固い指が肌に伝うたび身震いしてしまう。
「はい……それが……女の務めだと……。」
きっと『男尊女卑』が滲みついた者として不愉快に思っただろうに、丁寧に太ももの内側を指でなぞられる。
「そうかもな。」
グッと指で付け根を押されて身体が跳ね、足袋が宙を舞った。
「あっ……あっ……」
彼女は首筋に唇を落として舌を這わせた。
ゆっくりと、じっくりと味わうように何度も何度も。
こんなに優しい愛撫をされたことなど、今まで生きてきた中で一度もなかった。
「真希さん……愛してください……。」
脚を彼女の腰に絡ませて腕を背中に回す。
固く形のいい彼女の胸と自分の胸を密着させると、互いの体温を徐々に交換していった。
「私はあんたを愛してやれない。」
血で塗るんだ指が私の身体を暴くように這い回る。
「はい……はい……。」
彼女の唇が、舌が、歯が、指の腹、肌、乳房、先端までもが私のものと重なっていく。
愛されるということは、愛を交歓するということだと、今ならわかる。
指先が絡み合うたび、髪を手櫛で梳かれるたび、脚を擦り合わせる度に嬌声が自然と零れ出る。
「真希さん……私はあなたをお慕い」
腹部に温かな液が流れ落ちる感覚があり、目の前が白く霞んで意識が薄れていく微睡みに、思わず笑みが溢れた。
「私はあんたを知らないから。」