ポケットモンスター 配信画面の境界線。100万人の「ナンジャモ様」ではなく、目の前の「君」だけに狂わされたいボクの末路 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ハッコウジムの放送室。
狂騒のライブバトルから数時間が経過し、街の熱狂が心地よい疲労感へと変質し始めた頃。私は、機材のインジケーターが静かに明滅する薄暗がりのなかで、メインモニターに映し出された一人の少女と対峙していた。
それは、配信アーカイブのなかで、不器用なスニーカーを履き、化粧の崩れた顔で、それでも世界中の誰よりも眩しく笑っている「ナンジャモ」だった。
「……あーあ。見ちゃった。ボク、こんな顔して笑ってたんだ。……これじゃあ、これからの『完璧な美少女インフルエンサー』としてのブランディングが台無しじゃん」
「何を今更。再生数は過去最高、好感度推移も垂直上昇だよ。君の計算違いは、世の中には完璧な偶像(アイドル)以上に、泥臭い真実(リアル)に飢えてる人間が山ほどいるってことを見落としてた点だね」
隣のコンソールパネルで、ミサキが最後のアフターレポートをまとめながら、鼻で笑った。
「……ミサキ。君さ、ボクがどんなにボロボロになっても、結局最後は『数字がすべて』で片付けるよね。……少しはエモい余韻に浸らせてくれてもよくない?」
「余韻じゃお腹は膨れないよ。……でも、まあ。君がさっきのステージで放った『電気』は、少なくとも私のタブレットのバッテリーを狂わせるくらいには、規格外(イレギュラー)な熱量だったよ。……事務員としては、二度と御免だけど」
ミサキが席を立ち、窓のブラインドを開けた。
そこには、新しい朝を迎えようとしているハッコウシティのパノラマが広がっていた。
青い光に包まれた街。でも、今日のその青は、第一クールの時にボクを押し潰そうとしていた「憂鬱」の色じゃない。
「……ねえ、ミサキ。ボク、わかった気がするんだ。……画面の向こうにいる何万人ものみんなを笑わせるのも大事だけど。……まず最初に、この画面のこちら側にいる『私』を笑わせなきゃ、本当の放電なんてできないんだって」
私は、モニターを指先でなぞった。
そこに映る自分は、もう「見知らぬ誰か」じゃない。
不器用で、臆病で、強欲で、それでも光を求めて止まない、愛すべき「私」だ。
「……約束だよ。ボク。……これからは、嘘をつくなら世界を騙すためじゃなくて、ボク自身がもっと楽しくなるためのエンターテインメントとしてついてあげる」
「……自分自身への宣戦布告? 相変わらず面倒くさい性格してるね、君」
「面倒くさくて結構。……ボクは、ボクという最高に難解なコンテンツを、一生かけて攻略していくんだから」
私は、デスクに置いてあったコイルの髪飾りを手に取り、慣れた手つきで頭にセットした。
鏡は見ない。指先の感覚だけで、自分の輪郭を確認する。
「ミサキ。……準備はいい? ボク、これから新しいシーズンの、最初の配信を始めるから」
「……この時間に? スケジュール外なんだけど。……残業代、上乗せしとくからね」
「いいよ、経費で落としといて。……その代わり、ボクの歴史的な第一声を、特等席で聞いてなよ」
ミサキが呆れた顔で配信開始のスイッチを入れる。
カメラが起動し、レンズの奥にある「世界」が、一斉にこちらを向いた。
ボクは、背伸びをやめた等身大の歩幅で、カメラの正面に立った。
15センチ低い視界。けれど、心はかつてないほど高い場所に、透き通った青空の向こう側にあった。
「みんな、おはこんハロチャオ――!」
いつもの挨拶。
けれど、その響きは、過去23話分の迷いも、痛みも、涙も、すべてをエネルギーに変えて、ハッコウシティの全電力を上書きするほどの輝きを帯びていた。
「ハッコウシティの光の粒(つぶ)のなかで、迷子になってたみんな! お待たせ!……ボクは、今、ここに帰ってきたよ!」
ボクは笑った。
画面の向こうにいる誰かのためじゃない。
隣で毒を吐く相棒のためでもない。
一番近い場所にいる、一番大切な。
鏡のなかの自分に向けて、最高の笑顔を贈るために。
「おはこんハロチャオ、私。……今日も、世界で一番、眩しく行こうか!」
ハッコウシティに、新しい朝が訪れる。
電気の街は、今日も無数の光を放ち、少女の足元を照らし続けている。
その光はもう、彼女を隠すための壁ではなく。
彼女が放つ、ありのままの「スペクトル」そのものだった。