ようこそ慎重至上主義の教室へ   作:GC

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Si vis pacem, para bellum.

プブリウス・フラウィウス・ウェゲティウス・レナトゥス 
『軍事学論集』


第14話「汝、平和を欲さば、戦に備えよ。」

【視点:茶柱佐枝】

職員室の奥、私のデスクに置かれた一枚の出力用紙。

そこには、先ほどSシステムの中央サーバーから弾き出されたばかりの、1年Dクラスの中間テストの成績結果が印字されていた。

 

(……あり得ない。こんなことが、あってたまるものか)

 

冷房の効いた室内であるにも関わらず、私の背筋を冷たい汗が伝い落ちていた。

まずは、クラス全体の成績だ。池、山内、須藤を筆頭とする劣等生たちの点数は、軒並み赤点ラインを確実に上回っていた。奇跡という言葉でも説明がつかない。何者かが、極限の恐怖と強制力をもって彼らを調教したとしか思えない痕跡。

 

だが、私の思考を真に停止させたのは、リストの最上段に印字された名前と、その横に並ぶ数字の羅列だった。

 

私は、震える指でマウスを操作し、彼の答案用紙のスキャンデータを表示させた。

マークシートの塗りつぶし方すら、異常だった。円の中を、1ミクロンの狂いもなく、完璧な筆圧と濃度で塗りつぶしている。一切の人間味が排除された、冷徹なまでの完璧さ。

 

竜宮院聖哉。

入学当初から奇病と重度の栄養失調を申告し、常に机に突っ伏して咳き込んでいた、あの死に損ないの男。

 

そして、昨日、わざわざプライベートポイントを使い、「ある偽装」を依頼してきた慎重な男。

 

 

 

これは、宣戦布告だ。

これまで泥の中で息を潜めていた怪物が、ついにその牙を剥き、Dクラスを……いや、この学校全体を喰らい尽くすために表舞台へ這い上がってきたという、絶対的な宣言。

 

私は足取り重く、1年Dクラスの教室へと向かった。

これから彼らに告げなければならない。退学者ゼロという喜びの裏側にある、真の絶望……すなわち、竜宮院聖哉という絶対的独裁者の君臨を。

 

 

 

 

「……中間テストの結果を発表する」

 

茶柱の声が響き渡った。池や山内は祈るように両手を組み、須藤は貧乏ゆすりを止められない。

「結論から言おう。……今回のテストにおいて、我がDクラスからの退学者は『ゼロ』だ。全員が赤点ラインを突破した」

 

その瞬間、教室内が爆発した。歓喜の叫び、涙。彼らは自分たちが努力で乗り越えたと本気で信じている。

 

(……茶柱が貼り出した、あの点数表。あれは、俺が書かせた偽りの福音に過ぎない)

 

中間テストの結果発表。1年Dクラスの教室は、退学者ゼロという奇跡に沸き立っていた。

だが、教卓に立つ茶柱佐枝の表情は、氷のように冷たく、そして僅かに震えていた。

 

彼女の手元にある詳細な成績リストには、全生徒の点数上昇率と、そしてある異常事態が記録されていたからだ。

 

「……浮かれるのは、そこまでにしておけ」

茶柱の声が、騒ぐ生徒たちを切り裂く。彼女は、黒板の中央に一枚の掲示物を叩きつけるように貼り出した。生徒たちが一斉にその紙を凝視し、そして……歓喜の波が、急速に引いていく。

 

「……え?」

 

「嘘、だろ……これ、バグか何かかよ……?」

 

誰もが、信じられないものを見るような目で、リストの最上段を凝視していた。

 

【1年Dクラス 中間テスト成績トップ】

竜宮院 聖哉

国語:100 

数学:100 

英語:100 

歴史:100 

理科:100

 

総合得点:500

 

学年1位どころか、学校の歴史上でも類を見ない、一問のミスすら許されない完全無欠のパーフェクト。

クラス全員の視線が、最後列の窓際、いつもなら死んだように突っ伏しているはずの病人の席へと一斉に集まる。

 

そして。彼らは見た。

 

これまで骨と皮だけのように見えていた、虚弱な男の真の姿を。

 

 

 

【視点:竜宮院聖哉】

(……静かになったな。これで、前座は終わりだ)

 

俺は、意図的に曲げていた背筋を伸ばし、肺の底から深く息を吸い込んだ。

 

骨が微かに鳴る。重度の栄養失調、顔色の悪さ、絶え間ない咳。その全ては、この瞬間まで他者の介入を防ぎ、裏で工作を完了させるための保険だった。

俺はゆっくりと立ち上がった。椅子の擦れる音が、完全な静寂に包まれた教室の中で異様に響く。俺は池や山内には目もくれず、真っ直ぐに教壇の茶柱佐枝を見据え、そして、ゆっくりと教室の前方へと歩みを進めた。

 

俺の歩幅、重心の移動、足音の消去。そのすべてが、これまでの病人としての演技を完全に破棄した、極限まで研ぎ澄まされたレディ・パーフェクトリーのそれだった。

俺は教壇の前に立ち、茶柱に向けて静かに口を開く。

 

「茶柱先生。点数の確認は終わった。……だが、俺たちが手に入れたのは『合格』だけではないはずだ」

 

俺の声は、もはや掠れた病人のものではなかった。教室全体を制圧する、低く、冷徹で、金属的な響き。

 

「……何の話だ、竜宮院」

 

茶柱は、微かに表情を硬直させながら問い返した。

 

「この学校のSシステムは、赤点を回避した生徒にポイントを与えるだけではない。……『入学時の評価から、予想を遥かに上回る成長と統率を短期間で遂げたクラス』に対し、特別教育支援枠として莫大なボーナスポイントを付与する隠しアルゴリズムが存在する。……あんたが隠している、Dクラスの真の獲得ポイントを、今ここで全員に開示してもらおうか」

 

「……お前、なぜその隠しアルゴリズムを知っている」

 

「慎重に調査し、この学校の評価アルゴリズムを解析したまでのこと。そして、俺が全科目満点を取り、クラス全体の得点上昇率を極大化させることで、そのボーナス付与の条件を意図的に満たしてやった。……さあ、開示しろ」

 

茶柱の顔から、完全に余裕が消えた。彼女は、俺が不正ではなくルールの隙間を突いた知略を語っている以上、教師としてそれを拒む理由を持たない。

彼女は、諦めたように端末を操作した。教室の大型モニターに、Dクラスの現在の保持ポイントが表示される。

 

「……おっしゃあ! !?」

須藤が悲鳴のような声を上げた。表示された数字は、もともとの基礎点100cptの分配を大きく超えていた。

 

『200 cpt』

 

「中間テストにおいて、Dクラスは竜宮院聖哉の全科目満点という異常値と、事前の予測データを遥かに凌駕する得点上昇率を記録した。……それにより、隠しボーナスが発動した。……すべて、お前の筋書き通りか、竜宮院」

 

「準備さえ完璧であれば、結果は常に100%に収束する。当然だ」

 

茶柱はこれ以上この場にいることは無用と判断したのか、プリントの束をまとめて踵を返した。

 

「……せいぜい、その莫大なポイントに溺れないことだ。お前がどれほどの知略を持っていようと、この学校は一人では生き抜けんぞ、竜宮院」

 

「忠告は不要だ。……俺は、一人で生き抜く気など毛頭ない」

 

茶柱は最後に俺を一瞥し、逃げるように教室を出て行った。重いスライドドアが閉まり、廊下の足音が完全に遠ざかる。

 

 

 

 

(……さて。ここからが、真の支配の時間だ)

 

俺は、防音スーツのポケットから自作の電子キーを取り出し、教卓の制御パネルに差し込んだ。直後、教室のスピーカーから微弱なノイズが鳴り、監視カメラの作動ランプが赤から緑へと切り替わる。

 

「……カメラの映像をループさせ、盗聴マイクの周波数をジャミングした。これで、ここから先、この教室で何が起きようと、学校側には一切関知されない」

 

俺の言葉に、クラスメイトたちがざわめき始める。

 

「な、何言ってんだよ竜宮院……」

 

「お前、一体何者だ……?」

 

俺は彼らの怯えを冷酷に切り捨て、教壇から見下ろした。

 

「Dクラスの全員に告ぐ。……これまでお前たちが享受してきた自由は、今日で終わりだ。……この200万ポイントは、すべて俺の管理下に置く」

 

「……はぁ!? 何言ってんだよ竜宮院! それは俺たちのポイントだろ!」

 

山内が怒りに任せて食ってかかるが、俺はその視線だけで、物理的な圧力を伴うかのように彼を黙らせた。

 

「黙れ。……お前たちが中間テストで赤点を回避できた理由。それが『過去問の丸暗記』と『櫛田の指導』だけだと思っているなら、お前たちは救いようのない愚か者だ」

 

俺は、懐から数枚の写真を取り出し、教卓の上に放り投げた。

それは、印刷室のマークシート読み取り機内部の構造図と、テスト用紙の束、そして特殊なインクの成分分析表。

 

「俺は万が一に備え、お前たちのマークシートの解答を事前に改竄し、強制的に合格点へと引き上げる物理的な不正を完遂した。その確たる証拠のデータは、既に学外のサーバーに暗号化して保存してある」

 

「な……細工、だと……?」

 

「ふざけんな! 俺たちは必死に勉強して……!」

 

「事実かどうかは問題ではない」

 

俺は、悲痛な叫びを上げる池たちを氷のように冷たい声で制圧する。

 

「俺がこのデータを学校側に『匿名告発』すれば、お前たちは全員、不正行為の共犯として即刻退学処分になる。……俺に従い、この200万ポイントから計算される各位のプライベートポイントの全額を俺の作戦資金として差し出すか。それとも、今すぐここで全員で退学するか。……選べ」

 

教室は、完全な静寂と恐怖に包まれた。誰も逆らえない。彼らが直面しているのは、全科目100点という圧倒的な神の知略と、自分たちの命を握る悪魔の証拠を同時に突きつける男なのだから。

 

「……堀北」

 

俺が名を呼ぶと、教室の最前列で沈黙を守っていた堀北鈴音が、静かに席を立った。彼女の表情には、深い諦念と、抗えない運命に対する冷たい決意だけがあった。

 

 

 

 

 

 

 

「ええ。……準備はできているわ、竜宮院くん」

 

 

 

 

 

 

 

【視点:堀北鈴音】

 

事の始まりは、4月の終わり。

中間テストの存在が明かされる前、私が兄である堀北学と、学生寮の裏手で対峙したあの夜だった。

 

「……お前は、私にとっての汚点だ。今すぐこの学校から去れ」

 

兄の冷酷な言葉と、私を壁に押さえつける圧倒的な暴力。

その窮地を救ってくれたのは、偶然(あるいは必然的に)居合わせた綾小路くんだった。

兄が去り、綾小路くんも背を向けて立ち去った後。

私は一人、暗い壁際に座り込み、惨めさと絶望に打ち震えていた。

 

(Aクラスになんて、上がれるわけがない。私一人では……兄さんの背中には、一生届かない)

 

「……その通りだ。お前が一人でAクラスを目指す確率は、計算上0.00パーセントに等しい」

 

『ひっ……!』

 

突如、背後の虚空から声がした。

完全に気配がなく、足音すら聞こえなかった。

闇の中から、まるで影そのものが実体化したかのように、一人の男子生徒が現れた。

 

竜宮院聖哉。

 

体力測定から何か実力を隠している気配をもつ彼だったが、闇夜に溶け込む黒いスーツに身を包み、恐ろしいほどの威圧感と、氷のような冷たい瞳で私を見下ろしていた。

 

「な、なぜあなたがここに……! 今の、見ていたの……?」

 

「見ていたし、記録した」

 

彼は淡々と告げ、手元の小さなデバイスを操作した。

そこから、先ほどの兄との会話、そして私の無様な悲鳴が、信じられないほどクリアな高音質で再生された。

 

「や、やめて! 消して!」

 

「お前が兄に抱く執着。そして、生徒会長である堀北学が、妹に対して振るった物理的暴力。……この音声データが学校の掲示板に流出すれば、お前だけでなく、お前の兄の立場も確実に破滅する」

 

彼は、一切の感情を交えない声で、私に死刑宣告を突きつけた。

 

「……何が目的? お金を強請るつもり?」

 

「金などいらん。俺が欲しいのは、DクラスをAクラスに引き上げるための『表の部品』だ」

 

彼は、一枚の紙を私の前に差し出した。

暗闇の中でも読めるように、特殊なインクで印字された契約書。

 

「堀北鈴音。お前はAクラスを目指している。だが、お前のその傲慢で孤立した性格では、他者を動かすことは不可能だ。……俺と組め。お前を『表のリーダー』として仕立て上げ、俺がその裏で全てを管理し、盤面を支配する。俺の指示に一秒の遅れもなく従えば、お前をAクラスに連れて行ってやる。……これは、脅迫であり、絶対の契約だ」

 

彼の瞳の奥底には、狂気的なまでの『慎重さ』と、目的を完遂するためなら世界すらも焼き尽くすという、強烈な支配欲が渦巻いていた。

 

「……もし、断ったら?」

 

「その時は、お前という部品をここで破棄し、別の者を探すだけだ。明日にはお前の兄は失脚し、お前は絶望の中で退学する」

 

選択肢など、初めから存在しなかった。

私は、震える手でその契約書を受け取った。

 

「……分かったわ。私があなたの『盾』になり、『剣』になればいいのね」

 

「賢明な判断だ。……ただし、忘れるな。お前はただの部品、お前の部屋にあるルンバと同じような役割だ。俺の計画に不要な感情や独断は一切挟むな」

 

「ルンバと同じ扱いは堪えるわね……」

 

 

 

それから、私は彼の指示通りに動いた。

 

 

 

私は竜宮院くんが表舞台に立つまでは極力クラスのみんなを否定するような言動は控えること

綾小路くんを仲介役として使い、

平田くんに信頼のおけるソースとして過去問をデリバリーさせること

 

 

すべては、竜宮院聖哉という怪物のシナリオ通りだった。

 

そして今。

彼は、ついにその長い沈黙を破り、全科目満点という「絶対的な暴力」を以て、Dクラスの『支配者』として表に躍り出た。

平均点などという生温い偽装を捨て去り、誰にも手の届かない高みから私たちを見下ろすために。

 

 

【視点:綾小路清隆】

(……なるほどな。堀北は初めからあいつと繋がっていたのか)

 

オレは、窓際でその光景を眺めながら、竜宮院の底知れなさを再確認していた。

オレと堀北の兄が衝突したあの夜、オレは周囲の気配には十分に気をつけていたつもりだ。だが、竜宮院はオレのセンサーすらも完全にすり抜け、堀北の最大の弱点を握り、彼女を『表のリーダー』として傀儡に仕立て上げていた。

 

彼は、自分への疑念を逸らすための『盾』として堀北を、実働部隊としての『駒』としてオレを使い分けていたわけだ。

 

教室の空気は、恐怖によって完全に支配されていた。

監視カメラをハックし、退学という人質を取り、150万ポイントという軍資金を奪い取る。

 

彼はオレと同じ普通ではない存在でありながら、そのベクトルが真逆だった。隠れるための50点ではなく、支配するための100点。

 

彼は自ら絶対的な怪物として表舞台に立つことを選んだのだ。

 

「……平田、櫛田。お前たちには引き続き、クラスの統率を任せる。ただし、俺の定めたボーダーを下回る行動をとれば、容赦なく切り捨てる」

 

聖哉は、教室を見渡し、最後にオレの方をチラリと見た。その目には、『お前も部品の一部だ』という無言の圧力が込められていた。

 

オレが読み取り機に仕掛けたチップには、オレの指紋が残っている。彼が証拠と言ったデータの中には、間違いなくオレを道連れにするためのカードが含まれている。

 

「……次のフェーズに移行する。……Cクラスの龍園翔。……奴の全ポイントを、合法的に強奪する準備を始めろ」

 

聖哉の宣言。Dクラスという泥舟は、いま、世界を飲み込むための強固な軍艦へと改造され、深く冷たい海へと出航した。

 

 

 

 

【視点:竜宮院聖哉】

 

放課後。

誰もいなくなった教室で、俺は一人、黒板に張り出された自分のオール100点の成績表を見つめていた。

 

(……これで、俺は完全に表舞台の標的となる。他クラスのリーダーたちも、俺の存在を脅威と認識するだろう)

 

 

だが、それでいい。

狼を狩るためには、自らが巨大な獅子として君臨し、恐怖で圧倒しなければならない。

 

 

俺は、首元のロケットペンダントに触れる。

 

「リスタ。……第一段階の土台は完成した。……この学校のルール、システム、生徒、教師。その全てを部品として、俺は最高の布陣を組み上げる」

 

中間テストの赤点回避など、俺にとっては準備運動にすらならない。

俺が求めているのは、完全な、絶対的な勝利。

 

俺は自作のデバイスを取り出し、新たなコマンドを入力した。

ターゲットは、Cクラスのプライベートポイント管理サーバー。

俺の仕掛けた『Project Tartarus』の遅延チップは、すでにシステムの深層で、次なる『収穫』の時を待っている。

 

「……さあ、狩りの時間だ」

 

俺の長く、そして残酷な独裁のゲームが、今、本格的に幕を開けた。

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