閑話「冥王の陰謀」
【視点:ウノポルタ(冥界・閑話)】
——それは、竜宮院聖哉が『実力至上主義の箱庭』に突き落とされた直後のことである。
首のない者や、ぶよぶよと蠢く人型のスライムが徘徊する冥界の道程を抜け、私、ウノポルタは六道宮の最深部に立っていた。
黒曜石で作られた巨大な建造物の内部。何となく巨大な墓を彷彿とさせる底冷えのする空間の奥に、すだれの付いた冠を被る冥界の王が鎮座している。
おしろいでも塗ったように真っ白な顔。冥王ハティエス様である。
「ゲホッ……コホッ、ゴフッ……!!」
報告を始めようとした途端、私は口から大量の血を吐き出してしまった。黒い床に赤い飛沫が散る。冥界の住人である私にとって吐血は日常茶飯事のようなものだが、やはり冥王様の御前では気が引ける。口元を袖で拭い、私はひざまずいた。
「も、申し訳ありません、ハティエス様。……あの慎重すぎる勇者、竜宮院聖哉の特異点への転送、無事に完了したようです」
ハティエス様は、先程まで身に纏っていた『神界の大女神イシスターの幻影』をパラパラと黒い灰にして吹き飛ばしながら、満足げに頷いた。傍らには、いかにも胡散臭い神々しい光を放つハリボテの小道具が、用済みとばかりに転がっている。
「ふむ。大義であった。あの男、相変わらず神経を逆撫でするほどの慎重さであったが、朕の完璧な変装にすっかり騙されておったな」
「はい。神界が滅んだという未曾有の事態の中、絶望と混乱に陥っていたこともあり、あの男ですらハティエス様の偽装を見抜くことはできなかったようです。……ゴホッ」
私は再び少し血を吐きながら答える。
すると、私の隣に控えていたドゥエが、いつもの三年来の友人のような、人の良さそうな笑顔を浮かべて口を開いた。
「しかし、冥王様。どうしてあんな魔法すら存在しないような特異点――ただの人間たちが隔離された学園の箱庭に、あの勇者を送り込んだのですか? 神界が崩壊して、我ら冥界もHP(恥ずかしみポイント)が不足して困っているはずじゃないですか。もっと効率の良い世界があったのでは?」
ドゥエの疑問は尤もだった。
創造神にも匹敵する暴虐の力によって三千世界は歪められ、爆心地となった神界は消滅した。神界から供給されていた清浄なHPが断絶した今、冥界の維持すら危うい状態にあるのだ。
ハティエス様はすだれの向こう側で、カラカラと乾いた笑い声を漏らした。
「ドゥエよ、お前は表面しか見えておらんな。あの特異点――『高度育成高等学校』とやらが存在する箱庭は、魔法も神の奇跡も届かぬ。だがそれゆえに、純粋な『人間の感情』が恐ろしいまでの密度で渦巻いているのである。嫉妬、絶望、優越感……いや、それ以上に極上なのは『屈辱』であるな」
「屈辱、ですか?」
「然り。己を疑わぬ秀才どもが、圧倒的な理不尽の前に膝を折り、プライドを粉々に砕かれて恥に塗れる瞬間。あの学園のシステムは、その『極上の恥(HP)』を養殖するための巨大なファームとしてこれ以上ないほど優秀なのである」
なるほど、と私は合点がいった。
「つまり……その莫大なHPを冥界に引き込むための導管として、竜宮院聖哉を利用するということですね」
「その通りである。彼は自らの目的、すなわちあの駄女神の魂を修復するためならば、あの箱庭で容赦なく人間たちを蹴落とし、尊厳をへし折るであろう。彼が緻密な罠を張り、他者の希望を打ち砕き、大衆の面前で完璧な屈辱を与えるたびに、膨大なHPが溢れ出す。それを、彼の魂に繋いだ不可視のパスを通じて冥界へ還元する。一石二鳥というわけであるな」
ハティエス様の真っ白な顔が、不気味に歪んだ。
「『Aクラスでの卒業』というルールも、あの世界のシステムの構造を読み取り、彼に分かりやすい餌として与えたに過ぎん。彼自身があの世界を掌握しようとあがけばあがくほど、冥界はHPで潤うのである」
完璧な計画に思えた。
あの偏執狂とも言える慎重さを持つ勇者が、ただの高校生たちの競争に放り込まれれば、何が起こるか。彼はきっと、1パーセントの不確定要素すら許さず、周囲を徹底的に蹂躙し尽くすだろう。その過程で生み出される極上の『恥』こそが、冥界を救うのだ。
だが、懸念事項が一つだけある。私は口の中に広がる鉄の味を飲み込みながら、恐る恐る報告を続けた。
「しかし、ハティエス様。一つご報告があります。……ゲホッ。勇者をあの世界に転送し、彼の『ステータス』をあの世界の法則に無理やり書き込んだ際、システムとの間に僅かなハレーションが生じました」
「不具合であると?」
「はい。神界の力や魔法を完全に封じるためのデチューン処理を行う過程で、あの箱庭のシステム深部に一時的な情報の漏洩が発生しました。結果として……あの学園に存在する『Sシステム』というデータベースに、イレギュラーな形で『捻曲イクスフォリア』や『竜宮院聖哉の真の異常性』に関する断片的なデータが流入してしまったようです」
ハティエス様の能面のような顔が、ピクリと動いた。
傍らにいるドゥエも、少し驚いたように目を瞬かせている。
「えっ、それってマズいんじゃないですか? その世界の人に、こちらの介入がバレてしまうんじゃ……」
ドゥエが心配そうに言うが、ハティエス様は微かに首を横に振った。
「……ほう。ただの人間が、我らの干渉の副産物を読み取ったと。だが、放置しておけ」
「よろしいのですか?」
「むしろ好都合である。ただの障害物ではあの異常な勇者の歩みは止まらん。彼を知る『イレギュラーなノイズ』が存在することで、盤面はより混沌とし、生み出される絶望と屈辱のエネルギーはさらに増幅されるであろう。神界のババアの真似事も、案外楽しいものであるな」
その言葉を聞き、ドゥエも「あはは、なるほど。それなら安心ですね」と、人の良さそうな、それでいて全く目の笑っていない笑顔でゆっくりと頷いた。
冥王の乾いた笑い声が、巨大な墓のような六道宮に不気味に響き渡る。
全ては冥王様の手のひらの上。
竜宮院聖哉は、偽りの大女神が用意した希望の糸に縋りながら、自ら修羅の道を歩み続けるのだ。
私はもう一度深く頭を下げながら、彼がこれからあの箱庭でどれだけのHPを生み出してくれるのかと、冷たい床の上で静かに思考を巡らせていた。