ようこそ慎重至上主義の教室へ   作:GC

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Gli uomini si debbono o vezzeggiare o spegnere

ニッコロ・マキャヴェッリ
『君主論』


第15話「人間というものは、優しくされるか、完全に打ち砕かれるかのどちらかでなければならない。」

【視点:竜宮院聖哉】

 

薄暗い教室の中、電子デバイスから放たれる青白い光だけが、俺の網膜をチカチカと刺激していた。

静寂。完全な静寂だ。防音タクティカルスーツに身を包んだ俺の呼吸音すら、周囲の空気に溶け込んでいる。

 

『Project Tartarus』。

 

それは、ハッキングによる直接的なポイント強奪という、下等で頭の悪い犯罪行為ではない。そんな安直な手段は、学校側の監査システムに数秒で検知され、即座に退学というゲームオーバーを招く。慎重さに欠ける三流のやり方だ。

俺が仕掛けたのは、あくまで観測と遅延のための微小なノイズに過ぎない。

Cクラスの生徒たちが購買で何かを購入した際、あるいは生徒間でポイントの譲渡を行った際、その取引記録が中央サーバーに到達するまでの時間に、意図的に0.5秒から1.2秒のランダムな遅延を発生させる。そのごく僅かな通信の隙間を利用し、暗号化されたパケットのヘッダ情報――つまり、「誰が」「いつ」「どこで」「どれだけの頻度で」ポイントを動かしているかという、メタデータのみを抽出するのだ。

 

(……見えてきたな。龍園翔の独裁の輪郭が)

 

デバイスの画面に、蜘蛛の巣のように張り巡らされたCクラスのポイント移動の相関図が浮かび上がる。

特定の個体……石崎、小宮、近藤といった手駒たちから、一人の男の口座へ向かって、定期的に、そして強制的にポイントが吸い上げられている。

 

龍園翔。

Cクラスを暴力と恐怖で支配する男。

 

彼もまた、俺と同じようにクラスを掌握している。だが、その方法はあまりにも粗雑で、短絡的だ。物理的な暴力による支配は、必ず内側からの反発というリスクを孕む。恐怖で縛り付けた駒は、より巨大な恐怖に直面したとき、あるいは絶望に追い詰められたときに、必ず裏切る。

 

(俺の支配は違う。退学という物理的・社会的な死を突きつけると同時に、俺の指示に従えば100%安全であるという『絶対的な保証』を与える。恐怖と救済を同時に提供してこそ、真の支配は完成する)

 

龍園は、Dクラスが中間テストで退学者ゼロを叩き出し、さらには150万もの莫大なクラスポイントを獲得したという異常事態に、すでに気づいているはずだ。彼の性格上、何らかの揺さぶりをかけてくることは火を見るよりも明らかである。

 

「……準備(レディ)は、まだ足りない」

 

俺は呟き、デバイスの画面を切り替えた。

次に表示されたのは、特別棟や学生寮周辺の監視カメラの死角をマッピングした3Dデータだ。

 

龍園が物理的な接触、あるいは暴力的な手段でDクラスの人間(例えば堀北や、あるいは弱者である池や山内)に接触してくる可能性は99.9%。

それに対する迎撃態勢を構築しなければならない。

 

俺は、首元のロケットペンダントを服の上から強く握りしめた。

 

(リスタ……見ていろ。俺はこの世界のすべての不確定要素を排除し、完全なる勝利をもぎ取ってみせる。お前の魂を修復するためなら、俺はこの学校の全生徒の尊厳を徹底的に破壊し尽くす)

 

俺はデバイスを懐にしまい、音もなく教室を後にした。

第二ストレージに隠してある追加のセンサー類を回収し、図書室の閉架書庫奥に新たな第三のバックアップ拠点を構築するためだ。

何事も、予備の予備の予備が必要だ。龍園が仕掛けてくる前に、奴の行動範囲のすべてを俺の観測下に置く。

 

 

 

 

【視点:綾小路清隆】

 

夕暮れ時。

寮へと続くケヤキ並木を歩きながら、オレはこれまでの自分の認識がいかに甘かったかを痛感していた。

 

「……あらためて、本当に、信じられないわね」

 

隣を歩く堀北鈴音が、誰に言うともなくポツリと呟いた。

彼女の横顔には、かつてのような孤高の棘や、Aクラスへ昇格してやるという野心に満ちた輝きはない。あるのは、絶対的な力によって首輪をつけられた者の、深い諦念と疲労だけだ。

 

「竜宮院のことか」

 

「ええ。……彼がすべてを裏で操っていたなんて。いえ、操っていたという生易しい表現じゃ済まないわ。彼は私たちを、自分の手足のように、文字通り『部品』として使っている」

 

堀北は自嘲するように笑った。

 

「私が表のリーダーとして振る舞わされていたのも、あなたが過去問を裏で手配したのも、すべては彼のシナリオ通り。私たちは、彼が完璧なタイミングで舞台に上がるための、ただの『前座』だったのよ」

 

「ただのルンバじゃなかったか?」

 

「……次言ったら殴るわね」

 

オレは黙って前を向いた。

堀北の言う通りだ。竜宮院聖哉という男は、オレの想像をはるかに超える『異常者』だった。

ホワイトルームで培われたオレの感覚からしても、彼の行動原理は理解の範疇を超えている。

ホワイトルームの教育は、あらゆる状況に対応できる最高傑作を創り出すことだ。しかし、竜宮院のそれは違う。彼は対応するのではない。彼は、そもそも「対応しなければならない事態」が発生すること自体を極端に嫌い、恐れている。

だからこそ、事前にすべての可能性をシミュレーションし、万に一つの敗北の目すらない状態――勝率100%になるまで、決して動かない。

 

病人のフリをして教室の隅で息を潜めていたのも、自分に対する他者の関心や介入を極限まで削ぎ落とすための偽装だった。

そして、準備が完全に整った瞬間、一気に牙を剥き、200cptという莫大なクラスポイントと、クラスメイト全員の退学の証拠という絶対的な鎖を手に入れた。

 

「……だが、彼が表に出たことで、Dクラスは良くも悪くも一つにまとまった。退学者が出なかったのも事実だ」

「それは結果論よ。彼は私たちを救ったんじゃない。自分の目的のために、私たちが退学する、部品が欠けることを許さなかっただけ」

 

堀北の目は、暗く沈んでいた。

無理もない。彼女にとって最大の弱点である『兄からの暴力と自身の悲鳴』の音声データを握られ、完全に服従させられているのだから。

彼女は今や、竜宮院の指示を一言一句違えずに実行するための、意思を持たないスピーカーに過ぎない。

 

(……竜宮院は、オレの存在も完全に把握している)

 

読み取り機に仕掛けたチップに残された指紋。あれは、オレが彼に加担した確たる証拠だ。

彼がオレを退学させることは、今のところないだろう。オレという『裏で動ける駒』は、彼にとっても有用だからだ。

だが、それは同時に、オレが彼の描く盤面から逃れられないことを意味している。

 

「……綾小路くん。これから、Dクラスはどうなるのかしら」

「さあな。だが、一つだけ確かなことがある」

 

オレは、夕日に照らされた校舎を振り返った。

 

「竜宮院が狙っているのは、ただのAクラス昇格じゃない。……彼は、他クラスを徹底的に蹂躙し、叩き潰すつもりだ。近いうちに、必ず血の雨が降る」

 

その矛先が最初に向かうのは、間違いなくCクラスの龍園翔だ。

 

二人の独裁者。

一方は暴力と恐怖で縛り付ける男。

もう一方は、完璧な知略と病的なまでの慎重さで全てを盤上に固定する男。

 

オレは、この恐ろしいチェスゲームの観客ではなく、ポーンの一つとして、前線で血を流すことを強制されている。

 

 

 

 

【視点:龍園翔】

 

「……ククッ。笑えねえ冗談だぜ、こりゃあ」

 

Cクラスの教室。

放課後で他の生徒がとうに帰った室内で、俺は自分の端末に表示された情報を眺めながら、喉の奥を鳴らして笑った。

 

傍らに立つ石崎が、怯えたような声で尋ねてくる。

 

「りゅ、龍園さん……どうしたんすか。その、Dクラスの奴らが何か……?」

 

「ああ。どうやら、俺たちの想像以上に、あの泥舟にはヤバいバケモンが潜んでいたらしい」

 

俺は机の上に足を投げ出し、端末の画面を石崎に見せつけた。

そこには、独自の情報網と、他クラスの生徒への些細な探りから得られた、一つの異常な事実が記されていた。

 

『Dクラス、中間テストにおける退学者ゼロ』

『1年Dクラス、特別ボーナスを含め、クラスポイント200cptを獲得』

 

「……にひゃくまん!? ば、馬鹿な! あんな落ちこぼれの集まりが、どうやってそんなポイントを……!?」

 

石崎が素っ頓狂な声を上げる。

 

「だから言ってんだろ。落ちこぼれの集まりなんかじゃなかったってことだ」

 

俺の脳裏に、Dクラスの連中の顔が浮かぶ。

表立ってキャンキャン吠えるだけの堀北鈴音。お人好しの平田洋介。

だが、あいつらにこんな芸当ができるはずがない。

200ポイントという異常な数値を叩き出すためには、システムそのものの裏をかくような、あるいは学校側の評価基準を根本からハックするような『決定的な一撃』が必要だ。

 

(……誰だ? 誰が裏で糸を引いてやがる?)

 

俺の勘が、強烈に警鐘を鳴らしていた。

あのクラスには、俺たちに見えていない『深淵』が口を開けている。

 

「……石崎。伊吹を呼べ。それと、小宮と近藤もだ」

 

「は、はい! な、何をするんすか?」

 

「決まってんだろ。狩りだよ」

 

俺は唇を舐めた。

暴力、恐怖、そして絶望。それらを駆使して、人間が顔を歪める瞬間を見るのが、俺は何よりも好きだ。

Dクラスの裏でこそこそと動いているネズミの正体を暴き出し、俺の足元にひざまずかせてやる。

 

だが、その時だった。

 

『――ピピッ』

 

俺の端末から、不規則な電子音が鳴った。

通知画面を見る。

俺のプライベートポイント口座の残高表示が、一瞬だけ、ノイズのように乱れた。

 

「……あ?」

 

ただの通信エラーか?

いや、違う。表示された数字そのものは減っていない。

だが、ポイントの履歴画面を開こうとした瞬間、画面がわずかにフリーズし、0.5秒ほどの奇妙な『ラグ』が発生した。

 

普段なら気にも留めないような、ほんの僅かな遅延。

しかし、俺の直感は、それが自然発生的なバグではないことを告げていた。

 

(……見られている。俺の金の動きを、誰かが監視してやがる)

 

背筋を冷たいものが走った。

ポイントを奪われたわけではない。ただ、見られているという気配だけが、端末越しにねっとりと伝わってくる。

俺の口座にどれだけのポイントが集まり、誰が俺に貢いでいるか。そのデータの流れを、暗闇の中から無表情に見つめている『眼』の存在。

 

「……ククッ、ハハハハハ!」

 

俺はたまらず、腹を抱えて笑い出した。

 

「いいぜ……最高だ。宣戦布告ってわけか。俺の懐を覗き見して、プレッシャーをかけているつもりかよ」

 

石崎が気味悪そうに俺から距離を取る。

俺は立ち上がり、窓の外の暮れなずむ空を睨みつけた。

 

「おい、石崎。作戦変更だ。Dクラスのザコ共にちょっかいを出すのはやめだ」

 

「えっ? じゃあ……」

 

「探りを入れる。Dクラスの中に、一人だけ『異質』な奴がいるはずだ。成績、行動、交友関係……すべて洗いざらい調べ上げろ。少しでも不自然な点がある奴をピックアップしろ」

 

俺は、見えない敵への殺意を燃やし、笑みを深くした。

 

「……待ってろよ、ネズミ野郎。お前がどれだけ頭が切れようと、最後は暴力の前で泣き叫ぶことになるんだ。俺が直々に、お前のその澄ました顔をぐちゃぐちゃに踏み潰してやる」

 

 

 

 

【視点:竜宮院聖哉】

 

(……馬鹿め。まんまと餌に食いついたな)

 

図書室の閉架書庫の奥。

ホコリを被った古い百科事典の裏側に設置した第三の拠点のモニターを見つめながら、俺は冷たく吐き捨てた。

 

龍園翔の端末に、意図的にわかりやすい『ラグ』を発生させたのは俺だ。

あのような暴力で支配を敷く男は、プライドが高く、自らのテリトリーに他者が侵入してくることを極端に嫌う。

 

俺が彼のポイント移動を『監視している』という痕跡をわざと残すことで、彼の注意を「Dクラスの裏で動く正体不明の敵」へと完全に釘付けにさせた。

 

これで、龍園はDクラス全体に対する無差別な攻撃を控え、俺という個体を特定するための『探索』へとリソースを割くことになる。

相手の行動を制限し、思考を誘導する。これもまた、勝率を100%に近づけるための絶対的な布石の一つだ。

 

だが、これだけでは終わらない。

俺はさらにキーボードを叩き、Cクラスの特定の生徒たちの行動パターンを解析し始めた。

 

(龍園の支配には、必ず綻びがある。恐怖で縛られた人間は、逃げ道を求めている。その逃げ道を、俺が用意してやる)

 

ターゲットは、伊吹澪、そして椎名ひより。

龍園の暴力に完全に屈していない、あるいは独自の思考を持つイレギュラーな存在。

彼女たちを、俺の盤面の『駒』として引き抜く、あるいは龍園へのカウンターとして利用するための情報を収集する。

 

「……徹底的にやる。龍園翔。お前が俺にたどり着く前に、お前の足元を支える地盤をすべて液状化させてやる」

 

俺の視線の先、モニターに映し出されたCクラスの相関図の中で、龍園を繋ぐ線が、一つ、また一つと、目に見えない形で変色していく。

 

勝敗は、戦う前にすでに決まっている。

俺は、この箱庭の全てを支配する。ただ、一人の女神の魂を救済するために。

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