ようこそ慎重至上主義の教室へ   作:GC

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Wer alles verteidigen will, verteidigt nichts.

フリードリヒ2世
『軍事教令』


第22話「すべてを防衛しようとする者は、何一つ防衛できない。」

【視点:綾小路清隆】

 

森の奥深く、Dクラスの防衛陣地から十分に距離を取った湿地帯の倒木に腰を下ろし、オレは抽出したデータの断片を網膜に焼き付けていた。

 竜宮院聖哉が構築したローカルネットワーク『Project Tartarus』のさらに奥底。そこに隠匿されていたのは、この無人島特別試験におけるDクラスのリーダーの正体だけではなかった。

 

(リーダーは……佐倉愛里、か)

 

 妥当かつ、彼らしい極端な選択だ。

 リーダーは、スポットを占有する際にキーカードを使用しなければならず、その瞬間、他クラスに正体を悟られるリスクを負う。だが、竜宮院は最初から「スポットを一切回らない」という0ポイント消費の絶対防御を選択している。

 であれば、リーダーに求められる資質は隠密行動でも統率力でもない。

 ただひたすらに「陣地の最奥から一歩も動かず、誰とも接触しないこと」だ。

 

 ストーカー事件以降、竜宮院に対して極度の恐怖と畏怖を抱き、彼の命令であれば一歩も外に出ないであろう佐倉愛里。彼女は現在、あの巨大な黒いテントの奥に設置された医療用特別隔離室(という名目の密室)の中に収容されているのだろう。体調不良という名目で完全に隔離され、外部との接触を物理的に断たれている。

 どれだけ他クラスが探ろうと、そもそも外界に存在しない人間を特定することは不可能に近い。

 

 だが、オレの興味を惹いたのはリーダーの正体そのものよりも、竜宮院が佐倉をリーダーに設定したプロセスの方だった。

 

(……この男、特別試験のルールそのものを逆手に取って、学校のシステムに干渉しているな)

 

 端末に表示された不可解なログアウト履歴と、キーカードのID偽装の痕跡。

 通常、リーダーの変更には正当な理由(怪我や病気によるリタイア)が必要だが、竜宮院は茶柱を通して事前に「佐倉の持病(架空の精神的パニック障害など)に対する特別医療措置申請」を通している。

 さらに、彼は『Project Ouroboros』と名付けられた別の階層で、学年全体のプライベートポイントの流動を監視するアルゴリズムを組んでいた。

 各クラスがスポットでどれだけポイントを消費したか、誰がどのタイミングでツールを購入したか。それらのメタデータを、学校が支給した端末の通信の遅延から逆算して割り出そうとしていた痕跡が残っていた。

 

「……ポイントを直接奪うような三流の真似はしない、ということか」

 

 竜宮院は、生徒から直接ポイントをハッキングするような安直で退学リスクの高いルール違反は犯さない。彼がやろうとしていたのは、全クラスの財布の中身と消費行動を完全に可視化し、最終的にDクラスが1ポイント差でも確実に上回るよう、全体の経済をコントロールすることだ。

 

(だが、お前のその完璧な箱庭には、致命的な欠陥がある)

 

 オレは、端末の電源を切り、土の中に深く埋めた。

 

 どんなに強固なシステムも、それを運用するのが人間である以上、必ず物理的な綻びが生じる。伊吹澪という、絶望の淵に立たされた不確定要素。彼女の「反逆したい」という意志を利用することで、オレは竜宮院の心臓部に触れることができた。

 

 さて、ここからが本番だ。

 竜宮院が自分のシステムにバックドアを仕掛けられたことに気づくのは、時間の問題だろう。あの異常な慎重さを持つ男が、物理ポートへのアクセス履歴を見逃すはずがない。

 問題は、彼がそれに気づいた後、どう動くかだ。

 

「……少し、アプローチを強めてみるか」

 

 オレは立ち上がり、静かに陣地へと歩き出した。

 竜宮院の視線を外部の脅威から内部の裏切りに、そして最終的にオレへと意図的に誘導するための、緻密な心理戦のフェーズへの移行。

 盤面は、まだオレのコントロール下にある。

 

 

 

【視点:竜宮院聖哉】

 

「…………ッ!!」

 

黒いテントの奥、外部の光を完全に遮断したメインサーバー・コンソール前。

 俺は、ディスプレイに表示された一筋のエラーログを見て、背筋に強烈な悪寒が走るのを感じた。

 

 呼吸が乱れる。額から冷や汗が滝のように流れ落ちる。

 

(馬鹿な……。あり得ない。絶対に、あり得ないッ!!)

 

 午後2時45分。熱暴走を防ぐための強制冷却プロセスに伴う、わずか120秒のラグ。

 その隙を突き、メインサーバーの外部ポートに、未知のデバイスが物理的に接続された痕跡がある。

 

 急いでポートの周囲を確認する。

 接続口の隙間に、肉眼ではほとんど見えない細さの「俺自身の抜け毛」をセロハンテープで張り付けておいた物理トラップ。それが……ミリ単位で切断されている。

 

「侵入された……! この俺の、完璧な絶対防御陣地の中枢に、物理的な接触を許しただと……!?」

 

 心拍数が跳ね上がり、視界が明滅する。

 俺はこの島に上陸して以来、外周のフェンス、塹壕の深さ、監視カメラの死角、すべてをミリ単位で計算し尽くしてきた。虫一匹、落ち葉一枚の動きすら把握しているつもりだった。

 

 誰がやった?

 Cクラスの龍園か? いや、あいつは俺の恐怖で完全に機能停止している。

 Bクラスの一之瀬か? あの善意の塊にこんな芸当ができるはずがない。

 Aクラスの坂柳か? 彼女は同盟者であり、わざわざこんな直接的でリスクの高い真似をするメリットがない。

 

 では、内部の人間か?

 Dクラスの有象無象に、俺のサーバーの冷却プロセスの隙を突くようなハッキングの知識があるわけがない。

 となれば、消去法で導き出される容疑者はただ一人。

 

(労働力C-04……伊吹澪か)

 

 俺はすぐに監視カメラの録画データを遡った。

 午後2時40分から45分にかけての映像。

 伊吹が仮設トイレから出て、監視カメラの首振りのタイミングを完璧に見切り、死角を縫ってテントに接近する姿が映っていた。

 

(……やはり。あいつが物理的な媒体を差し込んだのか)

 

 だが、安堵はできなかった。むしろ、恐怖はさらに肥大化していく。

 

(おかしい……。伊吹に、俺のシステムの仕様を理解できるほどのITリテラシーはない。そもそも、あのデバイスをどこで手に入れた? 誰かが、この島の中で彼女に接触し、デバイスを渡し、指示を与えたというのか!?)

 

 頭蓋骨の中で、警鐘が狂ったように鳴り響く。

 

(俺の想定を遥かに超える未知が、この陣地のすぐそばを徘徊している。伊吹は単なるトロイの木馬。真の脅威は、彼女を操り、俺の『Project Ouroboros』の深淵を覗き見た存在……!)

 

 

 綾小路清隆。

 

 

 あの男の、感情の読めない虚ろな瞳が脳裏にフラッシュバックした。

 中間テストの際、平田の靴箱を利用した見事な手口。あれは確かに警戒に値するものだった。だが、ここまでの芸当ができると誰が予想した?

 

(俺は……あの男の能力を、根本的に見誤っていたというのか? いや、違う。これはもはや優秀な高校生のレベルではない。特殊部隊の潜入工作員か、あるいはそれ以上の……神界の刺客と同等レベルの脅威だ!!)

 

 俺は、無意識のうちに爪が手のひらに食い込むほど拳を握りしめていた。

 

「……落ち着け。深呼吸だ。被害状況を正確に把握しろ」

 

 俺は震える手でキーボードを叩き、システムのスキャンを開始した。

 デバイスが挿入された時間はわずか十数秒。抜かれたデータは……Dクラスのリーダー設定情報と、『Project Ouroboros』の基礎概念の部分的ディレクトリのみ。

 致命的なコアデータへのアクセスは、俺が事前に構築していた第十七層のハニーポットによってギリギリ防がれていた。

 

(危なかった……。もし第十八層まで突破されていたら、俺の完全勝利の計画が瓦解するところだった……)

 

 だが、リーダーが佐倉愛里であるという情報は抜かれた。

 

 これは痛手だ。

 しかし、綾小路がその情報を知ったからといって、すぐに行動を起こすことはないはずだ。彼もまた、俺がどこまで気づいているかを測っている段階だろう。

 

「……舐めるなよ、綾小路清隆」

 

 俺は、ディスプレイの冷たい光を浴びながら、奥歯を強く噛み締めた。

 

「お前が俺のシステムに泥靴で踏み込んできたというのなら、俺はさらなる絶望でその足を切断するまでだ」

 

 現在の防衛レベルでは不十分だ。

 陣地の外周警戒をさらに強化する? いや、物理的な防衛には限界がある。

 必要なのは、情報戦における完全なるカウンター。

 綾小路が情報を得たと錯覚しているその事実そのものを、俺の新たな罠の『部品』として再利用する。

 

「プロトコル・オメガ……発動準備だ」

 

 俺は、隔離室で震えている佐倉愛里の監視モニターを一瞥し、次なる苛烈な計画のコードを書き始めた。

 

 

 

 

【視点:龍園翔】

 

「……おい、石崎。水だ。早く持ってこい」

 

Cクラスの陣地。

 薄暗い森の中に張られた粗末なテントの下で、俺は苛立ち紛れに舌打ちをした。

 

「は、はいっ! すぐに!」

 

 石崎が、怯えた犬のように這いつくばりながらペットボトルの水を差し出してくる。

 その情けない姿を見るたびに、俺の胃袋の奥底でドロドロとしたヘドロのような怒りが煮えくり返る。

 

(クソが……。どいつもこいつも、俺ではなく、あの見えない化け物に怯えてやがる)

 

 俺は、受け取ったペットボトルを握り潰す勢いで掴み、ぬるい水を喉に流し込んだ。

 

 無人島試験、2日目。

 本来であれば、俺は他クラスの拠点にスパイを送り込み、ポイントを枯渇させ、最終日にすべてのリーダーを言い当てて高笑いしているはずだった。

 

 だが、現実はどうだ。

 俺のスマートフォンには、竜宮院聖哉から送りつけられた『完全なる台本』が刻まれている。

 俺は、Cクラスの独裁者を『演じさせられている』に過ぎない。

 伊吹をDクラスに送り込んだのも、あいつの指示だ。

 俺の暴力も、恐怖による支配も、すべてがあの男の手のひらの上で踊らされているただの舞台装置に成り下がっている。

 

「……龍園さん。Aクラスの奴らが、こっちを窺ってます」

 

 石崎が、低い声で報告してきた。

 視線の先には、Aクラスの斥候らしき男……橋本正義の姿があった。ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら、こちらを観察している。

 

(坂柳の犬か。……目障りな)

 

 俺は立ち上がり、首を鳴らした。

 竜宮院という絶対的な恐怖に縛られているとはいえ、俺の牙がすべて抜けたわけじゃねえ。

 あの慎重すぎるバケモノは、完璧を求めるがあまり、俺たちを「論理」でがんじがらめにしている。だが、論理ってのは、一度前提が崩れれば脆いもんだ。

 

「おい、アルベルト。あの気取ったAクラスの犬を、少し教育してやれ」

 

「……Yes, boss.」

 

 俺は、あえて竜宮院の台本にはないイレギュラーな行動を起こすことにした。

 竜宮院の監視下にある俺の端末のGPS情報は、Cクラスの陣地に留まっていることになっている。だが、ここでAクラスと物理的な衝突を起こせば、盤面に意図しないイレギュラーが発生する。

 

 竜宮院はイレギュラーを極端に嫌う。

 俺が暴走すれば、あいつは必ず何らかの修正アクションを起こすはずだ。

 そのアクションの隙を突く。

 

(俺を完全に飼い慣らしたと思ってるなら、大間違いだぜ、竜宮院……)

 

 俺は、ポケットの中で、密かに伊吹から受け取っていた通信機能のない古いアナログのメモ帳の切れ端を指でなぞった。

 そこには、伊吹の字ではない、見知らぬ端正な文字で一言だけ書かれていた。

 

『絶対防御の壁は、明日の午後3時に崩れる。動く準備をしておけ』

 

 誰からのメッセージかは知らねぇ。

 だが、この島には、竜宮院の首を狙っているもう一匹の化け物が潜んでいることだけは確かだ。

 

「……面白くなってきやがった。どっちが勝つにせよ、最後に美味しいところを攫うのは、この俺だ」

 

 俺は、残りの水を地面に吐き捨て、凶悪な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

【視点:坂柳有栖】

 

「……ふふっ。やはり、彼は期待を裏切りませんね」

 

 私は、チェスのナイトの駒を指先で弄りながら、満足げな溜息を漏らしました。

 

「何が可笑しいのよ。あんた、さっきからずっと一人で笑ってて不気味なんだけど」

 

 神室さんが、虫除けスプレーを周囲に撒き散らしながら、ジト目で私を睨んできます。

 

「ええ、少し面白い報告が入ってきたものですから」

 

 私は、端末に表示された短い暗号メッセージを指でなぞりました。

 

 『Dクラスの要塞内で、何らかのシステム異常を感知。竜宮院の行動パターンに変化あり』

 

 私が密かにDクラス周辺に配置していた監視用の超小型マイク(学校の備品を改造したもの)が、竜宮院くんのテント内から漏れた微かな焦燥の息遣いを拾ったのです。

 

「あの、常に絶対的な余裕を崩さない竜宮院くんが、本気で焦っている……。これほど興奮するシチュエーションが他にあるでしょうか」

 

「あんたの性癖は本当に理解できないわ。……で、誰があの要塞にちょっかいを出したの? Cクラス?」

 

「いえ、龍園くんは現在、私たちのクラスの橋本くんに接触を図ろうとしているようです。彼もまた、竜宮院くんの支配から抜け出すための足掻きを始めているようですね」

 

 私は、チェス盤の上のポーンを一つ、無造作に倒しました。

 

「竜宮院くんの牙城に傷をつけたのは、間違いなく綾小路くんです。彼は、竜宮院くんが構築した完璧な論理の隙間を縫うようにして、物理的なアプローチを仕掛けたのでしょう」

 

「綾小路……? ああ、あの中間テストの時に色々やってた地味な奴ね。あいつが、あの同じクラスのバケモノみたいな竜宮院に喧嘩を売ったってわけ?」

 

「喧嘩、というよりは、ご挨拶といったところでしょう。……さあ、竜宮院くん。あなたが愛してやまない完全なる管理が侵された時、あなたはどのような暴走を見せてくれるのですか?」

 

 私は、自分の足の不自由さを一瞬だけ忘れさせるほどの高揚感に包まれていました。

 世界の真実に最も近づいているのは、おそらく私だけ。

 勇者と、魔王。

 二つの規格外の存在が、このちっぽけな無人島という箱庭で激突する。

 

「神室さん。少し、私のお手伝いをしてくれませんか?」

 

「……嫌な予感しかしないんだけど」

 

「簡単なことです。Dクラスの陣地の外周に、これを置いてきてほしいのです」

 

 私が差し出したのは、一本の真っ赤なリボンでした。

 

「は? なによこれ」

 

「闘牛士が使うムレータのようなものです。完璧主義者の彼は、自分の陣地の周囲にイレギュラーが発生することを何よりも嫌う。彼に、さらなる刺激を与えて差し上げましょう」

 

 私は、無邪気な子供のように微笑みました。

 盤面は、加速度的に狂い始めています。

 

 

 

 

【視点:綾小路清隆】

 

太陽が西に傾き、森に長い影が落ち始めた頃。

 オレは、薪割りの作業を終え、指定されたポイントで休憩を取っていた。

 

 陣地内の空気は、明らかに朝よりも重く、ピリピリと張り詰めている。

 竜宮院がテントから出てきてから、彼の指示はさらに苛烈さを増していた。

 

「第4セクターのトラップ、再設定しろ。感度を200%に引き上げろ。外部からの侵入だけでなく、内部からの意図的な破壊工作も想定した設定に変更だ」

 

 竜宮院の冷徹な声が響く。

 だが、その声の奥底には、微かな、しかし確かな焦りが混じっているのを、オレの耳は捉えていた。

 

(……気づいたか)

 

 伊吹を使った物理ハッキング。

 オレが仕掛けたトロイの木馬に、彼は気づき、そして自分が誰かに狙われているという事実を正確に認識した。

 

 彼が今、最も恐れているのは見えない敵の存在だ。

 伊吹を操り、自分のシステムに干渉できるほどの知能と行動力を持った存在。

 彼は今、猛烈な勢いで脳内のシミュレーションを回し、容疑者を絞り込んでいるはずだ。

 

(オレに辿り着くのも、時間の問題だろうな)

 

 だが、それでいい。

 オレが狙っているのは、彼の完璧な論理を、彼自身の過剰な警戒心によって自壊させることだ。

 

 リーダーが佐倉愛里であるという情報は手に入れた。

 だが、オレはあえてその情報を、今すぐには使わない。

 竜宮院は、情報が漏れたことに気づいている以上、必ずリーダーのすり替えや偽装工作などのカウンターを仕掛けてくる。

 

 オレが真に狙うべきは、彼がカウンターを仕掛けた『その後』の隙だ。

 

「……綾小路くん」

 

 背後から、声が掛かった。

 振り返ると、櫛田桔梗が立っていた。

 彼女の顔には、いつものアイドルのような完璧な笑顔が張り付いている。だが、その瞳の奥には、竜宮院への絶対的な恐怖と、押し殺した憎悪が渦巻いているのが分かった。

 

「竜宮院くんが、君を呼んでるよ。メインテントに来るようにって」

 

「……わかった。すぐに行く」

 

 オレは、静かに立ち上がった。

 

 いよいよ、直接対決のフェーズか。

 竜宮院は、オレを疑い、探りを入れてくるだろう。

 オレは、彼が想定し得る最も無害な生徒を演じ切りながら、彼の精神の奥底にある致命的な欠陥を正確に突かなければならない。

 

 オレは、土にまみれた手を軽く払い、巨大な黒いテントへと向かって歩き出した。

 

 無人島サバイバル試験。

 この狂った箱庭の中で、真に生存し、すべてを支配するのは誰か。

 その答えが出るのは、そう遠い未来ではない。

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