ようこそ慎重至上主義の教室へ   作:GC

31 / 32
第27話「善意の使者」

【視点:龍園翔】

 

2晩目だ。誰にも命じられず、俺は西側の死角を見て回っている。

 

竜宮院が敷いた見張りの交代表は、もう頭に入っている。どの時間帯に、どの経路を通れば誰にも見られないか。そんな計算を自分の頭でやるのが、こんなに久しぶりだったとは思わなかった。

 

木の陰から様子を窺っていた俺は、人影に気づいて息を止めた。

 

痩せた影が一つ、慎重な足取りで枯れ枝の隙間を縫っている。動き方に見覚えがあった。坂柳が飼ってる駒――神室真澄だ。

 

(また来やがったか)

 

蛍光塗料の罠に一度かかったくらいで諦めるタマじゃねえとは思っていたが、まさかこの死角にまで辿り着くとはな。

 

ここで見逃せば、明日には坂柳の手に砦の弱点が渡る。かといって竜宮院に報告すれば、俺が昨夜からこの死角を知っていたことがバレる。どちらも都合が悪い。

 

首輪に手をやりかけて、止めた。

 

これを起動すりゃ、竜宮院の声がすぐ降ってくる。指示通りに動く方が安全だ。だが、それじゃあ今夜のこれも「あいつの手足」がやったことになる。それだけは、今は御免だった。

 

俺は木の陰から歩み出た。

 

「こんな時間に、こんなとこで何してんだ?」

 

神室の肩が跳ねた。振り返った顔に浮かんだのは、驚きより先に、隠しきれない苛立ちだった。

 

「……あんたには関係ないでしょ」

 

「関係あるな。ここは俺の縄張りだ」

 

ゆっくり距離を詰める。以前の俺なら、この距離で既に胸倉を掴んでいた。今夜はその一歩手前で止める。手を出さずに済ませる方が、後の面倒が少ない。そんな計算が根を張っていることに、自分でも少し驚いていた。

 

「坂柳に何を探れって言われた。言わねえなら、そのまま帰れると思うなよ」

 

神室の視線が泳いだ。嘘をつく人間の目の動きだ。

 

「な、何も……ただの散歩よ」

 

「そうかい。じゃあ散歩ついでに伝えとけ。この先はもう調べ尽くされてる、ってな」

 

数秒睨みつけた後、神室は踵を返し、逃げるように闇へ消えていった。

 

俺は一人、暗い森で息を吐いた。

 

竜宮院のシステムには、今夜の出来事は何一つ記録されない。誰の命令でもなく、誰への忠誠でもなく、ただ俺自身の判断で、この死角は守られた。

 

たったそれだけのことが、拳を振り上げるより余程重かった。

 

 

 

 

【視点:竜宮院聖哉】

 

翌朝の巡回報告に、俺は違和感を覚えた。些細な異常だ。だが俺の基準において、「些細」と「無視していい」は決してイコールではない。

 

西側の死角――俺自身がまだ手を回しきれていない区画。その地面に、複数の足跡が残されていた。一つは外部からの侵入者のもの。もう一つは、その進路を塞ぐように交差し、そのまま引き返している。

 

侵入は未遂に終わっていた。

 

(誰かが、俺の知らないところで俺の弱点を守った)

 

足跡のサイズ、歩幅、体重移動の癖を照合する。侵入者は神室真澄。押し返した側は――

 

――龍園翔。

 

入学以来、奴の一挙手一投足を観察し続けてきた俺の目に、誤認の余地はない。

 

だが、なぜ報告しない。恐怖による完全な服従。俺が構築した支配構造は、そのはずだった。

 

(……綾小路とは、種類の違う綻びだ)

 

綾小路清隆は元から予測困難な変数として扱えばいい。だが龍園翔は、俺が数ヶ月かけて組み上げた恐怖そのものの内側から生まれた変数だ。土台が揺らげば、その上に積んだ全計算をやり直す必要がある。

 

栄養ゼリーを一本、予定外に消費した。

 

再演算を始めようとしたその時、南側の見張りが駆け込んできた。

 

「り、竜宮院……Bクラスが、来てます」

 

「戦闘態勢か」

 

「いえ、それが……手ぶらで、両手を上げて。話がしたいって」

 

俺は数秒、沈黙した。

 

Bクラスの一之瀬帆波。この島に来てから、一度もこちらに接触してこなかった相手だ。他クラスが偵察や妨害を繰り返す中、彼女だけが完全な沈黙を保っていた。

 

その人間が、最も無防備な形で、最も目立つ正面から来た。

 

(――嫌な手を打ってくる)

 

俺は防塵マスクを外し、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 

【視点:一之瀬帆波】

 

Dクラスの陣地は、想像していた以上に異様だった。

 

深い塹壕、偽装された落とし穴、規則正しく配置された見張り。6日間、資源を一切買わずにこれを作り上げたという事実が、目の前の光景の全部を語っていた。

 

私は両手を上げたまま、ゆっくりと歩を進める。

 

背後の柵の向こうから、竜宮院くんが姿を現した。汚れひとつない立ち姿。6日目の無人島で、この人だけが最初の日と同じ顔をしている。

 

「用件を言え」

 

挨拶も前置きもない。想定通りだ。

 

「うん。単刀直入に言うね」

 

私は笑顔を作った。作り物だと気づかれても構わない。

 

「Cクラスの子たちが、水源で3人倒れたの。脱水と食中毒。ポイントが尽きて、生水を飲んじゃったみたい」

 

竜宮院くんの表情は動かない。

 

「学校側に救護要請を出せば、そのクラスはペナルティを受ける。だからCクラスは要請を出せずにいる。……このままだと、たぶん死人が出るよ」

 

「それで」

 

「Dクラスには医薬品があるよね。買わずに済ませたってことは、最初から持ち込んでたってことでしょ?」

 

これは賭けだ。証拠はない。だけど、この砦を見た瞬間に確信した。この人は、支給ポイントを使わずに済む方法を、島に来る前から用意していたに違いない。

 

「分けてほしい。無償でとは言わないよ。Bクラスの支給ポイントから、相応の対価を払う」

 

竜宮院くんの目が、わずかに細くなった。

 

「断る」

 

「……理由を聞いてもいいかにゃ?」

 

わざと軽い言い方をした。彼の反応を、ほんの少しでも揺らしたかった。

 

「三つある。一つ、俺の備蓄品が学校の想定を超える量であることを、この場で自ら証明する行為になる。二つ、Cクラスの救護は本来、Cクラスの責任だ。三つ――」

 

彼は一度言葉を切った。

 

「お前は今、Cクラスの人間が倒れているという情報を、俺に伝えるためにここへ来た。薬を得るためではない」

 

背筋が、すっと冷えた。

 

「Bクラスが本当に人命を優先するなら、まず学校へ通報している。ペナルティを受けるのはCクラスであって、お前たちではないからだ。それをせず、わざわざ俺のところへ来た理由は一つ。俺が薬を出すか出さないかを、確認したかったからだ」

 

「……」

 

「出せば、俺の備蓄の存在が確定する。出さなければ――」

 

「見殺しにした、って話が広まる」

 

私は認めた。もう隠す意味がなかった。

 

「そう。どっちに転んでも、私は欲しいものが手に入る」

 

Dクラスの結束は、恐怖で保たれている。私はそう見ていた。だからその恐怖に、たった一つの亀裂を入れたかった。「この人は、私たちが倒れても薬を出さない」――その一言が、6日間飢えた40人の中に落ちたらどうなるか。

 

竜宮院くんは、しばらく私を見つめた。

 

そして、背後の柵に向かって短く言った。

 

「櫛田を呼べ」

 

数分後、櫛田さんが小走りにやってきた。泥で汚れていても、その笑顔だけは島に来る前と変わらない。

 

「一之瀬と一緒にCクラスの水源へ行け。持っていくのは、経口補水塩と整腸剤のみ。俺の備蓄からではなく、Dクラスの共用救急箱から出せ。学校支給の範囲内のものだ」

 

「……はい」

 

「一之瀬。同行は許可する。ただし、俺の陣地の内側には一歩も入れない」

 

そう言い残して、彼は柵の向こうへ消えていった。

 

私は立ち尽くしたまま、彼の背中を見送った。

 

見殺しにもせず、備蓄も晒さない。学校支給品という、誰にも突っ込みようのない最小限で、私の仕掛けを丸ごと無効化してみせた。

 

しかも、櫛田さんという「誰からも好かれる顔」を同行させることで、Cクラスに恩を売る役までDクラスが持っていった。

 

(……敵わないなぁ、本当に)

 

でも。

 

私は歩き出しながら、小さく息を吐いた。

 

彼は今日、私の質問には答えなかったけれど、行動では答えてくれた。備蓄は、確かに在る。そして彼は、それを絶対に外に出さない。

 

その一点さえ掴めれば、今日の訪問は無駄じゃない。

 

 

 

 

【視点:綾小路清隆】

 

柵の内側から、オレは一部始終を見ていた。

 

(一之瀬帆波か)

 

島に来てから沈黙を保ち続けていた相手が、ここへ来て初めて動いた。しかも選んだ手は、暴力でも侵入でもなく、竜宮院聖哉に「選択」を強いる一手だった。

 

竜宮院の処理は完璧だった。学校支給品という逃げ道を即座に見つけ、櫛田桔梗という人望のある駒を使って恩を売り、備蓄の存在を最後まで確定させなかった。

 

だが、完璧すぎる。

 

(今の判断に、何秒かかった)

 

一之瀬が薬を要求してから、竜宮院が櫛田を呼ぶまで、およそ20秒。並の人間なら十分に速い。だがあの男の平時の反応速度は、この程度ではない。

 

奴は今朝、龍園の足跡を見つけている。その処理でリソースを割いた直後に、一之瀬の来訪が重なった。

 

(重なると、遅くなる)

 

竜宮院聖哉というシステムは、単発の危機には無敵に近い。だが複数の予測外が同時に走った時、処理は確実に鈍る。今日、それが目に見える形で現れた。

 

オレは柵から離れ、自分のテントへ戻った。

 

一之瀬が突いたのは、備蓄でも人望でもない。あの男の処理能力そのものだ。おそらく彼女自身、そこまで意図してはいない。

 

だが、この島にはもう一人、それを意図的に狙える人間がいる。

 

Aクラスの、坂柳有栖。

 

 

 

 

【視点:坂柳有栖】

 

「――で、その男の顔は見たのですか」

 

洞窟の奥、ランタンの灯りの下で、私は戻ってきた真澄さんに尋ねた。彼女は靴の泥を落としながら、不機嫌そうに首を振る。

 

「暗くて、はっきりとは。でも声は聞いた。あれは龍園よ」

 

「ふふ。それは興味深いですね」

 

私は膝の上のチェス盤に視線を落とした。対戦相手はいない。この島に来てから、一人で盤を挟むのが習慣になっている。

 

龍園翔。一学期の終わりに竜宮院くんへ完全に屈服し、以降は彼の手足として動いていたはずの男。

 

その彼が、竜宮院くんの陣地の弱点を、彼自身より先に把握していた。しかも、それを主人に報告した形跡がない。

 

「真澄さん。あなたが追い返された時、龍園くんは首輪に触れましたか」

 

「……触りかけて、やめてた。それが何」

 

「いいえ。確認したかっただけです」

 

主人へ声を届ける手段に指をかけて、自分の意思でそれを下ろした。

 

つまり彼は今、竜宮院聖哉の管理下から、ほんのわずかにはみ出している。

 

「もう一つ伺います。一之瀬さんがDクラスの正面から接触した、という話は本当ですか」

 

「ええ。Cクラスの子が倒れたとかで、薬を求めに行ったらしいけど。結局、学校支給品を少し持っていっただけみたい」

 

「ふふっ」

 

思わず笑みが漏れた。

 

一之瀬さんも、なかなかどうして甘い方ではありませんね。あれは救援ではなく、竜宮院くんの選択を強制する一手です。しかも彼は、それをほとんど無傷でいなした。

 

ですが、無傷ではないのです。

 

私は白のビショップを持ち上げ、盤の中央へ置いた。

 

竜宮院聖哉という方の恐ろしさは、あらゆる事象を事前に演算し尽くしている点にあります。逆に言えば、彼の強さは全て、演算する時間があることを前提にしている。

 

1日に1つの危機なら、彼は完璧に処理するでしょう。

 

では、3つ同時ならば。

 

「真澄さん。明日の夜、もう一度お願いしたいことがあります」

 

「……はぁ? また西側?」

 

「いいえ。今度は西側には近づかないでください。行っていただきたいのは、南側の資材置き場です」

 

真澄さんが露骨に嫌そうな顔をした。当然の反応です。

 

「加えて、橋本くんには別の役目を頼みます。そして三つ目は――私が直接、彼に会いに行きます」

 

「あんたが? 足、大丈夫なの」

 

「ええ。杖があれば歩けます」

 

一之瀬さんが叩いたのは、竜宮院くんの備蓄の在処ではありません。彼という人間の、処理能力そのものです。おそらくご本人にその自覚はないでしょうけれど。

 

そして龍園くんという不確定要素が、今まさに彼の内側で膨らみつつある。

 

これほど条件の揃った局面を、見過ごす手はありません。

 

「聖哉くん」

 

私は誰もいない洞窟の壁に向かって、小さく呟いた。

 

「あなたが守っているものが何なのか。そろそろ、教えていただきましょうか」

 

ランタンの灯が、ゆっくりと揺れた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。