名探偵はまだ闇の帝王を知らない 作:大根おろし
うさぎのスノウの事件から、何年かが過ぎた。
ビリーは、あれ以来トムに近づかなくなった。廊下ですれ違えばわざと目を逸らし、食堂で同じ席になることも避ける。以前のように大声で威張ることはあったが、トムの前では声が小さくなった。端から見ると完全に犬が尻尾を巻いている図だった。哀れだとは思うが、コナンには同情する義理がなかった。自業自得というやつだ。
コナンは、あの事件を解けないでいた。
証拠はなかった。
足跡も、踏み台の跡も、紐を結んだ手の痕跡もない。
けれど、コナンの中では終わっていなかった。
トムがやった。絶対やった。あの涼しい顔が証拠だ──いや、それは証拠じゃない。それが問題だ。
その事実は、何年経っても喉の奥に刺さった小骨のように残り続けた。消えないし、飲み込めないし、かといって吐き出す方法もない。非常に不快だった。
そして、その不快感を抱えたまま、コナンとトムは不思議と一緒にいた。
見張っているからだ、とコナンは自分に言い聞かせていた。そういうことにしておかないと、なぜ自分がこんなに面倒な相手の隣に居続けているのか説明がつかない。
「コナン、トム。お客様よ」
コール院長に呼ばれて、二人は院長室へ向かった。
扉を開けた瞬間、コナンはまず服を見た。
長身の老人。銀色の髪と髭。半月形の眼鏡。そして──なんだその服は。深紫色に金の刺繍が入り、きらきら光る布地が惜しみなく使われており、ロンドンの街中に出たら即座に二十人に写真を撮られそうな出で立ちだった。
詐欺師。宗教家。サーカスの団長。舞台衣装を着て外出した人。
コナンの頭の中で、いくつかの可能性が素早く並んだ。とりあえず全部アウトの匂いがする。
あまりにも胡散臭すぎる。
隣のトムも同様に警戒していた。「この人間は話が通じるか、それともペテン師か」という値踏みの目をしている。それはそれで問題のある目だった。
「こちら、アルバス・ダンブルドア先生よ」
コール院長が言った。声がわずかに緊張している。きらきら服のせいだと思う。
「学校の先生だそうよ。あなたたちにお話があるんですって」
コール院長はそのまま扉を閉めた。
「学校って?」
トムが聞いた。
老人──ダンブルドアは、穏やかに微笑んだ。目がきらきらしている。服もきらきらしている。この人はすべてをきらきらさせる強い意志を持っているらしい。
「そうじゃ。ホグワーツ魔法魔術学校という」
魔法。
その一語で、部屋の空気が変わった。
トムの目がわずかに輝いた。
コナンはとりあえず子供っぽく聞き返すことにした。
「魔法学校? 手品の学校ですか?」
「手品ではないよ、ミスター・ホームズ」
ダンブルドアは愉快そうに目を細めた。
「君たち二人には、魔法の力がある。ホグワーツは、その力を正しく学ぶための学校じゃ」
トムは黙っていた。けれど、呼吸がほんの少しだけ変わったのを、コナンは見逃さなかった。
やっぱり。そう思っている顔だ。「自分は特別だった」「自分の力には名前があった」「自分はこんな孤児院にいるべき人間じゃなかった」──そういう確信が今この瞬間、ものすごい勢いで膨らんでいる。
「証拠は?」
コナンは言った。トムも同意するように頷く。
「証明できますか?」
ダンブルドアは一瞬だけ目を瞬いた。それから、まるで長年待っていた質問が来たとでも言うように、楽しそうに笑った。
「よかろう」
彼が杖を軽く振ると、机の上の空のインク瓶が、ふわりと浮いた。瓶は空中でくるりと回り、青い小鳥の形に変わった。小鳥は机の上を二度跳ね、またインク瓶へ戻った。
トムは食い入るように見ていた。口が半開きになっていた。六年間で初めて見た顔だった。普段の「自分は何でも知っている」オーラが完全に消えていた。
コナンは驚くより先に観察していた。
杖の動き。呪文はなかった。対象は机の上のインク瓶。変形、浮遊、再変形。ワイヤーもない。磁石でもない。空気圧でもない。コナンが知っているどんなトリックとも一致しない。
「……なるほど」
コナンは小さく呟いた。
「驚くより先に、仕組みを考えるのかね」
ダンブルドアが言った。声が少し嬉しそうだ。
「癖です」
「良い癖じゃ」
そう言いながら、ダンブルドアの目はコナンをちょっと深めに観察していた。
コナンは内心で舌打ちした。服がきらきらしているからといって、見る目もきらきらしているとは限らない。この老人は相当手ごわい。
説明は淡々と進んだ。
ホグワーツ魔法魔術学校。杖。教科書。汽車。魔法界の通貨。
トムは一つ一つを静かに聞いていたが、口は閉じているのに内側の炎がメラメラ燃えているのが傍目にも分かった。
コナンは質問を選んでいた。
聞きたいことは山ほどある。だが聞きすぎると怪しい。子供のふりをしながら大人の思考で動くのは、どんな状況でも消耗する。七歳の時から散々失敗してきた。
それでも、これだけは聞かずにいられなかった。
「先生」
「何かね、ミスター・ホームズ」
「魔法を使った犯罪は、どうやって証明するんですか」
部屋がしん、となった。
ダンブルドア一瞬は何を言われたか分からない顔をした。まあ、普通の大人はこの質問を突然されたらそういう顔をする。コナンは慣れている。
トムはすっとコナンを見た。
「なぜ、それを聞くのかね」
「魔法で物を動かせるなら、証拠を残さずにできることが多いと思っただけです。足跡を残さずに物を取る、鍵に触れずに開ける、遠くから紐を結ぶ──そういうことができるなら、普通のやり方では犯人を見つけられない」
トムの目が、かすかに細くなった。
トムはコナンが何を思い出しているか分かっているし、コナンはトムが分かっていることを分かっている。お互い分かっているのに、どちらも口にしない。
うさぎが首を吊った事件。あれは魔法による犯罪だったに違いない。
「魔法にも痕跡は残る」
ダンブルドアが静かに言った。
コナンは息を止めた。
「残るんですか」
「残る。じゃが、それを見るには、魔法を知らねばならん。すべての痕跡が目に見えるとは限らぬからのう」
ある。法則がある。なら追える。
「ホグワーツでは、それも学べますか」
「少なくとも、魔法とは何かを学べる。どう使われ、どう誤用されるかも、いずれ知ることになるじゃろう。ただし、ミスター・ホームズ。魔法を知ることは、魔法を恐れなくなることではない。むしろ、正しく恐れるための入口じゃ」
コナンは頷いた。
次にダンブルドアはトムを見た。
「ミスター・リドル。魔法は、他人を傷つけたり、脅したり、盗んだりするために使うものではない」
トムの顔は変わらなかった。完璧な無表情だった。
「僕はそんなことをしていません」
「そうかね」
ダンブルドアは杖を軽く振った。
次の瞬間、トムのベッドの下にあったはずの古い箱が、まるで見えない手に引っ張られるように院長室の床へ滑り出てきた。
トムの表情はコナンが今まで見たことある中で最も激しく動いた。眉が跳ね上がり、目が見開かれ、口が引き結ばれ、耳の先がみるみる赤くなった。普段の「全てを把握している」オーラが、一瞬で木っ端微塵になった。
「勝手に──」
「勝手に隠していたものを、勝手に見られるのは不愉快かね」
ダンブルドアの声は穏やかだった。ものすごく穏やかだったが、「お見通しじゃよ」という圧が全文字に詰まっていた。
箱の蓋がひとりでに開く。
中には、子供たちの小さな持ち物が入っていた。鈍く光るヨーヨー、古いハーモニカ、色付きの石、欠けたボタン、誰かの写真立ての飾り。
コナンはその箱を見た。存在には気づいていた。ずっと前から気づいていた。トムが時々ベッドの下を確認する動作をしていたし、孤児院の子供たちの持ち物がなくなる事件と、トムの在室時間には明らかな相関があった。
ただ、開けたことはなかった。開けたら絶対に面倒なことになる、という確信があったからだ。その確信は正しかった。
トムがゆっくりとコナンを見た。
「……知ってたの」
「まあな」
「なんで言わなかった」
「お前が面倒なことになるから」
「返しなさい」
ダンブルドアが割って入った。静かで、しかし一切の余地がない声だった。
「すべて、持ち主に。謝罪もすること」
トムは何も言わなかった。耳の先がまだ赤い。
コナンは横からトムを見た。
「トム。返せよ」
トムは少しだけコナンを睨んだ。それから、観念したように箱を閉じた。
「……返します」
「よろしい」
「なお、準備品の買い出しじゃが」
ダンブルドアが入学準備の話に移ると、トムはすかさず言った。
「自分たちで行けます」
コナンは即座に否定する。
「無理だろ」
「できる」
「場所も知らない。金の相場も知らない。店も知らない。魔法界の常識もゼロ。初めての場所で子どもだけの行動は無謀だ」
「君は僕が迷うと思うの?」
「迷う迷わない以前に、ぼったくられる」
「されない」
「トム、俺たち魔法界なんて見たことも聞いたこともないだろう?」
トムは黙った。
「必要なら、わしが二人を案内しようと思っておる。異論はないかね?」
ダンブルドアが割って入った。
「ないです。ありがとうございます」
トムはコナンを見てから丁寧に言った。
ダンブルドアは帰り際、扉の前で二人を振り返った。
「一週間後、迎えに来よう」
「はい」とコナンが答え、トムは黙って頷いた。
その時、ダンブルドアがコナンを見た。
「ミスター・ホームズ。証拠を探す時、狭い範囲で探そうと思うと見えなくなるものじゃよ」
コナンは息を止めた。
トムが隣でこちらを静かに見た。
スノウの事件。ダンブルドアは知らないはずだ。なのに、一メートルも離れていないところを指でつつかれたような気がした。
「……覚えておきます」
「よろしい」
次にダンブルドアはトムを見た。
「ミスター・リドル。ホグワーツでは力の使い方とその責任を学ぶことになる。どちらも、じゃ」
トムは礼儀正しく微笑んだ。完璧な、教科書のような笑顔だった。
「楽しみにしています、先生」
ダンブルドアはその笑顔を見て、ほんの少し目を細めた。それから、特に何も言わず、きらきらした服をひるがえして扉を出た。
あの目は全部バレてる目だ、とコナンは思った。あの老人の前では、二人とも丸裸も同然だ。なのにトムはまだ礼儀正しい顔をしている。どっちが役者なんだか分からない。
廊下に出ると、トムはすぐに言った。
「僕たちは魔法使いだったんだ」
「俺はまだ信じてねえぞ」
そうは言ったものの、ダンブルドアの魔法のタネも仕掛けもコナンには分からなかった。トムはそれを見透かすように小さく笑った。
「でも、他の人とは違うことは気づいていた」
トムは足を止めた。廊下の窓から、灰色の光が差し込んでいる。
「僕は知りたい。自分が何者なのか。この力でどこまでできるのか。僕は何になれるのか」
コナンは黙った。
その答えは子供の夢のようでもあり、もっと大きくて危うい何かの出発点のようでもあった。ついでに言うと、ダンブルドアが「力の責任も学べ」と言ったそばからその話をするのはどうかと思う。
「……魔法を変なことに使うなよ」
「変なこと?」
「人を傷つけるとか、脅すとか、盗むとか」
「君は、ホグワーツでも僕を見張るの?」
トムが聞いた。少しだけ、楽しそうだった。
「必要ならな」
「そう」
トムは満足そうに笑った。
「なら、ホグワーツでも退屈しなさそうだ」
「あのなあ、事件を起こせって言ってるわけじゃないからな? 俺はまだお前のこと疑ってるんだぞ」
「無理じゃない? 君の周りでは、よく事件が起きるから」
トムが肩をすくめた。実際ここ最近ロンドンでは殺人事件が多発している。
「お前がいなければ起きない可能性が高い!」
トムは笑った。
コナンはため息をついた。
魔法にも痕跡は残る。
なら、いつか必ず見つけられる。ビリーのうさぎの事件も。トムが何をしたのかも。
そのためにホグワーツへ行く。
「……行くのは行くけどな」
「当然だよ」
トムは、どこか遠くを見るような目をしていた。孤児院の外。ロンドンの外。マグルの世界の外。
コナンは、その横顔を横目で見た。
同じ学校へ行く。けれど、見ているものはたぶん違う。
ただ、一つだけ同じものがある。
二人とも、あの老人には既にかなりの部分を見透かされている。
それだけは、完全に同じだった。
コナンは孤児院にいる間も色々な事件に遭遇していますが、それはトム関連ではないので割愛します。ホグワーツ在学中に過去の事件を振り返る可能性はあります。