冬木教会の礼拝堂は、凍てつくような静寂に包まれていた。
祭壇の前に立つ男――言峰綺礼は、振り返ることもせず、背後で荒い息を吐く少年に声をかけた。
「――間桐慎二。君に、一つ提案がある」
慎二は肩を震わせ、唇を噛み締めていた。ライダーを失い、魔術師としての矜持も、自尊心も、そのすべてが砕け散る寸前。そのプライドを繋ぎ止めているのは、もはや怒りというより、やり場のない「恐怖」だった。
「提案……? 笑わせるな、僕はもう……!」
「君はまだ、聖杯を諦めてはいないはずだ。違うか?」
言峰がゆっくりと横にどく。その影から、一人の男が静かに歩み出た。
全身を包む藍色のタイトな装束。手には、それ自体が意思を持つかのように禍々しく脈打つ、血の色をした紅い槍。
「よお。お前が俺の新しい雇い主(マスター)か?」
男は、場にそぐわないほど軽薄で、それでいて心臓を素手で掴むような圧倒的な威圧感を持って笑った。
「……サーヴァント……ランサー……?」
「そうだ。彼は以前のマスターを失ってね。代わりの『椅子』を探していたところだ。間桐の魔術師である君なら、彼を使いこなす資格がある」
言峰の声はどこまでも平坦で、底なしの悪意を秘めている。だが、絶望の底にいた慎二にとって、その差し出された手は救いの蜘蛛の糸に見えた。
慎二は男を見上げた。鋭い眼光。しなやかな体躯。
……格が違う。今まで連れていたライダーとは、纏う空気の「熱」が根本的に異なっていた。
「……僕が、こいつのマスター……?」
「不満かよ、坊ちゃん。これでも槍の腕には自信があるんだがな」
ランサーは槍を肩に担ぎ、慎二を値踏みするように見つめた。その瞳には、慎二の臆病さも、虚勢も、すべてを見透かしたような、それでいて不思議と嫌味のない色があった。
慎二は震える手で、懐にある「偽臣の書」を握りしめた。
再び、力が手に入る。自分を蔑んだ連中を見返せる、本物の英雄の力が。
「……いいだろう。使ってやるよ、ランサー」
慎二は精一杯の虚勢を張り、顎を上げて言い放った。
「光栄に思え。お前を僕のサーヴァントにしてあげる。……あいつら全員、叩き潰してやるんだ」
ランサーは一瞬、呆れたように眉を上げたが、すぐに口角を吊り上げた。
「へっ……威勢だけは一人前だ。いいぜ、契約成立だ。その代わり、使い方は荒いから覚悟しなよ、マスター?」
ステンドグラスから差し込む月光が、歪な主従の影を床に長く伸ばした。
それが、慎二にとっての地獄の始まりであり――彼が初めて「兄」と呼べる存在に出会った、運命の瞬間だった。