月が冷たく凍てつく夜、二人の前に現れたのは、黄金の甲冑を纏った「人類最古の王」だった。
彼が背後に展開した無数の宝具の輝きは、それだけで夜を昼に変え、同時に死の予感で辺りの空気を押し潰していた。
「……慎二。ここからは、俺一人でやる」
ランサーが槍を低く構え、慎二を一歩下がらせた。その声はこれまでにないほど低く、重い。
「な、何を言ってるんだよ! 二人で戦ったほうが勝てるに決まってるだろ! 僕が指示を出して、ライダーだってまだ……!」
慎二は必死に食い下がった。だが、その声はガタガタと震え、目はギルガメッシュの背後に浮かぶ剣の群れから逸らすことができない。一人になるのが怖い。この最強の兄貴がいなくなった瞬間に、自分が消えてしまうのが怖くてたまらないのだ。
「いいから聞け。こいつとの戦いは派手になる。……余波だけでお前なんて木っ端微塵だ。邪魔なんだよ、さっさと失せろ!」
「邪魔……? 僕はお前のマスターだぞ! お前をここまで勝たせてきたのは誰だと思ってるんだ! 僕が必要ないなんて、そんなの……っ」
慎二のプライドが、悲鳴を上げながら言葉を紡ぐ。しかし、ランサーは振り返りもしない。
「――慎二!」
ランサーの怒号が、夜の森を震わせた。
「お前はもう、俺がいなくても走れるはずだ。……だから今は逃げろ。俺が『来い』って言うまで、ひたすら遠くへな!」
「あ……」
その瞳に宿る、逃れようのない決意。慎二は悟った。これは「作戦」ではない。自分を生かすための、ランサーの「最後のわがまま」なのだと。
ギルガメッシュが嘲笑うように指を鳴らし、宝具が一本、慎二の足元に突き刺さる。
その衝撃と、金属が地面を削る嫌な音が、慎二の理性を粉々に砕いた。
「っ、う、うわあああああああ!」
慎二は情けない悲鳴を上げ、ランサーに背を向けた。
あの日、「置いていくな」と叫んだ公園の帰り道とは逆だった。今は、自分がランサーを置いて、闇の広がる森の中へとがむしゃらに駆け出していた。
枝が顔を打ち、足元の根に躓いても、慎二は止まらなかった。
背後から響き始める、これまでに聞いたこともないような激しい金属の衝突音。空を裂くような轟音。
慎二は耳を塞ぎ、ただひたすらに、兄貴から遠ざかるために走り続けた。
どれくらい走っただろうか。慎二は森の奥深く、苔むした巨大な岩の陰に滑り込み、膝を抱えてうずくまった。
背後からは、いまだに地を震わせるような戦闘音が響いてくる。だが、今の慎二にとって、その音さえも自分を追い立てる化け物の声にしか聞こえなかった。
「はあ、はあ……っ。……なんだよ、なんなんだよこれ……」
暗闇は、慎二の心にある不安を際限なく膨らませていく。
もし、ライダーがもう自分を見限っていたら? 彼女は桜のサーヴァントだ。ランサーがいなくなった今、無能な僕を守る理由なんて彼女にはない。どこかで僕が死ぬのを待っているんじゃないか?
もし、まだ生き残っているバーサーカーが、この孤独な僕を見つけたら? あんな化け物に狙われたら、僕なんて虫けらみたいに踏み潰されて終わるんだ。
「……助けて……ランサー……兄貴……」
無意識にこぼれたのは、自分を突き放した男の名前だった。
あんなに「僕の駒だ」と威張っていたのに、いざ一人になれば、自分は何もできないただの子供だという事実に直面する。
臓硯の嘲笑が頭の中に響く。『紛い物』『出来損ない』。
ああ、そうだ。僕は紛い物だ。最強のサーヴァントを従えて、キャスターやアーチャー、セイバーを倒して、最高の魔術師になったつもりでいたけれど。それは全部、あの兄貴が隣にいてくれたから見られた「夢」だったんだ。
「う、ぅ……あ、ああああ……っ!」
慎二は岩に頭を押し付け、声を殺して泣いた。
情けない。かっこ悪い。
でも、一番怖いのは、死ぬことじゃない。
このまま、誰にも看取られず、誰にも認められず、暗い森の中で「いなかったこと」にされるのが、死ぬほど怖かった。
その時。
遠くで響いていた轟音が、ふっと途絶えた。
静寂が森を支配する。それが何を意味するのか、慎二には分かっていた。
「……っ」
慎二は震える足で立ち上がった。
逃げなきゃいけない。でも、足は勝手に、自分が逃げてきた「光と轟音の場所」へと向かっていた。
自分を助けてくれるのは、叱ってくれるのは、あの男しかいない。
鼻水を垂らし、涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、慎二は再び夜の森を駆け出した。