消えゆくランサーの体が、朝霧のように淡く光り始める。
慎二は、その透き通った腕を必死に掴もうとして、何度も指が空を切るのを泣きながら繰り返していた。
「……なあ、慎二。俺はな、お前みたいに、いいとこのお坊ちゃんだったんだ」
唐突に始まった昔話に、慎二はしゃくり上げながらも耳を澄ませた。
「嘘だ……。お前みたいな野蛮な奴が、そんなわけないだろ……」
「ははっ、本当さ。だが、何もかも持ってるってのが、どうにも退屈でよ。自分に用意された椅子に座り続けるのが、死ぬほど窮屈だった。だから、地位も名誉も全部捨てて旅に出たんだ」
ランサーは、遠い空を見るような目で語り続ける。
「そこで騎士になった。俺がいた騎士団はよ、騎士なんて名ばかりの、ならず者たちの集まりだった。毎日が喧嘩と酒と、命のやり取りだ。……だが、最高に楽しかったぜ。あの場所には、誰かに決められた役割なんて一つもなかったからな」
「げほっ、……っ」
ランサーが激しく血を吐いた。慎二は慌ててその体を支えようとするが、もはや手のひらは彼を通り抜けてしまう。
「……つまり、俺が言いたいのはよ。お前も、自分が『楽しい』とか『目立ちたい』とか、そんな単純な理由で動いたっていいんじゃねえのか? ってことだ」
ランサーの残された片目が、慎二の瞳を真っ直ぐに射抜く。
「あの悪霊みたいなジジイ一人に認められる。それが、お前の人生の全てなのかよ? ……あんな干からびた価値観に、お前の全部を預けてやる必要なんてねえんだぜ」
「……あ……」
慎二の喉が震えた。
自分を縛り付けていた、間桐という名の重い鎖。それを、この男は「つまらない」と一蹴した。
「目立ちたいなら、もっとデカい場所で目立て。あんな薄暗い家の中じゃなくてよ。……お前は、俺の投げたボールを捕れるまでになったんだ。なら、どこまでだって走れるはずだぜ」
ランサーの体が、急激に光の粒へと変わっていく。
「……あ、……行くな、兄貴……! 置いていかないでくれ……っ!」
「……行けよ、慎二。お前の『楽しい旅』は、これからだろ」
最後に、大きな手が慎二の頭を優しく叩いた気がした。
次の瞬間、慎二の腕の中にあった重みは完全に消え、そこにはただ、夜明け前の冷たい空気だけが残されていた。
慎二は一人、静まり返った戦場で、声を上げずに泣き続けた。
けれど、その目には、絶望だけではない光が宿っていた。
ランサーが遺した、あまりに自由で、あまりに不謹慎な「昔話」。
それが、慎二の心にあった間桐の闇を、根底から焼き払っていた。