慎二が情けない悲鳴を上げて逃げ去った後。
静まり返った廊下で、ランサーが小さく鼻を鳴らした。
「……ケッ。少しは骨があると思ったが、あんなもんか」
立ち去ろうとするランサーの背中に、冷ややかな、刃物のような声が突き刺さる。
「……軽はずみな真似を。余計なことをしてくれましたね」
闇の中から音もなく姿を現したのは、ライダーだった。その視線はランサーを射抜くように鋭く、隠しきれない怒りが滲んでいる。
「あ? なんだよ、アイツの肩を持つのか? お前も見てただろ、あの不細工な……」
「彼のプライドなど、私にはどうでもいい」
ライダーはランサーの言葉を冷たく遮り、床に座り込む桜の傍らへと歩み寄った。彼女の肩を抱き寄せ、その安否を確認する手つきには、慈愛に似た執着がある。
「私が案じているのは桜です。……あなたは彼を叱り、自尊心を粉々に砕いた。その鬱憤は、どこへ向かうと思いますか? 彼は増幅した劣等感を、また別の、より弱い形(もの)で晴らそうとするでしょう」
ライダーの言葉に、ランサーは足を止めた。
慎二のような人間は、強い者に圧し折られれば、その怒りをさらに弱い者へ、より陰湿な形でぶつけてバランスを取ろうとする。
「あの男が次に何を仕でかすか。……それが桜をさらに傷つけることになれば、私はあなたを許さない」
「……なるほどな。そいつは俺の落ち度だ」
ランサーは短く認め、頭を掻いた。
自分の「美学」を優先した結果、一番守られるべき者へのリスクを増やした。その事実は、戦士としての彼にとっても甘んじて受けるべき非難だった。
「だがよ、ライダー。ただ見守るだけで、何かが変わるのか? お前はそうやって、桜の嬢ちゃんと一緒にあの男の『膿』を全部引き受け続けるつもりかよ」
「……それが私の役割です。私は、桜を守るためだけにここにいるのですから」
ライダーは桜を庇うように立ち、ランサーを見据えた。
ランサーはそれ以上何も言わず、槍を担ぎ直してメドゥーサの横を通り過ぎる。
「……ま、お前にしかできない忍耐ってのはあるんだろうな。だが、お前が嬢ちゃんの『盾』なら、俺はあいつの『檻』くらいにはなってやるよ。……次にあいつが嬢ちゃんに手を出そうとしたら、俺がその手ごと叩き潰してやる。文句ねえだろ?」
立ち止まらずに去っていくランサーの背中に、ライダーは沈黙で答えた。
ランサーのやり方は危うい。けれど、今の言葉には、慎二を御するという決意が宿っていた。
「……お手並み拝見、と言っておきましょうか。ランサー」
一人残された廊下で、ライダーは暗い情念を秘めたまま、桜の震える手を静かに握り直した。