冬木の廃倉庫街。冷たい夜風が、慎二の背筋を撫でる。
慎二は必死に足を動かしていた。肩を震わせ、何度も後ろを振り返り、無様に石に躓きながら。
「ひ、ひいっ……! どこだ、どこにいるんだよ……っ!」
暗闇のどこからか、自分を狙い定める「眼」がある。アーチャー――赤い外套を纏ったあの男が放つ威圧感は、慎二が今まで感じたことのないほど重苦しく、死そのもののように鋭かった。
自分は今、本物の戦場にいる。少しでも足が止まれば、心臓を矢で貫かれる。その恐怖は、慎二の喉をカラカラに干上がらせた。
「――そこまでだ、間桐の少年」
上空から、低く冷徹な声が降ってきた。
慎二が顔を上げると、倉庫の屋根の上に、弓を構えたアーチャーが立っていた。月の光を背負ったその姿は、あまりに強大で、絶望的な格差を感じさせる。
「逃げ惑うだけか。期待はしていなかったが……せめて最期くらいは、魔術師らしく振る舞いたまえ」
アーチャーが冷酷に指を離そうとした、その刹那だった。
「――詰めが甘えんだよ、弓兵(アーチャー)ッ!」
絶叫に近い咆哮と共に、影の中から「青い閃光」が爆発した。
ランサーだ。彼は地面を蹴り、重力すら無視した速度で垂直に壁を駆け上がると、回避行動すら許さない神速で紅い槍を突き出した。
「なっ、ランサー……!? 伏兵か……!」
アーチャーが驚愕に目を見開くが、もう遅い。
超至近距離から放たれたランサーの一撃は、アーチャーの防御を紙のように突き破り、その胸を深く貫いた。
ドサッ、という重い音が響き、赤い外套の男が地面に転がり落ちる。
先ほどまで慎二を支配していたあの「重苦しい死の気配」が、一瞬で霧散していった。
しん、と静まり返る夜の空気。
慎二は腰を抜かしたまま、激しく上下する肩を抑え、目の前の光景を凝視した。
「……た、倒した……? あのアーチャーを……僕が?」
一拍おいて、脳内に強烈なドーパミンが駆け巡った。
さっきまでの死ぬような恐怖が、そのまま100倍の快感に反転する。
「……あはっ。あはははは! 見たか! ざまあみろ! 僕の作戦通りだ!」
慎二は立ち上がり、ボロボロになった服の土を払いながら、倒れたアーチャーに向かって狂ったように笑い声を上げた。
「強い強いって言われてた癖に、僕の『囮』にまんまと引っかかりやがって! 所詮は遠坂のサーヴァントだ、僕の足元にも及ばないんだよ!」
有頂天になり、夜空に向かって拳を突き上げる慎二。
屋根の上から軽やかに飛び降りたランサーは、槍を回して背中に収めると、呆れたように慎二を見つめた。
「おいおい、腰抜かして泣きそうだったのはどこのどいつだよ。……ま、いい逃げっぷりだったぜ、マスター」
「ふ、ふんっ! あれは演技だよ、演技! 完璧に騙されたあいつが馬鹿なんだ!」
慎二は頬を赤らめながら強がった。
ランサーはそれを見て、小さく鼻を鳴らした。この情けないほど現金な少年が、けれど自分を信じて命を懸けたことだけは事実だ。
「さあ、帰るぞ。明日は祝杯だな、慎二」
「当たり前だ! 帰ったら最高のゲームを買いに行かせるからな! ……付いてこいよ、ランサー!」
先を歩き出す慎二の背中は、昨夜よりも少しだけ大きく、そしてどこか晴れやかだった。