ラインハルトが剣を収め、完璧すぎる騎士の貌で一同を振り返る。
「君。……名はレイジといったね。先程の戦い、見事だった。騎士として、礼を言わせてもらいたい」
ラインハルトが誠実に頭を下げると、レイジは不機嫌そうに目を細め、鼻で笑った。
「……礼? あんたがもっと早く来てれば、俺の愛剣が折れることも傷も負うことはなかったんだかな。……ホント、英雄ってのは、どいつもこいつも、遅刻がお家芸かよ」
ラインハルトが困ったように微笑むと、視線をフェルトへと向けた。フェルトは盗んだバッジを握りしめ、逃げ場を探すように身構える。ラインハルトは静かに肩をすくめた。
「本来なら、衛兵として盗みは見逃せないのだけれど……。あいにく、今日の僕は非番でね。友人の頼みを聞きに来た、ただの『ラインハルト』だ。今日だけは、この場での罪を問うつもりはないよ」
その「見逃す」という言葉に、フェルトは一瞬だけ安堵の表情を見せ、バッジを懐に隠そうとした。だが、そこへレイジの低く、地を這うような声が突き刺さる。
「……おい。……そのまま逃げれば、……お前の人生、一生『ドブネズミ』のままだぞ」
「っ、何だよ! 騎士様がいいって言ってんだから、いいだろ!」
「俺がいいとは言ってない。……お前、そんな汚ない金で食う飯が、……本当に美味いと思ているのか?」
「うるせーよ! 貧民街で生きていくには、奪うか奪われるかなんだよッ!」
レイジはため息をつき、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。その瞳には、彼女の境遇への同情など微塵もなく、ただ「歪みを正す」という冷徹な意志だけが宿っている。
「奪わなきゃ生きていけねぇ世界? なら、その世界ごと俺が更生してやる。……だが、その前に……お前自身の、その腐った根性が先だ。……返せよ。……それは、お前の物じゃない。……持ち主が、……死ぬ気で探してたもんだ」
レイジの、有無を言わせぬ静かな圧力。
フェルトは食い縛った奥歯を鳴らし、自分を救ってくれたレイジのボロボロの姿と、必死だったエミリアの顔を交互に見た。やがて、彼女はバツが悪そうに視線を落とし、小さく肩をすくめた。
「……っ、わかったよ。悪かったな、おねーさん」
フェルトは申し訳なさそうに、けれど真っ直ぐにエミリアへバッジを差し出した。
その刹那。
沈黙していた徽章が、呼応するように「カチリ」と微かな光を放った。
「――っ!?」
エミリアが目を見開き、フェルトも己の指先に残る奇妙な感触に硬直する。
そして、その光景を誰よりも鋭く見届けたラインハルトの空気が一変した。
「……! 今のは。すまないレイジ君さっきの言葉は撤回しないといけないみたいだ」
ラインハルトは瞬きする間にフェルトの腕を掴んだ。その瞳には「剣聖」としての冷徹な義務感が宿っている。
「――っ、離せよ、何だよ、急に……!」
「誘拐か、騎士様?。……非番だって抜かした舌の根も乾かないうちに、随分と忙しい正義だな」
レイジの声は低かったが、ラインハルトの腰に帯びた龍剣『レイド』が、鞘の中で微かに震えた。
剣そのものが、目の前の男が放つ異常な覇気に呼応し、警戒を露わにしたのだ。
蔵の中の空気が、爆発寸前の緊張感で爆ぜる。ラインハルトの眼差しにも、隠しきれない緊張が走った。
「……レイジ。私と、やり合うつもりかい?」
レイジは数秒間、ラインハルトを射抜くような視線で見つめていたが、やがてふっと毒気を抜くように目を伏せ、それまで放っていた重圧を霧散させた。
「……馬鹿言え。…今は……お前のその綺麗な面を、……一発殴るのが、精一杯だ」
一触即発の空気が消え、代わりに残ったのは、彼自身の深い疲労感だけだった。
「……連れて行けよ。……だが、勘違いするな。……お前を許したわけじない。……次に会う時は、……お前のその中身ごと、……俺が全部、更生させてやる」
ラインハルトは、一瞬だけ呆然とした後、静かに、けれど深く頷いた。
「更生、か。面白い言葉だ。君との再会を、楽しみにしているよ、レイジ」
ラインハルトはフェルトを抱え、夜風と共に消え去った。
残されたのは、疲れ果てたレイジと、呆然と立ち尽くすエミリアだけだ。
「レイジ。私、どうしたら……」
「……寝るんだよ、今は。……ほら、行くぞ。あんたが『帰る場所』まで送ってやる。……その後、俺を最高に寝心地のいいベッドに案内しろ。……それが、今回の俺への報酬だ」
「ふふ。ええ、そうね。…ありがとう、レイジ。私の……『騎士様』」
「……その呼び方は、更生対象だ。二度と呼ぶなよ」
レイジはぶっきらぼうに歩き出す。左腕の傷がズキリと痛むが、背後をついてくる少女の足音が、不思議と心地よかった。
王都からロズワール邸へ向かう馬車の中。
ガタゴトと揺れる車内には、夜の静寂と、微かな血の匂いが漂っていた。
出血と疲労でレイジは、エミリアの柔らかい膝の上に頭を預け、深い眠りに落ちていた。
「本当、バカなんだから」
エミリアは、自分の膝の上で規則正しい寝息を立てるレイジの横顔を、月光の下で見つめていた。
普段の冷徹な瞳は閉じられ、眉間に寄せられた微かな皺だけが、彼が今も痛みと戦っていることを物語っている。
エミリアは、血で汚れた彼の前髪を、指先でそっと掻き分けた。
自分を守るために盾となった左腕は、パックの魔法で応急処置が施されているが、それでも痛々しい。
「レイジ、あんなにボロボロだったのに……。ラインハルトの前では、あんなに強がっちゃって」
「リア、あんまり顔を近づけすぎだよ。寝てる男の子をじろじろ見るのは、あんまり感心しないなぁ」
宙に浮くパックが、呆れたように、けれどどこか温かい目で見守っている。
「だって、パック。この人、私が『危ない』って言っても全然聞かないし、自分の傷より私の汚れを気にするんだもの。なんだか、放っておけないっていうか」
エミリアの指が、レイジの頬に触れる。
冷え切っていたはずの彼の肌は、今は微かな熱を帯びていた。
「……っ、ふぇ……っ!?」
エミリアの喉から、今まで出したこともないような変な声が漏れた。
レイジの鼻先が、自分の太ももの付け根に近い、最も繊細な部分をくすぐっている。
「……おい、ラヴェンツァ」
レイジが、低く掠れた声で寝言を漏らした。
「……お前、いつから……こんな椅子を用意しはじめた?。……以前の硬い椅子とは、大違いだ……」
「レイジ……? 誰の名前……?」
エミリアが困惑と、ほんの少しの――自分でも気づかないほどの小さな嫉妬――を混じらせて聞き返す。だが、レイジの追及は止まらない。
彼はそのまま、エミリアの膝の肉を指先で無意識に「ぎゅっ」と掴んだ。
「……柔らかすぎて……腰が落ち着かないぞ。……更生が必要なのは、お前のその、……無駄に柔らかい……身体の方か……?」
「――っ!!!」
エミリアの顔が、爆発したかと思うほど真っ赤に染まった。
自分の太ももを掴むレイジの指の力強さと、熱い吐息。
さらに、彼は無意識にその「柔らかさ」を確かめるように、ぐい、と顔を押し付けてくる。
「も、もう! レイジ、何を……っ! どこを触って……!」
「……黙れ。……お前が、……誘ったんだろ……」
レイジは夢の中で、自分を介抱しようとしていたラヴェンツァの腕を掴み、黙らせているつもりだった。だが現実は、銀髪の乙女の膝の上。
揺れる車内、月光に照らされた密室。
エミリアの羞恥が、そして「この人を独り占めしたい」という無意識の独占欲が最高潮に達したその時、レイジの胸元で一枚のカードが鮮烈な輝きを放った。
浮かび上がったのは、母性を湛えた女性が椅子に腰掛ける意匠――アルカナ『女帝(The Empress)』。
それは、レイジという「虚無」が初めて触れた、圧倒的な慈愛と情熱の芽生え。エミリアとの間に、単なる協力者を超えた「深い結びつき」が刻印された証だった。
「リア、これ、ボクが止めたほうがいいのかな? それとも、そのまま
「もう! パックは黙ってて! ……あぅ、レイジ……そんなに、強く掴まないで……っ」
エミリアは羞恥で身をよじらせながらも、彼の背中に回した手だけは、どうしても離すことができなかった。
レイジの指が食い込むたびに、彼女の心の中に「ラヴェンツァ」という名前への対抗心と、彼に対する言いようのない情熱が、静かに、けれど確実に芽生えていく。
「……更生してあげるわよ、レイジ。……私が、ちゃんと……」
エミリアは真っ赤な顔のまま、眠る少年の頭を抱きしめるように力を込めた。
暗い馬車の中、新たに灯った『女帝』の光だけが、二人の歪で熱い関係の始まりを静かに祝福していた。
廃劇場の静寂は、現実の馬車の揺れとは対極にある。
レイジは、埃の積もった観客席に深く沈み込み、折れて青い光を失った『天羽々斬』を足元に転がしたまま、重い溜息をついた。
「……さっきから拳が震えてるぞ、ラヴェンツァ」
レイジの皮肉に、ラヴェンツァは答えなかった。彼女はステージの中央で立ち尽くし、俯いたまま、蒼い司書服の裾を白くなるほど強く握りしめている。
「……怖かったのです」
ポツリと、絞り出すような声が劇場の闇に溶けた。
ラヴェンツァはゆっくりと顔を上げた。その黄金の瞳には、管理者としての威厳など微塵もなく、ただ一人の少女としての「切実な恐怖」が溢れていた。
「貴方の鼓動が弱まるたびに、この劇場が砂のように崩れていく……。貴方が『もういい、疲れた』と、そう言って消えてしまうのではないかと……。私を一人、この閉ざされた空間に残して、貴方だけが死んでしまうことになってしまうのではないかと……!」
彼女はステージから飛び降り、レイジの元へ駆け寄ると、その両手で彼の頬を包み込んだ。冷たい指先。だが、そこに込められた力は、レイジをどこへも行かせないという強固な意志だった。
「俺を買い被りすぎだ。俺はそんな、潔い男じゃないぞ」
「いいえ、貴方は自分を犠牲にすることに慣れすぎている! だから、この世界で貴方を呼ぶ声が聞こえた時……貴方を引き止める『鎖(コミュ)』が生まれた時、私は……。私は、心の底から救われたと思ったのです」
ラヴェンツァは、レイジの胸に額を預けた。
そこで彼女は、現実世界から流れ込んでくる「エミリアの心音」と「膝の温もり」を、パスを通じてダイレクトに感じ取ってしまう。
「……けれど、悔しいのです。……あの子の温もりに触れて、貴方の魂が安らいでいくのが分かってしまうから」
彼女はレイジの胸ぐらを、今度は少しだけ乱暴に「ぎゅっ」と掴み、上目遣いで彼を睨んだ。その瞳には、安堵と嫉妬がぐちゃぐちゃに混ざった、複雑で可愛らしい色が宿っている。
「一人にならなくて済むのは嬉しい……。あの子が貴方を繋ぎ止めてくれるのは、感謝している……。でも! 管理者の私より先に、外の女の子が貴方をそんなに骨抜きにするなんて、……規律違反です。私の許可なく、そんなに心地よさそうにしないでください」
「…それはもうただの我儘だろ」
「我儘で結構です! ……いいですか、レイジ。貴方が誰と絆を結ぼうと、私は止めません。それは貴方の『更生』に必要な資材ですから。……ですが、忘れないでください」
ラヴェンツァはレイジの耳元に顔を寄せ、その唇を触れるか触れないかの距離まで近づけた。
「……貴方の魂の深淵に触れ、その醜さも弱さも、すべてを等しく記録し続けるのは私だけです。外の温もりで満足して、ここへの報告を疎かにしたら……その時は、本当にこの椅子を剣山に変えて、無理やり座らせますからね」
彼女は最後に、自分でも制御できないほど真っ赤になった顔を隠すように、レイジの胸をドンと押した。
「……さあ、行きなさい! 貴方の『新しい牢獄』が目の前です。……目覚めたら、少しは私の心配も……その、しなさい……馬鹿」
最後の一言は、消え入りそうなほど小さな、けれど確かな甘さを孕んでいた。
ベルベットルームから意識が浮上するその寸前、世界が反転する。
ラヴェンツァの青い光が届かぬほど深い、底なしの暗闇。
そこは、よりもさらに深層に位置する、「愛」という名の虚無。
影の中から、一人の女性が浮かび上がりる。
銀の髪、紫紺の瞳。それは、現実世界でレイジを膝枕しているエミリアと生き写し。
『嫉妬の魔女サテラ』
精神の深淵、サテラの狂おしい激情が渦巻く暗闇の中で、レイジは至近距離にある彼女の瞳を真っ向から見据えた。
鼓膜を突き破らんばかりに繰り返される「愛してる」の絶叫。
だが、レイジは耳を塞ぐことも、顔をしかめることもない。ただ、気だるげに、そして酷く落ち着いた動作で、彼女の銀髪を指に絡めながら呟いた。
「――おい。そんなに叫ばなくても、聞こえてる。……少しは静かにしろ」
その低く、温度のない声は、不思議と荒れ狂う影の嵐を凪がせた。
「愛してる、愛してる愛してる……!」
「しつこい女は嫌われるぞ。……お前のそのデカすぎる声のせいで、大事な言葉が安っぽく聞こえる。……だろ?」
レイジはダウナーな口調のまま、彼女の頭をゆっくりと撫で、その華奢な肩を自分の方へと引き寄せた。
「俺は肯定するよ。お前のその重苦しい感情も、これまで誰も受け取らなかった歪な愛も、全部だ。……だから、もう叫ぶな」
「……ぁ……あぁ……っ」
サテラの叫びが、ふっと消えた。
代わりに漏れたのは、長い年月を経て初めて自分の「存在」を真っ向から肯定された者の、震えるような吐息。
彼女の影が、救いを見つけた子供のようにレイジの胸に沈み込んでいく。
その瞬間、彼女のどろりとした魔力がレイジを塗り潰そうとしたが、魂の底で眠る『天羽々斬』が鋭く鳴り、その侵食を瞬時に一閃した。
残ったのは、魂の縁に微かにこびりついた、どこか儚い残り香だけ。
軽い補足
ラヴェンツァの感情が豊かだと思いますが、P5とは別世界・別次元のラヴェンツァだと思ってください。ではなんでラヴェンツァを出したかは単純に作者が好きだからです。
ちなみにサテラをヒロインっぽく書きましたが、どうするかは無計画です。
まじでどうしよ.....