ダンターグと子供と子ムーの心温まる話

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第1話

 洞窟の空気は使い古された墓石のように冷え切っていた。

 俺の肺を満たすのは、湿った土の匂いと、幾千ものモンスターが流した血の残滓だ。

 

 今日も収穫は悪くなかった。獣形のヌエとトウテツを数体、俺の肉体に吸収した。細胞が軋み、筋肉が鋼の密度を増していくのがわかる。それが俺の生きる意味だ。

 

 視界の端を、ロビンハットとラルヴァクィーンが横切った。

 だが、俺は奴らを無視した。ロビンハットを吸収して、耳の長い愛くるしいウサギになるつもりはない。それは俺の美学に反する。

 ましてやラルヴァクィーンなどは論外だ。あれを吸収すれば、俺の肉体はワグナスのように女体化の迷宮へ足を踏み入れることになる。あいにく俺にTSという名の趣味はない。

 

 俺の肉体は、この洞窟でモンスターを吸収し続けている間に奇妙な変遷を遂げてきた。

 最初は、下半身だけが獣になった。

 次は、巨大な角が頭部を支配した。

 その次は、肩から角が生え揃う代わりに両腕が霧のように消滅した。あの時は柄にもなく焦燥を感じたものだ。

 幸い、いまの俺には屈強な両腕があり、槍と盾を装備している。

 

「さて、本日の吸収は終了だ」

 

 俺は独りごち、寝床へと向かった。

 だが、そこには先客がいた。暗がりから聞こえてくるのは、新種のモンスターの咆哮――とは程遠い、安っぽい笛のような鳴き声だ。

 

 俺は寝床の暗がりを覗き込んだ。そこにいたのは、一人の人間の子供と、ベージュ色の長い毛に覆われた子ムーだった。

 俺を見上げる彼らの瞳には、純粋な恐怖が張り付いていた。

 

「安心しろ。弱い者には興味はない」

 

 俺は短く告げると、その場で直立したまま目を閉じた。

 半人半獣のこの体になってから、俺は横になるという贅沢を捨てた。

 最初に下半身が獣になった朝、不用意に寝そべった俺を待っていたのは、起き上がるのに半日を費やすという無様な喜劇だった。

 それ以来、俺は一本の古木のように立ったまま眠ることにしている。

 

「あの……」

 

 子供の声が静寂を破った。

 俺は舌打ちした。安物の酒を喉に流し込んだ後のような、不快な刺激が脳を走る。

 

「何だ、坊主」

「モンスターって人間を襲って食べちゃうんだと思ってたけど……おじさんは違うの?」

 

 おじさん……だと?

 その言葉は、どんな強力な武器よりも鋭く俺の胸を突いた。

 自分が何歳かなど、もう数えてはいない。ナゼール地方でモンスターを啜り続けて何年が過ぎただろうか。下手をすれば数千年は経っているかもしれない。

 短命種から見れば、俺はジジイを通り越して、生きた化石か何かに見えるのだろう。

 

「俺はモンスターではない。古代人だ。それに、貴様のような短命種にはかけらも興味はない」

「こだいじん? たんめいしゅ?」

 

 俺は深い溜息をついた。これだから子供は苦手だ。

 

「わからんのか」

 

 子供はこくりと頷いた。そのせいで、俺は場違いな講義を始める羽目になった。

 

「古代人というのはだな、貴様ら短命種の人間と違って永遠に生きることができる人間のことだ。短命種というのは、貴様らのようにせいぜい数十年か百年程度で寿命を迎える人間のことだ」

「そうなんだ。なんで古代人はずっと生きることができるの?」

「同化の法を使用するからだ」

「どうかのほう?」

「肉体が滅びる前に、別の肉体に魂を移す術だ」

「えっ、そんなすごい術を使えるんだ! でも、別の人の体に自分の魂を入れると、魂を入れられたほうの人の魂はどうなっちゃうの?」

 

 質問の雨だ。俺はイライラを抑えながら、この「魂の椅子取りゲーム」のルールを解説した。

 

「消滅するわけではない。移ってきた魂と混じり合って一体化する」

「それじゃあ、二人の記憶が混ざる感じなの?」

「そういうことだ」

「そうなんだ! 古代人ってすごいんだね」

「ようやくわかったか。では、俺は少し眠る」

 

 眠りにつこうとした数秒後、再び声がした。

 

「ねえ、おじさん。立ったまま眠るの?」

「ああ。この体では横になれんのだ」

「そうなんだ……。不便だね」

 

 不便。確かにそうだ。だが、力には代償が伴う。

 ようやく静寂が訪れた。しかし、今度は尻尾の先に妙なむず痒さを感じた。

 目を開け、背後を振り返る。そこには、俺の尻尾を珍しい玩具のようにいじくり回す子供の姿があった。

 

「こら、何をしている! その手を離さんと踏み潰すぞ!」

 

 俺の咆哮に、子供は「わわわ! ごめんなさーい!」と悲鳴を上げ、子ムーと共に暗がりへ逃げ込んだ。

 まったく、安眠という言葉はこの洞窟から消えてしまったようだ。俺は尻尾を一振りし、重い足取りで寝床を離れた。

 

「おじさん、どこへ行くの?」

 

 子供が不安そうに問いかけ、子ムーが追奏のように鳴く。

 

「ちょっとその辺を散歩してくるだけだ」

「どうして?」

「モンスターを吸収するためだ」

 

 子供の目が丸くなった。

 

「ええっ!? おじさん、そんなことできるの?」

「ああ。それでこの体になったというわけだ」

「えっ? じゃあ、おじさんは元は人間みたいな体だったの?」

「人間みたいなというか、人間だな」

「そっか。人間の体だった頃のおじさんを見てみたかったなあ」

 

 子供の顔に、淡い寂しさが浮かんだ気がした。

 

「いままで吸収したモンスターと同じくらいの数の人間を吸収すれば、また人間の体に戻れるかもな」

 

 俺が自虐的なジョークを口にすると、子供の顔から血の気が失せた。

 

「ぼ、僕を吸収しないでね!」

「誰がするか。弱い者には興味はないと言っただろう」

「あ……そう言ってたよね。じゃあ、気をつけて行ってきてね!」

 

 子供は太陽のような笑顔を浮かべて手を振った。

 

「ああ」

 

 俺は短く応じ、闇の中へと消えた。

 背後で振られる小さな手が、長きに渡り染み付いた孤独を、ほんの少しだけ和らげたような気がした。

 だが、それは気のせいだろう。俺は強さを求めるだけの獣なのだから。

 

 

 洞窟内の空気は、相変わらず剃刀の刃のように冷たい。

 俺はルーチンワークをこなすように、ヌエやトウテツを数体、力ずくでねじ伏せて吸収した。

 満たされない渇きを抱えたまま寝床へ戻ると、そこには招かれざる客がいた。

 

 ゴールドバウムだ。

 

 その下劣な黄金の肉体が、洞窟の奥へと侵入しようとしている。その奥では、子供が子ムーを壊れ物のように抱きしめ、震えていた。

 

 俺は無言で槍を構え、迷いなく突き出した。

 肉を貫く感触はない。ただ、厚いゼリーを突き破るような不快な抵抗があるだけだ。

 俺は槍でその黄金を滅多刺しにした。飛び散る粘液はシャンパン色に輝いているが、臭いは死そのものだ。

 やがて内臓のような核がドロリと流れ出し、地面の上で数回、断末魔の脈を打って動かなくなった。

 

 子供は目を背け、歯の根も合わない様子でがたがたと震えている。

 俺は槍の穂先に引っ掛けた核を、ゴミを捨てるように暗がりに放り投げた。

 

「おい、坊主。大丈夫か?」

「うん……。ありがとう、おじさん」

 

 俺は眉間に皺を寄せた。

 

「おじさんと呼ぶのはやめろ。俺はダンターグだ」

 

 子供の瞳に新たな衝撃が走った。

 

「ダンターグ!? あの七英雄の?」

「いかにも」

「わあ、すごーい! ね、ね、言い伝え通り、世界を救ってくれるの?」

 

 救世主、か。

 その言葉は、この洞窟の湿気よりも俺には縁遠い。

 

「俺が世界を救うだと? 誰だ、そんなことを言った奴は。俺は己を強化することと、強い者と戦うことにしか興味はない」

「そうなんだ……。他の英雄たちはいまどうしてるの?」

「知らん。奴らがどうしていようが興味はない」

 

 子供は、偽物の宝石を掴まされた客のような疑いの眼差しを俺に向けた。

 

「……本当に七英雄の一人なの?」

「信じる信じないは貴様の勝手だ。貴様がどう思おうが、俺は興味はない」

「興味のないことばっかだね。生きてて楽しいの?」

 

 その質問は、不意打ちの一撃のように俺の思考を止めた。

 楽しい――そんな形容詞を最後に使ったのはいつだったか。

 ナゼール地方の洞窟を転々としている間、俺はただ同化の法を使い続け、強さという名の階段を上り続けてきた。

 だが、その階段の先に何があるのか。それが楽しいのかと問われれば、答えは闇の中だ。

 

 俺は問いを投げ返した。

 

「貴様は何が楽しくて生きているのだ?」

「僕はねー、友達と外で遊ぶのと、子供のムーをもふもふするのと、家族と一緒に美味しいごはんを食べるのが楽しいよ」

 

 あまりに単純で、あまりに眩しい。俺が忘れてきた、あるいは最初から持っていなかった人生の断片がそこにあった。

 

「そうか……。どんな遊びが好きなのだ?」

「雪合戦と、雪だるま作りかな」

「雪遊びか。俺はやったことがないな」

「そうなんだ。楽しいよ。今度一緒にやろうよ」

 

 無邪気な誘いだった。だが、俺は自分の巨躯を見下ろし、首を振った。

 

「断る」

「えーっ、なんで?」

「この体で雪を集めたり丸めたりするのは難儀なのでな」

「そっか。確かに大変そうだよね」

 

 俺は、彼の言う「楽しみ」の続きを掘り下げた。

 

「美味い飯を食うのが好きだと言っていたが、どんなものが好きなのだ?」

「ムーのお肉がいっぱい入ったシチュー!」

 

 隣で子ムーが、複雑な心境(を抱いているかは不明だが)で鳴いた。この残酷なまでの純真さは、どんなモンスターよりも恐ろしい。

 

「そ、そうか……。温かくて美味いんだろうな」

「うん、とっても美味しいよ! 僕の村に来てくれたら、ママがご馳走してくれるよ」

「こんな巨大な半人半獣が貴様の村に行ったら、歓迎されるどころか全力で総攻撃されるだろう」

「大丈夫だよ。僕が一緒にいれば」

 

 子供の隣で、子ムーが保証人のように鳴いた。

 

 俺はしばし洞窟の天井を見上げた。

 永遠とも思えるような引きこもり生活。モンスターを吸収するだけの単調な日々。そんな生活にも、そろそろ飽きがきていたのは事実だ。

 たまには、シチューとやらを味わうのも悪くないかもしれない。

 

「そうだな……。よし、では貴様の村に行こう」

「やったー! ねえ、背中に乗せてくれる?」

「ああ、構わんぞ」

 

 子供は俺の後ろ脚を、岩山でも登るような手つきでよじ登り、俺の背中に跨った。

 

「しっかり捕まっていろよ」

「うん」

 

 子供が掴んだのは、あろうことか俺のふんどしの紐だった。命綱にしてはあまりに頼りなく、そしてあまりにデリケートな場所だが、文句を言うのも野暮というものだ。

 俺は足元で不安げに鳴く子ムーを見下ろした。

 

「こいつはどうするのだ?」

「心配しないで。一緒についてくるから」

「そうか。では行くぞ」

 

 俺は槍を握り直し、洞窟の出口へと歩き出した。久方ぶりの遠征にしては少々騒がしい連れだが、悪くない。

 白銀に覆われたナゼールの雪原を、一人の古代人と、一人の子供、そして食料候補の子ムーが奇妙な足取りで進んでいく。やがて遠くに集落が見えてきた。

 色彩を失っていた俺の人生に、温かなシチューの香りが混じり始めようとしていた。


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