偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版 作:出口豊志朗
幻都にて
大神一郎は、抜き身の二刀をだらりと下げ、慎重に間合いをとった。やや半身に身体をずらし、相手を窺う。
対するは大神を見下ろすほどの上背を、鎧のような筋肉で包む巨漢である。その肌は青銅色で、四角顔の下顎から大きな犬歯が突き出た異相。明らかに人のそれではない。しかし無造作に束ねられた白髪と知性の輝きを宿した目、汚れてはいるが草色の下袴をまとう姿から、上級の降魔と知れた。
「今日は問答無用で襲いかかってこないんだな、氏時」
幻都に封印されて以来、幾度となく戦った上級降魔に大神は油断なく声をかけた。氏時、と呼ばれた降魔は面白くなさそうに鼻を鳴らすと、脇にかろうじて建っている街灯を裏拳で殴りつけた。街灯は根元から倒れ、その先の民家を壁ごと崩した
「大神よ、貴様らはこの結界から自力では出られんのだろう?」
久しぶりに言葉を交わしたかと思うと、核心をついた言葉。意表を突かれて大神は内心で驚いた。氏時は不機嫌そうに息を吐き、言葉を続けた。
「お主らはこの結界から逃げそびれたか、わしら降魔の戦力を削ぐために残された死兵。でなければこのような結界内で、わしらとダラダラ戦い続ける意味がない。うちの知恵袋が、そう申しておる」
「死兵……捨て駒になったつもりはない。だが、俺たち自身の力で結界を解くことが出来ないのは事実だ」
大神はこの珍しい問答を続けるべく、情報を小出しにした。氏時はその言葉を聞いて、長く深いため息をついた。
「わしの楽しみは、お主らを捕まえて結界を破る方法を吐かせることだったというのに……」
苛立たしげに足を地に踏み降ろす。踵からの衝撃で道路がヒビ割れ、左右の民家が震えた。大神自身も体勢を崩さないように注意しながら、改めて氏時に語りかける。
「一度、お互いについて話し合わないか? そちらの知恵袋も交えて。この戦いで得るものがないとわかっただろう?」
その言葉に、しかし氏時は邪悪な笑みを浮かべて答えた。
「わしら降魔は、人間を見ると訳もなく殺したくなる。同じ空気を吸っていると考えるだけで吐き気がする。この問答は馴れ合いではない。ただの、確認だ」
氏時は言うと、両腕に力を込めて妖力をまとわせた。
「捕らえる必要はなくなった。なら、もう遠慮はいらん。わしが飽きるまで必死で抗い、そして、死ね!」
氏時は獣じみた笑みを浮かべ、無造作に束ねた白髪を揺らしながら間合いを詰め、大神めがけて拳を振り降ろす。大神は会話を諦め、応戦した。最小限の動きで拳をかわしつつ間合いができれば斬る。それを繰り返すが氏時の青銅色の肌は鋼のように堅く、断つどころか傷ひとつすらつけられない。氏時の返す拳を、壁際に追い詰められないよう跳んでかわす。
その大神の背後で突然妖力の気配が膨れ上がり、狐の耳を生やした幼女降魔が現れて斬りかかってきた。着地直前の最悪のタイミングで、かわしようがない。狐耳がぴくりと揺れ、幼い顔立ちに似合わない殺気が細い目に宿っていた。が、幼女降魔の短刀は剣撃で弾かれた。大神の背中から、人が半身を現し、手にした日本刀を振るってきたのだ。
「なにそれ! ズルい!」
幼女降魔は頬を膨らませながら、大きく背後に跳んだ。小さな身体が宙でくるりと回り、狐耳と三本の尾だけが遅れて揺れる。大神の背中から姿を現したのは、真宮寺さくらだった。ただその姿はわずかに透けており、表情がない。まるで幽霊のようだ。
「仲間の幻体を身体に潜ませていたのか!」
氏時は意表をついた大神の仕込みに、愉快そうに笑った。
「人間は嫌いだが、お主らの戦いぶりは面白い。そうやって必死で抗い、わしを楽しませてくれ。おい浄心、わしに合わせろ」
「氏時様! 芳春様が今日はお話だけって言ったでしょ!」
氏時の呼びかけに、浄心と呼ばれた幼女降魔は付き合わない。大神はその隙にさくらの幻体を完全に外へ出すと、ふたり並んで刀を向ける。それだけではない。大神の身体からはさらに一体、二体と幻体が現れ、上級降魔を囲むように素早く展開した。カンナ、レニ、グリシーヌ、ロベリアの姿をした幻体は、やはり目に光がない。能面のような顔つきで颯爽と動くちぐはぐさに、操る大神自身が未だに慣れない。
「ほうほう、まだまだ仕込んでおったか」
氏時は身を震わせながら妖力を高めると、背中から新たに二本の腕を生み出した。浄心に構わず、氏時はひとりで戦おうというのだ。その覇気に呼び寄せられたのか、いつのまにか上空から下級降魔たちが集まってくる。
その数体が地上からの攻撃で体勢を崩し、地面にたたきつけられた。
「一郎叔父!」
半壊したビルの上から大河新次郎の声が響く。その背後をサジータ、リカ、ダイアナの幻体が守りつつ、上空の降魔に攻撃を続けていた。新次郎は幻体をその場に残し、抜刀しながら大神の元へ駆けた。浄心はやむなく迫り来る新次郎に向きなおり、三本の狐のごとき尾を伸ばした。先端に妖力を込め、水鉄砲のように放つ。新次郎は二本をかわし、一本を小太刀で弾きながら、見る間に浄心との距離を詰めていく。
そのとき、幻都の黄色がかった憂鬱な空から、幾筋もの光が地上に向かって放たれた。遅れて大気が震え、雷鳴が轟く。その一筋が氏時の背後にあった街灯に落ち、燃やし始めた。
「ほら~、芳春様、怒ってるよ」
浄心が、隙をうかがっている新次郎に神経を集中させつつ、氏時を非難した。
「構うものか!」
それを咎めるように、氏時の四方に稲妻が落ちた。続けざまに浄心と新次郎の間にも、両者を引き離すように一筋落ちる。
「……興が削がれた。浄心、戻るぞ」
「は~い」
降魔たちは構えを解き、ゆっくりと浮かび上がった。大神と新次郎はその姿を、油断なく見上げている。
「氏時、その知恵袋――芳春か? 俺たちは対話を望んでいると伝えてくれ」
「断る」
「まあ、聞こえてると思うけどね~」
不機嫌そうな氏時とは対照的に、浄心は無邪気に言葉を返す。そのまま二体は身を翻すと、幻都中央にそびえ立つ聖魔城へと消えていった。
「一郎叔父、なにかありましたか?」
新次郎は刀を鞘に収めながら、大神のもとまで歩み寄った。
「ああ、少しだが氏時と話が出来た。一度、増上寺に戻ろう」
大神は幻都で拠点にしている寺の名前を口にすると、周囲で直立したまま動かない幻体にも指示を与えた。新次郎もそれに倣う。ふたりはそのまま、無言で増上寺へと駆けだした。
太正十九年(一九三〇年)、突如として東京湾とその上空に現れた降魔の大軍により、帝都は文字通り火の海と化した。近年の降魔による被害としては桁違いの犠牲者を出し、一時は集団疎開にまで発展したこの戦いは、実に数週間に及んだ。
後に公開された情報によると、万をゆうに超える降魔の襲撃を退けたのは、帝都・巴里・紐育の各国華撃団だった。華撃団は二都作戦を展開、幻都と呼ばれる空間に降魔皇を封印することで帝都を護ったのである。だが、封印そのものを強固なものにするために入り込んだ華撃団は、結果として帝都に戻ってはこなかった。
翌年、世界華撃団連盟(WLOF)なる組織が突如現れ、華撃団の消失を明かした。言うまでもなく、その報は人々に衝撃を与えた。
当時、作戦を主導した対降魔防衛の中心的組織である賢人機関に対する責任追及、情報隠蔽への糾弾などの批判が燎原の火のごとく世間に広がった。その勢いのままに賢人機関は解体され、WLOFへと改組されるという事態にまで発展した。それは時代の転換期であった。
この物語は、降魔大戦と二都作戦の真実、そして幻都に封印された者たち、帝都に残された者たちの十年に及ぶ戦いの軌跡を明らかにするものである。
その結末には、ハッピーエンドが約束されている。
正義のために戦い、
愛の御旗のもとに戦い、
悪を滅ぼす礎となる。
そんな彼女たち、そして彼たちに不幸など似合わない。
さあ、物語の幕を上げよう。お楽しみはこれからだ。