偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版 作:出口豊志朗
一
蒸気自家用車の窓から、ラチェットは視界一杯に広がる海岸線を眺めていた。陽光を受けて輝く海を美しいと思う反面、風景ひとつ楽しむ余裕を長い間忘れていたこと思い知る。開け放った窓からは勢いよく風が吹き込み、金色の髪がたなびいている。車は千葉県の九十九里浜を南下した、とある漁村の外れを目指していた。
「レポート、目を通しておいたよ。プラムたちの秘密回線を通じて、あちらとも共有済みだ」
隣で運転していた加山が、遠慮がちに声をかけた。目的地である入り江まではもうすぐだ。車に乗ってからずっと心ここにあらずのラチェットに遠慮していたが、降りてしまえば込み入った話をする機会がない。ラチェットはそんな加山の気遣いを知ってか知らずか、視線で話をうながす。
「あの不思議な力の源が、各国の歌劇団に向けられたファンからの〝愛〟だなんて、ずいぶんロマンチックな話だね」
鶴雲館での戦いを終え、ひとまずラチェットは月組の隠れ家へ連れられた。しかし拠点に辿り着いた途端に彼女は気を失ったかのように眠りに落ちてしまった。目覚めるまでに一日を要したラチェットは、その間に不思議な夢を見ていた。それはホルスが生まれてから散華するまでの、記憶の追体験のようなものだった。その内容をまとめたレポートが、話題の中心となっている。
加山が言葉にした〝愛〟の響きに、ラチェットは笑みを浮かべた。風に任せてなびかせていた髪をまとめながら、窓をゆっくり閉める。手櫛で乱れた髪を整え、加山が口を開くのを待っているようだ。
「――気になっているのは、ホルスが見た歌劇団の公演のことだ。レポートのなかにあった公演には、実際の帝都花組では台本化されたまま公演されなかったもが含まれていた」
加山の疑問に、後部座席で米田と並んで座っていたすみれが重ねる。
「ラチェットがレポートに書いたのは、ほんの一部ですわ。実際には台本どころか、わたくし自身まったく記憶にない公演がいくつもありました」
ホルスの記憶は、すみれにも伝播していた。おそらく、あの不可思議な力と一緒に流れ込んできたのだろう。とはいえラチェットと比べればその量は少なく、像も不明瞭なところが多いようだった。
「意図的に内容を伏せているのは、何故なんだい?」
加山の疑問に答えたのは、まどろみから覚めた米田だった。
「そいつについては、裏のレポートにあんだよ」
「裏?」
「ああ、車に乗る前に受け取ったものだ。これを読んでたから、車に酔っちまった。加山と、他の幹部連中にも後で細かいことは説明するよ。
それで結論だが、裏レポートにはすみれやラチェットがホルスから受け取った力の源に関する仮説があった。もしそれが本当だとすれば、この力はあやうい。霊力と違うこの力を求めて、より大きな世界での戦いを引き起こしかねん。
だから伏せてる、でいいよな? ラチェット」
米田からのご指名に、ラチェットは後部座席を振り返りながら答えた。
「米田総司令のおっしゃるとおりよ。そもそも後出しの報告は仮説段階で、もう少し吟味したいの。最初に渡したレポートは、みんなで共有するのに差し支えない範囲にしたつもりだったのだけど……うかつだったわ。公演していないものもあったのね。大帝国劇場に保管されている台本の目録を参考にして書いたから」
「ホルスの観た公演を確認するために、劇場に保管している台本の目録をよこせ、と言ってきたのね」
「ええ。ホルスの記憶は私自身の記憶と重なる部分が多くて、いまでも切り分けできていないところもあるの。最初から公演の一覧をつくってもらえばよかったわ」
言いながらラチェットが苦笑する。
「じゃあ、レポート中に出てくる『サクラ大戦』という言葉は?」
「それについては俺も聞きたかったんだ。裏レポートから察するに、ラチェットは俺の呟きを〝観た〟のか?」
初耳の加山に対し、米田にとって『サクラ大戦』という言葉には意味があった。
それは大久保長安事件後、米田が大神に帝国華撃団司令の座を譲ったあとのことだ。それまで背負い続けてきたものを肩から降ろした解放感と、一抹の寂しさを感じながら過ごしていた日々。そんななかで桜並木を歩いていたときに吹いた一陣の風が、乙女たちの戦いの日々を称した言葉を米田に伝えてきたような気がしたのだ。
「それが、『サクラ大戦』だ」
その言葉を口にするだけで、米田には胸にこみあげるものがあった。乙女たちの戦い、ひとりひとりの葛藤、それを乗り越える様。楽しいこともあった。二度と取り戻すことのできないものもあった。そうした米田自身がひとくくりにして思い出すべてが、その言葉に凝縮されているのだ。
「その言葉が、この力と私たちを繋ぐ架け橋。すべてを伝えるわけにはいかないけれど――この十年間を共に戦ってきた人たちと、それだけは分かち合いたかったの」
彼女にしてはめずらしい感傷的な言葉に、一同は口をつぐんだ。そうするうちに、車が速度を落とし始めた。目的地が見えてきたのだ。加山の視線の先にはかえでと白秋、そして薔薇組たちの姿が見える。
こうしてドライブは終わりを告げた。一行はこのあと潜水艇に乗り込み、ベースTへ向かうことになる。そう、いよいよ幻都へ乗り込むときを迎えたのだ。
ベースT指令室には、十年前からの初期メンバーが居合わせた。風組やメル・シー、ワンペア、そしてメカニックの中嶋親方、ジャン・レノ、王が並ぶ。いつもならモニター越しのグラン・マ、サニーサイドも、今日ばかりは駆けつけていた。
ふたりはそれぞれベースPとNを指揮して裏・物流網の一端を担いつつ、必要に応じて陸の人間の回収や長距離移動をサポートしていた。そのため一同に会するのは実に二年ぶりとのことだった。米田とかえでは席に着いた顔ぶれを眺めながら、誰一人欠けることなくこの日を迎えたことに感じ入るのだった。
先日の加山に続く、すみれ、薔薇組の来訪でひとしきり盛り上がったところで定刻となった。
米田がまず立ち上がり、深々と礼をする。
「まずは詫びをさせてくれ。いろいろ事情があったとはいえ、長らく単独で動いたこと、申し訳なく思っている。そして、そんな状態でも各々の責務を全うしてくれていたこと、心から感謝している」
再び一礼したのち、米田は腰を下ろした。後を引き継いだかえでが鶴雲館での出来事を話し、探し求めていた能力を手に入れたこと、その能力の解析により『吸い取るくん』強化にめどが立ったことを伝えた。幻都に乗り込むために必要な鍵、帝剣も入手済みであるところまでを話し終えると、参加者から熱気を帯びた拍手が沸き起こった。ラチェットとすみれが、それぞれに思いを巡らせながらうなずいている。
あらためて米田が話の穂を接ぎ、今後の作戦へと移る。
「作戦は七年前に示した大方針の最終段階、通称Z作戦を骨子にしている。まずは風組が操縦する強襲揚陸艦で東京湾上空に移動する。そして、そこで帝剣により幻都の封印を解く。ここで使用する霊力は、これまで集めた神器や宝具を充てる」
そこからはかえでが引き取り、幻都への突入手順、現地での華撃団解放の段取り、脱出の方法までを、中空の立体映像を駆使して説明した。すでに何度も話し合われた内容ということもあって、グラン・マ、サニーサイドからの指摘はない。どちらかといえば、すみれや加山に向けてのものだったのだろう。
かえでの話は終わり、米田は周囲の様子をうかがった。誰も口は挟む様子はない。いつもは軽口を織り交ぜるサニーサイドも、この十年に及ぶ闘いの集大成を前に、思うところがあるようだ。
「なお、Z作戦は闇夜にまぎれて行う。現役の各国華撃団へも、作戦開始時点で公式には行わない。これは、幻都の出現により各都市の魔に属する存在が活性化する可能性を捨てきれず、その防備のため普段通りの体制を敷いてもらうためだ」
と、そこですみれが口をはさんだ。
「まあ、個人的に各国華撃団隊長には、『ちょいと幻都の忘れ物を取りに行くので、よろしく』とはお伝えしましてよ」
その軽口に、一同は笑い声を上げる。米田も苦笑しつつ、話を続ける。
「また帝都上空を監視している各種システムについては、プラムと杏里の電子諜報員としての能力を最大限に発揮してもらい、欺瞞情報で我々の行動を隠し通してほしい」
プラムと杏里が厳しい表情でうなずく。ふたりの能力をもってしても、簡単ではないオーダーなのだろう。
「みんなも気付いたと思うが、この作戦は世間から隠し通した形で始め、終わらせようと考えている。理由は、この十年で国家レベルの資本力、資源力を有した我々の存在自体が明るみになることで、各国を動揺させることを避けたいからだ。ただでさえWLOFの壊滅で世界の軍事バランスが崩れているしな。
以上がZ作戦の全貌だ。ただし作戦が世間に引き起こす余波を、経済的な面ではメルとシーで、資源的な面では風組で事前にシミュレートしておいてくれ。このあとは各戦術単位の部隊に分かれて、詳細を確認してほしい。以上で本会議は終了とする」
米田の言葉が終わるのを待っていたのか、サニーサイドが口を開いた。
「米田総司令、よろしいですか」
米田がうなずく。
「この十年を締めくくる節目となる作戦です。せっかくなのでZ作戦などではなく、正式な作戦名をつけませんか」
その提案に、一同がそれぞれに話をはじめた。真剣に考えるもの、頭を抱えるもの、冗談のような案を話しているものもいるようだ。指令室内部の会話は時に大きく、時に小さくとなかなか収まる気配がない。
「米田司令、提案があります」
しばらくして、ラチェットが声を上げた。司令室が静まり返る。米田は続きを促すようにうなずいた。
「作戦名として『サクラ大戦』を提案します」
発言に対し、しばらく場内は無言であった。そして突如、割れんばかりの拍手が巻き起こった。すでにラチェットから送信されたレポートに目を通した一同は、その言葉にファンとの絆と不思議な昂りを感じていたのだ。かえでは戯れに操作盤をあやつり、文書中のZ作戦の文字をそれに置き換えた。中空のモニターに、大きく『サクラ大戦』の文字が並ぶ。まるで活動写真のタイトルバックのような演出に、拍手や口笛が沸き起こった。
白秋は部屋から出て行こうとするラチェットを捕まえて問いただした。
「なぜホルスの記憶すべてを皆に伝えないんだ?」
ラチェットは眉をひそめながら周囲に聞かれていないか様子をうかがいつつ、白秋を隅に引っ張る。
「幹部では共有済みよ。そこで、しばらくは伏せることに決めたの。この力の本質は問題ないのだけど、その本当の成り立ちを話してしまうと、それが漏れたときに世界中がその力を求めかねないでしょ?
ファンの想いが力になった。そのぐらいの寓話のほうが安全だし……なにより夢があるじゃない」
ラチェットは笑みを浮かべると、白秋の反応を待たずに部屋を出て行った。残された白秋は、いろいろ考えるものだと感心しながら、部屋を見回した。すると、まだ上座に米田とすみれの姿が残っているのが見えた。
米田は立ち上がると隅で座っていたすみれのもとへ歩き、声をかけた。
「帝都の防衛もあるから、すみれには帝劇にいてもらうほうが安心なんだがな」
そう言う本人も翻意できるとも思っていないのだろう。苦笑を浮かべながらの軽い口調だ。
「それをおっしゃるなら、米田さんこそ。敵地に赴くのは無茶ですわ」
すみれは肩をすくめてため息をついた。
「もう何度も話したことでしょう? たとえ無責任だと罵られても構いませんわ。ですが十年前のあの日以来、わたくしはこの日のために生きてきたのです。それに……」
米田が手にしている帝剣にすみれは視線を落とす。
何も言わずに託してくれた持ち主とその仲間たちの姿を思い浮かべると、自然と笑みがこぼれた。
「みんなはきっと、わかってくれていますわ」
米田は一本取られたと言わんばかりに、自分の頭をぺしっと叩き、笑顔を見せた。
二
クラーケンを構成するベースT、P、Nは、房総半島勝浦沖の東三〇キロ付近に集まっていた。三つの巨大な塊は星明りしかない昏い洋上に縦列で浮上した後、低速で互いに接近して大戦艦形態としてドッキングを果たした。設計上は空中での結合を想定していたが断念し、以降は結合状態での運用を放棄していた。が、本作戦において洋上での長距離滑走路が必要と判断されたことから、今回の流れとなった。一大作戦の高揚とは別に、当時設計にあたった者や建造で技術的課題を克服してきた者たちは、十年の時を経て実証された自分たちの成果に快哉を叫んだ。そこには構想者であるサニーサイドの姿もあった。
大戦艦の甲板には特製の滑走路が設えられた。結果的に晴天だったため必要な距離は三割ほどで済み、想定の半分の時間で作業は完了した。滑走路の開始地点には、この日を夢見てジャンと中嶋親方、王が心血を注いで造り上げた、ヘーリオスと名付けられた超高速強襲揚陸艦が鎮座している。
ヘーリオスのタラップの前には突入部隊と、それをバックアップする要員にわかれて並んでいる。
突入部隊は、米田、かえで、ラチェット、すみれ、加山、白秋、かすみ、由里、椿。それを見送るは、グラン・マ、サニーサイド、迫水、メル、シー、プラム、杏里、中嶋親方、ジャン、王、薔薇組たち。
「いってくる。そっちのことは頼むぜ」
「皆さんのご武運をお祈りしています」
「祝賀パーティーの準備をしているので、料理が冷めないうちに戻ってきてください」
米田、グラン・マ、サニーサイドは言葉を交わし、それぞれ作法で敬礼した。背後に控える面々もそれに倣う。米田が動き始めると突入部隊はそれに続き、次々にヘーリオスへと姿を消していく。最後尾にいた加山は扉の手前で振り返り、爽やかな笑顔で手を振った。そして艦内に入り、重い扉を閉めた。
突入部隊はあらかじめ割り当てられた座席に速やかにつく。操艦を担当するかすみ、由里、椿だけがあわただしく卓上を操作し、前方スクリーンの隅々に視線を巡らせている。
本来であれば米田が座る中央の司令席には神器、宝具を身に着けたすみれが座り、手にした帝剣の柄を額につけて装飾品に込められた霊力を、静かに流し込み始めた。
背後に座るかえで、ラチェット、白秋、加山もそれぞれに神器を身に着け、身内を流れ込む霊力を高めては圧縮、高めては圧縮を繰り返し、膨大な力を一瞬で流せるよう準備している。
「進路クリア。オールグリーン。発進準備完了しました」
かすみの声が、狭い艦内に響く。それを合図にすみれは帝剣を鞘から抜き放ち、両手で柄を握って眼前に構える。すべての準備が完了した。米田は最後尾の席から声をあげた。
「これより作戦『サクラ大戦』を発動する。
ヘーリオス、発進!」
長大な滑走路をヘーリオスがすべるように進み、またたく間に離陸した。
ベースTではその様子を、予定航路上にあらかじめ設置しておいたドロドローンで補足している。メインモニターに映る東京湾を中心とした地図の光点は、房総半島をあっという間に横切り、帝都上空に姿を消した幻都を目指して定規で線を引くように真っすぐに進んでいく。
「予定ポイントまで、あと十秒!」
メルの報告に合わせて、メインスクリーン横に上空からヘーリオスを映した映像が流れた。その機体はいつの間にか金色の光をまとっている。その姿はさながら輝く隼のようだった。
「五秒!」
カウントダウンと同時に、ヘーリオスから前方の予定ポイントに、強い波動が射出された。それは瞬時にポイントに接触し、直径十キロに渡る球形不可視の結界を浮かび上がらせた。帝剣の力で、封印された幻都を現出させたのだ。
「三、二、一」
ヘーリオスはそのままそこから減速に転じ、
「ゼロ!」
結界に触れると同時に、その輝きごと姿を消した。
幻都の結界そのものも輪郭を曖昧にさせ、やがてカメラから補足できなくなった。
「ヘーリオスからの通信が途絶しました。帝国防空網に動きは見られません」
「通信網上にも異常な反応はないわ」
ワンペアの報告に、サニーサイドは満足げにうなずいた。
「さあ、みんな、観測班は残して、花見の準備をせよ!」
サニーサイドの陽気な掛け声を聞きながら、プラムは杏里に耳打ちする。
「まさかベースNのドッグに、世界中の花を持ち込んでるって知ったら、ラチェットはなんて言うかしら」
「そりゃあ、お説教が始まるに決まってるでしょ」
ふたりは顔を見合わせて、クスリと笑った。
幻都に突入したヘーリオスは敵方に捕捉されないよう、最短距離で地上へ着陸した。機内に風組三人娘を残し、一行は幻都の一角に降り立つ。降魔大戦直後の帝都そのまま、いや砂埃で霞む様は当時以上の荒廃ぶりだった。上空から出来る限りの情報を得たかったが、視界が悪く遠方まで見通すことはできなかい。いよいよ間近にまで迫っている実感もあって、これまで抑えていた不安がいや増すのをすみれは感じていた。
加山は周囲の状況から位置を割り出すと、当面の目標座標を示した。そのとき、ヘーリオスで周辺をモニタリングしてた由里から通信が届いた。
『ドロドローンの配備にあと十分はかかりそうです。それから皆さんから十一時方向一キロ先、増上寺の辺りに、巨大なスクリーンのようなものが浮かんでいます。こちらからは角度的になにを映しているのかが見えません』
「わかった。情報収集のため、まずはそちらへ向かおう。敵影が見えれば、すぐに声をかけてくれ」
米田の返事に従い、一行は砂にまみれた瓦礫を乗り越えて進み始めた。しばらくすると、上空に傾斜した線が浮かんでいるのが見えた。おそらくスクリーンを真横から見ている状態なのだろう。このまま進んでも表示されている内容が見えないかもしれない。ラチェットは周囲を見回し、少し迂回してスクリーンを正面に臨めるポイントを指さした。
いつ降魔の集団に襲われるかもしれないため、一行の口数は少ない。
徐々にスクリーン面が見え始めるとともに、その辺りから話し声が聞こえてきた。何人かの掛け合いのようだ。言葉までは聞き取れないが、切迫したようなやりとりに感じられる。あせりを感じた加山は、米田に断りを得て背負い、足早に進むことにした。そうしてようやくスクリーンの正面位置に辿り着いたとき、耳に馴染んだ声が聞こえた。
「すでに、希望の光は消え去った!」
二本角をこめかみから生やした人物が大写しにされる。
「暗やみが我々の周囲を満たし、心を覆い尽くし、心の拠り所であった正義は、殺されたのだ!」
一行は、言葉を失う。その二本角こそ見慣れないが、金髪のグラデーションボブ、蒼い瞳、そして何より耳に届く低い声は、マリア・タチバナ以外の何者でもない。
「惡の華よ、ここに咲けぃ!」
フォーカスが全身に移る。紅緋に染め上げた大紋直垂姿のマリアは、日本刀を頭上に突きあげ、鬨の声を上げた。
『皆さん! 十二時の報告から、三体の降魔が近づいています。すごい速度――上級降魔です!』
椿の言葉が終わらぬうちに、一行の背後に雷が落ちたかのような衝撃が続けざまに三度襲い掛かった。慌てて振り返ると、辺りは砂埃で何も見えない。そこから徐々に三体の人影が浮かび上がってきた。
瑠璃紺の打掛をまとった長い黒髪の女性、諸肌を脱ぎ屈強な肉体で威圧する偉丈夫、そして腰巻姿の肩まで髪を伸ばした幼女が並ぶ。いずれも肉体の一部に角や瘤などを晒しており、明らかに人間のそれではない。
「人間の皆さん……ようこそ、幻都へ」
中央の女降魔が、恭しく頭を垂れて話しかけた。
「私の名は芳春。降魔皇……北条氏綱の娘です」
その言葉に衝撃を受ける間もなく、かすみから通信が入る。
『ドロドローンの配置が完了しました。降魔の数を捕捉。その数、およそ三万。ただし、そのすべてが上級降魔です!』
数は想定の範囲内、だが、すべて上級降魔というのは想定外だった。それに加えて華撃団に関する情報がなく、焦りだけが募る。いずれにしても作戦の前提から見直しが必要だった。
「みんな、体制を立て直すぞ。ヘーリオスへ戻れ!」
加山の背の上で、米田が指示する。
「ああ、お待ちください。せっかくなので、この方たちにお会いになっては?」
芳春と名乗る女降魔は、言いながら右手を上にあげて妖力を掌に集中させた。それに呼応するように、米田たちと降魔の間の空間が大きく歪む。
その中から、薄汚い小袖姿の男が現れた。見慣れぬ格好だが、見間違えるはずもない。
それは大神一郎、大河新次郎、その人であった。