偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版   作:出口豊志朗

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第二部 幻都
第八章 二都作戦、その後


    一

 

 物語は二都作戦、華撃団の幻都突入後までさかのぼる。

 

「帝剣をもちて、魔を封じる儀式……北斗七星の陣!

 我、北斗に請い願う……命を汲みて、地に注げ。

 天地再誕、七幻世界を絶つ!」

 帝剣を頭上に掲げたさくらの言葉を合図に、日比谷公園に作り上げた七つの星檀が光で結ばれると、絶界と呼ばれる魔を封じる力が幻都内に吹き荒れた。太陽の如き輝きが四方八方に広がり、幻都全域の降魔という降魔の力を削いでいった。聖魔城を覆っていた黒い靄が晴れ、かつて東京湾で現した威容が江戸城跡から突き出ている。

 さくらはすぐに帝剣を鞘に納めると、前方から迫りくる人型蒸気の上部を狙って勢いよく放り投げた。柄頭の鈴が清涼な音色を響かせる。すると人型蒸気の背後から分銅鎖が放たれ、見事に帝剣を絡めとった。人型蒸気はさくらのすぐ脇を通過し、そのまま上空へと高度を上げる。

「大神さん、帝剣はラチェットさんに託しました!」

 が、その報告への返事がない。そういえば、いつからかひっきりなしにあった通信が途切れている。何度か呼びかけ、耳を澄ませたが、反応がない。通信機器の故障だろうか。

さくらはラチェット操る人型蒸気が雲間に消えるまで視線で追い、そのまま背中から倒れた。北斗七星の陣の反動からか、身体中から力が抜けて立つこともおぼつかなかったのだ。

 不意に、不安が押し寄せてきた。これから幻都にとどまり、若木が生長するまで霊力を流し続けることは怖くない。怖いのはたったふたりで幻都を調査し『吸い取るくん』を阻む原因を取り除く、という大神と新次郎の試みだ。幻体を従えたとしても、どれだけの助けになるか。いずれ光武やスターも動かなくなるだろう。そのとき、大神たちは調査の切り上げを判断するのだろうか。責任感のかたまりのような、しかも猪突猛進の叔父と甥。だれがブレーキをかけてくれるのだろう。自分たちが目覚めたとき、ふたりが、大神がいなくなっていたら……。

「いけない。弱気になってる」

 さくらは目をつむり、懐かしい歌を口ずさんだ。

自分と同じ名前の歌。春、夏、秋、冬と、それぞれの季節で心を和ませてくれるさくらの歌。愛しい人との繋がりを想う歌。歌いながら、わずかに涙がにじんだ。

そうしてゆっくりと歌いきったところで、かすかな地響きが全身を揺らし始めた。その振動は徐々に強さを増していく。首だけを器用に動かすと、白い霊子甲冑、大神の光武が近づくのが見えた。手前で光武は動きを止め、大神が飛び降り、そのままさくらの元まで駆け付ける。

「さくらくん、大丈夫か!」

 大神はさくらの上半身を優しく、力強く抱きおこす。大神はさくらの涙をみて、動揺した。

「みっともないとこ、見せちゃいましたね。大丈夫、北斗七星の陣で、少し疲れただけです」

 強がるさくらを大神は思わず抱きしめた。

「さくらくんは良く頑張った。少しくらい気を緩めたっていいじゃないか」

「そう……ですか? じゃあ、もう少しだけこうして……」

 と、さくらの視界、上空に、突然黄色の光武が姿を現して、着陸した。中からアイリスが出てくる。

「さくら! ズルい!」

 続々と霊子甲冑が集まり、皆が降りてくる。流石に恥ずかしくなったさくらは立ち上がり、大神と距離をとった。

「なんだなんだ? 隊長とさくらがあっちっち~なのか~?」

 続いて降りてきたカンナが、冷やかし気味に言葉をかける。

「あっちっち~って、カンナさんはお子様ですか? アイリスと同じレベルじゃないですか」

 織姫のあおりに、アイリスが「子供じゃないもん!」と反論する。

 そこにコクリコがまざって、大神の足元に抱きつく。

「イチローおつかれさま! ボク、がんばった?」

「コクリコも抜け駆け!」

「いいじゃん少しくらい!」

 それぞれの背後に、ジャンポールと猫と幻影が浮かび上がる。

 そこにマリア、紅蘭、レニ、エリカ、グリシーヌ、ロベリア、花火が加わったことで、異様な気配は霧散した。

 その横では、新次郎を中心に、ジェミニ、サジータ、リカ、ダイアナ、昴が健闘を称えあっている。

「みんな、ここからが踏ん張りどころだ。しかし、まずはここまでの道のりを喜ぼう! いいか、勝利のポーズ!」

『決めっ!』

 上空の『ドロドローン』から、シャッターが降りる音が聞こえ、一同は大笑いだ。

 

「さて、みんな。これから大変な思いをさせることになるが、ここが人類と降魔の戦いの分岐点になる。あらためて、俺に力を貸してくれ」

 大神が皆を前に頭を下げる。

「いつまでたっても貴公は腰が低いな。帝国華撃団の総司令まで登り詰めたというのに」

 グリシーヌの指摘に、大神は苦笑する。

「ところで、サジータたちが引きつけていた上級降魔はどうなったんですか?」

「ああ、多分逃げられた。北斗七星の陣の発動直前に新顔の上級降魔が現れて、戦っていた上級降魔ごと姿を消したんだ。あともう少し引きつけられれば、あんたたちもずいぶん楽になったろうけど」

 新次郎の質問に、サジータが悔し気に答えた。

「さあ、いつまで降魔がおとなしくしているかわかりません。そろそろ詳細を詰めませんか」

 マリアの提案に大神はうなずき、新次郎を促した。

「これから皆さんには、二剣二刀のそれぞれが収められた地下室に入り、各地点の刀と霊的なつながりを持った状態で生体機能を低下させ、仮死状態になっていただきます」

「ちなみに地下室内の時間の流れが霊的に遅められてるから、みんなが特に意識せんでもその状態に移行するはずやで」

 紅蘭がうなずきながら捕捉する。

「分担割りは済んでいるの?」

 マリアの問いかけに答えたのはレニだった。

「昴と一緒に考えておいた。みんなの霊力やチームとしてのバランスを考えて分けてみた」

「つづけてちょうだい」

 レニの提案したチーム編成は、次の通りだった。

 幻都北東、浅草橋付近の光刀無形には、欧州星組である、織姫、昴、レニ。

 幻都北西、牛込にある済松寺の神刀滅却には、巴里花組のエリカ、グリシーヌ、コクリコ、ロベリア、花火。

 幻都南東、月島埋め立て地の霊剣荒鷹には、帝都花組のさくら、マリア、カンナ、紅蘭、アイリス。

 幻都南西、高松宮御用地の神剣白羽鳥には、紐育星組のジェミニ、サジータ、リカ、ダイアナ。

「きれいに分かれているとは思うが……何人かは隊長や大河についてもいいんじゃないのか?」

「いかにお強い殿方ふたりといっても、ここは敵地です。幻体だけでは不安です」

 ロベリアの提案に、恐るおそる花火が乗っかる。しかし昴は首を横に振った。

「霊力自体の総量、相互に補完しあう関係を維持するためには、これが限界だ」

「あんたが言うんなら、そうなんだろうねぇ」

 ロベリアは大人しく引き下がる。誰もが聞きたくても聞きにくいことを、買って出たのだろう。

「大丈夫、あの実を食べたら力モリモリで、降魔なんかバンバン打ち抜けるぞ!」

 一足早く生長が進んでいたリカの若木には果実が実っていたらしい。それを食べたリカの感想が、それだった。

「大神さんや新次郎さんなら、大丈夫です。聖魔城にはミカエルさまも現れたことがあるとか。きっとおふたりを守ってくださいます」

「でもその時にはサタンも出てきたんだろ? 大丈夫かぁ?」

 エリカの能天気なプラス思考を、サジータが混ぜ返した。

「とにかく無理はせず、疲れたら休む、手詰まりになったら私たちと同じように地下室にはいる。それだけ約束してもらえれば、安心なんですが」

 ダイアナらしいアプローチで、大神と新次郎の意思を確認する。

「もちろんです。降魔との闘いの雌雄を決するという使命感はあります。でも一郎叔父が言った通り、この闘いの犠牲者はゼロにしなければなりません。そこには僕も一郎叔父も含まれています」

「ああ、新次郎の言う通りだ。不測の事態は起こるだろうが、これまで俺たちは幾度となく死線を乗り切ってきたんだ。どうか任せてくれ」

 新次郎と大神の決意表明を聞き一同は、不安はあれど認めるしかない。もとより作戦立案の段階で一度は決定したことだ。ここでの会話は、しばらく別れることになることへの寂しさの裏返しでしかない。

「じゃあみんな、先ほどの分担通り各地点へ移動しましょう。地下室に入る前に通信で状況を共有するから、そこで待ってちょうだい」

 マリアが締め、一同の背筋が伸びたところに、紅蘭が付け加えた。

「あと霊子甲冑は入り口付近に並べたらええで。『見えへん弐号』は個々のユニットを二十メートル以内で近づけておけば、勝手に連結していいように隠してくれるさかい。ただ、あんまり範囲を広げると、偶然足を踏み入れられて中身が丸見えになるかもしれんから、適度に狭めてな~」

 紅蘭の語りは、相変わらず皆の緊張をほぐしてくれる。いよいよ新たな作戦の始まりだ。乙女たちは周囲の仲間たちに思い思いに声をかけながら霊子甲冑に搭乗し、目的地へと向かった。大神と新次郎はあえて霊子甲冑には乗らず、四方へ散っていく仲間たちの姿をその眼に焼き付けるようにして見送った。

 

 しばらくすると、大神と新次郎の元へ各地から準備完了の報が届いた。

「これで全員、所定の地下室前に集まったな。では……」

 大神の発言に、ロベリアが割り込んだ。

『ちょっと待ってくれ。少し思いついたことがある』

「続けてくれ」

『セフィロトのメンバーは神宝の力を借りて幻体を出現させただろ。でも星檀メンバーは強い霊力をもつ依り代がなかったから幻体を残せなかったわけだが……』

『なるほど、二剣二刀の力を借りれば我々も幻体を呼び出せるやもしれん』

『おいおいグリシーヌ、結論だけ横からかっさらうなよ』

『ああ、すまぬ。素晴らしいアイデアだったので、おもわず口に出してしまった』

 グリシーヌの飾らない賛辞に、ロベリアが苦虫を嚙み潰したような表情をしているのが目に浮かぶようだ。

「確かに、一人でも多く幻体いてくれると心強い。地下室では時間の流れが遅いから発動までに時間がかかるだろうが、気長に待っているよ」

「では皆さん、二剣二刀への霊力供給、お願いします!」

 各地で声を掛け合うのが聞こえ、やがて途絶えた。

 先ほどまで声はなくても息遣いや独り言、霊子甲冑のかすかな駆動音で満たされていた通信が、静まり返っている。いつも周囲に星組の仲間がいたことを、こうした状況になって新次郎ははじめて意識した。

「新次郎、俺はこれから各セフィロトを回って、幻体を集めてこようと思う」

「それなら僕も……」

「新次郎のスター、異音がしていたな。少し調子が悪いんじゃないか」

 後で整備してから問題があれば報告しよう、と思っていたことを、すでに大神は気づいていたらしい。

「ふたりきりなのに遠慮していたら、お互い神経がもたなくなるぞ。俺とお前は叔父と甥の関係だが、同じ隊長の立場でもある。少しずつでも、遠慮のいらない仲を目指そう」

「はい、一郎叔父!」

 しっかりと甥としてのリアクションをしてしまったが、新次郎は晴れやかな気持ちで大神操る光武が小さくなるのを飽きることなく見ていた。

 

    二

 

 新次郎はスターの整備を終え、大神へ報告する。大神は順調に幻体の回収を進めているものの、幻体のスピードに合わせての移動となるため合流には今しばらくかかる、とのことだった。その間は聖域で待機するのがよかろうと、新次郎はスターに乗り込んで溜池山王付近のセフィロト――ホドに向かった。ホドはダイアナが励起したポイントだが、彼女の幻体は大神が連れて行ったあとで付近には人影はない。

新次郎がここを目指したのには、理由がある。

 星組のジェミニ、サジータ、リカ、ダイアナが担当する神剣白羽鳥が最初に霊力を流し込む先がホドになる。ここで待てばジェミニの幻体誕生に立ち会えるかもしれない、と考えたからだ。ホドの中心には他のポイントと同じ祠が設えられていた。地下室と同様、作戦の要となる目印として集団疎開後の無人の街に突貫で建てられたものだ。それを幻都は、期待通りに復元させていた。新次郎はスターから降り、祠の前で腰を下ろした。聖域の清浄な空気に包まれることで、緊張で凝り固まった身体が緩んでいくのがわかる。

祠のうえには透き通った緑の若木の幻影が浮かんでいた。中に納められた足玉の種子から生長しているのだ。これを枯らさないように適度に霊力を流して大樹へと生長させ、すべてのセフィロトの大樹を同じだけ育てることで聖樹『生命の樹』が召喚される。そうすれば聖樹自身は域内の霊力循環のみで存在し、周囲を浄化し続ける聖域となる。だが、若木が大樹へと生長するまでの間は大量の霊力が必要で、霊力不足に陥ればあっというまに枯れ果ててしまうのだという。そのうえ二剣二刀からの霊力だけではその生長を賄えるかが未知数だったため、幻都内に無尽蔵に存在する降魔たちの妖力を活用できないか、と紅蘭たちは考えた。しかし霊力と本質的には同じものであるはずの妖力をなぜか受け付けないため、妖力を霊力へと変換する装置『吸い取るくん』を使って不足する霊力を肩代わりさせようとした。ここが聖樹召喚の要となったのだが、『吸い取るくん』が吸い上げる妖力の範囲が何故か想定を大きく下回り、結果的に芽の生長が止まる事態が起きている。

 若木を枯らさないように、やむなく華撃団メンバーが不足する霊力を補うため幻都に留まることになったのが現在の状況だ。そして『吸い取るくん』が本来の機能を阻んでいるものを見つけ出し、取り除くことこそ新次郎と大神の最大の任務である。

 新次郎が作戦を振り返っていると、前触れなく若木から光の塊が生まれた。光の塊は地面へとゆっくり降りてきて、ちょうど新次郎の目の前で動きを止めた。光が徐々に収まるにつれ、それはジェミニを模した幻体であることが見て取れた。見慣れた戦闘服に身を包み、腰には愛刀と銃が下げられている。だがその表情は、新次郎がはじめてジェミニと出会った時よりも一層暗い……というよりも表情そのものがなかった。幻体はあくまで召喚した人物の似姿と戦闘能力のみを模し、感情を有しているわけではないのだ。事前に仕込んだ術式により、こと戦闘に関しては自律的、あるいは指示に従った単純な連携は行えるのだが。新次郎は一瞬、昔を思い出して胸に痛みを覚えたが、それを振り切って声を上げる。

「一郎叔父、ホドでジェミニの幻体を確認。二剣二刀からの幻体召喚、成功です」

『わかった。では、俺はビナーに戻ろう。あそこは神刀滅却とつながっている。グリシーヌ、ロベリア、花火くんの幻体が生まれるのを待つよ』

 大神は新次郎の一言で状況を理解したようだ。そのとき、目の前のジェミニの幻体が、無表情なまま抜刀した。振り返った上空に、巨大な降魔の姿が見えた。普通の下級降魔の二倍はある降魔は、新次郎めがけて急降下するが、聖域に阻まれる。巨大降魔はそのまま地上へ降り立ち見えない壁に爪を立てる。しかし聖域を守る不可視の防壁はびくともしない。

苛立たし気に巨大降魔が咆哮する。すると、周囲のがれきの下から、二体の降魔が現れた。

「一郎叔父、巨大降魔一体、降魔二体が現れました。聖域内には入れないようですが、他の降魔を呼ぶかもしれないので交戦します」

「北斗七星の陣発動の衝撃が薄れてきたか……。わかった、無茶はするなよ」

「はい!」

 新次郎はスターに飛び乗り、起動させた。その間に幻体ジェミニは聖域から駆け出し、手近の降魔に銃弾を浴びせつつ、間合いに入るとともに斬撃を見舞った。攻撃を受けた降魔は深手にもかかわらず、幻体ジェミニに鋭い爪を浴びせる。その身を抉られた彼女だが、構わず至近距離から複数の銃弾を浴びせて一体目の降魔を沈黙させた。

命を絶たれた降魔は、見る間にその身が灰となり崩れ去った。その手際に新次郎は驚く。生身で降魔と闘うのは防御面で大きな危険を伴うが、もとが霊力であるせいか幻体はその弱点を補って戦えるようだ。

「すごい……」

 新次郎は感嘆しつつ、スターを前進させた。巨大降魔が幻体ジェミニの背後から迫っていたのだ。一息で間合いを詰め、巨大降魔の振り上げた手に斬りつける。降魔は巨体に似合わぬ素早さでそれをかわすと、反対の手でスターを横殴りした。新次郎はそれを腕で防ぐが、衝撃で数メートル先の民家に激突する。勢いに乗って襲い掛かる巨大降魔の前に幻体ジェミニが無謀にも割って入ったが、大質量の突進の前になすすべなく吹き飛ばされた。

「ジェミニ!」

 幻体であることを忘れて新次郎が叫ぶ。幻体ジェミニは反対側の民家まで飛ばされ、動きを止めた。そこに残っていた下級降魔がとびかかる。助けようにも、新次郎は眼前に迫る巨大降魔の突進に防御を固めることしかできなかった。続く衝撃でスターは民家の壁を突き抜け、屋内に押し込まれる。崩れる屋根と瓦礫に足をとられ、咄嗟にはスターを動かすことが出来ない。巨大降魔は構わず家内に踏み込み、スターを殴打する。操縦席内が赤く明滅し、各部のダメージの深刻さを知らせる。新次郎は機体に据え付けられた機銃を連射すると、大型降魔がひるんだ隙に崩れた屋根の合間から飛び出した。幻体ジェミニにまたがる眼下の降魔を捕捉し、着地とともに刀を突きたてる。断末魔を上げて灰と化す降魔の下で、幻体ジェミニもまた淡い光を放ちながら消えていった。

「くっ!」

 幻体とはいえ、仲間の姿が消えていくのを目の当たりにして新次郎は顔を歪ませた。が、再び迫ってくる大型降魔の足音に、気持ちを切り替える。

周囲は家屋や瓦礫に囲まれていて、スターで闘うには不利だ。一度態勢を整えるため、ホドの聖域まで下がることにした。巨大降魔の気をひき、間合いをとりながら後退する。なんとか聖域に戻ったところで、若木から再び幻体ジェミニが生み出されるのが見えた。

が、先ほどの機敏な動きと打って変わって、再産出された幻体ジェミニは右に左にふらつきながら降魔に向かって歩く。

『新次郎、大丈夫か! こちらも降魔との交戦中だ。どうも幻体の動きがちぐはぐで、やりにくいな』

「こちら機体に損傷が出ました。一旦聖域で態勢を整えます。一郎叔父、幻体は自分への攻撃に疎いです。あまり気を配っていると、振り回されます。お気をつけて」

『わかった。そちらも無理はするな』

 通信が終わると、新次郎はスターを飛び出して幻体ジェミニの元へ駆け寄った。大神に気を配るなといいつつも、新次郎は新しく生まれた幻体に、胸騒ぎを覚えたのだ。

「……ジェ……ニ……ェミ……ニ……」

 新次郎の耳に、幻体の呟きが届いた。やはりおかしい。幻体は言葉を発したりしない。背後で大型降魔の咆哮が再び響く。聖域の防壁を苛立たし気に何度も殴りつける。それを耳にしたせいか、よろめいていた幻体が動きを止め、降魔を見据えた。眼に光が宿る。いや、それも幻体としては不自然だ。

「君は……?」

新次郎が声をかけるよりも早く、幻体ジェミニが駆け出した。先ほど同様、銃で大型降魔の意識を逸らしつつ、自身は大型降魔の背後に回り刀を振り上げた。その刀身から霊力の縄のようなものが現れ、大型降魔の四肢を絡めとる。大型降魔は振り払おうと暴れるが、縄はお構いなしに身体中に巻き付いていく。そうして動きが完全に拘束されたのを待って、幻体ジェミニは刀を構えると降魔の胸元にスッと刃を突き立てた。それまでわめき、身をよじらせていた降魔が、糸が切れたように動きを止める。息の根を止めたのなら灰と化すはずの降魔だ。幻体ジェミニは、一体なにをしたのか。

幻体ジェミニは刀を鞘に納めて振り返ると、駆け寄る新次郎を見た。

「大丈夫か、ジェミニ!」

 その言葉に、幻体ジェミニは不敵な笑みを浮かべた。その笑顔を見て、新次郎は半信半疑で問いかけた。

「君は……ジェミニン、なのか?」

 

 ジェミニンの意識が鮮明になったのは、ジェミニが神剣白羽鳥に霊力を流し始めて直ぐのことだった。

ジェミニ・サンライズは自分を抱え込むように腕を交差させた状態で目を閉じていた。時の流れを遅らせる地下室内にあって生体機能が極限まで抑制され、呼吸、心臓の鼓動、血脈の流れを感じられなくなっていく。その身を包む戦闘服からは、わずかに光がにじみだしている。ジェミニ自身の意思は外界から完全に遮断されたうえ、内界でも夢幻にたゆたうように明確な思考を結ぶことが出来ない状態となっていた。

 ジェミニの霊力が徐々に神剣白羽鳥へ流れ込むと、神剣白羽鳥は呼応するように光を帯び、その輝きを彼女に移し替えた。輝きはジェミニの五体を守るように全身を包み込む。やがて輝きがおさまると、そこに残っていたのはジェミニの姿をした水晶の彫像だった。

かつて魔人東日流火が人間を石化した術を疑似的に再現したのがこの地下室であったが、それを水晶化させる高度な人体保存と霊力抑制を神剣白羽鳥がやってのけたのだ。ジェミニと並んで座っていたサジータ、リカ、ダイアナも、そして離れた地にある神剣、霊刀を奉じた他のメンバーにも同じ変化が起きていた。

 そうした状況を唯一客観的に観測することが出来た存在、それがジェミニン・サンライズだった。

 ジェミニンとジェミニは、本来であれば双子としてこの世に生まれるはずだった。実際母体には二つの不揃いな心臓が生み出されていたのだが、なんの運命のいたずらか結果として母体から生まれ出でたのは一人の赤子だった。人の精神が心臓に宿るという話は古代の妄想で、現代では精神活動は脳が司るというのが通説だ。だがこの大小二つの心臓を備えた少女には、確かにふたりの人格が生まれていたのである。

 一つの身体に二つの心。その状況が生み出した当事者の葛藤は、紐育華撃団での活動を通じて結果として落ち着き場所を見出し、ジェミニンはジェミニの体の中で(いくつかの例外的な状況を除いて)深い眠りについていたのである。

ジェミニの水晶化がどう作用したのかはわからない。しかしジェミニンはその影響を受けず、それどころか意識を取り戻したのだ。が、先に誕生していた幻体ジェミニが降魔に倒され、新たな身体を生み出そうとした際に、それにひきずられてジェミニンの意識が幻体に宿った、それがジェミニン覚醒の顛末だった。

 

    三

 

 増上寺――すみれが辺津鏡から若木を生長させたセフィロトからほど近い寺は幻都にあっても健在で、大神、新次郎、ジェミニンはそこで休息をとることにした。聖域は安全だが、開けたところにあるので落ち着かず、どこか拠点となる場所をと相談したところ、新次郎のいるホドとの中間点にあった増上寺へ集まったのだ。

 幸いにも一帯は降魔の襲撃以前の姿のままで、身を隠すにも体を休めるにもちょうどよかった。困ったのは幻体の扱いだった。臨戦態勢が基本のため、言いつけても座らず、無表情のまま直立不動でいるので大神も新次郎も落ち着かないのだ。仕方がないので、せめて見えない場所にと別の部屋に並んで待機させることにした。一方で大神の光武も新次郎のスターと同様に降魔との交戦で損傷が激しく、はなれに持ち込んでいた。

 幻都突入からすでに一日が経過し心身ともに疲れ果てていた大神と新次郎に、ジェミニンは自分が覚醒した顛末を語ってみせた。

「いろいろとわからないことは多いけど、ジェミニンとこうして会うことが出来て、僕は嬉しいよ」

 真っすぐな言葉に、ジェミニンは照れを隠すように背を向け、鼻で笑う。

「ジェミニン、霊力の流れにいたときに気づいたことがあれば教えてほしい。俺たちは『生命の樹』について召喚の手順しか知らないんだ。キミの情報は、状況を知る手掛かりになるかもしれない」

「ジェミニから離れてすぐの場所では、すこし色がついた霊力が絡み合いながら流れていた。緑や水色、橙に薄い錆鼠。あれは星組メンバーから流れていたものなんだろう。そこにやけに白い……脱色されたような流れが混ざってからが酷かった。あれが紅蘭の装置で吸い込まれ強制的に霊力化された元妖力なんだろうな。

 それ自体は他の霊力と変わりないんだが、そこに小石のような黒い結晶がわずかに紛れ込んでいて、それが当たると痛むんだ。体の痛みではなく、心の。当たるときにわずかに負の思念――後悔、苦痛、卑下、嫉妬、憎悪、怒り、恨み、悲しみ――そんなものを感じたから、その影響かもしれない」

「元妖力にだけ混じっているということは、降魔の思念なのか?」

「多分、としか言えない」

「それが霊力を穢すようなことはないのかな」

「それはなさそうだ。しばらくすると砂のように崩れていって、存在もわからなくなるからな。

そのまま流れに身を任せていると、大きな霊力の渦が現れた。その渦には他からも霊力が流れ込んでいて、交じり合うように渦巻いている感じだった。ただ俺だけはその渦の中心に直接吸い込まれて、気が付けばこの状態だった」

 ジェミニンは手を広げて自分の身体を見回した。

「降魔の思念をもう少し詳しく知りたいところだが……俺自身が生命の樹の循環に入り込むことは出来なさそうだからな。一旦は置いておこう。

 もうひとつ、新次郎から聞いたが、ジェミニンが倒した大型降魔、あれはなぜ灰にならなかったんだ?」

 その質問に、ジェミニンは驚いたようだった。

「よく気づいたな。それが次の話だ。ヤツと向かい合った時に、みぞおち辺りに紫紺に輝くものが見えたんだ。あれは霊的なものだと思う。何かに導かれるようにそれを突いてみたら、降魔の命に触れたような感触があった。それだけでヤツが動かなくなる確信めいたものがあって、無意識に倒した気になっていた」

「降魔の心臓みたいなものなのだろうか」

「あえて言うなら、存在としての核のようなもの……かな」

「例えば……そうだな、霊子水晶を思い浮かべてくれ。あれは欠けると大幅に性能が落ちるだろう? 質量と能力が比例していないんだ。それに近い感じか?」

 大神の例えに、ジェミニンは小首をかしげていたが、腑に落ちたようで大きくうなずいた。

「その例えはいいな。あれを見定めて傷をつければ、それだけで降魔を無力化できそうな感じだ。それで提案なんだが、これからは降魔を殺さず、核を傷つけて無力化するだけにしないか?」

 ジェミニンの唐突な提案に、大神は一瞬思考が停止した。

「紅蘭の装置で吸い取る妖力は多いに越したことはないだろう? だが、降魔を殺して減らしてしまうとまずくないか?」

「ああ、そういう意味か」

「でも、その状態から回復することはないんですか?」

「その辺りは試行錯誤で行こう」

 新次郎の疑問に、大神は割り切ったように答えた。未知の要素ばかりの環境だ。何もかもを明らかにして進めていくことなどできない。

「もうひとつ聞きたいことがある。幻体の戦闘術式についてだ。どうも幻体は敵に集中しすぎて周囲への警戒がおろそかになっている気がする。自身への攻撃についても無頓着だ。その辺りについてはどう思う?」

「大神隊長の言う通りだ。敵に対する反応が過敏になっている。あれでは獣よりも筋が悪い。その辺りは攻撃への比重を減らすような指揮をすればましになるかもしれない」

「なるほど、参考になったよ。ありがとう。じゃあ、今後の流れについて相談しよう」

「その前に大神隊長、ひとつ提案がある」

「なんだい?」

「大神隊長と新次郎も幻体を作ってみないか?」

 ジェミニンの提案はふたりにとっても予想外で、表情が固まった。

「僕と一郎叔父が幻体を? 流石にそれは無理じゃないかな。みんなほど霊力が多くはないし、それもあって僕たち用の術式は用意されてないんだよ」

「術式なら、オレが何とかできると思う。それにセフィロトにいけば霊力の問題は解決するだろう? この先、何かがあって二剣二刀のそれぞれを降魔が襲撃したとき、指揮官なしの拠点は守り切れない。ふたりの幻体を指揮官寄りの術式にすることで、多少はましになるかもしれない」

「いいじゃないか新次郎。物は試しだ。ひと休みしたら、やってみよう」

 と、大神は気軽に答えたが、そこからが大変だった。

 

 幻体を呼び出すには、様々な霊力とつながっている聖域が良いと思われた。そのため一行は再び芝公園北端の聖域マルクトへ移動した。しかし散々試したものの、彼らの霊力では人はおろか、獣の幻体を生み出すこともできなかった。いや、形はつくれるのだが、しばらくすると氷に火を吹きつけたように溶けて崩れ落ちてしまうのだ。セフィロトから霊力を補充しつつやっていたが、改善の兆しも見えなかった。

「ジェミニン、もう、もうあきらめよう?」

 新次郎はその場にへたりこんで、情けない声を出す。大神も口には出さないが、切り上げたい本音が態度に出ている。しかしジェミニンは意に介さず、考え込んでいる。

「五人いればフォローしやすくてよいと思ったんだが……この際だから四人でも……」

「ジェミニ~ン!」

「わかった、新次郎。これが最後だ」

「まだやるの?」

「大神隊長と新次郎で力を合わせて一体を作ってみよう」

「そんなことできるわけないじゃないか。そもそも何の幻体を作るんだよ」

「ジェミニン、流石に俺も無茶だと思うぞ」

「やってみなければわからない! ふたりに縁がある人物を思い浮かべるんだ」

「一郎叔父と?」

「新次郎と?」

 そのアドバイスに顔を見合わせ、ポンと手をついた、が、そこで同時に首を横にぶんぶん振った。

「いや、だめだ」

「ええ、あれです、だめです。ああ! そうだ、加山さん、加山さんって一郎叔父の親友ですよね! 僕も大変お世話になったのでよく知ってます」

「おお、加山がいるじゃないか。そうだ、加山だ!」

 そんな三文芝居の間に、彼らの背後から幻体が浮かび上がり始めた。それは、これまで試した中で最も早く、明瞭に形を成していった。

しかし当人たちの願いむなしくそれは加山ではなく、あきらかに女性の体つきをしていた。

「おお?」

 ジェミニンが驚き、わずかにのけぞる。大神と新次郎は、その反応に気づかないふりをして、ギターをかき鳴らす加山の物真似まではじめている。が、幻体は止まることなく変化を続け、稽古着を身に着けた妙齢の女性となった。

「なんと、し、師匠!」

 それは、ジェミニンも知る人物だった。細長い切れ目、艶やかな黒髪を後ろでまとめている。稽古着から覗く腕は絹のような白さだが、手には武器を扱うもの特有のタコや皮の厚みがある。その幻体は右手をあげ、虚空から一振りの薙刀を生み出した。そして軽く振り回し、地につく。幻体はジェミニンを見て不敵に笑ったあと、こともあろうか大神を石突で払った。

「一郎! しゃきっとしろ!」

「はい!」

 大神は姿も見ていないのに、反射的に立ち上がり、その場で直立不動の姿勢をとった。その様子を冷ややかに見る一方で新次郎に向けた表情は満面の笑みに彩られており、勢いよく背中に抱き着く。

「新く~ん、会いたかった~! 母は嬉しいぞ」

 そのまま無理やり背後から顔を近づけ、頬ずりする。

「かかか、母さ~ん!」

 ふたりが生み出した人物、それは大神の姉であり、新次郎の母である、大河双葉その人であった。

 

「な~んだ、新くんはジェミニ……ジェミニン? を嫁に選んだのかと思ったぞ」

 新次郎と双葉の漫才のようなやり取りを横目に、大神はジェミニンに恨みがましい目を向けた。

「ジェミニン、君がなにかやったのか? 俺には本物にしか見えないんだが」

「いや、何もしていない。もしかするとジェミニを通じて知っていたから、余計に強力になったのかもしれないが」

「それにしても、完全に自我も記憶も持っているじゃないか。幻体扱いで〝あれ〟とか言ったら、三日は立てないほど叩きのめされそうだ」

 何を思い出したのか、大神は眉間にしわを寄せて腕を組んだ。

「なんだ一郎、男らしくないぞ! 現実から目を背けるなど、剣士としてあるまじき態度だぞ」

「はい、仰るとおりです! ですがここは幻都、異常事態が続いているのでご容赦ください」

「ん~。まあ良い、新くんに免じて許してやる」

 普段ならここで新次郎がツッコミをいれるところだが、そうするとまた親子のじゃれあいが始まることを学習したのか、新次郎はスルーする。

「ふ、双葉師匠、そうお呼びしてよろしいでしょうか。ジェミニはそうしていたかと」

「ああ、良いいぞ。でも、『お母さま』のほうが嬉しいな」

「え、いいんですか?」

 再び違うコンビで漫才が始まろうとし、流石の大神も意を決して口をはさんだ。

「双葉姉さん、ここは戦場です。まずは状況を共有が先決です」

 双葉は大神の真剣な表情を見ると、ため息をついてその場に座り込んだ。

「なんだ、やればできるじゃないか。そうやって隊長らしくしてれば、私だって最初から話をきいていたぞ」

 絶対嘘だと新次郎の顔に書いてあるが、大神はそれを見なかったことにした。

 

    四

 

 落ち着いて話をするため増上寺へ戻った大神たちは、本堂へと足を踏み入れた。明かりのない屋内は薄暗い。幻都として再現された模造とはいえ我が物顔で振る舞うのもためらわれた一同は、入ってすぐの外陣で思い思いに腰を下ろして一息ついた。内陣のさらに奥にそびえる須弥壇から、本尊らしき阿弥陀如来の像がこちらを見下ろしている。

「まず状況の説明の前に、姉さん」

「ん?」

「姉さんはどこまでを把握してるんですか? 俺たちから生まれた霊体なら、ある程度記憶を共有してるのかと」

 大神の問いに、双葉は鼻で笑った。

「不精をするな。お前が必要だと思うことをすべて話せばいい。何を話すかで、一郎の指揮官としての技量も量れるしな」

 大神は苦笑しつつ、居住まいを正した。霊体が相手とはいえ、機密事項を話すことへの忌避感がある。隣の新次郎もそれを感じ取ったのか、背筋を伸ばした。

 大神は、自分が秘密部隊に所属し、霊的都市防衛を担っているところから話し始めた。帝都、巴里、紐育の華撃団の体制、おおまかな戦備と戦闘能力といったことまで詳らかにする。 

そこから話は降魔大戦へと移る。

万単位の降魔の奇襲による帝都炎上と、軍と連携しての反攻作戦決行。帝都上空に現れた黒い球体と、降魔皇を想定した二都作戦――降魔皇封印のための幻都召喚と封印内での弱体化を狙った聖樹『生命の樹』召喚の計画――。そして加山から聞いた黒幕とその毒牙から逃れるための華撃団司令部によるオデュッセイア作戦のあらまし。

双葉は口元を緩ませながら、弟の熱弁を機嫌よく聞いている。

大神はと言えば、幼い頃から武芸の特訓という名目でしごかれた経験から、本能的な緊張に絡めとられ額から汗を流していた。

 話題はいよいよ具体的な二都作戦の推移と、想定外の事態、幻都へ留まる判断へと至った。一通りの話を終え、大神は汗をぬぐった。

「見直したよ、一郎。立派なものじゃないか」

 珍しい双葉の賛辞。しかし彼女の目が笑っていないことに、横で聞いていた新次郎は気づいていた。これが手合わせなら、乱戦をしのぎ切って一息吸おうとしたところに突きを入れてくる、そんな場面だ。案の定、双葉は鋭く問いを発した。

「そのうえで一郎、お前は何が問題だと思う?」

 抽象的な質問だ。相手の視点しだいで、問答がかみ合わなくなる。しかし、大神は臆することなく答えた。

「直接的には『吸い取るくん』がなぜ能力を発揮できないか、ですが――俺は、何が敵なのかわからないこと、だと思っています」

 それはジェミニンにとっても納得のいく答えだった。降魔大戦をはじめから体験している人々は、襲い掛かる降魔、迫りくる黒い球体、幻都で立ちはだかる上級降魔と、戦う相手が見えすぎ、その糸を引く存在に集中できない。だがジェミニンは一連の戦いをジェミニの視点で追いつつも、俯瞰して状況を観察できる立場にあった。だから言い方は悪いが、華撃団全体が後手に回り、状況に振り回されていることに不安を感じていた。

 一方で双葉に対峙する大神は目を開かれる思いだった。自分が発した言葉に、俺はそんなことを考えていたのかと驚いた。

「なら私もその『敵』について考えるとしよう」

 双葉はご機嫌の表情を浮かべながら、おとがいに指を添え、視線を宙にさまよわせた。しばらくして頷き「まず『降魔皇』について教えてくれ」と弟を見た。

「降魔皇は、四〇〇年前の書物――放神記書伝に書かれた『降魔を生んだ存在であり、統べる存在』からきています。ただ、今回の戦いで実際に降魔皇の姿を見たことはありません。二都作戦中にさくらくんが遭遇した上級降魔に目的を聞いたところ『降魔皇様を真の目醒めにお導きする。そうして人間を滅ぼし、この世を降魔のものとする』と返してきたので、実在はするのでしょう」

「つまり降魔皇の目的は人間を滅ぼすことだが、現状は王として完全な状態ではない、ということか。そもそもだが、降魔とはなんだ? その放神記書伝以外に情報はないのか?」

 双葉が、大神の言葉と思考を補うように口をはさみ、先へといざなう問いを重ねる。

「今のところ、降魔については放神記書伝で伝え聞くのみです。 降魔について、生物としての研究や敵性勢力としての分析は進んでいますが、本質的な部分については放神記書伝だのみというのが実情でしょう」

「結局、何が書かれていたんですか? 僕たち紐育星組には、そこに踏み込んだ説明がなかったので」

 新次郎の言葉に、ジェミニンもうなずく。

「放神記書伝は、四〇〇年ほど昔に姿を消した幻の大地・大和にそびえていた聖魔城のことや降魔について、過去の事績から未来への予言や暗示が書かれた奇書だ」

 そこから、大神は本書の要点をかいつまんで説明した。

 

 かつて東京湾には、大和と呼ばれる繁栄した国があり、北条氏綱は霊子櫨を用いて魔の力を引き出し、放神の儀によって覇権を得ようとしていた。だがその企ては失敗し、大和は汚染され、隠蔽のため河川浄化の法によって海底に封じられた。その怨念と魔が結びついて、後の降魔となった。

 

 説明を聞き終えた双葉は、即座に疑問を呈した。

「これが事実だったとして、北条氏綱はどうやって魔界のエネルギーや霊子櫨の発想に辿り着いたんだろうな。しかも『放神の儀』で日本を支配しようという発想もひどく短絡的だ。

 一番の疑問は、魔の力に汚染された大和を、わざわざ封印したことだ。力で支配しようとまでした奴なら、死なば諸共と暴走など放っておけばよいのに」

 それに対して、大神が補足する。

「まず、封印された大和と聖魔城、そして霊子櫨、降魔は実在しています。実際に俺たち帝国華撃団は、六年前に封印が解かれた大和に乗り込んで、聖魔城の地下にある霊子櫨――当時は霊子砲と呼んでいましたが、それを破壊したんです」

「ああ、東京湾で異常な海底隆起が起こり、大量の降魔が帝都を襲ったときのことか。あれにお前たちが関わっていたとは驚きだ。異変自体は一日も経たずに海は元に戻ったと聞いていたが……一郎、大手柄じゃないか。大神家の誉れだな」

 再びの双葉からの賛辞に、慣れない大神は身体中にかゆみを覚えたが、なんとか堪えた。

「それで、誰が大和の封印を解いたんだ?」

 大神は、葵叉丹の暗躍について説明する。彼の正体が悪魔王サタンで、最終的には大天使ミカエルの助力で倒したこと、それにより大和が再び海中に没したことを捕捉する。その説明に、双葉は首をかしげる。

「葵叉丹は大魔王サタンに操られただけだとして、そもそもサタンはどうして大和に霊子櫨があることを知っていたんだろう。そして、それに続くものがどうして現れなかったのか。

だいいち『降魔実験』は失敗したわけで、わざわざ四〇〇年もたってから蓋をあけたところで外れクジを引いていたかもしれない。よほどの確信がなければ手を出さんだろう」

「サタンの考えはわかりませんが、放神記書伝には予言書としての記述があります。四〇〇年後――まさに現代ですが、西方から知恵を持つ蛇が現れ、大和と降魔を復活させ、霊子櫨で世界を滅ぼす、と」

「予言、ねぇ……」

 双葉は腕を組み、苦虫を嚙み潰したような表情で唸る。

「一郎叔父、では大魔王サタンが降魔皇なのですか? でも帝国華撃団花組の皆さんが、ミカエルと共に倒したのでしょう?」

 新次郎の問いに、今度は大神が顔をしかめた。

「さっきも言ったが、降魔皇については、降魔を生み統べる存在ということしか記述がないんだ。だから、知恵を持つ蛇がサタンだとして、その関連性はわからない」

「北条氏綱、サタン、降魔皇……」

 ジェミニンも腕を組み、なんとか話が繋がらないものかと思案する。が、専門家たちも読み解けない謎を、そう簡単に解明できるはずもない。と、そこで双葉は両ひざを打った。

「一郎が『何が敵なのかわからないこと』が問題だ、ということはよくわかった。確かにこの情報量だと、受け身にならざるを得ない」

「そう……ですね」

 時間を費やして情報を共有できたものの、結果的にはそれだけだった。双葉なら何か打破するような言葉が出てくるかと期待したが、そう上手くいくものでもない。大神は変わらない閉塞感に、やや疲れを感じた。

「なんだ一郎、もう弱音を吐くのか?」

 双葉が目を細めて詰め寄る。

「そんなことは……ただ、どこから手を付けるかのとっかかりぐらいは思いつくかと期待していたので」

「どこから手を付けるか、だと? そんなの決まってるだろう」

 迷いない双葉の言葉に、大神だけでなく、新次郎、ジェミニンも驚いた。

「気づいてなかったのか……お前たちは私を召喚するのに長時間若木とつながっていたせいか、肉体が変質しているぞ?」

「え?」

 大神と新次郎は互いと自分の身体を交互に見る。

「外見ではわからんだろうが、肉体が半分仮死化して血液の代わりに霊力が流れているような感じだ。ジェミニンから聞いた、ジェミニ自身に起きた変化に近い。二剣二刀がお前たちの身体を幻都で闘いやすいように変質させたんじゃないか?」

「え、二剣二刀が?」

 新次郎の戸惑いに、大神は得心したようにうなずいた。

「二剣二刀には意思が宿っている、という噂は昔からあったんだ。以前に俺はさくらくんが霊剣荒鷹を扱えるようになったところを見たが、あれはまるで霊剣がさくらくんを見極め、認めたようにも思えた」

「とにかくお前たちがその体に相応しい闘い方を学ばないことには、宝の持ち腐れだし、ここでの戦いを生き抜くことはできないぞ」

 双葉が言うのももっともな話だ。しかし話の展開に、大神と新次郎は見る間に顔を青くさせる。

「急がば回れ、まずは特訓だ! さあ立つのだ!」

『ええ~っ!』

 増上寺の大殿に、ふたりの叫び声が重なった。

 

 唐突に始まった特訓を横目に、ジェミニンは増上寺の石階段を下りていった。乾いた風が、故郷のテキサスを思い起こさせる。階段をおりきった彼女はふと思い立ち、体中に精神を集中させた。すると幻体の身体が光を放ち出して戦闘服の形状が崩れ、私服姿であるカウガールの出で立ちとなった。

戦闘服は機能性が高い分、密着感が強い。拘束された感覚がずっと気になっていたようだ。馴染みの姿に転じ、少し心が躍る。不謹慎ではあるが、誰に遠慮することなく身体を動かせる体験は、生まれて初めてのことなのだ。そうして彼女は子供の頃を思い出しながら、廃墟のなかを軽々と疾走していく。

彼女が向かった先は、先ほど自分が討ち果たした巨大降魔の倒れた場所だった。巨大降魔を拘束した霊力の縄は姿を消していたが、その場から動くこともなく倒れたままだった。右の胸元の傷跡を改めて霊視すると、奥にくすんだ紫紺の光が弱々しく灯っているのが見える。彼女はその傷に手を当て、降魔の命の灯を探ろうと意識を集中させた。その傷からは、ジェミニンが霊力の流れに身を任せていた時に感じた、黒い結晶からにじみ出る負の思念と同じものが伝わってきた。先ほどの暴れぶりから怒気を感じると身構えていたが、意外にも感じ取れたのは悲哀だった。よくよく思い出すと、霊力の河でもっとも触れた感情は、嘆きと哀しみ、苦しみの想念だった。増上寺を出たときに感じていた高揚が、急速にしぼんでいく。

 どの降魔ももとをただせば人とは聞いていたが、下級降魔は記憶を伝える術がないだけで、どの個体にも人間だったころの記憶があるのだろうか。だとすれば自分が打ち果たしてきたものは、降魔なのか人間なのか。

以前は復讐心から人を殺めることを当然のように考えていたこともあったが、今となってはそんな自分自身が恐ろしく身震いするほどだ。自分がこの降魔にしたことは、思考能力を奪って生命力を抜き取り、聖樹『生命の樹』に栄養分として捧げているに他ならない。人類という種族全体を守ることとはいえ、業の深いことだとジェミニンは肩を落とした。

ジェミニンふと思いつき、思念を集中させて相棒を思い浮かべた。すると眼前の空間が輝きだし、徐々に馬の形を成していく。白い毛並みに茶のたてがみ。それはジェミニの愛馬、ラリーの姿だった。

「久しぶり、ラリー」

 本物ではないことはわかっていながらも、彼女は愛馬の顔に頬ずりした。ラリーも顔を寄せてくる。

「いきなりで悪いが、この子を運んでくれるか?」

 ひとしきり戯れたあと、ジェミニンは大型降魔を霊力で持ち上げてラリーの背に乗せた。一トンはあるというのに、幻体ラリーはものともしない。

「ここからだと、星組のみんながいる高松宮御用地が近いな」

 ジェミニンはラリーに手招きして走り出した。二キロほど走ると廃墟が途切れ、古ぼけてはいるが姿かたちを残した家屋が連なる通りに辿り着いた。降魔大戦の爪痕をのがれた地区のようだ。そこにある他よりも大きな家屋にラリーを引き込み、大型降魔を居間に横たわらせた。

 周囲の妖力の流れが高松宮御用地に向いていることから、ここならば降魔の妖力が若木の糧になるだろう。それに……とジェミニンは自分が霊力のなかを移動していたときのことを思い返す。あの霊力の流れの中で、負の感情を宿した黒い結晶が崩れていく様子が、降魔の苦悩を払い落しているようにも感じられたのだ。自分がやっていることは自己満足だと理解しつつ、それでも降魔が少しでも心安らかであることを願ってしまう。

 民家を出るとジェミニンはラリーにまたがり、増上寺へ戻ることにした。幸いにも途中で降魔と出くわすことはなかった。石階段の下までたどり着くと、遠くから大神と新次郎の悲鳴や叫びが届いてきた。まだまだ特訓ははじまったばかりのようだ。

 ジェミニンは帝都の地図を思い浮かべながら、十あるセフィロトを重ね合わせる。一番近いのはイェソド、宮城の南堀と芝公園の中間点だったはずだ。特訓が終わるまでの間にセフィロトを巡り、帝都の地理地形に慣れなければ。そして降魔と交戦することがあれば、自分たちが生き残るために無力化し、またあの町に運んでいこう。当面の目的を定めたジェミニンは、再びラリーと幻都の廃墟を駆け出した。

 

 こうして、大神、新次郎だけで始めようとしていた闘いに、ジェミニン、そして規格外の幻体である双葉という頼もしい仲間が加わった。この戦力で数万の降魔を相手に戦いを始めることになるが、さらに二つの幸運が重なった。

 ひとつは戦闘力の面で、双葉の修行で開花した大神と新次郎の生命力、身体能力は期待をはるかに上回り、光武に乗ることなく降魔と充分に戦えるとわかったこと。また合流した幻体も最初こそ自律戦闘術式のクセに戸惑うことはあったが、それをふまえた指揮により訓練時を超える戦闘力を発揮することができるようになったことも大きい。

 もうひとつは敵方の状況で、北斗七星の陣による余波か、いまだに上級降魔が姿を見せないことである。幻都中央にそびえる聖魔城からも降魔皇の気配を感じられない。当面の敵は、数は多くても統率のとれていない下級降魔だけだった。

「さあ新次郎、俺たちの戦いはこれからだ」

「はい、一郎叔父。必ず、みんなと元の世界に戻りましょう」

 彼らの意思は強く硬く、容易く折れはしないだろう。

 しかしふたりは知らない。

 この後、外の世界で十年が経過してなお自分たちが幻都に捕らわれ続けている、という未来を。

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