偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版   作:出口豊志朗

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第九章 今昔聖魔城

    一

 

 大和暦四一二年――聖魔城の幻都封印から六年

 

 聖魔城の窓、といっても壁を切り抜いただけの穴のようなものから外を眺める。

 空は砂塵に霞むような黄土色。鈍色の雲が垂れこめ、そこからは遠近感が狂いそうなほど巨大な鎖が垂れさがり、地に穿たれていた。視線を下ろすと、大小さまざまな建物が視界一杯に広がる。所々に葉を落とした木々が密集し、かつては林であったことが伺えた。さらに視線を落とすと僅かな範囲ではあるが、緑の薄い光がにじみ出る領域があり、その中心に細い木の幻影が見える。さらに下、ほぼ聖魔城の岩肌を垂直に見下ろすと、水で満たされた堀が聖魔城の足元を囲んでいる。眼に入る世界は変化に富んでおり、目線を定めるのに思い悩んでしまう。

 聖魔城から顔を覗かせているのは、瑠璃紺の打掛をまとった女降魔だった。柘榴石の如き紅い双眸、血の気のない白亜の肌、まるでそれ自体が意思を持っているかのように蠢く長い黒髪。名を芳春という。

 何度見ても落ち着かない風景に、芳春はため息をついた。それまで空といえば黒雲が覆い薄明りが射すだけの暗いものだったし、眼下に広がっていたのは岩と砂しかない荒涼とした大地だった。そんな眺めでも気が遠くなるほどの年月を共にすれば、懐かしいと思うものなのだと驚きを禁じ得ない。

 芳春は窓から離れ、屋内に歩を進める。岩をくり抜いて磨きぬいた広い部屋に、同じく岩から削り出したひじ掛け付きの椅子が七つあった。正面を背にした一際大きな椅子は降魔皇が鎮座するために設えられたもので、それを中心に左右に三つずつが並ぶ。芳春はその一つに腰かけた。〝雨垂れ石を穿つ〟とは漢の故事であったか。まさかその言葉を書いた者は想像もしなかっただろう。年月を重ねると座っているだけでも石が体に馴染むということを。

 芳春は益体もない考えを巡らせながら、天井へ視線を向けた。いくつかの紫、青、緑の炎が、天井を照らし出している。この炎は、封印都市大和が誕生した日から灯る、外界で過ぎた年数を示すものだ。封印当時は知るよしもないことだったが、大和の地と外界では時の流れに隔たりがあった。封印されてしばらくはその差はなかったが、徐々に外界の速度が上がっており、近年ではその差は十倍、こちらの一年が外界の十年に匹敵すると聞いている。なぜ大和内の年数ではなく外界の年数を知らせるものになっているかは、降魔皇が盟友を迎える四百年後を正確に把握できるよう用意されたためと聞いている。今は紫の炎が四つ、青の炎が一つ、そして緑の炎が二つ灯っている。つまり今は大和暦四一二年……あの日、千夜の手引きにより聖魔城だけが封印から切り離されて江戸城跡へと導かれたのが、四〇六年早々であったから、外界においてすでに六年が経過した、ということか。

 もう随分と長い年月を生きてきて時間の感覚など麻痺してしまったが、そんなに長く気を失っていたとは考えにくい。自分たちが何らかの封印下におかれていたのか、それとも時間の流れがこれまでと変わっていないのか……これについては、一里先を境界にした半球状の結界によるものかもしれない。

いずれにしても目覚めたばかりで情報が少なすぎる。下級降魔たちには知性がなく、こちらが求める情報を調べたり伝えたりすることができない。そのため上級降魔である自分たちがその足で調べるほかなかった。しかも、聖魔城が江戸城跡に収まったあの日を境に、千夜に続いて幻庵と崎姫までもが姿を消してしまった。そのため、聖魔城に残る上級降魔は、芳春を含めてわずか三名にまで減っている。周囲には上級降魔のための椅子が六つ並んでいるが、その半分の主が不在と考えると寂しいものだ。果たして自分たちは望みに近づいているのか、足元が崩れかけているのか判然としない。再びため息をついたところで、窓から入り込んでくる影が見えた。

「芳春よ、もう戻っておったのか」

 屈強な肉体誇示するように諸肌を脱いだ偉丈夫が、ゆっくり近づいてくる。下あごの犬歯が異様に発達し、イノシシのようだ。無造作束ねられた髪は白く、青銅色の肌には深いしわが刻み込まれている。

「モノの多さに目がくらみまして。氏時様はもう一巡りされてきたのですか?」

「いや、所々にできた結界のようなもの……城の足元にも見える緑色の領域が邪魔でな。他にも急に身体が重くなるような場所もあって、面倒になって戻ってきた」

 丁寧な物腰の芳春に対して、氏時の振る舞いは横柄だった。しかし、両者を並び見たときに感じる威圧感――妖力は、大きく芳春が勝っている。氏時は自分の椅子に腰かけ、背もたれに身を預けた。

「聖魔城から一里あまりから先は通り抜けることはおろか、先を見通すこともできないとか。そしてその中にも入り込めない領域が生まれている、ということですか」

 戦端を開いたのはこちら――といっても外界にいた千夜の独断ではあるが、どうにも後手に回っているようだ。一度状況を整理したいところだと考えた矢先に、待っていた最後のひとりが戻ってきた。

「芳春さま~、これ見て~!」

 声の主である肩まで黒髪を伸ばした浅黄色の腰巻姿の幼女は、狐のような耳が頭から生え、釣り眼の下から顎にかけて赤い牙のような墨が引かれている。右手左手に畳を軽々と掴み振り回している異様さを除けば、年相応の無邪気さだ。

「岩の上で寝るのもしんどいし、拾って来たよ。他にもふっかふかな布とかもあったんだけど、これだけ持ってきた~」

「浄心、そんなみだりに物を拾ってくるものではありません」

「拾ったんじゃない! これは戦利品」

 天真爛漫な浄心の振る舞いに、芳春は苦笑を浮かべて小言をやめた。浄心は畳を無造作に放り投げると、満面の笑みで自分の椅子に腰かけた。

「それで、他に気づいたことはあるのかしら」

「う~ん、一里先に先の見えない壁がある」

「それは昨日聞きましたね」

「あちこちに小さな結界があった。祠があって、上に小さな木の霊体が浮かんでるやつ」

「それも昨日聞きましたね」

「聖魔城のあっちとこっちとそっちと、もうひとつそっちに、入るとしんどくなるところがあった」

 浄心が指したのは、北東、南東、南西、北西の方向だった。

「ああ、ワシが話したのもそれじゃ。どうも妖力を吸われているような感じでな、深追いするのも気が早いかと捨ておいたが」

「へぇ、氏時様でもしんどいのか。じゃあアタシじゃすぐに倒れちゃうね。無理して入らないで良かった~」

 浄心がケラケラ笑い声をあげた。

「どうやら、取り急ぎの調査でわかる情報はこんなところでしょうか。では、一度状況を整理させてもらいますね」

 芳春の言葉に浄心はうなずく。その話が十年以上前に遡ると気づいて氏時は顔をしかめたが、芳春は構わず続けた。

 

    二

 

 大和暦三九九年――葵叉丹による聖魔城浮上の直前

 

「四百の冬の果て

 西方より知恵を持つ蛇参り

 己を裁く者と称し

 鉄槌を振り降ろす也

 

 其の力、偉大なれば

 三人の賢者の力虚しく

 彼の者達の従者も又斃れん

 破滅を告げる鐘の音が響く

 

 赤き月の夜 封印とかれしとき

 降魔の聖域 甦らん

 聖域には破滅の神機ありき

 其の神機 裁きの光をもつて

 地上を灰燼に帰さん」

 

 芳春は、大和建国間もなく広がった預言詩をつぶやきながら天井を見ていた。

 天井で燃える炎が紫三つ、青九つ、緑九つ。

その炎に変化が起きた。

緑と青の炎が消え、同時に紫の炎が一つ増え、四つとなったのだ。

六人の上級降魔たちは広間で座し、その炎を見上げていた。大和四〇〇年。ついに降魔皇が盟友との再会を約束した年を迎え、上級降魔たちも高揚していた。と、聖魔城が、いや封印都市大和全体が震え出した。

「おお、早くも……」

 千夜は声を上げると、広間の窓へと駆け出した。左右に結わえた豊かな銀色の髪がたなびく。我も我もと崎姫、浄心がそれに続いた。降魔ゆえの特性だろうか、どれだけの年月を重ねても三人の性根は変わることがない。双子の千夜と崎姫は少女、浄心は幼女の容姿と振る舞いのままだった。

他の三人は大和中に張り巡らせた妖力網に自身の妖力を接続して、都市全体の変化を確認している。どうやら大和全域が浮上を始めているようだ。

 千夜と崎姫、浄心が目にしたのは、大和が海に沈んでから晴れることのなかった黒い雲が掻き消え、視界を閉ざしていた四方の靄が薄れていく様だった。入れ替わりに大和の周囲に満たされた水と、底から湧き上がる気泡が見える。振動はいよいよ激しくなり、とても立っていられない。窓べりの三人は、外へと飛び出して宙に浮くと、空からこの天変地異を楽しんだ。大和の地が周囲の海底から切り離され、暗い海の底から徐々に海上へ浮かび上がっていく。それとともに周囲が明るさを増す。やがて大和は海中を脱し、その威容を大気にさらした。三人の眼下には、遥か彼方まで続く大地と、見たこともない建造物が平野部にひしめき合っているのが見えた。

『皆、そろそろ戻りなさい』

 芳春が念話で三人に語り掛ける。崎姫と浄心は身をひるがえし大広間へ戻ったが、千夜はそれに構わず外界をもっと見ようと空を翔けた。

「もうちょっとだけ……」

 あっという間に大和の端に辿り着き、改めて眼下の都市をつぶさに見る。小さな箱があちこちで動き回り、さらに小さく蟻のように人間が動いている。

「ようやく人間どもを殺せる日が来たのね……嬉しい」

 千夜は少女の面相として似つかわしくない邪悪な笑みを浮かべた。その千夜の背後から、不意に艶のある女の声がした。

「あら、同感よ。楽しみよねぇ」

「えっ……」

 千夜が振り向くと、いつの間にか見たことのない女降魔が浮かんでいた。

 亜麻色の髪を豊かに振り乱し、身体のラインを強調した黒い布を張り付かせている。背にした羽は鳥のそれに近い。

「せっかく解放されて喜んでいるところをごめんなさい。叉丹様のご命令で、あなた達を殺さなければならないの」

 言うが早いか、女降魔は拳を千夜の身体に突き立てた。突然のことに混乱しながらも、激痛に抗うように千夜はもがき胸を貫く拳から脱した。しかし気を失ったためか、宙に浮いていられずそのまま落下していく。

「あら、逃げられちゃったかしら? まあ、あとでゆっくりと仕留めてあげるわ」

 女降魔――殺女は妖しく笑う。

「さてお次は、と」

 殺女は翼をはためかせると、聖魔城に向かった。

 

「千夜!」

 芳春は千夜の気配が薄れていくのを察知し、念話で呼びかけた。その瞬間、強大な妖力が大広間を満たし、座っていた上級降魔たちを抑えつけた。降魔皇のそれと似ているが、より絶望の香りが強い。久しく感じることもなかった苦痛に抗っていると、広間奥から男の声が響いた。

「初めまして、大和の降魔たち。約束通りはるばる参ったぞ。すべてをもらい受けるために、な」

 なんとか声のする方を向くと、降魔皇の巨大な椅子に人間が足を組んで座っていた。

銀の髪を後ろで結わえ、黒い着物の上に鮮やかな青の肩衣を羽織っている。

「き、貴様、降魔皇様のお席を穢すな!」

 幻庵と氏時はまとわりつく異質な妖気を苦労しつつも振り払い、男に飛び掛かった。しかし見えない壁に弾かれ、逆に吹き飛ばされる。

「降魔皇? ああ、ここではそう名乗っているのか、我が同志は。それにしても――」

 可笑しそうに男は笑う。

「四百年後に会おうとは言っていたからには、諸手を挙げて歓迎してほしいところなのだが……まさか扉を閉ざし、自分たちでは鍵も開けられない有様とは不甲斐ない。あやうく時間に遅れるところだったではないか」

 叉丹は嘲りの表情を浮かべながら、肩を揺らして笑う。

椅子から跳び降り、叉丹は床に倒れこんだ芳春の元へゆっくり近づくと、彼女の蠢く長い黒髪のひと房を掴んで妖力を流し込んだ。体中を稲妻が駆け抜けたかのような痛みに、芳春はうめき声をあげる。

「ほう、我慢強いな。なるほど、霊子砲はこの城の地下にあるのか。約束通りきちんと仕上げたようだな。霊力も……充分だな。そして降魔皇様とやらは……ふん、つまらん。そんなことだから封印されてしまうのだ。まあ、四百年をかけて練り上げた恨みつらみの妖力は使えそうだが」

 叉丹は芳春を妖力で責め上げつつ、彼女の記憶と、妖力で繋がった大和全域の情報を読み取ったようだ。屈辱に耐えかねた芳春は紅い双眸を妖しく輝かせ、蠢く髪をより合わせて大蛇に変えると叉丹の身体を締め上げた。が、叉丹は苦も無くその束縛から逃れ、再び芳春に稲妻を浴びせた。

「妖力の無駄遣いをするな。それはすべて私に捧げるためのものだ」

 四肢を痙攣させる芳春を一顧だにせず、叉丹は再び降魔皇の椅子に跳び乗り、腰かけた。

「さて、わたしはこれから来客をもてなす準備がある。お前たちはあとで相手してやるから、しばらく眠るがいい」

 そうして叉丹が指を鳴らした瞬間、芳春たちの意識は闇に包まれた。

 

 目を覚ました芳春は、痛む頭を押さえながら椅子のひじ掛けを支えに立ち上がる。まず椅子に座って項垂れている崎姫と浄心が目に付いた。続いて奥を見やると、壁にもたれて動かない幻庵と氏時がいた。記憶をたどり、千夜の叫び声を思い出す。

「千夜? 千夜!」

 呼びかけるが、返事がない。慌てて大和全域の妖力網に意識を集中する。流れ込んでくる情報に芳春は言葉を失った。そこに意識を取り戻した幻庵が、ふらつく足取りで芳春に近づいてきた。

「芳春、いったいどうなったというのだ」

「幻庵様……大和がまた海底に封印されています」

 芳春は目を伏せて、事実をそのまま伝えた。

「なんということだ。何が起きたというのだ! こ、降魔皇様は?」

「地下のお部屋はそのまま……大丈夫でしょう」

「そうか。他にわかったことは?」

「まず、千代の妖力がどこにも見当たりません。消失した気配もないので、もしかすると封印の外に逃れたのかもしれません。あと聖魔城の各所が破壊されています。最も大きな被害は、霊力櫨の機能停止です。基部から壊れていて、再び動かすにはどれだけの時間がかかるか……」

「何ということだ。あの叉丹とかいう男は何をしでかしたのだ。降魔皇様の盟友ではなかったのか?」

「わかりませぬ。ただ、あやつは降魔皇様を欺き、我々の力を奪いに来ただけのように思います。最後に『来客をもてなす』と言っていましたが、もしかすると其奴らの返り討ちにあったのかもしれません……」

 そこまで言うと、芳春は椅子に腰掛け頭をもたせかけた。肩が震える。

「こ……」

 芳春の口から、一段低い声がもれた。肘掛けの先に付いた珠を握る両手の血管が盛り上がったかと思うと、珠が砕け散った。

「降魔皇をぉ……」

 珠を砕いた両手の力を緩めることなく、破片を握りしめる。その指の合間から、蒼い血が流れ出した。

「降魔皇様を裏切りおって! この、四百年を、耐えてこられた、降魔皇様をぉ」

 芳春は顔を伏せる。漆黒の髪が再び大蛇に変じ、口の中から毒気を吐き出した。それに呼応するように、聖魔城が震えだし、大和全体が鳴動し始める。大和全域と妖力で強く結びつけられた芳春の怒りが、そのままこの地に轟いているのだ。

「お、落ち着け芳春、落ち着くのだ!」

 慌てて幻庵が駆け寄り、正気を戻そうと芳春の肩を掴んで揺らす。大広間に沈殿した芳春の毒気で目が覚めたのか、氏時、崎姫、浄心も体を起こし、芳春に声をかける。だがその怒りが収まることはなく、地響きは激しさを増すばかりだ。

「ええい許せ、芳春!」

 幻庵と氏時は芳春の左右に立ち、妖力を流し込んだ。芳春に流れ込んだ妖力は、彼女の意識を凍てつかせようと妖力の核を覆い尽くす。

「がぁぁぁ!」

 しかし正気を失った芳春が妖力の昂ぶるままにふたりの術をはじき、身をよじって幻庵、氏時を振りほどく。

『芳春様!』

 かわりに崎姫と浄心が芳春の体に張り付く。崎姫は芳春が正気を取り戻すよう、彼女の精神に働きかけた。背後の浄心も崎姫に合わせて妖力を補強する。すると芳春から生まれた大蛇が徐々に姿を消し、元の艶やかな黒髪に戻った。

大和全域の震えが、聖魔城の揺れが収まる。

そのうちに芳春の四肢の強ばりがほぐれ、そのまま眠りに落ちるように動きを止めた。浄心は流し込んでいた妖力を傷ついた芳春の両手に移し、傷を塞いでいった。彼女の傷が完全に癒えたところで四人の上級降魔たちは床に腰を下ろし、安堵のため息をついた。

「さて、いったいどうしたものやら」

 氏時は吐き出しながら頭上を見た。天井の炎は四つの紫に、いつのまにか緑が二つ加わっていた。

 

    三

 

 大和暦四〇六年――降魔大戦前夜

 

 そこから芳春たちは、抜け殻のような日々を過ごした。

 ただかろうじて、降魔皇の存在が意識を永らえさせた。

 降魔皇への奉仕。彼女たちの唯一にして絶対の存在理由。その魂に刻み込んだ至上命令。しかし、何をすれば降魔皇の望む未来へ近づけるのだろうか。

 大破した霊力櫨は、砲身と霊子力を射出する機構が蒸発していた。しかし本来の機能というべき霊子力蓄積器は破壊を免れていた。もはや霊子力を貯めて何をするのかもわからない状態ではあったが、それまでの習慣通りに上級降魔たちは霊子力の貯め込みを続けていた。

それまでは大和の各地で好きなようにさせていた下級降魔も、聖魔城の地下に集めて冬眠状態にした。放しておくことで時折起こる降魔同士の争いに煩わされるのも、無為な生命活動で妖力を浪費するのも馬鹿馬鹿しく思えたからだ。

 

 転機は何の前触れもなく訪れた。

「氏時様……」

 芳春は、浄心が修復した肘置きの珠を手のひらで擦りながら、向かいに座る氏時に声をかけた。

「ん? どうした芳春」

 このところ抜け殻のようになって自分から話すことがなかった芳春からの呼びかけに、氏時は内心驚いていた。

「聖魔城周辺の空間が切り取られ、外界に召喚されました」

「……ん?」

 その言葉の意味が理解できず、氏時は聞き返した。

「聖魔城周辺の空間が切り取られ、江戸手前の海域上空に呼び出されました」

「なんと大事ではないか! 皆、広間へ集まれ」

 氏時の号令で、他の上級降魔は慌てて広間に集まる。幸い全員が聖魔城内におり、分断されずにすんでいた。

「芳春、全員そろったぞ。早く説明を」

「聖魔城周辺の空間が切り取られ、江戸手前の海域上空に呼び出されました」

「それは、もう伝えた。芳春、そろそろ機嫌を直してくれ」

「……別に拗ねているわけではありませぬ。状況に振り回されていることに飽いただけです」

「芳春さま~っ!」

 駆け寄り腕をとる浄心の言葉に芳春は仕方がないとばかりに首を振ると、背筋をのばして一同を見回した。

「先ほど、千夜からの伝言が届きました」

「千夜が! 生きていたのか!」

 崎姫は金色の髪を振り乱して立ち上がった。

「はい。あの日、大和の端で襲われ地上に落下したことで、再封印をのがれたそうです。その後、人間社会に溶け込み、我々の力を利用したがる者たちと手を組んだ、と」

「その、伝言というのは何なのだ?」

 幻庵の質問にどう答えたものかと芳春は眉をひそめ、たどたどしく説明を試みる。

「千夜の声を閉じ込めた妖力の塊が突然現れたのです。それに触れたところ、あの子の声が聞こえてきました。そうですね、声を閉じ込めた書簡のようなものです」

「千夜……よかった……」

 崎姫は喜びをかみしめていた。その様子を見て、芳春も麻痺させていた感情を徐々に取り戻していった。

「少し意味がわからない言葉もあるので、千夜の言葉をそのまま再現します」

 

『皆さま、お久しゅうございます。積もる話はありますが、この術で伝えられることはわずか。挨拶は再開の折にとっておきます。

 さて、私は降魔の力を利用して世界を征服しようとする組織と共に動いています。その組織の力で大和の一部、聖魔城付近であれば封印を解くことが可能になりました。天使により封印されていましたが、袂を分かった悪魔王の呪いにより綻びができました。ですが、ただ解いてもまた封印しようとする者が出てきます。そのため最も効果がある時機を定めるため、組織は様々な調査を行いました。

 話が大きくそれますが、私が大和から落とされた――結果として再度の大和封印から逃れた年から遡ること十年、この地で「降魔戦争」なるものが起きていました。大江戸大空洞と呼ばれる巨大な空間があり、そこを中心に地脈が乱れました。それがきっかけで大和に封印されたはずの降魔が大量に出現したのです。結局人間にはその理由を解明できなかったようですが、改めて組織と共に私が調べる中で、その原因がわかりました。乱れた地脈をたどったところ、封印された大和を通り抜けていました。しかもその地脈は降魔皇様がお作りになった降魔阿頼耶識と次元を異にしつつも重なり合っていたのです。降魔阿頼耶識は人間の負の感情を生み出すもの。それが地脈の力と混じり合い、大空洞に流れ込み留まったことで降魔が大量発生したのです』

 

「……?」

 話題が唐突すぎて一同は言葉の意味を追うことで精いっぱいだ。話の先がまったく読めないので、理解に苦しむ。芳春は構わず千夜の言葉をなぞる。

 

『ここからが、今回の作戦の要になります。この大江戸大空洞を、人間は浄化しきれていません。常に封印された大和から負の感情が流れ込んでくるためです。この大空洞の上にはちょうど江戸城跡があります。そこに大量の妖力――霊子櫓の霊力を私と崎姫の力で妖力に変換して流し込めばどうなるか。それはこれまでと比較にならない力で降魔阿頼耶識との共鳴を起こし、他の地脈も汚染することで関東十国の人間を一瞬で降魔に変えることになります。私の組織では、降魔を操る絡繰りがあり、その降魔を使役して世界を我が物にしようとしています』

 

 そこで芳春の声が一段低くなった。千夜がそうしたからだ。

 

『しかし私の見込みでは、この地脈汚染は関東十国のみならず、世界中まで伝播させることが可能です。組織の者たちに霊子櫓の霊力量を少なく伝えているため、気づいていないのです。どうでしょう。聖魔城を江戸城跡に据える。それだけでこの世を降魔の世界にする一手となるのです』

 

「なんと、形勢大逆転ではないか!」

 幻庵は興奮のあまり立ち上がる。崎姫と浄心もはしゃいでいる。芳春はうなずくと、千夜の締めの言葉にはいった。

 

『この妖力言霊が皆様に届いたという事は、聖魔城の周囲が封印から切り離されたという事です。今は妖力を隠す術で封印を覆っていますが、移動すると術が消えてしまいます。ただ動かなくても七日ほどで術は解けます。それまでの間に、降魔に街を襲わせ、混乱させてください。そして隠形の術が切れたところで聖魔城を江戸城跡へ移動させてほしいのです

 突然ことを進めることになり申し訳ありません。しかしこれは降魔にとって乾坤一擲の策であることは、ご理解いただけたと思います。事が成ったあかつきには、再会を寿ぎましょう』

 

 芳春は咳ばらいをし、語り口をいつもの調子にもどした。

「ようは、七日の間に江戸城跡付近を混乱させ、その後この聖魔城を江戸城跡まで移動させることができれば、この世の人間全てを降魔にできる、ということです」

「血がたぎるのう。戦の準備じゃぁ」

 氏時は興奮を抑えきれず、体中から妖力を漲らせた。芳春もうなずくと、居住まいを正して鋭く指示を出した。

「下級降魔一万は、まずは聖魔城下の海に潜らせます。その後、海岸線に沿って薄く展開した後、地上へ上陸し人間どもを蹂躙なさい。的を絞られないよう、組織的な動きは不要。まずは地上にある兵力、武器を徹底的に削るのです。

 幻庵様、崎姫は下級降魔一万を率いて待機、一週間後の聖魔城移動に合わせて全方位を守備。こちらへの攻撃を、身体を張ってでも止めさせてください。

 氏時様と浄心はわたしともに聖魔城内部にとどまり、聖魔城自体を動かすため、霊子砲の霊力を呼び起こします。また万一外敵の侵入があれば、最後の砦として迎え撃ちます。この戦、聖魔城を、降魔皇様を守り抜けばわたしたちの勝利です。

 我々にはもはや失うものなどありません。降魔皇様のため、命を賭して戦いましょう!」

『応!』

 芳春の号令で、一同は持ち場へと向かった。

 

 緒戦となる下級降魔の地上への侵攻は、最終的に投入した降魔の大部分が殺されたものの、充分に人間を混乱に陥れることに成功した。軍の大部分を目標地点の周囲十キロから押し出すこともできた。少しやり過ぎて市街地から人間が逃げてしまったのは誤算だ。これで後の人間降魔化での規模を削る結果となるが、問題というほどではない。

 気がかりなのは局地的に現れる精強な部隊だ。その部隊は人型の絡繰で構成され、霊力を自在に操っていた。幸いその数は少ないと見え、戦局を左右するほどのものとは思えなかった。

 問題は千夜との連絡が途絶えていることだった。地上の現状や戦術について段取りを整えたかったが、先のような伝言が届く気配もない。こちらから念話ができないかを試みたが、何度やってもうまくいかない。それでも想定通りに進む戦局に、芳春は手ごたえを感じていた。

 

 そうするうちに一週間が過ぎ、聖魔城を覆っていた隠形の術が剥がれ落ちる様が感じられた。芳春はすかさず聖魔城を取り囲むように妖力の防壁を作り上げ、ゆっくりと城を移動させた。大和全域に妖力網を巡らせていたことを思えば、城ひとつ動かすことなど造作もない。そうしてはじめこそ慎重に城を動かしていたが、一通りの手順の確認を終えた芳春は聖魔城の速度を一気に速めた。

それから数刻の後。

 聖魔城と感覚を共にしている芳春は、周辺が球状の何かに包まれたように感じた。慌てて聖魔城の防壁を強化するが、強烈な破邪の気にあてられ昏倒した。芳春たちが知る由もないが、それは幻都召喚による余波だった。それにより芳春を含む上級降魔、そして聖魔城周辺にいた降魔全員が意識を失っていた。

 

 最初に意識を取り戻したのは幻庵だった。彼は宙に浮いた聖魔城の周辺を、降魔一万を引き連れて取り囲んでいたはずが、気が付くと地面に倒れ伏していた。なんとか立ち上がると、周囲には見たこともない様式の建物がひしめき合っている。慌てて飛び上がると、正面にそびえたつ聖魔城が妖力の結界越しに見えた。聖魔城のふもとには石垣のようなものと堀がある。

「おい、みな聞こえるか! 聖魔城が地上に……江戸城跡に収まっているぞ!」

『なんと、まことか⁉』

 幻庵の念話に氏時が反応した。遅れて崎姫、浄心が歓声を上げた。すわ目標達成かと湧き上がったのも束の間、なぜか聖魔城を取り囲む空気は異様に淀んでいる。上級降魔の眼ともいえる芳春は未だ目を覚まさず、やむなく幻庵は動くことにした。

「これからわたしは聖魔城の先を見てくる。崎姫は聖魔城の外だな? 後からでいい。ついてこい」

『わかったわ』

 遥か先から強力な結界らしき気配が感じられる。まずはそこを目指そうと、幻庵は人間の街を見下ろしながらゆっくりと飛んでいく。

 しばらくすると地上の建物の切れ間に、鮮やかな薄桃色の人型カラクリが見えた。地上で降魔たちが苦戦していた相手と気づき、幻庵は人型カラクリ目掛けて地上に降りた。勢いを殺しきれず地面が揺るぎ、砂塵が舞い散る。

『何者!』

 若い女、しかし覇気のこもった声がした。幻庵は口元を歪め、そちらへ向かって突進した。

 

 芳春が目覚めたのは、体中に這い回る怖気のせいだった。その形容しがたい禍々しさを感じ、芳春は習慣的に大和全域の妖力網から情報を掬いあげようとした。だが聖魔城の先につながらないことで、聖魔城だけが封印から逃れた現状を思い出す。

「おのれっ!」

 芳春は体を起こしながら、自身の妖力を周囲に展開させた。数秒後、氏時と浄心の気配と人間の集団の気配を感じ取る。

次いで七人の人間が織りなす点の連なり……懐かしい七剣星(北斗七星)の形を感じ取った。そこに秘められた桁違いの破邪の気配に気づいた芳春は、本能的に空間を跳んだ。

 此方と彼方の空間を結び瞬時に移動した先では、十体近い人型絡繰と戦う氏時と浄心がいた。ふたりの襟首を問答無用で掴む。この先には幻庵と崎姫が、同じ場所に七剣星の霊力の源らしき力があることはわかっていたが、もはや時間がなかった。

再び聖魔城へと跳んで周囲の防壁にありったけの妖力を注ぎ込む。それと同時に七剣星から、すべての魔を滅ぼさんと牙をむく霊力が放たれた。それは『北斗七星の陣』による破邪の閃光だった。

 芳春は地下に眠る霊子砲の霊力をもつぎ込んで、無我夢中で防壁を維持する。芳春の意図に気づいた氏時と浄心も、自身の妖力を芳春に送った。どれだけの時間、破邪の力に抗っていたかわからぬまま、芳春、氏時、浄心は再び意識を失った。

 

    四

 

 再び大和暦四一二年――幻都封印から六年

 

 そうして意識がもどったのが、先ほどである。周囲に戦闘の気配はなく聖魔城も健在であることに安堵しつつ、氏時と浄心の気付を行った。そして各々で哨戒にあたったところまでが、ここに至る回想であった。

「さて、これからどうしたものか」

「この地にたどり着き我々が意識を失ってから、すでに外界では六年が経過しています。内部に敵が潜んでいるとすれば、とうに我々は討たれているでしょう。あるいは、敵もこの結界の中にとらわれて、思い切った行動が取れないのかもしれません。油断はできませんが、ひとまずは小康状態と考えましょう。私はこの土地に妖力網を巡らせ、そこから情報収集を始めたいと思います。それが終われば、妖力と霊力の流れにより全体像が把握できるかと。

ですので氏時様と浄心には、腰を据えて周囲の探索……幻庵様と崎姫の捜索と、人間どもの姿がないかの確認をお願いします」

「わかった。ところで千夜とは連絡は取れないのか?」

「はい。周囲の結界のせいだと思うのですが、大和が封印されていたときと同じように、外界の様子がまったく覗えませんので」

「みんな居なくなって寂しいな……」

 浄心がうつむく。芳春は浄心のもとへ近づくと、優しく頭をなでた。

「まだ誰かを失ったかもわかりません。悪いようには考えず、皆が戻ったときに誇れるよう行動しましょう」

 芳春の微笑みに、浄心は大きくうなずいた。

 

――――*

 

 新次郎はまだ形を残している数少ない雑居ビルの上に座り込み、眼下の廃墟を見るともなく見ていた。帝都を完璧に複製した幻都だが、時がたつにつれて漂う空気は乾き、砂埃に煙る日が増えた。

 幻都が復元したのは土地建物だけではなく、屋内の衣類、道具…生きる者以外のすべてであったため、日常使用する道具に事欠くことはなかった。とはいえ、あれから随分と時間がたった。体感では半年を過ぎたぐらいだが、大破したスターの時計では六年が経過している。幻都突入時にレニが計測した通り、外界の時の流れは幻都の十倍近く早いようだ。

 と、前触れもなく新次郎は手にした刀を鞘から抜き、振り向きざまに上へと払った。金属音が響き、柄を握る両手がしびれるが、構わず後ろに下がりながら正眼に構える。視線の先には、二剣を両手に構える大神の姿があった。

「やるな、新次郎。どこから気づいていた?」

 大神は笑顔を見せながら剣を鞘に収め、新次郎の隣で腰を下ろした。

「二刀目を抜刀したところです。気づいたことを悟られないようにするの、難しいですね」

 新次郎も納刀して元の場所に座る。

下級降魔との変化のない戦いのなかで感覚を鈍らせないように、と日常的に隙を見て打ち掛かるのが日課になって久しい。始めたのは、言うまでもなく双葉だ。寝込みを襲われた大神は歴戦の戦士としての面目躍如、見事にかわして見せたが、いかんせん双葉の技の破壊力が大きく吹き飛ばされてしまった。やり過ぎだと抗議する大神に双葉は反省のそぶりも見せず「ここは戦場だ」とだけ言って、以降も時と場所を問わず斬りかかってきた。一番肝が冷えたのは、降魔との交戦中に背中から斬りかかられたことだ。確かに余裕がある相手だったが、それにしても危険すぎる。しかし、こうして油断なく振る舞えているのは、彼女の奔放な振る舞いのおかげであることは間違いなかった。そのうち大神、新次郎、ジェミニンの間でもこの訓練という名の気晴らしが日常となったが、そうなると「なんだ、つまらん」と見切りをつけるのが双葉らしい。

ひとしきり双葉の破天荒な振る舞いを話題にして気分転換をしていたふたりだったが、新次郎ふと思いついたように大神に尋ねた。

「一郎叔父、ひとつ聞いてもいいですか?」

「どうした、新次郎?」

 大神は穏やかな表情で、言葉の続きを待つ。

「正義って……何でしょう」

 それは質問のようでも、独り言のようでもあった。新次郎はそのまま視線を空に向けた。大神も釣られて空を見上げる。大神はしばらく考え込んでから、答えを口にした。

「正義か。俺は、それを〝志〟だと思っている」

「志――ですか?」

「ああ。正義は人の数だけ、いや、降魔や怪人、魔人も含めた、意思を持つ者の数だけ存在する。だからそれぞれの正義を並び立てることなんてできはしない」

 新次郎は少し意外な気持ちで、その言葉に耳を傾けた。彼にとっての叔父は、いつも何にも揺るがぬ気持ちで敵に向き合っているように感じていた。そんな姿を見ていたからこそ、彼の中には、確固たる像を持った正義があるものだと思っていたのだ。

「この先によりよい未来を求める気持ち、根本にあるのはそうした願いだ。だから正義が何かではなく、ありたい未来を掴もうとする気持ち――志そのものを正義と俺は呼びたいんだ」

 新次郎は、かつて戦った第六天魔王織田信長との闘いの中で、星組と意識を通い合わせたときのことを思い出し、口にした。

「昨日より今日、今日より明日。

 明日の自分に会いたい。

 もっと幸せになった自分と巡り合いたい」

 そう語る新次郎を大神は眩しそうに眺め、うなずいた。

「そうだな。だから状況が許す限り、俺は相手の正義を知りたいと思っている。向こうも必死だから、うまくはいったためしがないけどな。新次郎は魔人織田信長相手にそれをやってのけた。本当に尊敬するよ」

 突然褒められて、新次郎は恥ずかしさでたまらなくなる。

「そんな……あの時は一郎叔父にもらった袋のおかげで、自分が何をすべきか気付けたんです。改めて、ありがとうございました」

「そんなこともあったな。今思うと少しキザだった」

 顔を見合わせ、心からの笑い声を久しぶりにあげる。一陣の風が舞い、会話が途切れた。

「だがな、新次郎」

 随分と時間がたっていたが、先ほどの会話を大神は続けた。

「俺は、外道は許さない」

 先ほどまでの穏やかな表情を崩さぬまま、しかし強い意志を込めて大神は言い放った。

「自らの欲望で動き、他人を仇なすことに溺れ、暴虐のかぎりを尽くす輩は何を語ろうと取り合うつもりはない」

「一郎叔父……」

「さて、そろそろ巡回と行くか」

 大神は立ち上がると、帝都花組、巴里花組の幻体を呼び出す。すると音もなく、十二体の幻体が大神の背後に現れた。大神はそのまま幻体を従えて歩き出す。新次郎は伸びをしながら、その背中を見送った。

 

 実のところ、大神たちは手詰まり状態になっていた。

 しばらくは幻体との連携確認も兼ねて単独行動の降魔を狙っては、ジェミニンの教えの通り核を破壊し『吸い取るくん』の領域へと運ぶことが日課であった。しかし日を重ねるにつれ、降魔は本能的に聖魔城の付近に集まり、単独行動を見せなくなった。時には幻体たちの再生能力を恃んで降魔集団の一角を切り離し、そこへ大神たちの個人技で切り込むなど簡易な戦術を試してみたが、雲霞のごとく集まってくる降魔の前では危険に見合うだけの戦果をあげるに至らなかった。

 そして『吸い取るくん』の影響範囲を阻むものの原因調査については、その手がかりさえも掴めていないのが正直なところだ。北斗七星の陣発動以降は上級降魔が姿を現すことがなかったので腰を据えて調べようと、崩れた本屋から見つけ出した地図に『吸い取るくん』の領域をみんなで書き込んでいった。しかし当初からわかっていた『聖魔城に近づくと領域が削られがちである』ことが証明できただけで、それ以上の規則性や傾向を見つけ出すことができなかった。恐らくは聖魔城のなかに解決の糸口があると思われたが、霊力を拒む強力な結界に阻まれて侵入することすらできなかった。

 とはいえ無為に時間を過ごすこともできない。大神と大河は、持ち回りで幻都内を巡回しながら、現状打破のきっかけを待っていたのだった。

 

 その日に大神が銀座を目的地としたのは、ローテーションだ。そして大帝国劇場跡に立ち寄ったことはただの気まぐれだった。

大神は開け放たれたままの正面玄関から足を踏み入れた。その後を、帝都花組、巴里花組の幻体が、音もたてずに続く。絨毯には砂塵が絡まり、崩れた壁から剥がれ落ちた欠片が爪先に当たって転がる。半壊した正面の大階段を迂回し、奥の扉を開けた。大神の視界一杯に客席、その先に舞台が見える。大きく光が射しこんでいるのは、天井のドームが崩れ落ちているためだった。舞台を彩っていた緞帳は大きく傷つき、天井から辛うじて垂れ下がっているような状態だ。この惨状が幻都に再現された後のものであってほしいと、大神は心から願った。

 不意に客席に差していた光に大きな影が差した。それと共に不吉な音……降魔の羽ばたきが聞こえて顔を上げると、下級降魔が崩れたドームを覆わんばかりにひしめいていた。続いて、残っていたドームが軋み音をあげながらゆっくりと崩れ、大神の頭上に降り注いだ。慌てて二階席の影まで下がると、轟音とともに巨大な影が降り立った。丸太のような腕、はち切れんばかりの胸筋が青銅色の肌で覆われている。下あごの犬歯が突き出す異相――降魔、おそらくは上級。

「おい、人間。この街の結界を解け。さすれば不本意ながら、楽に殺してやる」

 端的に己が要求とその見返りを提示すると、降魔は不機嫌そうに両の拳を胸の前で叩きつけた。その衝撃だけで、周囲から砂埃がはじけ飛んだ。

「大神一郎だ」

 一方の大神は突然の上級降魔登場に動揺することもなく、静かに名乗る。

「教えてくれ。お前たちの目的は何だ」

 降魔の細められた目に真っすぐ視線を向け、問う。ついに現れた、問答可能な降魔だ。できるかぎり多くの情報を引き出したい。対する降魔は不機嫌そうに鼻を鳴らしながら答える。

「降魔皇様を元の世界にお戻しすることよ」

 ひとまず会話になっていることに安堵しつつ、大神は重ねて問う。

「では降魔皇の目的は何なんだ?」

「知れたこと。人間どもを根絶やしにすることよ」

 取り付く島もないが、大神は諦めない。

「どちらか一方が死に絶えるまで、落としどころはないのか」

「それが降魔の本能……人間よ、お前らが存在していると思うだけで、虫唾が走るのだ。さあ、答える気がないなら、捕らえて責めあげるまでよ」

 降魔は無造作に足を踏み出し、大神向かって突進した。

「せめて名乗れ。お前もひとかどの武人だろう」

 それを危なげなくかわしながら、大神が言った。

「ふん。氏時だ」

 答えながら、氏時は伸ばした腕で裏拳を見舞う。大神は客席に飛び移ってそれを避ける。

「以前、幻庵と名乗る降魔がいた。関係があるのか?」

「人であったかすら忘れたわ。それより幻庵はどうした。崎姫もおったのだろう?」

 氏時は不機嫌さを露わにしながらも、仲間の安否を優先した。

「すまない、生死はわからない。俺の仲間と闘ったあと、行方知れずだ」

「そうか……ではもうよい。大人しく捕まれ」

 言うと、氏時は咆哮を挙げた。建物の外で控えていた降魔たちが、次々に入り込んでくる。氏時自身は、降魔の到着を待たず大神に殴りかかってきた。やむなく大神は刀を抜いて応戦する。

「『男役三人』、『ダブルヒロイン』は壁を作って降魔を防げ!」

 大神の声に、マリア・カンナ・レニ、さくら・エリカの幻体が反応し、押し寄せる降魔を身体で止めつつ、勢いが落ちたところでそれぞれの得物で降魔を狩り始めた。

「『つばさ』は俺の死角を守れ!」

 紅蘭とアイリスの幻体は、大神と背を合わせて襲い掛かる降魔を押し返す。

「『てんてこ舞』、『暑い夏』は正面玄関までの退路を確保!」

 続いて織姫、グリシーヌ、花火の幻体が正面玄関に続く扉付近をかため、コクリコとロベリアはその先へ走り、正面玄関から入ろうとする降魔へ遠距離攻撃を仕掛けた。

 かつて大久保長安事件で帝都巴里の華撃団が一堂に会した際に、帝国華撃団・巴里華撃団のメンバーを牌にした絵合わせが流行ったことがあった。そこでは決まった組合せのメンバーだと得点が増すという役がつくられたのだが、大神はメンバーを呼ぶキーワードとしてそれを流用したのだ。新次郎たちとの昔話から冗談ではじめたことだったが、数ヶ月も訓練すると自由度高く幻体を操ることができた。大神は氏時の連撃をかわし、時に刀でそらしつつ、徐々に正面玄関に近づく。そうして、隙を見て大帝国劇場から飛び出したが、予想通り、道路側にも降魔が溢れかえっていた。

「全員、戻って円陣カウンター!」

 大神が言うと幻体達は姿を消し、すぐに大神を中心にした円陣を組んで現れた。割って入ろうとする氏時を、正面のカンナが拳で応戦する。その隙をついて、大神は二刀を前方で交差させた。

「狼虎滅却・金甌無欠!」

 重ねた刀から稲妻が生じ、それを地に打ち付けると電撃となって八方に突き抜けた。幻体達はうまくそれをかわすが、降魔たちは正面からくらって吹き飛ぶ。

「やるではないか。しかしこの数相手でどこまで耐えられる?」

 カンナの突きで壁まで吹き飛ばされた氏時は、それでも余裕を崩さない。

 その時、最も降魔の薄いところから、新たな一団――新次郎率いる紐育華撃団の幻体たちが現れた。

「狼虎滅却・超新星!」

 星組メンバーの霊力をその身に流し込みつつ、新次郎は周囲の降魔を爆炎で吹き飛ばした。大神の円陣の一部から、降魔が完全に剥がれ落ちた。

「一郎叔父、こちらから!」

 新次郎はいつもと同じく、大神の経路を守る位置で身を潜めていたのだ。と、新次郎の背後から場違いな幼女の声がした。

「すご~い! ねぇ、浄心とも遊んでよ!」

 新次郎の顔の真横に、狐の耳を生やした釣り眼の幼女降魔が現れ、短刀を突き出した。無邪気に笑い、目元から口角にかけて延びた赤い墨がたわむ。反射的に身を引いた新次郎は左の小太刀で弾き、右の刀で追い払う。「けちんぼ!」と頬を膨らます浄心を、周囲とは段違いの速度で切りつける新手が現れた。普通の幻体を装っていたジェミニンだった。その攻撃は想定外だったようで、浅黄色の腰巻の袖が宙に舞う。が、身体にはかすりもしない。

「ジェミニン、合わせるぞ!」

 新次郎はジェミニンと呼吸を合わせ、浄心に連続で切りかかった。

その混乱をついて、大神は氏時に背を向けて逃げ出す。

「おのれ、背を見せて逃げるとは!」

 その振る舞いが氏時の逆鱗に触れたのか、氏時は両足に込めた妖力を解放し、一直線に大神の背中に拳を突き立てた、が、真下からの衝撃に押さえ込まれた。腹には二本の刀が突き立っている。突如地面から刺突を浴びせたのは、双葉だった。

「どうだ、光刀無形もどきと神刀滅却もどきの味は!」

双葉は言いながら、次撃のため体から刀を抜こうとしたが、氏時の肉の圧に阻まれて微動だにしない。

「ふ。なかなか良い一撃だったが、次はどうする? 霊力の刀とは言え、消してすぐに実体化はできまい」

「よくわかってるじゃないか。だが、それも想定済みさ」

 双葉は不敵に笑うと、二刀から手を離した。そして舞うように両手を宙になびかせ、鋭く身体をひねった。

双葉が伸ばした手に殺気を感じた氏時は左腕で頭と首をかばった。青い血しぶきが舞う。双葉の手には、うっすらと輝く霊剣荒鷹もどきと神剣白羽鳥もどきが握られていた。

「これを防ぐとは、敵ながらあっぱれだ」

「二刀と思わせて、不可視の二剣とあわせた四振りを扱うとは、見事。が、わしには通用せん」

「なに、まだまだこれからだ!」

 双葉は氏時の胸を蹴って、背後に飛んだ。二剣を構えなおす。

 そこに大神が割り込んだ。

「姉さん、一旦下がりましょう。相手は降魔、どのような技を持っているかわかりません」

「わたしだって、まだまだ隠し玉はいくらでもあるぞ」

「姉さん! 人間相手ならいざしらず、降魔相手なら俺の方は経験が上です。ここは俺に従ってください!」

「ふん、いっぱしの口を利くじゃないか。そこまで言うなら従うとしよう」

 そのやり取りを興味深く眺めていた氏時だが、残念そうに言った。

「なんだ、もう終わりか。人間相手とはいえ、闘いの楽しさを思い出したところなのだがな」

「氏時、問答ならいつでも受けて立つ。また会おう。いくぞ新次郎、ジェミニン!」

 大神は言うと、幻体を呼び寄せつつ双葉と共に新次郎が空けた空間を走り去った。新次郎とジェミニンも、浄心を引きはがしながら後を追った。

「もうよい、浄心。あちらの方が、準備としては一枚上手だった」

「主力部隊を囮に、小隊が隙をついてくるまでは読めてたんだけど……」

「虚ろな幻体に紛れていた赤髪――ジェミニンと言っていたか、なかなかの使い手だった」

「氏時様に食らいついた女も凄かったね。氏時様、気づいてた? 途中から笑ってたよ」

「これはいかんな、人間相手に。が、強者との闘いぐらいしか楽しみがないからのう」

「もう、芳春様に怒られちゃうよ。全然情報収集にならなかったし」

「ま、あやつもワシが殊勝に話をするなど、期待しておらんよ」

「それもそうだね~」

 ふたりは激しい闘いを終えたばかりだというのに屈託なく笑うと、所在なくうろつく降魔に号令をかけ、聖魔城へと戻った。

 

 大神たち一行は、念のため築地まで駆けた。霊剣荒鷹と共に安置された『吸い取るくん』の影響下である。淀んだ海上にただよう船の群れに、目指す屋形船があった。一同はそこに乗り込むと、畳の上に座り込んだ。

「いよいよ上級降魔がでてきましたね」

 新次郎は緊張を残した声音で、大神を見た。

「ああ。情報らしい情報を得ることが出来なかったのが残念だ」

 大神は悔しそうにこぼす。

「まあ想定内だろう。それに戦い始めてからは、氏時とやらもご機嫌だったぞ?」

「浄心も、うまくおだてれば何か引き出せるかもしれん」

 対する双葉とジェミニンは楽観的だ。

「それにしても、最初は姉さんとジェミニンをここまで徹底的に隠すのはやりすぎだと思っていたけど、むしろそうでなければあの数相手ではあれしかない、というか……御見それいたしました」

 大神は素直に首を垂れる。横で新次郎もうなずいている。

「まあ、士官学校入りして覚えたてのにわか戦術で挑んでくる一郎と加山君を相手にしていれば、裏の裏を読むのにも慣れようものさ」

 双葉は豪快に笑った。大神は昔を思い出して、恥ずかしさのあまり頭がさらに下がってしまう。

「いずれにしても、初戦で手札を見せすぎた。これからは今日のようにはいかない」

 ジェミニンは表情を引き締めながら、新次郎を見る。

「はい。でも、膠着していた状況が動くかもしれません。だから、前向きに頑張りましょう」

「さ~すが新くん~。ほら、母の胸にとびこんでこい。いい子いい子してやろう」

「もう、母さん。子ども扱いはやめてください!」

 屋形船から笑い声が響き渡る。戦いの興奮からか、饒舌な皆を見やりながら、大神は氏時との問答を思い返す。徹底的に人間を否定し、降魔皇復活だけを目標とする存在。そしてその降魔皇は人類を滅ぶすつもりだという。やはり、どちらかが滅びるまで戦い続けるしかないのだろうか。

だが、出会ったばかりなのだ。まだ結論を出すのは早い。四百年前から人を恨んでいる存在を相手にしているのだから。大神は先の新次郎からの質問である『正義とは何か』を思いだし、自らを奮い立たせるのだった。

 

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