偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版   作:出口豊志朗

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第十二章 慈力

第十二章 慈力

 

    一

 

 長きにわたる北条家の歴史絵巻が、幕を下ろした。

 眼下で沈みゆく大和を見ながら、さくらたちは言葉を失っていた。紫水晶に閉じ込められた北条家の人々の過酷な戦い、悪魔の企みに巻き込まれて訳もわからないままに封印された領民たちとその運命に思いを馳せる。

 物語はここで終わりではない。

 ここから四百年が経過した現代、大和は大魔王サタンの謀略により一度は封印が解けるものの、帝国華撃団とミカエルにより再び封印された。

 その六年後には聖魔城を外界に現出させるも、三国の華撃団が生み出した幻都によって封印されている。

 そのすべてに立ち会った者として、敵である降魔の背後にこれだけの苦難が湛えられていたなど、予想だにしなかったのだ。

 気が付くと、さくら、マリア、アイリス、カンナ、紅蘭は霊体に戻り、互いの姿を認めることができた。さくらとカンナはアイリスに駆け寄って様子をうかがう。マリアは悄然とたたずむ紅蘭の肩を抱き、顔を寄せた。宙に浮かんだ不安定な状況にとまどいつつも、触れ合うことで落ち着きを取り戻した一同は、これまで見てきた北条家の受難をふまえて、知り得たことを繋ぎ合わせることにした。

「帝国華撃団……いえ、お父様たち降魔部隊が戦っていたすべての元凶がサマエルということがはっきりしました」

「そして魔界の力の影響で、北条一族や大和の領民が降魔に変じたこともわかったわね」

 さくらとマリアが口火を切る。

「わからへんのは降魔皇の存在やな。サマエルのことかもしれへんけど……しばらくは魔界に閉じ込められると陰陽頭が言うとったし、なんかしっくりこんな」

「最初に見つけた紫水晶と中にいた北条一族も変だぜ。アタイは上級降魔の氏時と浄心と戦ってるし、さくらも幻庵と崎姫を相手にしたんだろう? なんで別々になってるんだ?」

 紅蘭とカンナは理屈と感覚で違和感をあぶりだす。

「あのね、最初の部屋には紫水晶と、カンナが見つけた妖力の珠があったでしょ。あれって、芳春たちの苦しい気持ちを溜めて、どこかに流していたように思うの」

 アイリスは所々つかえながらも、記憶を言葉にしていく。もしあのとき、アイリスが負のエネルギーと妖力の珠に気を取られていなければ、紫水晶のなかにいる北条一族が霊体であることに気づいていただろう。そのピースが足りないせいで、話が迷走しているのだった。

そうして流れた沈黙が、突如不躾な嗤い声で破られた。

「ハッハッハーッ!」

 五人は声のする頭上を見上げる。そこには漆黒の鱗の蛇面悪魔、青銅色の毛を纏った猪面の悪魔、そして浅黄色の狐面の悪魔が姿を現し、ゆっくりと高度を下げてきた。

「儂らの餌場に妙なものが混じっていると思ったら、まさか人間がおるとは」

 猪面が野太い声をあげた。

「だが、締め上げれば旨味がでそうな魂の色をしているぞ」

 蛇面が先の割れた長い舌を出し入れして喜色をあらわにした。

「ずーっと同じ思い出の繰り返しで飽きちゃったし、楽しみ!」

 狐面が跳びはねながら三本の長い尾をくねらせる。

「餌場? 魂の色? 思い出の繰り返し?」

 悪魔の言葉を聞いて、紅蘭が考え込む。

「なるほど、紫水晶の人間の意識に苦しい記憶を追体験させ、そこから生まれる苦悩を餌にする寄生虫、ということかしら」

 紅蘭の呟きで結論に至ったマリアの言葉に、猪面が憤慨した。

「寄生虫だと! 儂ら上級悪魔に向かって無礼な奴ら」

「悪魔に上も下もねぇよ。お前らがあの人たちを苦しめてるんだったら、とっちめてやる」

 カンナはいつになく真剣な表情で睨み付ける。

「弱い犬ほどよく吠えるというが、我らの力量も読めんのか」

 蛇面はあきれたように言うと、両手をムチのように振るい、アイリスと紅蘭に巻き付けた。すかさず抜刀したさくらがその手を断つ。

「あなたたちの妖力は、これまで戦ってきた相手の中でも抜きん出ています。だからといって戦わない理由にはならない!」

「そうよ! それにアイリス達、本気出したらす~っごいんだからね!」

 アイリスは言うと、仲間たち四人の身体に自身の霊力を流し込み、光の防壁を纏わせた。それを合図に、五人と三体の悪魔の乱戦が始まった。アイリスと紅蘭を守るようにさくらは蛇面、カンナは猪面、マリアは狐面を相手に立ち回る。紅蘭は押し込まれそうになる仲間の援護を、アイリスは傷つく仲間の治療を行いサポートする。しかし啖呵は切ったものの、本来であれば霊子甲冑で相手にするべき力量の敵を前だ。徐々に防戦一方となっていた。

「なん~だ、威勢がいいのは口だけね」

 狐面は三本の尾を針のように窄め、マリアの腕を貫く。顔をしかめるマリアを、アイリスが援護する。

「イリス・グラン・ジャンポール!」

 マリアの頭上から巨大なジャンポールが現れたかと思うと、傷口を見る間に癒していった。が、その間にも狐面の刺突は止まらない。マリアは致命傷をさけるので精いっぱいで、見る間に傷が増えていく。

 カンナは猪面と力比べになって膠着状態だが、さくらは蛇面の両手両足をムチのように振るう攻撃をさばききれず、左腕を痛めていた。

「回復が間に合わないよ!」

 アイリスの顔色が青ざめたとき、頭上から清浄な光が射しこむとともに、白い鳥の羽根が舞い降りてきた。

「数多なる奇跡の光よ……とどけ心に! 

サクレ・デ・リュミエール」

 

 天から射し込む輝きが、さくらとマリアの傷を即座に回復させた。頭上からは、さらに声が続く。

 

「炎を見るたび思い出せ死の恐怖を!

 フィアンマ・ウンギア!」

 

「大いなる荒波の力を我が手に! グロース・ヴァーグ!」

 

「北大路花火、二の舞……御覚悟! 落花啼鳥!」

 

「イッツ・ショータイム! みんな、出ておいで!

 マジーク・ボンボン!」

 

 狐面の周囲に紅蓮の業火が巻き起こり、荒波が頭上からたたきつけられ、炎の羽が体中を切り裂き、最後には猫の大群が殺到した。たまらず後ろに引くも、踏ん張りがきかずに倒れた狐面の前に、五人の乙女たちが降り立つ。

 

『巴里華撃団、参上!』

 エリカ、グリシーヌ、コクリコ、ロベリア、花火が見得を切った。

「おのれ、雑魚がぞろぞろと!」

 猪面は激昂し、巨体を膨らませて勢いのまま突っ込んできた。単純な力押しゆえ受け流すこともできず、グリシーヌとロベリアが吹き飛ばされる。再度突撃しようと急旋回する猪面。そのとき、帝都花組と巴里花組の間を駆け抜ける一団が現れた。

 

「ミフネ流剣法、極意っ! イッツ・メンキョカイデン!

 ターニング・スワロー!」

 

猪面の脇腹を突如現れた炎の馬が激突する。

 

「癒やしをあなたに……さぁ、はじめます

メジャー・オペレーション!」

 

「アイム ジャスティス! 天国を見せてやるっ!

 ギルティ ストライク!」

 

「ゴッハン! ゴッハン! ステーキ、ポテト、ハンバガー、いっただきまーす! モア! モア! ショットーッ!」

 

「沙羅双樹の花の色……雪、月、花、いざ……狂咲!」

 

 弾かれた巴里の面々に爽やかな青の風と水泡がまとわりつき、その身を癒やした。続いて縦横無尽に張り巡らされた鎖の乱舞と弾幕、そして扇による斬撃が猪面の身体を打ちのめした。足がたたらを踏み、ゆっくりと崩れる猪面。その前に、四人の乙女と性別不詳が一名立ち並ぶ。

 

『紐育華撃団、レディー・ゴー!』

 ジェミニ、サジータ、リカ、ダイアナ、昴は、倒れ伏した猪面を追撃していく。

 

突然の敵増援にとまどう蛇面の背後から、声がした。

 

「クアットロ・スタジオーニ!」

 

「ダス・ラインゴルト!」

 

 振り返る間もなく蛇面は背中に打ち込まれる霊力と槍の突きを脇腹に受けて、倒れる。

「真打ち登場でーっす!」

「みんな、お待たせ!」

 現れた織姫とレニが、さくらたちの輪に加わる。

「おいさくら、ここはアタイ達も、だろ?」

 カンナが言うと皆がそれぞれに構えた。緒戦の傷と疲労は、エリカの霊力ですっかり回復している。さくらたちは得物を構え、次々に霊力を解放した。

 

「破邪剣征 桜花放神!」

 

「四方攻相君!」

 

「聖獣ロボ!」

 

「パールクヴィチノイ!」

 

 桜舞い散る斬撃の突風、燃えさかる虎の突進、四体のロボの四方からの爆撃、オーロラの幻影が降り注ぐなかからの急所への一撃。蛇面は先の攻撃から立ち直れず、受け身もとれないまま全ての攻撃を食らった。

 

『帝国華撃団、参上!』

 七人の乙女が勢揃いした。

 

 すでに三体の悪魔は虫の息だが、北条家、大和の領民への義侠心にかられた十七人は、とどめとばかりに束ねた霊力を三条、天空から打ち下ろす。

『――!』

 もはや声を上げることも出来ず、悪魔達は三本の光柱に貫かれて消し炭と化した。

 

 完全に悪魔の気配が消え去ったのを確認すると、帝都、巴里、紐育の華撃団員たちは歓声を上げた。降魔大戦緒戦からここまで、息を突く暇もない厳しい状況の連続だった。そんな中での久しぶりの達成感。喜びもひとしおだ。

互いに再会を喜ぶなか、マリア、グリシーヌ、サジータ、レニは簡単に状況を共有する。巴里花組、紐育星組、欧州星組はそれぞれが降魔阿頼耶識で活動している最中に突如意識を失ったかと思うと、帝都花組が黒い靄に包まれてからの一部始終を見ることになったのだという。

巴里花組は付近の集落を襲う悪魔退治の顛末と領民の感謝を、

紐育星組は紫水晶に閉じ込められた人々の救出劇を、

欧州星組は突如現れた、なぜかひどく疲弊した金蜂・銀蛾・蒼龍、三体の上級悪魔との決戦を聞かせあった。

皆の興奮が少し和らいだところで、周囲の風景……足下に広がる海原と周囲に見える山や平野がぼやけだした。そうして徐々に暗くなり、真横に居た仲間の姿も見えなくなるほどの完全な闇に包まれたかと思うと、突如視界が戻った。そこは帝都花組が姿を消した、紫水晶に囲まれた広間だった。

華撃団員たちは円陣を組んだような状態で並び、その内側に紫水晶の柱が六本立っている。

「ここは、霊剣荒鷹メンバーが目を覚ました場所です」

「昴は言った。「降魔阿頼耶識」に戻ってきたのだ、と」

「おい、見てみろよ!」

 カンナが柱の足下を指さした。そこには、上で漂っていたはずの朱い珠の幾つかが落ちて砕け散っていた。

「なかの人たちは、北条家の!」

 ダイアナは紫水晶に閉じ込められてた人間を見て驚きの声を上げた。確かに、氏時、幻庵、芳春、千夜、崎姫、浄心と並んでいる。うち氏時、芳春、浄心の柱の真下に、砕けた珠があった。上に残る三つも、それぞれ大きな亀裂が走っていた。

「この珠とさっきの悪魔と関係があったのだろうな」

 グリシーヌは言いながら、珠の破片をつまんで目をこらす。特に変わったところもなく、妖力や霊力の類いも感じられない。

「なら、幻庵、千夜、崎姫は?」

「欧州星組で戦った、やけに弱っていた金・銀・蒼の上級悪魔がそうなんじゃないかな? 千夜はわからないけど、幻庵と崎姫は幻都から逃れて、降魔阿頼耶識と時空を隔てたことでバランスを崩したのかもしれない」

 レニの説明は想像の範疇を超えないが、否定するだけの材料もなかった。

「逆に氏時と芳春、浄心の上級降魔はどうなるんやろ? 降魔自体は人間の身体を土台にしてるから、妖力だけを失うんかな」

 紅蘭の独り言に答えられるものはいない。一通りの疑問が洗い出されたことを確認して、マリアが手を打った。

「さあ、みんな。ここはまだ敵の術中よ。一度気持ちを切り替えましょう」

 その言葉で生まれた静けさで、部屋の隅にある階段から足音がしているのが聞こえた。一同が身構えているなか現れたのは、狩衣姿の老人だった。

「出口さん!」

「無事だったんだな!」

 紐育星組メンバーが駆け寄る。他のメンバーはそれを守るように円陣を組み、レニは素早く階段に異常がないか確認する。

「石に入ってた人たち、リカが全員外に出しておいたぞ」

「岩穴の悪魔も退治しました。それに仲間の話では上級悪魔を……皆で倒したのを合わせて三体、取り逃したものの深手を負わせた三体、東の集落付近の悪魔多数もです。まだ安心とはいえないでしょうが、少しは危険が減ったと思います」

 リカとダイアナが出口の姿を見守りながら、戦果を伝えた。突然の話で、出口は頭が追いついていないようだった。茫然と紐育メンバーを見回すうちに出口は視線の先に紫水晶を認めて、ゆっくりと歩み寄った。そうして中に居る人間の姿に驚きの声を上げた。

「こ、これは芳春様……こんなところにいらしたのですね」

 出口はつぶやくと、肩をふるわせた。その眼から涙があふれだし、嗚咽を漏らす。ダイアナは以前もそうしたように、やさしく彼の背をさすってやった。一同は知っている。出口は芳春と通じ、幾年ものあいだ紗冥流を出し抜くために、恐怖に抗いながら準備を進めていたことを。たとえこのような姿の再会であっても、万感胸に迫ることだろう。

「ところで出口さん、どうやって紗冥流から逃げたんだ?」

 サジータの問いに、出口は首を横に振った。

「いえ、私は彼の命でここに上がってきたのです。皆さんをご案内するために」

「ええっ、紗冥流がボク達を呼んでるの?」

 ジェミニの驚きを肯定するように出口はうなずき、来た道を戻りだした。

「ついてきてください。地下に参ります」

 マリアとレニは、それに戸惑い視線を交わしつつも、すでに動き始めている集団の後を追い始めた。出口の歩調に合わせた移動の道々、紐育メンバーは出口に質問する。

「ボクたちが見た過去だと出口さんは若かったのに、どうして歳をとってしまったの?」

 体調を心配するジェミニの言葉に、出口は苦笑した。

「降魔阿頼耶識では領民の心が折れるたびに舞台が最初に戻って歳が若返ります。私は聞きかじりの陰陽術でずっと隠れていて、その影響から逃れていたのです。霊体が老いるわけではないのですが、あまりにも長い時間を過ごすうちに、私自身の気持ちが老いてしまったんでしょうなぁ」

「紗冥流にひどいことされなかったか?」

 リカの直接的な質問に、出口は微笑む。

「ええ、大丈夫でしたよ。ここに連れられてすぐに、皆さんの行動の方に興味をもったようで、つい先ほどまで私のことを忘れていたくらいですから」

「結局、今の紗冥流はどういう状態なんでしょう?」

「紗冥流は大和の封印から逃れるために氏綱様の身体から抜け出して、自分の元の世界である魔界に戻ろうとしたんです。普通の結界なら先にこちらと魔界をつないでおけば、しばらくは行き来できるので。ですが、私たちはそうする可能性に気づいていたので、河川浄化の法と同時に異界の移動を邪魔する結界も張っていたんです。隣国に集まった五千人の霊能力者の半分は、それが役割でした。何でも絶界の力を用いたとか……」

 出口の口からでた『絶界』の言葉に、一同は言葉を失った。幻都を作りだし、封印した北斗七星の陣のルーツが、ここで絡んでくるのは予想の範疇を超えていた。

「ここに、隠し階段があります」

 出口は聖魔城地下二階、十二支の層の南、午の間に足を踏み入れると壁に掛けられた掛け軸の一つをめくりあげた。何もないように見えるが、そこでいくつかの場所に手を押し当てると、中央の畳が箱を開けるように開く。その下に、地下へと続く階段があった。そこからは、ひたすら螺旋状に降りるだけだった。中央は吹き抜けで、足を滑らせれば底の見えない地底にたたきつけられるのだろう。

随分と下ったようで、霊体だというのに皆は寒気を感じていた。いや、それは下層に足を踏み入れたからではなく、紗冥流の存在によるものなのか。出口は階段を降りきり、先にある巨大な扉の前まで一同を導いた。出口が振り向いて乙女達を見回していると、背にした扉がゆっくりと開き始めた。

「わたしの役目はここまでです。皆さん、どうかご無事で……」

 出口は、背後から流れ来る妖力に震える身体を必死で押しとどめながら言った。

「ここは危ないですから、すぐに上へ戻ってくださいね」

ダイアナが代表して答えると、一同は暗い部屋の中に足を踏み入れた。全員が中に入ると同時に扉はゆっくりと閉じていった。出口は扉の向こうに向かって手を合わせ、彼女たちの無事を心から祈った。

 

 そこは聖魔城全体を構築していた紫水晶とは違い、大理石で覆われていた。天井ははるか頭上にあり、そこと床をつなぐ長い円柱が、幾本も立ち並んでいた。柱ごとに蒼い炎が揺らめき、奥の方まで灯りをつないでいる。静謐を湛える空間はむせかえるほどの妖力に満ちており、一行は一歩前に進むだけでも疲労を感じていた。それでも弱みを見せてはなるまいと、何事もないように奥へ向かう。

 しばらく進むと先に壁が見えた。見上げるような高さまで階段が伸びており、階段が途切れたところに巨大な玉座が設えられていた。しかし、そこに人影はない。と、脇にある柱から人影が姿を現した。そこに居る誰もが、その姿を知っていた。

白銀総髪の紅眼。紅緋に染めた大紋直垂姿。

「久しぶりの来客だ。上から迎えるのも失礼かと思ってな」

 低く、しかし涼やかな声音で話しかけ、立ち振る舞いは紳士然としている。だがその身から溢れ出している妖力は汚泥のように皆を包み、息をするのも苦しい。

「細々とした問答は面倒だ。こちらから話させてもらおう。言葉を出すのも辛そうだしな」

 紅眼の男――紗冥流は皮肉気に笑みを浮かべながら歩を進め、玉座を背にしたところで浮かび上がった。そして指を鳴らし、一同の背後に豪奢な椅子を出現させた。ゆっくりと手を横に払うと、緩やかな妖力の波紋が彼女たちを押し、椅子に座らせる。

「さて、まずは自己紹介から。私の名はサマエル。北条一族の記憶で知っているだろうが、神の園にいた人間を堕落させ、地上へ追いやった天使だったのだが……しかしそれが神の不興を買ってな、堕天させられたのだ」

 サマエルは言うと、背中から翼を生み出し、大きく広げた。その翼の色は漆黒だった。

「同じころ天使長ルシファーが神に反旗を翻したが返り討ちにあい、同じく堕天する。地上に降り立った彼は、大魔王サタンを名乗っていた。それぞれの存在を認識した私とサタンは念話で通じ合い、いつか欺瞞に満ちた神の世界を滅ぼそうと誓い合ったのだ。そうして、星の巡りなどを計算した上で、この時代に戦力を集中させて攻め込む段取りを取り決めたわけだ。私が担うことになったのは、たまたま居た東方の地。そうして大和を生み出し、そこ拠点に人間から負のエネルギーを吸い上げ、蓄えようとしたわけだが、北条一族にまんまとしてやられたわけだ。とはいえ、お前達も見ただろう。この降魔阿頼耶識から生まれる負のエネルギーを。当初の計画とは違うが、四百年をかけて私は神と戦うための力を約束通り集め続けていたのだ」

 ここでサマエルは言葉を止め、眼下の数人……さくら、マリア、アイリス、カンナ、紅蘭を見た。

「さて、ここでお前達に聞きたいことがある。盟友サタンのことだ。彼は約束通りに現れ、封印されたこの地を解放したようだ。しかし、その直後にこの地に溜め込んだ負のエネルギーを使いつつも、消滅したように思える。それについて知っていることを教えてくれないか。少しはここの空気にも慣れたろう?」

 それに答えたのはマリアだった。

「サタンは大和の地を呼び出し、聖魔城の地下にある霊子砲を使って帝都を焼いた。私たち帝国華撃団はサタンと戦い、最後には大天使ミカエルの助力もあって倒すことができた。サタンは大天使ミカエルの助けを拒み、自ら滅びを選んだ。これでいいかしら?」

サマエルの真意がわからず、マリアはどこまで情報を伝えてよいのかを思案しつつ言葉を選ぶ。

「なるほど、とても簡潔でわかりやすい。別にそれを知ることでお前達に不利があるわけではないのだが……まあ裏取りには充分だ」

 マリアの狙いを正確に把握しつつも、サマエルはそれを責めようともしない。

「ひとつ私から質問をしていいかしら?」

「どうぞ」

「あなたはどうしてその状況を把握していなかったの? あなた自身は聖魔城にいる北条氏綱の身体とつながっているのでしょう?」

「ああ、それなら氏綱を誉めてやってくれ。確かに私はお前達が倒した六体の悪魔と同様、氏綱とつながりがある。しかしいずれ訪れる私からの接触を見越して、陰陽頭たちは自身が降魔化するまでのわずかな時間で氏綱の体を聖魔城地下に用意した多重結界に閉じこめたのだ。そのせいで私は彼の見聞きすることはわからないのだ。残念なことに、あのとき上級降魔たちはサタンの動向を把握しないまま気を失っていたし、下級降魔たちにはまともな思考がないから読み取ることもできなくてね」

「では、降魔皇というのは……」

「あれは、上級降魔たちが勝手にそう呼んでいるだけだ。本来なら私の名を奉ずるべきだが、あの姿に私の名を重ねられるのも気に食わんのでそのままにしている。だが、侮るなよ。降魔皇は私を通じて妖力だけはその身に蓄えているからな。それに氏綱は正気ではあるまい。あれを解放すれば、天変地異を相手にするようなものだと思っていた方がいい」

 何が可笑しいのか、サマエルは肩を揺らす。

「さて、盟友サタンは私を解放する事もなく消滅し、神と戦おうにも力を溜め直すのに時間がかかる。聖魔城や大和の封印を解くのも骨が折れそうだ。どうしたものだろうね」

 サマエルの質問に困惑しつつも、さくらが口を開いた。

「もう人間には構わず、この地で安らかに過ごしてもらえませんか。もちろん、大和の領民を降魔阿頼耶識から解放して」

「お前達の立場なら、まあそうなるだろうな。しかしそれは、私を何もない牢獄に閉じ込め、飢えるまま死ね、と言っているのだと、わかっているのか?」

「それは……」

「いやいや、責めているわけではないのだ。お前は自らの望みを正しく言葉にしただけだ。さて、そうなると私が考えるべきはこういうことだ。『生きるべきか、死すべきか』と。そして私は今、生きるべき理由を見失っている」

 話の着地点が見えず、乙女達は混乱する。

「では私に死すべき理由があるの言うのか? いや、それもない。ならば、わかるだろう?」

 そこでサマエルは言葉を切ると、一同を見渡した。

「だから、次に何かをするための準備だけはするとしよう。そう、お前たちの負のエネルギーを蓄えるのだ。感じるぞ、お前たちが抱えている心の闇を。愛する人を亡くしたな? 自身の失敗で大事な人を傷つけたな? そして知らなかったとはいえ、元は人間だった降魔を殺したな? 何百、何千の。どうだ、胸が痛むだろう? お前達が生み出す力が、楽しみで仕方ないぞ」

 その言葉に、さくらたちは立ち上がり、身構えた。

「さあ、せいぜい抗うがいい。まずは味見だ。水晶に閉じ込める前の新鮮な絶望を、私に味わわせておくれ」

 言い終わるやいなや、サマエルが両手を頭上に掲げた。すると一同にまとわりついていた妖力が実体化し、その動きを四方八方から押し止めた。口を開けることもままならない。徐々に妖力が黒く染まり、視界を塞いでいく。彼女たちのために用意した蒼い炎も、用済みとばかりに消えていった。巨大な地下空間は完全な闇に閉ざされた。

サマエルは哄笑をあげながら、闇を意にも介さず真っすぐ玉座へと飛んだ。石の座に腰を下ろして、身体の力を抜く。長らく続いた予定調和の世界に入り込んだ闖入者に昂ったせいか、全身に倦怠感を覚えていた。とはいえ、しばらくすれば捕らえたものたちの初々しい負のエネルギーがこの身を癒すだろう。サマエルは昏い悦びに浸りながら、目を閉じた。

 

闇に包まれた乙女たちの精神に、サマエルが呼び出した悪夢の卵が埋め込まれている。卵は彼女たちの瑞々しい霊力に感応し、孵化をはじめた。紫がかった殻を割って現れたのは、蛇の頭だった。ひとつ、ふたつ、と頭が飛び出し、五つを数えたところで胴がのぞいた。ひとつの身体に五つの頭を持つ蛇。妖蛇は胴から数条に分かれた頭を伸ばし、乙女たちの精神の核を這い回る。チロチロと二股に分かれた紅い舌先で核を舐めながら狙いを定めると、妖蛇は鎌首をもたげて五つの口を大きく開いた。上あごの毒牙から淀んだ液が滴り落ちると、核の表面が悲鳴を上げるように明滅する。それを合図に妖蛇は乙女たちの精神の核に歯を突き立てた。

牙から伝わる柔らかい感触に妖蛇が愉悦を感じた瞬間、五つの頭が爆ぜた。

続いてのたうち回る胴が身体中の水分が干上がるようにしぼみ、ポンと音を立てて掻き消える。いつの間にか乙女たちの精神は、桃色の輝きで覆われ守られていた。精神の核だけではない。その輝きは乙女たちの身体をも包み込み、妖力に押し固められる寸前のところで押しとどめている。それらは徐々に広がり、乙女たちを繋ぐように膨らみ椀を伏せたような形状にまで成長していった。乙女たちを喰らわんと迫りくる妖力の壁を桃色の輝きは押しとどめ、何かが訪れるのを待っていた。

 

    二

 

 大神、新次郎、ジェミニンを襲っていた痛みが、唐突に途絶えた。だが三人とも全身に力をこめて耐えていたので、身体を起こす余力もない。わずかに上級降魔らしきうめき声が耳に入いる。誰かが助けてくれたのだろうか。わずかに眼を開くと、双葉が霊力で生み出した光刀無形が光を帯びている。ということは、双葉が消えたわけではないはずだ。新次郎はなんとか身体の下で肘をたて、仰向けに転がる。すると手元にあった光刀無形が宙に浮かび上がった。視界の端には、他の霊刀三振りも浮いているのが映る。双葉が生み出した霊力の二剣二刀もどきは、それ自体が意識を持っているようにゆっくりと回り始めた。すると、その間にある空間がゆがみ、渦を作り出した。そしてその渦の向こうから、双葉の声が聞こえる。

「さあ、三人とも。こっちへ来い!」

 その呼びかけに呼応するかのように双葉が作り出した二剣二刀もどきから、三人の身体に霊力が注ぎ込まれる。それでようやく身体の力を取り戻した三人は、互いを支え合いながら立ち上がり、渦の真下までたどり着いた。

渦から射す光に目を閉じた新次郎が再び目蓋を開けると、すぐ前に巨大な扉が現れていた。そして、その前には存在感が薄れつつある双葉の姿があった。

「ここは降魔阿頼耶識といって、降魔が人間だった頃の精神がとらわれている世界」

「母さん、身体が!」

「大丈夫。もともと霊体なのだ」

「双葉姉さん……何を知ってるんだ?」

「おう、一郎もすっかり頼もしくなってきたな」

 双葉はそう言って笑うと、振り向いて扉を指さした。

「ここに、大和を作り出し、聖魔城を、霊子砲を、降魔を生み出した存在がいる」

 突然のことに、新次郎は驚き、隣のジェミニンと目を見合わせた。ジェミニンも状況が飲み込めず、首を横に振っている。

「そして、ひと足遅かったせいで、このなかに華撃団のみんなの魂が閉じ込められている」

「そんな! みんなは本物の二剣二刀に霊力を注いでいるはずだ」

 大神の驚きをよそに、双葉は話し続ける。

「二剣二刀が、華撃団のみんなを降魔阿頼耶識へ送り込んだのさ」

 言いながら、双葉は二剣二刀もどきを大神と新次郎の前に移動させた。眼前に浮かぶ霊刀を、ふたりの二刀使いはそれぞれに手にする。

「その元になっている四振りの霊剣には、刀工が込めた『人を護りたい』という願いと霊力が詰まっている。そして、その使い手達も、命を削りながら戦い、自身の霊力や魂の欠片を込めて逝った。それが幾代も続くうちに、二剣二刀は護国の象徴として意識をもったんだ。その意識は人間と少し違うものだから会話はできないんだが……ただ、国と人を護るために必要な導きを行ってきた。今回のこともその流れのひとつだ」

「どうして母さんがそんなことを知ってるの?」

 新次郎の問いに双葉は笑みを浮かべると、そこまでの厳かな雰囲気を解いていつのも調子で話し始めた。

「降魔大戦が始まってすぐだったかな、藤枝くんから連絡がきたんだ。何でも次の戦いに備えて二剣二刀の禊ぎを任せたい、という申し出だった。

とはいえ、禊ぎを行ってことは巫女だろ? わたしはほら、新くんも産んでるし? 若い娘のほうがいいんじゃないか? と断ったんだけど……新くんと一郎に関わることだから是非にと請われてね。それで山に籠もって精進潔斎していたんだが、二剣二刀に気に入られたのか魂ごと引き寄せられて、そのまま一緒に幻都に連れてこられたんだ。そしたら、ふたりがつくりだした私の幻体に引き寄せられて――まあ、こんなことになった、というわけだ」

「え、じゃあ母さんは!」

「双葉姉さんは……」

 大神と新次郎は顔を見合わせて震えあがった。

「あれ、言ってなかったか? 私は正真正銘、本物の双葉だぞ」

『え~っ!』

「そうか、だから私に対して、あんなに強気な発言ができたんだな、一郎。姉に反抗するなんて、少しは成長したと思っていたが」

「あ、いや……その……」

 大神は冷や汗を流しながら、睨み付ける双葉の視線から目を逸らした。

「まあいい。二剣二刀がどこまで予見していたのか知らないが、結果的にこうしてお前達の力になれたわけだ。ここについての情報は、二剣二刀が送り込んできた断片的なイメージから推測したものだから、多少は間違ってるかもしれんがな。そして、どうやらここへ導くのが、最後のお勤めのようだ」

「最後って、母さんはどうなるのさ?」

「心配するな。私が二剣二刀の元に戻って眠りにつくことになりそうだ。だから二剣二刀を持ち帰ってくれれば、自然と魂も戻るはずだ。だから頼んだぞ、ふたりとも。私を置いていくようなことがあったら、降魔皇の代わりに帝都を襲っちゃうぞ」

 先行きが知れて少し安心したのか、大神は双葉に最敬礼した。

「姉さん、本当にありがとうございました。ここまで来られたのは姉さんのおかげです。あとの事は任せてください」

「そんな堅くなるな。それよりな、お前に言い忘れていることがあった。とても大事なことだ」

 真剣な双葉の表情に、大神は生唾を飲み込む。

「外の世界では、あれから七年が経とうとしている」

「はい」

「だからな、マリアやカンナは三四歳だ」

「はい?」

「まあ、こっちでは実質一年だし、あの娘達は仮死状態だから肉体的には歳はとっていないわけだが、外にもどったら、周りからはそう見られる、ということだ」

「はぁ」

「太正の世になって随分と男女関係には、こう、自由な感じになったわけだが……やはり適齢期、というものを周りは考えるだろう」

「ん?」

「なんだ、察しの悪いやつだな! そろそろお前も大神の血筋を残すことも考えないといけないだろう? ほら、幻体の姿しか見ていないが、帝都花組も巴里花組も器量よしが揃ってるじゃないか~。一郎、誰が本命なんだ? こんな戦いに巻き込んだのだし、隊長として責任をとるべきだろう? それとも、あれか? 全員俺の嫁~っとか言い出すのか? いいぞ? 私は認めるぞ! 全員、私の妹だっ!」

「ねねねね、姉さんっ!」

 大神は顔を真っ赤にして双葉の口を塞ごうとするが、薄れつつある幻体相手では効果がない。大神に対しては言いたいことを言って落ち着いたのか、双葉は続いて新次郎を見た。

「新くんもそうだぞ。さすがにリカは……と思っていたが、今なら二〇歳だ。年齢的に問題なくなるぞ。中味は変わっていないが、そこは愛の力があれば大丈夫だろう。あと、サジータは三一歳だ。言いたいことは……わかるな?」

「お、俺だって、二六歳です! もう結婚して子供が居てもおかしくない年頃です!」

「ジェミニン、よく言った! そういえば、さっき新くんと結婚したい、といっていたな」

「はい! 新次郎が望むのならジェミニと、いや星組のみんなと一緒に嫁に行きます!」

「ちょっと、ジェミニン!」

「おっと、そういえば昴は結局男なのか? 女なのか? まあ、周りの目はあるだろうが、母は気にせんぞ! くだらないことを言う奴がいたら、たたきのめしてやろう」

「母さん~っ!」

 

 ひとしきりからかったことで満足したのか、双葉は両手を腰にあてながら満面の笑みを浮かべていた。対する大神、新次郎、そしてジェミニンまでもが、戦いとは別種の疲労を覚えて腰を落としている。

「さて、冗談……いや、本気か? まあいい、後はくれぐれも頼んだぞ」

 双葉は三人の様子にお構いなしで、扉を開けた。大量に流れ出してくる濃密な妖力に、大神たちは頭を切り替える。

「皆を助けてやれ。そして、すべてを終わらせて無事に戻ってこい」

 三人は思い思いにうなずき、双葉を見やりながら扉の中へと消えていった。それを見届けると、双葉は扉をゆっくり閉める。

「新くんが紐育でがんばっている姿を見て、もう母の元に戻ることはないと思っていた。だから、ここで過ごした時間は私にとって何よりの贈り物だった。

絶対に、絶対に戻ってくるんだよ。それまで母は少し……眠るとするよ……」

 双葉は襲い来る睡魔にあらがえず、意識を失った。双葉が作り出した二剣二刀もどきがゆっくりと彼女の四方に移動すると、柔らかな輝きでその身を包みながら諸共に姿を消した。

 

 足を踏み入れた部屋は闇を塗り込めた妖力で満ち満ちていた。大神たちは無意識に防護壁を作り上げ、前へと進んでいった。先へ行くにつれ酷くなっていくのだろうと覚悟していたのだが、むしろ抵抗力が減じていく。かといって妖力が薄れているのかというと、明らかに濃くなっている。大神は、新次郎とジェミニンをみて驚いた。ふたりを護る防護壁が普段よりも強く輝き、接する妖力を霊力に変えていたのだ。しかし霊力に変じたその輝きは防壁に吸収されず、星屑のように輝きながら虚空へと飛んでいく。

そこではじめて、自分自身にもその変化が起きていることがわかった。なぜかはわからないが、敵の本拠地だというのに自分たちを助ける力が流れ込んでくるのを感じた。はじめは二剣二刀かと思ったが、どうもしっくりこない。そもそもこの力は、霊力ではないようなのだ。

不思議に思いながらも先へ進むと、前方にドーム状の輝きが見えた。妖力の抵抗もないので、三人は駆け出す。たどりついた桃色に輝くドームの中では、華撃団の皆が直立しながら円陣を組んで宙を浮いていた。目は閉じており意識はないようだが、その表情は安らかである。大神たちは顔を見合わせると意を決し、そのドームに身体を飛び込ませた。すると三人も同じように身体が持ち上げられ、乙女たちの円陣に加わる。ゆっくりと陽光のような温もりが全身を包み込んだかと思うと、三人は強烈な眠気に襲われた。そうして、そのまま皆が見る夢へと導かれていった。

 

    三

 

 青く晴れた大空の下、東京湾上空から見る海原は輝いていた。右を見れば房総半島が、左を見れば彼方に富士の霊峰が見えている。しかし、その裾野から広がる町並みはエイハブ改の艦橋から見た風景から一変していた。あの焼け野原がなくなっていたのだ。それどころか巨大な建物が立ち並び、中にはひときわ高い塔のようなものも混じっている。建物の影から見え隠れする道路は太く、その上を往来する車は道を埋め尽くさんばかりの量だ。時折茶色の道路を高速で通過するのは蒸気汽車だろうか。それにしては蒸気は出さず、やけに長い。徐々に視線を下げていくと海岸線が随分変わっていて、埋め立てが進んでいる様子が窺えた。

(これは……俺たちがいない間に、帝都はここまで復興したのか?)

 大神が想像した疑問を、突然流れ込んできた情報の嵐が塗り替えていく。

『一九九六年。元号では平成八年』

(一九九六年! ではここは遙かな未来なのか?)

 再び情報の嵐が大神の頭蓋を巡り、その認識を訂正する。

『ここは天使と悪魔の不在により枝分かれした別世界の未来。大正、昭和、平成と時代を重ねている』

(この世界に降魔はいないのか?)

『この世界に降魔はいない』

 この調子で疑問と回答、質問と回答、誤った認識への訂正が延々と続き、大神の頭はパンクしそうになった。

(いったい誰がここに俺を呼んだんだ?)

 そう思った瞬間、大神は都内アパートの一室に飛ばされた。そこには、テレビを前にして座っている少年がいた。コントローラーを両手の親指人差し指で動かすと、次々と画面が切り替わる。

すでに問答を介することなくこの地の知識を引き出せるようになった大神には、目の前のものがゲームであると理解していた。画面には、見慣れた大帝国劇場が映し出され、見知った人たち……花組や風組、司令部の面々が登場する。そこでは世間を騒がせた大小さまざまな事件がときには俯瞰して、ときには当事者に入り込んで描かれていた。報告書にはない、自分も知らないような人物同士の交流も映し出される。このゲームのタイトルは『サクラ大戦』といった。

 壁に貼られた日本歴史年表を見ると、平成という元号が改めて目についた。その年表は縄文時代から始まっていたが、太正だけが違って〝大正〟となっている。そして年表の内容を信じるなら、この世界には欧州大戦、降魔戦争、そして降魔大戦が起きていない。代わりに関東は震災に見舞われ、さらに二度に及ぶ世界大戦が世を乱したようだ。生活様式にも大きな違いがある。どこを見ても蒸気エネルギーを使用している形跡がなく、電気というものが中心になっているようだ。大神は都度流れ込む情報の波に慣れてきた。

 ふと思いついて、ゲームをプレイしている少年を見る。その少年はゲームの中で起きる事件やさくらをはじめとする人物達の喜怒哀楽を同じように感じていた。そうして、時に手に汗を握り、時に目尻に涙をにじませ、のめり込んでいった。聖魔城の浮上とサタンとの闘いで次々に仲間が離脱していく様を見て、大神自身も泣きそうになった。少年は鼻をすすりながら、先へ、先へと進んでいく。そうして仲間たちがミカエル……あやめの力で復活したところで、こらえきれずにコントローラーをおいて盛大に鼻をかんだ。潤んだ目をこすりながら、操作を始める。厳しい戦いだ。画面上の出来事とはいえ、仲間たちの体力を示すゲージが減っていくと胃が痛くなるようだ。それでもなんとか画面を覆う大魔王サタンを撃破した。少年は声を上げて喜ぶ。そうして続くミカエルとサタンのやりとりに再び肩をふるわせ、米田が生きている描写で、また鼻をかんだ。

(俺たちの戦いがどうしてゲームに……俺たちの世界の歴史が誰かに伝わったんだろうか)

 大神が考え込む間にも、画面はどんどん先へと進む。と、目の端にとんでもない光景が映った。蒸気汽車に乗っていたさくらをバイクで追いかける大神。それを見つけたさくらは無理やり汽車をとめて窓から外に出ると、大胆にも大神のまたがるバイクに飛び乗る。そしてふたりは口づけを――。

(いやいやいやいや、俺はこんなことしてないぞ!)

 そこにアイリスの声が聞こえてきた。

(お、お兄ちゃんはアイリスの恋人じゃなかったの⁉)

(ほー、大神はん。ウチらの知らんところで、やることはきっちりやってたんやね)

 紅蘭の声が続く。お互い姿は見えないが、同じものを見たようだ。

(え、あたし、大神さんと? どうして覚えてないの……)

 絶望感の漂う声で、さくらが呟く。

(こ、これは何かの間違いだ!)

 大神の言葉に呼応するように、目の前の風景が切り替わった。窓から差し込む陽光の位置が変わり、少年が着ている服も瞬時に替わっていた。日めくりカレンダーをみると、先ほどから数日経っているようだ。画面には、シャトーブリアン家の巨大な広間でアイリスの両親と食事をする大神がいた。アイリスが霊力でピアノを弾いている。

(え、お兄ちゃんがどうしてパパ達と?)

(なんや二股かいな。大神はん、見損のうたで)

 そのやり取りが終わるのを待たず、再び風景が切り替わった。画面上では北京行きと書かれた札の下げられた赤い飛行機が、大神と紅蘭を乗せて飛んでいる。そこで突然飛行機が操作を受け付けなくなり、ふたりはパラシュートで脱出した。紅蘭は大神に抱えられている。

(なんだ、紅蘭もじゃねぇか)

 カンナが紅蘭をからかい始める。慌てる紅蘭に、アイリスも食いつく。

(みんな、おちついて。これはゲームのエンディングというものみたい)

 そう言うマリアの声の裏では、マリアと大神が墓参りをしている情景が映し出されている。

(遊んでいる中で一番親しくしていた人物とのその後を描いているだけよ)

 そして立ち上がろうとしてよろけるマリアを受け止めた大神は、そのままマリアに重なりふたりは口づけを――。

(ち、違うの、これは違うの!)

 めったに聞くことの出来ないマリアの狼狽える声に、一同が爆笑した。その後ろで、すみれ、カンナのエピソードも流れていく。ようやく一通りのエンディングが終わり、何度も目にしたエンドクレジットを眺めて流れる歌声に耳を澄ましているうちに、一同は少し落ち着きを取り戻した。

(はあ、寿命が縮まるとはこの事だよ……)

 大神がため息交じりに言う。

(ねえ、お兄ちゃん。この人のお顔を見て)

 アイリスの声につられ、大神は少年の顔を見る。

(ね、とっても幸せそう……)

(本当、舞台から帰るお客さんの表情を思い出すわ)

 さくらも、うっとりした声をあげる。部屋の中ではまた時が移ろう。ラジカセから花組の歌や、ドラマCDなる音声劇が流れた。なじみ深いものもあれば、知らない曲、知らない物語も含まれている。

(この人の日常に、私たちのゲームや音楽、歌があるんですね)

 マリアが感慨深げに話す。皆も口々に感想を話し合う。そうするうちに、これまでとは違った一際大きな視界の乱れが起き、別の部屋に場面が切り替わっていた。

『一九九八年』

 そこでは、ゲームに夢中になっている少女がいた。タイトルは『サクラ大戦2』とある。副題には『君、死にたもうことなかれ』と、明治文学を代表する与謝野晶子の詩題が添えられていた。描かれているのは黒鬼会事件と太正維新クーデターだ。やはり一般に知られていないはずの出来事が中心になっている。

(やっと私たちの出番でーす!)

(女の子の認知と、世界への介入がつながっているのかな……)

 織姫とレニが会話に加わった。ここまでの流れは把握しているらしく、エンディングでの甘酸っぱい演出にも動揺しない。

(でも、これって流石にうまくできすぎじゃあーりませんか? もしかしたら、大神さんの妄想とか)

(えっ?)

 再び大騒動の予感を覚えて大神はたじろいだ。しかし続くレニのコメントが、矛先を変える。

(それを言うなら、ボクたちの願望かもしれないよ)

(あっちゃ~、それ言うてまうか~。そうやとしたら、マリアはん、隊長とお酒飲んだ後こっちでもキスしとったけど)

(お、お願い、紅蘭。もう、もうやめて……)

 マリアがあえぐなか、場面が切り替わる。少女の部屋の時が進み、部屋中にマリアのポスターや写真が飾られていた。部屋に流れる音楽は、もちろんマリアの歌だった。

(おおマリア、愛されてるじゃねえか)

 カンナの言葉に、マリアはもはや返事をする気力もなくなったように沈黙していた。

 

『二〇〇一年』

 再び大きく場面転換し、ワンルームマンションの一室に移り変わった。青年がプレイするゲーム機が、新しいものになっている。

そのタイトルは『サクラ大戦3~巴里は燃えているか~』。舞台は巴里に移り、その地での華撃団の設立、怪人たちとの闘い、そしてパリシィ事件が綴られている。周囲では巴里花組の声が聞こえてきた。

(……おい、この流れ。アタシたちもあの甘ったるい作り話を見せられるのか?)

 ロベリアの声が、相当に不機嫌になっている。

(ど、どうであろう。わたくしに疚しいところなどないが)

 一方でグリシーヌは動揺を隠しきれていない。

(なんだか自分が活動写真に出てるみたいでドキドキしちゃうね)

(ええ、素敵な思い出になりそうね)

 コクリコと花火は完全に観戦モードになっている。

(あれ~、やっぱり大神さんと迎えた朝は、わたしの勘違いだったんですね~)

(だから、何度も言ってるじゃないか!)

 エリカの残念そうな声に、大神が必死で抵抗する。

(ああ、懐かしい。また巴里にみんなで行きたいですね)

 巴里へ帝都花組が訪れたエピソードが流れる。さくらの言葉に、帝都花組の皆も口々に賛同する。

 が、話が進み、パリシィ事件の佳境から解決まで、皆の口数が減り――いつしか沈黙が支配していた。大神が副隊長を選び、副隊長を励まし、そうして日本へと去って行く。

(大神さん、サイテーです)

 さくらの声が震えている。巴里の面々は誇張された表現に察しがついたので気にならない様子だったが、帝都の面々には二股をかけて巴里の女性の心をもて遊び、任務終了よろしく帰国したようにしか見えないのだ。

(だから、これは演出だって! 筋は同じだけど、こんなにロマンチックな流れでは……)

(なに言ってるんだ、隊長。アタシとの話だけは、本当にあったことじゃないか。公園のベンチでふたり包まった毛布の温もり。アタシは今でも思い出せるぜ)

(ロベリア、毛布は二枚あったし、そもそも副隊長はエリカくんに任せたんじゃないか)

 ロベリアが情感たっぷりに茶化したおかげで、帝都花組の面々は毒気を抜かれたようだ。

(蒸し返すようですまんが、実は自分のエピソードを見ていて思ったのだ。わたくしは本当に副隊長に任命されたことがあるような?)

 グリシーヌの本音に、コクリコと花火も同意する。

(この世界は分岐したものと教えられたでしょ。もしかすると世界はもっと細かく分かれていて、本当に誰もが副隊長に選ばれた世界があるのかもしれない)

(分岐した自分の記憶を、どこかで共有しとるんかも)

 レニの推論に、紅蘭が持論を付け加えた。

(なるほど。胸にすとんと落ちた気分だ。感謝する)

 グリシーヌの言葉に合わせて、青年の部屋には巴里花組の歌が流れ出した。それはグリシーヌとロベリアのデュエットだった。どんな人生も素晴らしい、そう伝わってくる歌詞とメロディーに聞き入る。

(不思議なものだな。自分が歌ったことのない歌が、こうして存在しているとは)

(同感だ。元の世界に戻ったら、ショウで披露したいところだな)

 珍しくロベリアが素直に認める。それだけ、この歌には心が込められていた。

(この世界でも、ボクたちのことを好きで、追いかけてくれる人がいるって……なんだかとっても嬉しいね)

 コクリコの言葉が皆の気持ちを表していた。

 

『二〇〇二年』

(最初に言っておくが……)

 大神の緊張した声を、マリアが制する。

(わかっています。すべては演出、ですね)

『サクラ大戦4~恋せよ乙女~』が始まる。

大久保長安事件を巡る帝都花組、巴里花組の合同作戦がテンポよく描かれていた。途中の修羅場に黙っていられない面々もいたが、どうにか収まりエンディングを迎えた。桜が舞うなか、一人歩く米田の姿に、帝都花組の何人かが泣いていた。画面に見入っている男も、米田の姿に涙を流していた。

 その瞬間、同じ画面を見ている人たちの姿、数十万に上る老若男女国籍様々な人たちの姿が皆の頭の中に映し出された。

(えっ!)

 それまで誰かの背中からゲーム画面を覗き込んでいただけだったので気づかなかったが、このゲームはとんでもない数の人間に遊ばれていたのだ。舞台やショウのお客様とは桁違いの人数の感情が流れ込んでくる。その大部分が、このゲームの世界を、登場人物たちを愛し、応援してくれていることが伝わる。そして、この世界に命を吹き込んだクリエイター達の、ひときわ熱量を持った想いに、一同は圧倒された。

(そうか、あの部屋で俺たちを助けてくれた力は……)

 それは霊力とも妖力とも違っていた。誰かを想い、誰かの幸せを願い、物語の向こうから手を伸ばすような力だった。その答えに至ったとき、急速に分岐世界が遠ざかっていった。

 

    四

 

 大神たちは、桃色に輝くドームの中で目を覚ました。分岐世界から自分たちに届けられた愛は、サマエルの吹き荒れる妖力の前にも微動だにしない。大神の隣で目を覚ました新次郎が、情けない表情で叔父を見る。

「一郎叔父、今のは……」

「なんだ新次郎。分岐世界のことが理解できなかったのか?」

「違うんです。それは皆わかったんですけど、ボクが皆をもてあそんでいるって、どんなに否定しても聞いてくれなくて……」

 大神は笑うと、分岐世界のゲームについての推論を紐育星組メンバーに語って聞かせた。

「なーんだ、そういうことか。元々妄想しがちだから、もう自分が信じられなくなるところだったよ」

 ジェミニはあっけらかんと笑う。

「出番が少なかった……」

 その隣でジェミニンが少し落ち込んでいるようだった。星組一同にとっては突然現れたはずの彼女だが、すでに存在自体は受け入れられているようだ。異界の様子を見ていたときに、すり合わせが済んだのだろう。

「昴は言った。『一人の人間として、君と付き合っていきたいんだ』と」

 昴は言いながら、新次郎のおとがいに指を添えると、顔を近づけた。

「おい昴! どさくさにまぎれて、何てことするんだ!」

 サジータが割って入る。

「ん~、リカにはよくわかんなかった。でも、い~っぱいの人がリカ達のこと大好きなんだってわかったぞ! 元気モリモリモリ~だ!」

(そ、そうですよね。大河さんがあんな妄想を……「お熱を測りましょう」だなんて……)

 ダイアナは別のところで動揺しているらしく、一人でブツブツ言っている。

「みんな、聞いてくれ!」

 やむなく大神は声を張り上げて、紐育星組の動揺を無理やり押さえ込んだ。反射的に動きを止める星組一同。

「俺たちを助けてくれている力で、サマエルを討つ! そしてまずは幻都に戻るぞ!」

 その号令で、大神たちを護っていたドームがはじけ飛んだ、かと思うと、周囲の妖力すべてを霊力に変えて霧散させた。地下室全体から闇が吹き飛び、玉座から立ち上がったサマエルを露わにする。

「貴様らどうやってここに」

 サマエルは招いた覚えのない大神と新次郎の存在に驚きを隠せなかった。そもそもこの空間は妖力が満ち満ちた場。自由に動けるはずがない。しかし吹き飛んだ闇の先には花組、星組が並んでおり、負の感情を生み出すどころか温かな想いで包み込まれている。

「な、なんだこの力は……この力はまるで」

 サマエルはそこで言葉を切り、憎々しげに顔を歪めた。

「ミカエルにでも力を借りたか? それとも他の天使どもか?」

「これは、人が人を思いやり、慈しむ心が形を得たものだ」

「馬鹿な! そんなものが力にまで達するものか。人は所詮、知恵をつけた獣にすぎん!」

「なら、負の心からはどうして力が生まれるんです?」

 大神と新次郎の言葉に、サマエルは圧されていた。

「ええい、もうどうでもよい。人間如きが理を語ろうとするな。貴様らの視座など地を這う蟻のようなものだ。私の糧になれることを誉れに思うがいい」

 サマエルは本能的にすべての妖力を解放した。紅緋の妖しい輝きが、全身を包む。

「言葉を交わすこともできないのか、貴様は」

 大神は珍しく怒りを露わにした。

「猿真似に付き合う必要はない。貴様らの言葉など、音を真似ただけの鳴き声にすぎん」

「言葉は分かり合うためのもの。歩み寄るためのもの。それを否定するということは――」

「黙れ、黙って死ね!」

 新次郎の言葉を遮り、サマエルは紅緋の妖力を両掌に集めて二人に向けて放出した。それは一瞬で地下の天井をも貫き、降魔阿頼耶識の世界自体を揺るがした。

「所詮はこんなものよ」

 サマエルは哄笑しながら、眼前の、何もない空間を指さした。そこに、彼の左右から気配が迫った。それはサマエルの一撃をかわした大神と新次郎のものだった。

「もはや問答は無用! 行くぞ新次郎!」

「はい、一郎叔父!」

 二人はサマエル越しに視線を交わし、それぞれに刀を構えながらサマエルに肉薄した。

『狼虎滅却!』

 大神と新次郎、それぞれの背後に曼荼羅が浮かび上がった。

「金剛!」と大神。

「胎蔵!」と新次郎。

 二人の掛け声と共に空間に浮かび上がった曼荼羅が重ね合わさると、まるで星と星が衝突したかのような衝撃が、サマエルを襲った。大神、新次郎それぞれの背後には華撃団メンバー全員が続き、ダメ押しとばかりに力を注いでいく。サマエルは防壁を張るが、もはや次元の違う力の前になす術もなかった。

「これは、これは……まるで神の……愛……」

 そう言い残し、サマエルはあらゆる世界から消え去った。

 

 敵首魁を討ち取った一同は、しばらくその場を動くことが出来なかった。解き放った力の強大さは体中の痛みで充分理解しているが、四百年に渡る戦いの幕引きというには余りにもあっけなかった。誰もが実感を持てないまま放心しているなかで、紅蘭が大神に声をかけた。

「大神はん、ちょっと気になることがあるんや。うちらが受け取った力やけどな、これは強力すぎる……。今は降魔阿頼耶識のなか、精神世界やったからよかったけど、実体がある世界やと、何かを崩したら、連動していらんとこまで壊してまうこともある。何も考えんと使ったら、幻都ごとなくなってしまうなんてこともあるで」

 紅蘭の懸念に、アイリスは身をすくませた。自身の霊力の強さで周りを傷つける、その恐怖と幼い頃から戦っていたからこその反応だった。そこにサジータも深刻そうに続ける。

「幻都には生命の樹、十種神宝、二剣二刀、『吸い取るくん』、霊子砲、降魔の妖力……いろんな力が巡っている状況だ。アタシらの肉体のこともある。きちんと順を追って対処していかないと、手詰まりになりかねないね」

 しばし、新しい力についての意見交換がここそこで行われた。そのなかでいつまでも〝この力〟や〝あの力〟では面倒なので、分岐世界から受け取った力の呼称を、霊力、妖力との区別をつけるため、〝慈力〟とした。人々を救おうとする大きな心、思いやりの心――彼女たちが目指す平和のために用いる力をイメージしての命名だった。

「大神隊長、一度幻都に戻ろう。この世界の人たちも救わねばならんが、彼の地にはまだ降魔皇の妖力が残っている。サマエルが消えたことで、あの力がどうなるか想像がつかぬ」

 グリシーヌの言葉に大神がうなずいた。と、そこに駆け込んできたのは、上層に逃がしたはずの出口二郎だった。

「皆さん、紗冥流を討ち果たしたのですね」

「うん、やったよ、出口さん」

「おお、おお……」

 出口にジェミニが見せたサムズアップの意味はわからなかったが、首尾上々であったことはその笑顔が充分伝わってきた。出口は先ほどから続く、まさに天地を揺るがすような吉報の嵐に震える。

「昴は言った。『降魔阿頼耶識は消えないのか』と」

「ええ、この世界自体はカラクリのようなものです。巡るエネルギーがあるうちは、壊れはしないと思います」

「幻都への脱出ルートなら、確認済みで~す」

 織姫が付いて来いと言わんばかりに走り出した。皆、それに続く。

「出口さん、また来ます。北条の人たちも石から出さないといけないし。だからそれまで、安全なところで隠れていてね」

 ジェミニが笑顔で出口の背中をたたき、自分も走り出した。

「ありがとう。皆さん、本当にありがとう」

 出口は瞬く間に階上へと姿を消していく一同の姿を見送りながら、自らも階段を上がり始めた。ずっと隠れ続けていた降魔阿頼耶識だが、大きく状況が変わりそうだ。出口はそのまま聖魔城上層まで向かい、紫水晶が並ぶ場所、北条一族の魂が縛り付けられている大広間にたどり着いた。出口は数百年ぶりに蘇った希望という言葉を胸に、眠り続ける芳春の姿を眺めていた。

 

 

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