偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版 作:出口豊志朗
第十三章 大降魔大戦
一
大神と新次郎、ジェミニンが目を醒ましたのは、破壊された霊子砲の前だった。上級降魔である芳春、氏時、浄心と対峙していた場所だ。だが、その三人の気配はない。
華撃団メンバーの幻体も、ここに突入した際の降魔との戦いで消失していた。降魔阿頼耶識で一緒になった彼女たちの精神は、おそらく自分たちの肉体まで戻っているはずだ。ただし戻る先の地下室は時間の流れが幻都よりさらに遅いため、目覚めても大神たちよりも反応が遅くなると紅蘭から言い含められている。帰還前の打ち合わせ通り、各地下室を巡って皆の無事を確認することが先決だった。
新次郎は慣れない力を使って光の玉を生み出した。周囲を軽く照らすつもりが、スポットライトのような眩しさになって一同がうめく。
「この力……慈力……。さっきは無我夢中で使いましたけど、扱いが難しいですね」
「ああ、紅蘭の言うとおり慎重に扱わないとな」
照らし出された室内を見たが、やはり人影はなかった。二剣二刀の幻も、双葉の姿も。そこにジェミニンが頭上から声を上げた。
「すごい、簡単に飛べるぞ」
新次郎が見上げると、頭上でジェミニンが宙に浮いていた。これならば、この深い地下からも簡単に脱出できそうだ。大神は何度か中空から落下したものの、しばらくするとコツをつかんだ。新次郎だけはどうしてもうまくいかず、ジェミニンはあきらめて新次郎をお姫様抱っこして飛び上がった。一緒に双葉が破壊して出来た穴を抜けて地上に戻ると、道中で倒した降魔があちこちに倒れ、場所によってはうずたかく積み上がっている。
「倒した数よりも多くないか?」
大神は何体かを検めるなかで、おかしな事に気づいた。降魔の核が傷ついていないものが混じっているのだ。
「核に傷がないヤツたちも、異常に妖力が低下している。栄養失調みたいな状態だ」
同じように数体の様子を見ていた、ジェミニンが判じる。
「降魔阿頼耶識での出来事が、こちらの降魔にも影響しているんでしょうか」
だが、新次郎の疑問に答えられる者はいない。と、少し先に大神が乗り捨てた光武が目に入った。ふと思い立って大神は操縦席の計器を確認して驚いた。一九四〇年……双葉の導きで降魔阿頼耶識に突入してからすでに三年近く。幻都に皆が降り立ってから、間もなく十年が経とうとしていた。おそらく降魔阿頼耶識と分岐世界での体験が影響しているのだろう。
「十年、ですか……外界のみんなが心配ですね」
ラチェットはここを去るときに、五年はかかると言っていた。相手の準備次第ではもっとかかると。時間がかかるのはいい、とにかく無事でいてほしいと新次郎は願いながら、何気なく幻都の空を見上げた。だが目に入ったのは驚くべき光景だった。
「あれを!」
新次郎の声に、大神も幻都南の上空を見る。そこには、巨大な切れ目が生じていた。続いて切れ目は付近の空間を消失させる。空の一角が窓のようになり、周囲とは違う風景をのぞかせている。窓からは、異様な岩の尖塔が突き出していた。その尖塔は所々に不気味な緑色の光を明滅させていた。
「うっ……」
突然ジェミニンが頭を押さえて膝を突き、うめき声を上げた。
「ジェミニン、大丈夫⁉」
とっさに新次郎が身体を支え、顔色をうかがった。蒼白、である。
「こ、声が聞こえる」
ジェミニンは顔をしかめたまま、なんとか聞こえた声を伝える。
「人間を滅ぼし……帝都を……世界を滅するときは来た! 我が名は幻庵葬徹……絶望するがよい」
「幻庵葬徹だと……北条幻庵か!」
新次郎は幻都でみることのなかった上級降魔の登場に不吉なものを覚えた。
「どうやら、幻都のほうが逆さになって地上に現れてるみたいだな。建物は変わっているが、周りの道路に見覚えがある」
大神は、尖塔のすきまから除く地表に目をこらしながら言った。
「どうやら幻都が地上に召喚されたようだ……だが、まだ封印は解かれていない。問題は、それを引き起こしたのが幻庵、降魔側ということだ」
「狙いは幻都の封印解除と降魔皇の復活、だな」
大神とジェミニンは互いの言葉の重みに愕然とした。
『…さん! ……大神さん!』
と、大神たちの頭にさくらの声が響いた。通信機を介していないが、直感的に慈力による遠隔通話と理解した。
「きこえるぞ、さくらくん!」
要領がわからずつい声に出したが、どうやらさくらにも伝わったようだ。
『よかった。それより、大変です!』
「ああ、幻都の封印が幻庵に破られそうになっているな」
『ええっ! いえ、その、こちらも大変なんです。霊剣荒鷹から、大量に霊力が吸われてます。地下室の制御機構が壊れたみたいです!』
「じゃあ、まださくらくんは地下にいるのか?」
『はい、もう地下室の時間の進みは外と変わりません』
そこにレニが割り込んだ。
『レニです。光刀無形も同じだ』
そのままレニに続き、神刀滅却、神剣白羽鳥でも同じ状態であることがわかった。そこに、紅蘭が続ける。
『大神はん、いろいろまずいで。霊刀に加えて『吸い取るくん』から流れてくる霊力も増えとる。サマエルを倒したことで、『吸い取るくん』が本来の能力を発揮してるんやと思う』
『じゃあ、でっかい木がドドーンって出てくるのか?』
リカの言葉に、サジータが説明を加える。
『リカの言うとおり、このままいけば降魔の妖力で『生命の樹』が召喚されることになる。ただ、そうなると降魔と繋がってる大和の人たちが苦しみ続けて、死んでしまうことになるぞ』
『そんなのダメ、リカ許さない! とりあえず撃っとくか?』
『それで壊れたとしても、今度はあたしたちも含めた周りの霊力全てを吸い取ろうとしちまうんだよ』
リカとサジータの問答で、問題が浮き彫りになった。このまま放っておけば幻都突入時点の目的、降魔の妖力を糧に『生命の樹』を召喚し、そのまま聖樹の霊威で降魔を苦しめ続ける仕組みを作り上げることは達成できる。しかし、皆は降魔阿頼耶識での体験、そして北条一族の過去を知ったことで、降魔自体が倒すべき敵ではないと知った。北条一族、大和の領民を犠牲にして世界に平和をもたらす――そんな結末は誰もが望んでいなかった。しかしそうしている間にも二剣二刀に負荷がかかっているのか、あちこちから悲鳴や苦悶の声が聞こえる。
「慈力でなにかできませんか?」
『昴は言った。『慈力は妖力には干渉できるが、霊力には干渉できないようだ』と』
『神剣白羽鳥と『吸い取るくん』を慈力で包んでみたのですが、流れ出す力を抑えることはできませんでした』
新次郎の問いに、昴とダイアナが即座に答える。現場でも、やれることはやりつくしたようだ。
『やっかいだな。『生命の樹』は発動したら止められない。かといって適度に霊力を流さないと周りから霊力を強制的に吸い取ろうとする。それに適度に流そうとしても必死に吸い上げようとする。八方塞がりだ。こんな悪辣な罠、誰が考えたんだ?』
ロベリアの逆ギレ風のジョークに、幾人かが苦笑した。無理に笑わなければ、正気を保てないような事態なのだ。
『ハハッ! 降魔相手の最終手段と思っていたけど、まさかそれを抑える側に回るなんて思いもよらなかったぜ』
カンナは空元気で笑い飛ばす。
生命の樹発動の聞き。
降魔皇の存在。
幻庵により解けかけている幻都の封印。
問題は山積みだ。しかも、そのいずれも落としどころが見えない。
「とにかく、みんなは二剣二刀の様子を見ていてくれ。新次郎とジェミニンは各地の若木の様子を確認。俺は幻都上空で何が起きてるか確かめる。いいか、幻都の封印が解かれる前に降魔皇の力をどうにかすれば、幻庵の思惑を挫くことはできる。今はピンチだが、逆転するためのカードも揃っているんだ!」
大神自身それが結論の先延ばしでしかないとわかっていた。それでも現状を把握する、頭と身体を動かす、それしかない。大神は新次郎と別れ、慈力に任せて空を翔けた。眼前に迫る異形の尖塔には、まだ動きはない。ここが正念場だと自分に言い聞かせながら、大神は必死に思考を巡らせた。
*
眼前の霊剣荒鷹は震えだすと、まるで金切り声のような異音を発し始めた。その振動は痛みに打ち震えているように見える。霊剣に込められた霊力が底を尽こうとしているのだ。さくらは愛剣の苦しみを見るようで、たまらず自身の霊力を注ぎ込んだ。
「さくら、無茶よ!」
だがマリアの制止は遅かった。霊剣荒鷹を通じて流した霊力をたどり、さくら自身も吸い上げる力、若木が霊力を欲する本能に絡めとられてしまったのだ。さくらは霊力が急速に失われ、たまらず膝を突いた。反射的にカンナとアイリスがさくらに霊力を送り込んだが、それすらも若木は取り込ながらふたりを拘束する。
そこに、地上の様子を見に行っていた紅蘭が戻ってきた。
「うわ、みんなどないなっとるんや!」
「紅蘭は近寄らないで!」
マリアの言葉に、紅蘭は地下室入り口で足を止めた。
「上を見てきたけど、置いてた光武は動かせんかった。霊子水晶が砕けとるみたいや。壊れてから時間は経ってへんから若木のせいやな」
「『吸い取るくん』の機能をとめることは出来ないのかしら?」
「無理や。降魔に見つかっても止めたり壊されたりできへんように、いろいろ仕掛けを入れとるからな」
その『吸い取るくん』は、設置したときの純白から赤紫に色を変じていた。長らく妖力を吸い込んだことによる影響だろう。
「慈力を霊力に変換できかしら?」
マリアの言葉に紅蘭は首を横に振って答える。
「元々はおんなじ力の妖力を、霊力に変えるだけでも時間がかかったんや。慈力っちゅう未知の力をどうこうするのは、すぐには無理や。なにか絶対成功するイメージみたいなもんがないと……それに霊力を流し込んで霊剣荒鷹を守ったところで、『生命の樹』発動を早めるだけや」
「ああ、そうだったわね。そんなことにも頭が回らないなんて」
そうこうしている間にも、さくら、アイリス、カンナの霊力は止めどなく吸い取られ、ついにその場に倒れ込んだ。マリアはたまらず、霊力供給に加わる。が、焼け石に水だ。
そこに、霊剣荒鷹から強い衝撃が放たれた。それは紅蘭をも巻き込んで、全員の身体を壁に打ちけた。しかしそのおかげか、四人は若木による拘束から逃れることができた。
「いけない、霊力が!」
さくらたちから流れる霊力が途絶えるなか、霊剣荒鷹が逆に輝きを増す。破壊される前の最後の灯火なのか。そのまぶしさにさくらが目を閉じようとしたとき、その光を遮るように影が差した。
その影は、着物姿の人だった。影はさらに増え、幾人もの着物姿の人影が霊剣荒鷹を取り囲んでいた。その者たちは一様に霊剣荒鷹に手をかざし、剣の震えを抑えようとしている。
そのなかに、さくらがよく見知った姿が……父、真宮寺一馬の姿が見えた。それは一馬の魂ではなく、霊剣荒鷹に刻み込まれた意思のようなものであると、さくらにはわかった。そう、ただの幻影。それでも一馬の影はさくらに向かってうなずき、さくらの背後……地下室の出口を指さした。
「お父さま……」
さくらは涙をこらえながら影に向かってうなずき、隣に倒れるアイリスを助け起こした。
「みんな、ここは大丈夫です。戻りましょう」
なんとか自力で立ち上がったマリア、カンナ、紅蘭もさくらに続いて地下室を後にした。
同刻、光刀無形からは山崎真之介たちの、神剣白羽鳥からは藤枝あやめたちの影が現れ、華撃団に代わって二剣二刀を護ったのだった。
「せっかく格好良く去ったのに、また呼び出されるとは……二剣二刀もいい加減だな」
神刀滅却からの衝撃で弾き飛ばされたエリカ、グリシーヌ、コクリコ、ロベリア、花火の前に現れたのは大河双葉だった。双葉は、神刀滅却から霊力を無理矢理吸い取ろうとする若木の力に抵抗していた。そんななかでも、あっけにとられた一同を振り返って観察し、嬉しそうに話し出す
「お前達が巴里華撃団だな。やはり幻体で見るよりもいいぞ」
「お姉さん、なんだかイチローに似てる」
コクリコの言葉に、双葉は満面の笑みを浮かべた。
「よくわかったな。私は一郎の姉で、双葉という」
『ええ~っ!』
「さて、もっと交流を深めたいところだが、まずは話を聞いてくれ。
どうやら二剣二刀が抵抗できるのはあと二時間ほどだ。それまでにどうにかしないと霊刀は壊れて霊力の供給を止め、若木は幻都の降魔だけでなく、きみ達の霊力も吸い込むことになる。
まあ、降魔皇の妖力があるから、その後で無事に聖樹『生命の樹』は召喚されるだろうが……そのときにきみ達が霊力を残しているかは運次第だ」
衝撃の事実を知らされ混乱しつつも、花火は状況を整理した。
「つまり、二時間以内に脱出するか、若木からの吸収をとめるか、二剣二刀から出て行く霊力を調整するか、しかありませんね……」
「おっと、脱出する場合は二剣二刀が壊れるから、私の魂も消えることになりそうだな。まあ、それは仕方ない。一郎と新次郎にはよろしく言っておいてくれ」
「逃げたりなどはせん。それに、このまま聖樹が召喚されては、大和の領民たちにさらなる地獄を見せることになる」
グリシーヌは言いながら、一同の意思を確かめる。
「もちろんです! なんとか、この慈力でバーンッ! てできませんかね…」
「慈力だと霊力の代わりにならないみたいだし……慈力で若木を囲っちゃうとか?」
エリカの反応はスルーしつつ、コクリコの提案に花火は悲しげに答える。
「若木への霊力供給が途絶えたとき、若木がどんな反応をするか……最悪、二時間を待たずに幻都中の霊力を吸おうとするかもしれません」
「慈力の防壁が、妖力を霊力に変えていたはずだ。まったく干渉できない訳ではないはず……たとえば二剣二刀を慈力で護り、そこから流量を調節して若木に流し込むのはどうだろう」
「いいアイデアですが……この短時間でそんなに精密な動きを実現できるでしょうか」
「なにかイメージしやすいものがあればいいんだけど」
「う~ん、エリカ、わかりません!」
「いや、待てよ?」
と、そこまで黙っていたロベリアが低い笑い声を上げた。 その表情が、悪巧みをしている笑顔になる。
「要は霊力を吸い取って、ちょうど良い分量だけ外に出す。そういうものをイメージすればいいんだろ?」
「何かロベリアには心当たりがあるのか?」
「あるじゃねぇか……アタシたちなら……いやアタシたちにしかイメージ出来ないものが」
その後に続いたロベリアの言葉に、一同は歓喜の声をあげた。
二
新次郎は、ラリーを疾駆させるジェミニンの後ろに座って揺られていた。どうしてもうまく飛べない新次郎と共に移動するため、ラリーにお願いすることにしたのだ。
すでに六つのセフィロトを見てきたが、そのどれもが成長してたくましい幹に青々とした葉を茂らせていた。どこからが『生命の樹』召喚の始まりかはわからないが、もうそれほど猶予はないように思えた。意気消沈する新次郎に、不意にジェミニンが声をかけた。
「……新次郎、これまで本当にありがとう」
「どうしたんだよ、急に……」
「わかってるだろ。もうすぐこの戦いは終わる。そうすれば、俺はまたジェミニの身体に戻って眠りにつくんだ」
新次郎が目を逸らしていた事実を、ジェミニンは淡々と言葉にした。
「……」
「だからさ、ちゃんと礼を言っておきたかったんだ。皆の前だと……恥ずかしいし」
ぶっきらぼうに言うが、新次郎の目の前で揺れるオレンジ色のくせ毛の間から覗く首筋が、赤く染まっている。
「僕も、ジェミニンと話ができて嬉しかったし、楽しかった」
その言葉に、ジェミニンはうつむいた。そのままの状態で、ジェミニンは話し続ける。
「俺にはまだ恋愛とかよくわかんないけど……もし、もしも新次郎がジェミニと結婚するとかしたら、そこには俺もくっついてきてるって……ちょっとは思い出してくれよな」
ジェミニンは肩を震わせていた。新次郎はジェミニンの身体を優しく抱きしめた。
「僕もそういうのはまだ実感ないけど……でも信じてほしい。僕は、星組のみんなはジェミニンのことを絶対に忘れたりしないよ」
「……ああ。わかってる」
それきり、ジェミニンは口をつぐんだ。ただ、身体の震えは収まっていた。
そこに、大神の念話が届いた。
『新次郎、聞こえるか?』
「は、はい!」
反射的にジェミニンから離れ、背筋を伸ばす。大神は、新次郎の裏返った声を不思議に思いながらも話を続けた。
『二剣二刀はひとまず鎮まった。剣に刻み込まれた使い手たちの意思が助けてくれたみたいだ。そのなかに、双葉姉さんもいるらしい』
「え、母さんが?」
『無事なようで安心したよ。それで、姉さんが言うには二剣二刀はあと二時間ほどしか保たないらしい。それまでに霊刀と『吸い取るくん』からの霊力を抑える必要があるんだが、そこは巴里華撃団のみんながなんとかしてくれるようだ』
「え、どうするんですか?」
『いや、もったいぶって教えてくれなかったんだが、おそらく……いや、それはいい。それよりこれからの動きだが、まず帝国華撃団には幻庵対応のため幻都上空に招集した』
「では、紐育華撃団は?」
『降魔皇の捜索と、動きがあった場合の対処をお願いしたい。何百年も妖力を溜め込んだ相手だ。サマエルと同等、もしくはそれ以上の脅威かもしれないが』
「わかりました。まずは降魔阿頼耶識でサマエルがいたところを目指します」
『頼む。紐育華撃団には、聖魔城に向かうように伝えている』
「了解。一郎叔父もお気をつけて」
念話を切る頃には、すでにラリーは聖魔城に向かっていた。
「新次郎、気合いをいれていくぞ」
ジェミニンはいつもの調子にもどり、ラリーを疾走させた。虎ノ門から日比谷公園を抜け、宮城の堀と聖魔城を繋ぐように浮かんでいる太鼓橋を一気に駆け上がる。聖魔城城門をくぐると、そこには紐育星組の面々が聖魔城の扉を前に立ちすくんでいるようだった。
「皆さん、お待たせしました」
新次郎とジェミニンはラリーから降り、駆け寄る。そして皆の視線の先を追い、新次郎は思わず驚きの声をあげた。
聖魔城正門の前には、三人の上級降魔――芳春、氏時、浄心が並んでいた。それだけではない。それぞれ肌の色や角などの異相はそのままだが、発している敵意がなくなっていた。もっとも荒々しかった氏時ですら、これまで戦いの中で何度も殺意と怒気を発していた双眸に、穏やかな光を湛えているのだ。
「これで、おそろいでしょうか」
芳春の問いかけに、サジータがうなずく。
「では、こちらへ。立ち話もなんですので」
芳春が言うと、正門が音を上げてゆっくりと開いた。三人はそのまま城内に姿を消す。
「サジータさん、これは?」
「ああ、あたしたちが来るのを待っていたようだ。話したいことがあるというから、待ってもらったんだ」
「とにかく付いていこう」
ジェミニが芳春達を見失わないよう、駆けていった。皆もそれに続く。
通されたのは聖魔城上層の広間だった。降魔阿頼耶識で北条一族の過去から戻ったときに目覚めた場所と思われる。ただ、ここには大きな窓があり外の様子が覗えた。そして六つの人が納められた紫水晶の代わりに、背もたれのある石造りの椅子が左右に三脚ずつ並んでいた。
芳春たちは正面に並んで立ち、新次郎たちに座るよう促した。新次郎はメンバーたちを座らせ、自分は芳春たちと椅子をはさんで真向かいに立った。それを会談開始の合図ととったか、芳春、氏時、浄心は、一斉に深々と頭を下げた。そのまま芳春は語りだす。
「このたびは紗冥流を討ち果たしていただき、ありがとうございました」
そうして顔を上げると、芳春は自らの額を指さした。
「こちらをご覧ください」
言われるままに目をこらすと、下級降魔たちを行動不能にするために砕いていたのと同じように、降魔の核の破片が輝くのが内に見えた。
「加えて、皆様が私たちに取り憑いていた悪魔の本体を倒していただいたおかげで、こうして正気に戻ることができました。重ねて感謝申し上げます」
「僕たち自身の目的のためにやったことです。お礼を言われることではありません」
新次郎の謙虚な言葉に芳春は目を細めた。が、続く言葉を躊躇っているように見えた。
「そうだよ。あなたたちだって被害者だってわかったし」
居心地が悪くなったのか、ジェミニは立ち上がって話した。皆も同感のようで、結局全員が腰を上げる。
「芳春殿、それよりも僕たちにお願いしたいことがあるのではないですが」
昴の言葉に、芳春は目を伏せた。
「こちらの事情で心苦しいのですが、降魔皇……いえ、我が父氏綱のことでお願いがあるのです」
「本意ではないとはいえ殺そうとしていた相手に頼むようなことではないのだが、氏綱を妖力から解き放ってほしいのだ」
芳春の態度に焦れたのか、氏時が言葉を接いだ。が、不遜さは成りを潜め、口調も穏やかである。
「あなたたちと同じように、僕たちの目的は降魔皇の力を削ぎできれば消滅させることです。だからといって氏綱さんを倒したいとは思っていません。ですから、もう少し気楽にやりませんか?」
新次郎はそろそろ堅苦しい空気に肩が凝ってきたので、笑顔を浮かべて提案した。芳春たちは顔を見合わせると、新次郎に調子を合わせた。
結局車座になって、全員が床に腰を下ろした。そうして聞かされた芳春たちの頼み事は、新次郎たちにとっても望むところだった。
想定通り、氏綱は降魔阿頼耶識のサマエルがいたのと同じ、聖魔城地下深くにいた。ただしその巨大な地下室には強力な妖力封じの結界が内側に向かって発動されているらしい。四百年前に紗冥流を撃退してすぐ、紗冥流がじきに復活して氏綱の心身を操るであろう事を見越して、彼はこの封印のなかに独りで籠もったのだ。
聖魔城の氏綱と降魔阿頼耶識のサマエルは時空を超えて繋がっているようで、送られてくる妖力自体を結界は防ぐことが出来なかった。そのため、結界内には四百年にわたって流し込められた妖力で満ち満ちているのだという。新次郎たちが強大な妖力が感じられなかったのは、それ自体を封じる結界内に存在していたためだった。
芳春たちの願いは、この妖力と氏綱を切り離すことだった。サマエルとの繋がりが途絶えたことから、それまでに蓄積した妖力と氏綱自身の繋がりも弱まっているはずだ。そこを断つことで氏綱を解放したいという、家族として当たり前の願いだ。
「氏綱を助けることには賛成だ。ただ、切り離された妖力はどうする?」
サジータの問いに、氏時が答えた。
「氏綱が回復する時間を少しいただくが、我々四人で妖力を引き取ろうと思っている。妖力は量を増すと単純量よりも大きな力を持つ。だから分けるだけでも妖力自体の総量は減るはずだ」
「霊力や妖力は、一定量を超えると指数関数的に力が大きくなる。逆に、ある程度減らせばその力は大きく減少する。氏時殿が言っていることはそういうことだ」
昴が補足する。氏時にその言葉の意味はわからないが、正しく伝わっている様子に安堵した。
「妖力を分け合ったあと、ワシらは四方に散る。互いの妖力干渉を避けるためにな。そこで、お前たちにワシらを討ち果たしてほしいのだ。命を絶てば、繋がりを保った妖力は不安定になる。そうすればいかに強大な妖力も、消しやすくなるだろう」
「それだと皆さんが死んでしまいます! 氏綱さんも、せっかく妖力から解放した意味がありません」
ダイアナが悲しげに声を上げる。
「父、氏綱と妖力を一度切り離したいのは、人としての意識を取り戻させてからお別れをしたかったからです」
「お姉ちゃん、優しいね。でもわたしたちは人間じゃないし、このまま生き残っても仕方ないもの。でもどうせだったら、みんなのために死にたい。みんなを苦しめてたのはわたしたち北条一族のせいなんだもの」
芳春の言葉に、浄心は笑顔で重ねる。
「死んだらダメだ。ご飯食べられなくなるぞ。これを分けてやる、さあ食べれば元気になる」
リカが懐から若木から実った霊力の実をとりだして浄心に手渡した。降魔である浄心には霊力は刺激物のようなものだ。それを本能的に察しつつも、浄心は恐る恐る囓った。強烈な辛さで舌先がしびれる
「これは、わたしにはちょっと辛いかな……けど、ありがとう」
そのやりとりを見ていた新次郎は、決然と答えた。
「皆さんのお願いには答えられません」
その言葉に、芳春たちは悲しそうに眉をひそめて肩を落とした。新次郎は構わず続ける。
「まず氏綱さんを妖力から切り離します。そして皆さんに妖力を引き受けてもらいます。ですが、そのうえで僕たちは皆さんを助ける方法も考えたいんです。皆さんの身体は降魔かもしれませんが、同じ人間の心を持っています。その命を犠牲になんて、できません」
「おぬし……」
氏時はその言葉に天を仰いで肩を震わせた。新次郎は決意を露わにした瞳を輝かせながら、念話で大神と連絡をとる。しばらくの問答の後、新次郎は強くうなずいて一同を見た。
「一郎叔父からも了承が得られました。最終的に妖力については巴里花組がなんとかしてくれます。僕たちは芳春さんたちをそれぞれ二剣二刀の納められた場所まで誘導するのが役目になります。ひとまず僕たちは先行して氏綱さんの近くで待機し、帝国華撃団の皆さんを待って作戦を始めます」
「幻都の封印の方はいいのか?」
「そちらは帝国華撃団で対応するとのことです。ただ……」
「ただ?」
「状況によっては加勢に行かなければなりませんし、向こうの片が付く前に降魔皇が動き出すようなことがあれば、僕たちだけで戦うことになります」
「それなら想定内だ。これで決まりだな」
サジータは景気づけとばかり、手のひらに拳を打ち付けた。
「よろしく……よろしく頼みます」
芳春達は深々と頭を下げ、紐育星組一同は力強くうなずいた。
巴里花組の五人は慈力で身体を浮かせ、聖魔城の南――幻都の中心上空で円陣を組んでいる。前方には聖魔城、後方頭上には切り裂かれた空間から不気味な尖塔が見える。
「いまさら後には引けぬが、降魔皇の妖力も相手になるとは。果たしてうまく作り出せるだろうか……」
「それに、ちょうどいいバランスで落ち着くのでしょうか……」
珍しく弱気なグリシーヌに、花火の不安が頭をもたげる。
「確かに、最後には力を貸してくれたとは言っても、もともとは怨念から生まれた存在だもんね」
「大丈夫です。神の愛は無限です!」
コクリコもやや不安そうだったが、エリカはいつもどおりの天真爛漫さで不安などどこ吹く風である。
「今更怖じ気づくなよ。大丈夫だ。アタシはこの手のギャンブルで負けたことはないんだよ」
ロベリアは久しぶりに味わう種類の高揚感に、不敵な笑みを浮かべる。
聖樹から二剣二刀を守るために五人が慈力で作り上げようとしたもの、それはオーク巨樹だった。かつて巴里の街を破壊した、先住民族パリシィの怨念を具現化した存在、それがオーク巨樹だ。そして運命に導かれるように巴里に集い守るために戦っていた巴里花組の五人もまた、その血筋を遡ればパリシィへと行きつく……つまり彼女たちこそパリシィの正統な末裔だったのである。自分たちが守ろうとした都市が自分たちの祖先を虐げたという事実を、最初は誰もが受け止められなかった。だが、自分たちが愛する人々もまた巴里の人間であるという現実に向き合い、怨念に猛り狂うオーク巨樹にその想いを祈りとともに伝えたのだ。それに応えてくれたのかオーク巨樹は消失し、また破壊した街に多くの緑をもたらしたのだった。子孫の未来を祝福するように。
ロベリアは二剣二刀と若木が直接繋がっている状態が危険だと考え、その力をまずはオーク巨樹に流し、そこから流量を調節した霊力を若木に流し込むことをイメージしたのだ。その具体的なプロセスやバランス調整は重要ではない。これならできる、というイメージがあるかどうかが大事なのだ。そして、四人も、自らの願いを聞き届けてくれた存在であればそれを可能にする、そう信じることができた。
「そうだな、すまなかった。では、始めるとしよう」
グリシーヌの言葉を合図に、一同は目を閉じ、静かに身内に巡る慈力に意識を向けた。
「我らが神……」
「自然の象徴たるオークの樹よ……」
「人々と都市を愛する……」
「アタシたちの気持ちを……」
「受け止めてください……」
エリカの、グリシーヌの、コクリコの、ロベリアの、花火の祈りが一つになり、慈力が巨大なオーク巨樹を形作っていく。その木は慈力を持たない者には見えず、触れることもできない存在だった。しかしそこに巡る力は周囲に巡る妖力と、霊力の流れに干渉し、自らの根を這わせていった。
「そしてこの幻の都市に、愛を満たしてください!」
エリカの願いが高らかに空に響き渡ると、不可視のオーク巨樹はその姿を四つに分けた。分裂により大きさは四階建ビル程度の高さにまで縮んだが、霊威に衰えはない。それらは幻都の四方、二剣二刀が納められた場所へと瞬時に移動し、初めからそこにあったかのようにそそり立った。
オーク巨樹は、各セフィロトの十種神宝に作用し、二剣二刀との繋がりを横取りした。そのうえで、二剣二刀と『吸い取るくん』から流れる霊力を自身の幹に蓄えていく。
二剣二刀は振動を止め、穏やかに霊力を流し始めた。その守人たる使い手たち――真宮寺一馬、山崎真之介、藤枝あやめの影は、笑顔を浮かべて霊刀へ還っていった。双葉は「次起こすのは、布団の上でたのむぞ~」と、緊張感なく姿を消した。
「ほうら見ろ、アタシに賭けて良かっただろう?」
ロベリアは彼方のオーク巨樹の幻影を眺めて勝ち誇っていた。
「うむ、今回ばかりは貴公の悪知恵に助けられたぞ」
よほど機嫌がいいのか、グリシーヌが軽口をたたく。
「ほらほら花火、腰を抜かしてないで立とうよ。そもそも、ここは空中なんだからね」
「ごめんなさい。でも、本当に緊張してしまって」
「もう、最近エリカよりも花火のほうが子供じゃない?」
コクリコと花火が笑い合う。
「みんなよく出来ました! 百点満点、あげますね!」
「なんでお前が上から目線なんだよ」
ロベリアは悪態をつきながらも、満足げに笑った。
三
生命の樹を抑える役目は、巴里花組が担うことになった。
一方、氏綱のもとへ向かうのは星組である。
そして帝都花組は、幻庵による幻都の封印解除に立ち向かう。
大神は慈力を操り、空を翔けていた。目指す尖塔が近づくにつれ、上昇しているのに落下しているような錯覚に陥る。その感覚の乖離に目眩を起こす直前で大神は天地を逆さまにし、足下に尖塔が見えるよう向きを変えた。しばらくするとやんわりとした抵抗があり、これ以上は降りられないことがわかった。そこには先行して調査を行っていた帝都花組の面々がいる。
「遅くなってすまない。巴里華撃団のみんなが二剣二刀と『吸い取るくん』を制御してくれたのを確認してきた。もうあちらは大丈夫だ。『生命の樹』については気にしなくていい」
帝都花組の一同は声を上げて喜んだ。その場が落ち着くのを見計らって、マリアが報告を始めた。
「まず、私たちがここで観測を開始してすぐ、ミカサらしき空中戦艦が、他艦の援護を受けながら尖塔の根元に突入しました。大量の降魔……いえ降魔もどきに襲われて墜落するような形ではありましたが、おそらくそこから内部に侵入することが目的だったと思われます」
「ミカサ……だとすると、新たなる帝国華撃団か」
「見えますか? 艦橋に建物があるでしょう?」
「あれが今の大帝国劇場なんだな」
周りの皆が、笑顔になる。
「それで、頼んでいた調査は終わったかい?」
「はい。まず地上への関与ですが、慈力に意識を混ぜて落とすことで、思考を保ったまま尖塔のなかに入ることが出来ました。ドロドローンの操作をイメージするのが早いと思います。しかも、壁を通り抜けることが出来ます」
「ドロドローンだけに、幽霊みたいに行動できるんや!」
話に割り込んできた紅蘭を、カンナが口を塞いで後ろへ連れ戻す。
「あと、離れすぎるとコントロールがきかなくなり、切り離されてしまいます。おおよそ、尖塔の上層が限界と考えてください。」
「慈力による攻撃や防御はどうだった?」
「それはダメでした。幻都の壁を超えると、急速に力が減るのです。直接的な関与は出来ないものと考えた方がいいです」
「わかった。ところで、降魔以外と接触は出来たのか?」
「いえ、実は塔の上層に強大な妖力をもつ魔操機兵のようなものがいて、その妖力に阻まれて先に進めません。そこを迂回して内部に入ろうとしたのですが、その辺りが慈力の限界位置となり、確認できませんでした」
「ひとまずできることは、その魔操機兵の動向をさぐることか」
「そうです。あと、これは紅蘭が慈力で作り出したものです」
マリアは言うと、大神たちの眼前に作戦司令室にあるようなモニターを七つ並べた。
「私たちの視覚、聴覚と連動したモニターです。これで偵察部隊と作戦室に分かれても、リアルタイムに情報を共有できます」
「これはすごい……さすがだな、紅蘭」
紅蘭は遠慮したようで、話す代わりに勢いよく首を縦に振る。
「では、マリアとカンナ、アイリスとレニのペアを意識して、状況を探ってきてくれ」
四人はうなずくと、目を閉じた。すると慈力でできた発光体が、それぞれの額の辺りに現れた。それらはゆっくりと足下に降りると、大神たちの身体では通り抜けることが出来ない幻都封印の壁をたやすく沈んでいった。
「紅蘭は技術的にできることがないか、常に注意を払ってくれ」
「はいな!」
「織姫は念のため、幻都側から襲撃されないように見張りを頼む」
「なんか地味な役目ですけど、わかったでーす」
「さくらくんは俺と一緒にモニターをみておいてくれ。あと、幻都が呼び出されたということは、どこかに帝剣があるはずだ。その気配も追ってほしい」
「はい、大神さん」
さくらは元気よく大神に返した。
ほどなくして、マリアが声を上げた。
『隊長、魔操機兵のいる部屋に、霊子甲冑が六体入ってきました。大分印象は違いますが、光武に似た機体です』
モニターに映る機影を見ると、確かに頭部のフォルムこそ似ていないが、それ以外のパーツは光武を彷彿させた。色は、白、赤、黄、青、緑そして、桜色。
「大神さん、あの桜色の機体は、試製桜武です! 降魔大戦の直前に試験的に動かしたのを覚えています。でも、霊力消費が激しくて、私には戦闘できるほどは動かせなかったんです」
そのとき、現場の音声が途切れ途切れに聞こえてきた。
『待っていましたよ……帝国華撃団』
一同は驚きを隠せなかった。帝国華撃団という呼びかけ、そして、その声がさくらそっくりであったことに。
「これは?」
大神の理解が追いつかない間にも、会話が進んでいく。ほとんどが聞き取れなかったが、『真宮寺さくら』という言葉も出てきている。
「マリア、こっちは会話がよく聞こえない。そちらはどうなんだ?」
『聞こえています。魔操機兵に乗っているのが夜叉。帝国華撃団と呼ばれた方から、夜叉をさくらと疑っている者が居ます』
『あの魔操機兵から、さくらに似た気配がする。あと、桜色のに乗ってる人、帝剣と似た魂の色をしてるよ』
『まずいっ!』
そこでカンナの舌打ちが聞こえた。モニターでは魔操機兵が振るった剣閃が、離れたところに居た青い機体を襲っていた。
『隊長、青い機体の操縦者の生命力が、どんどん失われている』
レニの声がわずかに震える。
『幻都が………幻庵様…………あたしには勝てませんよ』
魔操機兵から、舞台でしかきいたことのないような、酷薄なさくらの声が聞こえてくる。そこから、悲鳴、問答の中で、赤い機体が桜武の肩をゆすりながら声を上げた。
『さくら! 悲しむ………だ! ……………死ぬぞ!』
そこで、さくらが急に震えだした。
「どうしたんだ、さくらくん!」
「帝剣……さくら……」
『隊長、戦闘が始まりました』
『さくら、大丈夫?』
「みんなは何か手助けできることがないか、試してみてくれ!」
大神は言いながら、さくらの肩をつかんで揺らす。
「さくらくん、どうしたんだ」
ようやく動揺から立ち直ったさくらは、震える声で話す。
「多分、桜武に乗っているのは天宮さくらさん。絶界の力をもつ天宮家の女の子です」
その言葉に、大神は降魔大戦初期に訪れた天宮家で見た少女を思い出した。
「そして、帝剣は天宮家、絶界の血筋の天宮ひなたさん――母親の命を籠めて作られたものです」
「そんなばかな」
口では否定しつつも、大神は腑に落ちたようだった。
天宮鉄幹の頑なな態度。『誰かの犠牲ありきでなければ生み出せない平和など、意味はない』という言葉。そして、帝鍵を携えて戻ってきたときの米田の疲れきった表情を思い出す。
『隊長、魔操機兵の妖力が急上昇しています!』
マリアが言い終わらないうちに、魔操機兵が帝国華撃団の一体に斬りかかった。それを庇おうと割り込んだ緑の機体が、そのまま切り倒される。
『隊長、だめだ! 何もできねぇ!』
『お兄ちゃん、このままじゃ、みんな死んじゃう』
カンナとアイリスの悲痛な声が響く。そこに、織姫が割り込んだ。
「思いついたことがありまーす。紅蘭、サポートするです!」
織姫は言うと、紅蘭の前に向き合い、両手をとった。そのまま目を閉じる。
「ななななんや、織姫はん!」
「静かに! 私たちの身体から、慈力の流れを落とすの。その力を使って、アイリスが回復すれば完璧でーす」
「な、なるほど。わかった」
ふたりは目を閉じると、繋いだ左右の手から二本の慈力でできた紐が垂れてきた。紐を伸びるそばから四散していくが、その速度を上回る慈力を流し込むことで形状を保っていた。それは互いを追いかけるように螺旋を描いて降りていく。そうして徐々に長さを増し、尖塔に向かってするすると伸びた。そこで、一段と織姫の慈力が高まった。それと同調して、二重螺旋をコーティングするようにさらなる慈力が流れ出す。それはちょうど管のように形を変えていく。
『また一機、沈黙しました』
マリアが感情を押し殺して告げる。
『あたいたちも上がって織姫たちをサポートしたほうがいいんじゃないか?』
カンナの迷いに、大神は気持ちを切り替えて指示を出した。
「四人はそのまま待機だ。もうすぐ織姫君たちの慈力が届くから、アイリスのサポートを頼む。さくらくん、紅蘭と織姫の作った管から、俺たちも慈力を注ごう」
「はい、大神さん」
紅蘭と織姫が手を繋いでできた輪の上で、大神とさくらは両手を握りあった。まるでふたりの手のなかで白桃でも絞ったかのように、一滴、また一滴と慈力が垂れるそれは徐々に勢いを増し、蛇口から流れるほどの勢いとなった。
『さらに一機が沈黙、残るは二機。ただ、魔操機兵の妖力が大幅に落ちています』
『お兄ちゃん、慈力が届いたよ!』
アイリスはその管と繋がった。
『うん、これなら……』
アイリスはそのまま、さらに紐を四本生み出し、倒れた機体達に伸ばしていく。
『マリアは青に、カンナは赤に、レニは黄色にこの紐をつないで。アイリスは下にいる緑に垂らすから』
四つの慈力の発光体が連携し、倒れた霊子甲冑の操縦者に慈力の紐をつないでいった。その間にも魔操機兵と二体の霊子甲冑の戦いが繰り広げられている。
マリアは、操縦席で事切れている褐色の肌に銀髪の女性へ、慈力の紐を繋いだ。そこから一筋を増やし、離れていこうとする彼女の魂を優しく絡め取る。そのつながりから女性――アナスタシアの哀しき過去と裏切りの人生が伝わってくる。
(あなたも、大切な人を亡くしたのね)
マリアは、もう遠い昔のように感じる露西亜革命闘士時代、慕っていた隊長との別離を思い出した。あのとき自分はギャングの用心棒として命を軽んじ、酒におぼれ荒んだ生活を送っていた。
アナスタシアの気持ちがわかる、などとは軽々しく言えない。ただ、まだまだ世界には愚かで悲しい出来事に満ちていることが哀しくて、やりきれない気持ちになった。
(あなたはまだ、こんなところで死んではいけない。信頼した仲間たちと困難に立ち向かいながら、そして幸せになるのよ)
マリアはアイリスから受け渡された癒やしの力をゆっくりと注いでいき、蘇生寸前のところで留めた。まだ魔操機兵と残る帝国華撃団二機の闘いは続いている。いま蘇生しても、再び凶刃の餌食となるだけだ。マリアは周囲の仲間たちの様子を伺う。すると、他の三人も同じように戦いの行く末を伺っていた。
カンナは、情に篤く仲間想いの初穂の真っすぐさを、妹のように愛おしく思った。
レニには、幼少から忍者として里の掟に縛られてもなお闇に染まらぬ、あざみのひた向きさが眩しかった。
生まれ持つ破壊の力に翻弄されたクラリスを、同じような境遇で幽閉されていたアイリスは守りたかった。
それぞれの想いが、離れようとする魂と結びつき、戦う少女たちの決定的な死を押しとどめていた。
「いけないっ!」
突然、さくらが叫んだ。握った大神の手を揺すり、集中する大神の意識を呼び起こす。
「大神さん、幻庵と帝剣の気配です。彼女たちを狙っています!」
「なんだって!」
大神がモニターに視線を向けると、いつの間にか魔装機兵は倒れて、中から仮面をつけた上級降魔が剣を構えていた。対峙するのは天宮さくらだろう。同じく抜刀し、対峙している。さくらは醜悪な妖力に、思わず顔をしかめてしまう。しかし、周囲に幻庵の姿は見えない。
「大神さん、このやり方ではふたりが狙われたときに間に合いません。だから、私に合わせてください!」
さくらは言いながら、大神の力強く握る拳から両手を抜いた。そうして、腰に差した刀を尖塔に向けて構える。
「さくらくん、ここから攻撃はできないぞ」
「攻撃ではありません。彼女たちを守る結界を作って飛ばします。幻都を聖魔城に飛ばしたように。どれだけの力が必要かわかりません。だから、全力でお願いします」
「わかった!」
大神は、自身も二刀を抜いて構えた。
一方の尖塔では、天宮が刀を構えている。そうして二言三言の口上を交わした末に、夜叉と斬りあった。
夜叉の乱れた剣筋に対し、天宮のそれは真っすぐで迷いがなかった。彼女は見事に夜叉を切りふせ、消滅させた。
「大神さん! お願いします!」
さくらの声に、大神は慈力を高めながら技の構えに入った。
『狼虎滅却!』
大神とさくらの声が重なり、
「正義と、平和を」と大神、
「ふたりの、力で!」とさくら、
『桜花絢爛!』
ふたりの声と慈力が重なり、三つの剣閃が絡み合う彗星のように尖塔へ飛んでいった。
それに先んじて天宮と傍らの隊長を、幻庵の妖力が包み込んだ。その中心にはふたりを飲み込まんと虚空の穴が口を開いている。強烈な力で引き込まれる神山を、懸命に天宮が追い手を伸ばす。遅れて慈力の彗星が幻庵の妖力を突き抜けた。しかし、明らかに加速が足りない。
「だめ、間に合わないっ!」
さくらが悲壮な声をあげた瞬間、新たな力が加わって慈力の彗星が膨張した。そのまま天宮と神山を飲み込み、虚空の穴を幻庵の妖力ごと吹き飛ばす。慈力はまばゆい光と共に、そのままふたりを守る結界を作り上げていった。
(さくらくん! 無事か⁉)
先ほどまで慈力の彗星と化して一体となっていたはずのさくらが感じられず、大神は狼狽えた。少し遅れて、さくらが反応する。
(大神さん、私は大丈夫です。それよりここは……)
戸惑うさくらの声音に、大神はようやく周囲の変化に気づいた。大神たちが創り出した空間は無機質な結界ではなく、木々に囲まれた家屋を成していた。家屋のすぐ脇には、太い幹に見事な枝ぶりの桜の樹が、満開の花に包まれている。
久しぶりに見る青空と取り囲む木々の緑。吹き抜ける柔らかな風。霊体の大神にも感じられる心地よさだ。いつの間にか、さくらの霊体が隣に立っていた。
ふたつ、疑問があった。結界の内部の様子が無機質な闇でないこと、そして結界空間を飛ばしたというのに、なぜ大神とさくらが霊体化してこの場にいるのか。
(これは、さくらくんの力なのか?)
(違います。ただ、大神さん。見覚えがありませんか?)
そう言われてみると、既視感を感じる。それも、それほど前の話ではない。
(――ここは天宮家の鍛冶小屋です)
さくらの言葉をきっかけにして、大神は天宮家にまつわる一連の記憶を思い出した。訪れたのは降魔大戦の直後。幻都の時間では一年にも満たないが、戦場に身を置いていた大神にとっては数年以上前にも思えた。
大神が天宮家を訪れたのは、降魔大戦緒戦を乗り切ってすぐのことだった。かねてより月組を通じて天宮家の絶界の力を借りたい旨を打診していたものの、けんもほろろで取りつく島もなかった。しかし、いよいよ降魔皇の脅威が差し迫り、このままでは埒が明かないと大神自身が天宮家を訪問したのである。
(最初に俺ひとりで天宮家に行ったときには、天宮鉄幹さんに相手にもされなかったな。それで、さくらくんなら――降魔と闘い続けた裏御三家のひとつ、真宮寺家の末裔のさくらくんならと、改めて訪れたんだったね)
(大神さんとふたりきりで蒸気汽車に乗って……まるでお忍び旅行みたいで楽しかったです)
そのときの記憶を呼び水にしたのか、淡い輝きに包まれた大神は深緑のジャケット姿に、さくらは馴染みの袴姿に変じた。
結局さくらを連れても鉄幹の態度は変わらず、敷居をまたぐことも出来なかった。次の蒸気バスが来るまでの時間つぶしに近くをふら付いて辿り着いたのが、この鍛冶小屋だった。それが天宮家のものと知ったのは、続く事件後のことだったが。
そこでふたりは、異様な妖気を感じた。揃って宙に浮き妖気を感じる方向へと目をやると、はるか彼方に焔を上げる街……帝都が見えた。
(これは……まさか、あの日なのか⁉)
(あの……日……?)
突然さくらは目の前が暗くなり、落下しそうになった。あわてて大神が抱え、地上にゆっくりと降りる。
(大丈夫か、さくらくん!)
(すいません。急に目眩がしただけ。もう大丈夫です)
さくらは慌てて大神から離れる。だが、どうも気もそぞろな印象を受ける。
(そういえばあのときも、さくらくんは気を失って……)
その大神の言葉をさくらは聞き流し、周囲を見回している。そのまま、何かに気をひかれたように鍛冶小屋に目をやった。そうして導かれるように、おぼつかない足取りで裏口に向かう。大神は不審に思いつつもついていき、さくらの背中越しに中を覗き込んだ。
そこには、白い小袖に若竹色の袴姿の女性がいた。艶やかな髪を桃色の大きなリボンで結わえている。
その姿を見て、さくらは何かを確信したようにうなずいた。そして振り返って大神の手を取ると、静かに家屋から離れた。
(さくらくん、あの人は……)
(はい、天宮ひなたさんです。そして、ようやくわかりました。この結界を作り上げ、ここに私たちを霊体として導いたのは、帝剣に宿ったひなたさんの想いです)
(ひなたさんの想い? じゃあ、あそこにいるのは彼女の霊体なのか?)
大神の疑問に、さくらは首を横に振った。
(少し違います。帝剣に込められた想いが形を成した影のようなものでしょう。本当のひなたさんではない、でも別物でもない……霊剣荒鷹を守るように現れたお父様や歴代の使い手と同じようなものだと思います)
と、屋内から話し声が聞こえてきた。
『お母さんっ!』
『……誰?』
それは、天宮さくらと天宮ひなた、親子の声だった。反射的にふたりは小屋に駆け寄り、中の様子をうかがった。
突然見知らぬ少女に抱き着かれたひなたは最初こそ戸惑っていた様子だった。しかし少女のただならぬ反応と、遅れて現れた青年の姿を見て、ふたりが自分の娘とその幼馴染であることを確信したようだった。のぞき見しているという居心地の悪さもあり、大神とさくらは目を見合わせるとその場を離れた。
裏手から井戸へと迂回すると、少し先に桜の木が見えた。大神は少し緊張した面持ちで、さくらを見やる。
(さくらくん、俺たちがここを訪れたときのことを覚えているかい?)
大神は先ほど見た帝都が燃える風景から、この結界内に再現された天宮家の鍛冶小屋は自分たちが訪れたあの日のことだと確信していた。一方で、帝都を燃やす炎からは、結界の外で様子をうかがう幻庵の妖力を感じてもいる。
さくらへの落ち着いた口調とは裏腹に、あの事件の記憶と迫りくる幻庵への警戒が混然とし、大神は動揺を抑えきれなくなってきた。
(後から聞いた話は覚えています。でも、自分の記憶としては思い出せないままで……)
さくらのほうも調子が悪いのか、頭に手をやって顔をしかめている。それほど離れていないというのに、天宮親子が思いのたけを伝え合う様子が遠くに感じられる。
やがて大神は意を決し、さくらの肩に手をかけると、彼女を咲き誇る桜へと向けた。大神の脳裏には、かつてこの鍛冶小屋で起きた事件が鮮やかによみがえっていた。ここでもしそれが再現されてしまうのならば、さくらの力が不可欠だ。
(さくらくん、あの時と同じことが、ここで起きる気がする。いけるかい?)
大神の問いかけに、さくらは戸惑いながらも頷いた。大神は抜刀の邪魔をしないように、彼女の右後ろへと身をずらす。さくらは大神に導かれるまま、朦朧とする意識のなかで、居合の構えをとった。
いつのまにか桜の根元には幼子が現れ、不器用ながら一生懸命に舞を踊っていた。
幼子がくるくると回り、ふらついて桜の根元を背に腰を落とした瞬間、音もなく幻庵の妖力が飛び込んできた。妖力の塊は地につくと同時に降魔の姿に変化した。
それはあの日、大神がさくらと天宮家を訪れ、離れの鍛冶小屋に居合わせた場面をなぞるような状況だった。
そこに響きわたる幼女の悲鳴。
その声に弾かれるように、天宮さくらが疾駆し降魔の前に立ちはだかった。それに呼応するように真宮寺さくらの慈力が爆ぜ、桜の木と幼女の傍らを駆け抜けた。
天宮さくらは目にもとまらぬ速さでありったけの霊力を込めて抜刀し、真宮寺さくらはその剣閃に応えるように慈力を重ねた。
ふたりの『さくら』が寸分たがわず動きを重ねた一閃は、降魔の腹から背を断ち切り、その姿を一息に掻き消した。
そのまま天宮さくらは振り返り、腰を抜かした幼女を見る。
「お姉ちゃん、さくらさんって言うの⁉」
天宮さくらが飛び出した時に神山がよんだ名前に、幼子が反応した。
「……え? う、うん……そうよ」
「わたしも同じ名前なんだ!
助けてくれてありがとう。カッコよかったよ‼」
その言葉に、天宮さくらは思わず涙を流していた。自分を助けたのは自分、という誇りと共に、なぜか自分があこがれ続けた真宮寺さくらの想いが重なっているように感じたからだ。そして頷き、幼女に声をかける。
「ありがとう……
あなたがそう思ってくれるから、今の私がいる。
その気持ち、絶対に忘れないでいてね!」
涙をぬぐいながら見つめる天宮さくらを不思議そうに見返しながらも、幼女は元気よく「うん!」と答えた。
その交流のうらで、結界に異変が生じ始めた。幻庵の妖力がいよいよ高まり、結界にほころびができた。神山は天宮さくらを呼び霊子甲冑に飛び乗ると、ひび割れた結界から脱出した。
大神が桜の根元に駆け寄ると、幼女の姿は消えていた。代わりにその場には、さくらが倒れ伏していた。慌てて抱え起こし声をかけるが、反応がない。
(さくらくん、さくらくん!)
取り乱す大神の肩に、誰かの手が置かれた。振り返ると、微笑みを浮かべた天宮ひなたがいた。ひなたは大神の肩からさくらの頭に手を移し、ゆっくりと霊力を流し込む。すると、さくらはうめき声を上げつつも、意識を取り戻したようだった。
(おおがみ、さん……?)
大神は安堵しつつ、さくらの身体を抱え上げてひなたの正面に立った。
(天宮ひなたさん、あなたがこの舞台を整えたんですね?)
大神はすべてを悟ったように、声をかけた。ひなたは穏やかに答える。
「あの日、幼い娘を助けてくれたのは……真宮寺さん、あなたでした。あらためてお礼を言わせてください。本当に、ありがとうございました」
そこで、ひなたは心を込めて深々と礼をした。
「そして、その真宮寺さんの身には、先ほど成長した娘のさくらの霊力も重なっていました。
未来から過去へ、人がその姿のまま移動することはできません。逆もまた。ですが、先ほどの真宮寺さんの慈力が、今の成長した娘の霊力を過去の一閃へとつないでくれたのでしょう。
一方で、娘のさくらは真宮寺さんにあこがれることで研鑽し、今日、ここで起きる戦いを制するまでに成長したのです。幼い自分を救ったのは自分でもあったという事実に、あの子はまたひとつ、殻を破ったことでしょう。それは、この先の戦いにも大いに活きるはずです」
(では、あの日さくらくんが記憶を混乱させたのは、天宮さくらさんが共に幼いさくらさんを守るために力を発動したから、ということですか?)
「そうです。つらい思いをさせて申し訳ありません。
ただ、あの日と今日、過去と未来の因と果が強く繋がることは奇跡のようなものです。それは因が先か、果が先かも判じかねるほどのもの。わたしが過去へと干渉できる唯一のチャンスでした。そうして、未来から過去に種をまいたのです」
大神にはひとつ、わからないことがあった。それを素直に口にする。
(ひなたさんには、この未来が……成長した天宮さくらさんの力が、過去のさくらくんの一太刀に重なることが、どうしてわかったんですか?)
「幼いさくらを真宮寺さんが助けてくれたのを私は見ていました。そのときあなたの身体から、なぜか娘を思わせる霊力を感じたのです。当時は私の勘違いだろうと、思いました。
ですが、帝剣に命を捧げたときにわかったのです。あの霊力は、未来で成長した娘のものなのだと。失礼ながら、当時の真宮寺さんでも、生身であの降魔を倒すことは容易ではなかったでしょう」
「確かに降魔大戦で現れた降魔は強力だった。かつて帝都に現れた降魔はもう少し小ぶりで、膂力も光武なしで戦えなくもないぐらいだったな」
大神は当時を思い出しながら呟いた。
「それを一太刀で断つことは、未来の娘の力が、真宮寺さんの一閃に重なっていたからです。ならば、真宮寺さんと娘を繋ぐことこそが、私の役割なのだと思いました。だから私は、死の間際に自分自身の影を作り、それを帝剣に込めたのです」
さくらは腑に落ちたように言った。
「確かに反射的に動いたけど、この身体では降魔を攻撃することはできない……それでも慈力を込めて刀を振るったのは、天宮さくらさんの霊力を過去のわたしに送るためだったのね」
その言葉にひなたは頷き、つづけた。
「ただ、結界内に幻庵の強大な妖力が入り込んだのは誤算でした。そのため無理やりですが、幻庵の妖力を降魔の姿に変えました。過去と繋ぐために降魔の姿にしましたが、あの妖力自体は上級降魔級でした。過去に娘を襲った降魔とは比になりません。それを刀の一振りで調伏できたのは、ふたりの力が共鳴し、本来なら届かぬ威力を引き出したのでしょう」
そこまで一息に話すと、ひなたはあらためて頭を垂れた。
ようやく調子を取り戻してきたのか、さくらは自分自身の足で立ち、ひなたに笑顔を見せた。
(ひなたさん。こちらこそありがとうございました。あなたが……あなたが残してくれた帝剣が、私たちの未来を繋いでくれています。まだ戦いは終わっていませんが、必ず未来を守ってみせます。だから、ここからは私たちに、ふたりのさくらにお任せください)
「ええ、よろしくお願いします」
ひなたは微笑み、その姿のまま光に包まれ消えていった。
(さて、俺たちもそろそろ戻ろう。結界も限界のようだ)
先ほどから結界の端々がひび割れ、妖力が流れ込んできている。ひなたの霊力がほころびはじめ、離れた幻都から流し込んでいる慈力も尽きようとしている。大神とさくらは慈力による防壁を強めつつ、結界を飛び出た。彼らの少し先に、天宮と神山の霊子甲冑が見える。
さくらは慈力を伸ばして、ふたりが戻りやすいように魔城と化した帝国競技場への道筋を作り上げた。が、そこに凄まじい妖力が割り込んできた。それは、幻庵が創り出した降魔皇右手の幻影だった。
右手は天宮を吸い寄せ、握りつぶそうとしている。さくらは慌てて霊子甲冑を追った。ひなたに与えられた残された霊力のすべてを込めて、幻影めがけて翔ける。だが天宮は圧倒的な妖力を前にしてもひるまず、その決意を吐き出した。
『わたしたちは絶対に帝都に戻って……絶対に、未来を守るんだからぁ――っ!』
天宮の熱い想いを感じつつ、さくらは降魔皇の前に立ちふさがり、幻影を払いのけようとした。しかし、その必要などなかった。天宮さくら自身の力で、その幻影を葬り去ったのだ。
驚いたさくらが思わず振り返ると、こちらは霊体の身だというのに天宮と目が合った。それは、強い絆を得たふたりだからこその奇跡だったのかもしれない。
この奇跡的な邂逅に、さくらは何かを伝えなければと逡巡した。果たして伝えるべきは何か。こちらの無事か、幻都での戦況か、はたまた帝都で暗躍しているはずの上級降魔――千夜と崎姫の存在か。しかしその迷いを気にする風もなく自分に向ける天宮さくらの輝く瞳を目にし、自然と言葉があふれ出した。
「あなたたちが、なすべきことのために。あなたの舞台へ!」
その言葉に天宮は感極まった表情を見せ、さくらに万感の思いを込めて礼を伝えた。
『やっぱり、あなたはわたしのあこがれです……真宮寺さん、ありがとう……』
天宮さくらはそう言い残すと、幻庵葬徹に向かって飛んで行った。
「さくらくん、天宮さんのあこがれは筋金入りだったね」
追いついた大神が、優しく声をかける。さくらは目元に浮かんだ涙をぬぐいながら、はにかんだ。
「こちらも負けてられません。私たちが成すべきことのために、私たちの舞台へ向かいましょう」
「ああ」
大神とさくらは天宮たちのように互いの手を取り、仲間たちが待つ幻都上空へと戻った。
元の場所にたどり着くと、紅蘭と織姫に加え、マリア、アイリス、カンナ、レニも尖塔から意識を戻して待っていた。
「みんな、大丈夫か?」
大神の質問に、目を潤ませたアイリスがいやいやするように首を振る。周りを見るが答えはなく、それどころか誰も目を合わせようとしない。
「な、なにかあったのか!」
「お兄ちゃん! どうしてさくらと手を繋いでるの!」
アイリスの悲鳴に、慌ててふたりは手を放した。
「い、いや、これは向こうから脱出するときに……」
「そう、アイリス。別にこれは……そういうのじゃないのよ」
「なあマリア、そういうのって何だろうなぁ?」
「大事な戦いの最中です。そういうのでなくて良かったです」
カンナとマリアの掛け合いが耳に痛い。
「冗談はそのくらいにして、仕上げを始めよう」
レニが笑いながら大神に手を差し出した。大神はレニと、近づいてきたアイリスの手を取る。帝都花組は互いに手を取り合い、輪になった。
そうして、地上の人々の安らぎを、惑う悪霊に鎮魂を、平和を守るため戦う人たちに立ち上がる力を届けたい、そう強く願った。その願いが慈力を噴出させ、八人の中心で渦巻いた。
次の瞬間、慈力は桃色……いや、薄紅の桜色の輝きを放ったか思うと、光り輝く花びらとなって尖塔へ、そして地上に向かって舞い散った。
輪を解いた一同は、眼下に舞い降りていく花びらを目で追う。しばらくして、アイリスが嬉しそうに皆に伝えた。
「みんな、あっちの帝国華撃団の皆も、目を覚ましたよ!」
(あの光は、真宮寺か! おのれ……また貴様か!)
遠くから恨みがましい声が聞こえたような気がする。しかしさくらは意にも介さず、身内を駆け抜けていく慈力の暖かさに酔いしれながら、再び願いをこめた。地上で戦う戦士たちが、勝利をその手に掴みますように、と。
四
新次郎たちは正気に戻った芳春達の導きで、氏綱が妖力ごと封印されている地下へと降りていった。時折、頭上から振動が聞こえる。大神からの念話によると、妖力で出来た種子のようなものが、聖魔城の基部から大砲の弾のように打ち上げられているらしい。その種子は地上の物体に着弾すると、妖力を孕んだ芽を出して周囲の生命体を攻撃していくのだという。それだけでなく、黒く太い管のようなものが伸びて幻庵の背中に取り付き、あらゆる攻撃を無効化しているとも言っていた。どうやって幻都の封印を通過しているのかはわからないが、降魔皇の妖力が地上の戦いを助けているのだ。巴里花組により二剣二刀の破壊は免れたが、未だ切迫した状況は変わらない。
一同は降魔阿頼耶識でサマエルがいた広間と同じ場所に辿り着いた。違いは、扉の全面に貼り付けられた護符だ。その護符一枚一枚何かに耐えるように震え、まるで脈打つように膨らんだり縮んだりしていた。
扉の前に立つ芳春が手をかざして中の様子を伺うが、その表情は冴えなかった。
「芳春さん、どうしたんですか?」
ためらう芳春を促すように新次郎が声をかける。
「封印内が思っていた以上に悪い状態で……」
まず、結界の上部にわずかな亀裂が入っていた。そこから妖力の種子や幻庵を守る管が伸びているようだ。また、広大な空間の内部は妖力が充満していると想定していたが、実際は大部分が結晶化しているようなのだ。そしてその中央に設えていた、氏綱が自らを封じるために用意したかまくらのような小部屋、その中にしか人が動けるだけのスペースがないのだと言う。一番の問題は降魔皇の核。サマエルが滅んだというのにその核は健在で、氏綱が乱心したままであることが容易に想像できた。
「つまり、降魔皇は健在。そしてその降魔皇と戦えるのは中に入れる独りだけ、ということです」
芳春が言いながら項垂れる。一瞬の沈黙が流れたが、紐育星組の面々はすぐに頭を切り替えて作戦を練った。
「まず小部屋までの結晶を、どうやって取り除きましょう?」
「じゃあ、リカがとりあえず撃っとく!」
「ボクとジェミニンのランブリング・ホイールで、その穴を広げるよ」
「できた穴をあたしの鎖で維持する、でいいんじゃないか?」
新次郎の問いかけに、リカ、ジェミニ、サジータがすぐに答えを提示する。
「結晶化しているとはいえ、扉を開けたときに妖力が流れ出すかもしれません。それを留める部屋がこちら側にいりますね。それは私がつくります」
「昴は言った。『その部屋の中の、皆が動ける空間をつくろう』と」
瞬時に作戦が組み上がった。新次郎はあらためて話し始めた。
「さきほど、一郎叔父から地上の帝国華撃団のサポートに成功したと連絡がありました。ただ、どうやらこの幻都を封印し直すために北斗七星の陣を行おうとしているようです。その手助けが必要かもしれないので、まだその場を離れられません。ですから、ここは僕たちだけでなんとかしましょう。もちろん、降魔皇とは、僕が戦います」
「ボクとジェミニンは、穴を広げたら一緒に入れるよ」
「そうだな、俺たちも行こう」
しかしジェミニとジェミニンの申し出を、新次郎は断った。
「ふたりには穴を空けた後、聖魔城の基部に向かって、伸びている管を破壊しておいてほしい。少しでも地上の負担を減らすんだ」
「じゃあリカが付いていく」
「リカもジェミニたちについて行ってくれ。打ち上げられる妖力の種子を、一つでも多く打ち落とすんだ」
「新次郎の言うこともわかる。でも、どうしてひとりで行こうとするんだ?」
サジータが皆の気持ちを代表して言った。
「どのみち、部屋の中で戦えるのはひとりです。みんなで行って何か不測の事態で閉じ込められるようなことがあった場合、戦力が分断されると共倒れになりかねません。だからひとりで行くんです」
迷いなく言い切る新次郎に、誰も言い返すことが出来なかった。不承不承サジータはうなずき、気持ちを切り替えて準備を始めた。
作戦は予定通りの形で決行された。芳春たちは少し離れたところで見ていたが、その手際の良さに感心した。星組は先ほどのわずかな段取りだけで、一瞬のずれもなく連携をやってのけたのだ。
昴とダイアナが扉を開くと同時に、正面に陣取っていたリカが慈力を込めた弾丸を二丁の銃から連射する。その軌道に沿って、ジェミニが日本刀を振るいながら火球を打ち出した。その真後ろに、わずかに遅れてジェミニンの火球が続く。それらは圧縮により固められた妖力を貫き、さきにある氏綱の小部屋の扉まで吹き飛ばした。それにつづいてサジータが放つ八条の鎖が伸びて、慈力の壁を生み出していった。
扉から妖力があふれるよりも早く、反転した三人は扉を離れ、それと同時に昴とダイアナが二重の部屋をつくって妖力を阻みつつ、自分たちの空間を維持した。妖力自体は慈力で霊力に転じることが出来たが、結晶化した妖力は溶かすこともできなかった。あわよくば慈力で内部の結晶化した妖力を一気に消し去れないかとの腹案は、この時点で破棄する。
新次郎はサジータの鎖と同時に駆けだした。前方が見えないことなどお構いなしに全力で走り、氏綱が自らを封印した小部屋に飛び込んだ。すると畳が敷き詰められた小部屋の中央に、全身に黒い妖力の蛇を無数にまとわりつかせた氏綱――降魔皇がいた。
黒く蠢く蛇のなかで唯一露出している緋色の眼が、新次郎に向けられる。サマエルとは違う、その憎悪に満ちた輝きに鳥肌が立った。
「氏綱さん、大丈夫ですか!」
だが降魔皇はうめき声をあげるだけで、呼びかけに答えない。
新次郎は油断なく二刀を構えつつ、降魔の核を探す。が、体表を這い回る妖蛇の複雑な動きに惑わされ、見つけ出せなかった。やむなく、少しでも妖蛇を減らせればと新次郎が斬りかかる。
降魔皇はそれをよけもせず、新次郎の脇腹を殴った。新次郎は慈力で守るが、衝撃を逃がすことができずに壁へと吹き飛ばされる。新次郎の刃は妖蛇の何匹かを傷つけただけで、降魔皇に届かない。対する降魔皇は右手から一振りの刀を生み出し、だらりと下げた。そこから十数合、降魔皇と新次郎は剣撃を交わす。降魔皇の勢いに、たまらず新次郎は距離をとった。息を整える。
新次郎は正直、慈力の力を持て余していた。例えるならば、慈力は身の丈に合わない太刀のようなものだった。威力はあるが、扱うのが難しい。重さに振り回され、長さに間合いを見失う。しかもむやみに振り回せば周囲を傷つける。新次郎を守る慈力の防護壁のおかげで致命傷を受けることはないが、なんとも無様な戦いぶりだ。
新次郎は迷っていた。切るか突くか。攻撃し続けていれば、いつか降魔の核を傷つけることが出来るかもしれない。防護壁越しでも痛みはあるが、即座に回復されるため影響はない。
(慈力はまだまだある。とにかく押し切るんだ!)
意を決して飛び出した新次郎は、しかし降魔皇との間に割って入った何者かに正面から殴られた。
第三者の登場に驚きながら、地に伏す新次郎。うっすら目を開けると、黒に金の意匠が施された具足が目に入った。その具足が、畳に横倒しになった新次郎の腹を蹴った。痛みをこらえながら何とか視線を上げると、まとまらない髪の毛を後ろで無造作に結わえた、浅黒い肌をした甲冑姿の男が立っていた。
「お、織田信長……」
降魔皇が遅れて反応し、力任せに信長の背を斬る。だが信長は微動だにせず、
「頭が、高いわ!」
の一喝で、降魔皇を吹き飛ばした。壁に背を打ちつけられ、刀を取り落す降魔皇。それに構わず、降魔皇は咆哮をあげると十本の妖力の槍を生み出し、放ってきた。しかし信長は、その全てを赤いマントの一振りではじき返す。信長は新次郎を見おろし、再び足を振り上げた。襲い来る蹴りを、新次郎は転んで避けた。
「信長……なにを……」
紐育で起きた織田信長事件。
紐育星組はその一味を撃退し、対峙した織田信長と戦い、勝利した。その後、織田信長は新次郎たちの想いに触れ、彼らが追い求める未来を共に見ると言い残し、新次郎の心のなかで眠りについたはずだった。
「この小童が、図に乗るでない!」
今度は拳を振り上げ、新次郎を殴りつける。
「これがお前の言う優しさか? 敵への思いやりか?」
次は蹴りだ。
「強大な力を得ておごったか。だから宙を舞うこともできんのだ。今の貴様のなまくら刀では、切れるものも切れぬわ!」
再び拳が襲いかかる。そのすべては防護壁が衝撃を吸収し、見た目ほどの痛みではない。が、新次郎の心が激しく痛んだ。
「今の貴様は儂が希望を見いだした開拓者ではない。力におごり、優しさをはき違えた偽善者よ! そんな者のなかに居っては、儂の魂まで腐ってしまうわ」
新次郎は、何も言い返せなかった。浮かぶ言葉は、すべて言い訳だった。無力感を感じながら新次郎はゆっくり立ち上がり、信長を正面から見据えた。
「お前に与えられた力は、お前を不幸にするような力なのか? お前が成そうとすることは、人様に胸の張れないことなのか」
そこでようやく、新次郎は答えた。
「いや、違う。みんなが幸せになるために託された、たくさんの人々の想いが込められた力だ」
「ならば全力をもって、己が意思を込めた一撃を与えよ。お前が真に倒さねばならぬもの、その一点のみを貫くと信じるのだ」
「――ありがとう、信長。僕はもう、迷わない」
信長はその言葉に満足したようだった。そうして半身を後ろに向け、こちらを伺う降魔皇を見た。新次郎もその姿を視界に収める。
新次郎は改めて両手の剣を正面に構える。
気合いを上げるわけでもなく、ただ静かに二刀に慈力を流していった。慈力はよどみなく刀身に染み込み、蓄積されていく。新次郎は体の内側から湧き上がる慈力と、初めて向き合っていた。ゲームで懸命に生きる星組や舞台に立つ星組を応援する声、拍手、温かい気持ち。そのひとつひとつ、ひとりひとりの想いがこの力をつくりあげていることを、今更ながらに感じ取った。
(星組が幸せになる未来、そこにはひとつの犠牲もあってはいけない。誰もが救われる先に、本当の星組の勝利があるんだ)
新次郎自身が慈力の想いのひとつであるように祈り、願う。そのとき、新次郎は慈力と溶け合った不可思議な存在になっていた。手にした二刀も慈力と化している。その姿を見て信長は満足げにうなずくと新次郎から離れ、腕を組みながら壁にもたれる。
降魔皇は眼前で高まる慈力に焦れて咆哮を上げると、新次郎めがけて飛びかかった。
突き出された拳を、新次郎は無心に左の小太刀で払う。その剣閃が降魔皇の手首を薙いだが、氏綱の手首はそのままに、まとわりついた妖蛇だけを断ち切っていた。勢いのままに飛び込む降魔皇の身体を新次郎は脇をくぐるようにかわし、背後を取る。がら空きの背中を新次郎は右の刀で突いた。突き立ったその刀は愛刀ではなく、半透明の神刀滅却もどきだった。さらに新次郎はそのまま左の刀で降魔皇の身体を刺した。刀はやはり愛用の小太刀ではなく、やや透けた神剣白羽鳥に変じていた。
降魔皇は喚き声をあげて両腕を振り回しながら新次郎に向きなおった。その紅眼が捉えたのは、光刀無形、霊剣荒鷹もどきを構えた新次郎。二条の剣閃は左右の胸を貫き、降魔皇を空間に縫い留めた。降魔皇に突き立った二剣二刀もどきは、身体を覆う妖蛇を祓い続ける。
「狼虎滅却、天・地・人!」
動きを止めた降魔皇を前に、新次郎は握る刀を愛刀に戻して気合を入れる。
「暴虎氷牙!」
そのまま刀と逆手の小太刀で、降魔皇の一点を迷いなく斬った。新次郎は手ごたえを感じつつ、二刀を鞘に納めて降魔皇を見る。
一瞬遅れて、降魔皇が叫び声を上げた。
二剣二刀もどきから流れ込む慈力が降魔皇の動きを束縛し、逃れることを許さない。傷を埋めるように身を覆う黒い蛇が刀身に向かっていくが、慈力に触れると蒸発するように消えていった。降魔皇を覆う蛇たちの狂乱は収らなかったが、降魔皇自身はすでに四肢から力を失っていた。
やがて、黒い蛇の姿がまばらになり、氏綱の肌を露出させた。痩せ細り、自らを掻きむしってできた傷が全身を覆った身体。すべての蛇が消え去ったところで二剣二刀もどきは姿を消し、新次郎は倒れそうになった氏綱の身体を支えて畳の上に横たえた。ようやく目にした降魔皇の核は五つあり、すべてが二分されていた。
傍らでその様子を見ていた信長は目を閉じ、呟いた。
「歴史からは消されたが、北条早雲といえば幼少のみぎりの憧れよ。その一族の助けになったなら、是非もない」
信長の胸中には、自身の一生が蘇っていた。
力ある者はそれを失わないため周りと争い、力なき者は生きながらえるために媚びへつらう、そんな時代だった。すべてが疎ましく、腹立たしく思えた。誰もかれもが何かを恐れながら、そしてそれに憎悪しながら生きていた。しかし信長自身はそんなものに振り回されるのはまっぴらだった。すべてを平定する。己を駆り立てるものは、自分の想いだけでいたかった。そうして戦い続けた果てにいつの間にか信長自身が人々の恐怖と憎悪の象徴となり、天下布武を目前にしながら命を散らした。
目覚めた先は、地獄ではなかった。見たこともない巨大な建物が所狭しと立ち並ぶ、煌びやかな明かりを放つ街並み。しかし信長がそこに感じたのは、地に満ちた嘆きと、犠牲になった魂の怨嗟だった。先住民の血にまみれた大地、その憎悪と呪詛を糧にした邪が満ちる都市――紐育。信長はその地の怨念を制するべく、再び戦いを始めた。その前に立ちはだかったのが、新次郎たち紐育星組だった。
彼らは未熟な、卑近で刹那的な優しさや愛情というものに拘りながら挑んできた。人の本質である弱さ、それゆえに絶えるはずのない争いから目を逸らしているとしか思えなかった。しかし彼らはそうしたものをすべてひっくるめて、自分たちで築く未来を、築こうとする想いこそが大事なのだと訴えてきた。死闘の果てに、信長はそこに希望を見出した。いや、信じてみたくなったのかもしれない。
そうして新次郎のなかへ魂を移し、まどろみながら彼の戦いを見てきたのだ。その後のジャンヌ・ダルク事件においても、そして降魔大戦においても、その心意気を陰らせることはなかった。降魔皇との緒戦こそ、慈力に振り回されて無様を晒していたが、その根底にある志が揺るいだわけではないことはわかっていた。
見たいものは充分目にすることができた、そう信長は思った。同時に、彼を留めていたなにかが霧散していくのを感じた。
振り返った新次郎が何か言おうとするのに先んじ、信長は言葉を続けた。
「これであの時代が残した禍根がすべて消えた。お前たちの志の強さも確かめられた。こうして言葉をかわすことは、最後になるかもしれんな」
言い終わると同時に信長の身体が輝きだした。茫然とする新次郎を一瞥し、皮肉気な笑みを浮かべたまま信長は姿を消した。
「信長……ありがとう」
新次郎の感謝の言葉は、織田信長に届いただろうか。そんな想いに浸る間もなく、部屋全体が、いや地下全体が震え始めた。氏綱がくびきとなり結晶化していた妖力がその束縛から離れ、半固形化しながら膨張した。それらが外へ出ようともがき始める。上部にあったほころびを通じて、聖魔城基部からは汚泥のように妖力の塊があふれ出していた。新次郎は氏綱の身体を抱き上げると、サジータが懸命に維持し続けた通路を抜けて皆の元に戻った。それを合図に、昴が扉をしめ、周囲の重ね部屋を解く。駆け寄った芳春たちは新次郎から氏綱の瘦せこけた体を受け取ると、その場に寝かせて一心不乱に妖力を流し込んだ。
「新次郎、よくやった!」
「はい! 信長に助けられました」
新次郎の言葉に首をかしげるサジータ。新次郎は説明しようとしたが、指示を優先した。
「星組は地上に出て、先行する三人のサポートと周囲の状況確認をお願いします。芳春さんたちは、急がなくていいので、落ち着いてから始めてください」
そう言い残すと新次郎たちは慈力で宙を浮き、地上へ向かった。新次郎は、いつの間にか自在に跳べるようになったことに気づきもしていなかった。
聖魔城上空には、大神をはじめとする帝都花組と、巴里花組のエリカ、ジェミニたちが集まっていた。
「新次郎、無茶をしたな」
大神は苦笑しながら新次郎の肩をたたいた。
「一郎叔父、帝都のほうは良いのですか?」
「ああ、すでに北斗七星の陣発動のための星壇が灯り始めている。あちらのことは地上の帝国華撃団たちを信じて任せよう」
「これは確認だが、今の状況、うまくすれば俺たちが幻都から脱出することが可能かもしれない。だが、その選択肢は排除して動く、ということでいいな?」
ジェミニンの言葉に大神は強く頷いた。
「北条一族、大和の領民の安寧なくして俺たちの勝利はない。その気持ちは皆も同じだろう。だから脱出については考えないでいい。それに向こうの戦いにも余裕はないだろう。俺たちという想定外が加わることで、邪魔はしたくない」
『異存ない。すべての禍根に決着をつけてこそ、真の勝利だ』
グリシーヌが、一同の気持ちを代弁した。
「では、改めてこれからについて説明する。二剣二刀の各地に召喚したオーク巨樹に、巴里花組メンバーがそれぞれ待機している。新次郎と星組六名、そして帝都花組七名で、妖力を誘導してほしい。俺とエリカくんはここから全体のサポートを行う」
新次郎はうなずくと、手早くチーム分けをした。そうするうちに聖魔城全体が震え始め、基部の四方から妖力が勢いよく溢れ出す。次いで氏綱、芳春、氏時、浄心が地下から飛び出てくると、それぞれの持ち場へ散って溢れた妖力と身体を繋いでいく。水銀のように盛り上がる妖力は表面こそ穏やかに見えるが、上級降魔たちの身体に入り込もうと膨大な妖力が流れ込んだ。それに身体を乗っ取られないよう自我を手放さず、しかし妖力が離れないように半ば受け入れるのは、水中で溺れながら冷静さを保つようなものだった。
北条一族はそれぞれ苦痛に抗いながら、それをやり遂げた。本人たちにとっては永遠のように思えた苦しみだったが、外からは一瞬のことである。四人が妖力に飛び込んだ後、あっという間に妖力は巨大な黒い球体となっていたのだ。まるで聖魔城が分裂したかのような巨大な塊だった。が、そこで動きがとまる。氏綱、氏時、芳春、浄心それぞれが掌握した妖力を引っ張ろうとするが、行きつ戻りつの繰り返しで一向に分裂が進まないのだ。そうこうしている間にも妖力をまとう者たちの負担は増し、あちこちで悲鳴が上がる。たまらず芳春が、自身の妖力をベースとした念話――遠隔通信を新次郎に投げかける。
『不甲斐ないことで申し訳ないのですが、今の私たちでは妖力を割るだけの力がありません。外から援護いただけませんか』
その言葉に、新次郎は即座に待機していたメンバーへ慈力や霊力を振り絞った攻撃を促す。それぞれの技が聖魔城基部に蠢く黒い妖力の塊に突き立つが、しばしの力のせめぎあいののちに霧散してしまう。
『大河さん、サマエルを討った時のように、私たち全員の力を注ぎ込めば何とかなりませんか?』
ダイアナの悲痛な提案に、しかしグリシーヌが苦し気に返す。
『すまないが、四方の巴里華撃団メンバーは、そちらに加勢できそうにない』
「それなら……」
「昴は言った。『巴里華撃団のいない状態では、隊長二人の技に必要な力が賄えない』と」
新次郎の言葉を先読みした昴が、現実を突きつける。
「ここまできて……」
新次郎が悔し気にこぼす。このままでは妖力分断の要となる芳春たちがもたない。しかし巴里花組を呼び戻せば、苦労のすえ定着させた四方のオーク巨樹が消えてしまい、再び若木が暴走してしまうのだ。
大神はそのやりとりを聞きながら、ここが大博打の打ちどころかと逡巡した。全員の死力を尽くせば、足りない力を何とか絞り出せはしないか、と。その迷いを感じ取ったレニの「隊長、だめだ!」の一言に大神は踏みとどまる。無駄な力の消耗は、本当に必要な一撃を放てなくする。
その時、大神たちの頭上からまばゆい光が幻都中を照らし出した。次いで、大神の頭に懐かしい声が響き渡る。
『今こそかがやけ、命の星よ!
……北斗七星の陣!』
その言葉が終わるや否や、大神上空の尖塔と、その周囲にできた浮島から七筋の光の奔流が幻都に流れ込んだ。それは幻都全体を包み込む。それと同時に、幻都にある最も穢れた存在、聖魔城地下からはみ出た妖力の塊めがけて、星壇から七首の龍のような光柱が突き立てられた。
幻都の大地が震え、妖力自身が生物のように悲鳴をあげる。光の龍は妖力球に入り込むと、その内部で四方八方にと縦横無尽に駆け巡った。咄嗟にマリア、レニ、サジータ、昴も妖力の塊に飛び込み、なかにいた芳春たちを守るために慈力の結界を展開する。北斗七星の陣から放たれた七筋の光の龍はその結界を揺るがしながら、妖力の結びつきを断たんと暴れまわった。
「今だ! エリカくん、始めるぞ」
「はい、大神さん!」
大神はエリカの背後に立ち、目を閉じた。彼女もそれに倣う。
『狼虎滅却……』
大神とエリカの声が空を震わし、
「ふたりの祈りは」と大神、
「世界をめぐる!」とエリカ、
『ベネディクスィオン!』
ふたりの声が慈力と混じり合うと、強大な光のドームが現れて幻都全体を包み込んだ。その弧は四方のオーク巨樹に重なり、それぞれを共鳴させて互いを強化させる。ドーム自体の輝きは物理的な壁となり、落ちてくる黒管を半ばで断ち切って滑らせた。黒管はドーム外壁の弧に沿って幻都の端まで転がると、地を震わせながら動きを止めた。
見る間に空の裂け目が急速に閉じていった。そして間髪を入れず、妖力を蹂躙した光の龍は姿を消す。しかしその破邪の力で生まれた龍は、何百年と堆積し結びつきあった妖力を分断させていた。
『これなら……いけます!』
芳春の力強い言葉を裏付けるように、妖力が四方へと進み始めた。氏綱、氏時、芳春、浄心が細かく分断された妖力をまとめつつも、引きはがしにかかったのだ。
徐々に妖力が分かたれていき、四方のオーク巨樹に向かって動き始めた。華撃団メンバーはそれぞれを先導するが、その動きに抵抗しようと妖力は思う通りに動いてくれない。妖力の球を理想のルートへと無理やりにでも押し返さなければならない。しかしそれには膨大な力が必要と思われた。
「こりゃあ骨が折れそうだな」
カンナが頭をかいていると、アイリスが口をはさんだ。
「あのね、さくらや巴里のみんなを見てて思ったんだけど、慈力って知ってるものを作ると使いやすいみたい。だからね」
言葉を切るとアイリスは目を閉じ、身体を包み込むように慈力を展開した。その慈力はやがて像を結び、光武を形作った。
『あたしたちなら、光武にしちゃえばいいと思うの』
「すごいよアイリス!」
レニの賞賛に、アイリス操る慈力光武はくるりと一回転してポーズを決めて見せた。皆もそれに倣って自身の愛機を身に纏うと、打ち合わせ通りに四方へ散った。
「光武だとあんなにスピードが出るのか」
大神は慈力光武、慈力スターの動きをみて驚きの声を上げる。ほぼ一瞬で各妖力球の元にたどり着き、周囲に散開して脇にこぼれそうな妖力を押し返していく。上空から見ると巨大な玉転がしでもしているような光景だ。それぞれの玉は時折コースをはずれつつも、目的地を目指している。
あれだけの妖力をまとうこと自体、相当な負担がかかるはずだ。それを自分の意識で動かそうというのだから、芳春たちの苦労は相当のものだろう。大神は上級降魔として戦ったときの氏時や浄心の姿しか見ていないが、その粘り強い闘いぶりには何度も煮え湯を飲まされている。悪魔の意識下にあったとはいえ、その本質は土台となった人間に左右されているのだろう。そう思えば、彼らならやり遂げるはずだと信じることができた。
そこからは時間こそかかったが、それぞれの妖力球もオーク巨樹に達した。妖力球はオーク巨樹の幹に触れるとともに、急速にその姿を縮めていった。大量の妖力が霊力に変換され、流し込まれたオーク巨樹がいななく。それをグリシーヌ、コクリコ、ロベリア、花火らが慈力で宥める。エリカと大神の慈力は、各所で霊力変換が追いつかない妖力に注がれ、こぼれないように包み込んだ。
幻都の鳴動は十分ほどで静まった。すでに大神とエリカが生み出した光のドームも消え、四方のオーク巨樹は何事もなかったかのように佇んでいた。
各地の巴里花組からは、上級降魔たちが運んできた大量の妖力は慈力による霊力への変換と共に無事オーク巨樹に収まったとの知らせがあった。消失した妖力の球から気を失っている氏綱、氏時、芳春、浄心を助け出したマリア達は、簡単に手当てをし、休ませているという。
一時はどうなることかと思われたが、結果としてオーク巨樹内部には二剣二刀が肩代わりする必要のないほどの膨大な霊力が蓄積されていた。オーク巨樹は並々ならぬ霊力をその身に湛えつつも、若木からの貪欲な霊力への渇望をいなした。それはまるで、乳をもっと飲もうとぐずる赤子を優しくあしらう母の姿を彷彿させた。
その様子をしばらく眺めていた大神は二剣二刀と『吸い取るくん』が役目を終えたと判断し、それらの回収を指示したうえで、増上寺に集合するよう皆に伝えたのだった。
*
増上寺大殿内に集まった一同は、喜びで湧きあがっていた。
大神と新次郎、ジェミニンにとっては約七ヶ月、二剣二刀に霊力を流していた華撃団メンバーには北条一族の歴史の一部を追体験したこと含めて一ヶ月ほどの体感時間が経過していた。何より外界の時間で十年に及ぶ作戦に、一区切りがついたのだ。
降魔皇を無力化し、降魔の根源であるサマエルを調伏した。
聖樹『生命の樹』は召喚こそしていないが、誰の犠牲もなく制御下に置くことに成功した。
もちろん、まだ自分たちの意思で外界に帰還することは叶わないし、大和領民たち解放の道筋に至っては手掛かりさえ見つけられていない。外界の華撃団司令部の面々については安否すらもわからない状態だ。とはいえ、降魔大戦がはじまって以降、初めて落ち着いて喜びを噛みしめることができるようになったのだ。
未だに目を覚まさない芳春たちを別の建物に寝かしつけ、一同はささやかながら宴の準備を始めた。
大殿で車座になった大神と帝都花組・巴里花組、新次郎と紐育星組は、各地の若木から集めてきた果実と、それを加工して作った飲み物を並べている。
「こうして再び一同が顔を合わせることが出来て、心から嬉しく思う」
大神は万感の思いで言葉を発した。降魔阿頼耶識での霊体による再会ではなく、それぞれ肉体に戻っての顔合わせなのだ。
「そして降魔阿頼耶識から脱した後に矢継ぎ早に起きた危機的状況を、巴里華撃団、帝国華撃団、紐育華撃団、それぞれの力を如何なく発揮して乗り越えたことを、俺は誇りに思っている」
そこで大神は一同を見回すと、手元にあった飲み物を手にした。一同もそれに倣う。
「まだ解決すべき課題は残っている。しかし、今は今日の勝利を心から喜び、讃えあおう。では、乾杯!」
『乾杯!』
歓喜に満ちた声が、大殿に響き渡る。そこからは大騒ぎの始まりだ。互いの武勇伝に聞き入り、おだて、混ぜ返す。席を入れ替えてはそれが再び繰り返されてく。それが何周行われただろう。いつしか皆は畳の上で寝転がって放心していた。誰かが「そういえば、勝利のポーズが……」と言い始めたが、それは外界に帰還するまで楽しみとして置いておこくことになった。沈黙が流れる。だが、それすらも心地よい。
やがて、そこここから寝息が聞こえてきた。大神もそれを耳にしながら、まどろみに委ねて目を閉じた。そして、幻都上空から聞こえた気がした懐かしい声を思い出す。
『今こそかがやけ、命の星よ!
……北斗七星の陣!』
聞き間違えるはずもない。あれは、すみれの声だった。
外界において十年。それだけの時間をかけて、帝国華撃団を再結成し、地上で暗躍する勢力と戦い、封印を解かれそうになった幻都を見事に元の状態に戻したのだ。どれほどの困難があったろう。そして、恐らく今回の外界での戦いは帝国華撃団だけでの戦いではなかったはずだ。尖塔で確認した花組は六名。北斗七星の陣を発動する天宮さくら、そして霊力が低い男性である隊長を除いた四名が星壇を作り出したとしても三つ足りない。その不足を補ったのは帝都同様に新生した巴里や紐育の華撃団か、ラチェットが設立に関わっていた伯林か。はたまた大神が思いもよらない国の華撃団の助力があったのだろうか。いずれにしても、多くの力を結集して大作戦をやりとげたすみれの奮闘に胸が昂った。
そして、大神たちを残して幻都を封印し直すという決断を、どんな思いで下したのだろう、とも想像する。おそらく今回の幻都封印解除は幻庵によるものであり、すみれ達にとってはそれを防ぐことこそが一番の目標となっていたはずだ。とはいっても幻都に残った華撃団メンバーを助け出す千載一遇のチャンスであることは、当然すみれにもわかっていただろう。そんな状況にあっても帝都の安全を優先したすみれの決断を、大神は素直に讃えたいと思った。
いや、憎まれ口をたたくように「あの方たちは、しぶといですから。きっと、自分たちで帰ってきますわ」と強がっているだろう。大神は自分の想像に苦笑しながら、米田やかえで、加山たちのにも想いを巡らせた。今は、ただ無事を願うばかりだ。
と、風に乗って遠くから歌声が聞こえてきた。大神は静かに身体を起こして、声のする方へと歩いていった。
本堂を出てしばらく進んだ石段に、さくらが座っていた。彼女が口ずさむ歌は、初めて耳にするのに聴いたことがあるような不思議な感覚だった。それは銀座の街を威風堂々と歩き、自らを鼓舞するマーチだった。
「……大神さん?」
「邪魔してしまったな。すまない」
さくらは首を横に振りながら、自分の横をとんとんと掌で叩いた。大神はそこへ腰掛ける。
「この歌、大神さんは覚えていますか?」
「いや、どこかで聞いたことはあるんだが、どの公演かが思い出せないんだ」
すると、さくらはクスッと笑った。
「そりゃあ覚えてませんよ。これは、分岐世界で歌われていた曲なんです」
「そうだったか……でも、ゲームや俺たちが見た風景では聞いていないはずだが」
「はい。あのときは見聞きしていないと思います。ただ、ゆっくりと記憶をさぐると、こんな歌や公演、ショウが湧き出てくるんです。きっと、あの世界にある私たちにまつわるものが、記憶に残されてるんだと思います」
そう言うとさくらは立ち上がり、途切れていた銀座の行進曲を最後まで歌い上げた。そこに、背後から拍手が沸き起こった。いつの間にか全員が並んでいた。
「また抜け駆け~!」
口調は怒っているが、アイリスは満面の笑みだ。
「そうだ、せっかくこのメンバーが揃ってるんだから、あれを歌わねぇか? 『愛が香るころに』をさ」
カンナが言い出した曲名に皆は一様に首をかしげた後、得心がいったように手を打った。慈力と共に受け取った分岐世界の記憶――そこで歌われていた、三大歌劇団が一堂に会して歌い上げた名曲だった。
彼女たち自身が歌ったことはないが、不思議と不安はなかった。打ち合わせもなくチームに分かれ、横一列に並ぶ。
マリアが一本調子で低い声を響かせると、それに合わせて皆が声の高さを確認した。その声の重なりだけで、胸が躍る。思い思いの音階が確認できたところでそれぞれに視線を交わし、すっと声をおさめる。
マリアは視線を走らせて皆の準備が整ったことを確認すると、小さく低い声で拍子をとり、早いテンポでカウントした。
「ワンツースリーフォー、ワンツー」
また君に 会いたい ふたりの胸に
ふたたび愛が 香るころに
全員の合唱がピタリと合わさって、幻都の陰気な雰囲気を吹き飛ばすかのように周囲に響き渡った。
分かたれたふたりの再会を祈る歌。
いつかくる別れを覚悟しつつ、それでもなお再会を願う歌。
それは乙女たちと、地上の仲間たちの再会。
それは乙女たちと、彼女たちを待ち望むファンたちとの再会。
そこからは紐育星組、巴里花組、帝都花組がそれぞれのパートを繋いでいった。幾人かのソロパートが挟まれ、再び合唱が始まる。
また君に 会いたい ふたりの胸に
ふたたび愛が 香るころに
また君に 会いたい ふたりの胸に
ふたたび 愛が 香るころに
春は巡る いつも 美しく
君に会いたい ふたりの胸に 愛が香るころに
合唱や輪唱が連なり重なって、みんなの個性が際立ちながらも、それがひとつになって――。
大神と新次郎は愛しい声と愛しい笑顔に包まれて、幸せな想いに満たされながら、この素晴らしいひとときを心に刻み込んでいたのだった。