偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版 作:出口豊志朗
第一章 帝都にて
第一章 帝都、その後
一
舞台がはねた。
帝国歌劇団〝新生〟花組の、本当の産声を聞いたような気がした。
それは初代が築き上げた帝国歌劇団花組の名声とは違う、彼女たち自身の伝説に向かって幕が上げられた舞台だった。その想いを共有したのか、観客たちはいつにも増して熱い歓声と拍手を、惜しみなく送っている。終演のアナウンスとともに席を立つ興奮冷めやらぬ観客たちに混じり、男はネクタイを緩めながら劇場を出た。帝都中央駅に向かって大勢が流れるなか、築地に続く脇道にその身をすべらせた。
その日は、帝国歌劇団〝初代〟花組結成時から彼女たちを応援していた古参のファンの集い、花組オヤジ会が数年ぶりに催されることになっていた。といっても来られる者だけいつもの居酒屋で集まろうという、いい加減な会だ。男は、降魔大戦後の廃墟から復興した真新しい町並みを歩き、奇跡的にも破壊をまぬがれた古びた居酒屋を見つけ、暖簾をくぐった。
せいぜい五人もいれば御の字だろうと思っていた彼の予想に反して、店内は見知った顔で一杯だった。二十ほどの席は、すべて身内で溢れている。
「おう、お前も来たのか! 久しぶりだな」
様子をうかがう男に中央の卓から声がかかった。会のなかでも長老格の老人の手招きに応じ、挨拶をしながら同じ卓につく。
「今日の千秋楽公演、観てきたのか。わしはチケットがとれなくてな」
老人は男が手にしている大帝国劇場の紙袋を目にすると、うらやましそうに白い顎髭をなでた。男は近づいてきた店員に熱燗を頼み、上着を脱いでその上に帽子を乗せた。周囲では久しぶりの同好の集いに興奮しているのか、誰もが大声を上げている。
ある卓では、まだ新生花組の舞台を観ていないという仲間に、その魅力と見どころを語って聞かせていた。
またある卓では、初代花組公演を思い返しつつ新生花組の成長ぶりを語り合っていた。
長老格の卓では新生花組の舞台について話が一段落付いたところのようで、帝国歌劇団のもう一つの姿、帝国華撃団としての活躍に話が移ったところだった。
彼女たち帝国華撃団は第三回世界華撃団競技会において初参加でありながら、大方の予想を裏切って決勝まで進出し世界にその武と威を示した。それどころか、その最中に引き起こされた動乱において主力となって戦い、世界を救う働きを見せたのだった。老人たちはその武勲を讃えつつ、役者としてはまだまだだが、初代花組がそうであったように自分たちファンと一緒になって成長していくのだと気炎を揚げていた。
またたく間に時間が過ぎ、会はお開きとなった。一同は別れを惜しみつつ、新生花組を新しい縁として交流を続けていこうと誓い合う。男もその言葉にうなずきつつ、その場を後にした。
男は酒で火照った身体を冷まそうと、少し遠いが歩いて馬喰町に向かった。道すがら、先ほどまでの宴を思い返す。大いに盛り上がった会だったが、誰一人として触れなかった話題があった。
初代花組とその関係者の消息。
降魔大戦という大きな災厄の後、いつもであれば悲嘆し疲弊して立ち上がることもままならない人々を癒やすように、彼女たちは特別公演や復興記念公演を行っていたはずだ。しかし、そうした催しはおろか、神崎すみれ以外の行方も生死も報じられることはなかった。花組オヤジ会の発起メンバー、江戸川夢声のような花組と近しい者たちにすら知らされていないという。
いつか、いつの日か姿を見せてくれることを願いつつ、自身も降魔大戦で滅茶苦茶になった生活を立て直すことに必死で過ごすうちに十年が過ぎてしまった。会の皆も似たり寄ったりだろう。新生花組が発足し、その明るい未来を確信させるだけの公演を見せてくれた今だからこそ、初代花組たちの顛末を知りたかった。今なら、たとえそれがどのような結末であっても受け止められる気がした。
不意に突風にあおられ、かぶっていた帽子が飛んでいった。いつの間にか周囲の景色は真新しい街並みから、緑地公園に変わっていた。月のない空に、頼りなく星が瞬いているだけだ。点々と灯る街灯を頼りに飛んだ帽子を目で探すが、焼け跡から十年を経て生長した木々の濃い陰で見当たらない。
「これをお探しかしら」
不意に背後から女性の声がし、男は飛び上がって振り向いた。
そこには黒い中折れ帽子に同じく黒のパンツスーツ姿の女性が立っていた。まるで舞台上の男装の麗人のようだった。その手には飛ばされた彼の帽子を差し出している。彼は状況が呑み込めず、女性と帽子を交互に見やる。女性はクスリと笑い、少し顎をあげた。帽子でかくれていた双眸は、この暗さだというのにサングラスでおおわれている。
「花組のファンなのね。それも、真宮寺さくらたちの花組」
その一言を合図にしたように一陣の風が吹き、彼女の金色の長い髪を揺らした。長い手足、サングラスを支える通った鼻梁、白い肌、そうした成りのすべてが、西洋人を想起させた。女は未だに動くことができない彼にあきれた様子で肩をすくめ、手にした彼の帽子を指先でくるくる回した。
「かつて世界華撃団連盟が発表した帝国華撃団の消失。そして、その帝国華撃団こそ帝国歌劇団花組だった――その事実を知ったとき、あなたは何を思ったのかしら」
突然の話題にとまどいつつ、その言葉を反芻する。
花組、華撃団、メンバー、そして消失。
徐々に彼の動悸が早まる。
「そんなこと……」
喉が一瞬詰まる。言われなくても、わかっていたことだった。なのにそれを他人の口から突きつけられた瞬間、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。
「花組のファンなら誰でもわかっていたことだ!」
そう感情的ではない気質のはずが、風にあおられる炎のように言葉が噴き上がる。どうしようもなく虚しさが込み上げ、腹の底から怒りが爆発した。
「どれだけ多くの人が、彼女たちに助けられたか! 妙な事件や魔人・降魔が人々を襲うとき、居合わせた彼女たちに庇われた者はたくさんいる。そうしてみんなの避難が済んだら姿を消し、続いて現れる帝国華撃団が敵を倒してくんだ。それで別人だなんて、誰が思う? でも彼女たちがそれを口に出さないなら、こちらも何も聞かないのが人情ってもんだろ、粋ってもんだろ!」
久しく怒鳴り声など上げたことのない喉が痛んだ。肺が熱い。それでも胸の奥に澱のように沈んだものは消えなかった。
「……不躾だったわね」
そう言う声には、謝罪の響きがあるようでいて、不思議と引き下がる気配はなかった。
「でも、確かめたかったの。あなたたちが今も、どんな思いで彼女たちを待っているのか」
そして、優しく言う。
「私の名前はホルス。彼女たちを救うために、あなたの力を貸してほしいの」
話の流れに戸惑いつつも〝救う〟という言葉に男は反応する。
「救うだと? じゃあ彼女たちは」
「そう、消失などしていない。彼女たちは幻都を封印するために、かの地に囚われているだけ」
その言葉に、男は自身が居合わせた先日の帝国競技場決勝戦での出来事を思い出した。
世界華撃団競技会を主催するWLOFの事務総長が突然わけのわからぬ事を話し出し、妖術でも操るかのように男と会場の観客たちを苦しめた。激しい頭痛と吐き気、視界のゆがみで昏倒するものもいた。しばらくすると競技場上空に切り裂かれたような筋が走り、そこから都市が逆さまに落ちてくるような幻影が見えた。遠目に見ても逆さ都市は荒廃し、所々から巨大な鎖を垂らして禍々しい気配を放っていた。
「あんなところに十年も捕まっているなんて」
男は激しく動揺する。あのときの禍々しい気配で気を失うまでの痛み、苦しみ、恐怖が蘇り、それを彼女たちが今も背負っているという実感に手が震えた。男が正しく状況を理解したことを見て取り、ホルスと名乗った金髪の女性は満足げに微笑む。
「僕が……僕が彼女たちの力になれるのか?」
男の言葉にホルスはゆっくりとうなずくと、凛とした力強い声で彼に言った。
「幕を降ろしましょう。すべての偽りの物語を終わらせるの」
唐突に彼は、目の前の女性を知っていると確信した。
(幕を降ろしてやる。すべての物語を終わらせよう)
言葉じりは違うがどこかで、いつかの舞台で耳にした気がする。そのまま記憶をたどり、金髪の、青い甲冑姿で身を包んだ麗人を思い浮かべたところで男が呟く。
「ホルス……違う。あなたの名前はラチェ……」
言い終わらぬうちに、彼の意識は唐突に黒く塗りつぶされた。
膝が落ち、体が傾く。ホルスは倒れこむ彼の体を支えると、軽々と抱え上げてベンチに優しく横たえた。
いつの間にかホルスの右手には、淡い青に輝く玉があった。それは人の鼓動のようにゆっくりと明滅している。その輝きをしばし確かめたのち、彼女は手品のように玉を手元から消した。そのまま男の緩んでいたネクタイを締め直し、はだけていたコートのボタンを留めてやる。
「あなたの花組を想う心、『霊力の芽』をお借りするわね」
再び転がり落ちる帽子を優雅に捕まえ、彼の胸元にそっと置きながらホルスは眠る男に声をかけた。
そうしてその場を去ろうと男から背を向けた瞬間、ホルスは向かいの藪から強い殺気を感じた。男との会話の途中から気配はしていたが――と、正面の闇から白い影が躍りかかってくる。ホルスはそれをからくも避け、影と距離をとるように飛んだ。
「噂の昏睡事件の犯人とお見受けする」
そこには、変わった風体の人物が立っていた。体にフィットした黒いパンツルックに、真白の陣羽織。雪のような肌に、銀色のショートヘア。色彩に乏しいなか、口に引いた紅だけが妖しく光る。そして手には日本刀。
「あら、あなた……村雨白秋さんね」
ホルスは、いつのまにか両手に四本の短刀を光らせている。
「ふむ。私を知る者がそう多いとは思えないが……」
銀髪の女性――村雨白秋は怪訝そうに呟きながらも、問答無用とばかりに一気に距離を詰めて連撃から突きをお見舞いする。ホルスは突きに合わせて大きく上体を逸らせながら跳び、両手を回す勢いでバク転しながら左手二本の短刀を投げつけた。一本がかわされ、白秋の刀に弾かれた一本がホルスの顔をかすめる。衝撃でサングラスが外れ、その素顔が露わになった。
「……その顔、覚えがある気がするね」
ホルスは晒された碧眼を笑みで細め、続く言葉を遮った。
「もう名乗りは終わっているわ。私の名はホルス」
そう言うと、右手の一本を相手の足元に投げつけながら、ホルスは身をひるがえした。白秋は事も無げに短剣をかわしたが、それは地を穿つとともに発光し、四方に雷撃を放った。雷撃を刀身に絡めとり地上へ受け流すが、戻した視線の先からホルスの姿はすでに消えていた。
「ホルス、ねぇ」
白秋は刀を鞘に納めつつ、ベンチで横たわった男性の様子をうかがった。意識はないが呼吸は穏やかで怪我もないようだ。男を抱え上げながら、白秋は再びホルスの消えた闇を見やった。
「今度も偽物か、はたまた本物か。莫斯科がきな臭いところに面倒なことだ」
白秋は投げやり気味に独りごちると、腕に抱えた男とともに公園をあとにした。
二
「ボス~! アニキ~!」
場所は浅草、仲見世通り。武田は観光客の賑わいすら蹴散らす大声で、遥か先に並び歩く白と赤のスーツ姿の男たちに呼びかけた。声に気づいたふたりは足を止め、武田に顔を向ける。武田は人を掻き分け辿り着くと、肩で息をしながら続けた。
「また出ましたよ! いや消えたのか? なんて言やぁいいんだ?」
しりすぼみになる武田の頭を、長身の赤いスーツの男――西村が勢いよくはたく。
「落ち着け! 武田ァ」
「痛てぇよ、アニキィ!」
頭を押さえながら武田が返す。反省の色のない武田に、西村は無言で拳を振り上げる。その両者の間に、特大サイズの閉じた扇子がスッと差し込まれた。
「ふたりともやめな。周りの皆さんに迷惑だろうが」
ボスと呼ばれた男は団耕助だ。恰幅のいい体を白いスーツで包んでいる。団はふたりを止めると、その強面とは不釣り合いな腰の低さで、遠巻きに様子をうかがう人々に、すいませんねぇ、すいませんねぇ、あ、お嬢ちゃん、この飴食べる? と騒ぎをおさめた。その隙に西村は武田を引っ張り、露店の間を抜けて路地裏に出る。遅れてやってきた団は、まだぶつぶつ言っている武田の頭を扇子ではたいた。勢いで、西村の頭もはたく。
「なんで俺まで」
情けない表情になる西村には目もくれず、団はため息をつく。
「俺たちがギャングから足を洗って商会つくって何年になると思ってやがる。いい加減に素人さんを驚かすような真似はよさねぇか」
「ボスだって〝素人さん〟って、カタギが言わねぇこと言ってるんじゃ……」
口を開いた武田に、再び西村が拳を振りあげて威嚇する。
「ああ、悪かった悪かった。で、武田よ。何かあったんだろ?」
団は鷹揚に、しかし優雅に首をぐるりとまわし、武田をねめつける。やや芝居がかったように見えるのは、この男の癖だ。
「ああ、そうだ! また目を覚まさなくなったヤツが出たんですよ、花組オヤジ会に」
その言葉に、団と西村が無言で視線を交わす。花組オヤジ会とは、ダンディ商会や初代帝国歌劇団花組に縁ある江戸川夢声、金田金四郎、東中軒雲国斎を中心とした、花組の非公式ファンクラブである。
「込み入った話になりそうだな。今日の営業はしめぇだ。商会に戻るぞ」
団の言葉に西村と武田は姿勢を正して「ヘイ」と首肯した。
三人は雑居ビル三階に構えた株式会社ダンディ商会に戻ると、中央にしつらえたソファに腰を掛けた。オフィスは汚れてこそいないが、物が多いせいで雑然としており落ち着かない。
「ボスの言いつけで花組オヤジ会メンバーの消息をあたってたら、やはり意識不明の者がいたと」
要領を得ない武田の説明を、道々辛抱強く聞いていた西村が簡単にまとめた。対する武田は、流石アニキっすね、と、自分の拙さを気にもしない。天井を見上げてソファに身を預けていた団は、おもむろに身を起こし武田に顔を近づけた。
「このこと、帝劇には?」
「いえ、俺からは言ってないっす」
「そうか」
団はそのまま腕を組んで押し黙った。
「……武田の話とこれまでの件をまとめると、少なくとも花組オヤジ会のうち五人が昏睡状態ですね」
沈黙に耐えかねた西村の言葉に、団がうなずく。と、何の前触れもなく事務所奥にある社長室の扉が突然開かれた。
「話は聞かせてもらったわ」
いつのまに侵入を許したのか? そして相手はガサ入れか、はたまたギャング時代の御礼参りか? 勢いよく立ちあがって身構えた西村に、どこに潜んでいたのか背後から緑色のクマのような巨体が組みついてきた。
「ヤン太郎ちゃ~ん、会いたかったわ~ん」
いや、巨体の組みつきは、抱擁だったようで、西村はそのままの勢いで頬ずりまでされてしまった。口調は女性のそれだが、頬ずりはヒゲでざりざりしていて西村の全身におぞ気が走る。
遅れて立ち上がった団にはスッと右脇から手が伸び、振りあげようとした右手を白魚のような手が優しく包んできた。団が目を向けると、笑みを浮かべる小柄の軍服女性と眼があう。
「ダンディーさん、お久しぶりです」
そして、最初に飛び上がってソファから転げ落ちた武田が体を起こした視線の先には、白いコートをまとい腰まで伸ばした蜂蜜色の髪をなびかせた長身の女性が、白い孔雀扇子を優雅にあおいでいた。
「バ!」
「バ!」
「やあねぇ、まだまだババァなんて歳じゃないわよ」
「薔薇組~!」
ダンディ商会三人組の声が、事務所の外まで響き渡った。
ダンディ商会の闖入者は、かつて帝国歌劇団に出入りしていた、自称薔薇組の三人だった。濃厚な歓迎を受けたダンディ商会の面々は疲れ果てた顔で奥のソファに座り込んでいる。一方の薔薇組は向かいに座り、それぞれ意中の男たちに熱い視線を投げかけていた。
「で、降魔大戦以降なんの便りもなく姿を消したみなさんが突然現れたのは、やはり昏睡事件のことで?」
団は乱れた髪をなおしながら、清流院琴音に問いかける。
「流石はお見通しってわけね。ええ、昏睡事件も無関係じゃないわ。でも、そこに辿りつくまでの話が少し長いの」
孔雀扇子を閉じて口元に充てながら、琴音は眉をひそめる。
「久しぶりなんですから、最初から最後まで聞かせてくださいよ」
団の言う事ももっともだった。琴音は深く息を吸い込み、説明を始めた。
「じつはねぇ……かくがくしかじか、なのよぉ」
左右の太田斧彦、丘菊之丞が、その中身のない言葉に大きくうなずく。
「かくがくしかじか、でわかるかよぉ! ねえ、ボス?」
武田がまくし立てながら横をみると、団と西村は、深刻な表情でうなずきながら、「なるほどぉ」とつぶやいている。
「え? 何、それでわかんの? わかんないの俺だけ?」
落ち着かない様子で武田は視線をキョロキョロさせるが、誰も取り合わない。西村は仕方なさそうに武田を見やり、かいつまんで説明した。
薔薇組は、元をただせば陸軍所属の情報部である。
十年前の降魔大戦後、非公式組織である薔薇組は原隊に戻されたが諜報の一線からは外され、上官からは後進の育成を命じられた。多様な価値観を必要とする情報部の若手を育てるのに、性的少数者ながら実績がある三人は適任と判断されたとか。軍内部では性的少数者の風当たりはきつかったが琴音たちに助けられた者は多く、一目置かれていることも後押ししたらしい。
琴音からすれば、体よく外部へ遠ざけられたとしか思えないが、安否もわからない帝国華撃団の手がかりを得るためにも軍から離れるつもりはなかった。とはいえ華撃団は消失、有益な情報を得られぬまま時間が過ぎていった。
そこに起きたのが、先日の幻庵事件である。初代帝国華撃団は賢人機関を通じて陸軍と密接な関係があったが、WLOFへの改組以降はその縁が切れていた。
しかし幻庵事件後はWLOFが機能しなくなり、今後の帝都防衛上ひとまず陸軍としても誰かが仲介する必要がでた。そこで白羽の矢が立ったのが元薔薇組の面々、というわけだ。
その説明だけで十分はかかっただろうか。武田は最初の数分で理解を放棄していた。そもそもその大部分は陸軍内の話のため、初耳の内容ばかりだ。だが団と西村はある程度予想していたようで、動揺のそぶりもない。
「も~、全然わかんないっす。なんでそれがかくがくしかじかだけで……」
不服そうに武田が言うと、菊之丞が口元を押さえて笑いつつ、
「何言ってるんですが武田さん、ここから本題ですよ」
と笑顔で返す。唖然とする武田。それにしても筋肉隆々の斧彦はともかく、菊之丞も琴音も、十年前と変わらぬ美貌だ。すでに思考が脱線している武田に、斧彦のビンタが飛んだ。
「もう武田ちゃん、目つきがやらしい!」
きれいに横に吹き飛ぶ武田。西村は武田への説明をあきらめ、改めて琴音に確認する。
「そうしていざ帝劇訪問、の矢先に帝国歌劇団に縁のある人間が何人も昏睡状態になっている事件を耳にして、先にそちらの情報を集めようとした、ということですね」
「さすがヤン太郎さん! 私たち、以・心・伝・心、ね?」
満面の笑みで琴音がうなずく。まんざらでもない表情の西村に苦笑しつつ、団が続けた。
「それで、あっしたちの所へ来たってことは、花組オヤジ会メンバーでも昏睡者が出てることをご存じってことですね?」
「ええ、実は昏睡者の一人が知り合いで……メンバーだってことも知っていたの。そこから辿ったら、メンバー内で何人も同じような人が出てるとわかったから、こうして伺ったわけ。発起人は江戸川さんたちだけど、実質的なとりまとめはダンディ商会でしょ? 名簿とかを借りられればと思って」
「他ならぬ薔薇組の皆さんだ。目的も真っ当なことですし、住所録をお渡ししましょう。たしか以前冊子にして配った余りが残ってるはずです」
団は西村に目配せした。その西村はまだ倒れている武田をたたき起こし、住所録を持ってくるよう言いつける。少し場の空気が緩んだところで、西村が慌てて奥に消えた。ほどなくして湯飲みをお盆にのせて「客人にお茶も出さず失礼しました」とふるまう。琴音は笑みを返し、遠慮なく緑茶をすすった。
「ところで皆さんは、新生花組の公演には通ってないの?」
その一言に、団が一瞬表情を凍り付かせた。が、すぐに笑顔を浮かべて返す。
「ビラ配りや近所にポスター貼ったりのお手伝いしてるんですがね、舞台へはまだ……ちょっとした願掛けみてぇなもんです」
帝国華撃団――歌劇団消失の報があったとはいえ団たちは花組ファンの鑑。無事を信じる気持ちは強いだろうと琴音は彼らの心中を慮る。それでも時間とともに不安がもたげるのが人というものだ。そんななか新生花組の姿を見ることで、初代花組を過去にしてしまいそうな気持ちを恐れている、というところだろうか。
この再会にさきがけ数刻前に事務所に侵入した琴音たちは、盗聴などの仕掛けがないか事前に事務所内を調べていた。そこで最奥の社長室――団の部屋に、初代花組のブロマイドのボードが控えめに飾られていたのを、琴音は思い出す。
「そう……ごめんなさいね」
「いえ……」
一瞬言葉に詰まりながらも団は立ち上がり、手にしていた扇子を広げて見栄を切った。
「ダンディ団……もといダンディ商会は、生涯花組のファンです。それは新生も同じこと!」
扇子には達筆で、「生涯♡花組」と書かれてある。即座に西村と武田が反応し、両脇でポーズを決める。斧彦と菊之丞が、黄色い歓声を上げながら拍手する。琴音もそれに続いた。
「さて、本題は終わりでしょう? どうです、まだ早い時間ですが再会を祝して一杯」
盃を傾ける仕草をしながら曇りのない笑顔で問う団に、琴音はかぶりを振った。
「色男からのお誘いを断るなんて野暮だけど、次の用事があるから。でも、近いうちに絶対行きましょうね」
琴音の言葉に斧彦と菊之丞は一瞬怪訝そうにしたが、琴音が立ち上がるとそれに続いた。
「なにかあったら、こちらにご連絡お願いしますぅ」
菊之丞は団の手をにぎりながら、名刺を滑らせる。
「承知しやした」
団も顔をほころばせた。
窓から眼下の通りを去っていく薔薇組を見おろしながら、西村は団に声をかけた。
「ボス、どうもきな臭い話になってきましたが、これからどうするんです?」
天井を仰ぎ見ながら扇子を閉じては開き、開いては閉じていた団は、動きを止めた。
「何者かが初代花組さんの大切なファンを狙っているのは確実だろう。なら、捨ておくわけにはいかねぇな」
「でも、どうやって敵を探すんです? 帝都は広いっすよ」
武田が言うことももっともで、団も西村も黙り込んだ。
「俺たちだって立派な花組ファンです。なら囮になれませんかね。でも初代花組のファンなんて大勢いるし、いつ順番が回ってくるかわかりませんか」
しばらくして西村が投げた提案に、団はうなずいた。
「いや、筋はいい。ちょいと舞台を整えてやれば……」
団は書類の下に埋もれた電話を引っ張り出すと、意中の電話番号の記憶を辿りながらダイヤルした。残念ながらお目当ての相手は不在だったが、伝言してもらえるとのことだった。とはいえ多忙を極めているため折り返しの連絡がいつ来るかもわからない。団はその間に段取りを整理するため、改めて西村との武田と膝をつき合わせるのだった。
ダンディ商会を後にしてから、琴音は一言も口をきかず、足早に路地を歩く。ハイヒールの踵を鳴らしてついてくる菊之丞は、物言いたげだ。一方の斧彦は何かを察したようで、琴音と菊之丞の背後をかばうようにして歩を進めている。
「琴音さん、その先は……」
琴音が曲がった先は袋小路になった小さな空き地で、薄汚れた木の壁で囲まれている。その向こうは平屋の家屋があるばかりで、ここからは板葺きの屋根しか見えない。菊之丞は不安そうに辺りを見回しながら、琴音に尋ねる。
「さっきはどうして次の用事、なんて……」
次の瞬間、斧彦は菊之丞を抱えて前方へ飛んだ。着地と同時に振り返る。
「そんな!」
菊之丞は、驚きの声をあげた。可憐な外見に騙される人も多いが、菊之丞とて経験豊富な軍人である。その彼女の感覚では、周囲に人の気配などなかったはずだ。しかし菊之丞の視線の先には、真白の陣羽織姿で日本刀を腰に差した、銀髪の女性が立っていた。
反射的に菊之丞は隠していた銃を取り出し構えた。街中で誰何もなしにやることではないが、気配の薄さに驚き体が反応してしまったのだ。照準を合わせようとする菊之丞を、琴音が制し、正面の女性に声をかけた。
「あなた……村雨白秋さん、でよかったかしら」
「ほう、私を知っているか」
言葉と裏腹に表情に驚きはなく、白秋は穏やかに返した。
「まあ、帝国華撃団の関係者ぐらいはさすがに、ね。ところでダンディ商会から覗いていたようだけど、目的は同じ? それとも敵なのかしら?」
「よく見逃してくれたね。それとも泳がされたのかな? それにしても……やはり仮面が必要か」
「で、どうなの」
琴音は笑顔で重ねる。「ふむ」と白秋はおとがいに指をあて、一瞬の思案ののちに予想外の言葉を投げかけた。
「ラチェット・アルタイルを探している。君たちなら知っているんじゃないかと思ったのだが」
琴音は腕を組み、白秋から情報を引き出そうと話を接ぐ。
「世間的には降魔大戦後に参画した伯林華撃団設立準備の一環で、アイゼンクライトⅣをテスト運用した際に事故死。陰謀論者の定説では世界華撃団連盟の暗殺だそうね。どうして私たちなら知っていると?」
「私はラチェット・アルタイルが生きていると疑っている。ならば事故死や暗殺が偽装ということになる。では偽装の目的はなにか? まず思いつくのは、敵対勢力から身を隠すことだ」
「敵対勢力……まあWLOFと考えるのが妥当よね」
「そう。だが一方で奴らの息がかかっていない、または敵対していそうな組織・勢力の筆頭は紐育華撃団となるが、あそこはご存知の状況だ。帝国・巴里華撃団にしても変わらない。
今、確実に存在しているのは月組と薔薇組、そして神崎すみれぐらいだ。そして知っているだろうが私は多少なりとも今の花組と縁があり、神崎すみれの線はないと考えている」
「それで、月組……加山隊長よりは接触しやすい私たちの所に来たのね? でも私たちが動けるようになったのは最近よ。そこまで陸軍内の動きに精通しているとは考えたくないわね」
「ご明察。接触するなら薔薇組、と思っていただけだ。今日の本命はダンディ商会だったんだが、そこで先に張り込んでいる君たちを見つけて急遽ターゲットを変えた、というわけさ」
琴音はそこで大きくため息をつき、眼鏡の位置を直した。
「大筋の所は理解したわ。ただ、私たちもラチェットのその後については知らないの」
「そうか。では仕方がない。ずいぶんと引き留めてしまい、申し訳なかった」
「そう焦んないの。どうしてラチェットを探しているか伏せてるのは気になるけど……まあいいでしょう。私も次に当たるのは月組と考えていたの。だからついでに聞いといてあげるわ」
「自分で言うのもなんだが、いいのか? 安請け合いして」
「すみれさんと上手くやってるんでしょ? だったら、あなたはもうあたしたちの仲間よ」
琴音はウインクし、斧彦と菊之丞も笑顔でうなずいた。想像もしていなかった答えに白秋は目をぱちくりさせた。華撃団がらみの人間はお人好しが多すぎると思いつつ、白秋は背を向けて歩き出す。後ろ手に手を振りながら。
*
その邸宅は何ヶ月と手入れされていなかったが、特殊な目的で建築されただけあって蒸気機関や水道は生きていた。
ホルスは、このうち捨てられた洋館を拠点と定めていた。
立ち入り禁止の私有林で囲まれているため当面は警戒しすぎることもないだろうと、明かりが漏れることも気にせず過ごしている。今は湯上りのバスローブ姿で、設えられたソファに深々と身体を埋めて先日のやりとりを思い返していた。
『ホルス……違う。あなたの名前はラチェ……』
歌劇団の熱烈なファンといえども、サングラスをかけていていたのだ。しかし、思い返せばこれまで接触した人々も、多かれ少なかれ察していたように思う。自身の素性を詮索されたところで支障はないが、将来のことまで考えると、できるかぎり騒がれずに済ませたいところだ。
ホルスは立ち上がると、水をすくうように両の掌を椀の形にした。すると、手のひらからひとつふたつと蛍火のような光が現れ、宙に漂い始める。色は淡い青。二十を数えたところで、ホルスは手を下ろした。
この青い蛍火のひとつひとつが、初代花組ファンの精神から抜き出した『霊力の芽』だった。常人に霊力はないが、それはゼロを意味しているわけではない。かすかな霊力の種のようなものが、危機的状況や感情の昂りで萌芽することがある。ホルスはそれを集めているのだった。
「あともう少し。でも、できれば次で最後にしたいところね」
それには、出来るだけ初代花組に対する思い入れが深い人物を狙わなければならない。さて、どうやって条件に適う者を探したものか。
「それに……村雨白秋、ね」
アルビノのように色素の薄い相貌、そして美しい銀の毛髪を思い出しながらホルスは目を細めた。彼女のもうひとつの探し物に近づいたのかもしれない。いずれにしても気の進まぬ企みごとは早めに片付け、真の目的へと早く駒を進めたいところだ。表情を曇らせながら、ホルスは蛍火を再び掌中にもどした。