偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版 作:出口豊志朗
最終章 我は花咲く木とならむ
最終章 我は花咲く木とならむ
一
コクリコのマジックショウは、子供たちのお気に入りだった。炎の輪を、事もなげに跳んでくぐりぬける虎。玉乗りをする象。ジャグリングをする猿。そして、猫に扮したエリカが輪回しを失敗して大笑いで締めくくられる。
グリシーヌの歌は、大人の女たちにはことさら響く。高く伸びやかな、だが人を包み込むような優しい歌声に聞き惚れ、涙を流す婦人も多い。
サフィール――ロベリアの踊りはいつも煽情的だ。男たちは沸き上がり、女たちはそれに怒るふりをしながらも、伝わってくる情熱の炎に一緒になって身を焦がす。
タタミゼ・ジュンヌ――花火の舞踊は、華やかな意匠と相まって老若男女がため息をつく。馴染みのある艶やかさに心がときめくのだ。
すべての演目が終わり、今宵も拍手喝采のなか、ショウは幕を閉じた。復興しつつある幻都の一角に設けられたシャノワール『劇場』は、引きも切らず大盛況だった。
聖魔城をはさんで反対側の街にあるリトルリップ『劇場』も、人気は甲乙つけがたい。
格調高い音楽に乗せた、壮大な物語が目玉だ。
ダイアナ演じる絶世の美女クレオパトラを巡り、サジータ演じるシーザーと昴演じるアントニオが繰り広げる智略謀略そして戦いの物語。
大人向けの内容だが、劇中にはジェミニとジェミニンが敵同士となって戦う場面で、どちらがジェミニかジェミニンか混乱する客席を相手に「どっちがジェミニでショウ」が繰り広げられたり、時代考証を度外視した傭兵ガンマン・リカの早撃ちショウが添えられ、子供たちにも大人気である。
だがやはりメインは主役三人が醸し出す妖しい色香。特にサジータと昴が歌い上げるデュエット――美女クレオパトラの『毒』とそれを飲まずにいられない渇望は、意味もわからぬ子供にも鳥肌を立たせる魔力があった。男も女も蕩ける魅力に、毎夜毎夜、帰りゆく大人たちがその噂で持ちきりだ。
幻都から降魔皇が姿を消してから約半年。その街並みは一変していた。
一番大きな違いは、下級降魔が姿を消し、その全てが上級降魔として人格を取り戻したことだ。これには分岐世界から得た知識が大いに役に立った。紅蘭が記憶から探し当てた『サクラ大戦 原画&設定資料集』に、降魔についての説明書きがあったのだ。そこには下級降魔は個体進化によって上級降魔となり、上級降魔は高い知力と妖力を持ち姿が人間に近くなるとあった。この記述をヒントに、降魔に妖力を流すことで上級降魔に進化することがわかった。上級化した降魔は人間に対して狂暴さをあらわにし、生まれた知性で罵詈雑言を並べ立てたが、降魔阿頼耶識からの妖力供給がないためすぐに休眠状態に陥った。
降魔阿頼耶識に居た上級悪魔を倒すことで北条一族が人間性を取り戻したことから、降魔個体と連動している悪魔を倒すことで同じように人として蘇ることができるのではないか。その仮説に基づいて始まった華撃団による降魔阿頼耶識解放戦線は、つまるところ十数名の人間と三万に及ぶ悪魔との戦争であった。
悪魔とは突き詰めると人間の負の感情と魔界のエネルギーから生じたもので、その本能が人間の存在を否定していた。そこに折り合えるところはなく、戦い以外の選択肢を見出すことはできなかった。
数だけで考えれば話にならない戦力差で、一度は欧州星組が退けた金・銀・蒼の悪魔――崎姫、千夜、幻庵たちに憑いていた――により統率され強敵と化していた。しかし激戦の末に慈力の扱いに慣れた華撃団はそれに勝利し、悪魔を一掃した。その戦線にあっても多彩な活躍、武勇、知性の閃きが数多くあったが、ここでは割愛する。
そうして悪魔とのつながりが断ち切れた人工上級降魔は、期待通りに元の人間としての人格を取り戻すことができた。そこからは流れ作業のようなものだった。下級降魔たちにオーク巨樹に溜めた霊力を慈力製の『逆さの吸い取るくん』で妖力に再変換して注ぎ込み、上級降魔化させたのだ。すでに悪魔との繋がりをもたないことから人間に対する本能的な忌避感はなく、ただ肉体が降魔である人として蘇ることができたのだった。こうして幻都は、瞬く間に人間性を取り戻した上級降魔が闊歩する街として生まれ変わったのである。
しかし悪魔によって繰り返し苦しめられた精神は、記憶はそのたび消されていても魂そのものを傷つけていた。そのため上級降魔として人格を取り戻したところで、誰もが無気力に日々を過ごすしかなかった。そこで各華撃団は歌劇団としての本領を発揮して、ひとときの安らぎを与えるべく持ち回りで公演を行うことにした。公演のバリエーションは、分岐世界の記憶を組み合わせることで尽きることなく、観客はもちろん演者側にとっても刺激となった。
もちろんこれは一時しのぎでしかなく、大和の領民が誇りと生きがいをもって生活するためには、執政者である北条一族の手腕が問われた。しかし人間とは勝手が違う肉体と閉鎖された環境により、なかなか先を見いだせないのが実情だった。芳春たちは集落をひとつずつ回り、何事かを説いている様子だった。それに関しては大神たちも、あえて触れないようにしていた。
そしてめずらしく巴里花組と紐育星組の公演が同日にかぶった今晩、芳春たちから大帝国劇場へ急遽訪れたいとの申し入れがあった。
大帝国劇場は慈力によって完全に修復され、現在は往事と寸分違わぬ姿に戻っていた。とはいえ劇場内に大きな会議を催す場所はなく、さりとて地下司令室も殺風景なので、食堂をそれらしく設えることにした。
定刻、帝都花組一同が座して待つなか、芳春、氏時、浄心が姿を現した。それに加えて、珍しいことに出口二郎もいる。出口といえば降魔阿頼耶識では年老いた姿だったが、こちらに蘇ったときには元の青年の姿に戻ったのだという。席に着いた北条一族は挨拶と一通りの近況を伝えた後、本題に入った。
芳春は袖口から一冊の真新しい本を取り出すと、大神に差し出した。芳春が顔を伏せているので、説明のないままに大神はそれにざっと目を通した。驚いたことに、それは舞台の台本だった。大神は慈力を用いて速読しつつ、その内容を花組の皆にも念話で共有した。
主な内容は、北条一族と大和領民の受難と、華撃団による救済、そして呪いからの解放を描いた一大叙事詩だった。大神が台本を閉じる気配を感じ、恐る恐る芳春が顔を上げた。
「出口が書いた台本です。お願いというのは、これを舞台で演じていただけないかということです……」
いつもは凜としている芳春がなぜか肩身を狭そうにしている理由が、ようやくわかった。
「その……私が美化されすぎていて、とてもとても気恥ずかしく内容を改めよと出口に申したのですが、頑として譲らず……」
出口は口を真一文字に結んで力強くうなずいている。彼にとっては譲れないところなのだろう。話の流れが明らかになり、ようやく花組たちにも安堵の空気が流れた。
「それはワシとて同じよ、芳春。この老いぼれが英雄のように書かれるのは身体がかゆくて仕方ない」
「え~、わたしは物足りないよ? もっと活躍してたと思うんだけど、全然出番がないんだもん」
氏時と浄心が思い思いの感想を述べる。
少しためらったあと、大神は芳春に尋ねた。
「しかし……この内容の大半は、あなた方や領民にとって思い出したくない辛い出来事を題材にしています。これを舞台にすることは、本当にみなさんにとって良いことなのか……」
大神の迷いに対して、芳春は決然と首を横に振った。
「いえ、領民たちひとりひとりと話し合って理解を得てきました。私たちは一度、自分たちの歩みを振り返らなければ何かを始めることができないのだ、と。もちろんそれを怖がる者も居ます。ですが、周りの者が励まし、共に受け止めることを決意してくれました。
皆さんの公演から伝わる人を慈しむ心、どんなときでも前向きでいようとする姿勢が、皆の心を動かしたのです」
ようやく芳春はいつもの調子を取り戻したようだ。そこにカンナが「でもこの台本よ~」と口を挟んだ。
いかなるダメ出しか、と反射的に芳春たちが身構える。構わずカンナは続けた。
「ちょ~っと、生真面目すぎやしないかい。途中で抜くとこ抜かないと、見てる方がぶっ倒れちまう。ここはよう、芳春と出口の色恋なんかいれてみねぇか?」
カンナの意地悪な笑みに、芳春と出口は顔を真っ赤にしながら首を横に振った。
「わ、わ、わたしたちはそのような仲ではないのです!」
「そ、その通りです。なんと恐れ多い!」
そこに織姫が絡んできた。
「これは物語です。すべてが真実である必要はありませーん」
「うんうん。芳春お姉ちゃんはずっと苦しんでいる役だから、そういう場面があると盛り上がるよ!」
アイリスが大真面目にかぶせてくる。
「~っ!」
陶磁器のような白い頬を朱に染めて顔を上げることができない芳春に代わって、氏時が口をはさんだ。
「まあ、その辺りは本職の皆さんの良いようにしてもらったらいい。ワシらのことをよく理解してくれているお主たちなら、悪いようにはならんだろう」
「あ、でもわたしの出番は増やしてね!」
「じゃあウチが喜劇俳優として、浄心が出るたびにお客さんが抱腹絶倒するような台本にしたるわ!」
妙なスイッチの入った紅蘭を、慌てて浄心が止めにかかる。
「僕たちは幻庵さん、千夜さん、崎姫さんのことをよく知らないので、また話を聞かせてください」
レニが穏やかな笑みで、話を進めた。
「大神隊長、これは一大プロジェクトです。巴里歌劇団、紐育歌劇団とも連携しなければいけませんね」
「ああ、そうだな」
「では……」
まだ顔の紅潮がおさまらないまま、芳春は顔を上げた。
「もちろん、俺たちの全身全霊をかけて、素晴らしい舞台に仕上げます。皆さんにも、準備ではいろいろと協力をいただくのでよろしくお願いします」
そうしてアイデアを出し合い、それを組み込んだ台本を早々に仕上げることに決め、その日は散会となった。
新しい挑戦が目の前に降ってわき、花組の面々たちも生き生きしながら部屋へ戻っていった。大神が芳春たちを見送って食堂を横切ると、まださくらが残っていた。
「さくらくん、会議の間も黙っていたけれど、大丈夫かい?」
声をかけられるまで気づかなかったようで、さくらは大慌てで立ち上がった。
「だ、大丈夫です。ただ、米田さんが言っていた、帝国華撃団は歌劇団としてみんなの心の安寧をもたらす存在でないといけない、という話を思い出して……あの頃の気持ちも蘇って初心に戻ったというか……感動してたんです」
「そうか、じゃあその気持ちも含めて、舞台で魅せてくれ。何といっても今回の主役はさくらくんなんだから」
「え?」
突然、さくらが間の抜けた表情をする。
「聞いてなかったのか? 話が脱線して配役の話になったとき、早々に芳春役はさくらだって皆で決めたじゃないか……だから反応が薄かったのか」
大神の苦笑に、さくらは耳まで真っ赤にして顔を伏せた。
「ごごご、ごめんなさい。がんばります!」
それだけ言うと、さくらは走り去っていった。大神はその後ろ姿が見えなくなるまで視線で追いかけ、椅子に腰掛けた。そうして手にした台本の表紙を見る。
『北条桜花物語』
この物語は、大和の領民をどこに導くのだろうか。その先行きが大神自身には想像がつかない。だが彼らにとって大きな意味を持つだろう。これは責任重大だ、と大神は改めてページをめくるのだった。
二
青天の霹靂とはこのときのために生まれた言葉だと、大神は心の底から思った。さしずめ幻都では黄天の霹靂、か。すでに台本の直しは終わり、稽古は終盤にさしかかっていた。
その日は舞台の予告映像を試験的に幻都中の巨大スクリーンで流しており、領民たちは興奮を隠しきれずに歓声を上げていた。皆にとっては名前も聞きたくないであろう紗冥流の登場シーンでも、それを演じるのがマリアであったからかファンたちの黄色い声で幻都中が満たされた。大神自身も大和の領民と出演することから汚れた小袖をまとい、出番を待っていた。
そんな時である。緊張している大神に、いつになく慌てた芳春からの念話が届いたのだ。芳春が妖力で作り上げた座標を目指して慈力で跳んだその眼前には、思いもよらない人物たちが並んでいた。
米田、かえで、すみれ、加山、ラチェット、そして初めて見る銀髪麗人。
「お、大神! それに大河か!」
米田の呼びかけをきっかけに、皆が思い思いに大神や新次郎を呼び駆け寄ってくる。もみくちゃにされて、何がなんだかわからないところに、風組のかすみ、由里、椿もその輪に加わった。そこに、遅れてやってきた帝都花組、巴里花組、紐育星組の面々が加わり、その場は収拾がつかない大騒ぎとなった。
気を利かせた芳春たちが幕を張り、好奇心旺盛な領民たちの目から皆を隠してくれた。興奮が多少収まるのを見計らって、氏時の誘導で一同は大帝国劇場へ場所を移してそれぞれのこれまでの経緯と、近況を確認し合ったのだった。
「幻都にたどり着いたら三万いる降魔がみんな上級だったり、目の前のスクリーンで上級降魔にしか見えないマリアが物騒なことを喋ってたり、大神と大河は草臥れた格好で現れたりで、俺は生きた心地がしなかったぜ……」
米田の言葉が全員の気持ちを代弁したのだろう。やってきた面々は、思い思いにうなずいている。
「それに、こちらでやるべきことを全て終えているなんて……流石ですわ、みなさん」
すみれが穏やかに笑う。大神たちと違って年数分の歳を経ているが、その美しさには磨きがかかっていた。
「で、今取り組んでいるのは降魔……じゃない、大和の領民を奮起させるための舞台、というわけね」
ラチェットの言葉に、新次郎は力強くうなずいた。
「僕たちがここを去るのは、せめて大和のみんなが新しい人生を歩めることを確信できたとき、と考えていました。この舞台は、その第一歩なんです」
「新次郎、大きくなったな」
加山が万感の思いで言葉にする。
「にしても、これから舞台を控えているってことは、いつ戻りゃあいいんだ? 外で待っている連中にも無事を伝えないといけないし。慈力……だったか、あれでは霊力の代わりにはならねぇから、気安く往復することもできんしなぁ」
そこにかすみが口を挟んだ。
「それが……今、幻都の時間は、外の時間の百倍になっています。向こうの一日は幻都での百日に相当するんです」
「大神の話では逆、しかも十倍程度じゃなかったのか?」
「それが、どうもすみれくんたちが幻庵のときに北斗七星の陣を行った直後から、時間の流れが逆転したようなんです」
「ただの推測やけどな、幻都の封印は外部からの干渉を防ぐだけやなく、封じてる魔の力に応じて時間を遅らせるような術があるんやと思う。それがサマエルや他の悪魔みたいな魔の根源がなくなって――まあ上級降魔はわんさかおるんやけど、若木の霊力で相殺されとるんかな――とにかく無理やり押さえつけてた時間が反発・逆転して恐ろしく早く進んどるんちゃうかと」
「まあ、こっちで五十日経っても外では半日ってわけか。なら、こちらの様子をきちんと把握してから、外とのやりとりは考えることにしよう」
「あと、さっきは言いそびれたのだけど……大神くん、大河くん、あなたたちに謝らなければならないことがあるの」
かえでの切り出しに、緊張が走る。
「もう十年前になるけど、みんなを送り出す前に二剣二刀を祓い清める必要があったの。その時に大河双葉さん、大神くんのお姉さん、大河くんのお母さんにその役目をお願いしたのだけれど、お祓いが終わると同時に意識を失ってしまって……今もまだ、目を醒まさないの。何としてでも意識を取り戻すよう全力を尽くすから、時間をちょうだい」
帝都から訪れた面々は沈痛な面持ちでいた。対する幻都の面々は、途中から笑いをこらえるのに必死だった。かえでが話し終えたところで、ついに堪えられなくなったカンナが大声で笑い出す。つられて他からも笑い声が上がる。戸惑う帝都からの面々に、大神が謝った。
「すいません、さっきは言いそびれていましたが、双葉姉さんは二剣二刀に魂を吸われた状態で、幻都にやってきたんです。それで、幻体となって俺たちを助けてくれましたよ。いまは二剣二刀のなかで眠りについています。帝都に戻ったら自然に戻るとも言っていました」
その言葉に、かえでは珍しく脱力して椅子からずり落ちた。
「さて、他にもいろいろあるだろうが、一旦お開きだ。この分厚い報告書を読んでからにしよう」
米田は片手で持ち上げるのも大変な厚さの紙束を手のひらで押さえながら、立ち上がった。その言葉で、一同も立ち上がり、それぞれに動き始めた。
そこで、さくらが慌ててすみれとラチェットを呼び止めた。
「なんですの?」
「実は今回の舞台なんですけど配役が多いので、実はすみれさんとラチェットさんの幻体もキャスティングしているんです」
「お断りします」
話の展開が読めたすみれは、皆まで聞かずに答えた。しかしさくらもそれを読んでいたようで、たたみかける。
「すみれさんと同じ舞台に立ちたいってお願いしたとき、約束してくれたじゃないですか。『あなたが戻ってくるというなら、必ず立ちましょう』って」
「それは覚えていますわ。でも『無事に帰ってきます』までが条件だったはず。それに、わたくしはもう十年以上舞台には立っていないのよ。そんなブランクのある人間が、こんな大事な舞台に上がる訳にはいかないわ」
「それを言うなら、この大事な舞台を幻体に任せていいんですか? すみれさんの姿で舞台に立つからには、あの幻体がここでは神崎すみれと記憶されるんですよ!」
「さっくらさん、言うようになりましたね……。でもね、それならわたくしの幻体を出すこと自体を許しませんわ」
すみれは、押しにも負けず、しかも理屈で返したさくらに驚いていた。それでも最後の一言には返す言葉もないようだ。そのすみれの肩を叩いたのは、一緒に誘われていたラチェットだった。
「今回はさくらに花を持たせてあげたら、すみれ? もちろん、あなたの意思は尊重されるべきよ。でもすみれが出ない、というなら、私もでないことにするわ」
「なっ……」
「だって、私だけが出しゃばるようで心苦しいもの。だからね、さくら。どうしてラチェットが出ないのか、と聞かれたら、ちゃんというのよ。すみれが出ないからだって」
「ラチェットさん、あなた!」
勢い込んで詰め寄るすみれを、ラチェットはいなしながら言葉を続けた。
「それに、ホルスは舞台に立ちたかったみたいなの。それも、さくらと一緒に。ホルスには海神別荘の記憶が強く残っていたから……」
ラチェットは少し寂しげに笑った。すみれは腰に手を当てて、ため息をついた。
「わかりました。彼女の名前を出されたら、敵いませんわ」
さくらは跳び上がって喜ぶと、ふたりに深々と礼をした。
「ところで……ホルスさんというのは、帝都で慈力を受けていたラチェットさんの写し身でしたよね。でも、私たちを助けようとして――」
「ホルスは遅かれ早かれ、消える運命にあったわ」
さくらを気遣って、ラチェットは言い切る。事実、ホルスはラチェットとの交流早々にそれを伝えていた。彼女の存在基盤は極めて脆弱な、砂上の楼閣だった。創造主である崎姫の気紛れで消されかねなかったし、そもそもホルスが望んでいた崎姫の消滅自体が自身の命脈を断つことと同義である。ラチェットは霊力、神器、ファンたちの想い――慈力を利用してなんとか命を繋ぐことが出来ないかと思案したが、その時間が無駄だと本人にたしなめられた。
『私のことはいい。もし消えてしまったとしても、あなたが覚えていてくれるでしょう? それだけで、もう充分。それに幻都のみんなを助けることができれば、そこから生まれる愛が、命が、私を永遠へと繋いでくれるわ』
ラチェットが聞かせたホルスの言葉に、さくらは目を潤ませた。昏睡事件後にあらましを聞いていたすみれも、目の前から消えていったホルスを思い返して胸が苦しくなる。ラチェットはさくらとすみれの肩に手を置き、悲しむことはない、と自分に言い聞かせるように首を横に振った。
しばしの沈黙。
ラチェットは気分を変えるように、明るい声で話題を転じる。
「そうだ、ホルスのことで少し確認したいこともあるし、もう少しお話ししましょうか。すみれもいい?」
「かまいませんわ」
すみれは言いながら、改めて食堂の椅子に腰をかけた。さくらたちもそれに続く。
「まず質問からで悪いのだけど、あなたたちが分岐世界で受けとった『サクラ大戦』の情報はどこまでかしら?」
「紐育星組が主人公の『サクラ大戦V』……いえ、その次の『サクラ大戦 君あるがため』までですね」
「なるほど。ちなみに舞台は?」
「帝都は『新・愛ゆえに』、巴里は『ケセラセラ・パリ』、紐育は『お楽しみはこれからだ』です」
「じゃあ、二〇一四年だから平成二六年まで、か」
「はぁ……」
さくらには質問の意図がわからず、ラチェットの言葉を待つしかなかった。
「私たちが受け取ったホルスの記憶では、まだその先があるの。まずは二〇一九年。この年に元号が改められ令和になったわ。そして『新サクラ大戦』――正統続編が発売されたの。その前の『サクラ大戦 君あるがため』が二〇〇八年だから、分岐世界のファンたちにとって十年ぶりの作品というわけね」
「それはもしかして、新しい帝国華撃団の物語ですか?」
「ええ。新生花組が本格的に活動を開始してから、幻庵葬徹を撃退するところまでが描かれていたわ。そして当然そこでは、幻都にまつわる話、降魔皇復活を阻むため華撃団メンバーが一緒に封印されてしまったことも語られていた。そうか、私の慈力をさくらに流し込めば、こんな話しなくても記憶が共有できるかも。それに、新生帝国華撃団・神崎司令の勇ましい姿がたっぷり観れるわよ?」
「悪趣味なこと仰らないの! さくらさんたちはもう慈力をもっているのだから不要です」
ぜひにとお願いしたいところだったが即座にすみれに否定されてしまい、さくらは仕方なく問いかけた。
「じゃあ、ここで私たちが無事に帝都に戻ることができれば、それもまたゲームになるんですよね?」
「その可能性は充分あるのだけど、分岐世界のファンたちのなかには、そう思わなかった人も少なからずいたようね。華撃団メンバーが封印されたからには、すぐにその続編が……みんなを助ける物語が用意されているはずだと期待されていた。でも、実際にはそうした発表はないまま、何年も経っているの。
分岐世界は随分と噂が広まるのが早くて、華撃団が封印される流れ自体が賛否両論を巻き起こしたわ。そうしたときに優勢なのは悪評のほう、というのは私たちも舞台で生きる身として覚えがあるでしょう? 悪評が多く聞こえるなかでは、新しいゲームを発売することが難しいだろうと諦める人も多かった」
「だって私たちが封印されていることは事実……いえ、分岐世界の人には、それがわからないんですね」
「そうして時間が過ぎていくなか、二〇二二年、令和四年に華撃団メンバーを演じる主要キャストが亡くなった」
と、これまで淀みなく話を進めていたラチェットの言葉が、数瞬止まった。すみれもわずかに顔を伏せる。思わずさくらが声をかけそうになったところで、ラチェットは何事もなかったように話を続けた。
「これまでも『サクラ大戦』に関わった人たちが亡くなることはあったし、そのたびにファンのみんなはそれぞれに哀しんだわ。それでも華撃団メンバーとしては初めてで……そのことがきっかけで、『サクラ大戦』は終わったのだ、自分たちが望む作品は生まれないのだ、と諦めてしまった人もいたの」
その気持ちは、さくらにも理解できた。すみれのように引退公演を行ってもなお、その再登場をあきらめきれない自分がいる。すみれがいない帝国歌劇団は帝国歌劇団ではないと去っていったファンも少なくはなかった。そしてわずかではあったが、その後の帝国歌劇団の活動を悪しざまに罵る人も……。
「じゃあ、ホルスはその諦めた人たちに希望を与えるために?」
「ううん、そうじゃない」
さくらの疑問を、ラチェットはきっぱりと否定した。
「そんななかでも、前向きな人は大勢いた。自分が好きになったみんなが、夢や希望を与えてくれたみんなが救われない未来などあるはずがない。そう思いながら、私たちの幸せを願うような物語を描きつつ新しい流れを待っている。もちろん『新サクラ大戦』の新生花組、各国華撃団を応援する人たちも、同じようにね。加えて『サクラ大戦』の制作側の人たちも、様々な形で作品の火を絶やさないよう地道な活動を続けている。そしてきっと本家の開発元でも、熱い想いを絶やさない人がいる。
ゲームや舞台でファンの皆が直接慈力を生み出したのと同じように、そうした形で『サクラ大戦』を支える人たちの愛も強い慈力となって、私たちの世界に流れ込んだ。その人たちが願う、私たちの幸せな未来を後押しするかのように。
それがどういう偶然が、崎姫によって生み出されて協力するよう脅されていたホルスを護ってくれたの。ホルスはその想いに応えて、崎姫から私たちを助けてくれたのね」
食堂に沈黙が横たわる。ラチェットは語るべきことは語り尽くした。さくらは、分岐世界で自分たちを案じている人たちの心中に悲しみを覚えていた。そこにすみれが言葉を接ぐ。
「難しいものね。物語は、いつか終わる。語れない、語られない物語は、いくらでもある。ハッピーエンドの先には悲劇があるかもしれないし、悲劇で終わっていた物語の後に幸せな物語があったかもしれない。そうした語られない物語に思いを馳せ、自分たちが大切にしている物語を愛し続けるだけのもの……信頼というのかしら……そういったものが生まれるように、わたくしは作品で示し続けていきたい、そう思うの。
まあ、あの分岐世界のゲームというのは、わたくしたちのプライベートまで踏み込んでくるから気が抜けないったらありゃしませんけど」
すみれは珍しく多くを語り、そして最後に茶化した。
「すみれさんの言うとおりです。たとえ私たちの物語のどこを切り取られても花組なら大丈夫、みんな最後には幸せな未来を掴んでいる、そう思ってもらえるだけの愛を私は伝えたいです」
さくらとすみれの決意に、ラチェットは深くうなずいた。
「随分話が脱線してしまって、ごめんなさい。言葉にするまでもなく、これまであなたたちはそれを舞台で示してきたと思うわ。だから……今回の舞台も全力を尽くしましょう」
ラチェットが優雅にさしだした手に、さくらとすみれも手を重ね、笑顔を交わし合った。
*
村雨白秋は、正式な招待を受けて聖魔城上層の大広間に足を踏み入れた。それでも同席した氏綱、芳春、氏時、浄心は、戸惑いを隠せなかった。人間ではない、村雨白秋という存在に。
「自己紹介、というと少し違うが……いまや外界には、純粋な意味での降魔――大和の領民に悪魔が取り憑いた存在以外にも、降魔と呼ばれている存在が居る。
降魔の肉体を元にして作られた人造降魔、降魔阿頼耶識と地脈が重なったことで生まれた疑似降魔、単純に人の負のエネルギーや妖力が降魔に似た形を得た妖怪のような降魔……とね」
「わかりました。あなたを詮索するつもりはありません。こちらの態度で不愉快な思いをされたのでしたら、お詫びします」
頭を下げようとした芳春を、慌てて白秋はとめた。
「いや、そこを気にしたわけではない。ただ、人間でないわたしだから出来ることがある。そのために、ここに来たんだ」
そう言うと、白秋は自らの背後に異空間の入り口を開いた。そうして、なかから二体の上級降魔――金髪の一本角と銀髪の二本角の上級降魔をゆっくりと運び出した。
「千夜! 崎姫!」
氏綱と氏時は慌てて駆け寄り、宙を頼りなく浮くふたりの身体を抱え上げた。ふたりとも目こそ醒まさないが、目立つ怪我もないようだった。
「彼女たちは外界で私たちと敵対していた。千夜は目的があって捕らえていたし、崎姫は死ぬなら聖魔城で……君たちの元で死にたいから運んでほしいと請われたから生かしていた。
今でこそふたりの傷は回復しているが、深手を負わせたのは私たちだ。それについて謝罪するつもりはないが、心苦しさは感じている」
「ワシらは敵対していた。たとえ殺されていたとしても、それはそういうものだ。逆にワシらの側もそちらの人間を殺しているからな」
武人らしい割り切りで、氏時は率直に答えた。しかし微かに手元が震えている。双子の姪の生存を心の底から喜んでいるのだ。
「わたしとしては生かさず殺さずが都合良かったのだが、あるときから急にふたりから毒気が抜けたことに気づいた。よく見ると、いつの間にか降魔の核が破壊されていたんだ。
そこからは危険はなかろうと思って、介抱した。まさか、こういった形で……敵ではない状況でお返しすることになると思っていなかったので、正直ほっとしている」
「村雨殿、ありがとう。心から感謝する。我々が新しい生き方をはじめるというときに、千夜や崎姫を置いていかずにすんで本当に良かった……」
氏綱は、娘の姿を目にして涙を浮かべていた。
「公演までに回復できるよう、看病しないとね!」
浄心は跳びはねて喜んでいた。
「わたしの用件は済んだ。これでお暇するよ」
そう言って背を向けた白秋を、芳春が呼び止めた。白秋は芳春に向き直り、続きを促す。
「村雨殿、お願いがあります。いえ、私たちの覚悟をお伝えしておきたいのです」
そこから芳春が話した内容に白秋は驚きつつも、表情に出さないよう努めた。
「無理に、とは申しません。ただその時が来たときには、見守っていただきたいのです」
「……わかった。ふぅ、これもすみれへの秘密になるのかな」
とまどう芳春に「いや、こちらの話だ。承知した」と言い残し、白秋は大広間を後にした。氏綱たちは千夜と崎姫を大事に抱え、身体を休められるところへと運んでいった。
それから公演まで、再び芳春たちは足繁く集落を通った。しばらくするとその一行のなかに千夜や崎姫の姿も加わっていた、と加山は大神に報告していた。
三
そして三大歌劇団特別公演『北条桜花物語』は初日を迎える。
米田たちが幻都に足を踏み入れてから、二十日後――外界ではわずか五時間後のことだった。
会場は大帝国劇場だが、すべての領民が見られるようにと上空モニターが各所に設置された。こうした雑用回りは、すべて領民自身で行っており、久々の公演準備を楽しみにしていたかすみや由里は手持ち無沙汰だった。
忙しかったのは椿で、これまで大和にはなかったブロマイドと公演パンフレットを、手の空いていた白秋の慈力を使って大量に生成していた。それすらも配布にあたっては、お客人の手を煩わせるわけにはと領民たちの手で各地に回されていった。
貴賓席には北条一族と、舞台に上がらない帝都メンバーが並んでいた。どうやら千夜と崎姫も回復したようで、隣同士で座っていた。出口もそこにいるのは、本当に芳春と結ばれたからなのかもしれない。米田は隣の氏綱に、舞台の楽しさを話している。氏綱も華撃団メンバーたちの公演に足繁く通っていたので、その話を披露する。米田は自分が見たことのない、分岐世界で演じられていた演目が含まれて驚いた。俺も見たかった~っと年甲斐もなく悔しがる姿は、貴賓席の一同の笑いを誘った。
『本日は三大歌劇団特別公演『北条桜花物語』にご来場いただき、誠にありがとうございます。
お客様へご案内申し上げます。開演まであとわずかとなりましたので、外にいらっしゃるお客様は、どうぞ客席へご入場ください。まもなく開演でございます』
かすみの声が場内に響き渡り、客席は静まりかえった。
観客たちが固唾をのんで舞台を見守るなか、躍動感あふれるドラムの音が客席を震わせる。それとともに幕が上がり、金管楽器の煌びやかな音色が徐々に音量を増しながら響き渡った。
観客たちは待ちきれずに拍手と歓声をあげた。舞台に照明が灯り、帝国歌劇団花組、巴里歌劇団花組、紐育歌劇団星組を照らし出す。皆、銀のシャツに黒のスーツ姿でステッキを手にしていた。
「イッツ、ショータイム」
マリアの歌い出しと共に、皆がリズムに乗って踊り出す。帝都花組のレビュー曲として定番中の定番だが、そこに巴里花組と紐育星組が加わることで歌声の厚みが増し、観客たちは興奮のるつぼだ。フレーズごとに歌い手が入れ替わり、ステッキとタップを交えたダンスが華を添える。
これから始まる夢のひとときを舞台と客席が一体となって楽しもうというメッセージが、なによりこの瞬間を迎えた演者たちの喜びが歌詞と一体となって観客の身体に染みこんでいく。そして歌はクライマックスを迎え、全員のかけ声で締められた。
『イッツ、ショータイム!』
開始早々、観客は手が痛くなるほど拍手し、歓声をあげた。
暗転。
第一幕
一場・伊勢神宮
ようやく拍手がおさまったところで、舞台に光が当てられた。中央には六人の侍が円陣を組み、客席を見て仁王立ちしていた。後に早雲の朋輩六英雄と呼ばれる侍たちを演じるのは、紅蘭、レニ、織姫、コクリコ、リカ、ダイアナだった。
そこに上手から、ゆっくりと昴演じる早雲が鎧姿で現れた。
「早雲、来たか」
円陣から声がかかると、早雲(昴)はうなずきながら杯を取り出して円陣の中央に立った。六英雄もそれにならって杯を取り出し、眼前に掲げる。早雲が語り出す。
「なにがあろうとも仲間を裏切らず、助け合い、志を成そう!」
そうして、手にした杯の神水を飲み干した。
『応!』
六英雄は声を上げ、神水を飲み干そうとしたところで、動きを止めた。舞台が明るさを落とすとともに早雲にスポットライトが当たる。そこに音楽が流れだし、早雲は仲間たちを想い歌い始めた。
生まれや育ちがばらばらの七人。出会ってしばらくは壁があった。人と人は、そう簡単に仲間になれるものではない。それでもお互いの秘め事を明かし合い、仲間の喜びを我がことのように喜ぶことを重ねるなかで、深い絆を感じることができた。血のつながりを越えて、一緒になって未来へと歩もう。
早雲の歌が終わると、舞台では全員に光が当てられた。
「誰かが大名となれば、残る者は一家を挙げてその者を盛り立てて国を治めよう!」
続く早雲の言葉に一同はうなずき、笑顔を浮かべながら肩を叩いたり拳を合わせたりして、友情と志を確かめ合った。
二場・酒場
早雲たちはその後、人の縁と時の運に恵まれながら、快進撃を続けていた。
そんななかある国を攻め落とすのに、六英雄は地元の酒場に足を踏み入れた。そこには領主の横暴に腹をたてて飲んだくれる領民たちであふれかえっていた。六英雄のひとり――紅蘭演じる荒木は、その様子をみて、声をかける。
「今を時めく北条公ならば、四公六民と聞くぞ。お前たちも領主に訴えれば良いではないか」
だが、先ほどまで威勢良く領主を罵っていた男たちは、弱腰になる。荒木(紅蘭)はレニ演じる山中と一緒になって、その一人一人に話しかけるが誰もが顔を逸らす。その様子に業を煮やした荒木は、不穏な空気を醸し出す音にのせて、歌い出した。
「なぜ、人が人を支配しているのだ」
それに山中(レニ)が続く。
『どうして、一人だけが富を栄えるのだ』
『こんな国を、誰が望んだというのか?』
残る四英雄も声をそろえる。
「ここは君たちの国だろう?」
「ここは君たちが生まれた大地だろう?」
その問いかけに、萎れていた領民たちの目に力が入り、立ち上がって天を見上げた。そのなかには大神と新次郎が混じっていた。ふたりは音楽が転調し意気揚々と盛り上がるのを背に受けて歌い出した。
「この土地は、父や母が耕したんだ!」
「なのに、ひもじい思をして、泣きながら死んでいった!」
『この国を変えよう、武器をもって俺たちの未来のために戦うのだ!』
最後は領民全員が声をあげ、どこから出してきたのか鍬や鋤を頭上に掲げた。
「さあ、泥沼の貧困から抜け出すため、戦おう!」
六英雄の覇気を背に受けて、領民が店を出て行く。遠くから、建物が燃え、崩れる音が響き渡った。
三場・深根城前
舞台やや下手に置かれた床几に座っているのは、サジータ演じる氏時だ。背後には闇夜に浮かぶ山城が描かれた幕が垂らされている。
「忌々しい奴らだ。味方をすれば本領を安堵しようとまで殿が仰っているというのに。しかも領民千人を城内に閉じ込めて、我らに対する人質にするとは。まるでこちらが攻められているようではないか!」
氏時(サジータ)は立ち上がると、地面を蹴る。上手から、ふたりの男が堂々たる振る舞いで歩いてきた。前方をロベリア演じる幻庵、背後をついてくるのがマリア演じる紗冥流だ。
「氏時よ、この男が城内に手勢を潜ませているらしい。合図ひとつで城門が開く手はずになっているそうだ」
幻庵(ロベリア)に視線を向けられた紗冥流(マリア)は、一歩進み出て氏時に深々と礼をする」
「紗冥流、と申します。早雲様の慈悲の心に打たれ、準備をして参りました。どうか、城に閉じ込められた領民を助けるのに力をお借りしとう存じます」
しおらしい言葉だが、声音にへりくだったものがない。氏時は不満そうに首を横に振るが、腰の刀を抜くと、城門に突きつけた。
「では、城門を開けてみせよ」
「はっ」
紗冥流は頭を垂れると、草笛を虫の音のように鳴らした。すると、場内に木がきしむ音が鳴り響いた。城門が開いたのだ。
「皆のもの、出陣だ! 我に続け!」
幻庵は鬨の声を上げて駆けだした。背後から氏時、紗冥流や兵士たちが続く。全員が下手にはけたところで、山城を描いた幕が下に落とされた。幕の裏に用意されていた城内のセットが露わになる。そこには、気を失って倒れている兵や領民が転がっていた。
「なんだ、これは!」
上手と下手からそれぞれ現れた氏時と幻庵が戸惑っていると、中央の建物の影から姿を現した紗冥流が声をあげた。
「さあ、本能のままに殺すがよい!」
すると赤い照明が明滅し、雷鳴が響いた。氏時と幻庵は身体を震わせ、顔を伏せる。続いて肩を何度か震わせると、表情を失った顔を上げた。目が、赤く輝いている。
ふたりは手近に倒れている兵や領民に、ためらいなく刀を突き立てた。彼らは悲鳴を上げて身体を震わせ、やがて動きを止める。上手と下手から同じように赤い目をした兵士が入り、同じように倒れた人々を殺していく。すると紗冥流が現れた場所から、目が覚めた領民や兵が悲鳴を逃げ出してきた。それを、氏時たちは情け容赦なく斬る。左右に捌けていく領民たちを氏時、幻庵たちは、正気を失った様子で、刀を振り回しながら追いかけ、姿を消した。
後に残った紗冥流は、舞台中央で禍々しい笑い声を上げる。おどろおどろしいメロディーに合わせ、紗冥流は口上の如く歌い始めた。
「すでに、希望は消え去った!
満ち足りた暗闇の前に正義は死に絶えた!
さあ、ここに悪という名の華を咲かそうぞ!」
紗冥流の叫びがこだまするなか、上手から早雲(昴)とグリシーヌ演じる氏綱が、惨状に戸惑いながら入ってきた。それを見た紗冥流は、無言で腰の刀を天に突き上げる。再び赤い照明が明滅し、早雲と氏綱(グリシーヌ)も正気を失った。
そのまま紗冥流は劇場内を震わせるほどの大音声で、この世界に刃を突きつけるぞと宣言した。
四場・大和
威勢のいい客引きの声が、ここそこから上がる。賑やかな市を背に、大神と大河――領民たちは浮かれた様子で歩いている。
「早雲様のお力で、この土地が海から浮かび上がったんだと」
「しかも、ここでは誰もが土地持ちになれるそうだ。年貢も他より少ない!」
「ああ、早雲様々だなぁ」
そう言って去って行く領民を見送り、市の中央で立っていた三人の娘が嬉しそうにしている。早雲の孫、氏綱の娘である、千夜・崎姫・浄心――演じるはジェミニ・ジェミニン・アイリス――が、賑わう市を珍しそうに見ている。そこにお囃子のように三味線と鈴が鳴り出し、上手から現れた花火演じる旅芸者のお菊が歌い、舞い踊った。
「よいやっさ~ぁさ~ぁ、よいやっさ~あ」
そのかけ声につられて、三人娘も声を上げる。
『よいやっさ~ぁさ~ぁ、よいやっさ~あ』
旅芸者(花火)の伸びやかな声に、三人娘の元気一杯の声が重なった。
新天地大和の名所名物を並び上げ、ときに合いの手をいれつつ明るく楽しく歌い踊る。半ばからは、それに釣られて売り子も客も踊り出す。
旅芸者の歌が終わると、舞台上は再び市の喧騒が戻る。何事もなかったように下手へ進む旅芸者の前に、いつの間にか早雲の朋友である荒木(紅蘭)が立っていた。ふたりは何事か話をすると、うなずきながら下手へ捌けた。
入れ替わりで、さくら演じる芳春とカンナ演じる出口が上手から現れた。それを見つけた千夜・崎姫・浄心(ジェミニ・ジェミニン・アイリス)の三人は、店の影に隠れて様子を伺う。
芳春(さくら)と出口(カンナ)は談笑しながら店を冷やかし、歩いていく。そうしてかんざし屋で立ち止まると、出口がかんざしを手に取って芳春の豊かな黒髪に刺した。芳春は一瞬笑顔を浮かべたあと、恥ずかしげに顔を伏せた。出口は売り子に銭を渡すと、芳春の背に手を添えて歩き去って行った。隠れていた三人は通りに出ると、かしましく話し出す。
「ねぇねえ、芳春姉様と出口二郎はあれなの?」
「あれよ、恋よ!」
「浄心、わかんな~い」
浄心は笑顔で小首をかしげる。
「でも芳春姉様と出口二郎とじゃあ、身分が違うでしょ?」
「違うわ。一緒にはなれないわ」
「浄心、わかんな~い」
浄心は笑顔で小首をかしげる。
千夜と崎姫は顔を合わせると、お互いを指さした。
「私が千夜、こっちが崎姫」
「じゃあ、私は誰?」
「浄心、わかんな~い」
浄心は笑顔で小首をかしげる。
『なんでやねん!』
千夜と崎姫の突っ込みが浄心にはいった瞬間、場が暗転した。
五場・聖魔城
岩をくりぬいて出来た大広間の中央で、早雲(昴)が横になっていた。息が荒く、時折うめき声を上げている。
その傍らで、芳春(さくら)は何度も早雲の汗を拭っていた。
「殿……」
芳春が呟くと、早雲から煙が立ちあがり、周囲を覆い隠す。その煙が晴れると、そこに紗冥流(マリア)が立っていた。
「何者!」
芳春は立ち上がって間合いをとり、懐剣を抜いて構えた。
「ふん、早雲の孫は威勢がいいな」
紗冥流は腰の剣を抜き払い、芳春の懐剣を弾き飛ばした。そして、何事もなかったかのように刀を鞘に戻す。
「もうじき早雲の命数は尽きる」
足下に伏せる早雲を、ゴミでも見るように見下して紗冥流が言った。早雲が激しく咳ごむ。あわてて芳春が早雲に駆け寄る。すると、早雲が芳春の頭に手をやった。
「枯るる樹に また花の木を植ゑそへて
もとの都に なしてこそみめ」
そう詠うと、北条の手が畳の上に落ちた。
「殿、殿っ……おじいさま~っ!」
我を失う芳春から目を離し、紗冥流は下手から、スモークとともに現れた壁を見た。
そこには貼り付けにされた氏綱(グリシーヌ)の姿があった。悠然と紗冥流は氏綱の元に歩み寄る。その気配に気づいて振り返った芳春は、氏綱の姿をみて声を上げた。
「お父様!」
紗冥流は血の気を失っている氏綱の頬に手を当てながら、芳春を振り返った。
「しばらくは氏綱の身体で我慢するとしよう。その次は、お前だ。楽しみに待っておくがよい」
紗冥流が身体をのけぞらせて笑い声を上げるなか、突然上手から出口(カンナ)が走り込み、芳春が落とした懐剣を拾い上げると、紗冥流の脇腹に突き立てた。
「この悪魔め!」
出口の呪詛に紗冥流は怒りを露わにし吹き飛ばす。腹に刺さった血まみれの懐剣に構わず、刀を抜いて出口に斬りかかった。
「二郎!」
そこに芳春が割って入った。紗冥流の刃は、その芳春の身体を真正面から袈裟切りにした。芳春の名を叫びながら、その身体を出口が抱きしめる。
「おのれっ、おのれぇ~!」
紗冥流はふらつく足取りで、氏綱の身体まで歩く。
「じわじわと苦しめながら大和全土を俺の物にするつもりだったが、気が変わった。このまま支配してくれるわ!」
そう叫ぶと、舞台が赤く明滅し、その一瞬の隙に紗冥流の姿が消えた。次いで、氏綱が壁から離れ、笑い声を上げながら下手へと消えていく。
照明が徐々に狭まり、倒れた芳春と、その身体を抱きしめる出口だけを照らす。ドラムが鳴り響き、そこに悲しみに張り裂けるような弦楽器の音色が重なった。倒れる芳春が、出口の手を握りながらわずかに身体を起こし、歌い始める。それに、出口が続く。そしてふたりは口をそろえて言う。
『結ばれない愛。命を捨てたとしても実らない愛がある。
それでも愛は永遠なのだとわたしは気づいた』
芳春と出口の声は重なり、離れ、追いかけ、また重なる。ときに同じ言葉を紡ぎ、またときには真逆の言葉を選ぶ。芳春のはかない声と、出口の真っ直ぐに伸びる声は一つとなり、永遠の愛を望み、願い、請う。その愛を夢見て。
歌声の余韻が止むと、芳春の手が力を失って地に落ちた。
「芳春っ――!」
出口の悲痛な叫びが会場に響き渡る。徐々に落とされる照明に、万雷の拍手が鳴り響いた。ゆっくりと緞帳が降り、会場に明かりが灯った。
四
休憩のアナウンスが流れたが、席を立つ者は一人としていない。大和民の習慣なのかはわからないが、少なくとも米田たちについては舞台から押し寄せる力に圧倒され、虚脱感に包まれていたためだ。十年ぶりに心から楽しむことが出来る観劇、ということもある。首を横に向けると、かえでも同じようなものだった。かえで自身も舞台に上がるよう請われていたようだが、固辞したらしい。それは、久しぶりに歌劇団の舞台を味わう側になりたいと思ったのかもしれない。ひと声かければ真意は質せるが、米田はこの沈黙を楽しむことにした。
そして、第二幕の幕があがる。
第二幕
一場・聖魔城
幕開けを合図に、厳かで不気味なパイプオルガンの低い音が響き渡った。黒く塗りつぶされた大階段の上から、幻庵(ロベリア)が黒い羽で作られたローブを纏ってゆっくりと降り、昏い闇の王が訪れることを告げた。そのソロパートを接ぐように、氏綱(グリシーヌ)は黒光りする鱗で覆われた甲冑姿で現れ、街から色が失せて孤独が染め上げる様を嘆く。幻庵の低音と氏綱の高音が、観客をも闇に引きずり込もうと幻惑する。ふたりは階段を降りきると左右に位置取ったまま、自分の内にある怪物から目を逸らさぬように決然と歌い上げた。
その迫力の余韻が収らないまま、続いて異国の旋律で女性のコーラスが始まった。照明は妖しい紫と赤が入り交じる。大階段から姿を現したのは、芳春(さくら)。その身を血のように紅くタイトなドレスに身を包んでいる。左の肩から右脇にかけて、傷のような紫の線が真一文字に描かれている。大階段の両縁には悪魔の扮装の男たちが控えている。
「私は美しい、闇芳春。闇夜に咲く大輪の華。甘美な背徳をもたらす者」
蠱惑的な踊りで身をくねらせながら、歌声と共に階段を降りる。両脇から悪魔が近寄るが、闇芳春がそよがす扇子に弾かれる。数段ごとに悪魔が闇芳春を求めるが、媚びるように振る舞いながらも誰にも靡かず、全てを押し返していく。全身で表現する悪女ぶり、それが仮面なのか、素顔なのか、本人さえもわからないままに舞台中央に立ち、すべての悪魔をかしづかせて曲を締めくくった。
「芳春が蘇ったことは、誠に喜ばしい」
氏綱は、表情をなくして正面を向き続ける芳春を満足げに見やる。
「氏時や氏綱様の他の娘たちも、皆、悪魔の力に染め上がっております」
幻庵が恭しく頭を垂れる。
「さあ、領民どもを責め上げ、そこから生まれる苦悩を餌に我々は力を蓄えるのだ。来たるべき大いなる戦いに備えて」
氏綱は両手を天に掲げ、高笑いを上げた。そこに幻庵の低い笑い声が重なる。闇芳春は微動だにせず、虚空に視線を彷徨わせたまま立っていた。
二場・荒野
ボロボロの服をまとった出口(カンナ)が、荒野を背にして杖を頼りに歩く。数歩進んでは足をとめ、また数歩進んでは足をとめる。
「目が覚めたと思ったら、こんな荒野に放り出されていた。ここはこの世か、それとも地獄なのか……せっかく芳春に命を救われたというのに、生きている実感もない」
周囲には正気を失ったような領民が争い合っている。
出口は話に聞いた砂漠という一面砂だらけの大地を思い浮かべながら、自身の心の渇きを歌い始めた。争いを横目に立ち止まり、一節を歌う。膝を抱えて動きをとめている者を前に立ち、また一節を歌う。人々の心には、もはや愛が存在していないようだった。それでも愛にしがみついてもがこうとするが、こみ上げる悲しみに何もかも忘れてしまいたいと嘆きを呼び起こす。そして、涙を流しながら声を止めた。
相変わらず周囲では争いごとや、うずくまる人、気が触れたような奇矯な振る舞いをする人であふれかえっている。
「芳春……ああ、芳春……」
中央でうずくまる出口。すると、上手と下手から紅蘭・レニ・織姫・コクリコ・リカ・ダイアナが演じる六英雄と旅芸者のお菊(花火)がなだれ込んできた。
「この通り、大和は悪魔に乗っ取られたのでございます」
旅芸者とは仮の姿、お菊は六英雄が大和国内を把握するための間者であった。
「大和はどうなったんだ。結界で入るのにも苦労したぞ」
多目(織姫)が、額を腕でこすりながら話す。
「なんかコイツら、とっても変だぞ? おなかすいてるのか?」
リカ演じる在竹は、周囲の領民の様を見て首をかしげる。
「とても強い妖力が、みんなを苦しめています。そして、苦しむ心が聖魔城の方へ流れているようです」
ダイアナ演じる大道寺は、目を閉じながら周囲に手をかざし、見えないものの流れを読み取った。
「あ、あなたたちは」
出口は六英雄の姿を見て、戸惑っている。
「お主は出口殿ではないか。どうやらお主は正気のようだな。いったいこれはどういうことだ?」
荒木(紅蘭)は、座り込む出口の前で跪いて肩に手を置きながら尋ねる。
「それが……かくかくしかじかで」
「って、そんなのでわかるわけないだろう!」
出口の言葉に多目が突っ込んでいるところ、残る六英雄と旅芸者は声を合わせて
『なるほど~』
とうなずいている。戸惑う多目を置いて、出口は続ける。
「そしたら……かくかくしかじかで」
「いやいや、まったくわからないっ!」
しかし多目の突っ込みをまたずに、残る六英雄と旅芸者は声を合わせて
『なるほど~』
とうなずいている。
「だから、かくがくしかじかで……」
ええいままよ、と多目はわからないまま、訳知り顔でうなずいたところ、
「いや、それじゃわからないだろ?」
との荒木の突っ込み。多目を不審げに見ながら、残る六英雄と旅芸者が揃ってうなずいた。
「も~! なんなんですかーっ!」
憤る多目を置いて在竹(リカ)は舞台中央で右腕を掲げた。
「みんなの頭くるくる~っを元に戻せばいいんだな!」
在竹は突然、自分の頭に桃色の象のかぶり物を乗せた。途端に、六英雄も周囲の領民たちも動きをとめる。周囲の照明が弱まり、スポットライトが在竹にあたった。すると可愛らしい音楽が流れ出し、両袖から、同じかぶり物をしたダンサーが現れる。
在竹の歌はつかみ所がなく、とにかく桃色の象と、パオーンという鳴き声で埋め尽くされていた。ただ、穏やかなメロディーにつられるように、動きを止めていた皆は正面を向くと、在竹の動きに合わせて右に左にゆったりと身を動かす。眠りに誘うようなその歌が終わると周囲の照明が元に戻り、在竹の横にいたダンサーも頭の桃色の象のかぶり物も消えていた。
「ああ、いったい俺たちは何をしていたんだ……」
「大丈夫か? すまん、なんで殴ってしまったんだろう……」
大神、大河とダンサー演じる領民たちは、それまでの自分の行動に混乱し、悔いた。
「在竹、よくやった。みんな、よく聞け。この国は悪魔に乗っ取られようとしている。自分と、家族と、友を守るために戦うぞ!」
荒木の檄に、出口も領民も熱に浮かされたように諸手を挙げて声を上げる。
「いくぞ、聖魔城へ突入だ!」
三場・聖魔城前
聖魔城の城門前に領民たちが押し寄せた。門を守る悪魔と、先導する六英雄と出口(カンナ)が武器を持って戦う。やや領民たちが優勢かと思ったところに、下手から幻庵(ロベリア)、闇芳春(さくら)に加えて氏時(サジータ)が現れた。
「芳春、生きていたのか!」
だが出口の問いかけに答えず、闇芳春は駆け寄る出口を斬りつけた。あわてて身を引く出口。
「ええい、うるさい小バエ共め、蹴散らしてくれるわ」
氏時は身体を震わせながら大声を上げると、領民たちに突進した。領民たちは弾かれ、その場に崩れ落ちる。
「六英雄か。だがもう遅い。悪魔の力を手に入れた我々には敵わぬ!」
幻庵は手のひらから炎の玉を打ち出し、六英雄をひるませる。
「こうなったら……奥の手だ」
コクリコ演じる荒川は、ステッキを取り出し宙に円を描いた。
「助けて、異国の戦士たち!」
すると、舞台上手の上方から宙づりになったエリカが、戦闘服でゆっくりと降りてきた。周囲が暗くなり、エリカの周囲だけライトアップされる。印象深いファンファーレに続き、勇ましい曲が流れ出した。エリカの後ろには、同じく戦闘服に身を包んだグリシーヌ、花火、次いで、早替えを終えたロベリア、コクリコが現れる。
立ていざ立ち上がれ 涙ふき
茨の道さえ 突き進む
我が友を守り 我が道を往く
愛の御旗のもとに 集う 乙女たち
それは大和シャノワール劇場でお馴染みになった、巴里歌劇団の定番曲だった。客席が湧きあがり、歓声が上がる。手拍子がはじまり、巴里華撃団はのびのびと歌いながら笑顔を振りまいた。
ああ マロニエに 歌を口ずさみ
花の都に 咲く勇姿
あああ 素晴らしい 巴里華撃団
夢と希望と明日と正義を讃える
歌が終わると同時に、氏時の断末魔が轟いた。
続いて、舞台下手に移動していた在竹(リカ)と大道寺(ダイアナ)が祈るように天を仰いだ。
「助けて、異国の戦士たち!」
すると、舞台下手の上方から宙づりになったラチェットが、戦闘服でゆっくりと降りてきた。客席がどよめく。リトルリップ劇場の常連で知らぬはもぐりとまで言われる幻のメンバー、ラチェット・アルタイル。これまで幻体でしか登場しなかった彼女の本物が、舞台に降り立ったのだ。
巴里同様の演出で、そこにジェミニとジェミニン、サジータ、昴が現れる。歌うはもちろん、紐育歌劇団の定番曲だ。
燃える頬に 涙のしぶき 振り払い立ち上がろう
まぶた閉じて 遠く耳に聞こえる音楽
ジェミニとジェミニンが歌い出し、続くリカとダイアナの
パートはラチェットがサジータ、昴と並んで歌う。
勇気 希望 自由 強い絆に結ばれ
熱く 胸に 思う 愛の力を信じて
そこに早替えを終えたリカとダイアナが加わり、全員でコーラスが始まる。
われら輝く地上の戦士 たとえ どんな苦難も 乗り越えて
悪を滅ぼす 礎となろう 光あれ いざ進め
われら紐育華撃団
紐育華撃団が銃を撃ち銃口に息を吹き替えた瞬間、幻庵の断末魔が轟いた。
再び上手。荒木(紅蘭)、山中(レニ)、多目(織姫)は、演技も忘れたかのように緊張感なく舞台の上方手をふりながら、
「助けて~、未来の戦士たち~」
と声をかけた。降りてきたのは真宮寺さくらが帝国歌劇団の真のトップスタアと言い続けていた、神崎すみれだった。すみれは高笑いを上げながら着地し、ポーズを決める。
感極まった観客たちの幾人かが思わず立ち上がり、我に返って慌てて座り直す。馴染みのイントロが流れ、ライト周辺にさくら、マリア、カンナ、アイリス、そして、遅れて衣装を替えた紅蘭、レニ、織姫が集まる。メリハリのあるメロディーにポーズをつける一同。
引き裂いた 闇が吠え 震える帝都に
愛の歌 高らかに 踊りでる戦士たち
心まで 鋼鉄に 武装する乙女
悪を蹴散らして 正義をしめすのだ
走れ 光速の 帝国華撃団
唸れ 衝撃の 帝国華撃団
帝国歌劇団の定番曲に、観客たちは身体を揺すっている。皆、踊りが染みついているのだ。間奏がおわり、決めのセリフが語り上げられる。
「わたしたち 正義のために戦います。
たとえ それが命を懸ける戦いであっても
わたしたちは 一歩も引きません!
それが」
『帝国華撃団なのです!』
大歓声が巻き起こるとともに、闇芳春が叫ぶ声が響き渡った。
そこで舞台が暗転した。
真っ暗な舞台に、台詞だけが場内に響く。
「芳春、どこだ、芳春!」
それは出口の声だった。
「来ないで、二郎さん。わたしを見ないで!」
その声音は、闇芳春ではなく、芳春そのものだった。
「なぜだ、芳春。せっかく巡り会えたというのに!」
そこで舞台中央にスポットライトがあたる。そこには客席に背を向けて横座りした、元の狩衣姿の芳春が居た。
「わたしは悪魔の力で蘇った。もう人間じゃないの。二郎さんのそばになんて居られない……」
その言葉に、女性の声が問いかけた。
「それは建前。あなたが本当にしたいこと、二郎さんに仰りたいことはなあに?」
その言葉に芳春は顔を上げ、立ち上がる。客席に向かって一歩すすむと、本音を言うか言うまいか悩むように腕を交差させて自分自身を抱える。
「わたし本当にしたいこと……二郎さんに伝えたいこと……」
芳春を照らすスポットライトが広がると、その周囲には、帝国華撃団が円陣を組んでいた。いつもなら中央はさくらだが、そこにいるのはすみれだった。この対話は、芳春とすみれのものだったのだ。
ピアノのイントロに合わせて、一同は歌い始める。
『ララララ……』
世界は自分がつくるもの、自分が見たいようにしか見えないもの。見たくないものを生み出すのもまた自分。
わたしがいるからみんなが、あなたがいる。その優しさも、愛も、わたしがいるから注がれている。それを認めよう。
穏やかに、暖かく歌い上げられるメッセージに、芳春は立ち上がり、正面を向いた。
「わたしは、人間に戻って二郎さんと一緒に居たい」
自らの願いを口にした芳春を包むようにハーモニーが流れ、暗転した。
四場・聖魔城大広間
照明が戻ると、そこは聖魔城の大広間だった。
「おい、芳春、しっかりしろ!」
中央に倒れ込む芳春(さくら)を囲むのは、着物姿に戻った氏時(サジータ)、幻庵(ロベリア)だった。
そこに、上手から現れた千夜(ジェミニ)と崎姫(ジェミニン)も加わる。
「わた、し、は……?」
芳春が顔を上げると、走り込んだ浄心(アイリス)が抱きついてきた。
「良かった、目が覚めたのね!」
「異国の戦士たちはな、ワシらに付いていた悪魔だけを倒してくれたのだ」
氏時の言葉に、芳春は自分の身体を見回す。
「では、わたしは…」
『そうよ、私たち人間に戻ったの』
千夜と崎姫が声をそろえて言った。そこに、上手から出口(カンナ)がふらつきながらやってきた。そして、中央で体を起こした芳春をみて、足をからませながら駆け寄り、力一杯抱きしめた。
「芳春……よかった、芳春……」
「二郎様……」
芳春も二郎を抱き、腕に力を込める。周囲の北条の面々は、涙をぬぐったり、肩をたたき合ったりしながら、その抱擁を温かく見守った。
そこに、照明の明滅で稲光が走った。
『ええい、虫唾が走る。くだらぬ茶番劇を見せよって!』
紗冥流に憑りつかれた氏綱(グリシーヌ)の大音声が轟いたかと思うと、上部からゆっくりと降りてきた。
「いまいましい力よ。しかし異国の戦士とやらも、もう居まい。お前らは全員、冥土に落としてくれるわ」
その声を合図に上手下手から悪魔の残党が現れ、音楽が流れ出した。そのリズムとメロディーに合わせて、北条一族が戦いを始める。
「人の夢を壊す悪魔め! 許しません!」
「人の命を奪う悪魔め! 許さぬ!」
芳春と氏時が、氏綱に斬りかかる。
「私たちの慎ましい生活を、愛すべき日常を取り戻す!」
幻庵は取り囲んだ三体の悪魔を弾き飛ばす。
『夢と、誠実さと、愛で討つ!』
千夜と崎姫が素早く入れ替わって悪魔を翻弄し、場外へ蹴り飛ばす。そでに引っかかって残った一体は、駆けつけた浄心の蹴りで退場した。
「愛を否定するものを、僕は許さない!」
芳春と氏時に気をとられていた氏綱を、背後から出口が斬りつけた。
「ぐわぁぁぁ!」
苦しむ氏綱。煙が上がり、その後ろから紗冥流(マリア)が姿を現す。
流れる音楽は間奏になり、舞台は紗冥流と北条一族、出口の殺陣が繰り広げられた。氏時が紗冥流の蹴りで転がり、手にしていた刀を落とす。それを芳春が拾いあげると、駆け寄った出口とふたりで柄を握り、刀身を頭上に掲げながら祈りを捧げる。すると刀身が輝きだした。
「愛を否定するものを、私たちは斬り伏せる!」
芳春と出口が振り下ろした剣閃が紗冥流を袈裟切りにし、照明が激しく明滅した。紗冥流の断末魔が場内に響き渡ったところで音楽がとまり、北条一族、出口は客席に向かって見得を切った。観客たちは口々に役者の名を、一部は混乱したのか北条一族の名を叫んで手を叩いている。鳴りやまない拍手のなか、ゆっくりと緞帳が降りた。
五
残るは一場。
しかしこの舞台を三幕構成にすることになったのは、北条氏綱からのたっての願いだった。
第二幕の暗転後、しばしの余韻を味わったところで、氏綱をはじめとする一族全員は席を立ち、米田たちに向かって深々と礼をした。突然のことに驚きながらも、米田たちは立ち上がる。
「この度は、私たち北条一族が引き起こしたことで人々を混乱に陥れたこと、改めてお詫び申し上げます」
「な、なんでぇ改まって。そういうのは、もういいって」
米田の返事に氏綱は微笑を浮かべると、客席の最奥に移動する、と言い出した。
「この第三幕だけは、民の姿を前にして見たいのです」
そう説明すると、皆はそれぞれに会釈しながら、言葉通りに客席最奥の扉の前へ移動し、横一列になって陣取った。
米田は先日の出来事を思い出す。この公演を聞いたときには観客に徹するつもりでいたが、ついつい稽古場に顔を出したりしていたおかげで、第三幕の流れを知っていた。台本では北条一族が民に向かって語り掛け、手を取り合って新しい道へと歩みだそうと呼びかける様子が描かれていた。
きっと氏綱たちは、それを見た観客たちの――領民たちの反応を見たいのだろう。戸惑う周りの面々にそう伝え、自分たちは席に着いた。
第三幕
一場・???
舞台には全面に照明が当てられていた。背景も大階段もない、素のままの舞台中央奥に、芳春(さくら)を中心とした北条一族と少し離れて死に装束の早雲(昴)、両脇に他のキャストが並んでいた。幻体でつくったダンサーが領民役として上手下手の舞台そでで密集している。そこには領民に扮した大神、新次郎、すみれ、マリア、エリカ、ラチェットも加わっていた。
「大和の領民の皆さん。この度は私たち北条一族のせいで苦しい思いをさせたこと、心からお詫び申し上げます」
芳春の礼に合わせて、一族一同も頭を垂れる。ゆっくりと顔をあげると、芳春は舞台の中央まで進み出た。
「ここで、先代当主、早雲の辞世の句を伝えたいと思います」
芳春はゆっくりと心を込めて、詩を詠みあげた。
枯るる樹に また花の木を植ゑそへて
もとの都に なしてこそみめ
死に装束の早雲は、満足げにゆっくりと頷いて聞いている。その言葉が皆の胸にしみ込んだであろう頃合いをみて、芳春は続ける。
「枯れてゆく木のそばに、また花が咲く木を植えて、もとどおりの都にして見せよう、という意味です。
もう、あの大和はこの世に存在していません。いえ、存在してはいけないのです。
でも、その思い出の都を胸に、私たちの手で新しい花を咲かせましょう」
そこで芳春は言葉を切り、領民たちを見渡した。
そして胸の前で手を合わせ、高らかに宣言した。
「我は花咲く木とならん!」
その芳春の言葉に続き、北条一族の声が響いた。
『我は花咲く木とならん!』
続いて出口、六英雄、旅芸者たちの声が響く。
『我は花咲く木とならん!』
最後に領民たちがその言葉を復唱した。
『我は花咲く木とならん!』
そこで劇場内に、中華風の旋律が響き渡った。
雄大な大地と果てしなく続く空、悠久の時を思わせるメロディーが奏でられるなか、突如として客席の領民たちが観劇の最中だというのに立ち上がった。
さくらたち舞台上の人間たちは、何事かと驚きつつも演技を続ける。領民たちは隣席の者と左右の手をつなぎはじめ、穏やかな笑顔を一様に浮かべていた。
つづいて観客席の最奥、本物の北条一族たちが、舞台にまで届くほどの大音声で宣言した。
『我は花咲く木とならん!』
後を追うように、観客席で立ち上がった本物の大和の領民たちも、ある者は厳かに、ある者は心を込めて、ある者は歓喜の響きでもって、その言葉を口にした。
『我は花咲く木とならん!』
舞台の役者たちの視界一杯に、立ち上がった領民たちの身体から赤い粒子が立ちのぼる様子が見えた。粒子は身体から離れると徐々に色を緑に変える。それは幾万の蛍が飛び交いながら空を目指して消えていくような、幻想的な眺めだった。
その光の粒は大帝国劇場のドームにあたっても留まることなく、天井を通り抜けていく。領民たちは皆、涙を浮かべながらも笑顔であった。
堪らずさくらが動こうとしたとき、視線の先、客席最奥の芳春がゆっくり手を差し出して押しとどめるような仕草を見せた。その表情はやはり穏やかな笑顔。そうするうちにイントロが終わる。
混乱のなか、さくらたちは動揺を隠しつつ歌い出した。
泣くな人よ 命に終わりは 必ずあるが
泣くな人よ 命はめぐるよ 心のなかに
世界に終わりがないように 人は思い出を 語り継ぎ
愛する心を持つ事で 永遠に繋がってゆける
(諸行無常 あるがままに 命の限り)
想いがめぐり 命がめぐり 重ねる夢がある
たくさんの愛が 大地を満たし 世界が繋がる
泣くな人よ 命に終わりは 必ずあるが
泣くな人よ 命はめぐるよ 心のなかに
間奏になり、さくらたちは客席から姿を消していく大和の民の姿を見やった。もう、大半が緑の粒子となって消えている。
その煌めきのなか、北条一族が中央の通路をゆっくりと舞台に向かって歩きはじめた。彼、彼女たちも体の縁が赤い粒子でほころびはじめている。それでも穏やかな笑顔で歩み、舞台の真下に一列に並んでさくらたちの姿を見上げた。
米田たちが立ち上がろうとするのを、白秋が無言で止めた。視線を外さず首をゆっくりと横に振る。そして間奏が終わる。
この世に絶望しちゃだめだ 人よ未来を 嘆くなよ
人と人が愛し合い 思い出の数を増やそう
(諸行無常 あるがままに 命の限り)
想いがめぐり 命がめぐり 重ねる夢がある
たくさんの愛が 大地を満たし 世界が繋がる
泣くな人よ
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏……
歌が続くなか、ついに北条一族の身体も光にほどけはじめた。その姿にさくらたちは涙をこらえ、微かにうなずいた。ある者は歌い、ある者は読経を続ける。この歌が北条一族の、大和領民たちの鎮魂歌たらんと、ありったけの想いを籠めた。
浄心が飛び跳ねながら消えた。
千夜と崎姫が手を取り合って消えた。
氏時と出口は氏綱を両脇で支えながら頭を垂れて消えた。
そして芳春は、ただ笑って、消えていった。
泣くな人よ 命に終わりは 必ずあるが
泣くな人よ 命はめぐるよ 心のなかに
生きろ人よ 命に終わりは 必ずあるが
生きろ人よ 命はめぐるよ 心のなかに
生きろ人よ(泣くな人よ)
愛を信じて
終奏が流れ、旋律に合わせて銅鑼が鳴り響く。
鳴り響く。
鳴り響く……。
そうして幻都中の大和の民は命の巡りへと還ることを夢見て、その身を霊力の流れへとゆだねたのだった。
六
段取り通りに降りた幕が、米田の指示で再び上げられた。舞台に上がっていた役者たちは我先にと舞台から飛び降り、がらんとした客席まで駆けた。そして米田たちと共に、まるで迷い森を彷徨うように頭を左右に振りながら、大和領民たちの痕跡を探した。しかし何か見つかるはずもなく、悄然として自然と舞台前に集まる。そこで遠慮がちに声をかけたのは、白秋だった。
「その……実は、北条芳春から伝言を預かっている」
その言葉に顔をあげたすみれが何かを言い出す前に、白秋は舞台上に掌を向ける。すると舞台上に芳春の姿が映し出された。その身は薄っすらと透けており、映像であることが見て取れた。芳春の視線は自身の正面を見据えており、舞台真下にいた一同と視線が合わない。白秋は呆然とする面々を手で促し、芳春と視線があう辺りまで移動させ、座らせた。
皆が腰を下ろし、映像の芳春へ意識が集まったところで、白秋は指をパチンとならした。するとそれまで微動だにしなかった芳春の姿が動き出し、深々と礼をした。たっぷりと時間をかけて面を上げると、穏やかに話し始める。
『まずは改めまして私たちを助けていただき、ありがとうございました。また、助けていただいたものの生きる気力を取り戻せなかった者たちのために、夜ごと素晴らしい公演を催していただき、重ねて感謝申し上げます。皆さまの舞台を観ることで、此度のことで傷つき、心を閉ざしていた者たちも現実を受け入れること、何より未来を思い描く力を取り戻すことが出来ました』
そこで芳春は言葉を詰まらせ、視線をわずかに下げた。つられて頭が下がりそうになるのを押しとどめ、正面へと眼差しを戻す。
『そして、感謝してもし尽くせないほどのご恩を受けておきながら、皆さまが懸命に繋いでくださった私たちの命を手放すような決断に至ったこと、心苦しく思います。
ご覧いただいた通り、私たちは自身を形作る妖力をほどきました。千夜と崎姫の用意した呪具により、その妖力は霊力へと洗い直されて幻都中へと散らばり、各地の若木へと流れ込んでいるでしょう。そうしてその霊力は若木を生長させ、聖樹『生命の樹』を召喚させるはずです。そう、私たちはこの身を洗い清めて命の理に戻るために、このようなことを行ったのです』
その言葉に加山は外を確認しようと腰を浮かせたが、いつの間にか背後に回っていた白秋に止められた。芳春の言葉がまだ終わっていないからだ。
『命の理に戻り、命の巡りに還ることで、私たちも再び人として生まれ直したい。そして、皆さま……帝国歌劇団の、巴里歌劇団の、紐育歌劇団の公演を通じて沸き上がった気持ちを――
――どんな理不尽も、その幸不幸を決めるのは自分だと
――心持ちを変えれば世界は素晴らしいものになると
――人は誰もひとりではないのだと
そうして『誰かのために生きたい』という気持ちを抑えることが出来なかったのです。
お優しいみなさんのことです。あらかじめ気持ちをお伝えしていれば、他にやりようがないか、この結論に至った我らの不徳を正す手立てはないかと心を煩わせることでしょう。そのため、隠し立てしたことも重ねてお詫びいたします』
芳春は頭を垂れた。再びあげられた彼女の表情からはそれまでの憂いが晴れていた。
『私たちから転じた霊力は聖樹を召喚し、そして魂はその枝先に宿るだろうと村雨白秋様は見立てられました。そして幻都の封印が解かれれば、そのまま外界へと還ることもできるだろうと。皆さまが元の世界へと戻られるとき、私たちもまた命の理に戻ることができるのでしょう。ですからこれは別れではなく、再び皆さまと出会うための旅立ちと思っています。私たちの旅立ちを笑顔で見送っていただければ、これほど嬉しいことはございません。想いの押しつけばかりで恐縮ですが、これが嘘偽りない私たちの――北条一族、大和領民の総意です。
最後に、皆さまが日常と、幸せを取り戻されることをお祈り申し上げます。
――私は早く人の身に生まれ変わり、歌劇団の舞台を観るのが楽しみで仕方ありません。実は私はすみれ様の大ファンです。すみれ様の『紅蜥蜴』、どうか見せてくださいまし』
唐突に芳春の姿が消えた。映像が終わったのだ。一同は気持ちの整理がつかないものの、初めて見せた芳春の茶目っ気と屈託ない笑顔に救われる思いだった。すみれは「だから私は引退したと……」と呟き、カンナは「支配人自ら舞台に出れば大盛り上がりでいいじゃねぇか」とからかうように言った。白秋が劇場の扉を指し示すと、皆は立ち上がり、劇場の外へ向かって駆け出した。
大帝国劇場の外に出た一同が空を見上げると、そこには青々とした葉を茂らせた太い枝が四方八方に伸び、幻都上空を埋め尽くしていた。その幹は聖魔城を飲み込み、大帝国劇場の間際に迫っている。そう、大和の民の霊力をもって、聖樹『生命の樹』が召喚されたのだった。
短い間ではあったが公演で心を通じ合わせた人々がいなくなったことを、誰もが消化できずにいた。それでも命が巡ることを信じて、今はただ安らかに眠ることを祈るのみである。
誰からともなく黙祷をささげる。
静かに北条の一族を、大和の領民を悼む。
不思議と思い浮かぶのは、舞台から見える笑顔だった。それにつられるように、皆の頬が緩む。あまりに唐突に姿を消した人々への喪失感が、舞台を通じて交わし合った暖かな気持ちに塗り替えられていく。
その気持ちの移ろいに呼応するように、帝都花組の、巴里花組の、紐育星組の、そして華撃団司令部の慈力を受け取ったものたちの身体から、桃色の輝きが滲み出てきた。その輝きはそれぞれ拳ほどの光球へと形を変えていった。その変化に気づいた者は目を開け、それぞれの眼前に浮遊する球を見る。それまで身の内を満たしていた慈力が薄れ、桃色の光球へ吸い取られていくのを感じた。
漂っていた桃色の光球がそれぞれの慈力を吸い取りつくすと、名残惜しそうに宿主となっていた者の周囲をくるくると回る。
「ここで、お別れなんですね」
さくらは慈力の球に話しかける。それを肯定するように光球はゆっくり上下に動き、次いでゆっくりと上昇を始めた。他の球も同様に浮かび上がる。
ただひとりの例外が、ジェミニンだった。なぜかジェミニンの目の前に漂う桃色の光球だけが、一筋の紐を彼女の額から伸ばしたまま、離れようとしない。
「俺に身体を残してくれるというのか?」
その意図に気づいたジェミニンが光球に問いかける。すると光球はうなずくように上下した。すでにジェミニンと別れる覚悟をかためていた紐育星組たちだが、その予想外の展開に喜びを隠しきれずジェミニンの元に駆け寄る。
ジェミニンは穏やかな笑みを浮かべて紐育星組の面々と光球を見やり……そして首を横に振ると、傍らに立つジェミニの手を握った。
「気持ちだけいただくよ。俺はジェミニの身体に戻る」
その言葉にジェミニは顔を伏せ、ジェミニンと繋いだ手に力を籠める。桃色の光球はジェミニンの決意の強さを感じ取ったのか、ゆっくりと上下すると、か細くつないでいた額の紐を切った。すると徐々にジェミニンの姿が薄れ、ジェミニの身体に重なりあった。新次郎たち星組は、その様子を無言で、しかし眼に焼き付けるように見入っていた。
ほどなくしてジェミニは伏せていた顔を上げると、紐育星組一同を見て言った。
「『お別れじゃない。元に戻るだけだ。またな』
そう、ジェミニンが言ってるよ」
ジェミニは肩を震わせ、両目いっぱいに涙を溜めながら明るく伝えた。
ジェミニンとつながっていた桃色の光球は、他の輝きに先駆けて幻都の空へ浮かび上がっていった。すると、他の光球たちもそれに続くようにして高度を上げていく。それは、さながらタンポポの綿毛が吹き上げる風に乗って空に舞い上がるような、別れと同時に何かが始まる予感を感じさせる光景だった。
「皆さんの愛を、一生忘れません。あなたたちにも私たちの愛が届きますように」
エリカは十字を切り、手を組んだ。
「本当にありがとう。みんながくれた愛を何倍にも大きくして、また返すね!」
ジェミニは目じりの涙をぬぐいながら、サムズアップした。
「またいつか、どこかの舞台でお会いしましょう!」
さくらは舞台の幕が降りるときのように、両手を振った。
一同もそれにあわせて、思い思いに手を振り、言葉をかけた。桃色の光球はそれに応えるように明滅したのち、四方に広がる聖樹の枝へと飛んでいった。球は輝きを増しながら聖樹の青々とした枝葉に触れると、花火のように周囲で爆ぜた。その光の粒が桜の花となり、聖樹の緑を塗り替えていく。瞬く間に聖樹は、巨大な桜にその身を転じた。
その花ひとつひとつが、北条一族の、大和領民の人としての魂だった。万を超える花には、大も小もなく、貴も賤もなく、ただただ美しく咲いていた。
幻想的な眺めに一同は感嘆の声を上げ、ひとつの戦いの終わりを噛み締めるのだった。
*
幻都を去るにあたり、皆は様々なことを話し合った。
まずは幻都について。
今や幻都は『降魔皇』が消滅したことで無用のものとなった。しかし聖樹『生命の樹』が召喚されたこの都市は、真逆の意味で封印が必要となった。降魔皇として存在していた膨大な妖力が転じた霊力は、やはり人の手に余る。聖樹の霊力を単純に吸い取ることなどはできないが、さりとて無防備に世に晒して良いものではなかった。そのため、華撃団脱出と大和の民の魂を解放した後、速やかに封印したうえで幻都は残すこととした。
この幻都封印を残すことには別の意図もあった。何者かが『降魔皇』を求めてここに辿り着いても、霊力が満ちているだけである。しかも聖樹はただ霊力の塊としてあるだけで、降り注ぐ以上の霊力を与えることはないのだ。把握しきれていない降魔ゆかりの残党勢力のあぶり出しや、邪な力を求める者へのトラップとして残そうというわけだ。
そして華撃団について。
すでに世には新しい枠組みで華撃団が活躍し、平和のために戦っている。そこに今はなき賢人機関を母体とする華撃団が戻ることは、落ち着きを取り戻しつつある華撃団のありようを再び問い直すことになり、落とし所の見えない混乱を巻き起こすだろう。
影響は都市防衛に留まらない。
昨年の幻庵事件に端を発する世界華撃団連盟の崩壊は世界の軍事バランスを狂わせ、一日も早い再構築が望まれていた。その乱れきった盤上に、突如国家レベルの経済力や技術力を持った華撃団が現れるとはどういうことか。それは秩序を取り戻そうとする人々を困惑させ、それを望まぬ者たちの付け入る隙を生むことは想像に難くなかった。それに加えて問題となるのは、慈力とそれを生み出した分岐世界の存在である。心無いものにその存在が知れれば、分岐世界に迷惑をかけるようなことがあるかもしれない。
こうした諸々の懸念を解決する道筋を見極めるうえでも、華撃団はしばらく身を隠すことが賢明と思われた。幸い、というのもおかしな表現だが、これから合流する華撃団司令部は、潜伏にかけては十年の実績がある。それにWLOFなき状況であれば、これまでと比べ物にならないほど自由に動くことも可能だろう。もちろん陰にあっても世界を守る使命を果たすことには変わりない。治に居て乱を忘れず。純粋な降魔はこの世界からいなくなったが、怪人や魔人、妖怪など、人間に仇なす存在が居る限り、彼女たちの戦いに終わりはないのだ。
*
こうして目先の方針を手際よく定めた一同は、あわただしく身支度を整えてヘーリオスに所狭しと乗り込んだ。あらかじめ段取りを済ませていた風組は、乗員が名残を惜しむ間もなく機体を発進させた。
ヘーリオスは聖樹の枝葉のすき間を抜け、黄土色の空を切り裂くように跳ぶ。往路同様に神具・宝具の霊力を引き出し、それに華撃団の霊力を上乗せして幻都の封印を解いたところで、聖樹に咲き誇っていた桜花がヘーリオスの軌跡をたどるようについてきた。大和に捕えられていた魂たちが、共に人の世へと戻ろうとしているのだ。瞬く間にヘーリオスは幻都の封印を抜けると、乗員の視界一杯に朱色の空が現れた。角度を下げると、進行方向から日の出が眩しい。そして背後には尾のように連なる桜花たち。そのすべてが幻都から逃れるのを待って、幻都に封印が施された。
幻都周辺を監視していたクラーケンの華撃団司令部の皆は、ヘーリオスの登場と幻都の封印を余さず捉えていた。手の空いている者たちは、我先にと艦橋へと集まる。ヘーリオスは飛行機雲のように桜花を空に残しながら、クラーケンの滑走路へと静かに降り立った。遅れて舞い散る桜吹雪は朝焼けのなかで風に身を任せるうちに強い上昇気流に巻き込まれ、遥か上空へと舞い上がった。その姿は、まるで天へと昇る桜色の龍のようであった。
米田たちが幻都に入ってから二十五日。外界ではわずか六時間。さくらたちはベースをつないで出来たクラーケンの滑走路に降り立ち、すでに姿を消した幻都があった辺りに目をやった。
そうして、一同は胸の奥底から湧き上がる感情を大歓声と共に爆発させながら、史上最大の『勝利のポーズ』を決めた。
「我は花咲く木とならん」
空を見上げながら、さくらが呟いた。
隣に立っていた大神は、その横顔を眩しそうに眺める。
「私たちも、私たちが幸せであると信じてもらえるだけの
芳しい花にならないと」
さくらは北条の一族、大和の領民と分岐世界にいる『サクラ大戦』のファンたち、そしてもちろん帝都のファンたちを思い浮かべながら、花もほころぶ笑顔を大神に向けた。