偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版 作:出口豊志朗
愛の名前 ~神崎すみれ・桐島カンナ~
大帝国劇場二階のテラスから眺める街並みはかつての 降魔大戦直前の姿を取り戻していた。まるで過去に遡ったような不思議な感覚だ。それでもしばらくすると、やや砂埃が混じる乾いた空気や帝都に似つかわしくない静けさに、改めてここが帝都を模した幻都なのだと思い知る。それに、自分にとっての大帝国劇場からの景色は、すでに新生花組と過ごす再建した建物にあることも実感した。
すみれは幻都に乗り込んだときの戦闘服姿から、着慣れた菫色の着物に装いを変えていた。十年の時を経て勇んで突入した封印の地は、しかしすでに幻都封印のため留まっていた帝国華撃団花組、巴里華撃団花組、そして紐育華撃団星組によって平定されていたのだった。しかも幻都と外界では時間の流れに違いがあり、まだ幻都では一年半ほどしか経過していないのだという。幻都郊外で再会した面々の若々しい姿に、すみれは心から安堵したものだ。封印の礎という無為な状況で、人生でもっとも輝く時間を奪われるなんてあまりにも惨い。そんなことを取り留めもなく考えていたすみれだが、人が近づく気配を感じて反射的に振り返る。
「アタイがお前の穴はきっちり埋める……そう言いたかったんだけどな」
苦笑まじりに穏やかな調子で声をかけてきたのは、赤いシャツの上から道着を纏ったカンナだった。ほとんど見上げるように顔を上げてカンナと視線を合わせたすみれは、直後に感じた首の痛みに哀しみを覚えた。かつてはそこが定位置だったはずの首の角度なのに その痛みが単純に歳を重ねたせいなのか、十年振りの動きに身体が驚いたせいなのか。いずれにしても以前なら当たり前のことが当たり前でないことが、すみれを堪らない気持ちにさせるのだ。
「なんだよ、呆けた顔をして。調子狂っちまうよ」
カンナは拗ねたように口を尖らせ、頭をかきながらぼやく。すみれは自分の感情を悟られていないことに胸をなでおろしつつ、笑みを浮かべて返した。
「懐かしい台詞ね。わたくしの引退公演前のことだったかしら」
「ああ。いつかビシッと言ってやろうと思ってたんだけど……結局、今回もお前を頼ることになっちまった」
「今度の舞台は歴史絵巻です。登場人物も多いし、重要どころも多い。三大歌劇団総出でも足りないほどですから、仕方ありませんわ」
すみれは言いながら、先ほどまで食堂でさくらとラチェットと話していたことを思い返す。
二都作戦として幻都で成すべきことを終えていた三大華撃団だったが、この地での成り行きから舞台の特別公演を行うことになったのだという。そしてさくらから、その舞台に立ってほしいと請われたのだった。しばらくはそれを撥ね除けていたすみれだったが、ラチェットの奥の手に根負けし、已む無く応じることにしたのだ。
「そう思ってるなら、もっと素直に受けてやればよかったのに。まあ再会からこっち、お前はずっと澄ましてたから、久しぶりに見たトゲに安心したけど」
「あ~らカンナさん、綺麗な薔薇には棘がつきものでしょう?」
「何言ってんだい。トゲはトゲでも、お前のトゲはサボテンだっての。もう忘れたのか?」
懐かしいカンナのからみに乗らず、すみれはベランダの手すりにもたれながら視線を虚空に漂わせた。じゃれ合うつもりが空振りに終わって不満顔のカンナは、所在なげにすみれの横に並ぶ。カンナの気配を間近に感じながら、すみれはため息をつくように呟いた。
「まあ、まじめな話、十年経ちましたから……わたくし達がもっと早くに手を打つことが出来たら 後悔ばかりですわ」
言わなくてもいいことを、と思いながら、すみれは顔をわずかに伏せた。
すみれにしてみれば、以前のようにつっかかることも、じゃれ合うことも、演じるまでもないことだ。だがすみれはその誘惑を断ち切った。どう取り繕ったところで、歳月を重ねたすみれ自身を隠し続けることはできない。なら、その隔たりを露わにするところから始めるしかない。
カンナからは返事もない。
彼女は何を見ているのだろう。あの頃から変わった髪型? あの頃と違う崩れのない襟元? それとも肩にかけた羽飾り? と、肩にカンナの手が乗せられるのがわかった。
「聞いたぜ。すみれが新しい帝国歌劇団を作り出したんだって。人も探して、金も集めて、政府のお偉方を説き伏せてってな」
「十年かかりましたわ。それに、偶然や新生花組みんなの成長に助けられてばかり。わたくしの力なんて知れています」
カンナの優しい声にすがりそうな気持ちを抑え、すみれは自嘲した。顔を上げると、テラスのガラス扉に自分の姿が映りこんでいるのが見えた。十年の年月を感じさせる容貌だ。老いたわけではないが、変わらない姿のカンナを見た後では、つられて当時の自分を思い出し、その差に驚いてしまう。その時、肩に置かれた手が離れたかと思うと、すみれの視線をさえぎるようにカンナが前に立ち、そのまま彼女を優しく抱きしめた。
「あたいには人を探す大変さなんて想像もつかねぇ。でもな、すみれはあやめさんと同じように新しい花組のメンバーを集めてきたんだろう? マリアやアイリスみたいな……心に傷を負った人に寄り添ってさ」
「わたくしは、彼女たちが羽ばたこうとした場面に運よく立ち会えただけ。本当の助けになったのは親友だったり肉親だったり……ひとりは向こうからやってきたようなものでしたし」
弱々しいすみれの言葉に構わず、カンナは続ける。
「金だ、政府だなんて、雲の上の話だ。それでもすみれはやってのけた。それって米田さんが地位と名声を利用して、しかも花小路伯爵の助けがあって成し遂げたことなんだろう?」
「これでもわたくしは神崎重工の重役です。ダグラススチュワート社の事件直後に作った政府や軍とのパイプもありましたから……WLOFの妨害で時間こそかかったけれど、手札は揃っていましたわ」
カンナはすみれの道のりを、彼女らしい拙くもストレートな言葉で讃えようとする。だというのにすみれは、駄々っ子のように反射的に否定していく。
「そんなに自分を悪く言うなよ。お前はしっかりやった。そして強い。幻庵の誘いを……あたいたちを助けるよう持ち掛けたのを、啖呵を切って断ったそうじゃねぇか」
「中尉も同じようにしたでしょう。いいえ、花組なら誰もがそうしたのではなくて? それにわたくしは花組を助けられるところまできながら、そうはしなかった」
「帝都の安全を優先したからだろ? それに……信じてくれたんだろう? あたいたちなら何とかするって」
「だとしても!」
すみれはカンナの腕を振りほどき、それまで抑えていた感情を露わにした。しかしすぐに冷静さを取り戻したように、口調を整える。
「……本当に、あの時のことをずっと後悔していました。中尉なら無理をおしてでも突き進み、思いもよらない形でみんなを勝利に導いてくれただろうって。でもわたくしには出来なかった……」
しかし落ち着いた口調とは裏腹に、嗚咽を堪えてすみれの肩は震えていた。そんな彼女の肩に、カンナは再び手を置いた。
「そうだな。隊長なら何でも挽回してくれると期待しちまう。でも、これは後から見てみればって話になるけどさ、あのときばかりはそうしてたら、犠牲者が出ていた。北斗七星の陣がなけりゃ、危なかったんだ。それぞれの場所でそれぞれの役目を果たすことが一番だった。そして、その決断ができたのは新しい花組を生んで育てたすみれの強さがあったからだと思うぜ」
カンナの心からの言葉に、すみれは流れる涙もそのままに顔を上げた。
再びカンナを見上げたが、もう首の痛みはなかった。
すみれは微笑みながら肩に置かれたカンナの手をずらし、ゆっくりと彼女の腰に手を回し、その胸のふくらみに顔を押し付ける。
「ありがとう、カンナさん」
「ふん、やっぱりすみれはサボテン女だよ。人の気持ちは素直に受け取れってんだ」
*
すみれの漏らす嗚咽、身体の震えが腕の中で治まるのを感じながら、カンナは人心地ついた。
幻都と帝都で十年の差があったところで、自分たちの絆や想いは変わらないと無邪気に信じていた。いや、絆や想いに変わりがなくても、互いが積み重ねた経験や日常の違いがその表現方法を変えてしまうのだろう。もし降魔大戦がなく、これまでの日常が続いていたとして 帝国歌劇団・華撃団を日常として生きるカンナと、実業界で生きるすみれの十年後には、やはり温度差のようなすれ違いが生まれていたかもしれない。ましてや、自分は戦いに明け暮れたわずかな時間の実感しかないというのに、すみれは長い年月と苦労を重ねてここに辿り着いたのだ。先ほどはあやめや米田の姿を鏡写しにすることで直感的にすみれの困難な道のりを想像したが、それすらも彼女にとってはほんの一部に過ぎないのだろう。それでも、とカンナは思い、言葉にした。
「なあ、すみれ。お前の十年にはとてもかなわないし、そもそも張り合おうとなんて思っちゃいないけどさ」
すみれは涙をぬぐいながら、カンナを見上げてきた。
「あたいが幻都封印後に眠りについてから目覚めたとき、外では十年経ってるって知って本当に心配したんだぜ。作戦を中断したときラチェットから救出には最低五年、敵の仕込み次第ではもっとかかるとは聞いてたけどよ、にしてもその倍だ。時間がかかるのは構わねぇ。でもすみれたちに何かあったらって、どうしても考えちまうんだよ いや、すみれはそういう想いをずっと抱えてたんだな」
「もう、この話はやめましょう。流石にらしくありませんでしたわ。それより座りませんこと?」
すみれは目元こそわずかに腫れていたが、吹っ切ったような笑顔をカンナに向けた。
「だな……そうだ、せっかくだし」
カンナはテラスから屋内へと戻り、吹き抜けになったホールを横切った。その先のサロンが目的地と思ったらしく立ち止まったすみれの手を引き、さらに奥へと進む。遊戯室の前で曲がり、左手の隊長室、かえでの私室を抜け、さらに曲がって左右に花組メンバーの私室が並ぶ通路の一番奥まで誘う。
「カンナさん、ここは……」
そうしてたどり着いた先で、カンナは戸惑うすみれに構わず正面の扉を開けた。
そこは、かつてすみれの部屋だった場所。彼女の引退と共に使われなくなった一室だった。立つ鳥跡を濁さずと、家財はもちろん壁紙まで剥がして彼女が居たという痕跡を徹底的に消し去ったあの部屋。
だがカンナが開いた扉の先には、天蓋付きのベッド、ボリュームのあるソファ、豪奢なカーテン、壁際とテーブルに飾られた花、そして植物文様が懐かしい壁紙に至るまで、すべてを再現していたのだった。
「どうだ、すみれ。流石に驚いたろ?」
半開きにした口元を隠すのも忘れているすみれを見て、カンナは満足げにうなずいた。
「幻都の大帝国劇場を直すついでに、みんなですみれの部屋を元に戻してみたんだよ」
「よくここまで……わたくしの目で見ても、違和感が感じられませんわ」
すみれの最大級の賛辞に、カンナは相好を崩す。と、二人の背後から声がした。
「あら、ふたりで来てたのね」
振り返ると、穏やかな笑みを浮かべたマリアが立っていた。手には分厚い紙束を抱えている。
「さっき米田総司令に渡した報告書を、複製して持ってきたの。置いておくわね」
マリアはそう言うと、扉の前で動かない二人に構わず中に入り、テーブルの上に報告書を置いた。
「この部屋、花組のみんなで家具を復元したのよ」
踵を返し周囲に視線を巡らせながら、マリアが言う。流れるような動きに口をはさむ暇もなく、彼女は二人の間を抜けて部屋を出た。すれ違いざまにいたずらっぽく笑みを浮かべて、
「それ以外は、全部カンナのお手製よ」
と言い残して去る。
「お、おい、マリア! これはみんなで っ!」
カンナは顔が火照るのを誤魔化そうと大声を張り上げるが、すでにマリアの姿はない。
「あらまあ、カンナさんったら、オッホホホホ」
久しぶりに見るすみれの高笑いに、恥ずかしさがいや増す。いつもなら開き直って憎まれ口のひとつでも叩くところだが、どうやら自分も調子が狂っているようだ。なんだか愉快な気分になって、カンナも一緒になって笑い始めた。
そのまま二人はベッドに腰を下ろすと、それまでのぎこちなさなどどこ吹く風で軽やかに囀りあった。話題は尽きることがなかった。そして、苦しく悲しい出来事も思うままに言葉にし、とは言え深刻にもならずまた別の話題を転がしていく。二人には 特別講演という大イベントが控えているものの 降魔大戦に始まる災禍を過去へと塗り替えているのだった。話疲れた二人はどちらからともなくベッドに横たわった。天蓋を見上げながら、すみれは次の公演に向けて気持ちを切り替える。
「さあ、明日から特訓ですわよ。真のトッ……プスタアというものを見せつけてさしあげますわ」
「その意気だ、と言いたいとこだが、今回の観客は目が肥えてるぜ。なんといっても帝都、巴里、紐育の公演を何度も何度も観てるんだからな」
「だったら今すぐ!」
寝そべるすみれの視線を感じたカンナは半身を起こして彼女の肩を抱き寄せる。そして遥か彼方を見上げるようにして、声を絞り出した。
「ああ、運命はなんて残酷なんだ。もう一度違う世界で君と会いたい……」
すみれは儚げな表情になり、今にも崩れ落ちそうに弱々しくその手を上げ、カンナの頬をなでる。
「ありがとう。その言葉だけでわたくしは充分。
……なみだ? もうずいぶん涙なんか流していなかった」
「約束しよう……僕は君のぬくもりを、その愛を忘れない!」
二人は互いの呼吸や視線を交わし、アカペラとは思えないほど息の合ったタイミングで声を重ねた。その歌声は開け放たれている窓から外へと響き渡り、建物にいるものたちの心を潤した。
二人の絆に愛という名を冠するならば、それは永遠に続くことだろう。
歌い踊る二人のなかで。
歌声を受け取る者のなかで。
そして語り継がれる記憶のなかで。
永久に咲き誇る 夢の中で。