偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版   作:出口豊志朗

3 / 23
第二章 二都作戦

    一

 

 わたくしを置いていくなんて……

 お願い……待って! 待って! わたくしを……

 

「ひとりにしないで!」

 

 叫びとともに、すみれは覚醒した。

 一瞬、自分の状況がわからなくなる。乱れた呼吸が落ち着くにつれ、夢だったのだと理解した。もう何度見たかもわからない悪夢だが、今日に限ってはあの日の細部までもが鮮やかに蘇り、気持ちを切り替えるのに時間がかかった。体を起こすが、汗にまみれた夜着がまとわりついて不愉快さがいや増す。

 少し落ち着こうとサイドテーブルに手を伸ばすが、いつもの感触がない。そこでようやくすみれは自分が自室ではなく、帝国ホテル最上階に宿泊していたことを思い出した。昨日は神崎重工株式会社の株主総会に出席していた。そのまま催された立食パーティーで経営幹部や関係各社の要人たちをもてなし、夜も更けたので用意された部屋で休んでいたのだった。動乱を治めた英雄として褒めそやされ祀り上げられているとはいえ、今なお大帝国劇場の懐事情は厳しい。財界との顔つなぎは劇場再開以来の最優先事項となっていた。

 部屋の暗さに慣れてきたすみれは、目当ての水差しに気づきテーブルへと重い身体を動かした。グラスへ水を移し、ゆっくりと喉を潤す。視界に入った時計の針は四時を指している。ほどなく夜明けだ。彼女はグラスを手に窓へ向かう。厚い布地のカーテンを少し開けると、街灯に浮かび上がる街並みが眼下に広がっていた。

 よくやってくれた、と思う。

 あのばらばらな状態から始まった新生花組が、これほどの短期間で花開き、舞台においても、平和の祭典においても、そして華撃団として魔を鎮めることにおいても見事にやり遂げたのだから。彼女たちと新しい隊長は、自分たちでそれを成し遂げるだけのチームを作り上げた。すみれができたことは環境づくりと人集めだけだった。それでも彼女たちの成長を見守ることは、幸せという一言で言い表せないほど充実した日々だった。

 その一方で、悔しい、と思う自分もいる。再び現れた幻都をただ封印しなおすしかなかった現実に。すみれに帝国歌劇団、帝国華撃団の後事を託した者の想いからは外れるだろうが、新花組の設立と成長はすみれにとって手段でもあったのだ。幻都に封じられた仲間たちを助けるための。その幻都の喉元まで至ったというのに、再び封印することしかできなかったことは痛恨の極みだった。もちろん、たとえどれだけ時間がかかろうとも必ずやり遂げる意思にかげりなどない。だが一刻も早く彼女たちを解放したいという気持ちが、すみれの心をいつも落ち着かせてはくれなかった。

「ひとりにしないで……なんて」

 それは神崎すみれにとって屈辱的であり、今なお後悔の念に苛まれる言葉だ。だが、いまの寂しさを表すのに、これほどふさわしい言葉はあるだろうか。

 かつて夜叉の正体を真宮寺さくらではないかと疑う新生花組のメンバーたちに、二都計画の話をしたときのことが頭によぎる。

『二都作戦に参加した華撃団の隊員は、『幻都』とともに封印されてしまったと……その……失礼ながら、どうしてすみれさんは、帝都に……?』

 その質問に、すみれはうまく答えることが出来なかった。実は二都作戦当時、すみれは帝国華撃団花組に一時的に復帰し、幻都にまでは赴いていたのだ。しかしあの瞬間、様々な思い出が去来し、話してもいいこと、話しようがないことを選り分けることが煩わしかったのだ。

『……あの時、わたくしの霊力はもう尽きかけていましたの。要するに、使い物にならなかった……そういうことですわね』

『無念でしたね……一緒に、行きたかったんじゃないですか?』

『……ごめんなさい。やめましょう、このお話は』

 自虐に浸りたくなる誘惑にかられつつ、はぐらかした。

 幻都突入から脱出までの数時間。その間にすみれは、体感では十数年に及ぶ時間を悪夢のなかで過ごしていたのだ。夢見の悪さから抜け出すのも億劫になり、すみれは窓際に据えられた椅子に深々と腰を掛け、あの日に想いを巡らせた。

 

    *

 

 降魔大戦では、万を超える降魔という圧倒的物量と、前後して相次ぎ起きた賢人機関要職者の病死や事故死による指揮命令系統の空白が重なり、初期の大被害を招いた。

各所で帝国陸・海軍は善戦したが、降魔相手ではその前進を遅らせることが精いっぱいだった。頼みの綱である帝国華撃団も少数精鋭ゆえ、討つべき首魁が定まらない状況では被害状況に応じた後手を取るほかない。普段なら逃げ腰と誹られる政府の緊急事態宣言と集団疎開という判断は、結果的には多くの民間人の命を救う結果となった。それでもこの時点で六千人以上の命が失われていた。これは降魔大戦を通じた犠牲者の九割にのぼり、いかに初期段階の混乱が大きかったかを物語っている。

帝国華撃団司令大神一郎は早々に巴里・紐育華撃団へ協力を打診、元風組メンバーも招集した。そして自らが隊を率いるため、引退していた米田一基をも臨時司令として招聘する。それに呼応するように巴里・紐育華撃団は部隊の投入を決定、巴里からはリボルバーカノンで花組が、紐育からはエイハブを旗艦に司令部ごと星組が帝都に集まった。その時点で帝都都心の民間人避難は済んでいたため、到着直後から各華撃団は持てる火力を惜しみなく使って来襲した降魔の大半を沈黙させた。それは降魔大戦緒戦の終わりとなったが、ほどなく中盤戦が始まった。東京湾上空に突如として謎の物体が現れたのだ。一万のさらなる降魔とともに。

 

    *

 

 大帝国劇場地下作戦指令室には、各国華撃団メンバーがひしめいていた。

 上座には藤枝かえで副指令、大神総隊長が座し、背後のスクリーンには現地の巴里華撃団総司令グラン・マと巴里凱旋門支部長迫水典範を、そして大帝国劇場上空に控えたエイハブ艦橋の紐育華撃団総司令マイケル・サニーサイドを映し出している。この場を預かるはずの米田臨時司令が不在だったが、かえではかまわず声をあげた。

「それではお揃いのようですので、まず状況報告から始めます」

 それを合図に中心にある巨大スクリーンが、帝都を中心とした立体的な地図を映し出した。

「六年前の黒之巣会事件で浮上、消失した聖魔城の海域上空十キロメートルの位置に突如として現れた直径およそ二キロメートルの黒い球体は、毎時一〇〇メートルの速度で帝都の千代田方面に迫っていることがわかりました」

『千代田……宮城、いや江戸城跡を目指しているのか?』

 サニーサイドの呟きに、帝都花組の表情がこわばる。

「黒い球体の周囲にはおよそ一万体の降魔がおり、球体とともに移動しています」

『回りくどい話はやめよう。出現した場所、向かっている方向、大量の降魔。状況証拠しかないが、もう降魔皇が出現したってことで話を進めないかい?』

 サニーサイドの言葉に、会議室にいた星組戦闘服姿のラチェット・アルタイルが呆れ顔でため息をついた。ラチェットは伯林華撃団設立準備のため紐育を後にしていたが、神崎重工との霊子甲冑に関する打ち合わせのために来日していたのだ。彼女がまとう戦闘服は、エイハブに残されていたストックだった。

「あの球体に送り込んだうち特製の隠密偵察機『ドロドローン』からの映像やと、六年前に東京湾に出現した聖魔城そっくりの岩城があったのは事実です」

 会議室の隅にいた紅蘭の補足に、サニーは肩をすくめて溜息をついた。

『ところで帝都上陸までの時間は?』

 グラン・マはいつもの気だるそうな調子で尋ねた。

「あと一八〇時間――七日と半日後、というところです」

『こうなれば以前から提唱されていた二都作戦を実行に移しかなさそうだけど、準備のほうは大丈夫なのかい?』

 重ねて問うグラン・マに、かえでは淀みなく答える。

「協力者による清めの済んだ二剣二刀も届きました。ただ……」

『どうかしたかい?』

「いえ、何でもありません。これで一つを除いて、すべて所定の場所に配備済みです。それも間もなく……」

 そこで、司令室の扉が蒸気音を響かせながら開いた。現れたのは、利休鼠に染め上げた着物を身にまとった米田一基だった。

「みんな、待たせたな」

 軍を離れて久しい米田だが、その在りようだけで場にゆとりが生まれる。それを知ってか知らずか、米田はゆっくりと大神の元へ歩み寄った。

「帝鍵、確かに預かってきた。今は別室に置いている。天宮家にとって大切な品だから……くれぐれも大事に使ってくれ」

 米田の声がわずかに震える。

「米田臨時司令……」

 胸の内に何を抱えているのかわからぬまま、大神はうなずく。

「臨時司令とは、また大げさな肩書がついたもんだ」

 米田は笑いながら、かえでに目配せする。

「これですべての準備が整いました。状況報告は以上としまして、本作戦の概要説明に移ります」

 作戦には大きく二つの流れがあった。

 ひとつは神器である帝鍵の力で幻都を召喚して聖魔城を包み込み、さらに北斗七星の陣の発動をもって幻都自体をこの世界から切り離し封印を行うこと。

 もうひとつは、幻都に聖樹『生命の樹』を召喚し、周囲の霊力を吸収し続ける特性をもって幻都内の降魔の妖力(霊力とほぼ同義)を吸収させ続け、弱体化、可能なら消滅させること。

 この二段構えの作戦により『この世から降魔を消し去る』、もしくは『封印が解かれることがあっても弱体化させて対応を容易にする』ことがねらいであった。

 作戦の詳細は前に文書で巴里、紐育華撃団にも送信済みで、この作戦に必要な合同訓練も幾度となく実施されていた。

「以上が本作戦の概要となります」

 かえでの淀みない説明が終わり、指令室が静寂で包まれる。それぞれが全体の作戦進行を思い浮かべながら、自身の役割を再確認していた。沈黙を破ったのはグラン・マだった。

『幻都に敵を封じ、その中に生命の樹を立て、降魔の力を奪いきる――それが二都作戦の骨子ということだね。ジャンヌ・ダルク事件の直後にこの作戦書が届いたときも驚いたが、まさか本当に実行する日が来るとはね』

 かえでの視線が、加山に発言を促す。

「あの事件の後、月組の捜索で首謀者のひとりであるジル・ド・レイの隠れ家が見つかりました。そこで発見されたのが『絶界の書』という古文書です。神秘主義思想カバラには創造の書、光明の書、光輝の書という三つの聖典があるのですが、この『絶界の書』はそれに連なるほどの書物である一方、存在自体把握されていないことがわかりました。この書物には二剣二刀の儀を思わせる破邪の技や魔神器に似た道具の製造方法や使い方まで記されています。解析チームはこの書物から二剣二刀の儀以外にも六破星降魔陣や八鬼門封魔陣など正邪問わず類似した記載があることを確認し、日本に伝わる秘儀のいくつかの原型は『絶界の書』からきているものと推測しています」

 加山の説明に大神がうなずき、後を引き継ぐ。

「それらの秘儀は来たるべき降魔皇との決戦に有効であるとの結論を出し、取り急ぎ作成したのがお送りした作戦書でした。我々としては、この作戦が日の目を見ることは本意ではありません。ですが、これまでの合同訓練内にも組み込んでいたこともあって、事前調整なしで今日を迎えることができたことは不幸中の幸いです」

『それにしても、まさに作戦の〝鍵〟である帝鍵が手に入ってよかったよ』

 サニーサイドの何気ないひと言に、米田が微かに反応する。

「『絶界』という言葉が天宮家につながり、早々にあたりはついていたのですが……」

 大神は言い淀み、米田を見る。

「天宮家に自分が伺ったところ、『誰かの犠牲ありきでなければ生み出せない平和など、意味はない』とすげなく断られました。その後も何度か通い、『絶界の書』の秘儀を用いることで過去に行った二剣二刀の儀のような危険な作戦にはならないことも説明したのですが、結局お借りすることはできませんでした。自分のような若輩者ではと思い、米田臨時司令に直接交渉いただくことになったのです」

「まぁ、実際に始まっちまった降魔大戦の惨状に翻意してくれたんだろう。なんとかお借りすることができたよ」

 このために数日前から天宮家に詰めていた米田は、隠せぬ疲れを滲み出しながら捕捉した。

『米田臨時司令のお疲れのところ申し訳ないが、聖樹『生命の樹』について、改めてその仕組みと発動プロセスを確認させてもらえるだろうか。実際のところ二都作戦は帝鍵による幻都召喚と封印プロセスだけでも実現できれば、降魔皇の脅威を百年単位で先送りできると聞いている。それを、危険を圧してまで行うだけの効果が期待できるのか、判断材料が欲しい』

 迫水凱旋門支部長からの申し出だった。かえでは米田がうなずくのを確認し、手元の操作盤を軽やかに操作する。

「迫水支部長の懸念もごもっともです。最新の実験結果と併せて説明します」

 かえでの言葉にあわせて、作戦室中空に図形が映し出された。

 先ずは上下が突き出た正六角形。各頂点に①から⑥の番号と文字が書かれた丸が順に表示される。次いで下の三点を下方にずらした位置にも頂点と⑦から⑨の表示、最後に、再下方にあった点のさらに下に⑩が浮かび上がる。

「聖樹『生命の樹』は神が世界を創る過程を図式化されたものと言われています。この十ある点はセフィロトと呼ばれ、創造の基本原理を現しています。加山隊長から報告のあった『絶界の書』には、この十のセフィロトに強大な霊力を持つ神器を配し、さらに霊力を流し込むことで聖樹を召喚することができるとされています」

 かえでの説明に合わせて十の点に緑の光がゆっくりと灯り、それぞれの点をつなぐ二十二の線が明滅する。

「このセフィロトに霊力を流し込むと神器から霊力が芽吹き、若木へと生長していきます。そうして十のセフィロトから育った木が大樹になると、図形全体を包むような聖樹が現れて清浄な霊力を周囲に放ち、周囲一帯を聖域に変じるとされています」

 映像も同様に、セフィロトから芽が現れ、生長して若木、大樹へと姿を変えていく。そうして十の大樹が重なり合い境界があいまいになったところで強く発光し、後には豊かに葉を茂らせた樹が姿を現した。

「それだけの力を持つ聖樹ともなれば、膨大な霊力が必要だろう。聖樹に至るまでにどれほどの霊力を要し、また聖樹となって以降は何によって維持されるのか、教えてもらえるかな」

「後先ですが、聖樹となって以降は自身が放つ霊力と、それを受け取るもの……人や動植物からのわずかにもれる生命力で維持できる、と文献にあります。実質的には聖樹自身の霊力が循環しているようなものです」

 かえではここで言葉を止め、周囲に目を走らせた。

「そして聖樹までに必要な霊力量は不明ながら、相当な量が必要と思われます。文献によれば、とある王国で聖樹召喚を試みた際に霊力がまかないきれなくなった結果、それぞれのセフィロトの若木が周囲の霊力を吸収し始め、三十万平方米の土地から霊力が枯渇し砂漠と化したとあります。この砂漠には〝永遠に生命が存在し得ない場所〟という名前がつけられました」

『つまり聖樹発動までには莫大な霊力が必要なうえ、一度召喚を始めれば止めることも出来ない、と。一方で、これを幻都に召喚すれば降魔皇を害するに充分な霊力が生み出されるわけだ』

 かえでは話しながら、再び操作卓に手をやった。中空の大樹が姿を消し、代わりに古めかしい銅鏡を手にしたカンナと、正眼で日本刀を構えた大神が映し出された。

「実験の映像です。銅鏡は後ほど説明しますが、沖津鏡という神器です。ここに二剣二刀の儀でも使用した神刀滅却から霊力を流し込むことで、芽を召喚させることに成功しました。映像は十倍速で流します」

 映像の日本刀が微かに震えると、細い糸のような光が銅鏡に流れ込んだ。銅鏡がゆっくりと光を帯びると、ある瞬間に淡く輝く透き通った芽が出現した。その場から大神が離れて日本刀が持ち去られると、芽は輝きを失い虚空に消えた。迫水は映像越しに拍手を寄こした。

『素晴らしい。沖津鏡ということは、十種神宝(とくさのかんだから)だね。まさか実在したとは』

「さすが迫水支部長。ご存じない方のほうが多いと思いますので捕捉しますと、日本には建国の神が天降りする際に十種類の宝物がもたらされた、という言い伝えがあります。それは十種神宝と呼ばれており、永らく伝説として扱われていました。映像の銅鏡はそのひとつ、沖津鏡です」

 巴里、紐育の面々が、感嘆の声をもらす。かえでの目配せで、加山が言葉を繋ぐ。

「魔神器による災厄を経験して以降、帝国華撃団月組には世界各地にある霊力をもつ遺物捜索の任が加わりました。この十種神宝は、そのなかで発見したものです」

 加山が言い終わると、かえでが説明を続けた。

「この十種神宝をセフィロトから芽吹かせるための種にします。また、十種神宝から霊力を呼び起こすための呼び水として、二剣二刀を用います。

ただ十種神宝の励起には相性のよい霊能力者が必要なのですが、帝都花組のメンバーだけでは四つまでしか見つけられませんでした。後程、別室で巴里花組、紐育星組メンバーとの相性を確認し、最終的な分担を決めたいと思います」

『藤枝副指令、ありがとう。もう一つだけ確認したい。作戦書に後から追加された『吸い取るくん』についてだ』

「それはウチから説明しますね」

 再び会議室奥の紅蘭が声を上げた。かえでは苦笑すると、紅蘭を手招きし、やってきた紅蘭に操作盤前を明け渡す。

「セフィロトの若木が生長するのに必要な霊力量だけは、実験では特定でけへんかったんです」

 まじめな話ではあるが、関西弁のイントネーションのおかげで室内の空気が和らいだ。

「それやと二剣二刀の霊力が切れておしまい、という可能性もあるので、周囲の妖力を吸い込んで流し込む装置を作ったんがこれ、『吸い取るくん』やぁ!」

 紅蘭の掛け声とともに、中空に巻貝を二つ重ねたような白い装置が投影された。それを見ていた者の耳には、調子はずれなファンファーレの幻聴が聞こえた。

「生命の樹の仕組みから閃いた『吸い取るくん』は、直径百メートルほどの範囲内にある妖力を吸い込んで、狙った場所に吐き出すものです。

あ? 範囲せまっ、て思いましたね?

確かに単体ではそうですが、実は二剣二刀の霊力を踏み台にすることで範囲を、なんと、直径二キロまで広げることに成功しました! これが四つあるということは、直径十キロある幻都の面積のうち七分の一をカバーすることになります」

 ここまでを一息で話しきる紅蘭の勢いに、周囲はあっけにとられる。

「ポイントは、妖力を吸い込む、というところです。

そもそも霊力と妖力は同じものやから差はないんやけど、妖力に混じっとる負の気配みたいなものを検知することで、妖力だけを吸うことに成功しました。これで、うちら人間が近くにおっても巻き添えはくわへんっちゅうことになります!」

 作戦指令室の隅で、アイリスがコクリコに耳打ちした。

「最初はあの機能がなかったから、周りにいた花組のみんなが気持ち悪くなって大変だったんだよ」

 その様子を思い浮かべて、コクリコが笑いを押し殺す。隣にいたすみれは、当時を思い出して頭が痛くなった。たまたま実験に居合わせたすみれは、他の隊員と比べて極端に霊力量が落ちていたため不覚にも失神してしまったのだ。

「さ・ら・に!」

紅蘭は一瞬顔を伏せて眼鏡の位置を直すと、操作盤を勢いよく叩いた。すると『吸い取るくん』の存在感が急速に薄れ、やがて姿が見えなくなった。

「こんな目立つもん置いてたら、狙い撃ちにされてしまうやろ? だから、こうやって周りから見えにくくなる機能を付けました。

人間やったら視覚、光の反射でモノを識別するし、他にも温度、音の反射みたいな方法で生物はモノを見つけるんやけど、この機能はそうした色んなものの反射の方向をめちゃくちゃにすることで、どんな検知方法もかく乱するんです」

「あとで見つけられなくなって大騒ぎになったんだから」

 重ねてのアイリスのひそひそ話に、こらえきれずコクリコが噴き出す。が、周りは紅蘭のテンションの高さに振り回されて気にもしていない。

「この機能は他にも使えるっちゅうこうとで、別に作り直して『見えへん弐号』として用意させてもらいました。これで二剣二刀も十種神宝もみ~んな見えへんねん!」

 謎のポーズの後、咳ばらいをしながら紅蘭は締めた。

「これで不足する霊力を補う手立てと、配置した神器を敵の目から隠す手立て、その両方が揃ったことになります」

 どこで紅蘭を止めようかと気を揉んでいたかえでだったが、最後にきちんと話がまとまったことに安堵した。

「ありがとう、紅蘭。ということで、いかがでしょう、迫水支部長」

『あ、ああ、良くわかったよ。紅蘭君もありがとう』

 さしもの鉄壁の迫水も動揺を隠せなかったようだ。しかしこれまでの説明で、作戦内容を文字だけで確認していた面々にも腑に落ちたようだった。かえでは他に発言がないことを見て取り、切り出した。

「では以上で全体での概要説明を終了します。

 帝都花組、巴里花組、紐育星組の隊長及び隊員は別室に移動のうえ、十種神宝と霊力の相性調査、その結果を待つ間に部隊別の打ち合わせを行います。司令官の皆さん、アルタイル女史及び月組加山隊長は、引き続きこの作戦室にて詳細の確認に移ります」

 かえでの言葉に従い、各々持ち場へ移動する。と、すみれは憔悴した米田を見咎めて声をかけた。

「米田さん、顔色が悪いですわよ。少し休まれたほうが……」

「ありがとよ。次の会議が終わったら休ませてもらうよ。そっちも準備で大変だろうが、がんばってくれ。誰一人、欠けることなく戻れるようにな」

「あら、今までの作戦のなかでは一番の出来でしょう? いつもの行き当たりばったり、命を捧げないと動かない魔神器や、儀式を気合で乗り切る、がないんですもの。どうとでもなりますわよ」

「……ちげぇねぇ」

 作り笑いだが、米田はようやく笑みをみせた。すみれは米田の背中を軽くさすり、自身の会議へと向かった。

 

    二

 

 回想を中断し、すみれは額に手を当てた。天宮鉄幹が帝鍵を手渡すことを拒否し続けた理由が、今ならわかる。まさか帝鍵、すなわち帝剣である天宮國定が、天宮家血族の命を代償に生み出されるものだとは考えもしなかった。米田は帝鍵の受け渡しにあたり、その背景に気づいたのだろう。米田に対して無神経な言葉をかけたことを、すみれは改めて悔いた。顔を合わせての会話は、あれが最後だったのだ。

 

 あの日、ひと通りの作戦確認が終わったところで事態が急転した。それまで緩やかな速度で動いていた聖魔城が急激に速度を増し、猶予時間が大幅に短くなったのだ。結局別室での作戦会議からそのまま出撃することになり、最終打ち合わせは霊子甲冑の通信で行ったほどだ。とはいえ必要な物資装備、陣容は整えられていたので、作戦自体はスムーズに進行していった。

 帝国華撃団花組、巴里華撃団花組、紐育華撃団星組は霊子甲冑に乗り込み、帝都上空を飛ぶエイハブ改の艦橋で円陣を組んでいた。光武、光武Fにはあらかじめ飛行ブースターが据え付けられている。少し離れたところではラチェットが最新鋭の人型蒸気に搭乗して控えている。

所定の地点を聖魔城が通過したタイミングで、さくらの光武から強大な霊力があふれ出した。光武のなかで帝鍵を発動させたのだ。それを合図に華撃団メンバーも霊力を高め、さくらに流し込む。

 遅れて、帝都の四方八方から豊かな霊力の波がエイハブ改と華撃団メンバーに覆いかぶさった。関東一円を魔法陣に見立てて配置された、夢組を始めとする世界中からかき集めた五千人の霊能力者のバックアップだった。帝鍵による幻都召喚には莫大な霊力が必要と言われていたが、それを術者だけに負担させないための苦肉の策だった。この日に備えて綿密に陣の設計、必要な宝具の準備を行っていたことも幸いしたのか、誰一人欠けることなく事は進行していった。

 さくらから発せられた光が聖魔城上空に直径十キロに渡る巨大な鏡を作り出し、下方の帝都を隅々まで映し出した。鏡がすこしずつ傾いていく。そうして中心に聖魔城の像が重なった瞬間、鏡は聖魔城まで移動し、外縁から上下に壁がせり出した。それは球体を形づくり、聖魔城を包み込んでいった。

「よし、幻都召喚は成った! 総員、出撃っ!」

 大神の号令に一同が思い思いの返事をし、霊子甲冑が次々にエイハブ改から飛び立った。敵陣突入のシリアスな場面ではあったが、面白かったのは加山の幻都への移動だ。加山には紐育星組から贈られた、コイミサイルを改良した飛翔体が割り当てられていた。しかし、それは目的地に射出されたら止まることはない片道切符だったのだ。幻都のさらに上空で機体を捨て、落下傘で上陸する、という無謀極まりない移動手段だ。しかも機体は降下数秒後に自動制御で近海へ落ちる設定になっている。霊子甲冑部隊に先駆けて出発した加山が落下傘でふらふらと降りていく姿を見ながら、突入部隊全員が笑い声をあげた。

 すみれ自身は霊力に不安があったものの、その時点では課せられた役割を果たすだけの霊力は残っていた。すみれは飛行ユニットの推力を上昇気流に合わせて誰よりも高度を上げたあと、今しも閉じようとする幻都の壁面を直滑降で飛び込んだ。先ほどまで遥か上空から見下ろしていた帝都が、突然距離を縮めたような錯覚を覚える。それほどまでに内部に再現された幻都は、帝都と瓜二つであった。

 降魔の襲撃により崩れた建物、焼け果てた下町の一角、不規則に並ぶクレーター。その傷跡に悲しみと怒りが沸き上がる。そして幻都の中心、旧江戸城跡に見えるのは、いまだ中を見通せない黒い球体の上半分であった。そこから霞のように妖力が広がり、生まれたばかりの幻都を早くも汚染し始めている。

『すみれさん、そろそろポイントに!』

 さくらからの通信で我に返る。いつの間にか地上の映像に重ねられた目標ポイントと、そこまでの軌跡が激しく明滅していた。

「わかってますわ! さくらさん、しっかり付いてきなさい!」

 すみれは一瞬の自失を悟られぬよう声を上げ、光武を即座に理想のルートに戻した。目標は幻都芝公園の北端。この速度ならものの数分で到着するだろう。

『すみれくん、ひと足先にセフィロトで準備を進めてくれ!』

 大神の指示に、すみれの身体が高揚で熱くなる。霊力の枯渇を理由に、去るならば咲き誇る花のうちにと帝国歌劇団からの引退、帝国華撃団からの除隊を自分で決めたが、気力までが衰えたわけではない。

その後は一歩引いて神崎財閥の舵取りや後進の育成など忙しくも充実した日々を送っていたが、最前線に対する渇望は日増しに膨らんでいた。だから、今回の抜擢は素直に嬉しかった。

『さくらくん、護衛は君だけになるが頼んだぞ!』

 続く大神の言葉は、すみれの胸に小さな痛みを与えた。

 今回の作戦にあたり、すみれと相性の良い十種神宝は辺津鏡だった。その神宝を種とするセフィロトは、生命の樹の最下部にある『マルクト』だ。しかしそこは他のセフィロトから大きく離れており、単独で行動するには危険度が高かった。ましてや霊力が枯渇寸前のすみれは、光武を操作できても戦闘は難しい状態だ。そのため苦肉の策として、さくらを護衛につけることにしたのだ。

 さくらは作戦最終段階の北斗七星の陣発動まで役割がなく、また陣の発動自体は北斗七星の陣となる七つの星檀から多少離れていても可能なことから、自由がきいた。戦闘能力も申し分なく、さくら本人も二つ返事で引き受けた。べつに自分に護衛がつくことが不満というわけではない。ただ二都作戦で最も 重要な役割を担うさくらを、その役目に集中させられないことに不甲斐なさを感じたのだ。

『すみれさん、精一杯護衛します。だから、マルクトの発芽、よろしくお願いします』

 そんなすみれの胸中の淀みを、さくらの明るく純粋な声音が清め払った。

「辺津鏡も霊力の底が見えた人間を選ばなくても……いえ、そうであっても選ばれてしまうわたくしは、やはり生まれながらのトップスタァ!」

すみれは自らを鼓舞するように、高笑いをあげる。それにつられて、さくらも笑う。

『不謹慎ですけど、わたし、すみれさんとこうして一緒にいられることが嬉しいです。

こんな大掛かりで危険な作戦に、すみれさんを巻き込んでいいのかってみんなで悩みました。でも華撃団の誰もが辺津鏡を操れなかったのに、すみれさんだけが成功したと聞いて思ったんです。この作戦は、すみれさんがいた花組でないとダメなんだって』

「さくらさん……」

 そこで、操縦席内に警告音が短く響いた。目標地点を捕らえ、減速フェーズに入ったのだ。すみれは光武の操縦に集中し、目印である老木の真横に着地させた。その地響きに耐えきれず、老木はゆっくりと倒れるが、隣に設えた真新しい祠は紙垂を揺らしただけで微動だにしない。周囲には葉を落とした木々が重なって視界が悪いが、妖力センサーは降魔の存在を感知しなかった。

 ここからは時間との勝負だった。

 すみれは手早く通信用のヘッドセットを耳元に装着しながら光武のハッチを開けると、バックパックを片手に幻都の地に降り立った。操縦席に収まらず光武の背中に据え付けていた薙刀を手に取り、祠まで駆ける。次いでバックパックから辺津鏡と、光武ごと擬態するための『見えへん弐号』のパーツを手際よく取り出すと、一辺十メートル四方の正方形になるように配置した。改めて祠に駆け寄って辺津鏡を中に収め、腰を下ろして座禅を組み一息をついた。離れた場所で哨戒にあたるさくらの光武に視線をやると、さくらも視線に気づいたようで、剣を手にした右手を頭上に突きあげる。

 すみれはうなずくと、ポケットに忍ばせた『見えへん弐号』の起動スイッチを押した。それと共に蜂の羽音のような音が数回響いたかと思うと、周囲の『見えへん弐号』のパーツから微量の粒子が流れ出し、半透明の四角錐を形作った。

『すみれさん、ばっちりです。光武ごと、姿が見えなくなりました』

「大神隊長、マルクトの準備は終わりましたわ。二剣二刀と『吸い取るくん』からの霊力が届くまでのあいだに辺津鏡を目覚めさせます」

 すみれの報告からわずかに遅れ、大神から通信が入った。

『……こちらの方は予定通り九つのセフィロトを巡回しながら配置を進めている。幸いなことに下級降魔数体との遭遇戦程度で済んでいるから、想定よりもスムーズに進んでいるよ。とはいえ時間はあるから、すみれくん、あせらずにゆっくりと進めてくれ』

「わかりましたわ。皆さんも、お気をつけて」

 すみれはそう言うと祠の扉の網目越しに辺津鏡を目に焼き付けた後、ゆっくりと目を閉じた。体の内で気ままにめぐる霊力を捉え、ひとつの循環になるように落ち着いて誘導していく。その流れのなかに辺津鏡をからませ、徐々になじませる。それを幾度も幾度も繰り返し、辺津鏡と身体の境目をなくすまで霊力を導くのだ。

 すみれの五感は徐々に機能を落とし、意識が外界から遮断される。すみれが感じるのは霊力の巡りのみとなり、時の流れさえ彼女を置き去りにしていくかのようだった。やがて霊力の一部が辺津鏡に留まったかと思うと、それを吸収し始めた。鏡に宿った霊威が、目覚めるのに必要な力を欲し始めたのだ。急速にすみれの霊力が濃度を薄めていく。鏡の欲するままに霊力を与えることで貧血のような目眩を感じ、すみれは忘我の状態から目覚めた。

先ほどまでの夢見心地から急転、四肢の感覚が戻るとともに極度の疲労感が全身を苛む。思わず目を開くと、手元の辺津鏡がわずかに輝いていた。それは神宝が起動した証だった。安堵感がすみれの胸中に広がる。

「マルクト、すみれです。辺津鏡が目覚めました。あとは二剣二刀からの霊力を待つのみです」

 すみれの報告に、隊員たちの歓喜の声が返ってくる。

『すみれくん、よくやった。こちらは各セフィロトへの隊員の配置が完了し、北斗七星の陣・星檀メンバーが所定位置の目前だ。俺とラチェット、加山、新次郎もそれぞれ二剣二刀の設置場所に向かっている。いろいろ準備したが、結局のところ神宝の覚醒はすみれくんが一番乗りだったな。流石だ』

 大神の賛辞は嬉しいが、他のメンバーは神宝の起動後、その霊力を依り代にして自分自身の幻体を生み出す、という工程がある。幻体とは、呼び出した人間を模した人形のようなものだ。単純な命令を与えてやれば自己判断でそれを達成するために動く。例えば神宝を破壊しようとするものを倒せと命じれば、元の人間の戦闘能力を駆使して動き続けるのだ。しかも敵の攻撃により霊力が四散しても、再び周囲の霊力をかき集めて復活するという強力な再生能力も持っている。幻体には衣服や武器も再現範囲に含まれるため、銃をあつかうマリアの幻体であれば弾切れを気にしないでよいというメリットもある。この術の確立も、本作戦では重要な位置を占めていた。なにしろ各隊員が神宝を起動させた後、それが樹木に育つまでの護衛を任せることが出来るからだ。ただでさえ不特定要素が多い幻都のなかなのだ。隊員を単独で行動させる時間は短いに越したことはない。だが、霊力が枯渇しているすみれや、霊力が尽きてしまったラチェットには、その幻体を生みだすことができなかった。幻体には自分自身の記憶や技術を凝縮した魂のようなものを練り上げなければならないが、そこで必要な霊力の絶対量に足りないのだ。さくらの護衛は、すみれの幻体の代わりというわけだ。とはいえ、まずは任務の第一段階をクリアしたことに、すみれは満足したのだった。

 が、不意の悪寒にすみれの全身が強張った。直後、少し前方に何かが落ちたような衝撃、そして舞い上がった砂埃が周囲を覆い隠した。続いて背筋が凍るような妖力が辺りに漂い始める。

「何者!」

 さくらは誰何しながら抜刀する。

『さくらくん、どうした!』

『わかりません。おそらく敵襲です』

 さくらは構えを整える動きを強調しながら、妖力の源とすみれの間に割って入った。やがて砂埃から人影が姿を現した。白い装束に青の袈裟を羽織った男だ。その皮膚は白く、しかし人肌のような瑞々しさがない。顔だけ見れば美男の石膏像のようだ。しかしやや釣り上がった両目には瞳がない異形。漏れ出す妖力は、明らかに上級降魔のものであった。

「我は幻庵。聖魔城の転移と周囲の結界は貴様らの仕業か?」

 幻庵と名乗る降魔は、値踏みをするようにさくらの搭乗する光武をねめつける。どうやら期待通り、幻庵は幻都を帝都と勘違いしているようだ。実際は幻都が模した帝都を聖魔城にぶつけたわけだが、あちらからすると聖魔城が目標地点に引き寄せられたと感じたようだ。

「私は真宮寺さくら。あなた達の目的は何ですか?」

 さくらは名乗りを上げつつ、幻庵に問いかける。

「知れたこと。降魔皇様を真の目醒めにお導きする。そうして人間を滅ぼし、この世を降魔のものとする。それだけだ」

(上級降魔が現れましたわ。さくらさんと問答しています)

 すみれは小声で通信機を通じて皆に伝える。さくらと幻庵の会話自体は共有されているが、状況の捕捉が必要と判断した。『見えへん弐号』が機能通りの動きをしているならすみれの存在には気づかれていないはずだが、音はどうだったか。幸い、幻庵の意識はさくらに集中しているようだった。

「六年前の戦いを、また繰り返すのですか」

 さくらは、黒之巣会が引き起こした聖魔城の復活を口にした。すると幻庵は肩を揺らして笑った。

「あれは叉丹とやらが勝手に始めて自滅しただけのこと。下級降魔が巻き込まれ霊子砲まで壊されて、いい迷惑だったわ。我が崇めるのは降魔皇様のみ。その降魔皇様が望んでおられるのだ。降魔の繁栄を。人間の滅びを」

「降魔皇とは何者なの?」

「ふん、何も知らんのだな。降魔皇様は、大和の地を呼び起こし、我々に魔の力を授けてくださったお方よ……さて、そちらの時間稼ぎに付き合うつもりはない。お前たちは何をした? そして、何をしようとしている? この辺りに妙な霊気が生まれつつあることはわかっておるのだぞ」

「私たちの目的は、帝都を守ること。あなた達が人間を滅ぼそうというのなら、戦うのみです」

 もはや情報を引き出せないと判断したのか、さくらは刀に霊力を込め始めた。

「まあ何を企もうと、死ねば同じよ。出でよ、黒塵戟!」

 幻庵は自身の周囲に黒い球を呼び出し、さくら機へと投げつける。さくらは背後のすみれに当たりそうなものだけを刀で払い、幻庵との距離を詰める。幻庵は手にした刀で、それに応じる。数合渡り合った後、再び距離を取って様子を伺いあう。

『大神さん、こちらは大丈夫です。作戦を進めてください』

『わかった。こちらは二剣二刀の奉納と『吸い取るくん』の起動に成功した。周囲の降魔が動きを止めていることも確認できている。間もなく各地のセフィロトに霊力が届くはずだ』

 と、そこで複数名の悲鳴と怒号が通信に割り込み、マリアが状況を説明した。

『大神隊長、星檀エリアにも上級降魔が二体現れ、襲い掛かってきました。星檀のメンバーで応戦中です』

『すみれくんを除くセフィロトのメンバーは、神宝の覚醒を確認したのち幻体を残して星檀メンバーに合流。新次郎もそこへ向かって星檀メンバーから上級降魔を引きはがしてくれ』

『了解です!』

 新次郎が即応する。

『ラチェット、加山は予定通りさくらくんのところへ。予定と違うが俺も向かう!』

『了解!』

 ラチェットと加山の声が重なる。そうしている間にも、さくらと幻庵は刃を交わしていた。数合打ち合っては幻庵が放つ黒い球をかわしてさくらが距離を取り、また打ち合いながら、徐々にすみれの位置から離れていく。すみれを巻き込まないように、さくらが誘導しているのだ。すみれは辺津鏡の覚醒を終えており、後は二剣二刀からの霊力を待つのみ。その霊力が届き、自分が辺津鏡の間近にさえいれば、セフィロトが芽吹くはずだった。まずは光武へ戻り戦闘態勢を整えよう、と動こうとしたそのとき、首筋にひやりとしたものが触れた気がした。風ではない。同時に、虫の羽音にも似た空気の震えを感じた。

「臭う、臭うねぇ。な~んにも見えないのに、人間の臭いだけが漂っている」

 音をたてないようゆっくりと振り返ると、いつの間にか『見えへん弐号』の間近に着物姿の女が立っていた。朱色の小袖を身にまとい、さらに頭には漆黒の小袖を被っている。室町自体の武家夫人が好んだ、被衣(かづき)姿だった。わずかにのぞく肌は、幻庵同様に陶器のような白。さらに眼も三白眼で肌との境界があいまいだが、目じり目元に縁取った朱が、獲物を見定めるような釣り眼をいっそう際立たせていた。そして眉間から生える白い一本角。どう考えても上級降魔としか思えない。

優先すべきはセフィロトが芽吹くまで、このポイントを守り抜くことだ。すみれは瞬時に覚悟を決めると、心を鎮めながら薙刀を中段に構えた。上級降魔が近づけば突くだけのカラクリ人形のように、気配を消し思考を止める。女降魔は周囲を伺いつつ、身をひるがえした。すみれに完全に背を向けた状態で、ゆっくり歩き始める。徐々に遠ざかっていく朱の着物が、不意に姿を消した。

「フフ――戯れよ」

 突如背後から聞こえた声に、すみれは振り向きもせず薙刀の石突で後ろを突いた。わずかな手ごたえ。突いた勢いのまま身体を反転させると、金色の髪を振り乱した降魔が、顔を歪めて笑っていた。被っていた漆黒の小袖が宙を舞っている。

「ざ~んねん。ひと思いに殺してやろうと思ったのに」

 女降魔が右手をひらひらさせると、爪の先から血が舞った。すみれの首には赤い筋が伸び、わずかに血が垂れている。

「帝国華撃団花組、神崎すみれ。いざ尋常に」

 すみれは名乗りをあげ、薙刀を下段に構えなおした。

「わらわは崎姫じゃ。お主、やけに勝負を急くのう?」

 言いながら崎姫は左手をかざし、それぞれの指から妖力の球を作り出すと、四散させた。その玉は四方に配置した『見えへん弐号』のパーツを正確に打ち抜いた。内側からではわからないが、これで光武とすみれ、そして足元の辺津鏡を隠していた障壁は消えたはずだ。

『すみれさん!』

 かなり離れたところで幻庵との立ち回りを続けていたさくらも、異変に気付いたようだ。

「さくらさん、そちらの降魔のほうが手ごわいでしょう? こちらは任せて」

 とは言ったものの、上級降魔相手に生身では分が悪い。ましてやすみれの霊力は辺津鏡の覚醒で底をついている。

「失礼な奴じゃ。まあ、その見立ては間違ごうてはおらんがの」

「ええ、そして今のわたくしでは、あなたに敵いませんわね」

「ほう、早くも敗北宣言か?」

「いいえ。ですので、わたくしを光武に、その人形に乗せてもらえないかしら。そうすれば少しはあなたを楽しませることができると思うの」

「それは構わんが……貴様がそうしている間に、そこの鏡を壊してしまうかもしれんぞ」

 崎姫は再び顔を歪めるほどの笑みを浮かべると、すみれの脇にある祠を指さした。悔し気に顔をしかめるすみれの様子を見て、崎姫は笑い声を上げた。

「ハッハッハー! それにのう、あんな人形に乗っても無駄。わらわの攻撃は切った張ったではない。人の心に作用するのじゃからな」

 言いながら崎姫は左右の五指を合わせ、何事かを呟いた。同時に崎姫から溢れる妖力が増し、金色の髪が四方へ広がる。今にも襲い掛からんとする妖力を見据えて身構えたすみれの耳元で、再び崎姫の声がした。

「ハハッ、これも戯れよ」

 そして、すみれの首筋にちくりと針に刺されたような痛みがはしった。四肢の力が急速に抜け、すみれは祠にもたれかかるようにして倒れる。耳元に羽音が響き、すみれの視界に移動してきた。それは崎姫の顔をもった蜂だった。次いで、足音が近づいてくる。こちらは崎姫自身だった。頭上から崎姫が話しかける。

「さあ、おまえはどんな悪夢を見るのかのう。殺し殺され、世を恨みながら心を閉ざすがよいわ。そうそう、すべてを始める問いかけを忘れておった。お前の……」

 崎姫の言葉を止めたものは、祠の上に浮かび上がった半透明の芽の幻影だった。本能のままに崎姫は後ろに逃げようとしたが、芽吹きの余波で生じた霊力の壁に吹き飛ばされる。瞬時にすみれを中心とした直径五〇メートルほどが、芝生のような緑地に転じた。セフィロトが発動して種子となった辺津鏡から芽が出た結果、局所的な聖域が生まれたのだ。

「おのれぇ!」

 態勢を立て直した崎姫は聖域に飛び込もうとするが、魔を阻む見えない壁に阻まれる。続いて聞こえてきた背後からの騒音に振り返ると、さくらの光武が刀を上段に構えて崎姫に斬りかかろうとしていた。

舌打ちしながら崎姫は聖域から距離をとる。さくらの光武は崎姫を追うことなく、聖域に足を踏み入れた。追いついてきた幻庵が黒塵戟を何度も放つが、それらも聖域を傷つけることはできなかった。

 さくらはその様子をみて安全と判断し、光武のハッチを開いた。高さをものともせず飛び降り、すみれに駆け寄る。

「さくらさん、わたしのことは構わず作戦を続けて……」

 地に伏して朦朧としながらも、すみれは訴える。

「少しなら大丈夫です」

 さくらはすみれを仰向けにし、身体の傷を検めた。崎姫につけられた首筋の傷はかすり傷だった。もう一方に虫に刺されたような腫れがあったが、それ自体は軽傷といえた。

「芽がどんどん生長しています。若木まで、あっという間ですよ」

 さくらの言葉に、すみれは肩の荷が下りた。ここまでくれば、自分の役目は終わりだ。申し訳ないが、あとの作戦は仲間に譲ろう。

「おのれ真宮寺さくら、逃げるのか!」

 幻庵が見えない障壁に殴りかかり吠えるとなりで、崎姫が何事か言って宥めている。そうして崎姫はすみれのほうに向きなおると、身体に似合わぬ大きな声で叫んだ。

「神崎すみれよ! お前のもっとも大切なものはなんじゃ?」

 その言葉を耳にした瞬間、すみれの意識は底なしの闇へ突き落された。

 

 そこからの悪夢は、筆舌に尽くしがたい。

崎姫が蜂の一刺しで流し込んだものは、相手の負の感情を呼び起こし、ありとあらゆる悪夢を生み出すことで精神を苦しめ続けるという悪辣な呪いだった。

『お前のもっとも大切なものはなんじゃ?』

 その質問に対して反射的に想像したもの。帝国華撃団の仲間たち。そのひとりひとりが、あるときは苦悶のうちに死に、あるときは自分を裏切り者だと罵りながら斬りかかってきた。またあるときはすみれの失敗で何人もの仲間を失った。時には世界までもが滅びる幻を見せられた。

もはやどこまでが本当で、どこまでが嘘かも判断がつかないほど様々な生涯を経験させられた。それでも耐えた。妖術が解けたのかと錯覚するほど穏やかな時間が年単位で流れたあげく、繰り広げられた悲劇にも耐え忍んだ。どれだけ辛い思いをしようと、一分でも、一秒でもこの仕打ちに耐えることで、自分が預かるセフィロトが若木に生長する可能性を高めるのだ。

 やがて、すみれはそれに順応していった。これは、芝居なのだ、と達観したのだ。

 誰に何をされようが、自分が何をしでかそうが、それはすべて芝居の話。幕が降りれば、またいつものように笑いあえる仲間になる、そう信じた。そこに至り、どんな出来事もすみれを傷つけることはできなかった。

 が、蟻の一穴が穿たれた。

 『蜘蛛』の記憶――それは、少女時代の心の傷へと直結していた。花組の仲間たちのおかげで克服したとはいえ、このわずかばかりの動揺を、呪いは見逃さなかった。

そこからはすみれの幼少期が舞台となった。それとともに帝国歌劇団での日常、仲間の記憶は、彼女自身の空想であるように記憶が書き換えられていった。無力な少女に、残酷な物語を受け流せるはずもない。そのうち呪いは面白がっているのか、出会うはずのない子供姿の帝国歌劇団の面々まで登場させ、すみれの前で愁嘆場を繰り返し執拗に見せつけていった。

 もはや何のために悪夢に抗っているのか、幼いすみれにはわからなくなってきた。何か大事なものを守るために、がんばっていた、のだと思った。が、それが何かも思い出せなくなったとき、とどめとばかり極めつけの悪意に満ちた物語がすみれを念入りに傷つけ、彼女の心を折った。

『わたくしを置いていくなんて……絶対に許しませんわ!

 お願い……待って! 待って!

 わたくしを……ひとりにしないで!』

 すみれの心は完全に少女に戻ってしまった。身体から力が抜け、両手で抱えていた大切なものが、その手から零れ落ちるその瞬間。

 冷え切って震えるすみれの手に暖かい手が添えられ、零れ落としそうな何かを一緒に押しとどめてくれた。

 周囲に光が射し、気が付けばすみれの姿も意識も大人に戻っていた。

 添えられた手に沿って見上げると、胴着姿のカンナが笑っていた。

「ああ、ひとりになんか、しねぇよ」

 あまりの落差に思考が追いつかず、言葉も出ない。呆けたように左右を見ると、そこには見慣れた私服姿の仲間たちが笑顔で立っていた。

「お別れは少しの間だよ」

 アイリスが飛び跳ねながら言った。

「ほんま堪忍な、ウチの力不足でこないなことになって。でも、絶対に挽回するで」

 何を言っているかわからないが、紅蘭は無理に笑顔を作っているようだった。

「こっちのことは下駄をあずけマース」

「織姫、それはすみれが僕たちに言う言葉だよ」

 織姫とレニが顔を見合わせて笑う。

「大丈夫、いつかきっと……わたしたちは、また出会えるわ」

 マリアは聖母の如き慈愛に満ちた目をすみれに向けた。

 ようやく、すみれは自分が置かれている状況を思い出した。

「セフィロトは! わたくしの若木はどうなったの!」

 その質問に、さくらが答えた。

「大丈夫です。すみれさんも含めて、すべてのセフィロトで若木が育ちました。もう誰にも、生命の樹召喚を止めることはできません」

「崎姫は? 幻庵は?」

「あの上級降魔は北斗七星の陣が発動すると姿を消しました」

「で、では、もう皆で戻れるのね、帝都へ」

 しかし、さくらは少し悲しそうな表情で首を左右に振った。

「いろいろあって、生命の樹が完全に召喚されるまで、私たちは幻都に残ることになりました」

「だったら、わたくしも」

「すみれさんは、もう充分に戦ってくれました。自分ではわからないかもしれないけれど……もう霊力が尽き欠けているんです。だから、しばらくの間、帝都のことをお願いしたいんです」

「何をおっしゃるの? 霊力がなくても出来ることはあるでしょう?」

「すみれさん」

 さくらはすみれの問いかけには答えず、背筋をのばしてすみれを見据えた。

「すみれさん、私たち、必ず無事に帰ってきます。そのときはひとつだけお願いがあるんです」

 そこでさくらは息を吸い込み、意を決して言った。

「私、もう一度、すみれさんと同じ舞台に立ちたい」

強い意志と、わずかな不安を瞳にたたえたさくらの言葉に、すみれは口をつぐんだ。様々な思いが去来した。引退までの葛藤と決意の記憶、それでも消しきれないわずかな後悔と、筋を通したいという自身の信条。すみれはその思いすべてをひっくるめて、答えを出した。

「わたくしはもう、引退したのよ……でも、あなたが戻ってくるというなら、必ず立ちましょう。同じ舞台に」

「約束ですよ!」

 さくらは満面の笑みを浮かべた。周囲の皆も笑顔を見せている。その姿が、色を失って薄れていく。

「ああ、よかった……すみれさんが残ってくれて……これで、あたしたちがいなくても、帝都は安心です」

 その言葉を残し、さくら達の姿は光の中に消えていった。何か大きなものを失った痛みを感じながら、すみれ自身の意識は途切れ、闇に落ちた。

 

 続く記憶は、断片的なものばかりだ。

 強い衝撃に意識が戻り、無理やりハッチを開けられた光武から引きずり出される。

 ストレッチャーで運ばれている。

 寒気に身震いして目を覚ます。体は固定され動けない。かろうじて動く手を見ると、包帯で肌が見えない。

 コントロールルームに連れていきなさい。これは命令です。

 命令と言ったでしょう。声を出すのも辛いの、早くなさい。

 しばらくここにいます。治療はここで行ってちょうだい。

 

 どうやらすみれは光武に備えられた自動帰還プログラムで幻都を脱し、神崎重工に運び込まれたらしい。ようやく普通に思考ができ、会話もできるようになったのは、それから一日たってからだ。朦朧とする意識の中で治療を受けつつ、それでも管理スタッフを指揮していた。そのおかげで、幻都が封印されたことは把握できた。そして、さくら達が帰還していないことも。

しかし、事態はそこで収まらなかった。

「すみれ様! 帝劇から緊急通信です!」

 管理スタッフの主任が声を上げた。

「おつなぎなさい!」

 すみれが即応する。室内のスピーカーから、米田の切羽詰まった声が流れた。

「すみれか? 俺だ、米田だ!」

「映像が出てませんわ。何事ですの?」

「しくじっちまった! 地下から降魔の一団が襲ってきた」

 確か帝劇周辺は火災がおさまらず、また幻都が封印されたというのに残党の降魔が蔓延っていたはずだ。

「早くお逃げになって!」

「もうだめだ、轟雷号もダメになった。翔鯨丸もだ。だがな、せめて地下設備を爆破して道連れにしてやる」

「何をおっしゃるの!」

 米田らしからぬ投げやりな言葉に、すみれは驚く。いや、人のためなら命を投げうつことを厭わない、そういう人だった。彼の背中には、幾人もの人の命が預けられているのだろう。

「あとのことを……帝国歌劇団のことを頼む。ひでぇこと言ってるのは重々承知だ。俺を恨んでくれてもいい、だから……」

「何だってやります! わたくしに不可能などありませんわ。だから……」

 言い終わらぬうちに、スピーカーから爆発音が鳴り響いた。職員が一様に耳をふさぐ。すみれ自身も耳が効かない状況だが、声を張り上げた。

「米田さん! 米田さん!」

 ようやく治まった耳鳴りと入れ替わりに、主任の報告が飛び込んだ。

「帝劇方面で地震のような揺れが!」

「米田さんっ!」

 

 すみれは、そこで回想を終わらせた。すでに空が白み始めている。全身に疲労を感じて、深く長い溜息をもらす。

 結局あの後の調査でわかったことといえば、加山とラチェットを除く司令部――巴里に居た司令部の者たちも含めて――は全員そろって生死不明・行方不明であることだけだ。

ラチェットはその後すぐに伯林へ戻り、華撃団設立を推し進めたと聞く。が、その翌年にアイゼンクライトⅣをテスト運用した際に事故死したと伝わってきた。幻都帰還以降、一度も言葉を交わすことがないまま。事故死など信じられるわけがないが、それ以上は表の情報も裏の情報も一切途絶えている。

加山は元通り月組の隊長として活動を再開したが、彼との接触はキネマトロンでのやり取りがわずかに続くばかりだ。新生花組をバックアップするために配属された月組メンバーも彼を超隊長と尊敬しているが、実は直接会ったことがないらしい。本人たちは隠密部隊だからそういうこともあるだろうと笑っていたが、そこまで人との接触を断つ必要があるだろうか。

 ひとつ心当たりがあるとすれば帰還以降途切れることのない、監視されているという感覚だ。さすがに神崎重工の経営層に割当てられたエリア、自宅、再建した帝劇内では感じないが、逆に言えばそれ以外では気が抜けない日々が十年続いている。それは再び幻都が現れ、新生花組が封印した後も、だ。しかしその目が緩くなっているようにも感じる。

すみれは立ち上がり、陽が昇り始めた街並みに目をやった。この街は大丈夫だ、新生花組がいるのだから。つらい過去を思い出して冷え切っていた心が、少し暖かくなる。そろそろ動き始めてよい頃合いかもしれない。そう思いを新たにしたすみれは、汗を流そうとバスルームに向かった。

そこですみれは、洗面台に置き忘れていたスマァトロンが明滅していることに気づいた。素早く操作すると、昨晩届いた秘書からのメッセージが開いた。どうやらダンディ商会の団社長からすみれ宛に連絡があり、曰く「お返事は急ぎません。貧乏暇なしで俺たちはいつも事務所に張り付いているので、二十四時間、曜日関係なくいつでもご連絡ください」とのこと。過去を思い起こしても、団社長が私的にメッセージを寄こしてくることなど一度としてなかった。あの頑固なまでに仁義を通す人からの連絡ならば、重要かつ緊急の可能性が高い。とはいえ、あと二時間もすれば予定が目白押しだ。電話をするには非常識な時間ではあるが、すみれは連絡をとることにした。

 スマァトロンからダンディー商会の番号を押すと、早朝にもかかわらず呼び出し音が鳴る前に威勢の良い声が響いた。

「はい、団でございます」

「あらあら、朝からダンディーさんはお元気なこと」

「その声はすみれさんですね! 麗しのすみれさんとお話しできるなんて、感激です!」

「相変わらずお上手ね」

 他愛もないやりとりに、すみれの頬が緩む。

「こんな時間にごめんなさい。でも、この後も予定がつまっているものだから」

「いやいや、お電話いただけるだけでもありがたいです。お忙しいでしょうから早速本題にはいらせていただきますね」

 と言いながら、団は次の言葉を発するのに少し時間を要した。ためらいがちに言葉を続ける。

「こんなことをお頼みするなんて、いちファンとしていかがなものかたぁ思うんですが、折り入ってご相談がありやして」

「えらく他人行儀なこと。色んな舞台や事件を共にした仲間じゃあありませんか」

「そう言っていただけると気が楽になりやす。実は……」

 そこで切り出されたのは、初代花組からのファンの集いに、蒸気ネットワーク越しでよいのですみれに参加してほしい、というものだった。先日の新生花組の公演を観た古参のファンが刺激を受けた企画ということだったが、それにしてもそれがここまで連絡を急ぐほどのものだろうか。

「ひどく急いでいるようだけど……もしかして重いご病気をお持ちの方がいらっしゃるとか?」

「そんなことはありません。みんな初代花組をもう一度この目で見るまでは死ねねぇと、ピンピンしてます。いや、話がそれやした。久しぶりの集いとあって企画をしている連中が盛り上がりまして、それに押し切られてこんな形での連絡になっただけです」

「そうですの?」

 不審に思うなかで、すみれは先日の報告を思い出す。まだ情報が精査されていないが、最近、初代花組からのファンが昏睡して目を覚まさないということが続けて起きているらしい。それと無関係な話ではあるまい。詳細を話さないのは、こちらを気遣ってのことだろう。

「ダンディーさんの、いえ、わたくしたちのデビューからずっと帝劇を愛してくださっている皆さんのお願いですもの、喜んでお受けしますわ。詳細は秘書と詰めていただいてよろしくて?」

「ありがとうございます。さすがは麗しのすみれさま。高嶺の花でありながら、俺たちしょぼくれたオヤジにも愛を振りまいてくださる、まさしくミューズ」

「オッホホホ。その賛辞のつづきは、次の企画でたっぷりお聞かせくださいね」

「へい、ご連絡いただき、ありがとうございやした!」

 通話を切り、一息つく。

 何かが動き出す予感がした。

 わざわざ初代花組につながる人間が狙われているのだ。どこかで帝国歌劇団につながる事件に違いない。今日に限って長々と昔を思い返したことも、枯果てた霊力の導きかもしれない。しかし、過去は過去だ。あの時にどれほどの後悔、未練があろうとも、それを引きずるまい。仲間たちは過去にはいない。今も生きて、闘い続けているはずだ。そう、仲間たちがいるのは未来なのだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。