偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版 作:出口豊志朗
一
月組への接触を最優先事項と見定めた清流院琴音は、三鷹にある国立天文台、大赤道儀室の建物を訪れていた。円筒状の鉄筋コンクリートに、銅板葺き鉄骨造りの木製ドームが据えられた天文ドームだ。太正十五年に建てられたもので日中は人の出入りも多いが、日が変わるほどの時間ともなると流石に人の気配はない。天体観測を行うため灯りがないどころか周辺一帯は深い森で、月明かりのない今宵は人が紛れ込むことはまずあり得ない。
村雨白秋との邂逅は、琴音に調査の方向性を示してくれた。どうつながるかは見当もつかないが、少なくともラチェット・アルタイルの影を追うことで、何かに近づけるはずだ。しかし琴音が入手できる情報源は、十年の活動停止により機能していない。そこで意を決してジョーカーを切ったのだった。
琴音は天体ドームの裏手に回ると、薄汚れた建物基部の壁を複雑なリズムでノックした。そのまま、微動だにせず待つ。おそらく周囲には複数の手練れが自分を監視しているはずだ。琴音の鋭敏な感覚と経験なら、追跡してくる者は看破できるだろう。だが、埋伏されていれば感知しようがない。不意に、背後の森からフクロウの鳴き声がした。それを合図に、コンクリートに扉大の四角い筋が浮かび上がったかと思うと、ゆっくりと窪み、横にスライドしていった。その先はやはり闇。足元を伺うと、降る階段となっているようだった。琴音は臆することなく、階段を下りて行った。靴音の反響で空間を把握しながら下るうちに、踊り場のような一画に行きついた。抜け道はないようだ。琴音は手袋に仕込んでいた金属を取り出し、壁に打ち付ける。一瞬の火花に、扉らしきものが浮かび上がった。外でやったのと同じように扉を叩く。今度はすぐに反応があり、扉が引き開けられた。
「琴音さん、久しぶりです」
薄明りを背に話しかけてきたのは、爽やかな笑みを浮かべる加山雄一だった。
「ほんっと、久しぶり! 会いたかったわ~」
琴音は両手を合わせ、しなをつくった。加山は大きく扉を開き、部屋に招き入れる。部屋の中の灯りも最小限で、調度も簡素、殺風景なことこのうえない。
「何のお構いもできないけど、まずは座って」
促されて琴音は木製のスツールに腰かけた。加山はテーブルをはさんだ向かいに音もなく座る。
「降魔大戦前の取り決めだったから、使えるか不安だったの」
「大戦の被害で帝都中央駅は建て直されたからね。伝言板の位置は変わって、数も増えた」
「そうなのよ。どれに目印を書けばいいかわからなかったけど、まあ月組のことだから何とかしてくれると思って、適当なとこに書いちゃったわ」
「ご明察。我々はすべての掲示板に仕込んだ振動検知でメッセージを監視してるんだ」
「だから文章だけでなく、書くときの調子まで指定されてたのね」
「そこまで指定してればバレバレだろうけど」
琴音と加山の笑い声が重なる。
「さて、本当はこの十年の積もる話をしたいところだけど、あなたも忙しいでしょう? 早速本題にはいるわね」
加山は笑顔でうなずいた。
「あたしが知りたいのは二都作戦のその後について。帝都からの避難誘導要員ってことで帝劇から遠ざけられたから、当時の流れも知らないのよね。対降魔皇想定の計画書は渡されていたけど、細部は違ってるだろうし……それにしても接触してくれなかった理由は想像つくけど、十年も放っておくのは流石にひどくない?」
「琴音さんも、監視の目が粗くなったから動いたんだろう? お察しの通り、WLOFの目に留まりたくなかったからさ」
「でしょうね」
「さて、どこから話したものか……二都作戦の概要は知ってるんだよね」
「計画書の内容なら。でも、あの通りには進まなかったわけよね」
「ああ、生命の樹発動に必要な霊力を妖力で肩代わりするつもりだったが、予定していただけの量を賄うことができなかった。それで大神たちが中に残って霊力を供給し続けることになったんだ」
「幻都から脱出したメンバーは?」
「僕とすみれくん、そしてラチェットの三人だけだ」
「そう」
ラチェットの名前に琴音が反応する。加山もそれを察したようだが、あえて問いただしはしない。
「じゃあ、みんなは今でも戦っているのね」
琴音は目を伏せ、しばし口を閉ざす。加山は続きをせかさず、琴音を見守った。
「ごめんなさい……それで、司令部側のみんなはどうなったの? 菊之丞に陸軍のデータベースを漁ってもらったんだけど、全員が消息不明の一言で済まされてるんだもの。調べる糸口もありゃしない」
「僕らも公式以上の情報は回ってきていないんだ。だから月組の調査結果でいいかい?」
「ええ、もちろんよ」
琴音がウィンクする。加山は苦笑し、頭をかきながら話を続ける。
「まずは紐育華撃団司令部。二都作戦時点では、サニーサイド司令、プラムくん、杏里くん、王さんだが、エイハブ改で帝都上空に出動。幻都召喚を終えて戦闘部隊を送り出した後、ほどなく東京湾に墜落している。降魔の襲撃によるものか、事故か、第三者による攻撃か、原因は不明だ。
もちろん捜索部隊は編成されたが、結果的には機体の一部が洋上に浮かんでいるのを見つけたぐらいで、捜索打ち切りになっている。それで当時乗り込んでいたと思われる紐育司令部四人が行方不明扱いにされたんだ」
琴音はあえて沈黙を守り、続きを促す。
「次は巴里華撃団司令部、なんだけど……これは彼のほうが適任かな」
加山は言葉を切ると、琴音の背後に視線を向けた。途端に、背後に人の気配を感じ、振り返る。そこには黒の面布をおろした黒子姿が立っていた。
「すごいわね、いつから……いえ、最初から居たのよね」
「これくらいしか取り柄はありませんので」
想像しているよりも年かさの男性の声だった。
「あら、程よく低くて落ち着きのある声ね。素敵よ」
琴音の賛辞に黒子は一礼し、ふたりの斜向かいに座った。
「彼はこの十年ほど僕の直属で動いている月組隊員だ。右腕と言ってもいい」
再び黒子は一礼した。
「彼が巴里華撃団の調査を担当していたんだ。さあ、遠慮せずに全部話してくれ」
「結論から申し上げますと、巴里華撃団司令部のグラン・マことイザベル・ライラック、メル・レゾン、シー・カプリス、ジャン・レオ、そして凱旋門支部長の迫水典通は、怪人の襲撃を受け、全員の死亡が確認されています。幻都封印後の残党狩りのためリボルバーカノンで援護射撃を行っていた最中、全員が凱旋門支部に集まっていたなかでの惨劇でした。この話はあまりにセンセーショナルな内容だったため、政府の決定で秘匿されています。そのため対外的には行方不明と発表されていたのです」
全員死亡の言葉に、琴音は思わず息をのむ。当然そうした結末を選択肢として想像はしていたが、これまで目にした情報は消息不明という言葉で包まれていたため、油断があったようだ。
「いやぁ、信じられるかい? いくら主力の花組が不在だったとはいえ、メル君とシー君も相当なものだったよ? 撃退できなくても逃げることぐらいはできただろうに。迫水大使なんて〝鉄壁〟とまで言われた方だ」
「捜査には巴里市警のジム・エビヤン警部があたっていたようです。彼は優秀な警官で、シャノワールの常連でもあった。捜査に手抜かりがあったとは思えません。蛇足ながら……捕縛には至っていませんが、首謀格の怪人だけは判明しています。巴里華撃団に討伐された果てになぜか復活した怪人シゾーだそうです。復活後は改心しシャノワールに度々訪れていたようですが、どうやらそれは復讐のための演技、だったのでしょうな」
「琴音さん、大丈夫かい?」
加山が琴音の様子をうかがう。
「ええ、大丈夫。とにかく巴里関係者も全員不在、というわけなのね」
加山と黒子がうなずく。琴音は首を横に振り、肩をすくめた。加山は少し間を置き、話を接いだ。
「さて、最後に帝国華撃団司令部だが、これに関しては極めて情報が少ない」
「当時帝劇に集まっていたのは、米田臨時司令、風組のかすみちゃん、由里ちゃん、椿ちゃん、あとメカニックの中嶋親方だったかしら」
「そうだ。夢組は関東全域におよぶ広域陣で花組をサポートしていたから、難を逃れた。奏組は降魔大戦勃発と同時に活発化したテロ集団モナダを抑えるために橫濱で活動していたので、こちらも問題なかった」
「事件は前奏曲のうちに。見事に解決なさったそうです」
「話を戻すよ。時系列的には幻都封印直後にエイハブ改の墜落、翌日の残党狩りで稼働していた凱旋門支部にて怪人の襲撃があった。そしてさらに翌日、幻都封印二日後に帝劇に対して降魔による組織的な襲撃があった」
「降魔大戦中、一度も降魔の組織的行動はなかったと聞いていたわ」
「その唯一の例外が、帝劇襲撃だった。ただ、詳細はわかっていない。結果として、帝劇地下の轟雷号格納庫が爆破されており、轟雷号も大きく損傷していた。それに花やしき支部も襲撃されていて、翔鯨丸も同様に格納庫もろとも爆破された。実は、わかっているのはこれだけだ」
「じゃあ……死体や、人体の一部なども見つかっていないと?」
「ああ。月組も救助隊に協力して瓦礫を取り除いてまで調査したが、そうしたものは見つかっていない。もっとも破壊の範囲が広すぎて、すべてを調べました、とは言えないけどね」
「補足しますと、帝劇付近で大きな爆破が起きる直前に、米田臨時司令と神崎すみれが通話している記録が残っています。そこでは米田臨時司令が帝劇を神崎すみれに託したうえで、地下からの降魔侵入を防ぐためにご自身で爆破するとおっしゃっていたそうです」
一通りの説明が終わったのだろう。加山も黒子も、それ以上は口を開かなかった。
「よ~く、わかったわ。貴重な情報をありがとう」
「どういたしまして」
「で、今のが月組の調査結果、お偉いさんたちに報告した内容ということね。で、これをカバーストーリーとした〝本当に起きたこと〟は教えてはくれないのかしら?」
加山は驚いたように目を開き、横の黒子を見た。黒子は耳元に手を当て、何事か呟く。遠隔通話による問答のようだ。それが終わると、黒子は加山に向かってうなずいてみせた。
「隊長、外の掃除は終わったようです。想定通りの規模でしたので、万事抜かりなく」
「想定通りかぁ……あちらさんも後がないんだろうね」
加山は笑顔を琴音に向けた。
「うそ! これでもあたし、相当念入りに追跡をかわすよう動いたのよ。なのに気配にも気づけないなんて……まぁそこの黒子さんのような人がいれば別でしょうけど」
「琴音さんの動きは完璧だったよ。我々の監視網もほとんどすり抜けてたから、月組隊員も自信喪失気味だよ。ここを目指すことはわかっていたから、あらかじめ配備していたメンバーはなんとか補足できたけど。じゃあなぜ琴音さんの追跡者がうまくやれたかというと……申し訳ないけど琴音さんの情報を流させてもらったんだ」
「え?」
黒子が咳ばらいをし、補足する。
「太正維新クーデターを防いだ凄腕エージェントが、長らく所在を掴めなかった月組隊長と会うらしい。だが凄腕だけあって半径一キロ以内にいれば必ず察知されるほどだ。これは罠かもしれないから、絶対に手を出さないように、と、裏社会に流しました」
「一キロも離れたら、どうやっても気付けないわよ」
「だよねぇ。でも敵さんは真に受けて慎重に追跡したんだよ。必ず一キロ以上離れて動きを捕捉するようにね」
「この会談中に敵は付近の森に侵入、それを最初から森の各所に埋伏していた少数の月組隊員と、外部から遠巻きに観測していた隊員が合流して、一網打尽にいたしました」
「な~に~、あたしを囮に使ったわけ?」
「琴音さんが餌なら、どんな大魚でも釣れると思ったんでね」
「もう、そんなこと言われたら怒れないじゃない」
加山と琴音が大笑いする。黒子も少し肩が揺れているようだった。
「ちなみに敵さんの正体は?」
「まだわかりませんが、こちらの見立てではWLOF残党です」
「ふ~ん、あそこも大変よね。大半がまっとうに世界平和を目指す人たちだったでしょうに」
言葉は同情的だが、皮肉たっぷりの口ぶりで琴音は言った。
「さて、さんざん焦らして悪かった。外が落ち着いたことも確認できたし、ようやく本題にはいることができる。まずは『オデュッセイア作戦』。米田臨時司令立案の大作戦について話そう」
二
加山の昔語りは、二都作戦の作戦概要説明直後にまで遡った。指令室に残ったのは、米田、かえで、加山、ラチェットに加え、遠隔通信で参加のグラン・マ、迫水、サニーサイドの七名。大神や華撃団隊員たちは、十種神宝との相性調査のため別室へ移動していた。
米田は急に人気が少なくなった室内を見渡した後、それまでかえでが行っていた進行を引き継いだ。
「さて俺たちにとっての本題は、ここからだ。まずは最初に伝えておく。花小路伯爵の病死はブラフだ。ラチェットからの一報を受けた時点で、すぐに護衛を差し向けた。今は某所で隠遁生活を送ってもらっている」
「よく説得できましたね」
サニーサイドが驚いている。
「いや、難渋したよ。本人には家族をだましてまで生き延びるのはこりごりだと固辞されたが、フィクサーとしての権限移譲を終わらせるまでという時限付きということで呑んでもらった。それでも隠遁前に家族に会わせることもできないと詫びたところ『それも含めて自分が選んできた道だ。家族にも常日頃言い聞かせているから構わん。そちらの準備に手抜かりがあっても、うまく合わせるだろう。あの世で会うことができたなら、精一杯詫びるとしよう』と仰ったよ」
この工作は月組が取り仕切り、すべてを済ませた。医師に扮した隊員は家族に対して、極めてまれな伝染病の類と説明して死体には近づけさせず、臨終の苦しみようがひどく穏やかな表情にすることができなかったと棺は開けられないようにした。きわめて不自然な説明だったが、家族は動揺するでもなく、静かに従ってくれたという。
「先に伝えたかったのは以上だ。では、まずは状況の確認からさせてくれ。ラチェット、改めて事の発端から頼む」
「はい。わたしは現在、独逸陸軍の依頼のもとで伯林華撃団設立準備を進めています。ただ主に人選面での問題が解消できず、結果的に先行してしまった霊子甲冑をはじめとする兵器面のコストが防衛上に生かせないままになっていることが一部政治家、軍幹部から取り沙汰され、一旦動きを凍結しよう、というところまできていました」
『そこまでとは……僕に相談してくれてもいいじゃないか』
「サニー、この辺りは国家機密にあたるから、もらすことなんかできないでしょ」
ラチェットに睨まれ、サニーサイドは肩をすくめる。
「そこにやってきたのが華撃団委員会、通称CoFと名乗る一団でした。降魔大戦勃発の一ヶ月前のことです。すでに皆さんもご存知でしょうが、彼らは華撃団による都市防衛構想を強固なものにすべく、世界レベルで華撃団設立を実施することを目的とした財団法人でした。母体となっているのは鉱業会社フレールです。霊子甲冑の素材となる特殊合金メーカーとして世界二位のシェアを誇る企業です。
CoFは、華撃団設立でネックになっているのはまさに伯林が直面している人材不足をどう乗り切るかで、その解決のために世界横断的に人材発掘・教育し、各国華撃団に紹介することで貢献したい、という話を独逸陸軍にもたらしました」
「そもそも華撃団メンバーの発掘は、藤枝あやめ君が時間をかけ世界を巡って成し遂げたほどの難題だ。だから昔から賢人機関と協力してやっていた。うまいこと言ってはいるが、賢人機関の機能を利権と見立てて横取りしようという腹が見え見えでいけ好かねぇ」
『ちなみに紐育に来た時には、星組メンバーを人材交流として伯林に派遣しないか、という提案があったよ。うちはラチェットを引き抜かれててんてこ舞いだということで、丁重にお帰りいただいたよ。後でたっぷりと塩をまいておいたけどね』
『巴里も同じだね。まあうちの子たちは出自自体が特殊だから巻き込むなと釘を刺しといたよ』
「もちろん独逸陸軍も、その話に乗せられたりはしていません。ただ、逆に他国における華撃団設立がこれで促進され、自国が後進国になることを危ぶむ声は多数上がりました」
再び、皆の視線がラチェットに集中した。
「そこで私が提案したのは、彼らの動きの追跡でした。彼らがどの国の誰と接触を図るのか、逐一調べあげ、報告しよう、ということです」
「その……華撃団設立のアドバイザーがそこまでする必要あるのかしら」
かえでが戸惑いがちに尋ねた。
「もちろん、それはただの方便です。実はCoFと同席したときから、わたしは彼らから……うまく言葉にはできませんが不穏なものを感じたのです。その原因を突き止めるための口実を無理やり作り、周囲を説得しました」
『合理主義のラチェットが、『うまく言葉にできない』ことで動くとはねぇ』
「言葉にできないことを言葉にするために動く、それは充分に合理的な判断でしょ、サニー?」
またしてもやりこまれたサニーサイドは、苦笑するしかなかった。
「結論を急かすようだけど、ラチェットはなぜCoFが降魔大戦の黒幕と確信したんだ?」
加山の問いかけに、ラチェットは事も無げに言った。
「巴里訪問の際に、シゾーを始めとする怪人たちに、彼らを襲撃させました」
「怪人? 襲撃?」
「巴里花組との信頼関係があってこそ怪人であることを隠して生きていけているという現実を直視してもらい、一方そのために貴方たちは何か提供できているのかを省みてもらいました。そのうえで巴里花組に恩を売ることが我が身を守る最上の選択肢であること、持ちつ持たれつの関係になるべきだと懇切丁寧に説明しただけです。最後には怪人たちも泣きながら、巴里のためになるならと快く引き受けてくれました」
「それは遠回しな脅迫……」
『あるいは洗脳だね』
加山とグラン・マの言葉に、ラチェットは心外だと言わんばかりに捕捉した。
「別に襲わせようとしたわけではありません。『自分たちも人間に恨みがあるから悪だくみをしてるなら一枚かませろ』と、もちかけさせただけです。もっとも、それでしらを切るなら怪人としての力を見せてアピールするようにお願いしましたが」
「そんなチンピラをけしかけるように怪人を……」
「結果、その場でCoFの一人――銀髪の女性が妖力らしきもので怪人を撃退。まずは敵対勢力であることの確信を得ました。もちろん、そこで怪人たちの命にかかわるようなことがあれば、介入できるよう準備はしていました」
「……はぁ」
普段は周りを引っ掻き回す側の加山だが、このときばかりはラチェットの行動力に返す言葉がなかった。
『あっさり返り討ちで逃げ戻ってきて、慰謝料がどうのこうのと大変だったんだよ。こんなことなら仲介なんてするんじゃなかったと、あの時は腹が立ったもんさ』
「しかし、おかげで最後に後手に回らずにすむだけの時間を得ることができました」
『それこそお互い様さ、助かったよ。まさかあんなに上手く隠した呪符を、シャノワールと凱旋門にたんまり貼りつけていたなんてね』
『リトルリップシアターも同じさ。疑ってかかって調べて、ようやく見つけたぐらいだ。王さんも驚いていたよ。
発動すれば強力な負の想念をまき散らし、それに巻き込まれた人が産みだす負のエネルギーを利用して直径十キロまで力場を拡大ののち、爆発を起こすというものらしい。都市のように人口密度が高い場所だと、さらに威力が増す危険性もあるとのことだった』
「その呪符には呪詛返しの結界を?」
ラチェットの問いに、グラン・マもサニーサイドもうなずいた。
「呪符が発動するとそれを感知した結界が呪符の力を反射して燃やし尽くす結界を月組で用意し、巴里と紐育、伯林、他三箇国に設置済みで、そのすべてが降魔大戦勃発の日に発動し結界によって破壊されました」
加山が補足する。
「あとはCoFが妖力をもつ敵と前提を見直したうえで、これまでの行動の意図と予定されている旅程を組合せ、事を起こすなら帝国華撃団訪問後と推測しました」
その言葉を、米田が引き継ぐ。
「CoFは半年前から各国の訪問日程を組んでいた。前半は華撃団の芽もないような国、中盤は華撃団設立の準備に入っていた倫敦、伯林、上海、莫斯科を訪れた。そして最後の一ヶ月が紐育、巴里、帝都だ。CoFは帝国華撃団訪問を予定していた三日前に帝都に到着。そして訪問の前日に降魔大戦が勃発した、という流れだ」
「彼らはなぜ帝国華撃団に訪問して呪符を設置するまで、降魔大戦開戦を待たなかったのでしょう」
かえでの質問に、グラン・マが答えた。
『CoFの帝都到着前日に、呪符のひとつをうちのエリカが偶然みつけてね、うっかり発動させてしまったんだよ。もちろん呪詛返しの結界が正常に動いたおかげで被害はなかったけどね』
「ああ……エリカくんならやりかねないですね」
加山が遠い目で虚空を見上げる。
「奴らはそれで計画がこちらにバレたと判断したんだろう。帝国華撃団を訪問しても、呪符を仕掛けることはできない。ならこちらの体制が整う前に事を起こしたほうがよい、と考えたんだろうな。
だが、こちらも完全に向こうの仕掛けを防げたわけじゃない。降魔大戦勃発の前後に各国の賢人機関要人が相次いで病死、事故死している。冒頭に伝えた通り花小路伯爵についてはなんとか間に合ったが、おかげで華撃団の自己判断で動いてよいかの調整だけで、ずいぶんと時間がかかってしまった」
それにしても、と加山は思う。ラチェットの分析力、想像力、行動力は規格外だ。つくづく霊力の枯渇が悔やまれる。それさえなければ、二都作戦で取りうる選択肢がどれだけ広がっていたことか。
「ラチェット、進行と説明ありがとよ。少し長くなったが、以上が大前提のすり合わせだ」
三
会議は続く。
「では、我々が置かれている状況について、分析結果を報告します」
かえでは手元の操作盤を触り、モニターに世界地図を表示させた。巴里に五つの、紐育に五つの光点が灯り、それらが帝都に向かって移動する。その帝都にも八つの光点が用意されている。
「まず、巴里花組、紐育星組およびエイハブ改が帝都に移動したことで、敵方は聖魔城に対する華撃団を中心とした反攻作戦を察知していると思われます。この場合、敵方がとる対策は、反攻作戦そのものの妨害工作、そして手薄になっている本部の強襲です」
『エイハブ改の火力があれば、幻都召喚までは充分持たせることは可能だ』
サニーサイドの言葉に、めずらしくラチェットがうなずいた。
「そこから聖魔城へは、光武には大型ブースターを設置、スター機は飛行形態で移動するため、降魔の速度ならば振り切ることは可能です」
「つまり反攻作戦側は邪魔しようにも、それほど有効な手段はないとみてよいな。やはり、問題は本部か」
米田は苦々しげに吐き出す。
『それについては僕にアイデアがあるんだ』
サニーサイドが朗らかに口火を切った。
『敵が攻めてきたら、みんなで逃げちゃうんだよ。本部側の戦力では、逆立ちしたって降魔の襲撃には耐えられない。なら一度身を隠し、二都作戦から戻った花組星組と合流してから、敵主力とやりあえばいいんだ』
「サニー、言い方……」
『いや、ラチェットのシゾーをけしかけたくだりも、相当だったよ?』
『逃げること自体は……巴里側もリボルバーカノンを使えば可能だね。帝都への援護射撃に紛れることで、移動したこと自体も隠せる』
『でしょう? あとは演出なんだけど、巴里は現地で崩壊、紐育はエイハブ改が墜落して行方不明、帝都は帝劇が爆破されて沈黙、という感じでどうだろう』
「そこまで手間をかける必要がありますか?」
かえでの疑問に、加山が代わりに答える。
「敵の迷いを誘えますね。疑いがある限り、その動向を掴むのに戦力を割く必要がある。明確に存在する本部よりは、やっかいです。問題は、集まる場所ですが……」
『ふふふふ、ようやくこのカードを見せるときが来たね』
サニーサイドが怪しげな笑いを上げ、司令部にデータを送信してきた。
モニターの表示が、世界地図からエイハブ改の図面に切り替わる。
『なぜエイハブに改がついていると思う?』
再度のデータ送信で、エイハブ改の図面の一部が入れ替わる。
『二年をかけて、エイハブを水中でも稼働できるように改造したからさ! 墜落したように見せかけて、エイハブ改を水中形態に変形、そのまま東京湾内を移動してみんなをサルベージしていくんだよ!』
「あなた、まだ諦めてなかったのね……」
どうやら昔からの野望だったらしい。ラチェットが紐育を離れた隙に、いいように進めたのだろう。
『僕は子供のころから日本文化が大好きだったが、それとは別で海底二万リーグも大好きでね、いつかネモ船長のように深海を旅してみたかったんだよ』
公私混同も甚だしいが、結果として作戦の根幹が定まった。
「じゃあ、エイハブ改がノーチラスというわけですね」
加山の力ないつっこみに、サニーサイドは再び怪しい笑いを上げる。
『ふふふふ、あまいよ~加山君。エイハブのサイズで世界の海を渡るのは無謀だ。だから、もう一つ建造したんだ。巨大潜水艦、その名もクラーケン!』
エイハブ改の図面が、見たこともない形状の機体を映し出した。
『収容人数二百名。パーツは三つに分かれており連結形態を変えることで、潜水、航海、飛行を可能にした豪華仕様だ。またパーツはそれぞれに動力があり、別行動もできちゃうんだよ』
『さすが好景気に沸く亜米利加だね。これはちょっと、真似できる気がしないよ』
賞賛と皮肉が絶妙にブレンドされたグラン・マの言葉に、ラチェットは無言でうなずく。
「そいつはどこにあるんだい? そいつで俺たちと巴里を回収したほうが早いんじゃないか?」
『米田臨時司令……それが……まだ建造中なので、航行はできないんです。ただ、居住空間は確保できているので、最悪の事態では隠れ家として使用できるかな』
「ちなみに完成まではあとどのくらいなんだ?」
『うーん……三年?』
「あと動いたとして、充分なエネルギーは確保できるのか?」
『隠密で動くとなると、まだまだ課題があるかな?』
「ってえと、当面は隠れ家としてはつかえる、ってことで考えとくぜ」
『はい……』
控えめに見ても素晴らしい設備を準備していたサニーサイドだが、最初に風呂敷を広げすぎたようだ。
「さて、これで大筋は決まったな。細かいところはこれから調整するとして……この計画にも作戦名をつけておこう。そうだな、何があってもそれぞれの帰るべき場所に戻れるよう祈りを込めて、オデュッセイア作戦あたりでどうだ?」
「英雄が十年の歳月をかけて故郷に帰還する物語……壮大でよい作戦名だと思います」
ラチェットがうなずいた。
『まあ、十年もかけたくはないけど、私も構わないよ』
グラン・マも悪くないという表情をしている。
『僕としては海底二万リーグにちなんだ名前とも思ったんだけど、依存はないよ』
サニーサイドもうなずいた。かえで、加山に異存があるはずもない。
「では、オデュッセイア作戦の準備を進めてくれ。開始は二都作戦、華撃団メンバーが幻都に入った瞬間だ」
「了解!」
そこで解散かと思われたが、米田の声で、一同は浮かせた腰を戻した。
「最後に……これは二都作戦側の話なんだが、ラチェットに頼みがある」
「あらたまって、何でしょう?」
「考えたくもないが、もし二都作戦が失敗した場合、なんとしてでも帝鍵だけは持ち帰ってほしい」
「――それは、戦闘員たちの無事よりも優先かしら」
もっともなラチェットの返しに、米田は言葉を詰まらせる。逡巡のすえ米田が語りだしたのは、質問への答えではなかった。
「帝鍵の正体は、帝剣という刀だ。別名を天宮國定。あれはな、天宮家血族の命を犠牲にして作り上げたものだと俺は思ってる」
一同は、米田が憔悴して戻ってきたことを思い出した。
「俺が天宮家を訪れて降魔皇復活の危機的状況を改めて説明したとき、天宮家には鉄幹と奥さんのひなた、まだ小さい娘のさくらがいた。話の間、ひなたは俺の眼をずっと見据えていた。対照的に、鉄幹は俺のほうは見ず、時々ひなたを伺うようにしていた。そのとき俺は、天宮家血族であるひなたが天宮國定の扱いを決める資格があるからだ、と読み間違えていた」
翌日、再び訪れたときに門前で応対したのは、鉄幹だった。『鍵をお渡しすることにした。だが、家の外に出すにあたっての儀式に時間がかかる。だから、明日、改めて来てほしい』それだけ言うと、鉄幹はうつむいたまま家に戻っていった。
そして翌日、やはり門前に出たのは鉄幹だった。やつれ果てた姿で一振りの剣と刀袋を手にし、『これが帝鍵だ』と言った。鉄幹は鞘から天宮國定を抜き放ち、刀身をゆっくりと見やる。名残惜し気に刀を鞘に収めて刀袋で包み、米田に差し出した。ひなたにも礼を言いたいと伝えると、彼女は儀式で疲れ果てているので自分から伝えておこうとだけ言い、やはりうつむいて家に戻っていった。
「俺は鉄幹が気乗りしていなかったのは、儀式がひなたに負担をかけるのを心配しているのだと思っていた。だがな、帰りの汽車でこの刀を抱えているうちに、理屈じゃねぇがこの刀の中にひなたの……天宮ひなたさんの命が籠められていると感じたんだ」
米田は司令席に体を預け、虚空を見やった。
「だからな、帝鍵に代えはきかねぇんだ。娘の天宮さくらはまだ幼い。もちろん幼くなくっても、天宮家血族の犠牲がなければ作れないものをもうひと振り所望する気なんてねぇよ。だが、ここまでして用意してもらったものを、一度の失敗で手放すことはできん。他のやりようが見つかるまでは、帝鍵を軸にした作戦を考えるしかないんだ」
米田はため息をつきながら、まっすぐなラチェットの視線を見返した。
「でもな、ラチェット。だからといって今生きている花組、星組のみんなを犠牲にしても良いっていうのはちがうだろう。それでも司令官として命じろというなら……」
「米田臨時司令」
ラチェットが言葉を遮った。
「なら、こう命じてくださればいいのです。必ずどちらも持って帰れ、と。私はその命令に従うだけです」
そして幾多の観客を魅了した、涼しげな笑みを浮かべる。
『今のはムッシュ米田の話す順番が悪かったね』
グラン・マが場の空気を緩ませ、長い会議を締めくくった。
四
オデュッセイア作戦。そこに至るCoFとの水面下での応酬と、最悪の事態を想定しつつも反撃の機会まで残した作戦に、琴音は言葉を失っていた。
「ここまでが、作戦の全貌の話となる」
「そして、残念だけど幻都にはみんなが残って……いまも封印されているのね」
「ああ」
「二都作戦中止の判断についても聞かせてくれる?」
「もちろんだ」
加山はまず、幻都の召喚と突入の経緯を説明した。あえて自身のコイミサイル改での移動は端折ったのだが、琴音から加山の移動手段を聞かれ、しぶしぶ話した。琴音はその内容と、隠そうとした加山の心中を察し、こみあげる笑いを抑えられなかった。気まずそうに肩をすくめる加山の視界では、黒子も忍び笑いで肩を震わせているのが見えた。
「さて、ここから先は持ち場が分かれて直接見ていない部分もあるが、みんなとの通信内容を擦り合わせて話すよ」
*
聖魔城を包み込んだ幻都。そこへ上空から突入した華撃団メンバーは、まずは大きく二手に分かれた。先行したのはすみれと護衛のさくら。芝公園の北端にある、十番目のセフィロトへ直接向かっていった。残るメンバーはひとまず日比谷公園に着陸し、簡単な索敵を行う手はずだ。
紅蘭が放った隠密偵察機『ドロドローン』からの情報では、黒い球体は依然としてその姿を変えることなく、宮城――旧江戸城跡におさまっている。なんらかの防御機構が発動しているのか、先行調査では入ることができた『ドロドローン』を含め、近づいた機体はすべて破壊されてしまった。一方でその周囲には、もともと上空で黒い球体を守るように飛んでいた万を超える下級降魔が、幻都の各地に散らばっていた。ただしその大半は四肢を痙攣させた状態で倒れており、幻都に包まれた段階でも、絶界の力の作用が働いているものと推測された。
一行は予定通り、日比谷公園からほど近い虎ノ門へ向かった。そこにはセフィロトのひとつであるイェソドがあった。そこで道返玉を持った織姫を残し、時計回りで各セフィロトを巡っていく。途中で幻都の南西、北西、北東、南東に二剣二刀を配するため、加山、新次郎、ラチェット、大神が順次離脱していく。そうしてセフィロトを一巡して残った七名は、再び日比谷公園に戻って北斗七星の陣を発動するための星檀を作る、という手はずだ。
加山は幻都の南西、高松宮御用地へ向かった。普段の白いスーツ姿ではなく、黒い忍び装束である。瓦礫にもたれるように動きを止めた降魔や、上空を無意味に旋回する降魔には目もくれず、瓦礫や木々を死角にしながら疾走する。およそ五キロの道のりを走破した加山は、まだ緑の多く残る御用地内の東屋に足を踏み入れた。東屋の畳をめくり床板をはがすと、地面が露出するはずの場所に跳ね上げ式の扉が現れた。扉を開くと、奥へと続く階段が見える。加山は一度建物から出て、『見えへん弐号』を東屋内の四方に据え付け稼働させた。装置が機能していることを確認し、屋内に戻って地下へと下る。階段の先には、二十畳ほどの部屋があった。すべての面が板で覆われ、要所要所にはめられた畜光石が仄かに室内を照らし出している。夜目のきく加山には充分な明るさだ。そのまま部屋の奥に設えた神棚に進む。打ち合わせ通り用意されていた蝋燭に火をつけると、刀掛台が浮かび上がった。
幻都の北西、北東、南東にも、各地の建造物の地下に同じ部屋が設えられている。それらは集団疎開で人がいなくなった後、土地の所有者の確認もとらずに二都作戦のため急遽つくられたものだ。それを幻都は期待通り再現させたのだった。二剣二刀から十種神宝へ霊力を必要なだけ送るための機能が、この部屋に詰め込まれている。
加山は懐から取り出した巻貝を重ねたような白い装置『吸い取るくん』を刀掛台の横に置き、続いて背負っていた刀袋を降ろして中に納められていた神剣白羽鳥を取り出した。純白の柄と鞘に朱色の柄巻と下緒が、蝋燭の炎に照らされて黄金のような輝きを放っている。
『藤枝家の魂を預けるわ。きっと、あやめ姉さんのご加護もある。よろしく頼んだわよ、加山くん』
かえでから剣を預かったときの言葉が蘇る。誇らしさと寂しさをブレンドしたかえでの表情を思い出しながら、加山は白羽鳥を鞘から抜き放った。神剣特有の冷たい霊力を感じながら、切っ先を幻都の中央に向ける。
「高天原に神留り坐す 皇吾親神漏岐 神漏美命 以ちて皇神等の鋳顕わし給う十種の瑞宝に、神剣白羽鳥の霊威を捧げん」
あらかじめ神剣白羽鳥と十種神宝のひとつである足玉は霊力を繋ぎ合わせている。その繋がりを復元するための呪文を加山が詠いあげ、再び刀身を鞘に戻し刀掛台に立てかけた。すると神剣に宿る霊力が室内に張り巡らされた機関に流れ出す。弱々しい光を放っていた畜光石が激しく明滅した後、部屋全体が強力な結界に包まれた。加山は、自身の感覚が大きく鈍るのを感じながら、急いで階段を駆けのぼった。『見えへん弐号』が覆い隠した畳の間まで戻ると、大仕事を終えた疲労を感じながら腰を下ろした。
「大神ぃ、神剣白羽鳥の奉納は終わったぞ」
『どうした加山、わざわざ秘匿回線を使うこともないだろう』
「さっきのさくらくんとすみれくんのやり取りを聞いて、会話が筒抜けなのは恥ずかしいなぁと思ってね」
『で、本当のところは?』
「なんだよ、つれないな。愛の言葉のひとつでも囁いてくれよ……っと、冗談はこれくらいにして、お前にだけは伝えておく」
『わざわざ、今、か?』
「ああ。米田臨時司令のご命令で話せなかったことがある」
『話してくれ』
「今頃、帝都の華撃団は、襲撃を受けているはずだ」
『なに!』
加山は大神をなだめつつ、オデュッセイア作戦の背景と概要をかいつまんで説明した。CoFによる賢人機関・華撃団への工作および降魔皇召喚の疑惑と、その後に想定される地上の各国華撃団への襲撃、そこからの逃走計画。
『ラチェットはこのことを知っているんだな? 加山、なぜ事前に話してくれなかった。俺も少しは成長したつもりだ。あらかじめ知っていたからといって、二都作戦の遂行に影響がでるような無様な姿は見せない』
「そんなことは承知してるよ。だが米田さんの気持ちもわかるだろう? 目の前の作戦に専念させたい、と」
『だが、不測の事態で現場判断が必要になったとき、情報不足は致命的だ』
「だから、米田さんはこのタイミングでお前だけに伝えろ、と言ってたんだよ」
『何もかもお見通しか。米田さんには追いつける気がしないよ』
「陸軍きっての大戦略家だぞ? せいぜい精進しろよ」
大神と加山の笑い声が重なったその時、すみれの通信が割り込んできた。
『大神隊長、マルクトの準備は終わりましたわ。二剣二刀と『吸い取るくん』からの霊力が届くまでのあいだに、辺津鏡を目覚めさせます』
『……こちらの方は予定通り九つのセフィロトを巡回しながら配置を進めている。幸いなことに下級降魔数体との遭遇戦程度で済んでいるから、想定よりもスムーズに進んでいるよ。とはいえ時間はあるから、すみれくん、あせらずにゆっくりと進めてくれ』
『わかりましたわ。皆さんも、お気をつけて』
すみれの報告がおわったところで、加山は大神に声をかけた。
「じゃあ手はず通り、神剣白羽鳥から十種神宝へ霊力が流れるのを確認したら、すみれくんのフォローに回るよ」
『ああ、頼んだ』
大神との秘匿回線を切ると、加山は畳に寝ころんだ。作戦中ではあるが、休めるときに休むのも大事なことだ。
*
「大神さんにまで、オデュッセイア作戦については伏せられていたのね」
加山の回想がひと段落ついたところで、琴音が呟いた。
「ああ。そしてその情報を大神に伝えて数時間もしないうちに、その情報が活きることになった」
「不測の事態……上級降魔の襲撃かしら?」
「いや、それは想定済みだった。だから移動はできるだけ集団で行い、十種神宝や二剣二刀の励起で留まる際には『見えへん弐号』の力場内に身を潜めていたんだ」
「なら、もしかして『吸い取るくん』の不調、とか?」
「……すごいな。どうしてわかったんだい?」
「紅蘭の発明品って……どこか残念なところがあるから」
琴音は頭に浮かんだ言葉を押しとどめ、マイルドに言い換えた。加山は苦笑しながら、補足した。
「ああ……確かに。ただ紅蘭の名誉のために言っておくと、今回ばかりは彼女に責任を背負わせるのは筋違いだ。コンセプトは紅蘭が考えたが、必要な性能は開発班全員が確認し、様々な実験を経て算出したものだ。陸軍やダグラススチュワート社から接収した降魔の実験データも含めて、だ。
それに作戦検討段階から、『吸い取るくん』が不調な場合は『生命の樹』発動を断念し、すぐに北斗七星の陣による幻都封印を行って離脱することは決まっていたんだ」
「ならどうして」
「オデュッセイア作戦のことを、大神が知ってしまったからだ」
加山は幾分、後悔をにじませて言った。
*
高松宮御用地で加山が休息をとっている間にも戦況は刻一刻と変化していた。すみれからの辺津鏡の目覚めを皮切りに、各地からも続々と十種神宝覚醒の報が届く。そして九つ目の報告が届いたしばらく後、加山の足元で霊力が膨れ上がるのを感じた。十箇所すべてのセフィロトに種子が生まれたことで、あらかじめ繋いでいた神剣と神宝が互いをもとめ、霊力のつながりを生み出したのだ。わずかに遅れて、ダイアナからの神宝覚醒の声がする。加山は東屋を飛び出し、付近の霊力の流れを慎重に読み取った。東屋の地下から溜池山王付近のセフィロトに向かって一直線に霊力の流れが見える。
「大神、神剣白羽鳥の霊力供給が始まった。異常はない」
『こちらもだ』
大神の返事に続き、ラチェット、新次郎からも二剣二刀が順調に機能している連絡があった。加山は足元の霊力の流れをあらためて感知する。その霊力の勢いは程よく押しとどめられ、一定の量を供給し続けている。これは地下室に備えられた機能によるものだ。
二剣二刀を用いた十種神宝発動の実験により種子が求める霊力量には波があり、二剣二刀は求められるままに霊力を送りだそうとすることがわかった。しかしこの流量の増減は二剣二刀や霊力の流れにある物体への負荷が大きく、暴発が起きたことも一度や二度ではない。そのためいかに霊力を一定量で送り出すかについて検討が重ねられた。その打開策のきっかけとなったのは、紐育華撃団が交戦した魔人・東日流火(つがるび)の能力だった。かの魔人は人を石化させ、体内の霊力を吸い上げる術を用いていた。この術の本質は石化によって体内の霊力が外界に流れ出すのを押しとどめ、必要な時に必要なだけ霊力を抜き取ることにあった。そして驚くべきことに、石化した内部では霊力の流れを押しとどめるために外界よりも時間の流れを遅らせている、という仕組みが判明した。この術を解体して機械的に再現したのが、二剣二刀を納めた地下室の機能なのだ。神剣白羽鳥の霊力を得て部屋が稼働した瞬間に加山を襲った感覚の遅延は、まさに結界内の時間の流れが変化したことによるものだったのだ。この仕組みは、紐育華撃団のメカニックチーフである王が考案、設計したらしい。あの不思議な老人が、と加山は改めて感心した。しかし、続く事態に落ち着いて考えることも出来ない。
『何者!』
さくらの鋭い声が響く。
『さくらくん、どうした!』
『わかりません。おそらく敵襲です』
そこから続く問答、そしてすみれからの上級降魔出現の知らせ。緊迫した状況だが、どう動くかは大神の指示しだいだ。加山は呼吸を整えながら、四肢の凝りをほぐして待つ。
『大神さん、こちらは大丈夫です。作戦を進めてください』
『わかった。こちらも二剣二刀の励起と『吸い取るくん』の起動に成功した。周囲の降魔が動きを止めていることも確認できた。間もなく各セフィロトに霊力が供給されるはずだ』
と、そこで複数名の悲鳴と怒号が通信に割り込み、マリアが状況を報告してきた。
『大神隊長、星檀地域にも上級降魔が二体現れ、襲い掛かってきました。星檀のメンバーで応戦中です』
『すみれくんを除くセフィロトのメンバーは、神宝の励起を確認したのち幻体を残して星檀メンバーに合流。新次郎もそこへ向かって星檀メンバーから上級降魔を引きはがしてくれ』
『了解です!』
新次郎が即応する。
『ラチェット、加山は予定通りさくらくんのところへ。予定と違うが俺も向かう!』
「了解!」
加山は駆け始めた。途中倒れている降魔から妖力が東屋に向かって流れているのが見えた。『吸い取るくん』は期待通りの働きをしているようだ。が、最高速度を目前にして、加山の足がとまる。駆け始めてまだ五百メートルほどだが、妖力の流れが見当たらなくなったのだ。想定では直径二キロ、中心の東屋から一キロは妖力を吸い取ってもらわなければ、まずいことになる。
「大神、こちらの『吸い取るくん』の出力範囲が想定より短い。五百メートルほどで効果がなくなっている」
『こっちもよ。上空から見てるのだけど、距離がまちまちのようだわ。三百メートルしかないところもあれば、一キロ近くまで影響しているところもあるみたい』
ラチェットによる補足で、事態の深刻さが浮き彫りになった。大神と新次郎も同じような状況を確認したようだった。
『各地の状況を見ないとわからないけど、こちらと同じだとすれば『吸い取るくん』で期待していた霊力量の四分の一にもならないわ』
ラチェットの緊迫した声につづき、昴から報告が入る。
『昴は言った。「預かった品々物之比礼から発芽はしたが、生長が進まない」と』
続々とラチェットの推測を裏付ける報告があがる。そこへ、さらに悪い知らせがさくらから届く。
『すみれさんが上級降魔の幻術で、気を失っています。芽から生まれた聖域のおかげで追撃は受けていませんが、とても苦しそう。毒か精神攻撃の可能性があります。
私は上級降魔二体をここに引きつけるので、すみれさんをお願いします』
『おいおい、大神隊長。これは決断のしどころじゃないのか?』
ロベリアが皮肉っぽく声をかける。余裕ありげだが、本人も激しい戦闘を繰り広げているようだ。彼女のいる北斗七星の陣・星檀にも上級降魔が二体出現しているのだ。
『ひとまず先ほどの命令の通りだ。セフィロトのメンバーと新次郎は星檀メンバーから上級降魔を引きはがし、星檀メンバーがいつでも北斗七星の陣を発動できるようにサポートしてくれ。ラチェットと加山はすみれくんを保護し、脱出の用意を。俺はさくらくんのフォローに回る。みんな、気づいたことがあればすぐに報告してくれ。あと、紅蘭とラチェット、加山は秘匿回線一〇一につないでくれ。移動しながら以降の作戦を整理したい』
加山は命令のままに駆け始めた。まずはすみれの救助が最優先だ。
『紅蘭、ラチェットの報告は聞いていたな。どう思う』
『さすがに四つ同時に装置が故障するのは考えにくいで。せやから、何かが吸収そのものを邪魔しているか、吸収範囲が広がるを邪魔しているかのどっちかや』
『対処方法は?』
『原因によるけど、『吸い取るくん』の吸収力を強化するか、邪魔しているものを排除するかしかない。でも吸収力の強化は、ここではでけへんで』
『わかった』
『二剣二刀メンバーで気づいたことは?』
『霊力と妖力の分布図を見ているんですが、ラチェットさんと僕の方が霊力の範囲が狭いです。聖魔城に近いほうが影響を受けているのかな』
『新次郎の言うとおりね』
新次郎の推測に、ラチェットが同調する。
「言いたいことは皆が言ってくれた。俺はこのまますみれくんの保護を優先させてもらう」
『頼んだぞ、加山』
加山は回線には繋いだまま、走る速度を上げる。そうする間にも、大神たちは作戦の落としどころを話し合う。
『大神隊長、ロベリアの言う通り作戦の中止を決断すべき時かと』
『ラチェット、先ほど加山からオデュッセイア作戦について聞いた。帝都側に聖魔城を呼び寄せる勢力がいるなら、幻都の封印がどれだけ有効かわからない。しかも帝都側の状況次第では、俺たちが帰還したところで闘い続けるだけの余力がないかもしれない。なら、ギリギリまで降魔皇を直接弱体化させる方法を考えるべきだと思わないか』
大神の言葉に、ラチェットは口を噤んだ。米田との会話を思い出しながら、何を優先すべきか考え直す。
『大神隊長の言う通りです。そこまでお考えでしたら、出来る限りの時間稼ぎをするまでです。ただし、なにがあっても帝鍵だけは地上に戻さなければなりません』
『もちろんだ。だからラチェットと加山は、すみれくんを連れていつでも離脱できるよう準備してくれ』
そこに、会話の継ぎ目を伺っていた紅蘭が発言した。
『大神はん、ええか? 時間稼ぎやったら案があるで。ほんまにただの時間稼ぎ、やけどな』
『話してくれ、紅蘭』
と、駆ける加山の耳に、戦闘音が聞こえてきた。通信から意識をはがし、戦場に集中する。
上級降魔と光武の戦いにのこのこ出て行っては、流石に分が悪い。加山は様子を伺うのに具合のいい民家をみつけ、飛び込んだ。壊れた窓から様子を伺うと、光武が二体の上級降魔と戦いを繰り広げている。が、光武はすでに左手が動かず、二方向からの攻撃をさばき切れていない。金髪の女降魔による背後からの攻撃で左足のチューブが断ち切られ、ついに光武は動きを止めた。
すると、間髪置かずにさくらは光武から跳び出し、あろうことか生身で上級降魔に斬りかかった。早く助太刀しなければ、と逸る心を抑えながら周囲をうかがうと、緑のじゅうたんを敷き詰めたような一角が見て取れた。あれが聖域らしい。眼をこらすと、その中心部に人が倒れているのが見えた。遠目にも倒れたすみれであることがわかった。
「さて、本場の上級降魔にどこまで通用するやら」
言いながら加山は黒装束姿から、瞬時に白いスーツ姿に身を転じた。肩からはギターが下げられている。あとはタイミング次第だ。できるだけ戦闘域に近づくため、付近の建物を伝っていく。と、そこに大神から全メンバーに向けた通信が始まった。
『みんな、聞いてくれ。これからの作戦について説明する。
まず状況だが『吸い取るくん』による霊力供給が不足している。このまま『生命の樹』の召喚を続けても、芽から若木まで生長することができない。
一方で帝都には聖魔城を呼び寄せた黒幕が存在し、地上に残った帝都、巴里、紐育それぞれの華撃団司令が狙われていることがわかっている。すでに米田臨時司令指揮のもと対抗する作戦が動いてはいるが、現状ではその身を守ることで精一杯という見通しだ。だから、このまま俺たちが幻都を封印して戻っても、黒幕による幻都の封印を巡る戦いが繰り返されるだけだ。
そこで俺たちはこの地に残って北斗七星の陣を発動し、幻都を封印する。その後、華撃団メンバーは二剣二刀の結界内に潜んで、不足する霊力を補ってほしい。あそこの地下室なら、仮死状態で霊力を長期間にわたって供給し続けることができる。
その間に、俺と新次郎は『吸い取るくん』の妖力吸収を阻害している要因を調査し、排除する。それが不可能な場合、俺と新次郎も地下室に移動し、霊力供給に回る。
ラチェット、加山、すみれくんは北斗七星の陣が発動したら帝鍵を受け取って帝都に戻り、『吸い取るくん』の強化、もしくはそれに代わる手段を探してほしい。それを土産にして、再び戻ってきてくれ。
現在、新次郎とセフィロトメンバーによって上級降魔は北斗七星の陣から引き離している。ラチェットと加山がすみれくんを救助する手はずが整い次第、北斗七星の陣を発動する』
長い沈黙の後、めいめいが話し始めたが、それを見越したマリアが一喝した。
『みんな、言いたいことがあるのはわかっているわ。でも今は時間がない。だから作戦遂行に必要なことだけ、代表して私に質問させて』
『異議なし』
マリアの提案にグリシーヌが賛同し、通信が静まった。
『まず大神隊長と大河隊長のことです。幻都で生命維持をしつつ、どうやって戦うかの算段はついているのですか』
『生命維持……食事についてはこれから考える。みんなの光武に積まれている非常食を食いつなげば、一ヶ月は保つ。その間に何かないか探してみる。戦闘については、みんなが残した幻体と連携しながら行うつもりだ』
『では、私たちの霊力を供給し続けるとして、どのぐらいの期間それが可能なのでしょうか』
『ラチェットさんと紅蘭さんの試算では、石化効果を控えめに見積もって十年だそうです。長ければ五十年だと』
新次郎がそれに答えた。そこに、レニの補足が入る。
『思いついて僕たちの脈拍数と光武内の経過時間の比較をおこなったんだけど、どうも幻都内は外の世界よりも時間の流れが遅いみたいだ。まだ体感では数時間なのに、光武の時計では一日以上が過ぎている。石化効果が最短の十年だったとしても、外界では百年もつかもしれない』
『レニ、ありがとう。続いて帝都側についてです。その米田指令の作戦が成功したとして、黒幕と闘い続けながら勢力を維持し霊力供給の手段を見つけるのに、どれだけの期間がかかるとお考えですか』
『それについてはオデュッセイア作戦立案に関わっていた、わたしからさせてもらうわ』
ラチェットが引き継ぐ。
『司令部内では黒幕と渡り合う勢力にまで戻すのに三年、と言われていたけど、まあ最低でも五年はかかると思ってちょうだい。あとは黒幕しだい。あちらの仕込みが大きければ大きいほど、対処するのに時間が必要になる』
『ラチェット、ありがとう。では最後に。大神隊長、この作戦で出る犠牲者の見積もりを教えてください』
『ゼロだ!』
大神は間髪入れずに言い切った。
『これは、犠牲者を出さずに人類から降魔の脅威を取り除く、千載一遇のチャンスだ。場合によっては俺たちが幻都から解放されるのは百年先の未来になるかもしれない。それでも、俺たちが、勝つ! マリア、質問は以上か』
『ええ、結構です』
『おいマリア、話が長ぇんだよ! どうせみんな隊長の命令には従うんだろ? こっちはいつまで上級降魔を抑えてりゃいいのさ』
カンナのまぜっかえしに、一同が笑い声を上げた。
『あのな新次郎、いいか?』
リカがおそるおそる声をかける。
『どうしたんだい、リカ?』
『食べ物なら、あるぞ。しかもめっちゃ美味しい』
『え?』
『ここに生えた光の木に、な~んか実がなってたから食べたんだ。そしたら口のなかがうわ~ってなって、身体がうお~ってなったんだ。これ、新次郎と一郎のもしものゴハンだぞ』
『おい、リカ! その辺にあるものを勝手に食べちゃダメって言っただろう? まあ、今回は良かったけど……』
日ごろからリカの奔放な振る舞いに気をかけているサジータの言葉に、さらに笑い声が上がる。その浮ついた空気を引き締めるように『少しいいかしら』とラチェットが口をはさんだ。
『みんな、そろそろ準備をして。あと一分でさくらのところに着く。そしたら北斗七星の陣をよろしくね。
わたしは米田臨時司令に、あなたたちと帝鍵を必ず連れ帰ると約束した。だから、これは作戦の中止と考えてはいない。一度わたしたちは離脱するけど、必ず挽回する策をもって戻ってくるわ。だからみんな、無茶だけはしないでね』
『ラチェットが嘘つきにならないように、あたしたちもしまっていかないとね』
サジータが軽口で応酬する。皆、それぞれに覚悟を決めているようだった。
マルクト近辺――さくらと上級降魔の遭遇戦現場――では、加山が大神たちの問答を聞き流しつつ息を殺し、金髪の女降魔の間近にまで迫っていた。女降魔はさくらを常に死角から狙っている。そのパターンをつかんだのか、さくらは前方の男降魔を攻撃しつつ紙一重で斬撃を……かわしたが、後ろで結わえた黒髪がわずかに切り離された。奇妙なことに女降魔はそのひと房を大事そうに拾い、胸元に納めていた。
と、そこで女降魔は上空に気を取られた。ラチェット操る人型蒸気に気づいたようだ。
間髪入れず、加山は手にしたギターをジャラ~ンと鳴らした。
「海はいいな~あ、書き割りだけど」
振り返った女降魔は、動きを止める。彼女の目には、浜辺の絵を背にして爽やかに笑う加山が映っていた。
「な?」
「ふ~ん、きみは崎姫と言うんだね」
崎姫の背後から加山の声がする。振り返ると、銀髪の女降魔が倒れていた。
「君の大事な人は、その人……ああ、千夜、と言うのか」
「貴様ッ!」
崎姫は振り向きざまに妖力を帯びた爪を加山に突き立てる。が、感触のないまま、霞のように加山の姿が消えていった。
「わらわの、心を、読むなぁ!」
妖力を暴発させようとした瞬間、頬を叩かれる感触で崎姫は現実に引き戻された。
「崎姫、愚か者! 人間如きに術をかけられるとは」
「幻庵、さま?」
見かねた幻庵がさくらに大量の黒塵戟をお見舞いし、その隙に崎姫を正気に戻したのだ。そこに上空から現れたラチェット機が機銃を浴びせかける。幻庵にしてみれば大した痛みではないが、うっとうしい。
崎姫が幻惑されている隙に聖域まで移動した加山は、抱え上げたすみれを光武に乗せ自動帰還プログラムを起動する。即座に飛行ブースターに火が入り、ゆっくりと機体が上昇を始めた。ラチェットも聖域に降り立ち、加山を機体の背に掴まらせる。
「おのれ人間め、愚弄しおって!」
幻庵と崎姫の怒りの声が重なった瞬間、周囲に静謐な霊力が充満していった。何事かと幻庵が聖魔城を振り返ると、遠くに七筋の蒼い光柱が空へと伸びているのが見えた。その光柱に向かって剣を頭上に掲げたさくらが、いましも術を発動させようとしている。柄頭につけた鈴の音が響き渡った。
「帝剣をもちて、魔を封じる儀式……北斗七星の陣!
我、北斗に請い願う……命を汲みて、地に注げ。
天地再誕、七幻世界を絶つ!」
その言葉が終わるや否や、太陽の如き光が刀身から発せられ、幻庵と崎姫の目を焼いた。幻庵の顔面にはヒビが入り、右半面が崩れ落ちた。
ラチェットは白く塗りつぶされたモニターに構わず、さくらがいるであろう方向へ飛び出す。ラチェット機に身体を括り付けていた加山は機体の振動に揺さぶられながらも微かに耳に届いた鈴の音を頼りに、タイミングを計って分銅鎖を上空へ放った。手ごたえを受けて引き戻すと、さくらが術の発動にあわせて放り投げた帝鍵――帝剣が鎖に絡めとられていた。
「ラチェット、帝鍵は受け取ったぞ」
「アメイジング! ジャパニーズニンジャは伊達じゃないわね」
そのままラチェットは機体を空に向けた。加山は風圧をこらえながら、人型蒸気の武器格納用ハッチに帝鍵を納める。
「大神、みんな、待っててくれ! 必ず戻ってくるからな」
『ああ。こっちのことは任せておいてくれ!』
加山と大神が言葉を交わす。華撃団メンバーたちからの激励の言葉や歓声が、機体の上昇とともにぷっつりと途切れた。
「加山隊長、そろそろ幻都空域から出るわ」
ラチェットの言葉に空を見上げると、垂れこめていた淀んだ空が、一変して目に痛いほど澄んだ青空に入れ替わった。途端に強烈な冷気に身体がさらされる。
「では離脱する。ラチェット、またあとで!」
「ええ、すみれを回収するまでが作戦だもの」
ラチェットの冗談にほほ笑みながら、加山は機体と身体を繋いでいたベルトを断ち切った。そのまま空中に解き放たれると、四方八方からの風圧に翻弄されながらも冷静にマスクやら手袋やら身支度を整える。ひと通りの装備を終えたところで、加山は背中のパラシュートを開いた。空気抵抗で身体がばらばらになりそうだ。痛みに薄めた眼を開くと、眼前にある巨大な球体が徐々に姿を消していく様子がうかがえた。北斗七星の陣発動により、幻都が完全に封印されたのだ。
「必ず戻ってくるからな。だから死ぬなよ、大神。みんな」
士官学校時代からの腐れ縁で、親友でもある大神。
設立当初から陰から日向から見守っていた帝都花組のみんな。
巴里では帝都花組に先駆けて交流をもった巴里花組のみんな。
輸入雑貨店店長として支えてきた新次郎と紐育星組のみんな。
誰一人として、失いたくない。誰もが幸せになってほしい。
ここからしばらくは、どうやっても風と重力任せで出来ることなど知れている。加山は地上へ降り立つまでの間だけと言い訳をしつつ、感傷に身を浸すのだった。
*
「……」
加山のひとり語りが途絶えたが、琴音は声を出すことが出来なかった。加山は困った表情で黒子を見やるが、首を振って返される。しばらくして琴音は、伏せていた顔を上げた。
「ごめんなさい。なんというか……本当にあの子たちが幻都にいることを今更ながら実感して」
加山はかける言葉が見つからず、困った表情が崩せない。
「こんなんじゃ、いけないわね。何点か確認させて。さくらと交戦していた幻庵が北斗七星の陣から逃れていたということは、近くにいた崎姫も帝都に潜伏している可能性がある。新生花組に討たれた幻庵を除いても、最低でもまだ一体の上級降魔がいるというわけね。あと『吸い取るくん』の代わりになるものについて、どんな状況か教えて」
「流石は陸軍情報部のエリート。押さえるポイントが的確だ」
加山の言葉に、黒子も大きくうなずく。
「その両方の答えは帝都帰還後、一度だけ接触した迫水支部長から聞いた話にある」
「迫水さんと接触してたのね」
「ああ。さて、もう随分遅い時間になった。簡単に説明するよ」
迫水から聞いた話、というのはこうだ。
ラチェットは幻都脱出後、自動帰還プログラムにより先行していたすみれの光武を追跡していた。ようやく視界に光武の姿を認めたラチェットは、光武の背中に崎姫が取りついていることに驚いた。すぐさま機銃で迎撃したが、崎姫は接近しすぎたラチェットに飛び移り、そのまま一緒に落下したのだという。そこはすみれ機が帰還する予定だった神崎重工の工場の付近で、ラチェットは落下による衝撃で動かなくなった人型蒸気を乗り捨て、生身で崎姫と交戦した。崎姫の方も相当な傷を負っていたが、霊力がないラチェットでは到底かなわない。それを察して崎姫は、当初の傲岸さを取り戻した。
『貴様、その枯れ切った霊力でよくわらわと闘おうと思ったものじゃ。それではつまらん、少し妖力を分けてやろう』
その言葉が終わるやいなや、ラチェットの身内におぞましい力が流れ込んだ。しかし身体中の鳥肌が治まると、わずかばかり霊力が扱えることに気づいた。
『さあ、それで少しは楽しませてくれ』
と、躍りかかる崎姫を邪魔したのは、藤枝かえでだった。ラチェットが持つ帝鍵を受け取るために、近くに潜伏していたのだ。かえでは紅蘭特製の霊力が籠められた弾丸――ヤフキエル事件で謎多き魔術師パトリック・ハミルトンを滅ぼした実績のある霊力弾で応戦した。それは着実に崎姫を追いつめたが、妖力で跳ね返された弾丸でかえで自身も目を傷つけるほどの激闘だったという。ラチェットに霊力を与えた軽率さも含めて不利を悟った崎姫は、呪詛の言葉を残して姿を消したのだった。
「それってつまり、崎姫は帝都に逃れていて、その崎姫の術が幻都のみんなを救う手掛かりになりそうだ、ということ?」
「ああ。だがその後、少なくとも月組では崎姫を捕捉できていない」
琴音の胸中に芽生えた希望がはかなく消えていく。表情に出さないようにしていたが、加山はそれを敏感に感じ取ったようだった。気分を変えるように、加山は努めて明るく振る舞った。
「さてさて、本当に長い話になったけど、こうして最終的に二都作戦は突入部隊のみんなが封印内に残ることで目的を達成することはできた。だが帝都側…オデュッセイア作戦の落としどころとしては華撃団司令部の一時撤退、潜伏しかなかった。
その一方でCoF側は雑兵レベルの降魔を失っただけで、元からある力を減らすどころか、上級降魔である幻庵、崎姫を加えてこの戦いを終えた。対する僕たちは帝都花組、巴里花組、紐育星組たちという戦力を失った。しばらくは力を蓄えることに専念する、というのは迫水支部長の言葉だ」
「迫水さんは?」
「さあ、どうだろう。僕の所に来るのも想定外の行動だったし、早々に戻ったんじゃないかな。さっきも言ったけど、すでに僕に監視の目がついていたしね」
「でも監視の存在を知りながら、みんなの元に戻るかしら? もしかしたら別の役割があって、こちらに留まっているかもしれないわね。
いずれにしても米田さんたちはこれだけの想定をしていたんだもの。きっと今もチャンスを伺っている、そう信じるわ。
ところで、すみれさんはこの話を知らないのね?」
「ああ、迫水さんが届けてくれた米田さんの伝言を忘れてた」
加山はその内容を諳んじた。
『加山、お前にも来てほしいのはやまやまだが、CoFの奴らが華撃団にちょっかいを出す間も陸軍を手薄にするわけにいかん。なんとかそっちを押さえておいてくれ。あと薔薇組も陸軍に返す。事情は伏せておくし、お前もあいつらにはこの件では接触するな。あくまで陸軍を守るための仲間と思えばいい』
『最後にすみれだが……今後の帝都、そして帝国華撃団にはあいつこそ必要だ。どんな横やりが入っても、あいつは絶対に真の帝国華撃団をつくりあげてくれるはずだ。娘みたいなあいつに、背負わせるのは忍びないが……その大業に専念してもらうためにも、この作戦について一切伝えるつもりはねぇ』
「そう、あたしたちのことも、考えてくれていたのね」
琴音は涙ぐんだようで、眼鏡をずらしながら目じりを指でなぞった。
「これで、話せることはすべてかな。僕もその後は米田さんたちと接触していないから、現状は知らないんだ」
「それは、ラチェットについてもよね?」
「さっきから気になっていたんだけど、琴音さんはラチェットについて気になることでもあるのかい?」
この会談冒頭でラチェットの名前に琴音が反応したのを思い出しつつ、加山が探りを入れる。
「その話の前に、あなた達も初代花組ファンの昏睡事件は知ってるわよね」
加山は迷いなくうなずいた。
「その事件を追うなかで、村雨白秋があたしたちに接触してきたの」
「村雨白秋――新生花組、天宮さくらくんの師匠だね」
「そう。彼女は昏睡事件とラチェットの関係性を疑っているようだったわ。それで手近にいたあたしに接触してきたの」
「村雨白秋と昏睡事件の関係性も気になるけど……それにしてもラチェットが関係する絵が思い浮かばないな」
「そうよねぇ……まあいいわ。彼女も、ラチェットを追う理由はそのうち話してくれそうだし」
「こちらもなにかわかれば、連絡するよ。お互い、監視は軽くなるだろうしね」
琴音は立ち上がると、加山と黒子に手を振って軽やかに部屋を出て行った。
残された加山、黒子は顔を見合わせて、密度の濃い会談の疲れをため息で吐き出した。
「なかなかに切れるご婦人でしたな」
「十年たっても衰えていないから、大変だったよ。さすが陸軍情報部エリートだね。それにしても、外でのWLOF残党のあぶり出しと捕縛指揮、おつかれさま。これでようやく、オデュッセイア作戦に絡んでもいい頃合いになったかな」
「まだ月組内、あるいは陸軍内の通信網に間者は残っています。しかし我々の行動を追跡できるほどの余力はないでしょう」
加山はそれまでの穏やかな空気を消し、表情を引き締め立ち上がった。黒子に真剣な目を向ける。黒子もそれに倣い、立ち上がる。沈黙のなか、両者の視線が交錯する。ややあって黒子はゆっくり首肯すると、面布を外し、加山の目を見つめ返した。
加山は背筋を伸ばし、それまでの砕けた口調をあらためた。
「これまでは監視上そちらの動きから距離を置きましたが、今こそ共に動くときかと」
「ようやく、私自身の任務にとりかかれる日が来ましたな。では、我らが拠点にご案内しましょう」
黒子――迫水典範は、加山が差し出してきた右手を強く握り返し、笑顔を浮かべた。