偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版 作:出口豊志朗
さくらの母、ひなたの墓参りを終えると、あざみは里へ帰省しクラリスもそれに同道した。それを最寄り駅で二人を見送ったあと、アナスタシアだけは帝都へ戻っていた。皆には「日本に来ている知人と会う」とだけ告げたが、行先は誰にも伝えていない。というより彼女自身、指定された住所へ向かっているだけで、そこがどこなのかも知らなかった。そうしてたどり着いた先は、日本家屋だった。
板の間に置かれたソファの向かいに座っていたのは、肩までの黒髪をピンクのリボンでわずかにまとめた少女だった。だが、黒い軍服めいた制服をまとい、左腕には鱗を思わせる水色の腕章をつけている。その姿は剣呑そのもの。
「アナスタシア様に声を掛けられるなんて、いつき超カンゲキ!」
大きな目を見開き顔を紅潮させる少女は、西城いつき――帝国華撃団月組隊長であった。
「そういうのは劇場だけでいいわ。ここには誰もいないし、ファンの振りなんてしなくてもいいでしょう」
「月組なのは隠してましたけど、花組のファンなのは本当ですよ! ほんと役得、一石二鳥!」
「……わかったわ。とにかく本題に入っても?」
「もちろんです。それにしてもアナスタシアはまじめですね。わざわざ自分から尋問を申し出るなんて」
その言葉に、アナスタシアはため息をつきながら首を横に振った。
「あなたたちのやり方が甘すぎるのよ。私は幻庵事変の重要参考人でしょう? あんな簡単なやりとりだけで戦線に復帰させるし、その後もなしのつぶて。劇団の事情に合わせたのかもしれないけど、呑気に休暇まで与えて放っておくなんて」
「その辺は優先順位がありますから。人手不足もあって」
いつきは苦笑いしながら、頭をかいて答える。
「もしかしてこの家も、何かの調査対象なの?」
「よくわかりましたね」
「まずあなたがその恰好だし、部屋自体は整っているのに家探しの後みたいな落ち着かなさがあるわ」
「すごいですね、月組でもエースはれますよ」
言いながらいつきは自分で淹れたほうじ茶を一口含み、足を組み替えた。
「先日、WLOF日本支部の職員がここで意識を失っているのが見つかったんです。その職員自身は白なんですけど、どうも幻庵側の残党が動いてるみたいなので調べてました」
「そこよ」
アナスタシアは優雅にいつきを指さす。
「私からWLOFの情報をもっと引き出さないといけないでしょう?」
「でも、いろいろ聞きましたから」
「あの時は私も動揺していたから、伝え忘れたことがいくつもあるのよ。普通、そういうことがあるから尋問を重ねるのでしょう?」
尋問する側が、逆にその必要性を説かれている。その妙な立場の逆転を、いつきは笑ってごまかした。
「ハハハ……それで、何か思い出したんですか?」
「ひとり、気になる男がいるの。維納歌劇団にいた私を帝国華撃団へつないだ、WLOFの伝令役。私が夜叉の駒にされるまで、ずっと指令を持ってきていた男よ」
「末端中の末端じゃないですか?」
「最後まで聞いて。今思い返すとその男は、身なりや振る舞いは洗練された西洋人のようだったけど、長い付き合いのうちに東洋人と気づいたの。その男、一度荒事に巻き込まれたときに忍術を使っていた。あざみの技を見てわかったの。彼は世界中を飛び回っていたけれど、世界華撃団大会でWLOF関係者が大勢日本に集められていたから、同じように招集されているかもしれない」
「うーん、忍者ですかぁ。いまでは一族から外れたフリーもいるからそれだけでは何とも……」
「あざみって、よく技の前に「望月流」ってつけるでしょ。あの男も言ってたの。たしか「フーマ流」だったわ」
「フーマ、ふうま? 聞いたことないなぁ。最近では名の知れた忍者の一族はずいぶん減ってるんですけど、その中にはないですね」
いつきは腕を組み、小首をかしげる。しばらく考え込んだ後、彼女は忍者の世情を説明した。
「――今の時代、そんな傍流にまで仕事が回るとは思えません。それで食べていけるはずもない。逆に言えば、そんな状態でも続いている一族には、何か理由があるはず」
アナスタシアはいつきの反応に満足したようだ。
「少しは興味を持ってくれたみたいね。できればその男に一度会いたいのよ。ただの伝令役ではあったけど、背中を預けたこともある仲だし。お礼ついでに、あらいざらい話してもらうのが一番の目的だけどね」
アナスタシアの満足げな笑みに、いつきは俄然やる気が出たようだ。
「他ならぬアナスタシアのお願いですし、任せてください」
「情報は少ないけど、私も一緒に動くから。星の導きもあるかもしれない」
アナスタシアはそういうと、手品のように何もないところからカードの束を取り出しファニングする。弧を描くように並べられたカードが、いつきには輝いているように見えた。
*
あざみとクラリスが大帝国劇場に戻ったのは、さくら達の翌日だった。あざみは久しぶりの帰郷にご満悦、クラリスも日本の原風景――田舎暮らし体験を楽しんだ。
「これ、お土産。村の名物」
あざみがサロンに集まっていた神山たちへ、秘伝のたれに漬け込んだ団子を差し出した。
「これ、本当に美味しいんです」
クラリスはそう言って、もう一本手に取っている。
「本当だ。みたらしとはまた違うな」
「あっさりしてて、いくつでも食べられそうです」
さくらも満面の笑みだ。
「みんな、私も混ぜてくれる?」
そこにアナスタシアが現れた。彼女は、神山からいつきへ「北条記書伝の調査」という依頼が来たことでWLOF残党探しを中断し、ひとまず劇場に戻ることにしたのだ。
気づけば、花組が揃っていた。神山は皆のそれぞれの休暇の話がひと段落ついたところで、話を切り出す。すみれから出た降魔皇と崎姫の調査、放神記書伝の存在と、それと対を成すという北条記書伝の発見。休暇後からでよいとは言われていたが、この流れに乗るべきだと神山は判断した。
「ここに放神記書伝の翻訳レポートと、北条記書伝の写し原本、それを現代語に翻訳したレポートがある」
「昨日渡したとこなのに、もう戻ってきたのかよ!」
驚く初穂。その背後から、陽気な声がした。
「はろはろ~、全部じゃないですけど、急ぎで当たれるところから先にまとめてもらいました。訳だけならと担当が徹夜でがんばってくれました~」
振り向く初穂の目に、青竹色の着物に真っ白なエプロンをつけた女性――本郷ひろみがいつもと変わらぬ笑顔が見えた。神山が翻訳レポートを持っているという事は既に居たはずだが、気配に気づけなかった。さすがは月組、というところか。
「放神記書伝と違って普通の一族史だったので、それほど難しくはなかったそうだ」
ひろみの言葉を神山が引き継ぐ。
「休暇の途中だが、俺はこれらについて調査を進めたいと思っている。みんな、力を貸してくれないか」
「里の掟四十二条。謎を謎のまま捨ておくな」
あざみの言葉に、一同は力強くうなずいた。神山は改めて放神記書伝のレポート、北条記書伝原本とそのレポートをまとめると、クラリスに手渡した。
「と、意気込んではみたものの、今のところ手掛かりになりそうなのは、これしかない。まずはこれらについてクラリスに調べてもらいたい。日本の歴史に関わるところだから、俺、さくらと初穂でサポートしよう」
「アタシはその前に、神社にもう一度行ってみるよ。橘の精にもう少し聞けることがあるかもしれねぇだろ?」
「わかった」
「じゃあキャプテン、私は少し別のところを当たるわ」
「何か気づいたのかい?」
「気づいたというほどじゃないけれど、WLOFの側から見たほうが早いこともあるでしょう? 文書だけ追っていても、今動いているものまでは見えないかもしれないもの」
「なるほど」
「それに、あざみを連れていきたいの。もしかすると忍者についての知識が必要になるかもしれない」
「わかった。まかせて」
神山の判断も待たずに、あざみはやる気満々の表情だ。
「じゃあアナスタシアとあざみは、クラリスの調査が終わるまではそちらのやりたいようにやってくれ」
アナスタシアとあざみはうなずくと、足早にサロンを去っていった。
サロンに射す陽光が朱に染まり始めた。クラリスの目の前には件の文書だけでなく、図書室から持ち込んだ歴史書、室町時代の武将や一族に関わる書物がうず高く積まれている。最初から図書室で始めればよかったのだが、彼女が固有名詞や地名、時代背景について詰まるたびに神山とさくらがそれらしい書籍を少しずつ持ち込んだ結果がこれである。最後には初代帝国華撃団が大和で降魔と戦った記録まで引っ張り出され、ようやく考えるための下地が整ったところである。
「真宮寺さくらさんやすみれさん……初代花組はそんな敵から帝都を護っていたんですね」
さくらが知る帝国華撃団の活躍は、鉄幹やひなたが新聞の記事から得た情報を話聞かせてもらった程度のことである。帝国華撃団入団後も日々の生活に追われ、こうした情報を知る機会がなかったのだ。まだまだ学ばなければならないことが多いと心を引き締めるさくら。そこに初穂が東雲神社から戻ってきた。いろいろと調べ試してみたが、橘の精とは再会できなかったと残念そうに言う。神山は初穂を労わりながら、クラリスの方を向いた。クラリスは頷くと、咳払いした。
「まだ読み込めたとは言えませんが、ひとまず見えてきたことはあります。今日は、それぞれの記書伝の性質だけ整理しましょう」
そういうと、まずは放神記書伝のレポートを手にした。
「放神記書伝は十年前から研究自体はストップしていましたが、それまでにある程度の調査結果がでています。結論から言うと、これは予言書のようなものです」
「予言書、じゃあないのか?」
神山は首を傾げながら問う。クラリスはゆっくり頷くと、神山が話した初代花組の大和での戦いを自らメモした紙片に目をやった。
「放神記書伝に書かれた時代から未来にあたる太正十二年に、東京湾に大和が浮上しました。しかし予言されていた霊子櫨による世界滅亡は、初代花組により回避されています。つまり、予言通りにはなっていないのです」
「それは初代花組が勝ったから未来が変わったんだろ?」
初穂は素直に返す。
「はい。ですので「予言書のようなもの」と言いました。私は放神記書伝とは、未来に向けた警告なのだと感じました。『こういうことが起こる。だから備えろ』と」
「本当の予言書なら世界は滅びている、か。確かに言われてみればその通りだな」
神山は顎に手をやりながらうなずく。続いてクラリスは北条記書伝のレポートに持ち替えた。
「そして北条記書伝は、実際にあった一族の記録ということでよいと思います」
「でも、この中のいろんな本を調べたけど、北条の名前はほとんど出てこなかったよね」
さくらの問いに神山もうなずいた。
「確かにさくらさんの言う通りです。北条記書伝では北条一族が関東十国を脅かす勢力だったこと、突如現れた大和の大地を領地として栄えたことが書かれています。しかし降魔実験の失敗で大和ごと海に沈んだ――これが事実なら、いくら滅びたとしても様々な記録や演劇などで痕跡が残るはずです」
「なら、北条のやつは格好つけたくて残した嘘の記録なんじゃねぇのか?」
「もちろんその可能性はあります。ただ放神記書伝には、他の記録にない大和や北条一族の繁栄にも触れています」
「だったらそっちも嘘っぱちなんだろ」
「初穂さん、橘の精は放神記書伝と北条記書伝は対になっているとわざわざ言い残したんですよね」
初穂は不承不承うなずく。
「放神記書伝の予言、大和の浮上は実際に起こりました。そして霊子櫨による世界滅亡は防がれましたが、大和にはそれらしい兵器がありました。だとすれば、そこまでに記された大和や北条一族の繁栄も、ただの虚構として退けることはできません。誇張や脚色はあるとしても、何かしら事実を下敷きにした記録だと見るべきでしょう」
クラリスの言葉に返す者はおらず、サロンに静寂が満ちた。
「どこの国でも同じですが、勝者が――生き残った者が歴史を残します。そして都合の悪いことは歴史から消そうとします。この国では、そうした歴史からはじき出されたものを「稗史」というみたいですね。北条記書伝は、まさに稗史なのだと思います」
「クラリスの言う事はわかった。実際、俺たちは図書室の本には出てこなかった幻庵と闘ったし、神崎司令は崎姫に襲われたとも言っていた。ひとまず北条記書伝に書かれていることが事実として動こう」
神山の言葉に反論するものはいない。いつの間にか日が沈みかけている。
「今日はこのくらいにして、今後の調査方針は明日考えよう。アナスタシアとあざみたちにも伝えないといけないしな」
神山は立ち上がり、サロンの照明を点けた。それを合図にさくらと初穂は積み上げられた書物を図書室に戻し始めた。クラリスは手元のレポートを整えつつ、まだ思考を巡らせている。北条一族と降魔皇はつながっていることは間違いない。しかし一方は大和に封印され、一方は帝都に暗躍していた。二都作戦のどさくさで幻庵、崎姫が帝都に落ち延びたのは間違いない。では、誰が降魔大戦を引き起こしたのだろうか。降魔皇の正体の調査からは外れるが、その夜は食卓に着いてもクラリスの思考はそこから離れなかった。
――――*
昨晩の帰りはずいぶん遅くなった。一夜明け、昨日の調査ではまったく新しい情報を得ることができなかったアナスタシアとあざみは、気合を入れなおすつもりで早朝から大帝国劇場の玄関で落ち合った。そこに、呼んでもいないのに普段着のいつきが現れた。急転直下、探していた男は驚くべきことにすでに月組が捕縛していた。いや、正確には自分から名乗り出てきたらしい。監視している月組に気づき、近づく。それだけでも相当な実力の持ち主のはずだ。それだけに理解しがたい行動だった。彼が言うには
「もうWLOFは終わりだ。いまそっちで大きな仕掛けをしているのは知っている。同僚共がその餌に食らいついていることも。今回の仕掛けから逃げるのは簡単だが、一生背後を気にして生きるのも面倒だ。だから、すべての決着がつく前に投降した」
ということらしい。詳しい話は聞けなかったが、数日前に月組で大捕り物の作戦が準備されていた最中、この男はそれに先んじて動いたわけだ。ちなみにその作戦は成功し、多くのオフィサーをとらえることができたらしい。
「探し始めた途端、本人から捕まりに来るなんて、流石に星の導きを持ち出すには都合よすぎるわ」
月組の案内で踏み入れた雑居ビルの地下でため息をつくアナスタシア。しかしあざみはご機嫌だった。
「他流の忍者に合うのは初めて。わくわく」
案内人が重い鉄扉を開ける。
「そういえばちゃんと伝えてなかったわね。以前にフーマ流と言っているのが聞こえたの。忍者の一族なの?」
「あざみ、それ師匠から聞いたことがある。フーマじゃなくて風魔。望月流も大昔に戦ったことがある」
開き切った扉の先は、十畳ほどの部屋だった。地下なので窓はもちろん、照明以外の家具もない。その中央に椅子に鎖で括り付けられている男がいた。ご丁寧に目隠しまでされている。シャツのボタンがいくつか開いているが、傷はない。まだ拷問などはされていないようだった。男は人が入ってくる気配に反応すると、ゲラゲラ笑いだした。アナスタシアは驚く風もないが、あざみは思わずクナイを構えてしまった。
「まさかこんなところでアナスタシアに会うなんてな。それにお嬢さん、望月流だって? それはまた奇妙な縁だな」
目隠ししているというのに、しかも離れた場所にいる二人の存在と会話を把握している。やはり油断ならない男だ。
「お久しぶり、オム(名無し男)。それともオフィサーHと呼んだ方がよかったかしら」
「どちらでもいいが……そうだな、せっかくだから風魔と呼んでくれ」
男は軽薄な笑いを浮かべながら、あざみの方へ顔を向けた。気配だけで察知しているのか、まったく目隠しの意味がない。
「望月流忍者と風魔忍者、どうして戦ってたの?」
詳しい話を覚えていないあざみは、素直に聞いてみた。
「風魔はな、禁忌とされている一族、北条家に仕えた忍者だ。北条家、知ってるか?」
「仲間が北条記書伝という本を手に入れた。まだ詳しく聞いてはいないけれど。それよりあなた、以前とずいぶん雰囲気が違うわね」
「あれは欧羅巴向けの演技さ。あちらは階級やら人種差別やらで仕事しにくかったからな。合わせてやってたんだよ。それにしても北条記書伝か。本当に存在していたとは」
「知ってるんだ」
あざみの独り言に、わざわざ風魔は答えた。
「北条一族が大和に封印される直前に、持ち出された文書がそんな名前だった。それを運んだのが望月流、追ったのが俺の先祖だ。嬢ちゃんが言ってた戦いってのはそれのことだろうな」
「四〇〇年も昔の主君に忠義を貫いているなんて、軽薄そうなあなたからは想像できないわ」
軽く皮肉を返すアナスタシア。きっと軽口を返してくるだろうと思った彼女の予想に反し、風魔は声のトーンを抑え、ゆっくりと話を始めた。
「忠義なんてないさ。まあ一族の大部分は今でも北条家復興を夢見ているがな。なまじ北条家と因果のある降魔なんてものがいるから、醒められなんだよ、妄執から。俺はひねくれものだから、わが身が一番かわいい。だから一族とは適当に距離をとっていたんだ。そんなところにWLOFの仕事が舞い込んできた。昔ながらの忍者とは違う生き方ができない老人たちは、変わり者の俺をそこに充てたわけだ。まあ結局WLOFもこうなったからには、俺の生きる場所はもう無いようなもんだが」
さらに風魔は声を落とした。いや、声音よりも感情の方が薄れていくようだった。
「俺は闇の世界から足を洗えるとは思っていないし、他の生き方もできん。だが北条のために仕えるってことだけは昔から我慢ならなかった。WLOFの仕事は面白かったが、世界を滅ぼすなんて話は理解できん」
人生経験の少ないあざみには男の本心を推し量ることはできなかった。それでもあざみは知っていた。掟を守り、そしてなお掟を疑うことの大切さを。だから、不思議と男のことを敵と思えなくなっていた。
と、風魔は元の雰囲気を取り戻しつつ、話題を変えた。
「アナスタシアは俺を赦せないだろう。俺のせいで、お前は『劇団クラッシャー』になったようなものだからな」
「私は私の家族のためと思って、道を間違えた。だからといって、私をその道へ導いた組織のすべてに復讐するつもりなんてないわよ。あなたもまた、その駒のひとつでしかないもの」
「ずいぶんとまあ、丸くなったもんだ。さっき『仲間』とか言ってたもんな。いいじゃねえか。やりなおせるもんなら、やり直しとけ」
「でも私の活躍でのし上がった分の貸しは返してほしいわ。知っているなら教えて。プレジデントGと同じような上級降魔は他にもいるの?」
風魔は「いい質問だ」と言いながら、静かに話し始めた。
「エージェントにも格がある。Gはプレジデントと名乗っていただろ。あれと同格のエージェントがいる。AとQだ。
AはWLOFの前身CoFの時代から組織にいたらしい。この三人は化け物だから出来るだけ近寄るな、っていうのが俺たちのような平エージェントで話のタネにしてた」
風魔は乾いた笑いを浮かべる。もう何もかも諦めているようだった。と、男の身体に火花が散った。
「がっ! これは!」
風魔は反射的に身をそらしたせいで、椅子ごと横倒しになった。あざみは即座に反応し、印を切り四本のクナイを床に打ち込んだ。男の周囲に椀を伏せたような力場が生じ、襲い掛かる力から守る。力場のあちこちで火花が散っている。
「呪い。口封じ」
「私にできることはある?」
「体のどこかに呪いが埋め込まれている。それを切り離さないとダメ」
「どこ?」
「わからない」
「右手の甲!」
いつきが鋭く叫ぶ。
「恨まないでね」
アナスタシアは銃を抜き、男の右手へ狙いを定めた。霊力を高めて見ると甲の中心に昏い闇の靄が見える。照準を合わせ直し、アナスタシアは引き金を引いた。が、銃弾がはじかれた。
「任せて」
いつきは懐から短剣を取り出すと、男の手首に目掛けて振り下ろした。甲の闇がそこまでは及んでいなかったためか、刃は呪われた右手を男から切り離すことに成功した。
その瞬間、あざみが張った結界が割れ、続いて切り離された右手が爆ぜた。いつきは風魔に駆け寄り、彼のシャツを破って右手首の止血を始めた。アナスタシアは周囲に呪いの気配を探ったが、残滓すら見つけられなかった。
「やっぱりこうなるか。上級降魔とはいえ元北条家なら、家臣の命ぐらい多めに見てくれよな」
苦し気に、しかし軽口を絞り出す風魔は、いつきの指示で案内人に運び出させた。もはや聞きたいことは聞き出せた。奪還に来るようなら、それはそれで追跡の糸口になる。そんなことを考えていたいつきに、アナスタシアが声をかけてきた。
「いつき、一体何が動いているの? 上級降魔が関わっているなら、月組だけで抱える話じゃないでしょう?」
「えーっとですね。本件は、超隊長の指示で動いている別動隊の案件なんです。わたしは今の帝国華撃団のために動く月組の隊長なので、もともと詳しくは知らされてなくて」
いつもより歯切れが悪い。だが、その口ぶりにはなお、超隊長へのまっすぐな信頼が滲んでいた。
「でも、昨日のアナスタシアの動きを察して、超隊長のほうから情報を流してくれました。それでも、それ以上は求められていないので……たぶん大丈夫です」
「花組に知らせていない別働隊がいるの? しかも連携も不要だなんて、それをそのまま信じろというの?」
一瞬言葉に迷ういつきに、あざみが助け舟を出した。
「里の掟八条 仲間は家族。離れていても心は一つ」
「あざみにとっては、超隊長も家族のうちなのね」
「ただの勘だけど」
アナスタシアの言葉に、あざみは真剣な表情でうなずいた。忍者や隠密としての矜持なのだろうか。アナスタシアにはまだうまく理解できないものが、そこにはあった。それでも今回は、あざみの言葉に従うことにした。流儀というものは大事だし、月組側で引いた線には相応の理由があるのだろう。
ふと、先ほどまでの風魔との対話を思い返す。驚くほど冷静な自分に、アナスタシアはむしろ戸惑っていた。以前のように心を凍らせていたわけではない。むしろ仲間の存在で心はむき出しになっているはずなのに、それでも傷ひとつつかなかった。
『劇場クラッシャー』
――懐かしい言葉だ。自らそう振る舞ったこともあったし、その結果として壊れていった者もいた。今となっては、傷つけた人や劇団への負い目もある。けれど、そうしなければ生きていけなかったのもまた事実だった。
ふとそこまで考えて、アナスタシアは微笑み、かぶりを振る。そういう理屈ではない。自分に生きてほしいと言ってくれる仲間がいる。それだけで、もう十分に満たされているのだ。
*
「放神記書伝と北条記書伝が対だ、と橘の精は言いました。ですが私は一歩進めて、この二つの記書伝の作者は同一人物だと思っています」
クラリスの言葉に、サロンの空気がわずかに張りつめた。
「放神記書伝は写本ですから、写真にある筆跡で比較することはできません。それでも、大和浮上から降魔実験の準備までの流れや、書き手の視点があまりに似ているのです」
アナスタシアとあざみが持ち帰ってきた情報によって、畳みかけるように情報が揃ってきていた。本来なら一つずつ吟味すべきところだが、神山は予定通りクラリスの報告を優先した。
「これがまったく同じ文章であればどちらかが後から作成されたといえます。でも、違う人が元の文を参考にして書き換えたにしては、違和感があるのです。一方にだけ書かれていて、もう一方には書かれていないことがあります。しかも、その差は、ただ情報量が違うというより、書き手の視点が違えば出てこない種類のものなのです。それでも、何を語り、何を伏せるかの感覚がよく似ている――根拠としては薄いですが」
「分かるわ。台本を書く人が同じだと、場面の息づかいは似るもの。何を見せたくて、どこで引くのか……そういうところに、その人の癖が残るのよ」
アナスタシアは昨日の疲れを感じさせることなく、らしい反応を返した。
「はい。まさに、それです。放神記書伝は写本ですから、筆跡そのものは比べられません。ですけど、文章の骨組みまでは消えません。大和以後から放神の儀までの記述は、同じ著者を疑うだけの近さがあります」
――そこでクラリスは北条記書伝の複写頁を先へ送った。
数枚めくったところで、その指先がぴたりと止まる。
「――ですが、ここから先は別です」
「別?」
聞き返す神山に、クラリスは書類の一枚を差し出した。
「それは降魔実験が失敗し、北条氏綱が河川浄化の法で大和を沈めて封印したところです。レポートでも指摘されていますが、ここで筆跡が変わっています。昨日は話がややこしくなるので言いませんでしたが」
神山が複写頁をのぞき込み、あざみも一歩近づいた。
「……ほんとだ。字の流れが違う」
「ええ。文字の形だけではありません。ここまでは、一貫した視点での書きぶりだったのですが。ここから先は、起きてしまったことを後から整理している筆になっています」
さくらはゆっくりとうなずいた。
「なら、北条記書伝は途中までは同じ筆で書かれて、その先を別の誰かが引き継いだ。そう見るのが自然ですね」
「はい。放神記書伝は世に災いを警告するための書で、北条記書伝は北条家が何を起こし、何に呑まれたのかを後へ残すための書……。同じ筆から始まっていても、最後まで同じ役目ではなかったのだと思います。結局最初の印象と同じ結論、ということになりますけど」
「いや、逆にこの記書伝の信憑性が増した、ということだ。北条記書伝に書かれていることが事実として、幻庵事変と何がつながって何が切れているのか――それがわかれば俺たちが見えていない敵がわかるんじゃないか」
神山の思考を先回りしていたのか、クラリスは頷きながらアナスタシアを見た。
「ここで、アナスタシアさんの情報が活きます。プレジデントGが幻庵。そして同格の存在にAとQがいる。そしてAはWLOFの前からいた。ということは崎姫がオフィサーQの可能性が高いです」
「ちなみにまだ確保できていないオフィサーはAとQだけです」
いつきがさらっと重要なことを補足した。
「そして消去法になりますが、オフィサーAが降魔大戦を引き起こした時点で存在していた上級降魔、ということになります」
「北条記書伝に出てくる名前って、そんなに多くなかったよな」
初穂は腕組みをしながら、名前を思い出そうと頭をひねる。
「降魔皇と考えられている氏綱、その兄弟の氏時と幻庵、氏綱の娘の芳春、崎姫、千夜、浄心あたりが繰り返し出てきます。重要なのは、この全員が放神の儀に立ち会う計画になっている記述です。実際の放神の儀については筆者が変わり失敗したことしかわらかないのですが」
「少なくとも降魔大戦時に大和に居たのは降魔皇、幻庵、崎姫ね。それ以外は大和に居たのか、大和が沈むときに脱出して今まで生き延びていたのかわからないけれど」
アナスタシアはお手上げといわんばかりに両手を
「いえ、もうひとつ可能性があります」
そこで、さくらがわずかに震えながら言った。
「真宮寺さくらさんたちが大和で戦った時なら、封印が解除されているから帝都に入り込むことができたはずです」
その言葉に、一同は慄然と息を呑んだ。
「そして上級降魔を別格オフィサーとしていたなら――もちろん全員がWLOF関係者じゃないかもしれないしオフィサーを名乗っていないだけかもしれませんが――氏綱を含む四人は、まだ幻都に封印されていると考えるのが自然です。でも結局のところ誰がAかまでは絞れませんが」
思いつくまま言葉にしたが、さくらとしても穴だらけな発想だと感じたのだろう。尻すぼみになっていったが、それを責める者はいなかった。可能性を論じ始めればきりがない。だが、さくらの指摘は説得力を感じさせる何かがあった。
「別にいいじゃねぇか、Aが誰でも。敵の輪郭があらかた絞り込めただけでも御の字さ」
初穂の力強い言葉に、ようやく場の空気が少し緩んだ。