偽典サクラ大戦 ~我は花咲く木とならむ~ 改訂版   作:出口豊志朗

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第五章 拾年の軌跡

    一

 

「どこに向かうんですか?」

 すでに東京湾の中心部近くまで進んだヘリコプターのうえで、激しいプロペラ音に負けじと加山が声を張り上げる。

「私も連絡方法と、待機ポイントしか知らされてないんだ」

 迫水も機体の揺れに辟易しながら大声で返す。

『そろそろ指定のポイントです』

 パイロットの声がイヤホン越しに届く。加山と迫水は酸素マスク越しに目を見合わると、タイミングを計って順次ヘリコプターから飛び降りた。

パラシュートを開き足元に視線を向けるが、時刻は深夜。闇の広がりに、月明かりを反射する波が見えるのみだ。不意に海面が迫ったかと思うと、ふたりは勢いよく着水した。落ち着いてパラシュートのロープを切り、酸素ボンベの重さにまかせて沈んでいく。そこから五分は、ひどく長く感じられた。

本当に迎えは来ているのだろうか?

そもそも連絡網は生きているのか?

じわじわと不安が侵食し始めたところで、加山と迫水の足になにかが絡みつき、水中に勢いよく引きずりこまれた。力の主を見極めようと足元を見ると、遠くに薄明かりが見えた。

近づくにつれ、それらは円状に並ぶ光点へと姿を変えていった。その中央が割れふたりを飲み込むと、ゆっくりと閉じた。

なかは真の闇だった。

引っ張る力が徐々に弱まり、鉄製らしき壁面に身体が触れたところで動きを止める。続いて轟音とともに水が背中に向けて流れていくのを感じた。どうやら水が吸い出されているらしい。そうして水の流れがおさまったところで、頭上に人工的な明かりが灯った。浮力がなくなった身体には、酸素ボンベがひどく重い。どうやら空気もあるようなので、ふたりは目で合図を交わし装備一式を取り外した。辺りを見渡すと、そこは鉄製の大きな部屋だった。水がすっかりなくなったところで、海水でごわつく髪をとりあえずなでつけ、ウェットスーツを脱ぐ。ふたりはお互いの疲れた顔を見て、苦笑した。そこで、遠くから規則正しいリズムで鉄床を刻む足音が響いた。そちらを見やると、見知った顔が近づいてきた。

「かえでさん!」

 加山が顔をほころばせる。迫水も笑顔だ。

「迫水さん、加山くん、お久しぶり。会えて嬉しいわ」

「僕もです。ぶしつけですが、なんだかかえでさん、すこし丸くなりました?」

 迫水を前にしても以前の軍隊調の言い回しがなくなったこと、肩書を言わないことへのコメントだったが、かえでは「ずっと狭いところにいたし、太ったかしら?」と冗談なのか本気なのか判断に窮する返事だ。加山も迫水も笑い声をあげた。

「冗談よ。十年も軍隊から離れれば、多少は角もとれるわ」

 と、かえでも笑う。かえでは以前の深緑の陸軍制服姿ではなく、紺のスーツをまとっていた。布の継ぎ目や袖口には空色のラインがあしらわれており、ただでさえ細身の姿をさらにシャープに際立たせている。一番目を引くのは、以前よりも長くのばされた左目にかかる前髪と、そこからわずかにのぞく黒い眼帯だった。それに触れないわけにもいかず、加山は尋ねる。

「かえでさん、その眼は二都作戦で?」

「迫水さんから聞いたかしら。大丈夫よ、たいしたことはないわ。それよりも立ち話もなんだから、場所を移しましょう。小型の潜水艇だから、たいしたおもてなしも出来ないけどね」

 

 自動扉が開くと、ビジネススーツ姿の女性たちが居た。

「迫水さん、加山さん! 私たちのこと、覚えてますかぁ?」

「シー君、それにメル君じゃないか。随分大人びた姿だね」

「輝かんばかりの淑女ぶりですな」

 メルは髪を七三に分けて撫でつけ、縁の細い眼鏡をかけている。シーは優雅に広がっていた髪をひっつめにしていた。

「あら、わたしとは随分と反応が違うわね」

 かえでの言葉に一同が笑い声をあげる。

「私とシーも偶然、陸から戻るところだったんです」

「わたしたち、これでも陸では女社長なんですよ!」

 言いながら、シーは部屋の隅で紅茶をいれているようだ。かえでが席をすすめ、一同はひとまず腰を下ろした。

「何から聞けばいいのか……とにかく皆さんお元気ですか?」

 加山の大雑把な質問に、かえでが手際よく答える。シーはその言葉のリズムに合わせるように、優雅にティーカップを並べていく。

「最初に花小路伯爵なんだけど、ご高齢なこともあって早々に京都の外れに移って隠遁してもらっているわ。数年様子見ていたけどもWLOFは歯牙にもかけないのでしょうね。監視もないようだったので、ご家族とも内密に再会いただくことができたの。もちろん、私たちが派手に動くときには厳重な警備ができるよう、準備は怠りないわ」

 加山は安堵した表情で、手元の紅茶でのどを潤した。上品で淡い香りが鼻を抜け、強張っていた身体が緩むようだった。

「以外のメンバーについても誰ひとり欠けることなく、それぞれの持ち場で働いてくれているわ。みんなの活躍ぶりを聞いたら、きっと驚くわよ」

 かえでは楽しそうに目元を緩ませ、メルに水を向ける。

「わたしとシーは、早い段階で英吉利の剣橋を活動拠点に定めて、小さな商いと投資活動を通じて資金調達と情報収集を行っていたんです」

「剣橋といえば倫敦とさほど離れていない都市。WLOFの主要な活動拠点間近と考えると大胆な選択だね」

 迫水の言葉に、メルが補足する。

「実はグラン・マの知り合いに全面的に協力いただきまして」

「あぁ、元イギリス国王の後ろ盾となれば、それも可能か」

「もう随分前に亡くなっておられるのに……恋文一つのつながりを大事になさる方が残っていたんですね」

 迫水も加山もグラン・マの持つ人脈の一端を垣間見て、驚きを禁じ得なかった。

「そこからはとにかく星回りが良かったようで、投資した企業が急成長したり、世界中で余っている物資と不足している物資を融通しあうだけで、莫大なお金が集まるようになってしまったんです。これはプラムさんと杏里さんが作り上げた世界情報探知網と、かすみさん、由里さん、椿さんが構築した裏・物流網あってのことなんですけど」

「そちらは後で、本人たちに説明させるわね。情報探知網と裏・物流網はもちろん大きな役割を果たしたけれども、それを活用できたのは、メルの幅広い知識と経済・経営への造詣の深さによるものよ。もっと自信をもってちょうだい」

「本当にメルはすごいんです。大学三年で卒業に必要な単位を終わらせてたのに、中退したのは伊達じゃないんですから」

「シーったら、誉め言葉になってないじゃない。それより、シーもすごいんですよ。いまや世界のスイーツ界を裏で操るフィクサーなんです」

「えへへ。お菓子は大好きだったんですけど作るのはそれなり、だったのはバレてますよね。でも、たまたまメルが買収したお菓子メーカーに通い詰めて自分が食べたいものを作ってもらってたら、なんだかあちこちで人気がでちゃって。それからは色んな国々の主要メーカーをメルに提携してもらって、そこで美味しいものを食べながら物足りないところをリクエストしてたら、それも大ヒット。もう、楽しんでるだけなのにみんなが幸せで、嬉しいです」

「まあ、もちろんそれだけではなくて、ここ数年はメルもシーも財界と直接コンタクトを取って、私たちの活動の一番のネックだった資金面を完全に回してくれているの。今日だってWLOF失墜による各国の経済上の問題を話し合うシンポジウムの裏で、様々な調整をしてくれていたのよ。本当に感謝しているわ」

 かえでの言葉に、メルもシーも照れ臭そうだ。

「さて、まだ話足りないでしょうけど、もうすぐ本拠地につくわ。メルとシーは準備しなくていいの?」

 声をかけられ当人たちは慌てて立ち上がり、手を振りながら部屋を出ていった。

「ふたりとも生き生きしてますね」

「シャノワールで見せていたのとは、また違う輝きを放っている」

 加山と迫水の感想に、かえでは深くうなずく。

「華やかな話がどうしても前に出るけど、規模が小さいときは事業を続けるのも大変だったし、無茶な投資も一度や二度ではなかったわ。それに大きくなればなったで、自分たちの采配で多くの人の雇用、場合によっては国の産業に影響も出るというプレッシャーもある。

しかも、その資金の流れをわたしたちと結びつけられないような仕組み作りも配慮していたの。もはや以前とは次元の違う戦いを繰り広げているのよ」

 そこで、部屋の奥にある通信機が鳴った。かえでは二、三言通信機に向かって話し、加山たちを見やった。

「あと十分ほどで、ベースTに到着するわ」

「それはサニーサイド司令がおっしゃっていたクラーケンの一部ですか?」

「ええ、そうよ。もっとも諸々の事情で派手に動かしたり合体したりはできなくて、今は巡行式のセーフハウス扱いになっているけどね」

「それでも十年にわたり隠密状態を維持したまま稼働できているのは、賞賛に値する」

 再び部屋の扉が開き、メルとシーが入ってきた。

「やっぱりこの姿が一番落ち着くね。ヒューヒュー!」

「そうかしら、久しぶりだからかなり恥ずかしいけど……」

 ふたりはシャノワール時代のメイド服姿になっていた。

「その姿を見ると、帰ってきたって気持ちになるよ」

 加山の言葉に迫水もうなずく。

「さて、ベースT入港時にすこし衝撃があるの。ここだと危険だから、待機部屋に案内するわね」

 加山と迫水は、軽やかに前を歩く淑女たちを見ながら、改めて再会の喜びを噛み締めるのだった。

 

    *

 

 明治時代、国賓や外国の外交官を接待するための社交場として使用された西洋館があった。それを模した建物が牛込区の北にあることは、財界でも一部の人間しか知らない。その名を鶴雲館、という。鉱業会社フレール日本支部の広大な敷地に役員向けの保養施設として築かれたその館は、WLOFの化けの皮がはがれたことによる混乱のあおりを受け、この数ヶ月は近寄る者もいないありさまだった。もともと敷地内でも経営陣をはじめとした選ばれた人間しか利用することができず、その存在を知らない社員のほうが多い。建物の維持管理を行っていた業者も突然契約を打ち切られては、いくら誇りと愛着があっても敷地に入ることもできず、結果荒れるがままとなっていた。

 その鶴雲館に、西洋館独特の贅を凝らした造りや調度とまったく真逆の、無粋な鉄壁に囲まれた部屋がある。地下三層にわたるその区画は、もとは災害や降魔による襲撃に備えたシェルターとして用意されていたが、この五年ほどの間にWLOFの秘密基地として改装されていた。その中でもっとも広い部屋、地下二階の作戦指令室で、ホルスが正面のスクリーンを見上げて立っていた。いつも通りの黒いスーツ姿だったが、サングラスははずし、宝石のような美しい碧眼があらわになっている。

「もう少し集める予定ではあったけれど、邪魔が増えてきたから次のステップにそろそろ進まない?」

 軽い調子で、スクリーンに向かって話しかける。

『霊力も重要だが、千夜のほうはどうなっておるのじゃ?』

 荒っぽい口調で話すのは豊かな金色の髪を流れるままにし、額から一本角を生やしていた。かつて幻都から脱出のすえ帝都に降り立った上級降魔――崎姫だった。当時は小袖に身を包んでいた彼女だが、今はホルス同様、黒いスーツを身にまとっている。

「『幻庵様による幻都召喚の際に合流する手はずだったが、合流地点に現れないまま行方不明』だけじゃあ、難しいわ。気にはしてるけど、そもそも私は会ったこともないし。とっかかりさえないのだから、期待するほうが無茶よ」

 ホルスの素っ気ない言葉に、崎姫は舌打ちしながら足を組み替えた。

「ただ、少し気になる人物がいたわ。二度もわたしの邪魔をしてきた、白秋と呼ばれていた女。霊力とも妖力ともつかない妙な気配を身にまとう、相当な手練れだった」

『白秋……村雨白秋か。そいつなら、帝国華撃団の天宮さくらの師匠だと聞いている』

「そう、じゃあ外れね。見事な銀髪だったから、一瞬期待しちゃった」

『仕方ない、千夜の件は保留じゃ。こちらの動きが帝国華撃団に悟られてるなら、向こうの態勢が整う前に叩くほうがいい』

「では、あなたもこちらに?」

『ああ、これから鶴雲館に向かう。夜にはそちらに着くかな』

「手勢は?」

『戦闘特化の六体、そしてかなめの五体すべてを自律モードで向かわせている。到着したら前準備を済ませておいてくれ』

「肝心の五体の出来は?」

『似姿としては完璧だ。能面よりはましな表情だが、見知った者にとっては不自然なのは仕方がない。戦闘能力は程ほどだ。

移動中に本物と出会うなんて不測の事態もありうるから、仮面をつけてそちらに移動させる。もちろん戦闘特化の方は、本家とまではいかないが仕上がっている』

「相手にとっては悪夢ね」

『それぐらいしか、やることがなかったからな。憂さ晴らしにさせてもらおう』

 そう言うと、崎姫は腹の底から笑い声を上げた。ホルスは気づかれない程度に眉をひそめる。「では、夜に」という崎姫の言葉を待たず、ホルスはスクリーンを落とした。

 

    二

 

 潜水艇は予定通りの時刻にベースTに到着。危なげなくドッキングを終えた。一同はかえでの先導に従い、狭い通路を進んでいく。途中、加山と迫水はシャワールームで海水を洗い流し、用意されていたかえでと同じデザインの紺色のスーツに袖を通した。身支度を終えたときにはメルとシーの姿はなかった。どうやら別行動らしい。

かえでは改めて加山たちを導く。途中、片側の一面がガラスになっている通路を進むと、そこから二百メートル四方はあろうかというドックが覗えた。大小さまざまな潜水艇、蒸気甲冑らしきものが並んでいる。かえでが歩みをとめて顔を向けたほうを見ると、手を振っている人影が見えた。そこにいたのは黒い法被姿の中嶋親方と、着古された作業着のジャン・レオだった。こちらに向かって叫んでいるが、ガラスのせいで聞こえない。だが、再会を喜んでいることは伝わってきた。加山も迫水も、大きく手を振り返す。かえではふたりが落ち着くのを見計らって、再び歩き始める。

「中嶋親方もジャンさんも、なんとか霊力がなくても動かせる蒸気甲冑の改良を進めてくれていて、銃撃戦程度なら戦闘も可能になっているの。流石に武術剣術の類は操縦者側の負担が大きくて実現できていないけど」

「それって、普通に主要企業の技術水準を超えてません? それにこれだけの機体、設備生産するための物資も相当な量が必要ですよね」

 加山の質問に、迫水もうなずく。

「わたしもここに逃げ込んだときには、ここまでの規模の設備が整うなんて想像もしていなかったわ。これについては、風組――帝劇三人娘、そして紐育虹組のワンペア……プラムと杏里が、それぞれの分野で大きな役割を果たしてくれたの」

 そうしてたどり着いた扉の先に待っていたのは、プラムと杏里だった。

「きゃふ~ん、加山ぁ、久しぶりぃ!」

「にゃう~ん、迫水さん、お帰りなさい!」

 彼女たちの変わらぬ陽気な出迎えに、加山と迫水は満面の笑みだ。かえではプラムと杏里の肩を叩きながら男性陣にソファに座るよう目配せし、自分たちもローテーブルを囲んだ。すでに並べられている珈琲の香気が、鼻腔をくすぐる。口にすると、加山にとっての珈琲はこれだったのかと思い知るほど舌に馴染んだ。

「さて、プラムと杏里が果たした役割はなんだと思う?」

 かえでははす向かい座るワンペアを見やりながら、いたずらっぽく加山を見る。その言葉に、プラムと杏里は口を閉ざし、お互いを見て笑いをこらえる。

「ふたりはエイハブの操縦や車の運転という感じだから……そうか、ふたりが物流を担っていたのかい?」

「ブッブー、はずれよ」

「ちょっと安直です」

 加山は頭をかきながら、かえでに答えを求めるように視線を送った。

「確かにそのイメージが強いから物流面での動きを期待した時期もあったのだけど、さすがにWLOFの監視が厳しい中で自ら資材を動かすわけにはいかなかったの。でもよくよく考えると、彼女たちの能力の高さは最新鋭の機器や電算機を使いこなす情報処理能力にあると気づいて、ようやく活躍の場が見つかったわけね」

「メルちゃんとシーちゃんが会社を電子網でつないでくれたことで、ここの端末から世界中の電子網につなぐことができるようになったのよ」

「そこで色々勉強して、いろんな企業や軍を始めとする国家機関の情報を、いろいろ覗けるようになったんです」

 さらっと話すプラムと杏里。その言葉の意味を遅れて理解した加山と迫水は、真顔で声を失った。予想外の反応に、小首をかしげるプラムと杏里。

「いやいやいや、それってもはや世界レベルの電子諜報員だよ。そもそも電子諜報員という考え方自体が最近のもので、帝国陸軍でもようやく専門家を育成し始めたところだし」

「それに、可動式のベースTから電子網に繋げられるものなのか?」

 我に返った加山は、声を裏返しながら突っ込み、迫水も疑問を口にする。その加山の背後から、突然老人の声がした。

「私がそっと教えましょう。各国を繋ぐ海底網、あのサブ回線はメルさんの配下にある会社が設置し、その時にあちこちに外部から接続可能なユニットを用意しておいたのです」

「王さん?」

 振り返ったが、すでにその姿は見えなかった。

「申し訳ないが、いろいろと規格外の話が続いて頭がついてこない。できれば現状を教えてもらえないかな?」

 気持ちを切り替えて迫水が尋ねる。プラムと杏里が答えに窮するのをみて、かえでが助け舟を出す。

「まあさっきの説明通りなんだけど、ふたりのつくったプログラムやメルが企業を通じて設置した通信機器を利用することで、言葉通り電子網につながった端末の情報を覗き見たり、設備や機械装置を動かすことも可能になったの。もちろん、本当にセキュリティー対策がしっかりしているところは、侵入はできても検知されてしまうから手を出していなかったのだけど。WLOFとかね」

「聞けば聞くほど、とてつもない力ですよね」

「私たちがWLOFの監視から先手を打って逃れることができたのも、メルやシーの活動が目立たないように細工できたのも、あとで紹介する風組の裏物流網構築・運用を可能にしたのも、ふたりの技術あってのものなの」

「ね、加山さん。わたしたち、がんばったでしょ」

「ああ、杏里君。そしてプラム君、君たちはまさにアメイジングだ!」

 その言葉に、プラムと杏里は手を取り合って喜ぶ。かえでもその姿を微笑ましく眺めている。

「そうだ!」

 そこで思い出したようにプラムが声を上げた。

「かえでさん、メルはうまくやってくれたの?」

「ああ、伝え忘れていたわね。言われた通り視察先で隙を見て、適当な端末に繋げておいたと聞いているわ」

「オッケー。じゃあ加山、迫水さん、急ぎの用事があるから、私たちは席を外すわね。あとで、みんなでパーティーよ!」

「わたしも料理するので、楽しみにしておいてくださいね!」

 あわただしく去っていくプラムと杏里のパワーに圧倒されながら、加山と迫水は珈琲をすすった。

「メル君、シー君の活躍にも驚いたけど、プラム君と杏里君の能力の開花には言葉もないね」

「あのふたりが、ここに移ってから一番苦労していたかもしれない。明るく盛り上げて、食事を用意したり運んだり。ムードメーカーとして充分みんなの心の拠り所にはなっていたの。でもやっぱり直接的な活動に貢献したい、という気持ちを押し殺しながら振る舞っていたのね」

 迫水は深くうなずいた。我が身を顧みて、自らの役割に悩んだ時期を思い返す。彼は各ベースが安定稼働したところで加山に状況を共有する必要があり、日本人であることという大雑把な理由で月組隊員として加山に合流することになった。もちろんWLOFの監視の目があるから、それが片道切符になることは承知していた。

月組には様々な役割がある。しかし彼の持ち味である、外交を軸にしていつの間にか調整・お膳立てし、事が起これば挽回不可能な状況を創り出すような局面は、隠密部隊で生かすことが難しかった。

「それを気にかけていた王さんが、これからの時代は電子網です、と彼女たちに基礎的なことを教えたの。しかも、東洋医学的視点を応用した電子網の独自解釈を叩きこんだわ。最初こそ迷走したけど、コツをつかんでからは通常のプログラムの十倍以上の速度で様々なことを実現できるようになったの。って、まったく説明になってないわね。正直わたしにも理解できないから」

 迫水はさらに我が身を振り返る。自身の能力が役に立たない状況。それでも持ち前の先読みを徹底的に磨き、WLOFの監視や盗聴で動けない加山に代わって状況を把握、現場指示を代行することで、迫水はその立場を不動のものにしていったのだった。もちろんプラムや杏里に比べればささやかな貢献だが、自身の壁を乗り越えた者同士という親近感を覚えるのだった。

 迫水が感慨にふける様子に気づき、加山とかえでは邪魔しないよう静かにカップに口をつけた。

 

 再び三人は艦内を移動し、作戦指令室を訪れていた。帝国華撃団風組の藤井かすみ、榊原由里、高村椿は、かえでとお揃いのスーツ姿で、巨大な指令室の最前列を陣取っている。その指令室は帝劇のものとは比べ物にならない大きさで、彼女たちは入室した加山たちが間近に寄るまで気づかぬのも無理からぬことだった。

「加山さん、迫水さん、お久しぶりです」

「もっと時間かかると思ってた、気づかないでゴメンね」

「うっ、まだ会えで、ぐすっ、ほんどうに、うれじいです」

 昔と変わらぬ穏やかなかすみ、元気でグイグイくる由里、そして元気だが人一倍涙もろい椿の反応に、加山は十年越しという感覚がなかった。

ちょっと仕事で離れて戻ってきたぐらいの身近さ。自分にとって彼女たちがいる生活が、これほど自然なものであったのだと心の中で驚く。ひとしきり挨拶を済ませ椿の涙も収まったところで、入口にほど近い作戦卓へ移動する。

「加山さん、私たちが帝劇で何をしてたか覚えてます?」

 椿の問いかけに、加山が即答する。

「そりゃあもちろん。事務局受付の華と元気いっぱい売店のお姉さんだろ?」

「そっちじゃなくて、風組の方に決まってるでしょ。相変わらずおちゃらけてるんだから」

 少し浮ついた加山のボケに、由里のツッコミもやわらかい。

「私たち、ミカサでは機関管制・航法管制・火器管制を分担していたんですが、一番大変な仕事は轟雷号のルート決定だったんです」

 轟雷号とは、帝劇から花やしき支部までを繋ぐ地下鉄で、基本的には専用の線路を使っていた。が、拡張性を考え帝都地下鉄銀座線との並走、途中下車も可能にしていた。それらは当初こそ単純なルートを使うのみであったが、花組の戦力充実と事件の発生範囲が帝都全域に及ぶようになったことから、ある時期を境に全地下鉄への乗り入れを本格化させていった。

「事件の発生場所はバラバラ、時刻もまちまち、そんな中で既存の運行ダイヤを極力乱さず、最速、最短ルートを取る計算を、私たちは特殊計算尺を使いつつ、ほぼ暗算でやっていたんです」

「それは……正直、想像さえできませんな」

「動いている車両の位置が広域モニターに映っていたの。それを私が見て、だいたいこのルートで速度の加減は緩・急・緩、みたいな感じでかすみさんに伝えるの」

「それを私が計算尺で要所要所に必要となる速度を計算して、椿にバトンタッチすると」

「アクセルの踏み込み加減、ブレーキ、再加速といったプログラムをセットする、という感じですね」

 知られざる三人の連携を耳にし、加山も迫水も目を白黒させる。そこからは、かえでが説明を引き継ぐ。

「彼女たちの能力は……ちょっと言葉にしにくいわね。うん、彼女たちが作りあげた裏・物流網を説明するのが早いわね」

 言うと、作戦卓の隅をリズミカルに叩き、指令室正面のメインモニターに英吉利、羅馬、莫斯科を収めた欧州全域の地図を表示させた。さらに手を加えると、様々な色の光点が地図に浮かび上がった。

「光点は、例えば青は戦闘機も含めた飛行機、緑は蒸気汽車、黄は船舶、というように、実際の乗り物の位置と連動しているの」

 交点の数が多すぎて、加山の目はチカチカする。

「そして、メルの資本が入っている鉱山は、ここ」

 その言葉に合わせて、赤い三角が表示される。

「そして、ベースP、地中海を中心にしているここと同じ規格のベースが、ここにいるとするわね」

 二重丸が、伊太利亜半島近くに浮かび上がる。

「例えば、十時間後にこの鉱山から三トンの鉄鉱石を運ぶシミュレートをやってみて」

 かえでの言葉に由里がうなずき、数秒モニターを見る。そして、腰に付けた小さなバッグからオカリナのようなものを取り出し、十秒ほど複雑な音を奏でた。続けてかすみが作戦卓にあった、鍵盤のようなキーボードに手を滑らせる。ゆっくり押し込んだり、軽く三度弾いたり、複数のキーを同時に押したり。その動きにあわせ、複数のオーボエのような音が、頭上のスピーカーから流れる。それを聞き終えた椿は、反対側にある変わった装置――十個ほど並べた手のひら大のドラムヘッドを両の掌、指先を使って、器用に、そしてリズミカルに叩く。そして、大きくうなずくと、待ち構えていたかえでが手元のキーを数回押した。

するとメインモニターの赤い三角から赤い光点が輝き、複雑な軌道、緩急で徐々に動き出した。赤い光点は、ひっきりなしに動き回る他の光点の動きを邪魔することなく、時に数条に分かれ時に合流しつつ、その間隙をぬっていた。そうして最初からそう設定されていたとしか思えないほど自然に伊太利亜半島を経由してベースPまでたどり着いた。

「これは……」

「何がどうなってこうなるか、わからないでしょう? でも三人の音、リズムが特殊な楽器を通じて入力されると、現在動いている蒸気汽車や駅、港のドッグや船舶の間・空き時間をぬった最適ルートが示されるの。その指示通りに動けば、既存の交通インフラを利用しつつも、他に干渉せずに物資を動かすことが出来るのよ」

「うーむ、実現していることはわかるけど、どうやったらそんなことが出来るのか、全く見当もつかないな」

「もちろんワンペアの電子網によるリアルタイムでの交通状況の把握や、日常的にメルが交通機関に働きかけてダイヤを過密にしないような流れをつくるというバックアップがあってのことだけど……どれだけ三人のインプットを分析してもプログラムに起こすことはできず、パターンすべてをデータベース化しようとしたのだけど実現はかなわなかった。王さんは、一種の霊能力だとも仰っていたわ」

 かすみ、由里、椿は顔を見合わせて笑顔を見せている。

「ここまでは三人のやっていることの前提部分を説明しただけなんだけど、彼女たちには急ぎのオーダーが入ってるの。積もる話はそれが片付いてからでお願いするわ」

 かえでの言葉に三人もうなずき、最前の席まで駆け出した。

「さっきの部屋に戻って、ここまでの経緯を話すわね」

 戻りの道中、かえでは三人が果たしたことを捕捉した。曰く、彼女たちの奏でる音が、世界中に散らばったメルとシーが産んだ資金や資源を、動き回っている三つのベースに対して秘密裡に運ぶルートを浮かび上がらせ、通常ではありえない量の物流を隠密状態で流し込むことに成功したということだった。

風組、メル&シー、ワンペア、彼女たちのそれぞれの努力と能力の開花によって、着のみ着のままで逃げ出した華撃団に強大な力が蓄えられたのだ。その期間、わずか三年。加山は十年前に幻都でラチェットが言った言葉を思い出した。

『黒幕と渡り合う勢力にまで戻すのに三年、と言われていたけど、まあ最低でも五年はかかると思ってちょうだい』

帝都を、巴里を、紐育を追われた華撃団司令部は、その逆境に屈することなく、しかも宣言した期間を違えずに足場を固めていた。その事実に、加山、迫水は胸を熱くするのであった。

 

    *

 

 夕闇に紛れて、鶴雲館に音もなく人影が吸い込まれていく。その数六つ。それらは隠し扉を通り抜け、ホルスが待つ指令室まで整然と疾走し、彼女の前に来たところで、整列、直立不動の体勢をとった。

「よくもまあ、この面々の依り代を集めたものね」

 その出で立ちは夜叉のそれと同じ、灰色の戦闘服に黒のマント。一本角の仮面までお揃いだ。しかしわずかにのぞく素肌や髪の色は様々で、個性がうかがえた。

「まあ世界華撃団の元締めとして各華撃団に手下を忍ばせていたみたいだし、いくらでもチャンスはあったんでしょうね」

 呟きながら、微動だにせず直立するうちの一人、薄い茶の髪をポニーテールにした二刀の少女の頬を掌で包み込んだ。その肌触りは、本物の人間としか思えない。彼女の後ろに立つ少年は、赤銅色の髪を伸びるにまかせつつ、後れ毛を細い三つ編みにして垂らしている。武器は手にしていないが、黒い手袋から察するに武芸を修めているのだろう。そう、この六体は世界華撃団大会の象徴である、上海、倫敦、伯林華撃団員の写し身たちだった。

 つづいてホルスは最下層となる地下三階へ軽やかに移動する。そこには先んじて到着していた五体の写し身が、飾り気一つない鋼鉄製の作業台に横たわっていた。作業台は頭を中心にして放射線状に並べられている。体形、体格は様々で夜叉同様の仮面を身に着けているが、衣服は違っていた。袴姿や洋装など個性あふれる姿である。しかしそれぞれの身体からは、見る者が見ればすぐにわかるほどの妖力が漂っていた。

ホルスはそのうちの一人の仮面を外してじっくりと素顔を眺める。それは新生帝国華撃団花組のひとり、東雲初穂の写し身だった。写真やモニター越しでしか見たことはないが、少なくとも自分には本物と見分けがつかない。さすがに崎姫が太鼓判を押しただけのことはある。この仕上げのために休息が必要になったようで、彼女は予定よりも遅れての到着見込みとのことだった。

「さて、次はこれの出番ね」

 ホルスは作業台の周囲を囲むように設えられた五本の棒状の装置を見渡し、手近にある一本のスイッチを押し込んだ。電子的な起動音ののち、五本の棒は一斉に赤く明滅するとともに、けたたましいアラート音を巻き散らした。

「さすがは各華撃団に配置されている妖力感知器ね」

 この騒がしさの中でも至って冷静な様子で、ホルスは作業台の中心に歩を進める。自分の周りに並ぶ花組の写し身を一通り見渡したあと、彼女は両手を上にあげ、何かをすくい上げるように両の掌を上に向けた。続いて何事かを口元で呟くと、手のひらからいくつもの青い球が現れる。初代花組ファンから奪い取った『霊力の芽』だ。

それらはホルスの呟きに合わせて青い輝きを増し、まばゆい光を放ち出した。二十の球は互いに寄り添い、重なり、いつしかひとつの球へとまとまっていった。やがてそこから五本の紐が伸びてきて、作業台に横たわった花組の体――心臓辺りに入りこむ。そうして一分、五分、十分と時間だけが経過していく。と、不意に周囲を騒がせていた妖力感知器の明滅と音響が一斉に止んだ。

「最終チェック、オールクリア、なんてね」

 ホルスはおどけた口調とともに両手を降ろした。妖力たっぷりの写し身が『霊力の芽』に覆われることで、華撃団に配備されている妖力感知器にかからないことが証明されたのだ。

ホルスはあらためて五体の様子を見る。特に異常がないことを確認した彼女は、少し疲れた様子で作業台のひとつに手をつきながら腰を下ろした。先ほど外した仮面に気づき、その顔に取り付ける。いつも余裕気に笑みをうかべているホルスだが、そのときは何故か眉をひそめて不愉快さを露わにしていた。しばらくすると、そんな自分自身に気づいたのかホルスは軽くため息をつき、地下二階の指令室へと戻っていった。

 

    三

 

 ソファに座ると、かえではまず断りを入れた。

「ここからは、オデュッセイア作戦自体の進捗状況を時系列で説明するわね。少し長くなるけど、後で必要になることだから、付き合ってちょうだい」

 加山にも迫水に異存があろうはずもない。

「オデュッセイア作戦開始後、それぞれのルートで海中のエイハブ改に予定した全員が集合することができたんだけど、負傷者もいたから当面は療養と情報収集が精いっぱいだった。

そうこうしているうちにWLOFが創設され、ますます動きが取りづらくなった。でも、なんとかグラン・マの伝手でメルとシーを地上に送り出すことができ、資金面については動き出すことができた。ラチェットも用心棒としてふたりの活動についていた。やがて経済活動が軌道に乗り、プラムと杏里の電子諜報活動も効果が出始めたころ……二年は経っていたかしら。一旦わたしたちの活動方針を見直そうということで、米田総司令と共に戦略を練り直したの。

まずは軌道に乗っていた資金調達、諜報活動、物資補充をできる限り推し進め、有事のための直接的な力をためること。そしてもうひとつが二都作戦再始動のための技術的課題である『不足霊力の解消方法』の研究を本格的に行うことだった。ただ霊力解消方法については技術的なブレーン不足もあって、進める方向性も見えないのが正直なところだった。

そこで提案された苦肉の策が、過去につくられた宝具・呪具の類を集めていくこと、つまりトレジャーハントね。集めたものが技術的なヒントになるかもしれないからって。そのぐらい追い詰められたの――資金は潤沢にあっても、幻都のみんなを助ける具体的な方法がまったく見えないという状況に。なにか少しでもいいから希望が欲しかったのよ」

 話疲れたのか、それとも当時の気持ちを思い出したのか。かえではそこでしばらく言葉を止めた。そこに、いつのまに部屋に戻っていたのか、メルとシーがメイド服姿で現れ、三人の前に紅茶とお菓子を並べていった。

「あのときは本当に妙な感覚でした。手元には国家予算レベルの資金、物資を持ち、その気になればそれだけで国家と渡り合うことすら可能な状況。なのに幻都の皆さんを助けたくても、できることが見つからない。結局できることは、それまで通りお金を動かすだけ。不意に悔しさがこみあげて叫びたくなることもありました」

「そんななかであたしは、美味しいお菓子に囲まれて満喫していたんだよね~」

 シーの苦笑を見たメルは無言で彼女の身体を抱きしめた。

「あなたがそうやって普段通り振る舞ってくれていたことが、どれだけ私たちの……私の救いだったか」

 かえでも立ち上がり、メルとシーの頭を軽く抱きかかえる。しばらくして再びソファに腰を下ろすと、かえでは話し出す。

「結果的に宝具収集は当たりだったわ。ラチェットが持ち帰る宝具を王さんが分析して新しい技術の可能性を示し、中嶋親方とジャンさんが奇抜な装置を創り出す。玉石混交だったけど、そうした刺激が、また皆を前向きにさせてくれた。ただ、一向に不足霊力の解消方法にはたどり着けないまま、どんどん時は過ぎていった。

世間では世界華撃団大会が開催され、沸き立っていた。私たちも力を蓄えているとはいえ、WLOFとの差は開く一方。この大会は、毎回それを見せつけられている気分だった。

そうしてオデュッセイア作戦発動から十年が経って、世界華撃団大会は三回目を数えた。

そこには私たちの知らない帝国華撃団花組の姿があった。設立以降の経緯は、もちろん把握していたわ。すみれが心血を注いだチームの活動に、私たちは心から喜んだ。あらためてがんばろう、そう思ったわ」

「そうして、再び幻都が現れたんですね」

「ええ。それは同時に私たちにとっても大きな転機になった。幻都が現れたとき、幻庵を追って幻都に突入しようとした崎姫が、通りかかったラチェットを捕捉、交戦状態にはいったの」

「それは……偶然にしては出来すぎでしょう?」

 迫水の言葉にかえでがうなずく。

「これが種明かし」

 言いながら、かえでは左目の眼帯を手早く取り外し、左の前髪をかきあげた。

 加山、迫水は共に言葉を失う。彼女の左目は眼球全体が闇のように黒く塗りつぶされていた。本来瞳がある場所には、赤い光点が微かに灯っている。

「幻都から帰還したラチェットが、取りついてきた崎姫と戦った話は知ってる?」

「迫水さんの話では、かえでさんが撃った弾が呪詛返しの防壁で跳ね返され左目を負傷した、と」

「そう。あの時の銃弾はね、紅蘭が新しく発明した霊力式発信術式『取り憑くくん』だったの。本当はその銃弾を受けた対象は、専用の機械で所在がわかるような呪いがかけられるのだけど、呪詛返しでその一発を私が受けたことが原因か、発信情報が混線して機械で追えなくなった。ただ、かわりに私の眼が受信機のような力を得たことが、その後の検査で判明したわけ」

「じゃあ、崎姫が近づくと」

「だいたい半径五〇キロほどの範囲内で反応することが、検査と、時折範囲内に現れる崎姫の存在確認でわかったの。崎姫は最初の数年は日本を中心に活躍していたようで、検証する機会には事欠かなかったわ」

「話の腰を折るが、君がここにいるのはまずいのでは?」

「その点はご安心ください。もう網は張り終わっています」

 自信に満ちたかえでの表情に、迫水は安心したようにうなずいた。

「話をラチェットと崎姫の遭遇戦に戻すわね。

私の左目は、崎姫が近づくと赤い光点が大きくなるの。そして速度が速いと明滅も早くなる。その性質を利用して、崎姫の移動ルートを風組とプラム・杏里が予測できるようなシステムが、その頃には開発されていた。そして、幻都が呼び出された日、あわただしく移動する崎姫の目的地を割り出して、ルート上にラチェットを待機させておいたわけね」

「遭遇戦を装ったのは、こちらが捕捉していることを隠すためだね」

「その通り。万が一ここで崎姫を逃しても、追い続けられるように。というより、私たちのなかでWLOFを出し抜けそうな要素がこれしかなかったからよ。崎姫はラチェットを覚えていて、食いついてくれた。ラチェットは霊力が尽きた状態ではあったけど、それまでに集めていた宝具で身を固めていた。だから、時間稼ぎぐらいにはなったようね」

「もしそこで崎姫を捕捉していなければ北斗七星の陣は……」

「新生花組、そして各国の華撃団は強かった。だから結局撃退していたと思う。でも、私たちも少しは平和に貢献したのよ」

 かえでは少し笑みを浮かべながら、眼帯を元に戻した。

「その後、幻都の再封印を知った崎姫は怒り狂った。ラチェットは大きな傷こそ負わなかったけれど、あの見事なブロンドヘアがずいぶんと断ち切られたそうよ」

「ではラチェットは髪を崎姫に奪われたんですね。幻都でのさくらくんと同じように」

「言いたいことはわかっているわ、加山くん。

崎姫から逃げ延びたラチェットから、崎姫に髪を奪われたと報告があった。私たちは新生花組を混乱に陥れた夜叉が、写し身であることは独自のルートで確信していた。だから自分が組織内にいると写し身による混乱を招きかねないので、米田総司令と相談して身を隠すことにした、自分が姿を見せたら敵として扱え、とね」

「あれから数ヶ月が経っていますが」

「ええ。それ以降、私たちもラチェット、そして一緒に身を隠した米田総司令と会うどころか連絡も取っていないの」

 結局、昏睡事件の黒幕であるホルスがラチェットの写し身なのか、ラチェット自身なのかは確信が持てないままだった。

「藤枝君、ここまでの話で重要なのは、君が崎姫を捕捉できること、ラチェットの写し身がいてもおかしくないこと、そして一方で米田総司令とラチェットは行方知れずということと理解してよいかな」

「その通りです。ちなみにそろそろ答えが出ていると思うのですが……」

 かえでは手元の通信機を操作する。あらかじめスピーカーと繋いでいたようで、通信機からプラムの声が聞こえてきた。

『かえでさん? ちょうど調査がおわったところよ。WLOF幹部二六人のうち、先日の加山さんと清流院さんの会談中に月組が捕縛したものを除けば、残るはオフィサーAとオフィサーQだけよ』

「ありがとう、プラムはこのまま聞いていて――迫水さん、加山君、ということで、相手は完全に追い詰められた状態よ」

「プラムくんがどうして月組の情報まで知っているのかな?」

『これ、言わないほうがよかったかしら』

 笑いつつ、かえではプラムを労って通話を切った。

「これで、この先の話をするのに必要な情報はおしまい。そのうえでこれからの――」

 そこで言葉を切ったかえでは、急に頭を抱えて机に伏した。

「かえでさん!」

 かえではそれには答えず、震える手で眼帯を外す。そしてスーツの内ポケットから取り出したスマァトロンのカメラを起動し、自身の顔をフォーカスした。何かを認識したのか、数秒でスマァトロンが電子音を数回発する。間髪置かず、部屋のスピーカーからサイレンが流れ、つづいて椿の声が響き渡った。

『緊急連絡、緊急連絡。牛込区鶴雲館にて崎姫の出現を確認。作戦行動の前提条件が揃いました。各員は所定の行動を開始してください。繰り返します……』

「加山君は私についてきて。迫水さんは司令室で風組から説明を受けてもらえますか」

 加山たちはうなずき、それぞれ動き出した。

 

    *

 

 鶴雲館地下二階。

 いつのまに到着したのか、崎姫は司令室の司令席に腰掛けていた。ホルスの後ろに並ぶ不動の六人に視線を這わせ、顔をしかめる。

「まだ奪った『霊力の芽』は充分残っとるだろう? ケチケチせずに、こいつらにも使え」

「不足の事態もあるかもしれないでしょ。集めてくるのは大変なんだから、そういうわがままはやめてくれる?」

「うるさい! 多少の軽口は多めに見ておるが、命令に従わぬなら、こうじゃ!」

 崎姫はホルスに妖力を放った。ホルスの身体が吹き飛び、壁に叩きつけられ床に転がる。が、ホルスは何事もなかったかのように、立ち上がり、スーツについた埃をはらった。

「そういうのもいただけないわね。力で従ったと思われるのは嫌なの」

「減らず口を……いいから早く始めろ。ここまで駒が揃えば、お前など消し去っても構わんのだぞ!」

 ホルスは一瞬だけ悔しさを見せるが、すぐに先ほどと同じように、空中に青い光を現出させ、六体の写し身と崎姫に注ぎ込む。徐々に妖力のゆらぎが薄まっていく様を眺め、崎姫は満足そうに歪んだ笑みを浮かべた。

「……わたしにだって、やるべきことがある。ここで消えるわけにはいかないの」

 青い光から目を伏せるようにして表情を隠しながら、ホルスは呟くのだった。

 

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