『まず間違いなく龍園君からの報復が予想されます』
互いの得点状況の共有も即座に終わらせてから、唐突に坂柳は切り出す。
全校生徒が体操服という光景が広がる中で、ただ一人の例外である制服姿の坂柳有栖は、Aクラスのテント内で優雅に座りながら、乃亜へ助言を告げていた。
細すぎるくらいに思える白磁の指で、年季の入った白杖を普段よりもしきりに弄びながら、真剣な眼差しをさせている。
どうしたのだ落ち着かない色をさせやがって。何だ、心配してくれてるのか。腐りかけたアボカドのような性格の美少女幼馴染らしくない、妙に殊勝だ。仮に襲われたとしても妖しい笑みを浮かべながら眺めているような、終わってる人格の持ち主だろうお前は。
珍しく逆の立場となった気分だ、呆れた声で坂柳へ語り掛けるのは。
『そりゃ来るだろ』
『佐々木君ならそれを加味して煽っていたのでしょう? コレが襲われたとしても自業自得よ、タチの悪い扇動者の心配をする必要なんてあるのかしら』
『ヘイヘイリーダー、扱い雑すぎじゃん』
『確かに乃亜君が非道い目に合ってしまっても間違いなく因果応報です。ですが、もしも乃亜君が脱落するほどに痛めつけられてしまえば……………貴女達のクラスへ深刻な傷になるでしょう。佐々木乃亜という存在はそれほどまでにDクラスにとって大きいものであるとお見受けしますが』
『どう思う葛城、誰も俺と対話をしてくれないんだが』
『自業自得で因果応報だと2人が言ってくれてたじゃないか』
『テメェは今ので会話したとか言えちゃうのかよ』
人とお喋りするのが大好きな乃亜にとって、こうしてお話から爪弾きにされてしまうのは実に悲しいのだ。葛城に話しかけてもあしらわれてしまう。更なる悲しみに暮れる乃亜なのだ。
『被害が降りかかるのが佐々木君以外なら、どうせ佐々木君に任せておけば勝手に何とかするでしょう。でも彼がターゲットにされてしまうと……私達のクラスにはまだ、一致団結して誰かを守れるほどの結束力には欠けている。しかも普段の言動からして、彼へ手を貸すという行為のハードルが高い可能性もある。……結局のところ、襲われるのが彼なら彼自身で解決する以外に道は無いわね』
『…………乃亜君は、どうしてそんなにも人望が無いんですか?』
目頭を抑えながらの辛辣コメントだ。どっちも非常識なコメントだ。何でこんなにも身内から刺されなくちゃならんのか。
『は? おい嘘だろマジかよ、俺って人望無いの? こんなにもクラスへ貢献してる奴が? クラスメイトどころか同学年を見渡しても俺レベルに貢献してる奴はいないだろうが』
『大衆の心を操り人形にする技術があっても、大衆の心を掴む性質が不足しているのでしょう。精神異常をきたした賭博狂いなら納得よね』
『俺はテメェの馬主様だぞ。立派なG1馬に育ててやったのに何で嫌われてんだよ』
『今の発言に全ての答えがあるじゃない』
これから襲われる可能性が高いというのに、相も変わらずの様子で罵られる乃亜。心配すらしてくれないのは、果たして信頼されているのか、或いは見放されているだけなのか。どちらにせよ周りからは親しい軽口の応酬とでも捉えられているのだろう。……だって坂柳がメチャクチャ笑顔で睨んでくるんだもの。いいね、特に堀北が向けられる恨みに気が付いていながら、怯んだ色を出していないのがとても良い。
ともあれ、そんな一幕を踏まえた上で棒倒しへ臨んだのだが。
『乃亜君』
『なに』
『気を付けてください』
『え、断るが』
乃亜へ降りかかる分なら問題は無い、いっそ大歓迎だってする。
『……些細な怪我を一つでも負ったのなら、乃亜君のクラスのテントへすぐに駆け付けて、懇切丁寧な治療をして差し上げましょう』
『何かしらがあっても擦り傷が関の山だろ。唾つけときゃ治る』
『そうですか、でしたら私が
『お前の特殊性癖をこれ以上増やしてどうする』
ピキピキと血管を蠢かせながら、満面の笑みで実刑予告をする坂柳。ピンポイントに乃亜が若干嫌がる行動を的確に取ろうとする、これも付き合いが長い弊害か。
そんなこんなで元より警告はされていた。故にこればかりの責任は乃亜にあるのだ。……加害者の主犯が龍園であるという事実は除いたとしての話だが。
一言に全てを込めるのならば、そうです──────ぶっちゃけ舐めてました。
棒倒しが始まってすぐ、戦局は分かりやすい形を成した。
試合が始まる前の待機中に乃亜は、白組は龍園クラスが守備を担当し、一之瀬クラスが攻勢へ出る、その役割分担を確認した瞬間に大きく声を上げる。
「手筈通りに分かれろ~い」
乃亜による合図が出た瞬間から、AD混合の生徒達は、前もって決めていた組み分けの役割の場所へすぐに着いた。
命令系統が二分化するのは最初から予測できたこと。なればこそ、白組がどう攻守を分けるかの予測は容易い。
敵の予測が容易いのなら、それに味方を合わせて配置すればいい。
鍵となるのは龍園クラスだ。どうせラフプレーを駆使してくるのなら、ラフプレーに耐えうる人員を費やした方が良い、ここにぶち込むのは主に体育会系や喧嘩慣れした者達だ。ウチのクラスからは須藤は勿論の事、絶対に
一之瀬クラスが担当する方には、荒事や運動を苦手とする面子を費やしている。幸村や筆頭の運動ダメダメ集団である。積極的ではない連中を纏めるとどうなるのか───消極的な集団が出来上がる。じゃあダメじゃんとは作戦会議中に軽井沢から頂いた苦言だったが、そこがまた一味違うのだ。
何と言っても今回のゲーム、乃亜は一之瀬クラスを、クラス全員の目に触れる形で救ってやっているのだ! 龍園と坂柳の悪謀に貶められる一之瀬クラスを! 乃亜の厚意と好意と幸意で!
「守備隊任せた葛城」
「ああ、暴れて来い。───全員無理はするな! 佐々木達が棒を倒すまでの僅かな時間を稼げれば十分だ!」
一之瀬クラスの長所の一つとして、リーダーが所以となった人間性がある。例えば一之瀬帆波は受けた恩を返そうとする、それが彼女の善性からくるものだからだ。そしてクラスメイトはそんな綺麗な色をさせた一之瀬を尊敬して崇めてすらいるのかもしれない、だから彼女のそういった一面を見習う。
言葉だけなら何とでも言える。「正々堂々勝負しよう!」だとか「真正面からぶつかろう!」だとか、騙すにせよ気を遣うにせよ、人間とは口先が凄まじく軽いものだ。
一之瀬個人との関係性は良好な乃亜。ただでさえ無人島だけでなく今回のゲームでの恩がある。その上、クラスへの帰属意識は高いと広まってすらいる、クラスメイトを大切にしているという他人評価は間違いなく一之瀬クラスにも伝わっているだろう。
さて、そんな『善性に満ちた一之瀬へ倣え!』を素で行うような集団が、乃亜のクラスメイトへ乱暴な真似を振るえるのだろうか。
「Dクラス! 前に出ろ!!」
「ッ……行くぞ!」
葛城の号令と共に前へ出るのは、第一防衛線に選ばれた、堀北クラスのへろへろ部隊。
怯えの顔色も隠さず、けれど精一杯の賢明さを胸に前へ出てきたメンツを見て、非常にやり辛そうな色を浮かべるBクラス男子司令官の神崎。正直な話をすれば、別にゲームの土台の上でなら乱暴な真似は許せる。何なら腑抜けた精神を叩き上げて欲しいくらいだ。
何事も程度が大事という話だ。龍園や坂柳がしでかすなら過剰も過剰に襲ってくるだろうが、一之瀬管轄のこいつらならばそこまではしないだろう。
一応、保険の綾小路も置いているし。
「よしよし。───まぁ、ほんじゃ進めぇ!! ならず者共ぉ!!!!」
防衛側を振り返ることなく、荒事上等の搔き集め集団へ檄を飛ばしながら、最前線を突っ走る。
佐々木乃亜はここ数年で、4番目くらいにはテンションが乗っていた。単細胞テンションちょーたのしー!
「まさか俺に言ってる訳じゃないよな佐々木!」
「ナマ言ってんなよアホ代表格!! いの一番に特攻しろや単細胞筆頭ヤロウ!!」
ならず者筆頭の赤髪バスケマンが、好戦的に笑いながらふざけた冗句を飛ばしてくる。
冗談を口にできるだけの余裕が有り余ってるのは非常に助かる。分かりやすく目立って、これでもかと暴れてくれるだろう。
誰よりも我先に、乃亜は真正面から突っ込んでいく。Cクラスの後方で偉そうに立っている龍園の厭らしい笑みには、やはりラフプレーの意を示すように、攻撃性の高い色が灯っている。
やはり乃亜が前線で暴れる判断は間違っていなかった。
この軍団の中で誰よりも使い潰せる唯一の人材へ、乃亜は笑いながら釘を刺しておく。
「頑張り次第じゃ悪辣女に口利きしてやんぞ!! しっかり暴れろよ
ジャスティスクン!!!!」
「ッ、仰せのままにデビルプリンス様……!!」
「ハッ! 楽しい悪態吹かすじゃねぇか!! やっぱし俺はお前を気に入ったぞジャスティス・橋本ぉ!! テメェには単独で敵陣の横っ面を引っ叩いてもらおうかなぁ!!!!」
「マジか余計な事言っちまった!?」
「オラとっとと行ってこい!! キリキリ働けや俺らの奴隷くぅん!!!!」
そうかそうか、そんなにも労働意欲に溢れているのだな。個人競技でのパフォーマンスを落とすつもりで扱き使おう。Aクラスの成績を追々落とす布石を打っておこう。橋本は中々に有能だ、この場での仕事も十二分に果たしてくれるだろう。
半泣きしながら一団から抜けていく橋本。単独で逸れるという不審な動きに警戒の色が敵陣へ走ったが、龍園は一喝してすぐさま落ち着かせる。乃亜の
そうして激突する、AD混合集団と、Cクラス。
野太い叫びがぶつかり合う。もみくちゃとなって、乃亜が予想していた通りにこれでは陣形もクソもない。40人すら優に超える人数がグラウンドを踏み鳴らして、凄まじい量の砂煙が上がっていく。……ダメだ、怒号に掻き消されて声も届かない、士気を行き届かせるのは叶いそうにない。
たった今、殴り掛かろうとしてきた石崎の両腕を掴み、思わず転んだ様子の演技をして無防備となった腹へ膝蹴りをぶち込む。無論ながらかなりの加減をして。
「ぐぎぇっ!?」
「ちょっとどいてねー」
ホブゴブリンを潰したような声を漏らす石崎を無視しながら、前へ進もうとするが、人の波に押されて思うように前へ進めない。
標的を定めたのなら、龍園からどれへ向かうのかの指示が飛ぶはず。せめて平田と須藤が潰されないように周囲へ目を光らせていた。
読み違えたのは──────『龍園の中では標的の候補が幾つかある』という点。
こればっかりは少し反省しなくてはならない。
言うなれば、乃亜があまりにも利益を重視した考え方をしていたのが失態に繋がった。
利益、乃亜が重視するのはそこだ。利益が出る選択を選ぶ。帰属しているグループにとっての利益を選ぼうとする。感情的な選択をしようにも、必ずと言っていいほど利益を絡める。
龍園も似たような思考ルーチンを持ってはいるようだが。
「───あー」
龍園への注視を絶やしていなかったのが不幸に転じた。
気が付けば、乃亜の周囲には、Dクラスの生徒もAクラスの生徒もいない。
「モブだと断じ過ぎたか?」
石崎が躊躇いなくぶん殴ってきた時点でおかしいと感じるべきだった。……敵意の色を受け取るのが当たり前すぎるのも考え物である。
最初から狙いはただ一人。
「ぶおぉ~、ぶおぉ~、フルボッコタイム確定!」
「何言ってんだコイツ!」
「知るか! 囲んで叩け!!」
忌まわしき佐々木乃亜を叩き潰すために、Cクラスの囲いは既に完成していた。
両手で法螺貝のジェスチャーをしながら、背中を蹴られて頭から地面へ転んでいく乃亜だった。
遠目から見ても鮮明には見えない、だが蹴りだ。拳は無い。
踏み、蹴り、踵を落とす、上半身の動きから読み取るに。もしもしゃがみこんで殴ろうものなら、その動作は不自然な違和感へと繋がるだろう。
佐々木が予想していたのは利益の比重が高い、戦略的な蹂躙だ。
龍園が望んでいるのは私情を優先した、屈辱を払拭するための私刑だ。
「ぐっ、くそ……! 佐々木達はまだなのか!?」
メガネがずり落ちるのを直したい、佐々木なら恐らくはそんな色を観るのだろう。必死な形相でBクラスを押し留めようと、オレの隣で奮戦する幸村。だがまずもって彼の悲痛な叫びは届かないだろう。
何せ攻め軍勢の指揮官が、今現在リンチの真っ最中らしい。
目視したいが如何せん何も見えず、伺えず、オレの居る地点も声一つまともに通らない。
これなら攻めへ参加していれば良かったと若干の後悔を感じていると、囲いの向こう側の乱戦集団から龍園が顔を覗かせる。あいつは自らも佐々木への囲いへ参加して、勝ち誇ったように笑っていた。
「……お」
今、微かに見えた。
蹴りに加わった龍園が、何か、口元を動かして─────────龍園。
オマエは今、何をした。
切っ掛けは何だ。
どうして佐々木は、
たった一言だ。
全ての細胞が焦げ付くほどに熱を持ち。
全ての細胞が凍り付くほどに熱が冷め。
脳が熱く、摩擦で熱く、回っていく。心が冷たく、情緒は冷たく、停まっていく。
目覚めた、と言うのが正しいのか。
それとも、思い出したが正しいのか。
堰き止めていた軛が、脊髄から引き抜かれる実感があった。
堰き止められていた汚濁が、奥底から氾濫していく既知があった。
躾けられた規定が、取り払われていく。
抑えつけていた枷が、罅が奔って砕けていく。
「どうした佐々木! いつも浮かべてる薄っぺらい笑顔を見せてみろよ!」
蹴られる蹴られる蹴られる、でも、ここじゃなかった。
「結局お前は暴力に怯えてるだけだ。だから俺のやり方が気に入らねえ! だから俺にこうして負けてんだ!」
蹴られる踏まれる蹴られる顔を蹴られる、でも、ここじゃなかった。
「口先だけが達者な小物が……! 死にたがりのパフォーマンスも今となっちゃ空しいな!」
蹴られて踏まれて蹴られて踏まれて蹴られて踏まれて蹴られて、必死な色が観えて。
「頭のイカれたハッタリ野郎!!!! 調子に乗りすぎたんだよてめえは!!!!」
殺意の色。
本物の色。
「お望みならやってやろうか!? ───殺してやろうか佐々木乃亜ァ!!!!」
ここだった。
佐々木乃亜が、一番好きな、あつい色。
声が聞こえた時、奥底から蠢くものが表に出てきた。
次の瞬間には、全身の動作と思考の神経伝達は同期し、微塵の遅延もせずに動く。
「あ゛───?」
疑問の声は、龍園翔から発されたもの。
龍園翔が渾身の力を込めた蹴りは、当人が狙いを定めた顎では無く、乃亜の額へと向かっていく。必死な形相で笑みを繕う龍園翔と、冷え切った乃亜の瞳が、意志を交錯させる。その瞬間にはもう。
もう乃亜は、結末を知っている。
たった一言だけで、乃亜には、それが出来る。
明らかな暴力行為、それも複数人による抵抗の余地を許さない、一発退場の反則行為だ。
だがどれほど巧妙に隠された犯行だったとしても、佐々木の手腕ならば、龍園程度なら簡単に罪を明らかにさせることが出来る。
明らかにしないのなら、そうするだけの理由が佐々木の中にはある。
「転んだだけっす。そうだろ、龍園」
「……ああそうだ佐々木が勝手に転んだ。本人だってそう言ってるんだぜ? 当人同士の間ではもう解決済みの話なんだよ」
額を抑える手を真っ赤に染めながら、恐ろしいほどに冷静な横顔で受け答えをする佐々木。そんな姿を龍園は不気味そうに睨みつけながら、この件は流される事となった。
周囲からの視線を独り占めにする佐々木は、今、Dクラスのテント内に座り込んでいる。
───額に張ったガーゼを手で押さえながら、平田を経由させて、淡々とした口調で葛城へ指示を飛ばしていた。……たった今、佐々木の怪我の具合を案ずる様子を最後まで見せていた平田が、名残惜しそうにグラウンドで待機している葛城の元へ走っていく。
そうしてDクラスのテント内には、怪我の治療にかこつけて作戦を練る時間を捻出していた佐々木と、付き添いで近くに居たオレと、仮病でサボっている高円寺だけが残った。
「賭博ボーイ。私には何も無いのかな」
「無駄話だろそれ」
「ほう───それが君の本性かい?」
「勝手に考えとけ」
数回往復するであろう会話を端折り、結論だけを押し付けて対話を打ち切る。無駄な応酬、非生産的、そう言わんばかりに表情を凍り付かせている佐々木だった。佐々木が無駄であると断じるのならば、こと人間関係での話なら事実なのだろう。高円寺の興味心が湧いたかのようなセリフにも中身など無いと、そう判断したからこその塩対応という事か。
───龍園は狡く、そして賢しい。暴力的な手段を主流とする事実を普段からひけらかしているのは、問題にはならない手法が思いつくだけの実力があると自負しているからだ。仕掛けるタイミング、その見極めは荒削りながらも大した物だ。
しかし、相手が悪かった。
「あー……スロット打ちてぇな、ガコッとペカらせたい。……てかもう秋華に菊花の季節じゃん、うわ現地に行って賭けてぇ~。もう退学覚悟で抜け出そうかな」
「治療は終わったんだろ、まだ行かないのか」
「あと5分49秒」
破天荒な振る舞いながらも、暴力的な手段を実行へ移していた覚えは少ない。狂気の如き言動を目立たせているのは、何をしでかしてもおかしくはないという印象を振り撒いていただろうが。……龍園からすれば、そんなのは強がりにでも見えるのだろうか。
口先ばかりで、本当に殴る気概は存在しないとでも考えていたのか。
いざとなれば、自分ならば、暴力を用いてしまえば如何様にでもなると思い込んでいたのか。
「何の時間だ」
「BクラスからCクラスへの不信感を膨らませていられる時間、尚且つ俺が審判から注意を受けるまでリミット、それがあと4分37秒って話」
それすらも布石になり得ると思い至らない時点で、やはり龍園は、佐々木が言う通りに未熟だ。
……しかし拍子抜けだ。佐々木が派手に血を流しているのだから、てっきり血相を変えた坂柳が飛び込んでくるかと思っていたが。
佐々木が坂柳を気にした様子は無い。同様に、坂柳が佐々木を気にした様子も無い……?
「そういえば「坂柳は近寄りたがらない」
今のコイツとの会話は非常に楽だ。言葉数が少なくてもスムーズで非常に助かる。
思考を数段飛ばしで先回りした果てに、結論だけを一方的に押し付けてくる。先程も秒数単位で展開を予想していると自らの口で言っていた、この分では悪魔扱いされるのも仕方のない話だと思う。決定論の悪魔か何かかこいつは。
「人目を憚らずイチャつくお前らが? どうにも信じ難いな」
「そういう関係なんだよ。……つーか別にイチャついてないし」
「いやいや、無理ある無理ある」
「真っ白なプラスチックヒューマンめ。随分と俗世に染まった反応をするようになったよ」
「佐々木のお陰でな」
───坂柳とのあーだこーだは、その気になればいつでも切れる。
いつぞやの佐々木の発言も、案外真実だったりするのだろうか。
棒倒しは、二つの団子に分かたれる。そんな事は乃亜でなくとも予想に容易い展開だ。セオリー以前の話だ、攻めと守りの数を均一にさせなければ天秤はすぐに崩れる、ゲームの土台から全てが崩れ去っていく。
だから二つの塊から孤立するような真似は、あり得ない行為だ。奇襲にせよ奇策にせよ、たった一人でポツンと逸れるというのは悪目立ちと言えるほど、酷く目立つ。
二試合目が始まってすぐに、各陣営は攻めと守りがぶつかり合う。
その中で乃亜は、恐ろしいほどに目立っていた。
「(注目の独占、BとCは単独で棒立ちしている俺に反応して、攻めにせよ守りにせよ一手の判断に遅れる、俺に視線は集う、血を流した俺が更なる負傷に怯えているのか、或いはキレて暴れ始めてしまうのか、判断材料を視覚情報で集めようとする)」
乃亜は素知らぬ顔をして、散歩でもするかのような穏やかな足取りで、グラウンドの端の方へと足を進める。
「(龍園翔は俺を───ああそう、もう一度痛めつけたいんだな、堪えたようなリアクションを見られていないからまだ敗北感を拭えていない、だが攻守は変わっている、先ほどの守りとは違って龍園翔は攻めの担当、今から俺を囲んで叩くには無理がある、俺への攻撃を諦めて攻めへ踏み切るまで30秒余りかな)」
龍園翔の判断速度は速い方。少なくともBクラスの指揮を執る神崎隆二よりは遥かに。
敵の全体の空気感としては遅れている、この展開を予測して言い含めていた乃亜達赤組は既に一手早く動いている、そして敵の遅れと味方の先読みは噛み合う、二手分のリードが手に入る。
赤組の攻撃は、守備を任されたBクラスの防衛線を確実に蝕んでいく。
赤組の守備は───龍園翔の思考の混濁の影響がまだ、Cクラス全体の停滞へ繋がってはいる。だがじきに立て直す、山田アルベルトという大きな戦力を軸として崩しにかかる、血気盛んな連中揃いのCクラスを押し留めるには、守備陣として選抜したメンバーは少し頼りない。
だが、それでいい。
前以ての乃亜からの指示は、平田洋介を通して葛城康平へ伝わり、そして葛城は橋本正義へと伝えていただろう。
今回、守りの指揮を執るのは、乃亜だ。
葛城康平には、攻めの側へ移ってもらっている。
「(3秒前───もういいか)橋本!!!!」
そして守備側に潜らせていた橋本正義へ伝わるように、大きな声を出して、乃亜はCクラスの軍勢へ向けて走り出す。
龍園翔は大声を叫んだ乃亜へと顔を向けるが、攻めへ集中すると踏み切る寸前、不意打ちの様に動き出す乃亜の速度へ彼の思考は置いてけぼりとなる。
指揮が飛ばされる前に、Cクラスの人の波を掻き分けて進む。
目指す人物はただ一人。この一人させ抑えてしまえばいい。この一匹さえ潰せればいい。
その為の布陣は既に形作られている。
山田アルベルトは、自然な形で、Aクラスの男子が包囲している。
「囲え!!!!!!!!」
端的な命令一つが、人の包囲網を、人の壁へと成らせた。
進む勢いのまま、人の壁の内側へ足を進めた乃亜が、こちらへ気づかず背を向ける巨体へと手を伸ばす。
そして──────尾骶骨へ膝が入った、巨体が一瞬だけ上へ浮き上がる耳を左手で殴りつける右手で頭を押さえつけて衝撃が頭蓋を暴れ回らせる芯まで届く振動が脳を揺らして判断力を削ぐ揺れた意識を更に昏倒に進ませるにはやはり頭部だ後頭部へ頭突きを喰らわせて痛みに呻く声が喉から洩れる。
額のガーゼに赤い染みが漏れ出始める、開かれた傷が赤い色を溢していく、突き刺さるような熱が額に灯る、痛みが響く、痛みが、痛い、痛みが思考を抉り開く、痛みが全ての速度を後押ししていく──────確か
技術をその身で知った。
技術の働き方を触れて知った。
技術が実現する瞬間を自分は知った。
経過、道筋、行程、術理、過程、望んだ結果へ辿り着くまでを知っている。
知っているのなら、自分は、その通りに動ける。
動かせるだけには収まらない、その更に先の段階へ容易く足を踏み出せる。
佐々木乃亜なら必ず実現させられる。
「
「What the!?」
背後から回された左手が、山田アルベルトの体操服の胸ぐらを掴んで前へ引く。
人の反射、人の本能、人の機構、痛みに呻きながらではどうにもならない強制力が、唐突な引力へ抗おうと、全身を後ろへ逸らす。───その瞬間、サングラスごと引き摺り込むように、乃亜の中で急速に組み上げられていく技術の作用が、山田アルベルトの顔を掴んで後ろへと倒れ込んでいく。
傾いていく世界の中で、山田アルベルトの色が見えた。
理性も本能も、無意識下だろうと意識下だろうと、反撃の暇を差し込ませられないだけの算段は脳内で弾き出し終わっている。
そして、乃亜は知っている。
佐々木乃亜という生き物ならば、考えて、発想して、可能であると理解したのなら実現というレールに乗せるだけで現実の光景へと出力できる。
乃亜なら出来る。
自分なら出来る。
俺なら出来る。
保証がある。
誰よりも佐々木乃亜を知る父はそのための規定を躾けた。
誰よりも佐々木乃亜を恐れる母はそのために自らを絶った。
誰よりも佐々木乃亜の傍に居た有栖は、それが故に、一つの不変を望んだ。
俺は、ソレを可能とするだけの才能を有している──────
「
──────でも今回は、お預け。
これも躾によって施された、佐々木乃亜の内に在る規定の一つ。『衆目では手を出すな』とは痛みと共に覚えた最初の線引きだ。だから言い訳の利く寸前で止める、必死に必死に必死に必死に必死になって我慢する。
足を絡めて転ばせる、右手の平の中にサングラスの硬い触感を感じながら、地面へ後頭部を叩きつけた。肉を打ち据える柔らかな感触がした。
倒れ込んでいく勢いを載せて、乃亜と山田アルベルトの互いの体重をも載せて、迷いも躊躇も捨てた動きは成立する。
人壁の隙間からこちらを覗いている無機物モドキヤロウの綾小路はどうせその先までやらかすのを期待しているのだろうが、残念な事にそれは無理だ。佐々木乃亜が事へ及ぶには、どんなことに関しても理由が必須だ。実行が可能な理由、実行を遮る理由、その全てに理由が不可欠なのだ。
感情的だとしても理由になり得るが、今回は利益を追求した結果の実行、どこまでも理性的な理由。クラス序列を上げる為に、龍園翔への影響、クラス間の関係の影響、この後の競技への影響、それらを鑑みた結果としてこの行動は最適解への一つであるという推論は成った。
成すべきことは一つ。
山田アルベルトの脚を
起き上がろうとした山田アルベルトの顎を、乃亜の蹴撃が鋭く蹴り飛ばした。
「そのままの位置がちょうど色を遮る。大人しく囲んどけよ」
すぐさまもう一度、山田アルベルトの顎を蹴り飛ばしながら、周りの視線を遮る
連撃では意味は薄い。殴打では困難だ。踏み砕くにも難しい。山田アルベルトの肉体には優れた強度がある。関節部を狙うのは当然だが、しかし的確に即座に壊すには、正確かつ染み込むような痛みが必要だ。
時に関節とは、稼働が不可となる角度が存在する。
肘は180度以上には伸ばせない。膝も同様に。他にも様々。
そして足首は、90度も曲がらない。
だから乃亜は、120度を目指して曲げてみようと思うのだ。
「あー、120だと折れるか? 靭帯に傷が走ればそれでよし。60くらいで満足してみっか」
脳内を高速で回転させていく。今後の展望と、過剰か否かの線引きを加速度的に組み上げながら、倒れた山田アルベルトの膝の上へと腰を掛けた。
乃亜は両足を絡めて締めて、固定させた山田アルベルトの足を、シューズごと両手で掴んで───右回りの角度へ曲げていく。
利き足が右だというのは知っている、走っている姿も、棒倒し中の重心を寄せていた足も、色で全てが割れている。男子の側の最高戦力もコレ。綱引き、騎馬戦、その他諸々の競技を思うのなら……うん、やっぱりだ、
ギチギチと、無理矢理の動作に軋んでいく手ごたえが、足を掴む両手へと広がっていく。
不快も快感もない。さざ波の様に、何も感じず、呑気に今日の昼食はどうしようかさえ考えながら靭帯を壊す手応えを手に感じ取る。
サンドイッチもいい、おにぎりでもいい、何にせよコンビニ飯になるだろうが、ゲームの余暇であるなら現状整理を肴にしながら食べれば退屈も紛れるだろう。明太子食べたいな、照り焼きサンドとかも美味そう。
とか、考えながら関節に悲鳴を上げさせていると、背後から焦りと苦痛の色が───
「おっと」
───振り返りざまに乃亜へ掴みかかろうとしていた山田アルベルトの鼻頭へ、左肘を吸い込ませた。
人体の凶器とも呼ばれる硬質部位が、柔い軟骨へ軋みを上げさせる触感を受け取る。山田アルベルトの鼻から血が景気良く噴き出したのを確認してから、山田アルベルトの襟首をもう一度掴んで引き寄せた。
乃亜の額が、山田アルベルトの顎と音を立てて衝突する。
手ごたえを感じた瞬間、首を一息に持ち上げ、顎をかちあがる。
「Ouch!」
「いてぇー、なにしやがるぅー」
脳を揺らされながら倒れ込んでいく山田アルベルトからすぐに視線を捨て去り、乃亜による棒読みの被害者宣言が辺りへと撒き散らかされていく。白々しさが極致に至ったかと思うような宣言に、周囲の空気の色が一斉にドン引き気味へと陥っていく。
喧嘩ならこのまま楽しくもないタコ殴りコース。
しかし今回のゲームで一過性の狂暴性を見せつけるだけでは意味が無い。
必要なのは、後に引く痛みだ。
再び乃亜の両手は、山田アルベルトの右足を破壊するために、鈍くて硬くて他人の足首を軋ませる作業へ移った。
「15秒前」
己へ言い聞かせる。
配分は、7~10秒が破壊。
残りの5秒で状況の整理。
そうこうしている間に5秒経過。
審判の色は未だこちらに向いてはいない。須藤健の荒々し過ぎる雄叫び交じりの突撃が、どうしても暴力沙汰の予感をさせる裂帛そのものであることが大きな理由だ。想定通り、あの単細胞は乃亜へ恩を感じていたが故の憤りに燃えて、声と動きだけは一丁前に暴走列車を演じてくれている。メッチャ便利だ、いいぞそのまま見せかけの暴走を続けてくれたまえ。
どうせ龍園翔には程なくして察されるだろうが、精々が30秒は要する。
それまでに勝利はこの手に収まる───10秒経過と同時に手元で核心の感触がする。
ビキリ、と、勝利の布石の
「───ッッッ!?」
「5秒前ぇ!!!!」
声にならない絶叫が、山田アルベルトの喉から吐き出される。そして乃亜も負けじと声高々に叫び放ち、龍園翔
突然の大声にも気が付かずに、山田アルベルトは痛みを叫び続ける。……そんな彼の足首を地面へ叩きつけて追い打ちにくるぶしへ左拳を叩き込んで更についでに殴って殴って締めの肘鉄を振り下ろす。
乃亜の声に釣られていく、人々の意識。龍園の意識は、明らかに違和感のある集団───人の視線を遮るような配置に既視感を覚えたような色───へ向けられ、元から周囲からの警戒をされていたであろう龍園の意識が、こちらへ向いた。
それが全ての切っ掛けとなる。
審判を始めとした人の監視の眼が一斉に乃亜の方へ向こうとする。
その時、前もって含めていた乃亜の指示は発現するッ!
「今だよみんなっ!!」
「ッッしゃあお前ら突っ込めええええ!!!!」
乃亜の声を起点として、平田洋介が声を上げた。
須藤健は、いの一番に偽りの憤りを捨てて、猪突猛進の四文字を示す勢いで、CクラスとBクラスの防御網に風穴を開く。
龍園翔は自クラスへ指揮を出そうとするが……そう、お前は必ず、佐々木乃亜の存在を頭にかすめる。
無視ができない。
何故なら、つい先ほどに己自身が取った手段だ。
土煙に紛れ、人の壁で塞ぎ、中心で痛めつける。
もしや自分が受けるなんて? それも最大戦力の山田アルベルトが? ───いいや不思議じゃないだろう。現にお前は今、この回に於ける敗北か、山田アルベルトという戦力の損失か、その2択を迫られるほどにはその可能性を危惧している。
だから、一手遅れる、その一手が更に次の手を遅らせる。
「3秒前」
白組の棒へと迫っていく赤組の波。緩急をつけた突撃は、既に喉元へと迫りつつある。龍園翔による佐々木乃亜への集団暴行を、状況証拠だけでも目撃したBクラスの者達には不信感が宿っている。何よりも、龍園翔本人による指示には遅延が生じて、部下であるクラスメイト者達へも伝染した迷いは動きそのものを固く戒める。
既に手遅れへ至らせた、そう確信しながら、今度は静かに秒数を声に出す。
色の方向性が、こちらを向き始める。
審判の視線の指向性が、こちらの不自然な集団の中に在る団子へと向こうとしているのを見た瞬間、山田アルベルトの頬を、二度三度、気を戻すようにはたいて。
万国共通の満面の笑みを浮かべて、こう叫ぶ。
「
「I'm going to kill you!」
「バラけろ」
迫る憤怒の
───頬へ突き刺さる鈍痛を後方へ逸らしながら、見覚えのある赤髪が敵陣の棒を倒していく光景を目に焼き付けて、まずは一安心。
「まず一本は取り返しっっっ痛ぇなおい」
人の壁が一斉に掃けて、塞がれていた審判の視界が開ける。
平等という概念を表面上は重んじるこの学校だ、眼に見える不正は許さない、許す訳にはいかないのだ。
例えばこれでもかと、目の前でタコ殴りにされる生徒がいたとして。
さて……その生徒は、何一つもお咎めなしといくのだろうか?
ただでさえハーフの厳つい巨体は人を怯えさせる外観を持っているだろう。それも言語の主流自体が多国語の生徒、となれば、言い争いの土台に乗った時、勝敗の分は間違いなく乃亜の側にある。
口内に血の味が広がっていく。
鉄臭い唾液を吐き出しながら、乃亜は笑う。
「ぶっ、ごっ……っ、あ、ははっあはは」
「──────!!!!」
痛む足を庇うように、けれど言葉も無く拳を振るおうとする山田アルベルト。
奮われる拳へ乗せられた意志は、屈辱の発散。だが気が付いているのか、お前の行いは敗北へと近づいている。前の一戦で起こった大掛かりなアピールによる流血だ、お前達Cクラスの印象は最悪に近い───その矢先にこれだ。
彼にだけ聞こえる声の大きさで、光のようなおまじない。
「ハッ!
暴力で俺を屈服させたいのなら、折角の機会だ、命を絶つまで繰り返してみろよ。
俺はこうして無抵抗だ、痛いが、いやそりゃ確かに痛いが、この痛さは並大抵なら怯んで竦むだろうが、だからって怯えてしまっている色しか見えないお前に俺を屈服させられるとも思えない。
だがそれができなきゃ、今、お前の目の前で浮かぶ、狂気の笑みが閉じる事は無い。
きっと、お前の記憶に焼き付きますようにと願う。
願って、俺は、まだ笑う。
なーんにも たのしくないけれど
慌てたように周りが乃亜から山田アルベルトは引き剥がし、その直後だった。
乃亜が突然に瞳をウルウルとさせて喉をひくつかせたのは!
『痛っ、いたい……よぉ……ひぐっ、うぇ……!』
『お前マジ泣きか、おもろ『うえぇぇぇええええん!! いたいよぉぉぉぉぉ!!(うるっせぇなプラスチックモドキ、黙って心配する演技してろアホが、怪しまれんだろ)』
高校生にもなってのマジ泣き、これは中々に哀愁を誘う。
人は往々に、恥を捨てるほどに切羽詰まった他人を見下す。
そして人は、度が過ぎるほどに見下した人間へ、温もりの籠った憐憫を覚える。
『頭がっ、当たっちゃった……だけっ、なのにぃぃぃいいいい!!!!』
痛む額を抑えるフリをしながら、爪でこっそりと傷口を刺激して出血を促し、流れ出る血と涙による説得はつつがなく成功した。こうして乃亜は見事、棒倒しの競技から山田アルベルトという最大戦力を追い出すことに成功したのだ。
『ひっく……でも、俺にもっ、悪かったところがあるかもれない……とはっひぐ、思えない、ですけど……うぇっ……この競技での退場だけでっ、ぐすっ、許してあげてくだ、さいっ……!』
『……てめえ、まさかそれが狙いか』
『ひっ、びぇぇぇん! 龍園がっ、何を言ってるのか、分からないよぉ~』
最後の方はもう面倒になって棒読みだったかもしれない。
罪状は暴行。乃亜が許すというポーズを取ったがために、クラスポイント面での消耗を許して
彼には綱引きにも騎馬戦にも参加してもらって、大きな大きなお荷物になってもらわないといけない。完全に退場させるにはちと惜しい。後遺症が残るくらいに無理をしてくれれば、その分だけ将来的な脅威も自ら減らしてくれるという訳だ。うーむ、効率的であるわね。
そうして乃亜は今、自クラスのテントで、見下げ果てた視線で呆れた台詞を吐かれながら、茶柱から治療を受けているのであった。
「うぇ~ん、痛いよぉ~、ちょー痛いよぉ~」
「嘘だな」
「合わせろよクソ教職者」
低い不機嫌声へ一転させて言い捨てる乃亜。
しくしくと嘘泣きをしていると、消毒液漬けのガーゼを乃亜の額に当てながら、非道極まるセリフを抜かした茶柱佐枝。血だらけガーゼを喉奥に突っ込んで窒息へ誘おうかしら。
救急箱を茶柱佐枝からひったくり、手慣れた様子で自らへ手当てを施していく。ガーゼを張り、バンテージを巻く段階になってから、治療の手を止めた。
まだ猶予はある。山田アルベルトを襲う右足の痛みの主張は、時間を掛けるほどに激しくなる。被害者面で悠々と治療していられる状況は成立しているのだ。ここは落ち着いて冷静になって、ちょっとした作戦会議の時間としようではないか。
「平田、この後の展開を教える」
「……丈夫なのかい? とても辛そうな様子だったけど……」
「概ね演技」
痛みさえ感じていないような冷たい表情で、さらりと言い放つ。
唇の端は切れている、鼻血も少々出てしまっている、額は派手に出血中。だが主な症状はその三つ。致命とも言える負傷は一切ナシだ。全身ピンピンとしている。多少の痣くらいは残るかもしれないが、長く引きずる酷い惨状には陥らないよう調節して殴られていたのだ。
「これで龍園の視線は俺へ固定される、つーかCクラス全員の視線が俺に集中する。クラス一番の武闘派だろあの黒坊主ってさ。そんな山田アルベルトに痛い目見せてやった、しかも俺に一切の非が無い、いっそクラスとしての利益はマイナスだ。実入りが見込めないのに負傷を覚悟で掴みかかってこれるようなのが何人出てくると思う?」
「……今度は自分に被害が回って来るんじゃないのかと警戒する、お前はそう言いたいのか」
窘める立場である筈の茶柱佐枝が、咎めるような声色で乃亜へ聞き返す。
だが彼女も分かっている筈だ、というよりも理解してくれなくちゃ困る。何せ乃亜は、ここまでを仮の話(笑)でしかしていない。まさか仮の話の些細な冗談を真に受けて、上に報告されても失笑ものだ。
「分かってると思うけどこの話はオフレコだし、あくまでも仮定の仮説だ、テメェの鼓膜は潰しとけよ。あー、自分でやるのが嫌なら俺が潰してやるけど」
「先程から何も聞こえんな、どうにも連日の疲れのせいか難聴気味のようだ」
ちょびっとはユーモアが通じる分、どうにも惜しい。これで私情バリバリに口を挟んでこなければ悪くない関係性を構築できただろう。綾小路に声かけちゃったのがな、明らかGM側としての言動を逸脱しちゃうとな。
一度でも手段を実行したのなら、人は必ず『もう一度』が頭によぎる。Aクラスへ上がりたいという願いが未だ燻ぶっている以上は、再び綾小路へふざけた脅迫を行う可能性は否定できない。
邪魔な類の無意味な思考。だが人のそういったままならない部分は、
「口先ばかりのハッタリ野郎~とでも思ってたんだろうがな、そんな舐め腐ってたのが、クラス一番のデカブツをボコして壊した。それも的確にだ、上手いこと競技全てを出場停止にはならないよう調節してやった、綱引きも騎馬戦もこれでクソ有利対面を作れる」
「逆にボコボコにされてないか?」
「見た目だけ。残念ながら故障の深刻さで競うなら、圧倒的に俺の勝ち」
龍園翔は手下を使う事に長けてはいるのだろうが、どうにも大事には至らないとでも考えていた節がある。強烈な反撃があろうとも、或いは自分達の暴力性ならば抑え込めるなんて考えていたのだろうか? だが甘い。
須藤健への暴行。この時点でとっくの昔に龍園翔一派自体への遠慮の一切合切は排除されている。
軽井沢恵への虐め未遂。この一件は乃亜が一線を越えさせるための縛りを、更に緩くした。
遂には乃亜への直接攻撃。欲しかった決定的な大義名分を、ちっぽけな痛みと交換で得ることが出来た。
そして───切り替わったあの時。
「要はさ、俺が防衛側に回った途端に敵の勢いは一気に削がれる。逆に俺が攻めへ入ると、奴らは死に物狂いでこっちを攻めに来る。俺個人を避けるような動きをしてくるだろうね。厄介だっただけの
争いに必要なのは、大義だ。
大義として手っ取り早い名目は、応報だ。
応報として大衆へ認められやすいのは、痛みだ。
だから乃亜は派手に血を流し、山田アルベルトには目に見えづらい亀裂を走らせてやった。目に触れるか否かというのはとても大きな違いだ。
暴力とは確かに他者を圧することに有効だが、こうして暴れやすいだけの土台を作らせてしまう。やはり龍園翔は未熟だ、周りの目から見ても『仕方ない』と判断されてしまうような目にあわされる可能性を考慮していない。
「近づきつつ、離れつつ、居座られたら嫌になる絶妙な距離で佐々木乃亜
「自分を犠牲にしてまで……そんなことを?」
「テメェの言う犠牲が何を指してるかなんざ知ったこっちゃねぇが、軽傷と重傷、背負うのならどっちが損だって話」
「それでもこんな、暴力はいけないよ……!」
「最初に仕掛けてきたのはアッチ、それでいて報復はスマートな手際でお咎めなし。非難される謂れナシ。龍園の浅慮が齎した自業自得」
「ボッコボコに殴られておいてスマート? 妙な話だな」
空気を読まずに疑問を差し込む綾小路は無視だ。致命を避けたことも分かり切ってるくせにいけしゃしゃあと言いやがる。どうせ全てを把握していやがるお前は黙ってろ。
まだ何かしらを言いたそうにしている平田洋介を無理やり追い出して、乃亜はテントに残った綾小路へ提案した。
「綾小路、もうアレやって早めに終わらせようぜ」
「!? まさか……佐々木、アレをか? アレってアレか?」
綾小路は無表情でギョッとしたかと思いきや、ウキウキとした色をこれまた無表情に浮かべている。
彼が楽しそうで何よりだ。
自分は、どうにも。
「とっとと勝とう」
「派手に血が出てるもんな」
「あー、うんうん、そうそれ、それもあるわ」
傷が云々よりも、退屈ってだけなのだが。
結果が見え切ったゲームなんぞの何処に楽しみを見出せばいいのか。
「……佐々木と綾小路は何をしてるの?」
「さて、あの小学生コンビの事ですから、きっと子供みたいな発想なのでしょう」
真澄さんが怪訝な声を上げるのも仕方ない。
何かを待ち構えるように、押し蔵まんじゅう状態の集団へと背を向けた綾小路君。集団から一歩下がった位置で、両手をレシーブの形に揃えて、中腰の状態で待機している。
心なしか煌めいているようにも思えるポーカーフェイスが、真っすぐに見据えるのは恐らく。
「っ……ぁ」
「何か言った?」
「……いえ、何も」
つい、名が口から零れそうになるのを、手で押さえる。切羽詰まった心中は上手く押し殺せているようだ、真澄さんが私の反応へ何かを感じても、いつも通りの笑みを浮かべているだけで容易く誤魔化せている。
熱意を失った瞳をして、その少年は、足首を回しながら辺りを見渡した。
人の温度を色で観て探る目が、私の視線とぶつかる。
爛々とした輝きの浮かぶ
「……」
遠くに居ても、近くに居ても、いつでも眺めていたくなる、朝日のように強くて美しい眼差し。
けれど今は、彼の眼に覗き込まれるのが酷く怖い。
言い訳なら沢山存在している。ゲームの勝利を求めるため、女子の団体戦を勝利で納めるため、乃亜君なら心配せずとも大丈夫だろうという信頼。だから私は、彼から逸らす。
繋がれた視線が途切れるだけで胸が切なくなる、本当はもっと……もっと。
のたうち回ろうとする激情を、身勝手な保身から来る恐怖で圧し留める。
家族も同然な大切な人を傷つけられて憤りに染まりあがろうとする心を、惨めで卑しい怖気一つで無理やりに抑えつける。
あの目で、今の私を見られたくない。
失望されるのが、何よりも恐ろしい。
「ッ!? 佐々木が飛んだわよ!!??」
「そうですね、乃亜君ですから大気圏だって飛べますよ」
「あんた……佐々木が絡むと馬鹿っぽい発言が増えるわね」
棒倒しの結末は、佐々木乃亜が空を駆けることで幕を閉じた。
ジャンプ台に徹した綾小路は見事なものだった。細かい打ち合わせも必要なく、タイミングと力の匙加減、飛ばすに当たっての射出ベクトル、土台として優秀な安定性。出自の特別性からして、人間としての規格限界値を目指して育てられていたであろう彼だ、特にこれと言った託も要らずに任せられると確信はしていた。
空を駆け、棒へ目掛けて一直線。
跳躍の勢いをそのままに、掴んだ棒をそのまま地面へと叩きつける。
荒々しい着地と共に鳴り響く乱暴な轟音、電光石火の一気呵成、試合時間にして僅か数十秒。
流血を圧して成し遂げた鮮烈な勝利に、学校中の注目を独占する勢いだった。
『頭くらくらする、って名目で保健室行ってくる。みんなに伝えといて』
『お前が見ていなくとも綱引きは勝てるという判断か』
『テメェがいるし』
『……ウッカリしていたんだ。漫画を再現するのが楽しくて、つい』
気まずそうに視線を外しながら、誰へ向けているのか分からない弁明をする綾小路。
育ち盛りの高校生一人を空高くへ跳ばしたのだ、もはや綾小路の実力は───少なくとも身体能力の面で隠すことはもうできない。山田アルベルトという戦力は機能不全、怪我をさせられた佐々木乃亜が見せつけた華麗なる勝利、敵の戦意は激減、味方の戦意は激増、ついでのファクターとして綾小路の本気。これで負けでもすれば八百長すら疑う。
『無機物脱却も近いってことだろ』
そんな台詞を残して、保健室へ諸々の理由を込みでサボりに向かう。
一度自分の寮へ戻り、ちょっと汚れてしまった体操服を着替え、改めて保健室へと赴く乃亜。
何んとなしに携帯を操作しながら、ベッドの上で寝転んでいる。
「怪我は痛みますか?」
「ぜんぜん」
そんな折だった、競技をサボった椎名ひよりが現れたのは。
「玉入れの後で、少し体の具合が悪くなってしまったんです」
「そうか」
「あら……嘘を見破られるかと思いましたけど」
「ちょっとだけ無理したんだろ、そういう色してる」
許可なくベッドへ腰掛けてくる椎名ひより。
操作していた携帯から目線を移すと、身を乗り出すように、乃亜の顔を覗き込んでくる。
嬉しそうな白い微笑みが、無温度の表情へ向けられている。……彼女本人すら自覚していなかった努力を、乃亜が察した事に、些かの喜びを覚えてくれたようだ。
「何事も、精一杯に取り組んでこそですから」
「そうか」
「惜しくも負けちゃいました」
「でも頑張ったんだな」
そういった姿勢は嫌いじゃない。ひたむきに、愚直だろうと、劣っていようと、真っすぐに努める、そんな綺麗な色の姿勢を眺めるのは好きだ。直接見ることは叶わなかったが、きっと彼女は、肩で息をさせながらも、最後までの奮戦を諦めなかったのだろう。
彼女の醸す色を観て、それを……まあ、乃亜からしても悪い気はしないが。
チラチラと浮いたような視線は感じる。だが応えるには、やや乃亜自身の昂ぶりが不足していそうだ。
「傍に行ってもいいですか?」
「何を言ってるのか分からん」
あしらう口調で携帯の画面へ目線を戻す。……パチンコの新台出てるなぁ、やっぱ退学覚悟で抜け出そうかなぁ。
なんてやる気の削げた思考で携帯を眺めていると、ベッドを区切る仕切りのカーテンを、妖しい笑みを浮かべた椎名ひよりが閉じていく。
周りからの視界を締め切ると、椎名ひよりは、ベッドへと上がり込んできた。
四つん這いで、少しづつ、顔を乃亜の位置まで近づけてくる。
艶のある気配を纏った白い女の子が、悦を期待して近づいてくる。
「ふふ、いつまでニブニブさんのフリを続けられるか、賭けてみます?」
「無理だぞ」
乃亜はたった一言で拒む。
拒まなければならない。
乃亜は、見境の無しの獣じゃない。
「そういう気分になれない」
「どういう気分なのか……教えてくれませんか?」
乃亜の頬へ、女の子の柔らかな手が、優しく触れる。
暖かい。人の温度が心地良い。
スイッチはもう入っている。
でも、止めないとだめだ。
でも、スイッチはもう切り替わっている。
でも、止めないと。
でも、だって、スイッチは押されている。
でも、だって、躾けられた通りならもう箍は外されている、だから今、乃亜は。
「……乃亜くん?」
「───ぃ」
懺悔のように。
自慢のように。
嫉妬のように。
後悔のように。
常識のように。
透明で、粘ついて。
汚泥よりも悍ましくて、深海のように退廃的で。
陽射しのように刺激があって、向日葵のように一途な心で。
「──────たい」
暗くて透明な欲求があった。
産まれた時からずっと、ずっと、奥底の規定の内に閉じ込めていた、快楽への渇望があった。
その為の才能が俺にはある。
状況を整えられる。手段を用意できる。実行に至る障害を予測できる。障害を排するための考案が出来る。そのための術理がある。そのためなら自由に俺は俺を動かせる。全身を動かせる。そのための考え方が出来る。失敗の確率を算出できる。成功の可能性を実現へと押し上げられる。必要とされる技術を即座に獲得できる。必要とされる基準値へと慣熟を即座に済ませられる。
だから予測してだから予想してだから推測してだから洞察してだから思考して。
全てはそのただ一つの為だけに使われるべき才能が、俺にはある。
「人を─────────殺してみたい」
「え───人、を?」
驚愕の色。
それが認識の掛け違った部分だった。
佐々木乃亜には、それが出来る。
その為の才能が、俺には、産まれた時からある。
椎名ひよりは、それを知らなかった。
「きゃっ!?」
細い腕を掴み、腕の中へ引き摺り込む。簡単に引けてしまえる軽い体は、普段から手を引いているような子と比べると、健康的な、命の重たさを感じられる。
だが軽い。
寝転がっていた体制を交代するように、椎名ひよりをベッドのシーツへ押し倒す。
逃がさないように、両腕を右手一つで掴み上げ、頭の上で固定する。
椎名ひよりの上に腰を下ろし、下半身での抵抗を許さない。
「ひよりだって例外じゃない」
ゆっくりと、椎名ひよりの首を、左手でくすぐる。
愛撫にも思える滑らかな手つきは、捕食に酷似した危機感を椎名ひよりへ植え付ける。
脈動、鼓動、血流、伸縮、発汗、体温、手触り、血色───椎名ひよりを洞察した五感が、乃亜へその色を伝える。
「その色は、あー、そうだな、状況に合ってるよ」
瞳を覗き込んで、真っすぐな言葉で伝える。
人の気配が2人以外に感じられない、閑散とした世界。
冷たさすら感じられる、隔絶された2人だけの空間。
命の流れを振わせる脈拍を、手の平でゆっくりと潰していくように。
佐々木乃亜の左手が、椎名ひよりの色を、絶つために。
「ひよりは、今、死んじゃうんだ」
心の底から笑って力を籠める。
この時間が、世界の何よりも楽しかった。
「俺は、今、ひよりを殺すんだ」
生きていてよかったと、心の底から思えた。