蒼き氷刃の事件目録 ―探偵達と歩む非日常的な執筆生活―   作:凜々

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第3話:後日談(贈り物と、見えない轍(わだち))

新幹線での「戦い」が終わった後、朱里は京都の駅で「じゃあね、また米花町で」と、風のように軽やかに去っていった。彼女がいなければ、蘭に正体を怪しまれ、あるいは爆発を阻止する時間が足りなかったかもしれない。京都から帰ってきた後、コナンは、阿笠博士の家のソファに深く腰掛け、天井を見上げながら思案していた。

 

(朱里さんには、ちゃんとお礼をしねーとな……)

 

ただの子供として「ありがとう」と言うだけでは、自分の胸のつかえが取れない。そう考えたコナンは、博士にある相談を持ちかけた。

 

「博士、朱里さんが探してる本とか、何か知らないか? 朱里さんはライターだし、資料で困ってることとかありそうだけど」

「おお、朱里くんか。そういえば先日、彼女が仕事で使う十九世紀のドイツの犯罪心理学に関する古い原稿を探しておったな。なんでも、日本には数冊しか入ってきておらん希少な洋書らしいわい」

 

その言葉を聞いたコナンの瞳が、探偵特有の鋭さで光る。工藤新一としての知識と、博士のネットワーク。二人の共同作業によって、数日後、都内の古書店の奥底に眠っていたその一冊が、コナンの手元に届けられた。

 

 

「……これを、私に?」

 

某日、阿笠博士の家のリビング。朱里は、コナンから差し出された包みを開け、驚きに目を見開いた。中から現れたのは、装丁も古びた、しかし重厚な空気を纏うドイツ語の学術書だった。

 

「うん! 博士に聞いたら、朱里お姉さんが探してるかもって言ってたから。新幹線の時、蘭姉ちゃんを止めてくれて、本当にありがとう。これ、お礼だよ」

 

コナンは精一杯、子供らしい無邪気な笑顔を作った。しかし、朱里は手に取った本の価値を即座に理解する。専門家でも見つけ出すのが困難な、しかもドイツ語の稀覯本。これを「博士に聞いたから」という理由だけで小学生が手に入れてくる。

 

朱里は本を見つめたまま、一瞬、沈黙した。彼女の知的な好奇心が「どうやってこれを見つけたの?」と問いかけたがっている。けれど、彼女の脳裏には新幹線で見た少年の、あの鬼気迫る表情が浮かんでいた。

 

(……普通に考えたら、子供が選ぶプレゼントじゃないよね。でも、きっと彼は、理由を深く聞かれたくないんだろうなぁ)

 

「……ありがとう、コナンくん。本当に嬉しいよ。ずっと探していたんだ、これ。大切に読ませてもらうね」

 

朱里はそれ以上追求せず、柔らかな微笑みだけを返した。彼女のその「踏み込みすぎない優しさ」に、コナンは密かに安堵のため息をつく。

 

 

「お礼に、と言ったら変だけど……少しだけ、風を感じに行かない?」

 

朱里に誘われ、コナンは彼女の愛車、ライムグリーンのNinja ZX-6Rが停まっているガレージへと向かった。

もちろん、公道で子供を乗せるようなことはしない。博士の知人が所有する広い私有地の私道、そこは車も通らない安全な場所だった。

 

「しっかり掴まっててね。少しだけスピードを出すよ」

 

コナンの小さな手が、朱里の腰のあたりをぎゅっと掴む。

エンジンが鼓動を打ち、景色が横へと流れ始めた。

 

「わあ……っ!」

 

身体を突き抜ける風。バイク特有の、大地を蹴り上げるような加速感。コナンは新一の頃、ハワイで親父に色々と教わったことを思い出していたが、この「守られているようでいて、解き放たれている」感覚は初めてだった。

 

朱里は背中でコナンの鼓動を感じながら、ゆっくりと速度を落としていった。

 

 

バイクを停め、朱里はヘルメットを脱いだ。栗色の髪がふわりと広がり、彼女は遠くを見つめるように口を開く。

 

「コナンくん。……あの新幹線にいた黒い服の人たち、どうして追っていたのかなんて、私は聞かないよ。君には君の、どうしても譲れない物語があるんだろうしね」

 

コナンの体が、びくりと強張った。

 

「でもね、直感的にわかっちゃうんだ。あの人たちは、とても危険だって。冷たくて、暗い、底なしの淵のような人たち……」

 

朱里はバイクから降り、コナンの目線に合わせて屈んだ。彼女の瞳は「蒼き氷刃」と呼ばれた頃の鋭さを微かに孕みながらも、根底には温かな色が灯っている。

 

「もし、一人で抱えきれないことがあったら……私を頼って。私は君の正体も事情も、君が話してくれるまで聞かない。でも、君がその小さな肩に背負っているものを、少しだけ預かることくらいはできるから」

 

コナンは絶句した。

彼女は「何か」に気づいている。けれど、それを暴くのではなく、ただ「盾」になろうと言ってくれている。

 

(……頼ってくれ、か。……嬉しいよ。本気でそう思ってる)

 

コナンは朱里を見つめ返した。彼女の落ち着いた物腰、そして新幹線で見せた機転。大人としても、武人としても、朱里はこれ以上ないほど信頼できる協力者になり得るだろう。

 

けれど、だからこそ、コナンの決意は揺るがない。

 

(でも、だからこそ、あいつらには関わらせたくねーんだ。あいつらは、朱里さんみたいな綺麗な光の中にいる人を、平気で塗り潰すような奴らだから……。俺のせいで誰かを失うのは御免だ)

 

「……ありがとう、朱里お姉さん。でも、僕は大丈夫だよ。だって僕は、子供だもん!」

 

コナンは再び、仮面を被って笑った。その頑なな拒絶さえも、朱里には「愛おしい強がり」に見えていた。

 

(頼る気はない、か。強い子だね。……でも、いつか君が限界に来た時、私は無理矢理にでもその手を引くよ。不二家の人間は、意外と強引なんだから)

 

「ふふ、そうだね。じゃあ、日常のちょっとした事件……例えば、博士がまた何か妙な発明をして困った時くらいは、私を呼んでくれるかな?」

 

「うん! それなら、すぐ呼んじゃうかも!」

 

二人は笑い合った。

コナンは心に決めていた。黒ずくめの件には絶対に巻き込まない。けれど、もし米花町で起きる「普通の」事件で困ったことがあれば、その時はこの「蒼き氷刃」の力を借りよう、と。

 

見えない轍。

不二朱里という旋風が、コナンの孤独な戦いの道筋に、確かな安心という名の足跡を残した午後だった。

 

 

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