蒼き氷刃の事件目録 ―探偵達と歩む非日常的な執筆生活― 作:凜々
二月の風は刺すように冷たく、米花町の街角にはバレンタインデーを控えた独特の甘い高揚感が漂っていた。喫茶店『ポアロ』の近くで、蘭と園子は先日自分たちをナンパしてきた米花大学の若松俊秀という男から、テニス部のパーティーに招待された話をしていた。
「もう、園子ったら勝手に返事しちゃうんだから」
「いいじゃない蘭! 相手は医大生よ、医大生! 素敵な出会いがあるかもしれないじゃない!」
二人がそんなやり取りをしていると、偶然通りかかった不二朱里が声をかけた。
「やあ、二人とも。随分と賑やかだね」
「あ、朱里さん! こんばんは!」
蘭が嬉しそうに微笑む。隣にいた園子は、蘭から噂に聞いていた「伝説の先輩」を初めて目の当たりにし、その涼やかなオーラに目を輝かせた。
「蘭から聞いてました! 不二朱里さんですよね。私、鈴木園子です! あの、もしよかったら朱里さんも一緒にパーティーに行きませんか?」
園子の猛烈な誘いに、朱里は少しだけ考え込むような仕草を見せた。
「誘ってくれるのは嬉しいけど……。その日はちょうど、同棲している彼も休みだと言っていたから、一緒なら参加させてもらおうかな」
「ええっ! 朱里さんに恋人!? どんな人なんですか!」
色めき立つ園子。だが、朱里は「そのうち会わせるよ」と、いたずらっぽく微笑むに留めた。
その様子を影からジト目で見守っていたのは、コナンだった。
(……あのお姉さん、付き合ってる人がいたのか。……まあいい、それより蘭だ。あんな怪しいパーティー、変な男に捕まらないか見張っておかねーとな)
コナンは密かに決意し、当日、若松の車のトランクにピッキングで忍び込むという、驚異的な隠密行動をやってのけた。
パーティー会場となる皆川家。
主催者の皆川克彦は、端正な顔立ちの青年だった。彼は初対面のコナンに対しても「よく来たな、ボウヤ」と快く家に招き入れ、一見すると面倒見の良い印象を与えていた。
しかし、パーティーが盛り上がり、酒が入るにつれて彼の本性が露呈し始める。
「おい若松! お前が連れてきたのはそのガキか? まったく、お前は脳みそまで筋肉でできているのかよ」
傲慢な態度で周囲をいびり散らす克彦。そんな彼以上に横暴だったのが、若松だった。若松は蘭の手を強引に握り、あろうことか暗がりでキスを迫った。
「蘭ちゃん、俺の熱いハートを受け取ってくれ!」
「ちょっと、やめてください!」
間一髪、割り込んだコナンが若松にキスされるという惨劇に見舞われたが、激昂した若松はコナンを投げ飛ばす。 コナンは鋭い頭突きで仕返しをしたが、若松は蘭が空手をやっているという話を「女は守られるものだ」と全く信じようとしなかった。
朱里はその様子を冷ややかな目で見つめていた。
「……蘭ちゃん。あの人、少し距離を置いたほうがいいかもしれないね」
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「遅れてごめん、朱里。仕事が長引いてしまって」
現れたのは、浅井成実だった。穏やかな微笑みを湛えた彼を見た瞬間、園子は「美男美女でお似合い……!」と感嘆の声を上げた。
(……あの人が、朱里さんの恋人か……)
コナンは初めて対面する成実の姿を、好意的な眼差しで見つめた。清潔感があり、包容力を感じさせる柔らかな雰囲気。朱里が信頼を寄せる相手であるというだけで、コナンの中でも彼に対する好感度は高かった。
「あ、成実さんに朱里姉ちゃん! こっちこっち!」
コナンは周囲に合わせて明るい声を出す。しかしその瞳は、パーティー会場に漂う不穏な気配と、それを和らげる成実の存在を、静かに見守っていた。
事件は、克彦が庭へタバコを吸いに出た直後に起きた。
渡辺好美から渡されたチョコレートを口にした克彦が、突然激しく苦しみ出し、その場に崩れ落ちたのだ。
「克彦くん!?」
「きゃああああ!」
騒然とする現場。好美は自分が毒を入れたのではないかと疑われる恐怖に震える。
だが、その時、誰よりも早く動いたのは成実だった。
「全員、下がって! 僕は医師です。朱里、手伝ってくれ!」
「わかった!」
成実が克彦の容態を素早く確認する。
「……青酸系の毒だ。朱里、応急処置キットと、水を急いで!」
成実の的確な処置と、朱里の毅然とした現場維持。
駆けつけた目暮警部と、合流した毛利小五郎。小五郎は状況証拠だけで好美を犯人と決めつけるが、コナンは冷静に違和感を拾い集めていた。
(……おかしい。皆川さんが倒れた時、あの母親が真っ先に駆け寄ってチョコをすり替えたのを見たぞ)
コナンは麻酔銃を使用し、小五郎を眠らせた。
「眠りの小五郎」の推理が始まる。犯人は、皆川小百合。
彼女は夫の事業失敗による金策や離婚の可能性から、克彦の財産を独占するために計画を企てたのだ。 全員のコーヒーに毒を入れ、自分たちが食べるケーキにだけ解毒剤を仕込むという計画だったが、進くんがコーヒーを飲んでしまった際の矛盾した行動が決め手となった。
「……あの男の財産さえ手に入れば、生活は守れると思ったのよ……!」
小百合は崩れ落ちた。そこへ、処置を終えた成実が静かに告げた。
「先程、病院から一命をとりとめたと連絡がありました。……あなたが取り返しのつかない罪を犯す前に済んだことを、幸運だと思ってください」
小百合は声を上げて泣き崩れた。
夕方。事件の熱が冷めやらぬ道端で、蘭とコナンはベンチに座っていた。
「……結局、チョコ渡せなかったな」
蘭が手作りのラッピングチョコを見つめて溜息をつく。
そこへ、若松が再び乱入してきた。
「おーい蘭ちゃん! チョコ余ってるなら俺が……」
若松が強引にチョコを奪い取った瞬間、蘭の怒りが爆発した。
「……ふざけないで!!」
ドンッ!! という衝撃音と共に、横の街灯がひしゃげ、破壊される。
「ひいっ!?」
腰を抜かす若松を尻目に、蘭は怒ったまま立ち去っていった。
それを見送っていた朱里と成実。
「……蘭ちゃん、やっぱり怒るとすごいね」
朱里が苦笑すると、成実は彼女の手を優しく握った。
「行こうか、朱里。家で、君からもらったチョコをゆっくり食べたいな」
朱里は成実の肩に頭を預け、穏やかな風の中を歩き出した。
(……サンキューな、成実先生。……それと、朱里さんもな)
コナンは今回の功労者二人の後ろ姿を見つめ、少しだけ温かいバレンタインの味を噛み締めていた。