蒼き氷刃の事件目録 ―探偵達と歩む非日常的な執筆生活― 作:凜々
放課後の夕暮れ時、帝丹小学校の帰り道。歩美が弾んだ声で持ち出したのは、米花町五丁目にある「お化けが出ると噂の洋館」の話題だった。
「五年前に殺人事件があってから、ずっと空き家なんだって! 夜になると、そこから不気味な声が聞こえるらしいわよ!」
歩美の話に、元太と光彦は身を乗り出す。「お化け退治だ!」と息巻く二人に対し、コナンだけは「ただの空き家だろ……」と、重い足取りで引きずられるように同行していた。
やがて一行の前に現れたのは、高く生い茂った雑草に埋もれ、異様な威圧感を放つ蔦まみれの洋館だった。重苦しい鉄門の前で、一人の女性が熱心にスケッチブックへ筆を走らせている。
「あ、先客がいるぞ!」
元太の声に、その女性――不二朱里が顔を上げた。
「やあ、みんな。こんな時間に珍しいね」
「朱里姉ちゃん! 何してるの?」
歩美が駆け寄ると、朱里は手に持ったスケッチブックを掲げて見せた。そこには、建物の歪な構造や影の落ち方が、執念じみた細かさで描かれている。
「新作のホラー小説を書いていてね。舞台にする洋館のロケハンに来たんだよ。実在の『幽霊屋敷』の空気感に勝る資料はないからね」
朱里はそう言って、琥珀色の瞳を輝かせた。
元太たちが「俺たちも中を調査しに来たんだ!」と門を乗り越えようとするのを見て、朱里はあえて芝居がかった様子で「おっと」と手を挙げた。
「子供たちだけで入るのは危ないよ。不法侵入で怒られるかもしれないしね。……よし、ここは『保護者同伴』という名目で、私も一緒に行こう。大人がいれば安心だろう?」
そう言う朱里の表情は、建前とは裏腹に、内に秘めた好奇心とワクワクが抑えきれないといった様子で子供のように輝いている。
それを見たコナンは、「(ただ単に、自分も中に入って取材したいだけなんじゃ……)」と心の中で鋭く突っ込みを入れた。
「でも、朱里姉ちゃんとコナン君って、なんだか一緒にいるのが自然だよね」
歩美が不思議そうに首を傾げた。
「え? そうかな?」
「うん。なんというか……大人と子供っていうより、もっと別の、気やすい感じがするの」
朱里はコナンの頭を軽く撫で、彼にだけ聞こえるような小さな声で笑った。
「そうだね。コナン君は、ある契約を交わした探偵だからね!!」
コナンは苦笑いしながらも、彼女の隣にいる時に感じる妙な安心感を否定できなかった。彼女は自分の正体について何かを感じ取っている節があるが、それを暴こうとはせず、対等な「協力者」として接してくれる。そんな二人の独特な距離感は、少年探偵団の中でも不思議と馴染んでいた。
「さあ、少年探偵団君。不気味な洋館の調査へいざ、出発!」
「へへっ、こっちだぜ!」
元太が見つけた秘密の入り口――生い茂った植え込みに隠された隙間から、一行は洋館の内部へと潜り込んだ。最初に辿り着いたのは、広々とした洗面所だった。
「うわぁ……見てくださいよ、あの豪華な鏡! まるでロールプレイングゲームの城に忍び込んだみたいですね!」
「本当! 伝説の武器とか隠されてそう!」
歩美と光彦、そして元太は、不気味な洋館の探索をすっかり冒険の旅に見立てて興奮していた。朱里はその様子を微笑ましく見守りながらも、ペンライトの光で壁の陰影を丹念に追っている。
「いい感性だね。日常が非日常に塗り替えられる瞬間こそ、物語が生まれる特等席だよ」
朱里が手帳に何かを書き留めたその時、――バタン!! と、背後の扉が猛烈な勢いで開きだした。
「ひゃあああ! 出たぁー!」
「コナン、早く行けよ! お前が先に行けよ!」
恐怖に陥った歩美、光彦、元太の三人は、一斉にコナンの背後へ隠れた。元太に背中をせっつかれたコナンは、「おいおい……」と呆れ顔で最前線に立たされる。
その横で、朱里は怖がるどころか、琥珀色の瞳を一段と輝かせた。
「おぉ……いよいよホラーっぽくなってきたじゃない。演出効果としては満点だね」
朱里が迷いなく懐中電灯で部屋の奥を照らし出すと、そこには開け放たれた窓があり、夜風がカーテンを不気味に揺らしていた。風の圧力で扉が動いただけだと分かり、子供たちは安堵の溜息をつく。
その後、緊張が解けたせいか、光彦が「ちょっとトイレに……」と一人で列を離れていった。だが、しばらくしても戻ってこない。そのあと、光彦の悲鳴が聞こえたため、コナンと朱里は元太と歩美にここに隠れているようにと言い、光彦を探しに出かけるのだった。
「ねえ、コナン君。さっきから気になっていたんだけど……」
光彦を捜索しながら、朱里が蛇口の付け根をライトで照らした。
「五年間も空き家のはずなのに、さっきの洗面所、水が出たよね。水道が止められていないなんて、不自然じゃない?」
「ああ。普通なら基本料金だってバカにならない。誰かがこの館を管理しているか、あるいは――『出入り』している証拠だ」
遠くから元太の凄まじい悲鳴が聞こえてきた。
「元太!?」
急いで声のした方へ戻ると、そこには震え上がる歩美はいたが、元太はいなかった。
コナンと朱里は、残された歩美を連れて慎重に廊下を調べ始めた。やがて、コナンがある一点で足を止める。
「……朱里さん、ライトをここに」
朱里が照らした先――床に積もった埃に、不自然な「切れ目」があった。
「……ただの床じゃないね。隠し扉だわ」
コナンは慎重に伸縮サスペンダーを床の取っ手に引っ掛け、スイッチを入れた。強力な力で重い木の板が持ち上がると、そこには暗い闇の底へと続く地下階段が口を開けていた。
「……元太君たちも、ここに連れ去られたのかもしれない。いこう、歩美ちゃん。朱里姉ちゃんと僕がついてるから」
暗い地下階段を下りきった先で一行が目にしたのは、場違いなほど明るい灯りが漏れる一室だった。その中央には冷たい鉄の檻が鎮座し、中には一人の男が力なく座り込んでいる。
「……っ、誰かいるわ」
歩美が小さく息を呑んだその時、背後の通路から重苦しい足音が近づいてきた。
「隠れて!」
コナンの指示で、彼と歩美は部屋の隅にあった古いロッカーの中へ滑り込む。朱里もまた、気配を限りなく消して物陰の闇へと身を潜めた。
現れたのは、一人の老婆だった。彼女はトレイに乗せた食事を檻の前に置くと、中の男へ静かに、しかしどこか狂気を孕んだ声で語りかける。
「さあ、お食べ……。五年も前のこと、早く忘れなさい。いくら苦しんでも、死んだ人はもう戻らないのだから……」
重苦しい沈黙を破ったのは、闇から響く凛とした声だった。
「――それは、土台無理な話ではありませんか?」
驚愕に目を見開く老婆の前に、朱里がゆっくりと姿を現した。同時にロッカーからコナンと歩美も飛び出す。
「な、何者だい、あんたたちは!」
「新作の取材に来た作家……と、その助手だよ」
朱里が老婆を真っ直ぐに見据える。その隣で、コナンが鋭い視線を檻の中の男に向けた。
「さっき、上の部屋で五年前までの家族写真を見つけたよ。そこに写っていた息子さん――昭夫さんは、今この檻の中にいるあなただね? 姿はすっかり変わっているけど、その左目の下のほくろは変わっていない」
老婆が息を呑むのを構わず、コナンは推理を畳みかける。
「この館は五年前から無人のはずなのに、水道が止められていない。さらに庭の茂みには、目立たないように作られた新しい出入り口があった。それは事件の後に、誰にも見られずに出入りするためにあなたが作らせたものだ」
「なぜ、そんなことをしなければならなかったのか……理由はさっきの言葉でわかったよ。息子が父親を殺し、母親がそれを隠し続けているんだ!」
「黙れ! 黙れえええ!」
逆上した老婆が懐から果物ナイフを取り出し、コナンめがけて振り上げた。
「危ない!」
歩美が悲鳴を上げるより早く、朱里が音もなく前に踏み込んだ。彼女は老婆の手首を的確に抑えると、瞬時にその力を抜き、ナイフを床へとはたき落とす。
「……もう、やめてくれ母さん! その子の言う通りだ!」
檻の中から昭夫の慟哭が響いた。
「三回目の大学受験に失敗して……父さんから心無い言葉を投げつけられて、頭が真っ白になったんだ。気がついたら、父さんは……」
昭夫は崩れ落ち、嗚咽を漏らしながら自白した。母は怯える息子を守るため、彼を死んだことにして地下へ閉じ込め、五年間も世間から隔離し続けてきたのだ。
「昭夫、しっかりして! 時効まであと少しなんだから、頑張りましょう!」
必死に縋り付く母の姿に、朱里は悲しげに目を細めた。
「お母様。あなたが彼を警察から逃がせても、彼自身の心からは逃げられません。……自分の息子に、一生この『人殺し』という重荷を、暗い地下室で背負わせ続けるつもりですか?」
朱里の静かな、しかし重みのある言葉に、老婆は力なく膝をついた。昭夫は檻越しに母の手を握り、「もう悪夢に苦しめられるのは嫌だ……自首させてくれ」と涙ながらに訴えた。
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一夜明けて、館は明るい日差しが差し込む。
途中でいなくなり、ついぞ最後まで見つからなかった元太と光彦は館の外の草むらで仲良く眠っていた。昭夫の母に麻酔薬をかがされて仲良く眠っていた。
昭夫と母親はその日のうちに出頭し、5年の時を経て未解決事件が解決となった。
ちなみにだが、少年探偵団はこの後、こっぴどく叱られることになる。
「こーらー!! あんたたち、こんな時間までどこをほっつき歩いてたの!!」
夕闇を切り裂くような怒声と共に、各々の家から駆けつけた保護者たちが姿を現した。
「ひゃっ、お母さん!」
「げ、ゲンコツは勘弁してくれよ!」
泣きべそをかく歩美に、逃げ腰の元太と光彦。
朱里は別に怒られることはないのだが、「保護者同伴」を名乗り出た責任を感じてか、バツの悪そうな顔で頭を掻いた。
「名探偵君、今度からは『ロケハン』の行き先、もっと慎重に選ぶことにするよ」
少年探偵団の不気味な洋館調査は、こうして賑やかなお叱りの声と共に、ようやく幕を閉じたのである。