少しだけ、時間は遡る。
紅魔館の中を、魔理沙はひとり歩いていた。
長い廊下を、気まぐれに進みながら、壁に並ぶ扉をひとつひとつ眺めていく。どれも似たような造りに見えるが、よく見れば装飾や大きさが微妙に違う。
(んー……)
足を止めることなく、軽く首を傾ける。廊下を見回して、ふっと顔をしかめた。
「この屋敷、赤すぎだろ」
魔理沙は露骨に顔をしかめた。壁も、絨毯も、飾られているものも、やたらと赤い。目に入るもの全部が同じ色で、さすがにうんざりしてくる。
「目に悪いな、これ」
ぶつぶつと文句を言いながらも歩みは止めない。そして、ふっと口元が緩む。
「ま、異変解決したらここを魔理沙さん色に改造してやるか」
勝手なことを言いながら、くつくつと笑う。そのまま廊下を進み、いくつかの扉を横目に見ながら通り過ぎる。
その時。
ぴたりと足が止まった。
「……お?」
魔理沙はゆっくりと顔を上げ、ひとつの扉に視線を向けた。他のドアより大きい。装飾も、ほんの少し豪華だ。
じっと見つめる。
そして――にやっと笑う。
「お宝の匂いがするぜ」
確信したように呟き、迷いなくその扉に手をかける。軽く押し、ぎぃ、と重たい音を立てて扉が開く。
ゆっくりと開いていく先に――
魔理沙の視界が、一気に広がる。
「……まじか」
思わず、声が漏れる。目の前に広がっていたのは、想像を遥かに超える空間だった。どこまでも続く本棚、上を見上げても天井が遠い。左右を見ても奥まで続いている。
びっしりと詰め込まれた本、本、本。
魔理沙はしばらくその場に立ち尽くし、口を半開きのまま見渡した。そして、ゆっくりと息を吐く。
「……こりゃすごい」
感心したように呟く。だが、その表情はすぐに変わる。目が、完全に獲物を見るそれになる。
「これだけありゃ、少し持ってってもバレねえだろ」
一歩、踏み出す。
床に響く足音が、やけに広く反響する。軽い調子で言いながら、本棚に手を伸ばそうとしたその瞬間。
「持って行かせると思うの?」
静かな声が、空間の奥から響いた。
魔理沙の手が止まる。ゆっくりと顔を上げ、声のした方を見る。
そこにはひとりの魔法使いがいた。大きな本を前に、椅子に腰掛けたまま、微動だにしない。そして静かにこちらを見ている。
魔理沙は一瞬だけ目を細め――すぐにニヤッと笑った。
「お? ここのボスか?」
お宝にボスは付き物だもんな!などと軽い調子で言いながら、肩の力を抜く。警戒していないように見えて、その実、しっかり相手を観察している。
「こんだけあんだからさ、一冊くらいいいだろ?」
冗談っぽく言う。だが、その言葉に迷いはなく、最初から持っていく気満々のようだ。
少女は、表情ひとつ変えずに答える。
「あんたみたいなネズミに貸す本はないわ」
ぴしゃりとした拒絶。魔理沙は一瞬きょとんとしてから、すぐに肩をすくめた。
「私はネズミじゃないぞ!霧雨魔理沙だ!」
そう言いながら指をバシッと指した。そして一歩。また一歩と距離を詰めながら、にやりと笑みを深めた。
「貸してくれないなら――力ずくで借りるだけだぜ」
パチュリーはため息をひとつ吐いた。
「はぁ……面倒ね」
本を閉じ、ゆっくりと顔を上げた。そのままふわりと宙に浮かび、魔理沙を見据えた。空気が張りつめる。
次の瞬間、静かに魔法陣が展開され、無数の弾幕が一斉に魔理沙へと放たれる。
「おっと!」
魔理沙はすぐに箒に跨り、ぐんと上へ抜ける。
本棚の間を縫うように滑り込み、横から飛んでくる弾も、太いレーザーも、紙一重でかわしていく。
「いいねぇ、その気だな!」
笑いながら撃ち返す。だがパチュリーの弾幕は途切れず、むしろ、どんどん密度が上がっていく。
「月符――サイレントセレナ」
声が落ちた瞬間、上から光が降り始めた。青白い弾が、真っ直ぐに、隙間を埋めるように落ちてくる。逃げ場が削られていく。
「……ちっ」
魔理沙は舌打ちしながら高度を変える。
それでも、もう避け切れない。
「なら――まとめて消すぜ!」
八卦炉を構える。
「恋符――マスタースパーク!!」
極太のレーザーが、真正面へと放たれる。降り注ぐ月光の弾を、真正面からねじ伏せる。
触れたものすべてを飲み込み、消し飛ばしながら進む。
「……っ」
パチュリーの表情が、わずかに崩れた。
「なんて火力……」
押し切られる。
「まだいくぜ!」
「魔符――スターダストレヴァリエ!!」
箒を強く握る。その後ろから、星が弾ける。
きらきらと輝く弾が尾を引くように広がり、軌跡そのものが弾幕になっていく。
そして魔理沙はものすごい速度で突っ込んでいく。
「……!」
「日符――ロイヤルフレア」
パチュリーの周囲に、眩い光が膨れ上がる。それは次の瞬間、太陽のフレアのように爆ぜた。脈打つように膨張と収縮を繰り返しながら、灼熱の光が魔理沙へと迫る。
一発一発が重い。
かすれば終わり、そう思わせる圧。
だが――
「遅いぜ!」
魔理沙は速度を落とさない。箒を傾け、一気に軌道を変える。ギリギリのところでかわし続ける。
「そんなデカいだけの弾、当たるかよ!」
笑いながら、そのまま加速する。パチュリーの視界から、魔理沙が消える。
「……っ!」
次の瞬間。
背後。
「よっと」
軽い声。振り向くより早く、距離を詰められる。
「もう一発お見舞いするぜ!」
八卦炉が光る。
「恋符──マスタースパーク!!」
至近距離。
光が、全部を飲み込む。
「――っ!!」
パチュリーの体が弾き飛ばされ、そのまま下へと落ちていった。
――少し前。
高い天井まで届く本棚が並ぶその空間で、ふたりはひっそりと身を潜めていた。本棚の陰に隠れるようにして、下から上を見上げる。
その視線の先では光が弾けている。
星のような弾幕が散り、眩い閃光が走り、空間そのものがきらめいているようだった。
「なになにあれー!」
こいしが声を弾ませる。
「すっごく楽しそう!」
くるくると表情を変えながら、目を輝かせている。その隣で、澄もまた言葉を失っていた。
(……すごい)
ただ、それしか出てこない。
速い。
激しい。
綺麗。
魔理沙が放つ星のような弾幕が尾を引いて広がり、夜空みたいにきらきらと輝いている。
危ないはずなのに、目が離せない。
「……めちゃ、すごい」
ぽつりと漏れる。その横顔は、完全に見入っていた。その様子を、こいしはじっと見つめる。
(こんな顔も、するんだ)
初めて地底に行った時も、確かに目を輝かせていた。見たことのない景色や種族に囲まれて、楽しそうにしていたのを覚えている。
でも――
今は、それ以上だった。まるで、全部を忘れて見入っているみたいに。弾幕の光に吸い込まれるみたいに、ただただ夢中になっている。
楽しそうで。
夢中で。
胸の奥が、少しだけくすぐったくなる。
「……私も」
小さく呟く。
「…やってみたいな」
あの2人みたいに。綺麗で、見ていて楽しいって思ってもらえるようなものを。
(見せてあげたいな)
ふと、そう思った。
澄に「凄いね」って、言ってほしくて。
――その時。
「……?」
澄の表情が変わり、さっきまでの高揚がすっと引いていく。
(……なんか)
背筋が、ひやりとする。
「こいし」
小さく呼ぶ。
「あっち……なんか、変じゃない?」
指さした先。薄暗い通路の奥に、下へと続く階段があった。静かで、重たい空気が流れている。
「……うわ、ほんとだ」
こいしもそっちを見る。楽しそうだった表情が、少しだけ落ち着く。
「なんか、やばそうだね」
軽く言うけど、その言葉は当たっている。明らかにさっきまでの空気とは違う。
澄は、一歩踏み出しかけて――止まる。
(……行くの、やめた方がいい?)
自分の能力が、警告している。
でも、
気になる。
「……どうする?」
こいしを見る。こいしは少しだけ首をかしげて、にこっと笑った。
「私はどっちでもいいよ」
軽い声。
でもすぐに、少しだけ近づいてくる。
「でもね」
澄の顔を覗き込むようにして。
「なにがあっても、私が守るから」
まっすぐな声で、迷いがない。
だから。
澄は、小さく息を吐く。
「……行こう」
決めた。
ふたりで階段へ向かう。下へ降りるほど、空気が重くなる。やがて、ひとつの扉の前に出た。とても重そうな扉。
取っ手に手をかける。ぐっと押す。
「……あれ?」
開かない。
力を込めても、びくともしない。
「鍵、かかってる……?」
そう言った次の瞬間。
「じゃあ壊すねー」
軽い声。
――ドンッ!!
鈍い音とともに、扉が内側へ吹き飛んだ。
「!?」
澄が目を見開く。
こいしは何事もなかったかのように足を戻す。
「はい、開いた」
「いや、開いたっていうか……」
言葉が追いつかない。こいしは時々普通の人間では考えられないようなことをする。
そのまま、ふたりで中へ入る。中は薄暗い部屋で、静かで、どこか閉じた空間。
その中央にひとりの少女がいた。七色に輝き、宝石のような羽。
ゆらゆらと揺れている。
その存在だけ、他と空気が違った。少女は、ゆっくりとこちらを見る。
「……あれ?」
首をかしげる。
「ドア、勝手に開いた?」
フランの視線は、確かにこちらを向いているのに、どこか焦点が合っていない。まるで、そこに“何もない”みたいに通り過ぎている。
澄は一瞬で何が起きたのか理解する。そしてこいしの手をそっと離した。
「あ…」
こいしが、小さく声を漏らす。ほんの一瞬だけ、寂しそうな顔をした。
だが――
少女の視線が、ぴたりと止まる。今度は、ちゃんとこちらを見る。
「……あれ?」
目が合う。
「あなた、だぁれ?」
不思議そうに聞いてくる。澄は少し戸惑いながら答える。
「私は……澄。普通の人間」
そして、聞き返す。
「あなたは?」
少女はにこっと笑った。
「フランよ!」
軽く回る。
「フランドール・スカーレット。吸血鬼よ!」
その言葉に、主人公の目がさらに輝く。
「吸血鬼……!」
怖がるどころか、初めて聞く種族で完全に興味が勝っている。