「澄ー!そろそろ戻ってらっしゃい!」
裏口の方から、母の声が聞こえた。
澄は縁側に視線を落としたまま、聞こえたか分からないが小さく返事をする。
「うん」
団子の皿を片付けながら立ち上がると、隣にいたこいしがこちらを見た。
「もう行くの?」
「呼ばれたから」
それだけ言って、澄は少しだけ間を置く。
「……またね」
こいしは一瞬だけ瞬きをして、それから何でもないように答えた。
「うん、またね」
声は軽かった。
特別な意味もなさそうだった。
澄はそれを聞いて、そのまま店の中へ戻る。
こいしはその場に残ったまま、特に動く様子もなかった。
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店に戻ると、そこそこの数の客が注文を待っているようだった。
甘味処《雨宮》はここら辺では人気のお店だ。お昼時になるとそれなりの客が来る。
父は団子を焼き、母は茶の準備をしている。
澄もすぐに仕事に戻る。
皿を拭き、湯呑みを並べ、注文を聞く。
いつも通りの流れだった。
さっきまで縁側にいたことが、少し遠い出来事のように感じる。
店の暖簾が揺れた。
「いらっしゃいませ」
澄が顔を上げると、そこに立っていたのは見慣れた顔だった。
赤と白の巫女装束。長い黒髪が、少しだけ風に揺れている。
「いつもの」
気だるそうな声。けれど、どこか慣れた響き。
楽園の素敵な巫女、博麗霊夢だった。
この店に時々ふらっと現れる、常連の一人だ。
「巫女さんじゃないの!また来てくれたのね!」
奥から母の明るい声が飛んでくる。
霊夢は軽く肩をすくめた。
「まぁ、近く通ったから」
「いつも助かってますよ。ここのお菓子気に入ってくれてるみたいで」
父も手を止めて笑う。
霊夢はそれに小さく頷く。
「悪くないからね」
ぶっきらぼうな言い方なのに、否定はしない。
澄はそのやり取りを見ながら、いつもの準備に入る。
しばらくして、それを盆に乗せて持っていく。
「どうぞ」
霊夢はそれを受け取ると、湯呑みを一口飲んだ。
「やっぱりここのお茶、落ち着くわね」
「そうですか」
澄は淡々と答える。
霊夢は少しだけ目を細めて、澄を見る。
「相変わらずぼーっとしてるわね」
「よく言われます」
「でも嫌いじゃないわ、そういうの」
そう言って、霊夢は軽く笑った。
この店の甘味と茶は、霊夢のお気に入りだった。
そして何より、ここにいるこの少女の雰囲気も、どこか居心地がいい。
霊夢は席に座ると、茶を一口飲んだ。
澄はその様子を見ながら、少しだけ考える。
さっき縁側で会った不思議な少女。
妖怪かもしれない。そう思っても、実感はまだ薄かった。
澄は生まれた時からずっと人里で暮らしている。
外へ出ることもほとんどなく、妖怪のことは親や近所の大人から帰化された話くらいしか知らない。
夜道は危ない。人里の外には近づくな。妖怪にあったら逃げろ。
そう言われて育ってきた。
けれど、実際に見たことはない。
だからこそ、さっき出会ったこいしのことが少し気になってた。
「…やっぱり、妖怪って悪い存在なんですか?」
霊夢は少しだけ眉を上げた。
「急に何よ」
「なんとなくです」
澄はいつも通りの調子で答える。
霊夢はそれ以上は深く聞かず、椅子にもたれた。
「悪さするやつも多いわよ」
あっさりした口調だった。
「人を襲うのもいるし、面倒なのもいるし、ろくでもないのもいる。」
「でも、全部が全部そうじゃない」
霊夢はそう付け足して、茶を飲む。
「悪さしないのもいるし、妙に人懐っこいのもいるし、どこか憎めないやつもいる」
澄は少しだけ考え込む。
さっきの少女は、少なくとも害を与えてくるようなことはしてこなかった。しいて言うのなら団子を勝手に食べたくらいだ。
「じゃあ…見た目じゃ分からないんですね」
「そりゃそうよ」
霊夢は即答した。
「人間だって嫌な奴はいるし、妖怪だってそう」
「でもやっぱ、妖怪に関わったらろくなことにならないわよ」
それだけ言って、霊夢は澄を見る。
「何。妖怪にでも会ったの?」
澄は少しだけ間を置いた。
「…会ってないです」
嘘ではない。まだ、はっきり妖怪だと決まったわけではない。
ただ変な紫色のチューブをつけているだけの不思議少女の可能性もある。
霊夢はじっと澄を見たあと、ふっと息を吐く。
「まあ、あんたなら変なの寄ってきそうだけど」
「そうですか?」
「ぼんやりしてるし」
澄は否定せず、また湯飲みを拭き始めた。
こいしの笑顔が、ふと頭に浮かぶ。
明るいのに、どこか遠かった。
あれも妖怪なのだろうか。