その日、店は休みだった。澄がいつもの時間に縁側に行くと、こいしはもう座っていた。
「今日はないの?」
「お菓子?」
「うん」
「今日は休みだから」
「えー」
こいしは少しだけ残念そうな顔をした。
澄は続ける。
「この後、近所のこと遊ぶ約束がある」
「へえ」
こいしは少し考えるように空を見てから、澄へ視線を戻した。
「私も行っていい?」
「…みんなには見えないんじゃないの」
澄がそう言うと、こいしは楽しそうに笑う。
「澄がいれば、みんななんとなく気づいてくれると思うよ」
意味がよくわからなかった。けれど澄は、まあいいかと思った。
「じゃあいこう」
そう言って、こいしの手を掴んで立ち上がらせる。ひんやりとして、思ったより細い手だった。こいしは一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐに笑った。
こいしは手を引かれたまま、楽しそうについてきた。
ーーーーー
待ち合わせは、人里の広場。澄より少し年下の子供たちが、すでに何人か集まっている。
「澄おねえちゃん、おそいー!」
年下の子供たちが駆け寄ってくる。
「遅くない」
「おそいよ!」
いつものやり取り。澄は囲まれながらも、特に慌てる様子はない。その隣で、こいしが面白そうに眺めていた。
「澄、お姉ちゃんなんだ」
「違う」
澄の隣にいるこいしへ、何人かの視線が向いた。
「女の子?」
「澄おねえちゃんの新しい友達?」
なんとなく気づいた、という反応だった。澄は少しだけこいしを見る。こいしは楽しそうににこにこしていた。
「…こいし」
澄がそう紹介すると、こいしは一歩手前へ出る。帽子のつばを軽く押さえ、くるりと回って見せた。
「古明地こいし!よろしくね!」
明るく、よく通る声だった。子供たちは一瞬きょとんとして、それからすぐ笑顔になる。
「よろしくー!」
「お人形さんみたい!!」
「かわいいー!」
「こいしちゃんも一緒にあそぼ!」
あっという間に輪の中へ引き込まれていく。こいしはとても楽しそうで、そのまま子供たちの真ん中で笑っていた。澄はその様子を少し離れたところで見て、なんとなく安心する。ちゃんと馴染めている。
「澄おねえちゃんも早く!」
子供に腕を引かれ、澄も輪の中へ連れていかれる。こいしはその横で、楽しそうに手を振った。
「澄、人気者だね」
「こいしもね」
「そうかなぁ」
こいしはくすくすと笑いながら、澄の隣へぴいたりと並んだ。
ーーーーー
やがて空は薄青色から茜色へ変わり、広場にも夕暮れの気配が落ちてきた。
「もうかえる時間だー!」
誰かがそう言うと、遊びの輪は自然とほどけていく。
「水おねえちゃん、またねー!」
「こいしちゃんもまたねー!」
「ばいばーい!」
元気な声を残して、子供たちはそれぞれの家へ駆けて行った。静かになった広場に、澄とこいしだけが残る。
「…帰ろっか」
「うん!」
二人は並んで歩きだした。人里の道は少しずつ暗くなり、家々の灯りがぽつぽつと灯りはじめている。昼間の賑やかさが嘘みたいに、穏やかな時間だった。
しばらく無言で歩いていたら、澄はふと思ったことを口にする。
「こいしって、どこから来てるの」
「ん?」
「いつも、どこに帰ってるのかなって」
こいしは少しだけ空を見上げ、それから軽い調子で答えた。
「地底だよ」
「地底」
澄はその言葉を繰り返す。
鬼や妖怪が住んでいる場所。人里でも、昔話みたいに時々聞くことがあった。
「そこに家があるの?」
「あるよー」
今さらながら、妙に納得した。
こいしは楽しそうに足取りを弾ませる。
「本当に妖怪なんだ」
「えー、信じてなかったの?」
「半分くらい」
「半分ってなにそれ」
こいしは楽しそうに肩を揺らす。
「だって、普通にお菓子食べるし」
「妖怪だって食べるよー、お姉ちゃんだっているし」
「お姉ちゃんいるんだ」
「うん。すごくしっかりしてるの!」
その言い方に、少しだけ誇らしさが混じっていた。
「じゃあ、よく一緒にいるの?」
「んー……あんまり家に帰ってないから一緒にはいないかも」
こいしは悪びれもなく言った。
「ふらふらしてる方が楽しいし」
「…心配してるんじゃないの」
「そうかなあ」
「そうだよ」
澄がそう言うと、こいしは少しだけ目を丸くした。それから、ふっと笑う。
「澄がそう言うなら、近いうちに帰ろうかな」
「それがいいよ」
澄はいつもの調子で淡々と答える。けれど、こいしはどこか嬉しそうだった。しばらくしてこいしが口を開く。
「ねえ、澄!」
「なに?」
「今度、地霊殿に遊びにおいでよ!」
「地霊殿?」
「私の家!」
勢いよく言ってから、こいしは澄の手を取った。
「広いし、たくさんペットもいるし、お姉ちゃんもいる!絶対楽しいよ!」
急に近づいた距離に少しだけ驚きながら、澄はこいしを見る。こいしはいつものように明るく笑っている。けれど今日は、その笑顔が少しだけ近く感じた。
「ペット…猫もいるの?」
こいしはぱっと笑った。
「いるよ!」
「ほんとに?」
地底に猫などの動物がいることに少し驚いた。
「ほんとほんと。猫もいるし、ほかにもいるよ!」
地底。妖怪の屋敷。人里の外にある、まだ見たことのない場所。
澄は生まれてから、ほとんど人里の中で暮らしてきた。知っている道、知っている店、知っている景色。それは安心できるものだったけれど、同時に、それだけしか知らないということでもある。
初めて行く場所。初めて会う妖怪。こいしが暮らしているという、知らない世界。
胸の奥が、少しだけ落ち着かなくなる。
「……行きたいかも」
澄がそう言うと、こいしは嬉しそうに笑った。
「ほんと? じゃあ決まりだね!」