朝。
澄はいつも通り目を覚まし、店の手伝いをするため支度を整えていた。その時だった。外から、ざわざわと騒がしい声が聞こえてくる。普段の朝とは明らかに違う、人々の落ち着かない声。
「……?」
澄は気になって表に出た。
店先には父と母も出ていて、二人そろって空を見上げている。
「澄、見てごらん」
言われるまま、澄も空を仰いだ。そこに広がっていたのは、異様な光景だった。空一面を、赤い霧が覆っている。
朝だというのに陽の光は遮られ、町全体が薄暗い。まるで夕暮れが来てしまったみたいな、不気味な色だった。
人里のあちこちから悲鳴や怒鳴り声が上がる。
「なんだあれ!」
「妖怪の仕業じゃないのか!」
「戸締りをしろ!」
人々は明らかに混乱していた。父はすぐに店の暖簾を下ろし始める。
「今日は店を閉める!」
母も慌ただしく窓を閉めながら叫んだ。
「澄、外に出ちゃだめよ!」
「…うん」
返事はした。けれど、澄の胸には別の不安があった。
(…こいし)
あの子は、こういう時でも平気で外を歩いていそうだった。澄は家の裏口へ回る。戸をそっと開けると
「あれ、今日は早いのね!」
そこにはいつも通りこいしがいた。こいしは壁にもたれて、のんびり手を振っている。
まだいつもの時間よりずっと早い。澄は思わず考えた。
…まさか毎日、私が来るまでずっと待ってる?
いや、今はそれどころじゃない。
「こいし、この霧なに?」
「んー?」
こいしは空を見上げる。
「さあ。知らない」
まるで散歩中の天気の話でもするような気楽さだった。けれどこれは明らかに異変だ。そして異変なら、霊夢が動くはずだ。
実際、今までもそうやって解決されてきたのだと、話には聞いている。
だからきっと、今回もいずれは元に戻るのだろう。不思議と、そこに対する不安はなかった。
――それでも。
澄の視線は、赤い霧の奥へと向いていた。
地霊殿へ向かう途中で出会った、さまざまな妖怪たち。見たこともない存在、知らなかった世界。あの時から、胸の奥に残っている感覚がある。
怖さよりも、先に浮かぶもの。
「……気になる」
この霧の正体が。この異変の黒幕が。
放っておけない、というより――
ただ知りたいと思ってしまった。こんな気持ち、霊夢にバレたら怒られるどころではすまないな、なんて思いながら澄はこいしを見る。
「…見つけに行かない?」
「なにをー?」
「この霧の正体」
こいしの目がぱっと輝く。
「いく!」
即答だった。
二人は手を繋ぐ。こいしの力で、里の人々には気づかれない。そのまま、人里を抜ける。霧の奥に、うっすらと黒いモヤがにじんでいる。ぼやけてはいるけど、確かにそこにある。
危険や、自分にとって何か意味のあるものがあるとき、こうして“黒い何か”が見えることがある。
今回も、きっと同じ。
あれが――この異変の中心。
澄は思わず、こいしの手を引いた。
「こっち」
ーーーーー
一方、その頃博麗神社では
境内の上空にも、赤い霧が広がっていた。
本来なら朝陽が差し込む時間のはずなのに、その霧が空を覆い隠し、光をほとんど通さない。
霧雨魔理沙は箒を肩に担ぎながら、縁側の霊夢を見た。
「おい霊夢!どう見ても異変だぜ!」
霊夢は寝ころんだまま、面倒そうに片目だけ開ける。
「そうねえ……赤いわねえ……」
「感想言ってる場合か!」
魔理沙はずいっと身を乗り出した。
「早く解決しに行くぞ!」
「だるい」
「お前ほんとに博麗の巫女か!?」
霊夢は大きくため息をついて、ようやく起き上がる。
「はいはい。行けばいいんでしょ」
御幣を手に取り、面倒そうに袖を払った。
「霊夢、黒幕の目星はついているのか?」
「ついてるわけないでしょ」
「じゃあどうするんだ?」
「勘よ」
「お前なぁ…」
そう言いながらも、霊夢と魔理沙は空へ舞い上がる。
博麗神社を飛び立った霊夢と魔理沙は、赤い霧の下を進んでいた。早い時間だというのに空は薄暗く、太陽の位置すら分からない。
「視界が悪いな…」
魔理沙が霧を払いながら言う。
「ほんと、鬱陶しい」
霊夢は心底面倒そうに返した。その時、二人の前方で、黒い球体がふわふわ浮いて現れた。その中心から、赤い弾幕が弾けるように飛び出す。霊夢は少しだけ横にずれ、それを回避した。
「鬱陶しいって、だれのことー?」
黒い球体が揺れ、中から少女が現れる。
幼い顔立ち、無邪気な笑み、だが、その周囲には光を吸うような常闇がまとわりついている。
宵闇の妖怪――ルーミア
人を見つければ襲い、腹が減れば食べる。善意よりも本能で動く、危うい妖怪。
霊夢はじろりと睨む。
「あんたのことなんて言ってないわよ」
「それより、あんた誰よ。邪魔なんだけど」
「そーなのかー」
間の抜けた返事。けれど次の瞬間、にやりと笑う。
「あなたは、食べてもいい人間?」
その横で、魔理沙がふっと笑った。
「じゃあな霊夢、そいつは任せたぜ」
「は?」
「私は先に行く」
そう言い残して、霧の奥へ飛んでいく魔理沙。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
霊夢の声もむなしく、もう姿は見えない。
「……あとで覚えてなさいよ」
小さく舌打ちをして、視線を戻す。ルーミアは楽しそうにこちらを見ていた。
「ねえ、たべていい?」
霊夢は御幣を軽く構える。
「食べられるもんなら、食べてみなさい。」
その言葉を合図に、戦闘が始まった。
赤い霧の中を、霧雨魔理沙は一直線に飛んでいた。
「霊夢より先に、黒幕を見つけてやるぜ」
そのまま飛び続けていると――
視界の先に、水面が広がる。
「霧の湖まで来ちまったのか」
辺りを見渡していると
「…なんだ?」
空気が、急に冷えた。肌に刺さるような冷気。
「まだこんな冷える時期じゃないだろ」
腕をさすりながら進むと、湖の上に浮かぶ、2つの影。一人は、緑色の髪をサイドテールにした妖精。もう一人は、水色の髪で、いかにも“氷”といった雰囲気の妖精。周囲の冷気は明らかに、氷の妖精から漂っている。
大妖精と、チルノだった。
魔理沙はふっと笑った。
「お前のせいか、寒いのは」
チルノは胸を張る。
「暑いよりはいいでしょ!」
「寒すぎるのは嫌いだぜ」
そのやり取りの横で、大妖精が慌てたように前に出る。
「チルノちゃん…人間だよ!」
小さく声を潜めながら続ける。
「退治されちゃうから、ちょっかいかけるのやめとこ…?」
だがチルノは全く聞いていない。きらきらとした目で魔理沙を見た。
「見てて、大ちゃん!」
氷の羽を大きく広げる。
「あたいが人間に勝って、“さいきょー”だって証明するから!」
大妖精は不安そうにその様子を見る。
「えぇ……やめた方が……」
魔理沙はくつくつと笑った。
「いいねえ、そういうの嫌いじゃないぜ」
八卦炉を構える。
「相手してやるよ、さいきょーさん」
チルノの周囲に、冷気が集まる。空気がさらに凍りつく。
そして――
戦いが始まった。