秘密のサインという物があるらしい。
その合図を人知れず送る事で同じ属性の仲間と触れ合える。
少数派だからこそ、出会えた奇跡を活かしたいとの
切実な願いが込められているのであろう。
でも、巻き込まれた人から見ると災難である。
相手にとっても災難であろう。
そんな秘密のサインーローカルルールはいったいいくつあるのだろう。
ある日学校でトイレに行った後、
洗った手を拭いたハンカチを尻ポケットに入れて、
教室に戻ってくると、
「えっ?えっ?猫谷くんって、そっち?」
突然、クラスメートの受田くんが話しかけてきた。
受田くんとは特に仲が良い訳ではないので普段、あまり話さない。
「えっ?」
いきなりだった事もあり、
挨拶も返せないまま、立ち尽くしていると、
「しかも、黒のハンカチで左ポケット…えっ?マジで!
見かけによらず、えっと、そうなんだ…」
と勝手に話を進めて、何故か頬を赤らめている。
その彼が自分から話しかけてきた事に、
しかも、そこそこの勢いでグイグイ話しかけてきたのに驚いて、
「えっ?ハンカチ?」
少しあっけに取られて、軽く混乱してしまう。
「そう言えば、猫谷くん、最近、左ピアスだったし、
もしかして…って思ってたけど、なるほど!
そうだったんだね」
と1人で何やら納得している。
何やら勘違いをしている。
受田くんの様子からそれだけは理解出来たので、
「いやいや、ピアスはただ片っぽ無くしちゃってさ。
多分学校で。いつ見つかるか分かんないから
つけたままにしているんだよ」
と説明する。
それを聞いて受田くんは明らかにがっかりした様子で、
「えっ!そうなの?なくなっただけ?本当に?」
とそれでも疑う様な目で俺を見てくる。
俺は正直、意味が分からず、戸惑ってしまう。
そうこうしている間に俺の机に辿り着く。
次は移動教室だ。
教科書と筆記用具をまとめる。
その時、
「あっ!その筆入れの模様!虹色じゃん!」
まだついて来ていた受田くんが俺の筆入れを見て、
再び興奮している。
俺から筆入れを奪い取ると、
筆入れの虹模様が印刷された部分を指で指しながら、
「虹じゃん。レインボーじゃん!やっぱそうじゃん!」
と何やら俺を非難している様だ。
「確かに虹だね。」
何に興奮しているか分からず、
曖昧に相槌を打つ。
「あーっ!!」
またしても、受田くんは何かを指さして叫んでいる。
指を指す方向を見ると、俺のノートを指差している。
「ノートの色!紫!やっぱ、そうじゃん!
間違いないじゃん!」
これ以上無いって言うほどの興奮ぶり。
他のクラスメートも普段大人しい受田くんのはっちゃけぶりに、
「えっ?どうしたの?」
「あれ?受田くんってあんなキャラだっけ?」
「あれ大丈夫?先生呼んだほうがいいかな?」
とザワザワし出した。
そんな周りの心配をよそに受田くんはまだ興奮している。
「分かるよ!分かる!そうだよな!あんまり公にしたく無い!
その気持ちはよく分かるよ!
でも黒だぜ!ハンカチ、黒だぞ!
そんなデカい欲望抱えて1人で悩むなよ!
俺がちゃんと聞いてやるから!
自分に正直になれよ!猫谷!!」
ついには俺の両肩を持って、熱のこもった目で真っ直ぐ
俺を見つめながら、熱く語り出した。
流石に鈍い俺もそこで気がついた。
特に、「虹」というキーワードが役に立った。
虹色の旗を振りながら、
「世の中はレインボー!多様性を認めろ!」
とかデモ行進している人達をテレビで見たのを思い出したのだ。
「受田くん…、言いにくいんだけど、俺、そっちじゃ無いから」
その言葉に、受田くんは俺の両肩に手を置いたまま固まる。
「…いやいや、良いって!分かってるって。
俺には正直になれよ!」
明らかに焦った顔をしながら、
それでも諦めきれないという様になおも説得を続けようとする受田。
とりあえず少しでも早く受田くんから解放されたくて、
「正直も何も、俺、普通に女の子が好きだし。
今も、片思い中の女子、いるし」
最後はちょっと恥ずかしさでゴニョゴニョしながらも、
ちゃんと受田くんに伝える。
「えっ?違うの?
こんなにサイン出してるのに?」
かなり残念そうにしている。
そして、
「そうか…、ごめん、ごめん。忘れて。ハハハ…」
肩を落としてトボトボと自分の席に戻っていく。
その後ろ姿を眺めながら、
俺は、今、重大なる人生の分岐点で、
望まぬ未来への道を、見事回避する事に成功したのだと、
ホッと胸を撫で下ろすのだった。
その後、そっと黒いハンカチをゴミ箱に捨てた。