『攻撃できないキャスターで聖杯戦争を勝ち抜く方法』 作:牛☆大権現
本物の天才たちに打ちのめされ続けた青年が、
日本の亜種聖杯戦争に挑みます。
召喚した英霊は、合気道開祖・植芝盛平。
ただし――
「攻撃はせん」
この作品は、
・強いのに戦えない英霊
・勝ちたいのに勝てない主人公
・そして「戦う意味」を問う聖杯戦争
を描いた物語です。
派手なバトルはありますが、
“どう勝つか”ではなく“何を選ぶか”が軸になります。
合わない方には合わないと思いますが、
刺さる方には深く刺さるはずです。
よろしくお願いします。
攻撃できない英霊
才能というものは、残酷だ。
努力を裏切るのではない。
努力した者にだけ、自分の天井を見せてくる。
アレクセイ・フォン・クロウリー=アッシュボーンは、その天井を三度見た。
一度目は、時計塔の講義室で。
遠坂の女が、彼の半年分の研究を一晩で解いた。
二度目は、宝石翁の血筋に連なる女が、彼の結界式を「古典的で可愛い」と評した時。
三度目は、エルメロイ教室の奇人が、彼の術式を見て笑いながら言った。
「これ、綺麗だけどさ。実戦だとたぶん、二秒で壊れるよ」
その瞬間、アレクセイの中で何かが折れた。
いや、正確には折れていない。
折れたふりをして、曲がった。
曲がったまま、妙な方向に跳ね返った。
「ならば、実戦で証明すればいい」
彼はそう決めた。
名門の子息として。
千年の魔術刻印を受け継ぐ者として。
そして何より、自分を笑った連中に「あいつは本物だった」と言わせるために。
彼は日本へ来た。
極東の島国。
神秘の保存状態は悪くないが、時計塔から見れば辺境。
その地方都市で、正式な冬木式ではない、劣化した亜種聖杯戦争が始まる。
勝てば箔がつく。
負ければ、また笑われる。
アレクセイは古い蔵の床に魔法陣を描きながら、自分の右手を見た。
令呪はまだない。
だが、血は熱かった。
彼は懐から、白い布を取り出した。
稽古帯だった。
日本の武道具店で、つい先ほど買ったものだ。
特に意味はない。ないはずだった。
ただ、東洋の聖杯戦争に挑むなら、それらしい象徴が欲しかった。
それだけだった。
白い帯を握ると、指先に布の硬さが残った。
新品の綿はまだ体に馴染んでいない。
まるで、今の自分みたいだと思った。
「見ていろ、天才ども」
彼は円陣の中央に立ち、息を吸った。
床には水銀。
四方には火星、土星、水星、太陽の護符。
壁にはヘブライ文字と、即席で写した日本の祝詞。
正直、混ぜすぎだった。
けれどアレクセイは、自分の得意分野を信じていた。
儀礼再演魔術。
古今東西の儀式を分解し、模倣し、再接続する術式。
本物の天才には届かない。
だが、凡人よりは遥かに深く、器用に、神秘の表面をなぞることができる。
彼は詠唱を始めた。
空気が重くなった。
蔵の中の埃が、息を潜める。
古い木材が軋み、護符の金泥が淡く光る。
耳の奥で、低い鐘のような音が鳴った。
来る。
アレクセイは口元を吊り上げた。
セイバー。
それが理想だった。
あるいはアーチャーでもいい。
ライダーならなお派手だ。
亜種聖杯戦争の場で、自分が最強の札を引き当てる。
その瞬間を想像して、心臓が跳ねた。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師、赫き星の導きを――」
床の魔法陣が燃えた。
炎ではない。
光だった。
白く、淡く、しかし目を逸らせない光。
光の中から、人影が現れる。
小さい。
いや、背は低くない。
ただ、ひどく痩せていた。
老人だった。
白い髭。
細い肩。
深く刻まれた皺。
今にも風で倒れそうな、死の匂いをまとった老人。
アレクセイは硬直した。
老人は静かに目を開けた。
その目だけが、若かった。
いや、若いというより、底がない。
「問おう」
老人の声は、かすれていた。
それでも蔵の柱が震えた。
「あなたが、わしの弟子か」
「……マスターだ!」
アレクセイは反射的に叫んだ。
威厳を出すつもりだった。
だが声が裏返った。悔しい。
老人は、少しだけ笑った。
「そうか。では、よろしく頼む」
アレクセイは唇を震わせた。
何だ。
これは何だ。
英霊だ。確かに英霊の霊基だ。
召喚は成功している。令呪も右手に刻まれている。
だが、これは。
「クラスを名乗れ」
「キャスター」
アレクセイは膝から崩れそうになった。
キャスター。
よりによってキャスター。
しかも、杖も持っていない。
魔導書もない。
宝石もない。
あるのは、白い稽古着と、老人の細い手だけ。
「真名は」
老人は答えた。
「植芝盛平」
空気が変わった。
名前を聞いた瞬間、魔術師としての知識ではなく、東洋武術に関する薄い教養が反応した。
合気道の開祖。
大本教に関わり、武を和合の道として説いた男。
そして、死の直前まで稽古と祈りの中にいた老人。
「……よりによって、攻撃しない武術家か?」
アレクセイの声は、乾いていた。
植芝は穏やかに頷いた。
「攻撃はせん」
その一言で、アレクセイの喉が詰まった。
「待て。今、何と言った」
「攻撃はせん」
「いや、聖杯戦争だぞ。戦争だ。殺し合いだ。英霊が七騎いて、最後の一組になるまで――」
「殺し合いなら、なおさら攻撃はせん」
老人は、当然のように言った。
アレクセイは額を押さえた。
視界が狭くなる。
耳の奥で、自分を笑う声がした。
遠坂。
ルヴィア。
フラット。
あいつらに知られたら終わりだ。
千年続く名門の男が、日本の亜種聖杯戦争で引いた英霊が、死にかけの老人。
しかも攻撃できない。
笑い話どころではない。
家門の恥だ。
「ふざけるな……」
アレクセイは白い稽古帯を握り締めた。
布が手のひらに食い込む。
硬い。痛い。
その痛みだけが、彼を現実に繋ぎ止めた。
「僕は勝ちに来たんだ。証明しに来たんだ。僕が、あいつらに劣っていないと」
「誰に」
「本物の天才たちにだ!」
声が蔵に反響した。
その時だった。
外で、何かが鳴った。
乾いた音。
銃声。
次の瞬間、蔵の壁に穴が空いた。
アレクセイの頬を、熱いものが掠める。
遅れて痛みが来た。
皮膚が裂れ、血が一筋流れる。
狙撃。
敵だ。
思考より先に、身体が動いた。
「土星護符、起動!」
アレクセイは懐から黒い金属板を投げた。
床に落ちた護符から、鈍い光が広がる。
重力が一瞬だけ濃くなり、蔵の入口に泥のような結界が張られた。
試す。
結果を見る。
学ぶ。
彼の魔術は、そういう形でしか実戦に耐えない。
二発目が来た。
結界に当たった弾丸が、空中で止まる。
止まった、と思った。
違う。
弾丸は、ゆっくりと結界を食い破っていた。
「冗談だろ……!」
アーチャーか。
それともアサシンか。
少なくとも通常の銃弾ではない。
英霊の攻撃。
アレクセイの即席結界など、紙より少し厚い程度だった。
老人が前に出た。
「下がりなさい」
「馬鹿を言うな、死ぬぞ!」
「もう、死んでおる」
植芝は笑った。
その瞬間、三発目が放たれた。
アレクセイには見えなかった。
音も遅れた。
弾丸は、すでに植芝の眉間に届いていた。
はずだった。
老人が、半歩動いた。
ただ、それだけ。
足音すらない。
腕を振ったようにも見えない。
だが、空気が丸く捻れた。
弾丸が消えた。
いや、消えていない。
蔵の外で、何かが砕ける音がした。
続いて、男の呻き声。
アレクセイは息を忘れた。
「何を……した?」
「返した」
「反射魔術か?」
「違う」
植芝は静かに答えた。
「攻撃が来た。ならば、その攻撃が帰る場所へ導いただけじゃ」
アレクセイの背筋に冷たいものが走った。
防御ではない。
反撃でもない。
そもそも、戦闘の順番が違う。
攻撃が成立する前に、その結果だけが相手へ戻った。
それは魔術ではない。
少なくとも、彼の知る魔術ではなかった。
四発目は来なかった。
蔵の外に、沈黙が落ちる。
アレクセイは唾を飲んだ。
勝てる。
そう思った。
この老人は、異常だ。
攻撃できない。
だが、攻撃されれば負けない。
ならば、使い方次第で――。
「お主」
植芝が振り返った。
その目が、アレクセイの浅ましい計算を見透かしていた。
「いま、わしを武器にしようとしたな」
アレクセイは言葉を失った。
老人の声は穏やかだった。
だからこそ、逃げ場がなかった。
「武器ではない。人も、技も、神も」
植芝は白い袖を揺らし、静かに続けた。
「力とは、相手を倒すためだけにあるのではない」
その言葉は、アレクセイの胸に入らなかった。
まだ。
彼は悔しかった。
怖かった。
そして、興奮していた。
自分はとんでもないものを引いたのだと、理解してしまったからだ。
白い稽古帯が、手の中で汗を吸っていた。
ただの布だったはずのそれが、妙に重い。
「……なら、どうしろと言うんだ」
アレクセイは低く言った。
「僕は勝たなきゃいけない。証明しなきゃいけない。あいつらに、僕が――」
「まず、立ちなさい」
「は?」
「足が乱れておる」
植芝は、蔵の中央に戻った。
そして、薄く笑った。
「戦争の前に、稽古じゃ」
アレクセイは本気で怒鳴りそうになった。
敵に狙撃された直後だ。
命を狙われている。
聖杯戦争は始まっている。
それなのに、この老人は稽古と言った。
だが、右手の令呪が疼いた。
キャスターとの契約が、魂の奥で震えている。
この老人に従え、と。
いや、違う。
この老人を理解しろ、と。
アレクセイは白い稽古帯を見下ろした。
新品の布。
未熟な自分。
まだ何者にもなれていない、硬くて不格好な象徴。
彼は歯を食いしばった。
「いいだろう」
声が震えていた。
怒りか、恐怖か、それとも別の何かか、自分でも分からなかった。
「やってやる。稽古でも何でもな」
植芝は頷いた。
「よろしい」
その時、蔵の外で足音がした。
一人ではない。
乾いた拍手が、夜の中から聞こえた。
「へえ。攻撃を返すキャスターか」
若い女の声。
暗闇の向こうで、銀色の弾丸が月明かりを拾った。
「面白いじゃない。だったら次は――」
銃口が、アレクセイの心臓を向いた。
「攻撃じゃなく、決闘にしましょうか」
植芝は動かない。
アレクセイの手の中で、白い稽古帯がきしんだ。
彼はまだ知らない。
この夜、自分が勝利ではなく、別のものを学び始めたことを。
そして。
攻撃できない英霊こそが、この聖杯戦争でもっとも危険な存在だということを。