『攻撃できないキャスターで聖杯戦争を勝ち抜く方法』 作:牛☆大権現
京都の夜は、まだ終わっていなかった。
だが街は眠っている。
そう見えるように、整えられていた。
交通規制。
文化財保護区域の緊急封鎖。
鞍馬方面における地盤異常の警告。
局地的な電波障害。
ニュースサイトには、すでにそれらしい見出しが並んでいる。
山間部で小規模な落石。
古道の一部崩落。
落雷による山火事未遂。
どれも嘘ではない。
ただし、真実ではなかった。
『外周の封鎖は終わった』
通信術式の向こうで、ロード・エルメロイⅡ世が言った。
『聖堂教会側の監視拠点も動いている。一般人の侵入は止められるだろう』
「協力してくれてるんですか?」
アレクセイが言うと、Ⅱ世は鼻で笑った。
『違う。見張られているんだ』
一拍。
『神秘の漏洩が一定値を超えれば、彼らは君たちごと焼く』
誰も笑わなかった。
鞍馬山へ向かう道。
車両は使えない。
途中からは、徒歩だった。
先頭を歩くのは真澄とエイノ。
方位を見る陰陽師と、森の気配を読むルーン使い。
その後ろに、黒田鉄山と園部秀雄。
さらに、シモ・ヘイヘ、ボブ・マンデン、クララ・ウィンチェスター。
ヘレナ・ヴァイスマンは舩坂弘の横を歩いている。
舩坂は何も言わない。
ただ、歩いている。
歩いているだけなのに、戦場のようだった。
最後尾近くに、アレクセイと植芝盛平がいた。
アレクセイは何度も護符の束を確認していた。
火星。
土星。
水星。
太陽。
月。
金星。
水銀符。
即席で組んだものばかりだ。
本来なら、儀式は準備に時間をかける。
日時を選び、方角を選び、星辰を読み、道具を清める。
けれど今は、その余裕がない。
アレクセイは唇を噛んだ。
「足りるかな」
植芝が横から見た。
「何がじゃ」
「護符です。魔力です。時間です。僕の腕も」
「足りんじゃろうな」
即答だった。
アレクセイは顔をしかめた。
「そこは励ますところでは?」
「足りんと知って歩くのが稽古じゃ」
「また稽古ですか」
「うむ」
植芝は小さく笑った。
「足りると思う時、人は雑になる」
アレクセイは何も言えなかった。
代わりに、護符を握り直した。
山道に入った。
その瞬間。
空気が変わった。
鳥の声が消えた。
虫の音もない。
風だけが吹いている。
だが、その風もおかしい。
木々が揺れるより先に、音が聞こえる。
足元の土が、妙に硬かった。
踏み込むたび、靴底に違和感が返る。
まるで、誰かが何度も何度も同じ場所を踏んだ後のようだった。
「止まって」
真澄が言った。
全員が足を止めた。
彼女はしゃがみ、地面に触れる。
指先で土を払った。
足跡があった。
ひとつではない。
無数に。
だがそれは、普通の登山者の足跡ではなかった。
黒田が目を細める。
「踏み込みですね」
園部が頷く。
「送り足もあります」
シモが少し離れた木の根元を見る。
そこには、膝をついたような跡がある。
狙撃姿勢。
エイノが呟いた。
「匍匐の跡もある」
ボブが口笛を吹いた。
「おいおい。俺の間合いまであるぞ」
山道の一部。
そこだけ、不自然に土が平らになっていた。
幅は狭い。
距離も短い。
だが、見れば分かる。
決闘の距離だった。
クララが眉をひそめる。
「趣味が悪いわね」
「いや」
アレクセイは首を振った。
「これは……」
言葉が出なかった。
気持ち悪い。
けれど、ただの悪趣味ではない。
この山道には、戦闘が刻まれている。
戦った者の足。
構え。
呼吸。
間合い。
逃げる角度。
待つ位置。
撃つ場所。
殺すための姿勢。
守るための姿勢。
それらが、土の中に残っていた。
『見えるか』
通信の向こうで、Ⅱ世が言った。
声にノイズが混じっている。
『そこはすでに工房の外縁だ』
「工房?」
『正確には、霊脈に寄生した記録術式だ』
Ⅱ世の声が少し遠くなる。
『山そのものを礼装化しているわけではない。そんな規模なら、とうに協会が動いている』
アレクセイは足元を見た。
「じゃあ、これは」
『霊脈を流れる魔力に、戦闘記録を刻んでいる』
ライネスの声が割り込んだ。
『悪趣味な道場日誌みたいなものね』
フラットがどこかで言った。
『でもすごいよこれ。踏み込みの魔力残滓まで保存してる。うわ、合気の転換もある! あ、怒られそうだから黙るね!』
『黙れ』
Ⅱ世が言った。
少しだけ、いつもの空気が戻った。
だがすぐに、通信はまた重くなる。
『いいか、アレクセイ』
「はい」
『観測塔は聖杯ではない』
アレクセイは顔を上げた。
『願望機ではない。少なくとも、本質は違う』
「記録装置」
『そうだ。聖杯戦争の召喚、戦闘、宝具解放、退去。そのすべてで発生する霊基残響を収集している』
ノイズが強くなる。
『奴は英霊を複製しているわけではない』
アレクセイの胸が、少しだけ軽くなった。
だがⅡ世は続けた。
『だからといって、安全でもない』
一拍。
『端末から読み取った波形だけで、魔術師は十分に人を殺せる』
沈黙。
山道の奥。
木々の隙間に、黒い鳥居が見えた。
鳥居の向こうは、闇だった。
そこに、階段がある。
地下へ向かう階段。
真澄が息を呑む。
「鞍馬山に、こんな道はない」
「作ったんだろうな」
静馬が言った。
「下手な怪談より気色悪い」
黒田は何も言わず、階段を見ている。
園部もまた、黙っている。
その沈黙が、怖かった。
アレクセイは、植芝を見た。
「行きますか」
植芝は階段を見たまま、静かに頷いた。
「帰るために来た」
その言葉に、舩坂が少しだけ顔を上げた。
誰も振り返らなかった。
ただ全員が、同じ方向を見た。
階段の前に立つ。
その時。
声がした。
『ようこそ』
観測者の声。
山の中からではない。
地面からでもない。
自分たちの骨の内側から響くような声だった。
『ここまで来たか』
アレクセイは歯を食いしばる。
「観測者」
『いい名だ』
声は笑っていた。
『だが、少し違う』
階段の奥。
闇が揺れた。
『私は、ただ見ていたわけではない』
鳥居の足元に、淡い光が走る。
円。
線。
文字。
西洋魔術ではない。
陰陽道でもない。
ルーンでもない。
そのすべてを、剥ぎ取って、記録の形に押し込めたような術式。
真澄が顔をしかめる。
「気持ち悪い」
クララが銃に手をかけた。
「歓迎にしては、趣味が悪すぎる」
『歓迎だとも』
観測者の声は穏やかだった。
『ここは墓ではない』
一拍。
『道場だ』
その瞬間。
階段の先に、明かりが灯った。
下へ。
さらに下へ。
地の底へ続く光。
アレクセイは、一歩踏み出した。
植芝が隣に並ぶ。
真澄が続く。
黒田、園部、シモ、ボブ、舩坂。
マスターたちも。
全員が階段を下り始めた。
一段。
二段。
三段。
通信術式が震える。
『アレクセイ』
Ⅱ世の声。
ひどく遠い。
『聞け』
「聞こえてます」
『観測塔内部では、こちらの支援は不安定になる』
「分かってます」
『分かっていない』
声が鋭くなった。
『君は、すぐに足りないものを外から足そうとする』
アレクセイは足を止めかけた。
『護符。礼装。サーヴァント。教室。血筋。名門の看板』
「先生」
『だが今回は、足すな』
ノイズ。
音が割れる。
『壊すな』
さらに声が遠くなる。
『儀式は……意味を……変えれば……』
「先生?」
『別物に……』
通信が切れた。
完全な沈黙。
階段の底から、風が上がってくる。
生温い風だった。
その風に混じって、音が聞こえた。
竹刀の音。
銃声。
爆撃音。
薙刀が空を切る音。
誰かの呼吸。
誰かの悲鳴。
誰かの号令。
誰かの笑い声。
全部が重なっていた。
アレクセイは喉を鳴らす。
「趣味が悪いどころじゃない」
静馬が吐き捨てた。
「ああ」
ボブが笑った。
いつもの軽さではなかった。
「ここまでやると、もう熱心ってやつだな」
シモは無言で銃を構え直した。
階段を下りきる。
そこには広い空間があった。
地下空洞。
天井は高い。
壁面には無数の術式が走っている。
それらは血管のように脈打ち、中心部へ向かっている。
巨大な塔があった。
地下に、塔が立っていた。
上へ伸びるのではない。
下へ沈む塔。
逆さまの観測塔。
その外壁には、無数の映像が浮かんでいる。
黒田の抜刀。
園部の薙刀。
シモの白い狙撃。
ボブの早撃ち。
舩坂の突撃。
ルーデルの急降下。
植芝の転換。
それらは映像であり、術式であり、記録だった。
アレクセイの背筋に冷たいものが走る。
「これは……」
『美しいだろう』
観測者の声。
『失われるはずだったものだ』
壁面の映像が切り替わる。
古い道場。
焼けた戦場。
崩れた家屋。
名もない兵士。
名もない弟子。
名もない師。
『技は死ぬ』
声が響く。
『師が死ねば、欠ける』
『弟子が途絶えれば、消える』
『戦火が道場を焼けば、灰になる』
『病が身体を奪えば、再現できない』
アレクセイは黙って聞いていた。
否定できなかった。
『だから残す』
声が少しだけ熱を帯びた。
『記録する』
『保存する』
『再演する』
『管理する』
『そうすれば、二度と失われない』
「違う」
黒田が言った。
静かな声だった。
だが、地下空洞全体がその一言を聞いた。
『何が違う』
「あなたが残したものは、技ではありません」
黒田の手は、刀にかかっていない。
ただ立っている。
「形です」
観測者は沈黙した。
園部が続ける。
「形も大切です」
彼女は柔らかく言った。
「けれど、形だけでは朝は来ません」
『詩人だな』
観測者の声が冷える。
『だが、詩では技は残らない』
その瞬間。
塔の外壁が開いた。
白いものが現れた。
人型。
だが、人ではない。
顔がない。
目もない。
皮膚のように見える白い表面に、術式が浮かんでいる。
腕。
脚。
胴。
どれも人間に似ている。
だが、決定的に違う。
立ち方が、複数ある。
剣士の重心。
薙刀の間合い。
狙撃手の沈み。
決闘者の肩。
兵士の前傾。
すべてが一つの身体に、無理やり入れられていた。
アレクセイは息を呑む。
「あれが……人工英雄?」
『違う』
観測者が答える。
『英雄ではない』
白い人型が一歩踏み出した。
『観測霊基《オブザーバー・フレーム》』
一拍。
『空の器だ』
植芝が目を細めた。
「空か」
『そうだ。英霊の複製ではない。座への干渉でもない。そんな大それたものではない』
声は誇らしげだった。
『聖杯戦争中に発生した霊基残響。戦闘ログ。宝具発動時の魔力波形。運動軌跡。判断速度。攻撃条件。それらを空の霊基殻へ流し込む』
白い人型が、また一歩進む。
『技は、人から解放される』
瞬間。
黒田が動いた。
いや。
動いたように見えなかった。
次の瞬間、観測霊基の首筋に斬撃が入っていた。
だが。
斬れていない。
観測霊基の身体がわずかに沈み、斬撃の軌道を外した。
黒田の眉が、ほんの少し動く。
「初動を読まれましたか」
『読んだのではない』
観測者が言う。
『記録していた』
観測霊基の腕が動く。
神速。
黒田のものではない。
黒田の形をなぞった、何か。
静馬が前に出ようとする。
「セイバー!」
「下がりなさい」
黒田の声。
だが遅い。
観測霊基の腕が、静馬へ向かう。
その間に、薙刀が入った。
園部。
刃ではなく柄で、軸を止める。
観測霊基は止まらない。
そのまま回転し、園部の間合いの内側へ入ろうとする。
園部が目を細めた。
「一振り目から、千振り目の顔をしていますね」
真澄が札を投げる。
「中央土気、固定!」
足元の地面に方陣が走った。
観測霊基の足が一瞬止まる。
その一瞬で、シモが銃を構える。
白い息。
引き金に指がかかる。
だが撃たない。
観測霊基の表面に、別の術式が浮かんだからだ。
ボブが叫ぶ。
「撃つな!」
シモはすでに銃を下ろしていた。
クララが舌打ちする。
「決闘条件……!」
観測霊基が、今度は舩坂の方を向く。
舩坂は一歩前に出た。
ヘレナが腕を掴む。
「待って!」
「離せ」
「まだ何も分かってない!」
「分かる」
舩坂は静かに言った。
「あれは、止まらん」
その言葉に、アレクセイの背中が冷たくなった。
観測霊基が動く。
全員が同時に構える。
だが次の瞬間。
床が光った。
円が走る。
線が伸びる。
観測塔の術式が、全員の足元を分けた。
「まずい!」
アレクセイが叫んだ。
真澄が札を投げる。
エイノがルーンを刻む。
クララが弾丸を撃つ。
黒田が斬る。
園部が薙刀を回す。
すべて間に合わない。
床が落ちた。
いや。
落ちたのではない。
空間がずれた。
目の前にいたはずの仲間たちが、遠ざかる。
声だけが残る。
「アレクセイ!」
真澄の声。
「坊主!」
ボブの声。
「マスター!」
誰の声か分からない。
アレクセイは手を伸ばす。
届かない。
視界が白くなる。
身体が引きずられる。
足元が消える。
胃が浮く。
そして。
静寂。
アレクセイは膝をついた。
床がある。
白い床。
長い回廊。
壁も天井も白い。
どこまでも白い。
音がない。
いや。
ひとつだけ、音がある。
呼吸。
自分のものではない。
アレクセイは顔を上げた。
隣に、植芝盛平が立っていた。
老人は、いつも通りだった。
背は小さい。
身体は細い。
だが、その足は揺れていない。
「キャスター……」
「うむ」
「みんなは」
「分けられたな」
アレクセイは立ち上がる。
護符を握る手が汗で濡れていた。
通信は死んでいる。
真澄もいない。
黒田も園部もいない。
シモもボブも、舩坂も、ヘレナも。
エルメロイ教室の声もない。
あるのは、白い回廊。
そして。
前方に立つ、もう一体の観測霊基。
その表面に、見覚えのある術式が浮かんでいた。
合気。
いや。
合気に似せた何か。
植芝が一歩前に出る。
観測者の声が響いた。
『植芝盛平』
一拍。
『あなたから始めよう』
観測霊基が、ゆっくりと両手を上げる。
攻撃の構えではない。
受けの形。
だが、そこに人の温度はなかった。
アレクセイの喉が乾く。
「キャスター」
植芝は静かに言った。
「よう見ておれ」
「何をです」
「あれは、合気ではない」
観測霊基が動く。
音もなく。
殺意もなく。
ただ記録された動きとして。
植芝は立っていた。
逃げない。
構えない。
ただ、そこにいる。
老人の声が、白い回廊に落ちた。
「形と技の違いじゃ」
次の瞬間。
白い回廊に、最初の衝突音が響いた。