『攻撃できないキャスターで聖杯戦争を勝ち抜く方法』   作:牛☆大権現

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バーサーカー:舩坂弘
真名
舩坂弘
クラス
バーサーカー
日本陸軍軍曹。アンガウルの戦いで知られ、「不死身の分隊長」的な逸話が多い。特別銃剣術徽章、特別射撃徽章など、武道・射撃の技能に優れていた記録がある。
スキル
戦闘続行:EX
バーサーカー最大の核。
銃剣術:A
特別銃剣術徽章由来。
射撃:B+
特別射撃徽章由来。
狂化:C
理性は残る。
ただし「まだ戦える」と判断した瞬間、命令を無視する。
宝具
「不死身の分隊長」
ランク:A+
種別:自己復元宝具
死亡判定・致命傷・出血多量・意識喪失を一定回数まで覆す。
ただし完全回復ではない。
傷は残り、痛みも残り、肉体は壊れ続ける。
第二宝具
「まだ死なせてもらえない」
ランク:A
種別:対軍特攻宝具
瀕死状態でのみ発動。
残存魔力と生命力を全て燃やし、敵本陣へ単独突撃する。
威力は絶大だが、発動後の消滅率が高い。

バーサーカーのマスター
名前
ヘレナ・ヴァイスマン
所属
時計塔・植物科/錬金術系の混成。
家系
戦場医療、ホムンクルス研究、肉体修復魔術を専門とする魔術家系。
表向きは再生医療研究者。
魔術
肉体修復錬金術《カドゥケウス・パッチワーク》:
パラケルスス系錬金術
体液論
薬草学
ホムンクルス思想
戦場外科

肉体を「修理可能な器」として扱う。
得意技:
縫合呪術
血液凝固
神経接続
骨格補強
痛覚遮断
人工臓器礼装
バーサーカーとの相性は最悪に見えて最高。
彼女は「生かす」ために修復する。
舩坂は「戦う」ために立ち上がる。




まだ戦える

 泥の匂いがした。

 

 雪の匂いではない。

 

 火薬。

 

 血。

 

 焼けた金属。

 

 濡れた土。

 

 そして、消毒液の匂い。

 

 クララは顔をしかめた。

 

「……戦場病院?」

 

 違う。

 

 病院ではない。

 

 そこにあるのは、壕だった。

 

 崩れた土嚢。

 

 裂けた鉄条網。

 

 傾いた木杭。

 

 砲弾で抉れた地面。

 

 空は赤黒い。

 

 地下の疑似霊場であるはずなのに、頭上には火の粉が舞っていた。

 

 どこかで砲声がする。

 

 着弾はしない。

 

 ただ、音だけが続く。

 

 終わらない戦場の記録。

 

 ボブ・マンデンは、帽子を押さえた。

 

「こりゃあ……笑えねえな」

 

 シモ・ヘイヘは無言で周囲を見た。

 

 遮蔽物は多い。

 

 射線も多い。

 

 だが、ここは彼の戦場ではない。

 

 白ではない。

 

 守るための雪原ではない。

 

 帰れなかった者たちの泥だった。

 

 エイノが足元を見る。

 

 泥の中に、足跡がある。

 

 一人のものではない。

 

 無数にある。

 

 進む足跡。

 

 倒れる足跡。

 

 這う跡。

 

 引きずられた跡。

 

 そして。

 

 何度倒れても、同じ方向へ戻っていく足跡。

 

 クララは小さく息を呑んだ。

 

 その先に、舩坂弘がいた。

 

 右肩から血を流している。

 

 左脚を引きずっている。

 

 腕には包帯。

 

 胸には、ヘレナの縫合術式が走っていた。

 

 それでも立っている。

 

 立って、前へ進もうとしている。

 

 ヘレナ・ヴァイスマンが、彼の腕を掴んでいた。

 

「駄目!」

 

 声が震えていた。

 

「あなたはもう動ける状態じゃない!」

 

 舩坂は振り返らない。

 

「動ける」

 

「動けていない!」

 

「足は出る」

 

「それを動けるとは言わない!」

 

 ヘレナの手が光る。

 

 肉体修復錬金術。

 

 血液凝固。

 

 神経接続。

 

 筋繊維補強。

 

 骨格固定。

 

 彼女の術式は速い。

 

 正確だ。

 

 戦場医療としては、異常なほど優れている。

 

 だが、その光が舩坂の身体に入るたび、彼はまた一歩進んだ。

 

 ヘレナの顔が歪む。

 

「止まって」

 

「止まれん」

 

「止まって!」

 

「まだ戦える」

 

 その言葉に、戦場が反応した。

 

 泥の奥から、何かが立ち上がる。

 

 白い人型。

 

 観測霊基。

 

 だが、雪原で見たものとは違う。

 

 その身体には、何本もの線が走っていた。

 

 赤い線。

 

 黒い線。

 

 縫合跡のような術式。

 

 銃創。

 

 裂傷。

 

 火傷。

 

 骨折。

 

 それらの記録が、白い器の上に浮かんでいる。

 

 顔はない。

 

 だが、立っている。

 

 壊れているのに、立っている。

 

 ボブが低く言った。

 

「なるほど」

 

 クララは銃を構えた。

 

「舩坂の観測霊基ね」

 

 エイノが首を振る。

 

「違う。舩坂ではない」

 

 シモが続けた。

 

「戦闘続行の記録だ」

 

 その通りだった。

 

 それは舩坂弘ではない。

 

 舩坂の人生ではない。

 

 彼が何を見て、何を失い、何を抱えて戦後を生きたのか。

 

 そんなものはない。

 

 ただ。

 

 倒れても立つ。

 

 死にかけても進む。

 

 まだ戦えると判断した瞬間、命令を無視してでも動く。

 

 そのログだけが、空の器に流し込まれている。

 

 観測者の声が響いた。

 

『不死身とは、美しい』

 

 ヘレナが顔を上げた。

 

「黙りなさい」

 

『死なない兵士。倒れない兵士。折れない兵士。どれほど戦場が彼を壊しても、彼は帰ってくる』

 

 舩坂が観測霊基を見た。

 

 表情は変わらない。

 

 だが、指が動いた。

 

 銃剣を握り直そうとした。

 

 ヘレナがそれを止める。

 

「駄目」

 

「離せ」

 

「駄目」

 

「敵だ」

 

「患者よ!」

 

 その叫びが、戦場に吸い込まれた。

 

 舩坂が初めてヘレナを見る。

 

 ヘレナは息を乱していた。

 

 泥で白衣が汚れている。

 

 髪も乱れている。

 

 目の下には疲労がある。

 

 それでも彼女は、舩坂の腕を離さなかった。

 

「壊れた人間は全員患者」

 

 彼女は自分に言い聞かせるように言った。

 

「敵でも、味方でも、英霊でも、魔術師でも、兵士でも」

 

 一拍。

 

「患者なの」

 

 舩坂は静かに言った。

 

「なら、俺もか」

 

「当然でしょう」

 

「そいつもか」

 

 舩坂は観測霊基を見た。

 

 ヘレナは答えられなかった。

 

 観測霊基が一歩進む。

 

 泥が跳ねる。

 

 壊れた脚で。

 

 折れたはずの膝で。

 

 砕けたはずの身体で。

 

 前へ。

 

 クララが撃った。

 

 弾丸は観測霊基の肩を貫く。

 

 白い破片が飛ぶ。

 

 だが止まらない。

 

 ボブが続けて撃つ。

 

 今度は膝。

 

 当たる。

 

 砕ける。

 

 観測霊基は倒れた。

 

 泥に顔から落ちる。

 

 次の瞬間、立った。

 

 壊れた膝のまま。

 

 関節がありえない方向へ曲がったまま。

 

 術式が補正し、無理やり立たせる。

 

 クララが息を呑む。

 

「気持ち悪い……」

 

 ボブは銃を下ろさない。

 

「いや、悪いのは気持ちじゃねえ」

 

 観測霊基がまた前へ出る。

 

「悪いのは、止まらねえことだ」

 

 シモが銃を構えた。

 

 正確に、霊基の中心を狙う。

 

 撃てば止められるかもしれない。

 

 だが、その前にヘレナが叫んだ。

 

「撃たないで!」

 

 シモの指が止まる。

 

 クララが振り返る。

 

「ヘレナ、あれは人間じゃない!」

 

「分かってる!」

 

「じゃあ!」

 

「でも、壊れた身体で立たされている!」

 

 ヘレナの声が震えた。

 

「それを見て撃てるほど、私は器用じゃない!」

 

 誰もすぐには答えなかった。

 

 観測霊基が迫る。

 

 舩坂がヘレナの手を振りほどこうとする。

 

「どけ」

 

「駄目」

 

「このままだと全員死ぬ」

 

「駄目!」

 

「嬢ちゃん!」

 

 舩坂の声が、初めて荒くなった。

 

「医者が、死に場所まで決めるな!」

 

 ヘレナの手が止まった。

 

 観測霊基の腕が振り上げられる。

 

 舩坂が前に出る。

 

 ヘレナは反射的に術式を走らせた。

 

 骨格補強。

 

 筋出力増強。

 

 痛覚遮断。

 

 いつもの処置。

 

 舩坂を立たせるための術式。

 

 その光が、舩坂の背中に入る。

 

 舩坂は加速した。

 

 観測霊基とぶつかる。

 

 銃剣が白い腕を弾く。

 

 泥が跳ねる。

 

 舩坂は強い。

 

 壊れていても強い。

 

 倒れるべき身体で、まだ踏み込む。

 

 観測霊基の腹へ銃剣を突き込む。

 

 白い器が軋む。

 

 だが、観測霊基も倒れない。

 

 腕が舩坂の肩を掴む。

 

 骨が鳴る。

 

 舩坂の口から血が出た。

 

 ヘレナが叫ぶ。

 

「舩坂!」

 

 彼女はまた術式を走らせようとした。

 

 血液凝固。

 

 神経接続。

 

 骨格補強。

 

 その手を、クララが掴んだ。

 

「待って」

 

「離して!」

 

「待ちなさい!」

 

「患者が死ぬ!」

 

 クララはヘレナの目を見た。

 

「あなたが治すたび、彼はまた前に出る」

 

 ヘレナの顔が歪む。

 

「だから何!」

 

「治してるんじゃない」

 

 クララは言った。

 

「装填してる」

 

 ヘレナの呼吸が止まった。

 

 舩坂と観測霊基は、まだ組み合っている。

 

 どちらも壊れている。

 

 どちらも止まらない。

 

 どちらも、まだ戦える。

 

 ヘレナの手が震えた。

 

「違う」

 

 彼女は呟いた。

 

「私は、救ってる」

 

 エイノが静かに言った。

 

「救うことと、戻すことは違う」

 

 シモは銃を下ろしていた。

 

 ボブも撃たない。

 

 全員が、ヘレナを見ている。

 

 責めているのではない。

 

 選ばせている。

 

 彼女自身に。

 

 観測者の声が優しく響いた。

 

『なぜ止める』

 

 ヘレナは顔を上げた。

 

『あなたは正しい』

 

 観測者は言う。

 

『壊れた身体は修復すべきだ。死に瀕した命は救うべきだ。動けるならば、動かすべきだ』

 

「黙って」

 

『彼は望んでいる』

 

 観測者の声は、刃のように柔らかかった。

 

『まだ戦えると』

 

 ヘレナの目に涙が浮かんだ。

 

 泥の中で、舩坂が観測霊基を押し返す。

 

 だが、脚が崩れた。

 

 膝をつく。

 

 観測霊基が腕を振り上げる。

 

 ヘレナは手を伸ばす。

 

 術式が走りかける。

 

 いつもの光。

 

 舩坂を立たせる光。

 

 その瞬間。

 

 舩坂が言った。

 

「ヘレナ」

 

 初めて、名前を呼んだ。

 

 ヘレナの手が止まる。

 

 舩坂は振り返らない。

 

 泥の中で、膝をついたまま言う。

 

「もういい」

 

 観測霊基の腕が落ちる。

 

 ヘレナは叫ばなかった。

 

 代わりに、別の術式を使った。

 

 修復ではない。

 

 強化でもない。

 

 痛覚遮断でもない。

 

 拘束。

 

 細い金色の線が、舩坂の手首に巻きついた。

 

 銃剣を握る指を、一本ずつ開く。

 

 舩坂の目がわずかに見開かれる。

 

「おい」

 

「動かないで」

 

「敵がいる」

 

「患者もいる」

 

 ヘレナは泥の中へ踏み出した。

 

 観測霊基の腕が、彼女へ向く。

 

 クララが銃を構える。

 

 ボブが叫ぶ。

 

「ヘレナ!」

 

 ヘレナは止まらない。

 

 彼女は舩坂の前に立った。

 

 小柄な身体。

 

 汚れた白衣。

 

 震える手。

 

 それでも、前に立った。

 

 観測霊基は判断できない。

 

 敵か。

 

 医者か。

 

 障害物か。

 

 修復者か。

 

 攻撃対象か。

 

 保護対象か。

 

 そのどれでもあり、そのどれでもない。

 

 ヘレナは手を伸ばした。

 

 観測霊基の胸に触れる。

 

 修復術式は使わない。

 

 代わりに、診断術式を走らせる。

 

 白い器の表面に、記録が浮かぶ。

 

 出血。

 

 欠損。

 

 損傷。

 

 死亡判定遅延。

 

 戦闘続行。

 

 再起動。

 

 戦闘続行。

 

 再起動。

 

 戦闘続行。

 

 再起動。

 

 ヘレナは目を閉じた。

 

「あなたは、治されていない」

 

 一拍。

 

「立たされているだけ」

 

 観測霊基の腕が震えた。

 

 術式が乱れる。

 

 ヘレナは言った。

 

「治療を終了します」

 

 その声は、小さかった。

 

 だが、戦場の音よりも強かった。

 

 観測霊基が動く。

 

 ヘレナを殴ろうとする。

 

 その瞬間。

 

 白い線が泥の上を走った。

 

 水星の青。

 

 土星の黒。

 

 アレクセイの帰還路。

 

 線は、雪原から続いていた。

 

 シモが撃たなかった場所。

 

 ボブが銃を抜かなかった場所。

 

 クララが術式だけを撃った場所。

 

 エイノが足跡を残した場所。

 

 それらを繋ぎ、泥の中へ伸びてきた。

 

 ヘレナの足元に届く。

 

 彼女はその線を見た。

 

 理解する。

 

 これは戦闘記録ではない。

 

 誰を倒したかではない。

 

 どこで止まったか。

 

 誰を前に出さなかったか。

 

 何を治さなかったか。

 

 それを道に変えている。

 

 ヘレナは術式を切った。

 

 舩坂の補強が消える。

 

 彼の身体が沈む。

 

 泥に膝をつく。

 

 それでも舩坂は倒れなかった。

 

 ただ、座った。

 

 銃剣は手から離れている。

 

 観測霊基が動きを止める。

 

 目の前に、戦うべき舩坂はいない。

 

 まだ戦える兵士はいない。

 

 座った男がいるだけだ。

 

 空の霊基殻には、それが読めない。

 

 戦闘続行ログが、次を出せない。

 

 観測者の声が低くなる。

 

『なぜ止める』

 

 ヘレナは答えた。

 

「救うため」

 

『死ぬぞ』

 

「死なせない」

 

『戦えないぞ』

 

「戦わせない」

 

 沈黙。

 

 観測霊基の術式がさらに乱れる。

 

 そこへ、アレクセイと植芝が現れた。

 

 白い道の奥から。

 

 アレクセイは息を切らしている。

 

 額に汗。

 

 手には護符。

 

 魔術回路が焼ける匂いが、かすかにした。

 

 植芝は静かに歩いている。

 

 泥の上でも、足音が沈まない。

 

 舩坂が顔を上げた。

 

「爺さん」

 

 植芝は頷いた。

 

「よう座った」

 

 舩坂は鼻で笑った。

 

「褒めるところか」

 

「立つより難しいこともある」

 

 舩坂は黙った。

 

 観測霊基が植芝へ向く。

 

 腕を上げる。

 

 壊れた身体で。

 

 立たされるためだけの器が。

 

 まだ戦おうとする。

 

 植芝は近づく。

 

 アレクセイが言う。

 

「キャスター、あれは記録を取ります」

 

「うむ」

 

「崩しても、学ばれます」

 

「うむ」

 

「だったら」

 

「崩さん」

 

 植芝は観測霊基の前に立った。

 

 攻撃しない。

 

 投げない。

 

 返さない。

 

 ただ、両手を広げる。

 

 まるで稽古を始める前のように。

 

 観測霊基の腕が振り下ろされる。

 

 植芝はその腕を受けなかった。

 

 避けもしなかった。

 

 ほんの少し、身体の向きを変えた。

 

 腕は、植芝の肩をかすめる。

 

 その力が、どこにもぶつからない。

 

 空へ抜ける。

 

 観測霊基の身体が、前へ流れる。

 

 植芝の手が、その背に触れた。

 

 押すのではない。

 

 止めるのでもない。

 

 倒れないように、添える。

 

 観測霊基の足が止まる。

 

 植芝は言った。

 

「もう、戦わんでよい」

 

 戦場の音が、一瞬だけ消えた。

 

 砲声も。

 

 銃声も。

 

 叫び声も。

 

 すべてが遠のく。

 

 観測霊基の表面から、赤い線が消えていく。

 

 黒い線も。

 

 縫合のような術式も。

 

 戦闘続行。

 

 再起動。

 

 戦闘続行。

 

 再起動。

 

 その文字列が途切れる。

 

 白い器は、崩れなかった。

 

 砕けもしなかった。

 

 ただ、力を失ったように膝をついた。

 

 植芝はその肩から手を離さない。

 

 誰も撃たない。

 

 誰も勝ったと言わない。

 

 アレクセイは、その光景を見ていた。

 

 倒したのではない。

 

 止めた。

 

 止めたのでも足りない。

 

 降ろした。

 

 戦場から、降ろした。

 

 彼は震える手で護符を床へ貼った。

 

 いや、泥へ貼った。

 

 土星護符。

 

 固定。

 

 水星護符。

 

 再解釈。

 

 泥の中に、帰還路が太くなる。

 

 戦闘記録が、別の意味へ変わる。

 

 銃剣を外した手。

 

 治療を止めた指。

 

 座った膝。

 

 添えられた掌。

 

 それらが、道になる。

 

 観測者の声は聞こえなかった。

 

 沈黙している。

 

 それが何よりの答えだった。

 

 ヘレナは舩坂の横に座った。

 

 彼女は傷を治さない。

 

 痛みを消さない。

 

 ただ、包帯を巻いた。

 

 普通の包帯。

 

 魔術ではない。

 

 舩坂が言った。

 

「下手だな」

 

 ヘレナは鼻をすすった。

 

「うるさい」

 

「きつい」

 

「我慢して」

 

「医者の言葉か」

 

「患者の態度じゃない」

 

 舩坂は少しだけ笑った。

 

 本当に少しだけ。

 

 その笑いを見て、ヘレナの手が止まる。

 

 彼女は泣かなかった。

 

 泣く代わりに、包帯の端を結んだ。

 

 今度は、戦わせるためではなく。

 

 座っているために。

 

 ボブが帽子を取った。

 

「参ったね」

 

 クララが銃を下ろす。

 

「何が?」

 

「撃つより難しいことばっかりだ」

 

 シモは何も言わない。

 

 だが、彼の銃口は下がっていた。

 

 エイノは泥の上にルーンを刻む。

 

 雪の時とは違う。

 

 今度は、火ではない。

 

 氷でもない。

 

 家畜を囲う古い印。

 

 帰る場所を示すための印。

 

 アレクセイはそれを見て、息を整えた。

 

「繋がった」

 

 泥の区画の奥。

 

 白い線がさらに伸びる。

 

 その先に、別の気配がある。

 

 鋭い。

 

 速い。

 

 刃の気配。

 

 黒田鉄山。

 

 そして、神代静馬。

 

 さらに、薙刀の間合い。

 

 園部秀雄と真澄。

 

 アレクセイは立ち上がる。

 

 足が震えている。

 

 魔術回路が熱い。

 

 もう護符は多くない。

 

 それでも行かなければならない。

 

 植芝が横に立つ。

 

「行くか」

 

「はい」

 

 ヘレナが顔を上げる。

 

「私も行く」

 

 舩坂が言う。

 

「俺も」

 

 全員が彼を見た。

 

 舩坂は座ったまま、少しだけ肩をすくめる。

 

「歩くだけだ」

 

 ヘレナが睨む。

 

「走らせないから」

 

「分かってる」

 

「戦わせないから」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「……努力する」

 

 ヘレナは深くため息を吐いた。

 

 アレクセイは思わず笑いそうになった。

 

 笑う場面ではない。

 

 それでも、少しだけ息が軽くなった。

 

 観測塔は戦闘を記録する。

 

 強さを記録する。

 

 勝利を記録する。

 

 だが、今ここに残ったのは。

 

 撃たない銃。

 

 抜かない決闘。

 

 治さない医者。

 

 座った兵士。

 

 戦わないための手。

 

 それらを、観測塔はうまく読めていない。

 

 だから道になる。

 

 アレクセイは前を見る。

 

 白い線の先。

 

 刃の音が聞こえる。

 

 一度ではない。

 

 二度。

 

 三度。

 

 四度。

 

 あまりに速く、音が一つに聞こえる。

 

 静馬の声が響いた。

 

「くそッ!」

 

 黒田の静かな声が続く。

 

「焦らない」

 

 園部の声。

 

「千本目へ行かせてはいけません」

 

 真澄の声。

 

「中央土気、持たない!」

 

 アレクセイは護符を握る。

 

 次は型の回廊。

 

 形だけを持つものと、昨日を持つ者たちの戦い。

 

 観測者の声が、ようやく戻った。

 

『面白い』

 

 その声には、苛立ちが混じっていた。

 

『ならば問おう』

 

 一拍。

 

『型とは、記録できるものではないのか』

 

 刃の音が、さらに近づいた。

 

 泥が白い石畳へ変わっていく。

 

 戦場の匂いが消える。

 

 代わりに、道場の床の匂いがした。

 

 アレクセイは歩き出す。

 

 勝つためではない。

 

 皆で帰るために。

 

 その先で、神速の刃が待っていた。

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