『攻撃できないキャスターで聖杯戦争を勝ち抜く方法』   作:牛☆大権現

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アサシン:シモ・ヘイヘ
真名
シモ・ヘイヘ
クラス
アサシン
冬戦争のフィンランド軍狙撃手。「白い死神」と呼ばれた人物。白い迷彩、極寒、狙撃、顔面への重傷と生還が逸話の核になる。撃破数には史料上の幅があるが、少なくとも伝説的狙撃手としての知名度は十分。
スキル
白色迷彩:A++
雪原での気配遮断。
狙撃:A++
長距離射撃。
スコープを使わなかった逸話から、光反射による発見を避ける補正あり。
寡黙な猟師:A
戦後は農業・狩猟に関わった静かな人物。
死線生還:B+
顔面を撃たれ、死亡説が流れた後に生還した逸話由来。
宝具
「白い死神」
ランク:A+
種別:対人宝具
レンジ:50〜1000
雪、霧、白煙、灰、紙吹雪など「白い遮蔽物」がある限り、アサシンの位置認識が極度に困難になる。
一度見失えば、次弾はほぼ必中。
第二宝具
「コッラーは落ちず」
ランク:B
種別:陣地宝具
防衛戦に限り、味方全体の士気・隠密・耐寒・射撃精度を上げる。
攻めでは弱く、守るほど強い。

アサシンのマスター
名前
エイノ・ルーンベリ
所属
時計塔・降霊科北欧支部系。
家系
フィンランドの民間呪術師・狩人・ルーン詠唱者の家系。
魔術
北欧ルーン+森精霊との契約
ルーン文字
北欧呪術
森・狩猟・雪にまつわる民間信仰
自然環境そのものを術式にする。
得意技:
雪面にルーンを刻み、足音を消す
木々に視覚共有
風向きを読む占術
獣の気配を借りる索敵
性格は無口で堅実。
聖杯への願いは薄く、「祖国を守るための技術が悪用されないこと」を重視。



型には昨日がある

 泥の匂いが消えた。

 

 血の匂いも。

 

 火薬も。

 

 戦場の音も。

 

 代わりに、床の匂いがした。

 

 古い木。

 

 乾いた畳。

 

 拭き込まれた道場の床。

 

 アレクセイが一歩踏み込むと、足裏に硬さが返ってきた。

 

 さっきまでの泥とは違う。

 

 沈まない。

 

 滑らない。

 

 だが、安心もしない。

 

 床が、こちらの立ち方を見ているようだった。

 

 広い道場だった。

 

 壁はない。

 

 天井もない。

 

 だが、空間は道場だった。

 

 白い霧の奥に、柱の影が見える。

 

 床板はどこまでも続き、その上に無数の傷が刻まれている。

 

 刀の跡。

 

 薙刀の跡。

 

 足の跡。

 

 転んだ跡。

 

 膝をついた跡。

 

 何度も、何度も、同じところを通った跡。

 

 真澄がいた。

 

 片膝をつき、札を何枚も床へ貼っている。

 

 額には汗。

 

 唇は白い。

 

 その前に、園部秀雄が立っていた。

 

 薙刀を構え、静かに呼吸している。

 

 その向こうに、黒田鉄山。

 

 刀はすでに抜かれていた。

 

 そして。

 

 神代静馬が、床に手をついていた。

 

 肩で息をしている。

 

 右腕が震えている。

 

 額から血が落ちていた。

 

「静馬!」

 

 アレクセイが叫ぶ。

 

 静馬は顔だけを向けた。

 

「来るな!」

 

 その声より早く、白い影が動いた。

 

 観測霊基。

 

 先ほどまでのものより細い。

 

 無駄がない。

 

 顔はない。

 

 だが、立ち方だけで分かる。

 

 剣士の形。

 

 黒田鉄山の記録を流し込まれた器。

 

 観測霊基の右手が、腰の位置へ沈む。

 

 抜刀の構え。

 

 アレクセイは見た。

 

 いや、見えなかった。

 

 次の瞬間には、黒田が前に出ていた。

 

 金属音。

 

 一つ。

 

 遅れて、床板が裂けた。

 

 アレクセイの背後で、柱のような霧が真っ二つに割れる。

 

 斬撃が通っていた。

 

 認識より先に。

 

 結果だけがあった。

 

 アレクセイの喉がひゅっと鳴る。

 

「今の……」

 

 黒田は涼しい顔のまま、刀を戻した。

 

「似ています」

 

 静かな声だった。

 

「だから、厄介です」

 

 観測霊基は止まらない。

 

 踏み込む。

 

 いや、踏み込んでいない。

 

 地面を蹴らない。

 

 予備動作がない。

 

 重心の揺れがない。

 

 ただ、位置だけが変わる。

 

 黒田の無足之法。

 

 その外形。

 

 観測霊基が消える。

 

 黒田も消える。

 

 音が三つ鳴る。

 

 一つ目は、刀が触れた音。

 

 二つ目は、真澄の結界が裂けた音。

 

 三つ目は、静馬が床を殴った音だった。

 

「くそッ!」

 

 静馬が立ち上がる。

 

 身体から、薄い光が漏れた。

 

 祝詞。

 

 呼吸。

 

 筋骨操作。

 

 身体神降ろし《カムナガラ・オーバーライド》。

 

 静馬の魔術。

 

 三分だけなら、サーヴァントと数合渡り合える。

 

 だが肉体崩壊の危険がある。

 

 アレクセイはそれを知っている。

 

 静馬の足元で、床板が軋んだ。

 

 人間の重さではない。

 

 神域の器へ、無理やり身体を押し上げる音。

 

「やめろ!」

 

 アレクセイが叫ぶ。

 

 静馬は振り返らない。

 

「黙ってろ」

 

 声が低い。

 

「ここで届かなきゃ、意味がない」

 

 真澄が顔を上げた。

 

「静馬!」

 

「分かってる!」

 

「分かってない!」

 

 真澄の声が鋭くなる。

 

「三分使えば、あなたは届く。でもその後、歩けなくなるかもしれない!」

 

「今届かなきゃ、全員死ぬ!」

 

 静馬の足が前へ出る。

 

 その瞬間。

 

 黒田の声が落ちた。

 

「使ってはいけません」

 

 静馬の動きが止まった。

 

「何故です」

 

 怒りが混じっていた。

 

 黒田は観測霊基を見たまま言う。

 

「届いてしまうからです」

 

「……は?」

 

「届くことが、あなたを壊す」

 

 静馬の顔が歪む。

 

「届かなきゃ勝てないでしょうが!」

 

「勝つ話をしていません」

 

 黒田は淡々と言った。

 

 その言葉に、アレクセイは胸を突かれた。

 

 勝つ話ではない。

 

 帰る話だ。

 

 彼自身、何度もそう言われてきた。

 

 なのに、戦いが始まると、すぐ勝つ手を探してしまう。

 

 静馬も同じだった。

 

 届きたい。

 

 勝ちたい。

 

 証明したい。

 

 人間でも英霊に届くと。

 

 自分は、東洋の猿真似などではないと。

 

 半端な分家ではないと。

 

 観測霊基が再び動く。

 

 今度は園部へ。

 

 薙刀の間合いの内側へ、一瞬で入り込もうとする。

 

 園部は下がらない。

 

 薙刀の柄が、床すれすれを走る。

 

 刃ではない。

 

 石突。

 

 観測霊基の足元を払う。

 

 だが当たらない。

 

 観測霊基は、もうそこにいない。

 

 次の瞬間、園部の袖が裂けた。

 

 血は出ない。

 

 紙一重。

 

 園部は微笑んだ。

 

「速いですね」

 

 穏やかな声。

 

 けれど、アレクセイは気づく。

 

 園部の足が、ほんの少しずつ後ろへ送られている。

 

 逃げているのではない。

 

 誘っている。

 

 間合いを測っている。

 

 薙刀の先端が、一寸ずつ観測霊基の位置を変えている。

 

 黒田が初動を止める。

 

 園部が間合いを育てる。

 

 真澄が方位を固定する。

 

 静馬だけが、前に出たがっている。

 

 観測者の声が、道場に響いた。

 

『面白い』

 

 観測霊基の表面に、新しい術式が走る。

 

『速さだけでは足りないか』

 

 床に刻まれた傷が光る。

 

 薙刀の跡。

 

 朝稽古の跡。

 

 千本の記録。

 

 園部の「一千本の朝稽古」。

 

 その戦闘ログが、観測霊基へ流れ込む。

 

 白い剣士の足運びが変わった。

 

 先ほどまで、ただ速かった。

 

 今は違う。

 

 一撃ごとに、精度が上がる。

 

 黒田の初動隠蔽。

 

 園部の積算。

 

 速い。

 

 そして、長引くほど強い。

 

 真澄が舌打ちした。

 

「混ぜてきた……!」

 

 観測霊基が踏み出す。

 

 金属音。

 

 黒田が受ける。

 

 二撃目。

 

 さらに速い。

 

 三撃目。

 

 角度が深い。

 

 四撃目。

 

 黒田の袖が切れる。

 

 五撃目。

 

 園部の薙刀が間に入る。

 

 六撃目。

 

 真澄の札が裂ける。

 

 七撃目。

 

 静馬の頬に血が走る。

 

「ッ!」

 

 静馬の身体から、光が強くなる。

 

 祝詞が漏れる。

 

 使う気だ。

 

 アレクセイは叫ぼうとした。

 

 だが声が出る前に、園部が言った。

 

「神代様」

 

 静馬が止まる。

 

 園部は、観測霊基から目を離さない。

 

「あなたは、何をしにここへ来ましたか」

 

「戦いに来た」

 

「違います」

 

 園部の薙刀が、観測霊基の刃を受け流す。

 

 床が鳴る。

 

「帰るためです」

 

 その言葉が、道場に落ちた。

 

 アレクセイは息を止める。

 

 自分が言うべき言葉だった。

 

 けれど今は、園部の声の方が届く。

 

 静馬の歯が鳴る。

 

「帰るために、勝つんだろうが」

 

「勝つために壊れるなら、帰っていません」

 

 園部の声は柔らかい。

 

 だからこそ、逃げ場がない。

 

 観測霊基の攻撃が重くなる。

 

 十撃。

 

 十五撃。

 

 二十撃。

 

 積まれていく。

 

 真澄が札を貼る。

 

「中央土気、固定!」

 

 床が一瞬だけ沈む。

 

 観測霊基の足が止まる。

 

 黒田が斬り込む。

 

 だが浅い。

 

 観測霊基は、その斬撃すら記録する。

 

 次の一歩で、より良くなる。

 

 静馬が叫んだ。

 

「このままじゃ、あいつは千本目に行く!」

 

 園部が頷いた。

 

「はい」

 

「分かっててやってるんですか!」

 

「分かっています」

 

「なら!」

 

「だから、千本目へ行かせません」

 

 園部の薙刀が、すっと床へ下りた。

 

 構えが変わる。

 

 攻めの構えではない。

 

 待つ構え。

 

 けれど、ただの防御でもない。

 

 観測霊基が動く。

 

 今度は黒田ではなく、園部へ。

 

 神速の初動。

 

 積算された角度。

 

 完璧に近い踏み込み。

 

 だが。

 

 園部は一歩、遅れて動いた。

 

 遅い。

 

 アレクセイにはそう見えた。

 

 間に合わない。

 

 斬られる。

 

 そのはずだった。

 

 薙刀の柄が、観測霊基の刃の根元に触れる。

 

 刃先ではない。

 

 力の生まれる前。

 

 速度が速度になる前。

 

 型が型として走り出す、その前。

 

 そこに、園部の柄があった。

 

 観測霊基の斬撃がほどける。

 

 黒田が言った。

 

「そこです」

 

 その瞬間、静馬の身体が勝手に前へ出た。

 

 神降ろしではない。

 

 筋力強化でもない。

 

 ただの一歩。

 

 だが、これまでの静馬の一歩ではなかった。

 

 強く踏まない。

 

 床を蹴らない。

 

 届こうとしない。

 

 むしろ、半歩だけ下がる。

 

 観測霊基の刃が、静馬の鼻先を通った。

 

 届かない。

 

 届かなかった。

 

 静馬の目が見開かれる。

 

 彼は、初めて理解した。

 

 届かない位置にいることは、負けではない。

 

 壊れない位置にいることは、逃げではない。

 

 そこにいるから、次がある。

 

 静馬の手が、観測霊基の肘へ触れた。

 

 触れただけ。

 

 押していない。

 

 殴っていない。

 

 だが、園部の柄が作った崩れに、静馬の一歩が合った。

 

 観測霊基の軸がずれる。

 

 黒田が動いた。

 

 今度は神速ではない。

 

 ゆっくりに見えた。

 

 刀が、観測霊基の首ではなく、足元の影を斬る。

 

 影。

 

 いや、観測塔が床へ刻んだ戦闘ログ。

 

 初動隠蔽の記録線。

 

 それを斬った。

 

 観測霊基の動きが止まる。

 

 園部の薙刀が、胸元へ入る。

 

 刃ではなく、柄。

 

 突かない。

 

 貫かない。

 

 ただ止める。

 

 観測霊基は立ったままだった。

 

 倒れていない。

 

 壊れていない。

 

 だが、動けない。

 

 黒田が言った。

 

「型には理由があります」

 

 観測者の声は返らない。

 

 黒田は続ける。

 

「どこで立つか」

 

 園部が言う。

 

「どこで待つか」

 

 静馬が、息を吐く。

 

「どこまで届かないか」

 

 その言葉を、自分で言ってから。

 

 静馬は、ようやく膝をついた。

 

 痛みではない。

 

 力が抜けたのだ。

 

 身体神降ろしは発動していない。

 

 だから身体は壊れていない。

 

 ただ、人間として膝をついた。

 

 真澄が駆け寄る。

 

「静馬!」

 

「うるさい」

 

「無事?」

 

「見りゃ分かるだろ」

 

「分からないから聞いてるの!」

 

 静馬は顔をそむけた。

 

「……無事だ」

 

 真澄は一瞬だけ目を細める。

 

 怒るかと思った。

 

 だが、怒らなかった。

 

 代わりに、彼の肩へ札を貼る。

 

 治療ではない。

 

 固定。

 

 彼がそこで座っていられるように。

 

 静馬はそれを剥がさなかった。

 

 アレクセイは、白い道を見た。

 

 戦闘記録が変わっていく。

 

 剣撃の軌跡。

 

 薙刀の間合い。

 

 静馬の半歩。

 

 真澄の固定。

 

 それらが、勝利の記録ではなくなっていく。

 

 黒田が斬ったもの。

 

 園部が止めたもの。

 

 静馬が届かなかった場所。

 

 真澄が座らせた場所。

 

 それらが、帰還路になる。

 

 水星の青が、床板の傷に染み込む。

 

 土星の黒が、道場の四隅を押さえる。

 

 アレクセイは膝をついた。

 

 魔術回路が熱い。

 

 息が苦しい。

 

 だが、分かる。

 

 道が太くなっている。

 

 観測塔は、戦闘を記録する。

 

 しかし、今ここに残ったのは、倒した記録ではない。

 

 届かなかった記録。

 

 待った記録。

 

 止めた記録。

 

 座った記録。

 

 それでも前に進める記録。

 

 観測霊基の表面が崩れ始める。

 

 白い器が、細かな光になってほどける。

 

 崩壊ではない。

 

 返納。

 

 霊脈へ、形だけが戻っていく。

 

 観測者の声が、ようやく響いた。

 

『なぜだ』

 

 それは、怒りというより困惑だった。

 

『速さは記録した』

 

『間合いも記録した』

 

『一撃ごとの補正も記録した』

 

『神降ろしの起動条件も把握していた』

 

 一拍。

 

『なぜ、届かない一歩に負ける』

 

 黒田は刀を納めた。

 

「勝とうとしたからです」

 

 園部が薙刀を下ろす。

 

「続けようとしたからです」

 

 静馬は床に座ったまま、吐き捨てるように言った。

 

「帰る気がなかったからだろ」

 

 観測者は黙った。

 

 アレクセイは静馬を見た。

 

 静馬は視線を逸らす。

 

「見るな」

 

「いや」

 

「見るなって言ってる」

 

「すごかった」

 

 静馬の眉が動く。

 

「届かなかったのにか」

 

「届かなかったから」

 

 アレクセイは言った。

 

「すごかった」

 

 静馬は何も言わなかった。

 

 ただ、握っていた拳を開いた。

 

 爪が掌に食い込んでいた。

 

 血が少しだけ滲んでいる。

 

 真澄がそれを見て、静かに布を巻いた。

 

 誰も「成長した」とは言わなかった。

 

 誰も「救われた」とは言わなかった。

 

 ただ、静馬は立たなかった。

 

 それが、この場で一番大きな変化だった。

 

 植芝が小さく笑う。

 

「よう下がった」

 

 静馬は顔をしかめた。

 

「褒めてます?」

 

「もちろんじゃ」

 

「嬉しくない」

 

「そのうち分かる」

 

「分かりたくない」

 

 園部が微笑んだ。

 

「若い方は、それでよろしいのです」

 

 黒田は何も言わない。

 

 ただ、道場の奥を見ていた。

 

 アレクセイもそちらを見る。

 

 白い道が、さらに先へ続いている。

 

 だが、その先にある空気は違った。

 

 冷たくない。

 

 熱くもない。

 

 静かだった。

 

 あまりに静かで、逆に怖い。

 

 そこに、塔の中心がある。

 

 観測者の声が、低く響く。

 

『認めよう』

 

 一拍。

 

『君たちは、戦闘記録の意味を変え始めている』

 

 アレクセイは立ち上がる。

 

 足が震えた。

 

 真澄がそれを見て、何も言わずに横へ来た。

 

 肩を貸すのではない。

 

 ただ、隣に立つ。

 

 アレクセイはそれだけで少し楽になった。

 

 観測者は続ける。

 

『だが、記録を否定するなら答えろ』

 

 道場の床が割れる。

 

 奥に階段が現れる。

 

 下へ。

 

 さらに深く。

 

 観測塔の中心へ。

 

『師は死ぬ』

 

 一段目に、古い道場の影。

 

『弟子は途絶える』

 

 二段目に、焼けた巻物。

 

『戦火は技を奪う』

 

 三段目に、折れた刀。

 

『病は身体を奪う』

 

 四段目に、細い少年の影。

 

 アレクセイは、その影を見た。

 

 観測者だ。

 

 病弱だった少年。

 

 道場の外から稽古を見ていた男。

 

 英雄になれなかった男。

 

『それでも、人から人へなどと』

 

 声が震えていた。

 

『美しく言えるのか』

 

 誰も答えられなかった。

 

 黒田も。

 

 園部も。

 

 植芝も。

 

 真澄も。

 

 静馬も。

 

 アレクセイも。

 

 答えはまだ、中心にある。

 

 アレクセイは階段を見た。

 

 白い帯を握る。

 

 最初は勝つためだった。

 

 今は違う。

 

 だが、まだ足りない。

 

 帰るために戦う。

 

 それだけでは、観測者には届かない。

 

 失われる技をどうするのか。

 

 記録は必要なのか。

 

 人だけで本当に残せるのか。

 

 その問いが、階段の下からこちらを見ていた。

 

 アレクセイは息を吸った。

 

「行こう」

 

 植芝が頷く。

 

 黒田も。

 

 園部も。

 

 真澄も。

 

 静馬は立とうとして、真澄に睨まれた。

 

「歩ける」

 

「走らない」

 

「分かってる」

 

「神降ろしも禁止」

 

「……分かってる」

 

「今、間があった」

 

「分かってるって言っただろ」

 

 ボブが後ろから笑った。

 

「若いねえ」

 

 クララが冷たく言う。

 

「あなたも大概よ」

 

 ヘレナが舩坂を支え、舩坂は支えられていることを認めない顔で歩いている。

 

 シモとエイノは最後尾に立つ。

 

 誰も万全ではない。

 

 誰も完全ではない。

 

 それでも、全員いる。

 

 アレクセイは階段へ足をかけた。

 

 木の床が消える。

 

 道場の匂いが薄れていく。

 

 代わりに、薬品の匂いがした。

 

 古い紙。

 

 乾いたインク。

 

 保存液。

 

 それから、病室の匂い。

 

 階段の下に、観測者が待っている。

 

 英雄になれなかった男が。

 

 自分とよく似た男が。

 

 アレクセイは、もう一段下りた。

 

 その瞬間。

 

 全員の背後で、道場が静かに閉じた。

 

 刃の音は、もうしなかった。

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