『攻撃できないキャスターで聖杯戦争を勝ち抜く方法』   作:牛☆大権現

58 / 59
地上天国

 朝の山道に、二人分の足音がした。

 

 アレクセイと植芝盛平。

 

 他の者たちは、少し離れた場所で休んでいる。

 

 ヘレナはまだ負傷者を診ている。

 

 真澄は札を整理している。

 

 静馬は座ったまま、黒田から教わった立ち方を頭の中で繰り返している。

 

 クララは空薬莢を握っている。

 

 エイノは森を見ている。

 

 ヴィクトールは文句を言いながら、結局ヘレナの治療を受けている。

 

 皆、そこにいる。

 

 帰ってきた。

 

 それだけで、朝の山は静かだった。

 

 アレクセイは植芝の横を歩いた。

 

 歩くというより、足を置いているだけだった。

 

 身体は限界に近い。

 

 魔術回路は焼けている。

 

 骨も筋も痛む。

 

 だが、倒れない。

 

 倒れないように、歩く。

 

 それだけをしていた。

 

「先生」

 

「うむ」

 

「サーヴァントって、退去する時、どういう感じなんですか」

 

「知らん」

 

「知らないんですか」

 

「退去するのは初めてじゃからな」

 

「それはそうですけど」

 

 植芝は小さく笑った。

 

「じゃが、まあ、帰るのじゃろう」

 

「どこへ」

 

「来たところへ」

 

 アレクセイは、山道の土を見た。

 

 来たところ。

 

 英霊の座。

 

 霊基の記録。

 

 人の記憶。

 

 歴史の向こう。

 

 生きている者には、分かったようで分からない場所。

 

「寂しいですね」

 

 言ってから、アレクセイは少し驚いた。

 

 自分がそんなことを素直に言うとは思わなかった。

 

 植芝は驚かなかった。

 

「うむ」

 

「否定しないんですね」

 

「寂しいものは、寂しい」

 

「稽古じゃないんですか」

 

「寂しさも稽古じゃ」

 

「結局それだ」

 

 アレクセイは笑った。

 

 笑いながら、息が少し詰まった。

 

 視界が滲みかける。

 

 汗のせいにするには、朝は涼しかった。

 

 植芝は、彼を見ない。

 

 ただ、前を見て歩いている。

 

「お主は」

 

「はい」

 

「勝ちたかったな」

 

 アレクセイは足を止めた。

 

 植芝も止まる。

 

 山道の脇。

 

 木々の間から、朝日が差している。

 

 葉の先に朝露が光っている。

 

 アレクセイは、しばらく答えなかった。

 

 勝ちたかった。

 

 その言葉は、胸の奥にまだ残っている。

 

 聖杯を得たかった。

 

 認められたかった。

 

 名門の魔術師として、エルメロイ教室の生徒として、誰かに自分の価値を証明したかった。

 

 それは、消えていない。

 

 消えたわけではない。

 

「勝ちたかったです」

 

 アレクセイは言った。

 

「今も、少し」

 

「うむ」

 

「でも」

 

 懐の稽古帳に触れる。

 

 薄く、軽い。

 

 空白ばかりの帳面。

 

「勝つためだけなら、たぶんここまで来られなかった」

 

 植芝は何も言わない。

 

 アレクセイは続けた。

 

「勝とうとしたら、誰かを置いてきたと思います」

 

 ルーデルを撃ち落としていたかもしれない。

 

 舩坂を戦わせ続けていたかもしれない。

 

 静馬に神を降ろさせていたかもしれない。

 

 シモに撃たせていたかもしれない。

 

 ヘレナに治し続けさせていたかもしれない。

 

 観測者を、ただ敵として消していたかもしれない。

 

 自分も壊れていたかもしれない。

 

 勝つことは、できたかもしれない。

 

 でも、帰れなかった。

 

「先生」

 

「うむ」

 

「俺は、勝てましたか」

 

 言ってから、アレクセイは唇を噛んだ。

 

 結局、聞いてしまった。

 

 勝者なし。

 

 聖杯なし。

 

 願いなし。

 

 それでいいと言った。

 

 それでも、自分の中のどこかに、まだ判定を求める子供がいる。

 

 よくやったと言われたい。

 

 お前は勝ったと言われたい。

 

 情けないと思った。

 

 だが、植芝は笑わなかった。

 

 老人はアレクセイへ近づいた。

 

 そして、彼の白い帯に手を伸ばした。

 

 いつの間にか、帯は緩んでいた。

 

 塔の中で投げ、引き、結び、誰かを支えた帯。

 

 土と血と煤で汚れている。

 

 植芝は、その帯を直した。

 

 強く締めすぎない。

 

 緩すぎもしない。

 

 呼吸できるだけの余白を残して。

 

「帰ったではないか」

 

 それだけだった。

 

 アレクセイは、息を吸った。

 

 胸の奥で、何かがほどけた。

 

 勝ったとは言われなかった。

 

 強くなったとも言われなかった。

 

 認められたとも言われなかった。

 

 ただ、帰ったと言われた。

 

 それが、何より欲しかった言葉だった。

 

「……はい」

 

 声が震えた。

 

「帰りました」

 

「うむ」

 

「みんなで」

 

「うむ」

 

「先生も」

 

 植芝は少しだけ目を細めた。

 

「ワシも、帰る」

 

 その言葉で、朝の音が遠くなった。

 

 アレクセイは、植芝の輪郭が薄くなっていることに気づいた。

 

 さっきより、はっきりと。

 

 光が透けている。

 

 白い髭も、袴の裾も、朝日の中に溶けかけている。

 

 アレクセイは手を伸ばしかけた。

 

 止める。

 

 掴むための手ではない。

 

 引き留めるための手でもない。

 

 彼は、手を下ろした。

 

「見送ります」

 

「うむ」

 

「ちゃんと」

 

「うむ」

 

 植芝は、山道の少し開けた場所に立った。

 

 そこは小さな平地だった。

 

 昨日までは、ただの山道だったかもしれない。

 

 今は、朝稽古の場所に見えた。

 

 アレクセイは正面に立つ。

 

 膝が震える。

 

 身体は痛い。

 

 それでも立つ。

 

 植芝は言った。

 

「最後に一つ」

 

「はい」

 

「地上天国とは、何じゃと思う」

 

 アレクセイは顔を上げた。

 

 植芝の願い。

 

 地上天国。

 

 争いのない世界。

 

 人が人として生きる場所。

 

 観測者は、それを管理された平和として提示した。

 

 衝突を抑え、技を保存し、人の選択を計算し、争いが起きないように調整する世界。

 

 美しいようで、檻だった。

 

 植芝はそれを拒んだ。

 

 では、何なのか。

 

 アレクセイは考えた。

 

 答えはすぐには出ない。

 

 出てはいけない気もした。

 

 稽古帳の余白のように。

 

「分かりません」

 

 彼は言った。

 

「でも」

 

 山の朝を見る。

 

 傷だらけの参加者たちを見る。

 

 治療を拒むヴィクトールと、許さず治療するヘレナ。

 

 座っている静馬。

 

 札を畳む真澄。

 

 空薬莢を握るクララ。

 

 森へ礼をするエイノ。

 

 眠りかけるボブ。

 

 刀の型を思い出すように立つ静馬。

 

 そこに、争いのない理想郷はない。

 

 傷もある。

 

 不満もある。

 

 悔しさもある。

 

 別れもある。

 

 それでも、誰も今、殺し合っていない。

 

 誰かを帰すために、自分の技を使った。

 

「一度作ったら終わるものじゃないと思います」

 

 アレクセイは言った。

 

「管理するものでもない」

 

 植芝は黙って聞いている。

 

「たぶん、そのたびに作るものです」

 

「そのたびに?」

 

「ぶつかりそうになった時に、止まる」

 

 一拍。

 

「殺せる時に、撃たない」

 

「届ける時に、壊れない」

 

「治せる時に、戦わせない」

 

「勝てる時に、帰す」

 

 アレクセイは息を吐いた。

 

「そのたびに、稽古するものだと思います」

 

 植芝は、しばらく何も言わなかった。

 

 朝の風が吹く。

 

 木々が揺れる。

 

 遠くで鳥が鳴く。

 

 やがて、老人は笑った。

 

「よい」

 

 アレクセイの胸が詰まる。

 

「合ってますか」

 

「知らん」

 

「知らないんですか」

 

「ワシも稽古中じゃ」

 

 アレクセイは笑った。

 

 今度は、涙が少し出た。

 

 誤魔化さなかった。

 

 拭いもしなかった。

 

 植芝は、両手を下げる。

 

 構えではない。

 

 礼の前の静けさ。

 

「アレクセイ」

 

「はい」

 

「お主は、英雄ではない」

 

「はい」

 

「達人でもない」

 

「はい」

 

「まだまだ、足も乱れる」

 

「はい」

 

「すぐ見栄を張る」

 

「……はい」

 

「考えすぎる」

 

「はい」

 

「足りんものを、外から足そうとする」

 

「はい」

 

「じゃが」

 

 植芝は、アレクセイを見た。

 

「帰る道を作った」

 

 アレクセイは、言葉を失った。

 

「それは、よい武じゃ」

 

 風が止まったように感じた。

 

 よい武。

 

 勝つための武ではない。

 

 壊すための武ではない。

 

 帰るための武。

 

 この聖杯戦争の最初から、ずっと問われていたもの。

 

 武とは何か。

 

 その答えを、植芝は説明しなかった。

 

 ただ、アレクセイの選択に置いた。

 

 アレクセイは頭を下げた。

 

 深く。

 

 稽古の終わりの礼。

 

 弟子としての礼。

 

 見送る者としての礼。

 

 植芝も礼を返した。

 

 その姿が、朝日の中で透けていく。

 

「先生」

 

「うむ」

 

「ありがとうございました」

 

「うむ」

 

「俺、ちゃんと稽古します」

 

「うむ」

 

「たぶん、サボります」

 

「うむ」

 

「そこは叱ってください」

 

「サボったら、真澄が叱るじゃろう」

 

 少し離れた場所から、真澄の声が飛んだ。

 

「聞こえてるからね!」

 

 アレクセイは思わず笑った。

 

 植芝も笑った。

 

 その笑い声が、朝の空気に溶けていく。

 

「先生」

 

「うむ」

 

「また会えますか」

 

 植芝は答えなかった。

 

 しばらく、空を見た。

 

 それから、アレクセイの足元を見た。

 

「足を置け」

 

 アレクセイは言われた通り、左足を置いた。

 

「息を吐け」

 

 息を吐く。

 

「中心を探せ」

 

 膝を緩める。

 

 地面を感じる。

 

「そこにおればよい」

 

 植芝の声が、少し遠くなる。

 

「会うとは、そういうこともある」

 

 アレクセイは顔を上げる。

 

 植芝の姿は、もう半分ほど光に溶けていた。

 

 それでも、そこにいる。

 

 確かに、そこに立っている。

 

「地上天国は」

 

 植芝が言った。

 

「遠くに作るものではない」

 

 一拍。

 

「足元からじゃ」

 

 最後に、老人はいつものように笑った。

 

「では、帰る」

 

 光が強くなったわけではない。

 

 音が鳴ったわけでもない。

 

 ただ、植芝盛平の姿が、朝の中へ消えていった。

 

 そこには何も残らなかった。

 

 宝具の痕跡も。

 

 魔力の残光も。

 

 言葉の刻印も。

 

 ただ、足跡だけが残っていた。

 

 朝露の中に、二人分の足跡。

 

 片方は、少しずつ薄れていく。

 

 アレクセイは、しばらく動けなかった。

 

 やがて、真澄が近づいてきた。

 

 何も言わない。

 

 隣に立つ。

 

 アレクセイは、涙を拭った。

 

「泣いてない」

 

「まだ何も言ってない」

 

「先に言っておいた」

 

「馬鹿」

 

 真澄はそう言って、アレクセイの帯を見る。

 

「緩んでる」

 

「先生が直してくれた」

 

「もう緩んでる」

 

「……俺のせいかな」

 

「そうでしょ」

 

 真澄は手を伸ばし、帯を締め直した。

 

 植芝とは少し違う。

 

 ややきつい。

 

 アレクセイは小さく息を詰めた。

 

「きつい」

 

「逃げないように」

 

「何から」

 

「稽古から」

 

 アレクセイは笑った。

 

 笑いながら、もう一度足元を見た。

 

 足跡は、ほとんど消えていた。

 

 でも、完全には消えていない。

 

 少なくとも、今の彼には見えた。

 

 懐の稽古帳を取り出す。

 

 最初のページを開く。

 

 白紙。

 

 余白。

 

 アレクセイは、焦げた護符の端を筆代わりにした。

 

 インクなどない。

 

 だから、炭で書いた。

 

 最初の一行。

 

 手が震える。

 

 字は汚い。

 

 でも、書いた。

 

何のために立つか。

 

 少し考えて、その下に書き足す。

 

帰るために。

 

 真澄が横から覗き込む。

 

「字、汚い」

 

「うるさい」

 

「でも、まあ」

 

「まあ?」

 

「最初なら、いいんじゃない」

 

 アレクセイは帳面を閉じた。

 

 朝は、もう完全に明けていた。

 

 勝者のいない聖杯戦争。

 

 願いの叶わなかった聖杯。

 

 帰っていったサーヴァントたち。

 

 名前を聞けなかった観測者。

 

 そして、残された問い。

 

 アレクセイは一歩を踏み出した。

 

 植芝がいない朝に。

 

 それでも、足元を確かめながら。

 

 帰った者として。

 

 次の稽古へ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。