貴方は自分に出来ることを知っている。
貴方は自分に出来ないことを知っている。
他人の人生を奪うことが出来ても、自分の“ヒト”という種族としての人生が終わることを認められない臆病者であることを自覚している。だからこそ貴方は学習することが自分に出来る最大の努力だと考えていた。
そして努力するためには正しい知識が必要である。正しく成長するために必要な道程の認識と言い換えても良い。進むべきゴールと歩むべきルートを理解していなければ、それは無駄な努力であり時間の浪費でしかない。
その正しさを証明するためには第三者による客観的な評価をしてもらうのが良いだろう。当然だが「殺したい相手がいるから相談にのって欲しい」などと家族や友人、幼馴染に言えるハズがない。迷える信徒を導いてくれるのは尽きぬ信仰心と神の声に他ならない。
帰宅。
夕食の準備が進む香り。
父親と、母親と、妹。三者三様の「おかえり」に、貴方は努めて朗らかに「ただいま」と返す。夕食が始まれば幼馴染の女の子とのデートについて聞かれることになる。それは貴方がまだ人間性を保ち日常を生きる権利があると証明してくれる大事な儀式であった。
母親が言うにはあと30分ほどで食事の支度が終わるらしい。それだけの時間があれば、ひとまず報告などを済ませるには充分だった。貴方は少しだけ部屋で休息をとると言い残して自室のある2階に上がる。妹も中学生になってからはプライベートを尊重することに慣れたのか、以前のようにノックもせず部屋に入ってくることも無くなったので邪魔をされる心配はしなくてもよい。
「ただいま戻りました」
『おかえり、愛しき我が子。なにやら愉快な事象が発生したようだね? ワタシのほうでも観測したよ。ループの起点が変更されたことは。今回のお出かけイベントでいったいナニがあったのか、詳しく教えて貰おうかな?』
「正確にはあの子を家に送り届けたあとに、です。いつかは現れると覚悟していましたが、ついに出てきましたよ。僕以外に神秘を使える人が」
『そう。うん、そうだろうね。キミからワタシ以外の……この感じは新しき秩序の神々のモノかな? 実に
「はい。失礼します」
畳んだままの布団を枕代わりにして貴方は目を瞑る。
彼女の気配が貴方の胴体を跨ぎ、ピタリと両耳に掌が添えられた。
密着する彼女の肉体は控え目ながらも女性的な柔らかさはしっかりと備えており、額に当てられた唇の感触と合わせて貴方の雄らしい本能を刺激する。
下半身に血液が集まる感覚。慣れることも無ければ恥ずかしさが消えることもないだろう。そのまま貴方は五感の支配権を手放し、全身を包む柔らかく温かいモノに身を委ねた。
貴方は彼女の言葉を聞いてはならない。
貴方は彼女の行為を見てはならない。
人間である貴方には、邪なる神であり上位存在である彼女が執り成す儀式について理解する権利は与えられていない。
貴方はただ、彼女に身を委ねるだけだ。狂信者のひとりとして敬愛する神から与えられる寵愛に全てを委ねる以外の選択肢は必要ない。首から下の感覚は既に無く、耳に当てられた掌と額に当てられた唇の感触だけが残っている。
そのまま数時間、数カ月、数百年もの時間が経過したかのような錯覚が終われば、彼女は鼻歌でも聴こえてきそうなほど清々しい表情で貴方の覚醒を出迎えた。
全身に染み渡る倦怠感は性行為で日付を跨いだときのそれと同じであり、一瞬だけ幼馴染の女の子の顔が思い浮かぶが……貴方はナニが起きていたのかは知らないし、これは人知の及ばぬ神の儀式なのだから浮気ではない。故にセーフだと言い聞かせることにしていた。
『まず、結論から』
「はい」
『この男が巻き戻りに関与している可能性は高いけれど、この男が時間を歪めている可能性は限り無く低い。偶然、キミの世界線というリングと、この男の世界線というリングの一部が接触してしまった……と、いったところかな?』
「別々のサーバーで遊んでいたハズが、なんらかのエラーでオンラインで繋がってしまった……みたいな感じですかね?」
『理解できない現象を既知の何物かで代替するのはとても賢いことだよ。神秘との付き合い方として理想的だね。あとはまぁ、あの男は処分してしまわないと面倒だ……ってことさえ理解してくれればそれでいいかな』
「そうですね。僕ではない【僕】もお世話になったみたいですし、僕の家族の死因について無関係というワケでもなさそうですからね。アレは必ず殺します。そのためにも、アレがどんな恩恵を与えられているのかを知らないことには────」
『あ、それはダメだよ。契約違反になるから』
「そうですね。契約違反はダメ……はい?」
『何度も教えてあげたじゃないか。人間がワタシたちの恩恵を真の意味で理解しようとしてはいけないって。神の秘密と書いて神秘、それを覆うヴェールは美しく儚く柔らかい物さ。でもね? 人間がそれを捲ることは許されない』
「いや、あの……神秘の説明は確かに聞きましたけど、ほんの少し、こう、対策を考えるとか、そういう」
『実際に起きた現象について対処するのは全然オッケー。でもロジックを解き明かそうとするのはグレーゾーン。神秘の正体に迫るのは超余裕でアウト。ヒトのまま生きヒトのまま祈りを捧げヒトのまま死ぬ。そういう約束だろう? ま……初めての使徒同士の殺し合いだからね。多少の不利は仕方ないんじゃない?』
「えぇ……? 多少どころじゃなく不利だと思うんですけど。僕の銃の使い方とか知ってますよね? ぶっちゃけ火力の高い近接武器ですよ? 反動こそ腕力で抑え込めますけど、そもそも遠くの的に当たらないんですし」
貴方が学習した事象のひとつには“異世界でもなんでも転生者が当たり前のように銃器を使ってたりするけど、あんなん絶対に嘘だ。満足に訓練していない素人の射撃なんて簡単に当たるワケない”といった内容も含まれている。
とはいえ、彼女からの要求は無茶ではあるが道理ではあった。貴方は狂信者ではあるが狂人とは少し違う。
神秘に近付き過ぎた人間は最初に精神がヒトの枠から外れ、それに引っ張られるようにして肉体もヒトの枠から外れることになる。
ヒトでなくなれば神秘もある程度まで自由に行使できるようになるが、彼女はそれを望んでいない。
つまり貴方は人間のまま死ぬために、神秘に対して対価を支払いながら戦う必要がある。自分と同等以上に神秘を使ってくる相手に対して。
「初めてのタイムリープから今日まで、自分以外のそういう相手とは出会ったことが無かったけど……想像の何倍も厄介というかなんというか。能力バトルって、相手の手札を解き明かすのがお約束って当たり前のように思ってたのに」
『デッキ構築にじっくり時間を掛けて駆け引きを楽しむカードゲームというよりも、気合いと筋肉で押し通るベーゴマやメンコのほうが近いかな? あとは向こうの神が何を目的として使徒に恩恵を与えたのか、それから、どちらの神の寵愛のほうが上か。もちろんワタシからキミへの愛は宇宙の意志すら及ばないほど強いけどね!』
「愛に全てを、って言い方だと少しは希望を感じることが出来て良いですね。本当に気休めにしかなりませんけど」
『作戦会議の続きは夕食を済ませてからにしよう。そろそろ呼ばれる頃合いじゃないかな? あんまり遅いとキミの妹が部屋までやって来てしまう。ワタシは別に困らないけれど、自分の兄が部屋で独り言をブツブツ呟いているのは聞いていて気持ちの良いモノではないだろう?』
それは貴方がまだ日常の中に生きていることを教えてくれる食事の香りであった。貴方はまだ食事の喜びを感じることが出来る。貴方の肉体はまだ人間らしい普通の食事を求めている。人間の三大欲求が機能しているのは貴方にとって非常に喜ばしいことだ。
「では、失礼して夜ご飯いってきます。そういえば、僕って明日に行けるんですかね?」
『逆に聞きたいんだけど、行けると思っているのかな? いきなり使徒が現れてタイムリープの起点が更新されたこのタイミングで』
「そういうところはお約束が適用されるんですね……」