アルセリオンの歌声   作:飛鳥 螢

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序  章  (とき) の 追 憶 ~賢智院(アルセルス)術者(ルーサー)

 かつて、この地上には一つの文明が栄えていた。

 人々は皆たおやかでこの上もなく美しい容姿を持ち、争いを嫌い、自然をこよなく愛する彼等は、その恩恵を受けて飢える事もあくせく働く事も無く、楽園(ファラセンス)の中で穏やかに暮らしていたという。

 その文明文化の水準は極めて高く、一切の無駄を省き、細部に至るまで計算し尽くされた完璧なバランスの許にそれらは存在していた。特に芸術方面ではその粋を極め、至高の美を余すところなく表現し、造り出していた。

 その彼等の文明と文化を支えていたのは、独特の音律を有する言語(ルーン)だった。

 それは創始の言葉であり、世界を構成する全ての物の本質に直接働き掛ける力を持っていた。

 彼等はその言葉を使ってそれらに呼び掛け、力を貸し与えて貰う事により、栄華をものにしてきたのである。

 しかし、彼等はある時を境にして、この地上から忽然と姿を消した。衰退による滅亡ではなく、繁栄途中のまだ若い種であるにもかかわらず。

 何故彼等は姿を消したのか、慣れ親しんだ土地を捨て、何処へ行ってしまったのか。密林の中に埋没して忘れ去られた彼等の建造物は、黙して語らない。

 ただ、その中に在りし日の栄華を損なうことなく留め、現世に伝えるのみであった。

 自然と共に生き、栄えた()の民達を、後世の人々はこう呼んだ。

 ——自然の恵みを受けし者(アルセリオン)——

 と………

 

          ∮  ∮  ∮ 

 

 ——今から三百五十年程前、密林の奥地に分け入った一人の若者が、樹々が覆い被さり密林の中に埋没した石造りの巨大な建造物を発見した。

 その知らせを耳にした学者達がそれを調査した結果、驚くべき事実が判明した。

 まずそれらは造られてから少なくとも五千年以上前の物であり、また当時の建築技術では到底造りえる物ではなかった。

 そして、この建築物の石壁に彫られたレリーフにより、かつてこの地には自分達の祖先が生まれる遥か前に、豊かな高い知性を持った異なる種族がいた事が判ったのだ。伝説の中にのみ存在し、長い間架空の種族と思われていた「アルセリオンの民」が。

 この事が切っ掛けとなり、各地で次々と新たな遺跡が発見され、様々な分野の学者がこぞって彼等の研究に没頭していった。

 だが、アルセリオンの民達は唯の伝説として長く架空の者達とされ、また遺跡の中に彼等の記録らしきものも残されていなかった。

 その為彼等を知る手がかりは各地に残る僅かな云い伝えと遺跡のレリーフ以外になく、研究は瞬く間に暗礁に乗り上げた。

 多くの学者は匙を投げ、自分達本来の研究に戻って行った。が、諦めずに忘れ去られた種族の研究を続ける者も僅かながらに居た。

 その内の一人、タナン王国のファムス地方に住む言語学者の若者が、長い間石壁を飾る為に彫られたと思われていた優美な文様が実は彼等の文字であり、一生を掛けてその解読に成功したのである。

 それは伝説に云い伝えられている様にアルセリオンの民達がこれらの独特な音律を有する言語(ルーン)によって、自然の力を自在に操っていた事を証明するものであった。

 それによりアルセリオンの民達の研究は飛躍的に進み、彼等が有していた様々な技術の恩恵を人々は少なからず受ける事が出来る様になった。

 時のタナン王国はその者の功績を称え、彼の故郷であるソリスティスに賢智院(アルセルス)を建立した。彼の後を継ぎ、まだ解明されていないアルセリオンの民達の言語を初めとする、優れた文明文化を研究する目的で。

 そして、後にそれは国を問わず広く優秀な人材を集め、それらの研究者を育成する学び舎へと変わっていった。

 

 

 アルセルスの中庭を一人の女性が本を手に、ハァッと深い溜息をつきながらトボトボと歩いていた。

 艶やかな蜂蜜色の髪(ハニー・ブロンド)に菫色の瞳を持つたおやかな若い女性である。このアルセルスで音韻言語学を学ぶ唯一の女学生だった。この時分女性が学院などで学問を学ぶ風潮はなく、彼女の様な者は非常に珍しかった。

 歳は二十歳を過ぎ、もう嫁いで子供の一人や二人いても良さそうな年齢に達していた。が、今の彼女は世間一般の常識から外れている自分の境遇を憂いているというより、もっと切実な問題で悩んでいた。

 それは、そろそろ発表される筈の先々週受けた術者(ルーサー)の資格試験の結果であった。

 ルーサーとは一般に「術者」と言われるが、別に不可思議な術が使える訳ではなかった。アルセリオンの言葉(ルーン)は自然の力を自在に操る力を持っていた。

 だが、その言葉の持つ独特の音律は、人が正しく発音するのは難しすぎるものだった。ただルーンの音韻をなぞって唱えるだけでは、かつてのアルセリオンの民達の様に自然の力を扱う事は出来なかったのだ。

 それ故、ルーサーはルーンを正しく理解し、正確にルーンを唱えてある程度自然の力を操る事の出来る者に与えられる称号だった。

 彼女は音韻言語学の師であるウズベィク教授に勧めら(そそのかさ)れて、初めてそれを受けてみたのだ。

 資格試験の内容は筆記と実技があり、合格するには二つの試験の点数を合わせてではなく、どちらも合格ラインを越えなくてはならなかった。

 実技の方は上って多少声がうわずってしまったが、何とか唱えた通りの効果が出たので上手くいったと思う。問題は筆記の方だった。後で試験の内容を思い返してみて、あれはああ書けば良かったとか、あの説明はこっちの方を書けば良かったなどという箇所が二つ、三つ、…五つ、六つ……と、両の手どころか足の指を加えても足りなくなる程ボロボロ出てきたのである。

 溜息の一つや二つ、出したくもなろうというものである。

「…——スティシア、エル・スティシアっ」

 不意に広い中庭一杯に、張りのある老人の声が響き渡った。

 そこを横切ろうとしていたハニー・ブロンドの女性は、自分の名を呼ぶその声にハッとして足を止めた。

 三十メートル程離れた回廊の所で、声の主が彼女に向かってこっちに来るよう手招きしている。六十歳後半の頭が見事に禿げ上がった恰幅のよい老人だ。

「ウズベィク教授、そんな大声を出されて、何か私に用ですか?」

 エル・スティシアは小走りに回廊の所まで行き、呆れたように自分の師を見た。

 こんな所で年甲斐もなく大声を出して、恥ずかしくないのかと。

 当のウズベィクは全く気にする素振りも見せずに、にこにこして応えた。

「おお、エル・スティシア。たった今届いた吉報を教えてやろうと思ってな」

「吉報……ですか?」

 疑り深そうに、エル・スティシアは人の良さそうな禿げ頭の自分の師を見た。

 基礎学科からの付き合いともなると、流石に相手の性格も分かってくるようになる。

 ウズベィクの講義はとても判りやすいのだが、少年というより悪童のような悪戯心のあり過ぎるこの老人は、それ以外はどうとでも解釈できるような言い方をし、それを受けて相手がどう反応するかを楽しむという悪癖があるのだ。

 講義以外で彼の言葉を額面通りに受け取ると、後で馬鹿を見る場合が多かった。

 吉報を教えてやろうと言われても、エル・スティシアが素直に喜べないのも当然だ。

「そうじゃ、聞いて驚くんじゃないぞ」

 そう前置きして、教え子の反応を窺いながら、ゆっくりとウズベィクは言葉を継いだ。

「先々週行ったルーサーの資格試験の結果じゃがな」

 ルーサーの資格試験と聞いて、エル・スティシアは表情(かお)を強張らせた。

 今更聞かなくても、その結果は自分でもわかり過ぎる程判り切っていた。

 ——吉報なんて言っているけど、この教授の事だから「落ちたから、また半年みっちり勉強できて嬉しいじゃろう」とか言うに決まっているわ。

 エル・スティシアには恩師が、言わなくていいのに敢えて死刑執行を告げる意地の悪い刑吏に見えた。

「まぁ、初めてじゃったからな、そう期待しておらんかったしな……」

 そう言いながらウズベィクは教え子の顔色を窺った。

 エル・スティシアの顔付きが「ああ、やっぱり」という表情になる。

 禿げ頭の教授は軽く咳払いし、先を続ける。

「君の成績は予想したより少々悪かったが…——まぁ、ラインぎりぎりという処で合格じゃ」

 と、にんまりと笑う。

「え……ええっ!?」

 エル・スティシアは思わず手にしていた本を落とし、両手を口許に当てて大きく目を見開いた。

 俄かには信じられなかった。自分の願望が都合よく合格の上の「不」を聞き損ねたんじゃないかと、自分の耳を疑った。

「きょ、きょ、教授っ。ご、合格って、受かったって事ですよね!?」

 思わず念を押す。動転して声が上ずり、どもり気味になる。

「そうじゃ」

 予想通りの教え子の反応を、悪戯が成功した悪童のような表情で眺めやり、ウズベィクは鷹揚に頷いた。

 が、日頃の行いが行いなだけに、どうしても自分の師の言葉が信じられないエル・スティシアは回廊の縁に足を掛けて手摺りの上に身を乗り出し、ウズベィクの襟元をむんずと掴んで更に駄目押しした。

「教授、嘘じゃ無いですよね。ホントに、ホントーなんですよね?」

 知らず手に力が入り、ぐいぐいと絞め上げる。

「ほ、本当じゃ。ぐえっ……」

 首を絞められ、ウズベィクは顔を赤から更に青に変えて喘いだ。

「エ、エル・スティシア、く、首が…ぐ、ぐるじい……。し、死ぬぅ——」

「す、すいません」

 悲痛な師の訴えにハッと我に返り、エル・スティシアは慌ててぱっと手を離した。

 首を押さえ、ゼイゼイとウズベィクが息をつく。

 ——こ、殺されるかと思った……

 教え子の予想外の過激な反応に、ウズベィクの見事に禿げ上がった頭の上を、タラリと冷や汗が流れ落ちる。

「…——正式の発表は明後日じゃが、くれぐれも喜び勇んで周囲の者を絞め殺さんようにな」

 そう言うと、これ以上何かされては堪らんとばかりに、ウズベィクはそそくさとその場から立ち去って行った。

 後に残されたエル・スティシアは回廊の縁から降りて暫く茫然としていたが、徐に自分の頬を思いっ切りつねった。

「い…たい……」

 という事は——

「受かったんだわ。本当に……」

 頬の痛みと共に、じんわりと喜びが湧き上がってくる。

 ——これで、また一歩夢に近づいたわ……

「う、嬉しい……」

 胸元で両の指を組み、エル・スティシアはジーンとその想いに浸った。

 そこへ——

「どうしたんだティア、こんな所に突っ立って」

 声を掛ける者がいた。

 エル・スティシアが振り返ると、明るい茶色の髪をした若者が怪訝そうに自分を見ている。

 少し前まで同じ音韻言語学科にいた三歳年上のフレドリックである。一年前ルーサーの資格を得て、今はこのアルセルスで建築学を学んでいる。

 エル・スティシアが入試の時、広い院内で迷子になっていた彼女をわざわざ試験会場まで案内してくれ、その後も入学した彼女の世話を焼いて、色々と親身に相談に乗ってくれる良き先輩だった。

「ティア?」

 エル・スティシアの足許に落ちている本を拾い上げ、フレドリックは虚ろに自分を見返す後輩の顔を覗き込んだ。

「フレド……、私——」

 エル・スティシアの菫色の潤んだ瞳から、つっと一筋の涙が零れた。

 驚くフレドリックに勢いよく抱き付き、その胸に顔を埋める。

「テ、ティア!?」

 何が何だか分からないフレドリックは慌てふためいた。

 妙齢の女性に抱き付かれて嬉しくない訳ではないが、仮にもここは学院の中庭だ。当然人の目もある。その中でこういう構図は、自分の師である「学問に女は不要」の信念の持ち主であるランツ教授に知られたら、ちょっと処か相当マズイ。

 大いに勿体無かったが、フレドリックは自分に抱き付く後輩を引き剥がそうとした。

 が、しっかりと胸倉を掴んでいるエル・スティシアは、すっぽんの様に離れなかった。

「テ、ティア。頼むから、ちょっとその手を——」

「——駄目だと思っていたのよ……」

 困惑気味に言い掛けたフレドリックの声を、独り言のようにつぶやくエル・スティシアの声が遮った。

「上がっちゃって、一杯間違ってしまったから。今回は本当にもう駄目かと……」

 言葉を詰まらせながら、訥々(とつとつ)と胸の内を言い連ねる。

「ティア、それって……」

 その言葉に心当たりがあったフレドリックは、思わず後輩を引き剥がす手を止めた。

「それが……だなんて、もう嬉しくって、嬉しくって——」

 そう言いながら湧き上る喜びに、ついついエル・スティシアの両の手に力が籠る。

 そして——

「……ああもうっ、私死んでもいいわっ!」

 一息に歓喜の声を吐き出すと共に、エル・スティシアは両手にもこれ以上ない程に力を込めた。

「っ!?」

 こうして、ウズベィク教授の懸念は、彼が立ち去って十五分と経ずして現実のものとなりつつあったのだった。

 




 短編の「夢追い人」を上げたら、本編上げる前に番外編上げるなんておかしいだろうと突っ込まれました。
 今連載している物あり、こっちはまだ本格的に書く気はなかったので、本編より番外編の方が短いからいいかなと思ったのに、ダメらしいです。
 仕方ないので本編で番外編に関係した部分だけでも上げる事にします。
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