アルセリオンの歌声   作:飛鳥 螢

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~旅の道連れ~

 剣を構え、薄汚れた風体のゴツイ体躯の男が、ずいっと一歩前に出た。

 ミルフェミアを庇うようにセルクが後退(あとずさ)る。

「何も命まで寄越せとは言ってないんだぜ。お前等の持っている荷物に有り金、全部俺達にくれりゃいいのさ」

「冗談じゃないわ。なんで見ず知らずの貴方達なんかに、大事な金品やらなきゃならないのよっ」

 幼馴染みの少年の肩越しにぎっと男達を睨み付け、ミルフェミアが言い放った。腰に吊るした長鞭のグリップをしっかりと握り締める。

 それをセルクは小声で制した。

「駄目だ、フェミア」

 いくら腕が立つと言っても、剣を相手に(かな)うわけがない。しかも相手は盗賊だ。人の命などなんとも思っていない。下手に抵抗すれば、容赦なく自分達を斬り殺すだろう。

「荷物なんて大した物ないし、それに金は天下の廻り物なんだろ。使ったと思えばいいじゃないか」

()られるのと使うのじゃ、大違いよっ」

 ミルフェミアが反射的に猛然と言い返す。

「あんな奴等にやる為に、父さんは母さんの目を盗んでへそくり溜め込んだわけじゃないのよ」

 ——娘に横取られる為に、へそくったわけでもないと思うけどなぁ……

 と、セルクは思ったが、それを口にしてわざわざ煮滾った油に火を注ぐことはしなかった。

 それにこれはミルフェミアを思い止まらせる絶好のチャンスだった。ここで盗賊達に金品を奪われたら、これ以上旅は続けられない。嫌でも村に戻るしかなくなるだろう。

「でもフェミア——」

「おい、いい加減にしろっ」

 イライラと盗賊の声が、尚も説得を試みるセルクの声を遮った。

 悠長にこの軟弱な少年が跳ねっ返りの少女を説得するまで待っていたら、日が暮れてしまうと思ったのだろう。

「素直に出すのが嫌なら、過分に貰ってやってもいいんだぜ」

 と、言外に命の要求を匂わせて脅しをかける。勿論本気ではない。じゃじゃ馬を大人しくさせる為の方便だ。

 自分達は旅人から金品を奪うのが商売である。商品などは時々ブーレの裏家業をやっている商人に売ったりする事もあった。その品は様々で特に生きた商品は高値で売れた。

 今目の前にいるガキ共は親が近くに居ると思ったがそうではなく、武器らしい武器も持たない年頃の子供だけの二人連れ。しかも少年の方はえらく綺麗な顔立ちの上、気の強い少女と違って従順そうだ。さぞかし好色な好事家どもが涎を垂らして欲しがるだろう。こんなネギ処か鍋付きのカモを殺すなんてとんでもない事だった。

 とはいえ抵抗されて傷でも付けたら商品価値が下がる。自分達が金品だけが目当ての盗賊と思わせて精々脅して震え上がらせ、二人が自分の身の上に勘づく前に素早く捕まえるのが一番だ。

 盗賊は手にした抜き身の剣をチラつかせ、殊更目の前の獲物に凄んでみせた。

「ま、待って。今やるから」

 自分の身まで金品の一部だとは露知らず、セルクは慌てて応えた。

「セルクっ」

 すかさずミルフェミアが抗議の声を上げる。

 けれどセルクは構わず馬に括り付けてある荷物を取り外しにかかった。

 それを止めようと、ミルフェミアが幼馴染みの腕を掴む。

「駄目よ、セルク。あんな奴等の言うこと聞くなんて」

「フェミア、荷物も金も、命があってこそだろう」

 正論である。そう言われると、ミルフェミアもこれ以上抗弁のしようがない。

 だが、ここで盗賊達に金品を()られるのを、指を加えて黙って見ているのも癪に(さわ)る。

 ミルフェミアは素早く口の代わりに頭を働かせ、盗賊達に聞こえない様にそっと幼馴染みの少年に耳打ちした。

「じゃあ、セルク。荷物渡すの認める代わりに、ちょっと悲鳴を上げてみて」

「へ?」

 唐突なミルフェミアの理解に苦しむ言い分に、思わずセルクは荷を解く手を止め、まじまじと幼馴染みの少女を見返した。

「セルクの声って良く通るし、悲鳴なんか女のわたしより色っぽいんだから、ここは街道に近いわ。早起きしたどっかの物好きが聞きつけて、助けてくれるかもしれないでしょ?」

「でも、騒ぐのはマズイよ」

 盗賊達の方を窺い、セルクは難色を示した。

 勿論、ミルフェミアは聞く耳など持ってない。

「ずべこべ言わず、さっさと上げなさいよっ」

 思いっ切り幼馴染みの両足を踏みつけ、尻を(つね)る。

「っ!」

 堪らずセルクは悲鳴を上げた。

 朝の静けさを突き破って、林の中だけでなく周辺一杯に絹を裂く様な悲痛な声が響き渡る。

 セルクの声は変声期を過ぎても幾分高めの澄みやかな声だった。悲鳴となるとテノールというよりボーイソプラノと言っていい声になる。しかもミルフェミアの指摘した通り、下手な女の悲鳴より断然色っぽい。

 突如湧き起った悲鳴に、一瞬盗賊達は何が起こったのか判断しかねた。そして三呼吸程遅れて、やっとそれが意味する事の重大さに気付いた。

「この、ガキどもっ」

 いきり立ち、憤然と二人に掴みかかる。

 咄嗟にセルクとミルフェミアは馬の下を掻い潜り、その魔手から逃れた。

 逃がすまいと数人の盗賊が左右から回り込み、セルク達に剣を持たない方の手で掴みかかる。

 すかさず腰の長鞭を手に取り、ミルフェミアは自分達に伸びて来る盗賊達の手を打ち払った。

「ええいっ、大事な金蔓だ。さっさと捕まえろっ」

 不精髭の厳つい顔の男が唾を飛び散らかしてがなる。

 その声に、セルク達が背にした繁みがガサガサと盛大に揺れた。

 ぎょっとして二人が立ち竦む。

 二人を躍起になって捕まえようとする盗賊達も、一瞬その方に意識を向けた。

 バッと繁みが左右に割れる。

 そしてそこから現れたのは、ミルフェミアの言う処の早起きの物好きだった。二十歳前後の腰に剣を佩いた、銀青色の髪をした長身の若者——レスターである。

「あれぇ?」

 繁みを抜けた途端、ガキ二人に数人のむさくるしい男達の注目を受け、レスターは間の抜けた声を上げた。

 チラリと周囲に視線を走らせるが、美女どころか妙齢の乙女の姿さえない。

 ——確かこっちから悲鳴がしたと思ったんだけど、また方向間違えたかなぁ……

 自分の方向感覚が全くアテにならないレスターは、ぼりぼりと頬を掻いて取り込み中らしい眼前の連中を眺め回した。

「お願い、助けてっ。あいつら盗賊なのよっ」

 すかさずミルフェミアがしめたとばかり、手にした長鞭を体の後ろに隠し、繁みから出て来た若者に取り縋った。

 さっきまでのあの気の強さが嘘のようなしおらしさだ。その豹変ぶりはセルクが呆気に取られる程である。

 いたいけな少年少女が無頼の輩に襲われている。これを見れば誰であろうと。助けようとするのが当然の反応だろう。

 が、レスターの場合、かなり違っていた。

「と、言われてもなぁ……」

 億劫そうに、そう応えたのである。

「俺はこの三日ばかり、ロクに食ってないんだ。な、この腹の音聞きゃ判るだろ」

 と、レスターは不機嫌そうに不平の声を上げる自分の騒々しい腹を示した。

「できれば空きっ腹抱えて、これ以上体力使いたくないんだよな。悪いけど他を当たってくれないか?」

 美女なら腹が空いていても助けに来る癖に、前途洋々でも予備軍では今一勤労意力が沸かないらしい。

 渡り剣士のようなやくざな家業は、何時何処で死ぬか分らない。この若者、流石にその端くれだけあって、数年後より今現在を重視する刹那的な考えの持ち主だった。

「ちょっと、か弱い少女が必死に助けを求めてるってのに、そんなくだらない理由で断るなんて、貴方どういう神経してるのよっ」

「か弱い?」

 何処が? と言いたげに銀青色の髪の渡り剣士は、少女の後ろに尻尾の様に垂れ下がる長鞭に深緑の瞳を細め、自分に喰って掛かる少女を見返した。

 まあ、そっちの少年なら十分そう見えるが、生憎とレスターは喩えガキでも男はタダで助けない主義だった。

「ま、とにかく俺には関係ない。精々頑張って逃げるんだな」

 この世知辛い世の中「助けて」の一言で、助けて貰えるほど甘くはない。まだ親の脛齧(すねかじ)りとはいえ自分と殆ど変わりない年齢だ。自分の身くらい自分で守れなくては、とてもじゃないがこの先世間の荒海なんぞ渡っていけない。

 なにより今は食料事情の悪化により体力の消耗も著しい。他人の面倒など見てられるか。というのがレスターの率直な気持ちであった。

 少女の訴えをすげなく突き放し、これ以上関りになりたくないとばかり、さっさとレスターは(きびす)を返した。

 その鼻孔を、なにやら美味そうな匂いがくすぐった。途端にまた盛大に腹の虫が鳴り響く。

 思わずレスターは鼻をひくつかせ、匂いの方に首を巡らせた。

 自分が無下に頼みを一蹴した少女の掌に、ほんのりと湯気の立つグリエがあった。少し焦げたサラミととろりとしたチーズが乗っかっていて、実に美味そうだ。

 口の中に生唾が溢れ、レスターは慌てて口の端に垂れてきたそれを拭った。

「助けてくれたら、お礼にこれあげようかと思ったのになぁ」

 無情な渡り剣士の関心を引く事に成功したミルフェミアは、「それ、僕の朝食」と焦る幼馴染みの口を押え、グリエをレスターの鼻先にちらつかせた。

「他にも色々あるのに、あいつ等に盗られたら、それも無くなっちゃうわねぇ」

 ミルフェミアは哀しそうに嘆息した。

「どうせ盗られるなら、その前に食べちゃおう」

 と、手に持つサラミチーズ乗せグリエを口許に持っていく。

「ま、待てっ」

 慌てた声が、銀青色の髪の剣士の口と腹から同時に上がる。

「やっぱ、助け合いの精神ってのは大事だよな。うん」

 美味しそうなグリエを見せつけられ、深刻な食糧不足に悩む腹を抱えたレスターは、無節操にもあっさりと前言を翻した。

「そうよねぇ」

 にっこりとミルフェミアは、口許に持っていったグリエを下ろす。

 レスターは憮然として、勝ち誇った少女の顔を見た。

 はっきり言って情けない。自分でもそう思うが、ここで主義主張を貫いた処で一銅貨(シルスター)の得にもならない。

 何時また食い物に巡り会えるか分からないのだ。この林を抜けて街道に出る以上に、食料確保の必要性に迫られているこの切羽詰まった状況では、背に腹は代えられなかった。

 まあ、全くのタダ働きというわけでないのが、唯一の救いだろうか。

「——となれば」

 面倒な事はさっさと片付けるに限る。肩に担いだ自分の荷物を、少女の連れの蜂蜜色の髪の少年に放り投げる。

 そして、さっきから何だこのふざけたヤツはと、胡散臭げに自分を見ている人相の悪い男達に向き直った。

 すらりと剣を抜き放ち、レスターは不敵な笑みを浮かべて盗賊達に訊いた。

「さあ、治療師と葬儀屋。どっちの世話になりたい?」

「ふざけやがってっ」

 盗賊達は吼えた。

 折角のボロ儲けのチャンスに割り込んできて、獲物と阿保らしい言い合いを始めて去るかと思ったら、食い物に釣られて六対一の彼我の力の差も弁えずに大言壮語をほざくとはいい度胸だ。それ相応の報いをその身でもって思い知るがいい。

 盗賊達は雄叫びを上げ、一斉に空腹の道化者に斬り掛かった。

 レスターも不本意でもやると決めた以上、それを迎え撃つような手抜きはしなかった。

 いきなり突っ込む。

 先頭の頬に傷のある男の真正面。

 白刃が唸りを上げて襲い来る。

 僅かに上体を反らし、レスターはその切っ先に空を斬らせる。

 同時に、無造作に剣を一閃させた。

 血飛沫と悲鳴が、レスターの脇を掠めていく。

 更に鋭い斬撃を左右に閃かす。

「ぐわっ」

「ぎゃぁぁっ」

 耳障りな不協和音がその後に続いた。

 朝日を浴びて、レスターの血に濡れた白刃が、煌めいた帯を形作る。

 その度に(あか)い花が地面に咲き、絶叫が大気を揺るがせた。

「残るはあんた一人だ。希望があるなら今いいな」

 今斬り(たお)した五人は聞く暇がなかったが、最後の一人くらい本人の望み通りにしてやろう。

 血糊の付いた剣先を不精髭の男に向け、レスターはニヤリと笑った。

「う……ぐっ……」

 数の上で有利だった筈が、一合も交えずに仲間の全てが斬り捨てられるとは。最後の一人となった男は、愕然と銀青色の髪の若造を見返した。

「さぁ、治療師と葬儀屋、どっちがいい?」

 盗賊の最後の一人は、その答えを言葉でなく行動によって示した。

 手にした剣を投げ付け、それをレスターが跳び退いて避けた隙に、脱兎の如く逃げ出したのだ。治療師も葬儀屋も、どちらも御免だという事らしい。

 レスターは舌打ちしたものの、後は追わなかった。一応「助けて」という依頼は果たした。そこまで熱心にする必要もない。それに追って行って戻って来られなかったら、折角ありついた食い物を食べ損ねてしまう。

「凄ぉい、凄いわ。あっという間に皆やっつけてしまうなんてっ」

 死体の転がる林の中から街道沿いに場所を移動し、ミルフェミアは手放しに賞賛した。

 一方セルクの心中は幼馴染みほど単純ではなかった。助けて貰ったのは確かに有難かったが、迷惑だった事も否めない。上手くいけばここで村に引き返す事が出来たのに、この男の所為で元の木阿弥だ。

「あの、助けてくれて、どうも有難う」

 もし盗賊達が何を考えていたか知っていたら、感謝の度合いも変わっただろうが、 セルクは複雑な表情で幼馴染みほど熱が籠らない口調でお礼を言った。

 レスターは面倒臭そうに顎を引いてそれに応え、周囲に盗賊の仲間がいない事を確認すると剣を振って血糊を払って鞘に収めた。

「おい、さっきのやつ」

 すぐさま気の強い少女に助けてやった見返りを要求する。

 ミルフェミアは包んだ油紙から出したサラミチーズ付きグリエを差し出すと、レスターは急いで三日ぶりのまともな食事にかぶり付いた。

 それをにこにこと頼もしそうにミルフェミアは眺め、更に追加要求される前に残りのグリエ、干し肉、果物にチーズ等々を荷物から出して、彼女にしては珍しく大盤振る舞いする。

 セルクはその幼馴染みの態度を、黙然と疑惑の眼差しで見ていた。

 ——フェミアがこんな風に妙に機嫌がいい時は、絶対何か企んでいるんだ——と。

 そしてそれが確信に変わったのは、空腹の剣士がセルクの朝食どころか二人分の昼食までも食べ尽くし、満足そうに一周り程大きくなった自分の腹を撫でた時だった。

 銀青色の髪の若者が一息入れた処で、ミルフェミアは話を切り出したのだ。

「ねぇ、貴方渡り剣士でしょ? 二十二、三歳位にしか見えないけど、凄く強いのね。もしかして、魔物(ディール)なんかとも戦った事あるの?」

「十九だ」と、歳を訂正してレスターは愚問とばかり応える。

「奴等は飯の種だぜ。斃した数だって、もう覚えちゃいないな」

「わたし達と殆ど歳が違わないのに、本当に凄いのね」

 尊敬の念も露わにミルフェミアは呟き、そして更に訊いてみる。

「ねえ、今誰かに雇われている?」

「いいや」

「それじゃぁ、一緒にブーレに行ってくれない?」

「俺がか?」

「そう、わたし達向こう岸に用があって、そこから船に乗る予定なんだけど、道中物騒でしょ」

 眉を(ひそ)める銀青色の髪の渡り剣士に、ミルフェミアは説明する。

「またさっきの連中みたいのに出会うとも限らないし。だから、出来ればブーレから先も一緒に行って欲しいの。勿論お礼はするわ」

 と、ミルフェミアは懐から(なめ)し革の小袋を取り出した。

「フェミア、それは——」

「セルクは黙っててっ」

 一言の許に幼馴染みを黙らせ、ミルフェミアは満腹の渡り剣士の手を取って、その上にそれを乗せた。

 ずしっとした確かな手応えに、レスターは無言で口紐を解き中を確かめる。シルスターが多いが銀貨(ファルディアル)も結構な量入っている。

「どう?」

「そうだなぁ……」

 どうせ海に行くつもりだったし、船に乗るのも面白そうだ。それに何よりもこいつ等に付いて行けば、道に迷わない。報酬には少々不満が残るが、初めての国で不案内だからな。その埋め合わせにガイドをして貰えばいいか……

 あれこれ考えた結果、レスターは精々勿体ぶって恩着せがましく返答を返した。

「…——まぁ、いいだろう」

「きゃぁ、ありがとうっ!」

 ミルフェミアは跳び上がって喜び、性格は悪いが腕の立つ渡り剣士の気が変わらない内にと、セルクが持つレスターの荷物を馬の背に括り付け、さっさと手綱を引いて歩き出した。

 慌ててセルクがその後を追う。

「あの渡り剣士にお金全部やっちゃって、これから先どうするのさ」

 まだ旅は始まったばかりだ。折角護衛を雇っても、路銀がなければ船にも乗れない。

 自分達の後をゆっくりと付いて来る渡り剣士をチラッと窺い見ながら、セルクは小声でミルフェミアに訊いた。

 旅を中断して村に帰りたがっていた彼が、先の心配をするのはいささか妙な話だが、その事のおかしさに全く気付かず、セルクはその時本気で心配していた。

 だがそれも、幼馴染みの少女の話を聞くまでだった。

「大丈夫よ。皆やったりするもんですか」

 こそっとミルフェミアがセルクに耳打ちする。

「父さんのへそくりは、あれだけじゃないもの」

「………」

 返す言葉がなかった。やっぱりミルフェミアには(かな)わない。これではどう足掻いても、ファランスの花を取りに行くしかないようだ。

 ガックリと肩を落とし、セルクは鼻歌混じりに先に行く幼馴染みの少女の後姿を眺めた。

 ブーレまで後僅か。空は何処までも晴れ渡り、当分よい天気が続きそうだ。この調子なら、ゆっくりと歩いても明日の夕刻までには着けるだろう。

 

          ∮ ∮ ∮

 

 星明りをちらつかせながら寄せては返す潮騒の音が宵闇の中に溶け込む。

 静まり返った波止場とは対照的に、煌々と灯りが点る街中は今日も一日の仕事を終えた港の男達が酒場に繰り出し、飲み食いして互いの無事を祝い合う。

 そんな喧騒と隔絶された崖上に、豪奢な造りの館が一つ建っていた。

 昔からこのブーレを拠点に、他国との商品の取引などを手掛けてきたこの港町の顔役とも言える豪商の館だ。

 港が一望に見渡せ、海風が吹き抜けるここは夏でも避暑地の様に涼しい。

 その異国風の庭に独り腕を組んで佇み、夜の帳の中に浮かぶ月を眺める者がいた。

 夜闇に溶け込む黒髪の鍛え上げられた逞しい体躯をした男だ。背に長柄の長剣を背負っている処から剣士らしい。

 このようないかにも金目の物がありそうな館では、とかく不逞の輩の標的になり易い。そういった手合いから財産と身を守る為に、商人は自分の館に普段から警護に複数の腕の立つ者を飼っているのが普通だ。

 この男もそういった理由で雇われている剣士の一人なのだろう。ただ男の身に纏う抜き身の剣のような雰囲気は、単なる飼い犬にしては凄絶過ぎた。

 不意に男は意識を背後に向けた。

 暫くして後ろに建つ館の中から一人の女性が現れる。

 癖のある長い銀髪(プラチナブロンド)を腰まで垂らした色香漂う美女だ。

 着ている服もドレスではなく、自分の見事なプロポーションを際立たせる肌の露出の多い異国風の動きやすいものだった。それに煌びやかな装飾品がアクセントを加えて彼女の美貌を際立たせている。

 この男と同じ只の警護の者とは一線を画する艶やかな雰囲気の女である。

「こんな所にいたの、シュナッグ」

 男の近寄り難い雰囲気をものともせずに、親しげに銀髪の女は声を掛ける。

 既に興味を無くしていた黒髪の男は、無言のままだ。

「相変わらず真面目ねぇ。この館を襲う輩なんているわけないのに」

 意味深な事を言いながら、黒髪の男の体にしなだれかかる。

 シュナッグは顔を(しか)め、煩わしそうにそれを振り払った。

 すげなくされて一瞬女はムッとしたが、すぐに何事も無かったように艶然と微笑む。

「ねえ、こんな所退屈じゃない?」

 何も応えない男の顔を上目遣いに見ながら尚も話しかける。

「あんた、別にここの(あるじ)に恩義があるわけじゃないんでしょ」

「………」

 確かにそうだ。目的もなく各地を巡り、気が付けばこの地にいた。ずっと避けていたタナン王国の、海の玄関口の一つと言われるブーレに。それからこの先に進む事も立ち去る事も出来ずに、ただ港町で無為な時を過ごしていた。

 そんな自分の噂を聞きつけたここの主に、是非館に来てくれと懇願されたから居るに過ぎない。熱の入らない警護の真似事は、単なる暇潰しにすぎなかった。

 ついでに言うなら、暫く前からここの主の取引相手の護衛として来た、この鬱陶しい女を避ける為でもあった。

 何故か知らないがこの女、護衛と称して主の夜の相手もする癖に、最初に会った時無視したら、やたらと自分に絡んで来るようになったのだ。

「主を放っておいていいのか」

 暗に邪魔だと言うと、やっと口を利いてくれた男に銀髪の女は口許を綻ばせた。

「いいのよ。たまには他の女を(あて)がって、あたしの良さを再認識させないと、新鮮味が無くなってしまうでしょ」

 大した自信である。

 確かにこの美貌と肢体(からだ)なら、どんな男だろうと虜にして放さないだろう。金持ちの護衛など危険な真似をしなくとも、高級娼館にでも入ればたちまち売れっ子になれるに違いない。

 現に最初護衛として雇われた彼女は、今ではしっかり情婦としての立場を確保していた。肢体を飾る主より贈られたアクセサリーの数々がそれを雄弁に物語っている。

「そんなことよりも、ここの主に思い入れがないのなら、こちらに来ない?」

 話を元に戻し、銀髪の美女はシュナッグに誘いを掛けた。

 彼女は主の役に立ちそうな彼の腕を見込んでというより、自分のプライドを傷つけたこの男を虜にしなければ気が済まなかったのだ。

 ——このあたしを、そこらの女と同じに無視するなんて許せない——と。

 けれど商談が済み、商品が揃えば国に帰る事になる。だからその前にこちらに引き抜き、国に戻ってからこの堅物をゆっくり料理するつもりなのである。

 だが、銀髪の美女の思惑を知ってか知らずにか、シュナッグは応えなかった。

「シュネー、ラッフルド様がお呼びだ」

 館の中から護衛の一人が声を掛けてくる。

「あら、時間切れだわ」

 どうやら宛がった女では満足できなかったらしい。

 もっとゆっくりしていたかった銀髪の美女——シュネーは残念そうにシュナッグに流し目を送る。

「色よい返事を待ってるわ」

 そう言い残し、いそいそと館へと戻って行く。

 ——主にだけ尻尾を振ってればいいものを……

 その後ろ姿を見送り、シュナッグは鼻を鳴らした。

 ——全く、煩わしい事が多過ぎる。

 それでもまだここを、いやこの地を出て行くのに躊躇(ためら)いがあった。

 漆黒の空には相も変わらず、あの時と同じ様に月が浮かんでいた。

 ふと遠く過ぎ去った日々を思い起こし、シュナッグは何故か苦々しそうに舌打ちした。

 




 さて、今回で第一章は終わり、主要人物が大体出揃いました。
 第二章からは、彼等を中心にそれぞれの思惑が絡み合って話が進みます。
 不定期なので次回は何時になるか分かりませんが、気に入ってくれて次も読みたいと思う人がもうちょっと増えたら早めに上げたいと思います。
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