僕の住む町には獣人が多い。
どれぐらい多いかというと、僕以外のクラスメイトが全員獣人で埋め尽くされているぐらい。男子も女子も全員モフモフな毛皮か格好良い鱗、それらと同等の特筆すべき何かしらを持ち合わせている。それに対して、僕は薄皮一枚に覆われた貧弱少年。仮に文字通りの爪先が引っ掛かった場合、餡子ではなく血肉が溢れてくる。
だから、気遣いのされ方は異常だった。体育の授業とか球技大会では僕がいるチームが必ず勝てるという、プロの世界なら引っ張りダコになるであろう状態。接触プレーが日常茶飯事なバスケットボールやサッカーをしようものなら、僕の前に道ができる始末。断じて、何処かのエンペラーのようにアンクルブレイクとかはしていない。セルフで足腰をブレイクする奴らが多いだけだ。
「さて、そろそろか」
そんな僕に対しても、気を一切使わない人もいるけれど。
「あーいばー!」
ぎゅむっ。僕の左側で発生したことを擬音で表すならば、きっとそんな感じだろう。何が起こったかは言わない。これは僕だけが知っておくべきことだ。思春期男子なら分かるはず。右側ではゴツンと少し鈍い音がしたが、大したダメージはない。相殺された上でプラスだ。
「
僕が一六〇にギリギリ、本当にギリギリ届かないサイズというのもあるが、ブロック塀との合わせ技で僕をサンドイッチの具材にしている、この女子生徒はかなり大柄な部類だ。多分一九〇はある。バスケかバレーでもしたら良いのに、誘いは全部断ってるとか。才能の損失ではないだろうか。
「おはよう、
シュッとした長い顔。黄色っぽい毛並み。ブンブンとプロペラのように暴れ回っている尻尾。犬系獣人の犬崎さんである。多分、何たらレトリバーとかそういう系。
「今日も良い匂いだなー」
「ちゃんとお風呂入ってるからね」
「違うぞ。石鹸じゃなくて藍羽の匂いだ」
抱き上げられ、頭頂部を長い鼻でクンクンと嗅がれる。入学式の翌日から約二週間、ほぼ毎日これである。悪い気はしないけれど、あまりにも恥ずかしい。人が普通に周りを歩いている通学時間、自分より大きな女子に抱き抱えられ、匂いを嗅がれているのだ。
この大型犬っぽい大型犬系少女、見た目通りにおっとりしているのかと思ったら、中々の敏捷性を保持している。何度か回避を試みたのだけれど、毎回見事に捕まっている。これはもう抵抗は無駄だと理解し、大人しく捕まり始めたのが三日前。
犬崎さんの気持ちは分かる。僕もドラッグストアにある洗剤の見本みたいなのに吸い寄せられてしまうから。良い匂いというのは非常に魅力的だ。だけど、僕自身がそれぐらい良い匂いを発しているのかは分からない。
「飽きないの?」
「うん」
人形とかぬいぐるみみたいに持ち上げられたまま、横断歩道の前までやって来た。隣の蛇っぽい小学生からの視線が痛い。見ないでほしい。舌をチロチロさせながら、僕を哀れむような目で見ないでほしい。
「あげないぞ」
犬崎さん。絶対に違う。その子が僕を欲しがっている可能性は限りなくゼロに近い。
「要らないよ」
それはそうだろう。五、六歳上の人間を欲しがる小学生男児がいてたまるものか。彼らが欲しがるのは、流行りのトレーディングカードの未開封パックだ。断じて僕ではない。実際は大して強くなくても、強そうな絵柄のレアカードが当たったら、その時点でテンションは爆上がり。少なくとも三日間はそのカードを眺め続けることになる。ソースは僕。
ちなみにだが、間違ってもオタク達がやってるカードゲームのパックを渡してはならない。それを開封しているのを見られた瞬間、あだ名が暫くは固定されてしまう。小学生は残酷なのだ。これもソースは僕。おばあちゃん、買ってくれるのは嬉しいけど、孫に話を聞くぐらいはしてくれ。
「良い匂いだぞ?」
「うん、お姉さんが変なのは分かった」
「変じゃない!」
いや、間違いなく変だ。同級生の男子を抱えて歩く獣人は変に決まってる。のんべんだらりと生きてきた十五年の日常生活の中で、一度たりとも見たことがない。このビッグドッグガールが初だ。
「藍羽ー、変じゃないよな?」
「うーん、どうだろう」
否定も肯定も吐き出せなかった情けない男子の姿を見て、男児の哀れむ瞳が呆れる瞳に変わってしまった。
坊や、こんな男になるんじゃないぞ。
「お兄さん、嫌なら嫌って言った方が良いよ」
「嫌ではないんだな、これが」
恥ずかしいだけだ。
被虐趣味があるとかではないけれど、女の子にマスコット的扱いをされるというのは、案外心地が良い。自分から寄っていかなくとも、女の子に相手をしてもらえるというのは幸運なことなのだ。小学生には分からないだろう。
それに色々と役得な面もある。良い匂いの漂うモフモフの体に包まれながら登校するというのは、リムジンで通学するよりも貴重な体験だろう。
「変なの」
「大人になれば分かるさ」
「成人してないじゃん」
分かっていない小学生男児に対し、フッと鼻を鳴らしてみた。バカにするような視線が酷くなった。どうやら、僕はこの子供から尊敬の目で見られることは二度とないらしい。
「藍羽、行くぞー」
「さらばだ、少年」
「じゃーね」
控えめに手を振る蛇顔の小学生と別れると、少しずつ同じ制服の人達が増え始めた。
またコイツらか。大半の視線にはそんな言葉が見え隠れしている。それはそうだ。意味の分からないスキンシップを取っている二人組を、新学期が始まってからほぼ毎日見ているのだから。
僕が彼らの立場だったなら、間違いなく僕をタコ殴りにしている。一秒間に二十四発は殴っている。怒りの原因はアレだ。不純異性交遊に対する正義の心だ。決して、罷り間違っても醜い嫉妬心の類ではない。女子と楽しげに過ごしている男子生徒をやっかむことはない。大半に含まれない周囲の皆さんだってそうだろう。
「藍羽ー?」
「どうしたの」
鼻の位置がズレるにつれ、フンフンという音が大きくなる。その音に邪魔されながらも、ハッキリと響くジメッとした声。
「この状態はワタシの特権だからなー?」
この状態というのは、派手な柄の猿に持ち上げられているライオンの子供のような状態のことだろうか。
「うーん、確約はできないかな」
僕が比較的、あくまで比較的小柄なことも相まって、この状態に持ち込めそうな人は多い。小柄でも力が強いことの多い獣人であることを考えれば、クラスメイトの中でも結構な数ができてしまうだろう。
そんなことを考えたから、そう答えただけだった。ただ、犬崎さん的にはイマイチ納得ができなかったらしい。
彼女の両手に挟まれた僕の体が、抵抗する間も無くクルリと反転させられる。くりくりとした愛らしいようにも、恐ろしいようにも思える瞳とバッチリと目が合った。合わされた。合わさざるを得なかった。
「他の子がやってたら、許さないぞ」
僕の体を両側から挟んでいる手の力が強くなった。バキバキと圧し折れるほどではないけれど、あちこちがミシミシと鳴っているような気がする。もし僕がカルシウムをキチンと取らないタイプの青少年だったなら、口から体の中身を全て吹き出すとかいう、最悪のカートゥーンになっていたかもしれない。
「藍羽、分かったか?」
「善処するよ」
確約してしまうと、仮に破ってしまった場合が怖いから。
というか、そんなことよりも。
「少し苦しい」
思ったよりも不機嫌そうな声が出た。それを絞り出した自分の喉に驚いた僕と、その声に驚いてしまったらしい犬崎さん。
慌てて僕を地面に下ろすと、先程まで触っていた場所をフワフワの手でペタペタと触り始めた。触診のつもりなのかもしれないが、途轍もなくこそばゆい。
「ごめんなー」
謝罪の意味が込められているのだろうか。
意図が定かではない上、逆にボサボサになっていそうな毛繕いを頭ね受け止めながら、僕は久し振りに自分の足で通学路を歩くことになった。