ようこそ出だしでつまずく教室へ   作:ポテナゲ特大

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少し早めに書けました。


第9話

 

 

 

 

 

 ホームルームの騒動から数日。

 

 今日は日曜日だ。

 

 上尾は家電量販店に来ていた。

 

 目的はひとつ。龍園に壊されたボイスレコーダーの買い直し。

 

(俺のお財布事情も知らずに……)

 

 心の中で小さくため息をつく。

 

 安物なら3000ppから5000pp程度で手に入るだろう。

 

 ポイント残高が心許ない今、出費はできるだけ抑えたいところだった。

 

 売り場を回りながら、商品棚を眺めていく。

 

 そのとき。

 

 視界の端に、妙に着込んだ少女の姿が映った。

 

(あれは……佐倉さん?)

 

 厚手の服に身を包み、周囲を気にするように小さく縮こまっている。

 

 正直、かなり不審者寄りの挙動だった。

 

 関わらない方がいい気がする。

 

 そう思って、視線を外そうとした瞬間。

 

 様子がおかしいことに気づく。

 

 店員と、何か揉めている? 

 

 いや違う。

 

 揉めているというより、店員側が一方的に言い寄っている。

 

 佐倉は固まったまま、明らかに怯えていた。

 

(……昔の俺なら、見なかったことにしてたな)

 

 自嘲気味に息を吐く。

 

 少しだけ足が動いた。

 

 気づけば、二人の間に割って入っていた。

 

「待たせてごめん」

 

「……ぇ」

 

 佐倉の目が見開かれる。

 

「いや、トイレが混んでてさ」

 

 とっさの嘘を重ねる。

 

 そして自然な動作のまま、佐倉の手首を軽く取った。

 

「じゃあ行こうか」

 

「ちょ、ちょっと待て! 誰だお前!」

 

 店員が声を荒げる。

 

「気安く触るな!」

 

 上尾は軽く首を傾げた。

 

「え? 俺は彼女の友人ですけど」

 

 そして、視線を佐倉に向ける。

 

「この人、知り合い?」

 

 佐倉は即座に首を横に振った。

 

 ブンブンと、ほとんどパニックに近い否定。

 

「なるほど」

 

 上尾は小さく頷き、視線を店員に戻す。

 

「セールスなら、他の人にしてもらっていいですか」

 

「セールスじゃ──」

 

「じゃあ何なんですか」

 

 淡々と被せる。

 

「正直、ちょっと気味が悪いですよ」

 

 少しだけ声量を上げた。

 

「すいませーん、この店員さんちょっとしつこいんですけどー」

 

 軽く手を上げて周囲に聞こえるように言う。

 

 視線が一気に集まった。

 

 空気が変わる。

 

 店員の顔が明らかに焦り始めた。

 

「ちょ、違う! ただ説明を!」

 

 だが時すでに遅い。

 

 周囲の視線が圧になった瞬間、店員は言い訳を飲み込むように口を閉じた。

 

 そして足早に、その場を離れていった。

 

 静寂が戻る。

 

 残されたのは、上尾と佐倉だけだった。

 

 佐倉は、まだ固まっている。

 

 手首を握られたまま、視線が泳いでいた。

 

「……大丈夫?」

 

 上尾が手を離しながら尋ねる。

 

「え……あ、はい……」

 

 声が小さい。

 

 完全に混乱している様子だった。

 

「変な人だったね」

 

「う、うん……」

 

「気をつけた方がいいよ。暖かくなると不審者が増えるって言うし」

 

「……ありがとう」

 

 蚊の鳴くような声だった。

 

 沈黙が落ちる。

 

 気まずいというより、互いにどうしていいか分からない空気。

 

(さて、ここからだよな)

 

 上尾は内心で軽く頭を掻く。

 

 教室よりも難易度高い気がするのは気のせいじゃない。

 

「買い物?」

 

「う、うん……」

 

「じゃあ一緒に行こうか。さっきのやつ戻ってきても面倒だし」

 

「……うん」

 

 小さく頷く佐倉。

 

 二人は並んで売り場へと歩き出した。

 

 少しだけ距離を空けながら。

 

 けれど、先ほどよりも空気は確実に柔らかくなっていた。

 

 

 

 

 無言の二人。

 

 上尾が先に口を開いた。

 

「そういえば、何を買いにきたの?」

 

「……えっと、カメ──っ!」

 

 佐倉が途中で自分の口を塞ぐ。

 

「亀?」

 

 上尾は思わず聞き返した。

 

 家電量販店に亀を買いに来るという発想が一瞬理解できない。

 

「……か、かめさんって、かわいいよね!」

 

 明らかに話題が迷子になっていた。

 

「上尾くんはっ? な、何を買いにきたの?」

 

 露骨に話を逸らす佐倉。

 

「俺はボイ──」

 

 言いかけて、上尾は一瞬止まる。

 

(ボイスレコーダーって普通買わないよな……)

 

 理由を求められた瞬間、説明が面倒になる未来が見えた。

 

(何に使うのって聞かれたら詰む)

 

「ぼい?」

 

「……ボイル用の鍋をね」

 

「鍋……? 電気屋さんに?」

 

「で、電気鍋とかあるし!」

 

 自分でも苦しい理屈だと分かっている。

 

「……あ、そっか」

 

 佐倉は納得したのかしていないのか分からない顔で頷いた。

 

(ふぅ、危ない)

 

 上尾は心の中でだけ息を吐いた。

 

 

 

「……あっ、調理器具あっちだって」

 

「え、あー……やっぱいいや」

 

「……え?」

 

「やっぱガスが一番でしょ」

 

「……そうなんだ」

 

 ボイスレコーダーは、今日はやめておこう。

 

「それより、佐倉さんのお目当ての亀はどこに売ってるの?」

 

「えっ! えっと、そのぅ……」

 

 佐倉は少し考え込むように視線を泳がせたあと、

 

「……こっち」

 

 とだけ言って歩き出した。

 

 着いた先は、カメラコーナーだった。

 

(カメラのことだったか)

 

 佐倉はどうやら、カメラのメモリーカードを買いに来ていたらしい。

 

 棚の前で、真剣に物色している。

 

 何故、あんな誤魔化し方を? 

 

(俺のよりよっぽど健全な買い物なのに)

 

「……あった」

 

「それでいいの?」

 

「う、うん」

 

「じゃあ、さっさと会計済ませて出よっか」

 

 二人で会計を済ませ、店を出る。

 

 

 

 そのまま、寮へ向かって歩き出した。

 

 気まずい沈黙が、ゆっくりと流れる。

 

(……何話せばいいんだこれ)

 

「……あのさ」

 

「……っ、は、はい」

 

 佐倉が肩を跳ねさせる。

 

「この前はごめんね」

 

「……このまえ?」

 

「ほら、急に英語で話しかけたやつ」

 

「あっ」

 

「ちょっとテンパっちゃってさ」

 

「……」

 

「平田くんにね、相談されて」

 

「……はい」

 

「佐倉さんが勉強会来てないの、心配だって」

 

「……はぃ」

 

「多分、隣の席の俺なら話しやすいと思ったんだろうけど」

 

「……」

 

「佐倉さん、俺のこと苦手だよね」

 

「……ぃえ」

 

 小さな否定。

 

「いいよ、大丈夫。慣れてるから」

 

 少しだけ冗談っぽく言ってから続ける。

 

「それより、勉強大丈夫そう?」

 

「……」

 

「急にテスト範囲変わって、びっくりしたよね」

 

「……はぃ」

 

「まぁ、過去問もあるし、大丈夫か」

 

「……」

 

 会話はそこで、途切れた。

 

 そのまま、寮に着く。

 

 エレベーターに乗り込み、6階のボタンを押す上尾。

 

「佐倉さんは何階?」

 

「……11階です」

 

 6階に着き、上尾が降りようとした、その瞬間。

 

「あ、あの!」

 

 佐倉の声が、少しだけ強く響いた。

 

「どうかしたの?」

 

「そ、そ、その……」

 

「?」

 

 言葉が絡まる。

 

 喉の奥で引っかかるみたいに、出てこない。

 

「す、す、すと……」

 

「……」

 

「すと、す、す……」

 

 拳をぎゅっと握る。

 

 そして、やっとのことで絞り出した。

 

「スタディ、したいです!」

 

 

 

 ────

 

 

 

 上尾は佐倉の部屋に来ていた。

 

 女の子の部屋に入るのは、実は初めてだった。

 

 椎名の部屋にも入ったことはない。

 

 だからか、妙に落ち着かない。

 

(……なんか、やたら緊張するな)

 

 空気の密度が違う気がする。

 

「……ど、どうぞ」

 

「ありがとう」

 

 佐倉が小さなコップに飲み物を注いで差し出す。

 

「急に勉強がしたいなんて、ちょっとびっくりしちゃったよ」

 

「……ごめんなさい」

 

「い、嫌とかじゃなくて!」

 

 言いながら、上尾は慌てて手を振る。

 

「むしろ全然いいんだけど、その……タイミングがね」

 

「……」

 

 佐倉はコップを見つめたまま、少しだけ視線を揺らす。

 

(言い方、まずかったか?)

 

 上尾は内心で軽く頭を抱えた。

 

「過去問があっても、不安だよね」

 

「……ぅん」

 

 小さく、かすかに頷く。

 

 声というより、息に近い返事だった。

 

 どこか煮え切らない。

 

 理由は分からないが、踏み込みすぎるのも違う気がした。

 

 上尾は軽く息を吐く。

 

「よし。じゃあ、早速やろうか」

 

 

 

 それからは黙々と勉強を続けた。

 

 佐倉が手こずれば解説を挟み、また問題に戻る。

 

 その繰り返し。

 

 気が付けば、窓の外は夕方の色に染まっていた。

 

「もうこんな時間だね」

 

「……ぅぅ」

 

 佐倉は小さくうめくように声を漏らす。

 

 さすがに集中力の限界が近いらしい。

 

「お疲れさま! 後半は俺もほとんど口出してないし、このままなら赤点どころか満点も狙えるよ」

 

「……えへへ、ありがとう」

 

 珍しく、ほんの少しだけ笑みが混じった声。

 

 教え合ううちに、最初のぎこちなさは薄れていた。

 

「……あ、あの」

 

「うん?」

 

「……ありがとうございました」

 

 佐倉は深々と頭を下げた。

 

「力になれたなら良かったよ」

 

「じゃあ、帰るね」

 

 そう言って上尾が立ち上がる。

 

 玄関へ向かおうとした、そのとき。

 

「か、上尾くん!」

 

「うん?」

 

 振り返る。

 

 佐倉は何か言いかけて、口をつぐむ。

 

 視線が少し揺れて、それから小さく息を吸った。

 

「……また、明日」

 

 それだけ言って、ぎこちなく笑う。

 

 何かを飲み込んだままの別れの言葉。

 

「うん、また明日」

 

 上尾は深く踏み込まずに、それだけ返して部屋を出た。

 

 扉が閉まる。

 

 

 

 廊下に静寂が戻る。

 

(無理に距離を詰めれば、逆戻りだ)

 

 今の彼女には、それくらいの距離感がちょうどいい気がした。

 

 言いたいことがあるなら、そのうち自然に出てくるだろう。

 

 上尾はそう結論づけると、自室へと歩き出した。

 

 

 

 ────

 

 

 

 試験本番当日。

 

 教室内は、いつもより静かだった。

 

 鉛筆の音と、紙をめくる音だけが小さく積み重なっていく。

 

 皆、最後の確認に集中している。

 

 隣の佐倉も同じだった。

 

 過去問を何度も読み返し、指先で重要箇所をなぞっている。

 

 あの勉強会以来、彼女とは時々、挨拶や短い会話を交わすようになっていた。

 

 授業や勉強で分からないところを、彼女の方から聞いてくることもある。

 

(……ふふっ)

 

 上尾は内心で小さく息を吐いた。

 

 このクラスで、ようやく“話す相手”ができたのかもしれない。

 

 そんなことを、少しだけ期待してしまう自分がいる。

 

 だがその一方で──

 

 教室の一角は、別の温度を持っていた。

 

 須藤たちのグループが、相変わらず騒がしい。

 

 その中には堀北と、綾小路の姿もある。

 

(……もう少し静かにできないものか)

 

 視線だけが、わずかにそちらへ向いた。

 

 集中している者と、そうでない者の差がやけに目につく。

 

 やがて、その一団が席へ戻ってくる。

 

 空気がわずかに揺れた。

 

「……ねぇ」

 

 不意に、堀北が上尾へ声をかけた。

 

 あの突き放したやり取り以来だ。

 

 上尾は鉛筆を止め、軽く顔を上げる。

 

「なんだい?」

 

 視線が一瞬だけ交差する。

 

「……何でもないわ」

 

 それだけ言って、堀北は自分の席に戻った。

 

(……何だったんだ)

 

 

 

 

 

『良かったのか? 須藤、このままじゃ……』

 

『……いいのよ。彼を当てになんかしてられないわ』

 

 

 

 ────

 

 

 

 ──そしてテスト結果発表当日。

 

 

「正直、感心している」

 

 茶柱は結果発表のボードに手をついたまま、淡々と教室を見渡した。

 

「お前たちが、ここまでの点数を取るとは思っていなかった」

 

 ホワイトボードには100点を始めとして、高得点を取っている生徒が多くいた。

 

 過去問があるとはいえ、小テストの時を考えれば大金星だろう。

 

「全体としては、よくやったと言っていいだろう」

 

 その言葉に、教室内にわずかな安堵が広がる。

 

 だが──

 

 次の瞬間、その空気は切り裂かれた。

 

 茶柱の持つペンが、ある生徒の名前の上で止まる。

 

 ゆっくりと赤線が引かれる。

 

「だが──」

 

 視線が一点に落ちる。

 

「お前は赤点だ。須藤」

 

「……は?」

 

 須藤の声が、間の抜けたように漏れた。

 

「ふざけんな! なんで俺が赤なんだよ!」

 

 椅子が鳴るほどに立ち上がる。

 

 茶柱はそれを見ても表情を変えない。

 

「今回の中間テストの赤点ラインは40点未満だ」

 

 淡々と説明が続く。

 

「クラス平均は79.6点、それを2で割ると──」

 

「小数点は四捨五入され、赤点は40未満という事になる」

 

「……40点?」

 

 須藤の声が、少しだけ揺れた。

 

 茶柱は小さく息を吐く。

 

「短い間だったが、ご苦労だったな」

 

「放課後、退学届を提出してもらう」

 

「……俺が……退学?」

 

 言葉の意味が追いつくまでに、わずかな間があった。

 

 その間に、教室の空気は完全に凍りつく。

 

「待ってください!」

 

 平田が立ち上がる。

 

「救済措置はないんですか!?」

 

「ない」

 

 茶柱は即答した。

 

「赤点を取れば、それまでだ」

 

「そんな……須藤くんがこのまま退学なんて……!」

 

 櫛田の声が震える。

 

「どうにかならないんですか!?」

 

 だが茶柱は、微動だにしない。

 

「ルールはルールだ。諦めろ」

 

 その一言が、教室の空気をさらに重くした。

 

 沈黙。

 

 その中で、上尾が静かに口を開く。

 

「……テスト範囲変更の報告が遅れた件を考慮して、全員にプラス1点の付与という特別措置は?」

 

 わずかに空気が動く。

 

 だが茶柱は、鼻で笑うように息を漏らした。

 

「駄目だ」

 

「上尾、お前を含め満点を取っている生徒も多い」

 

「その中で赤点を取ったのは須藤の実力だ」

 

「そもそも範囲変更が予定通り行われていたとしても、結果は変わらなかっただろうな」

 

 上尾は言葉を失う。

 

 茶柱は、それ以上議論をする気もないようだった。

 

「これでホームルームは終わりだ」

 

「須藤、放課後職員室に来い」

 

 椅子を引く音。

 

 綾小路が静かに席を立つ。

 

 それに続くように、堀北も立ち上がった。

 

 教室には、重たい余韻だけが残されていた。

 

 

 

 須藤の周囲には、なんて声をかければいいのかわからない彼の友人たちがいた。

 

 教室は静まり返っている。

 

 退学という現実。理解していたことだが、こんなにもあっさりと突きつけられるとは。

 

 上尾はショックを受けていた。

 

 上尾は須藤と親しいわけではない。むしろやっかみすら持っていた。

 

 しかし、退学になればいいと言うほど嫌っていたわけでもない。

 

 

『クラス全体に1点の付与』

 

 悪くない提案だと思った。

 

 クラスの平均が79.6なら、総合点は3184点。

 

 そこに40点を追加しても3224点。

 

 平均にすれば80.6。2で割ると40.3。

 

 四捨五入しても変わらず、赤点ラインは40未満のままだ。

 

 しかも満点を取っている生徒を鑑みれば、実際の総合点はもっと低くなる。

 

 須藤は40点を手にして、赤点を免れる。

 

 だが、茶柱はこれを容赦なく切り捨てた。

 

(どうすれば……)

 

 上尾は無意識に次の手を考えていた。

 

 

 

(どうしてだろう?)

 

 なぜ自分は須藤を助ける策を考えているのだろう。

 

 疑問が浮かぶ。

 

 自分にとって優先すべきは、椎名ひよりとの関係。

 

 そこだけが、確かに軸になっているはずだった。

 

 それなのに、なぜ須藤を──? 

 

 理由が思いつかない。

 

(須藤くんを救えば、身体能力が活かされる試験で優位に立ち回れる)

 

 だがすぐに否定する。

 

 自分はAクラスを目指しているわけではない。

 

 理由としては弱い。

 

(クラスポイントのため?)

 

 それなら一応説明はつく。

 

 彼が退学になれば、クラスポイントが入らない可能性が高い。

 

 それによって、自分にもプライベートポイントが還元される。

 

 だが──

 

 須藤の素行を考えれば、得たものをすぐに溶かしてしまう可能性もある。

 

 思考が堂々巡りを始める。

 

 そのときだった。

 

 茶柱が教室へ戻ってきた。

 

「須藤の退学は取り消しだ」

 

 短く、それだけが告げられる。

 

 教室が一気にざわめいた。

 

 安堵と驚きが混ざった声が広がる。

 

 上尾はホッと息をすると共に、ただ一つの疑問を抱いていた。

 

(どうやって?)

 

 視線が自然と動く。

 

 教室を出て行った二人。

 

 堀北と綾小路。

 

 いつの間にか戻ってきている。

 

(彼らが何かをした?)

 

 今までの流れを頭の中で巻き戻す。

 

 そして、ひとつの可能性に行き着く。

 

 

(……ポイントで、点数を買った?)

 

 

 堀北に、そこまで柔軟な思考ができるだろうか。

 

 彼女は頭が良い。だが同時に、頭の固いところもある。

 

 だとすれば綾小路? 

 

 それはもっとあり得ないだろう。

 

 彼はそこまで頭のいい生徒ではない……少なくとも、そう見える。

 

 柔軟な思考だけに長けているとも考えにくい。

 

 だとすれば、やはり堀北……

 

 彼女も成長しているということか。

 

 上尾はそう自分を納得させた。

 

 

 

 ────

 

 

 

 ──放課後

 

 椎名と並んで帰路についていた。

 

「テスト、無事に終わりましたね」

 

「うん、勉強会やら何やらで大変だったよ」

 

「お疲れさまです」

 

 椎名は小さく微笑む。

 

 その横顔はいつも通り穏やかで、どこか安心させるものがあった。

 

「……クラスの事で困ってる事とかない?」

 

「ふふっ、平気です!」

 

 即答だった。

 

「龍園くんも、その周囲の人も近寄ってすら来ませんから」

 

 軽い調子で言うその言葉に、上尾は内心で納得する。

 

 彼女に不用意に触れれば、それはそのまま龍園自身の首を絞めることになる。

 

 あの契約は、龍園にとって余りにも一方的な内容だった。

 

 椎名の意志ひとつで、どうにでもなってしまう程に。

 

「まぁ、お友達は照くん以外出来そうにありませんけどね」

 

「……そっか」

 

 元々、クラスに馴染んでいるとは言い難い環境だ。

 

 そのうえであの契約があるとなれば、距離はさらに広がるだろう。

 

 腫れ物のように扱われる光景が、容易に想像できた。

 

 そこで、上尾の脳裏にひとりの顔が浮かぶ。

 

 佐倉愛里。

 

 控えめで、言葉も少ないが、あの勉強会以来、少しずつ会話が増えつつある少女。

 

 彼女となら、きっと自然に距離を詰められる。

 

 そして自分が橋渡しになれば、椎名にも紹介できる。

 

 椎名と佐倉が繋がる。

 

 悪くないどころか、むしろ理想的だ。

 

「実はさ、クラスで最近話せる人が出来たんだ」

 

「おめでとうございます!」

 

 椎名の声がぱっと明るくなる。

 

「仲良くなれたら、ひよりにも紹介したいな」

 

「ぜひ! 仲良くなる秘訣も教えてください!」

 

 その勢いに、上尾は少しだけ得意げになる。

 

「ふふ、簡単だよ、一緒に勉強することさ」

 

「勉強……ですか?」

 

「うん。実はね、休日に突然“勉強したい”って誘われてさ」

 

「はい!」

 

「彼女の部屋で二人で一緒に勉強したんだ」

 

「……はい?」

 

 一瞬、椎名の動きが止まる。

 

「そのお陰か、かなり距離が縮まってね」

 

「……」

 

 言葉が途切れる。

 

 空気が、わずかに固くなる。

 

「いやー、案外楽勝だったね」

 

「……」

 

「ひより?」

 

 沈黙のあと、椎名がゆっくりと顔を上げた。

 

「……女の子だったんですか?」

 

「うん」

 

「……彼女の部屋で?」

 

「うん」

 

「……二人っきり?」

 

「うん」

 

 夕方の風が、やけに静かに二人の間を通り抜けていった。

 

 

 

 ────

 

 

 

 あれから、不機嫌になった椎名を宥めるのには、かなり苦労した。

 

 結局、休日を丸一日付き合うという約束をして、何とか機嫌を治すことができた。

 

(……なんで怒ってたんだろう)

 

 納得しきれないまま、上尾は頭の片隅にその疑問を放り込んだ。

 

 

 

 それよりも、気になるのは別のことだった。

 

 退学。

 

 今回の条件は、まだ比較的“軽い部類”だったはずだ。

 

 少し気が緩んでいたのかもしれない。

 

 まさか、クラス内から本当に赤点が出るとは。

 

 須藤もそうだが、他のクラスメイトはどうなのか。

 

 一度“退学ライン”を経験した以上、次のテストでは警戒するだろう。

 

 少なくとも、全体として見れば底上げはされるはずだ。

 

(今後は、全員赤点=退学って言っていたけど……)

 

 その条件は、あまりにも単純で、そして冷たい。

 

 だが逆に言えば──分かりやすい。

 

 人は分かりやすいルールほど、適応していく。

 

 流石に今回の件で、彼等にも勉強する習慣が付くだろう。

 

(まあ、普通はそうなる)

 

 

 

 ただ、胸の奥には微かな引っかかりが残る。

 

 ──“普通”で済む世界なのか、ここは。

 

 

 

 

 




今の所、原作と相違は少ないですね。

ちなみに初期プロットでは佐倉さんがヒロインでした。
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